「美しかれ、悲しかれ」
窪川稲子さんに
堀辰雄
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お手紙うれしく拝読いたしました。半年ぶりで軽井沢から鎌倉に戻ってきたばかりで、まだ何か気もちも落ちつかないままにお返事を遅らせておって申訳ありません。
丁度軽井沢を立ってくる前に、いただいた御本の中の「樹々新緑」などをなつかしく拝読して参ったばかりのところへ、又お手紙でその時分のことをいろいろと蘇らせられ、本当に何から先にとりあげて御返事を書いたらいいのか分らない位です。
あの頃のこと──あなたがお手紙や「樹々新緑」の中でお書きになったその時分のこと──を思いうかべると、いつも僕の口癖のようになって浮んでくる一つの言葉があります。或る時はフランス語で、〈Sois belle, Sois triste〉と、──又或る時は同じ言葉を「美しかれ、悲しかれ」と。──ときには僕はその文句に「女のひとよ」という一語を自分勝手につけ加えて、口の中でささやいて見ることもある。そうすると僕の裡にいろんな事が浮んできたものでした。あなたがお書きになっていた、田端や日暮里のあたりの煤けたような風景や、みんなの住んでいた灰色の小さな部屋々々や、毎夜のようにみんなと出かけていった悲しげな女達の一ぱいいたバアや、それから、二三度そんな若い僕たちの仲間入りをして一しょに談笑せられていた芥川さんがすこし酔い加減になってそういう女達を見まわしながらふいと思い出されたように僕の耳にささやかれたその〈Sois belle, Sois triste〉という言葉だのが……
それはボオドレエルの一行でした。そのあとでお書きになったものを見ると、そのときの芥川さんにはふいと思い出されたそのボオドレエルの美しい一行が、よほど深く胸におこたえになったものと見えます。
「美しかれ、悲しかれ」──ああ、本当にこの言葉くらい僕に自分の若い時分のことを、その苦痛も歓びも、一しょに思い出させるものはありません。フランシス・ジャムのさまざまな少女を唄った詩集を読んでいたきりぐらいの年少の僕がいきなりみんなの仲間入りをさせられ、みんなの生き抜こうとしていたはげしい青春に面接させられ、どれほど少年らしい戦慄と好奇心とをもってその新しい生を前にして足ぶみしていたことでしたろう。それはあなた達にさえお分りにならなかったでしょう。そうしてあなた達がそういう僕にどんなに多くのものを与えて下すったか、それも殆どお気づきにはならなかったに違いない。本当に、それに比べれば私があなた達に与えたものなんぞ物の数にもはいらぬことです。
いわば、そうやって、みんながはげしく生活し、いきいきとした仕事をしだしている傍らで、僕は自分の番がくるのを胸をしめつけられるような気もちで待っていたみたいでした、が漸と自分の番が来たかと思ったときには誰ももう居りませんでした。僕は一人きりで愛したり、苦しんだり、それから仕事をしたりしなければならなかった……
そのうちもっと昔の友達が僕の傍に戻って来てくれたり、新しい仲間がぽつぽつと出来てきたりしました。そうして前よりももっとはげしく文学が語られ、精神上の交易がなされ出しました。しかし、僕の裡に根づいている生命の樹は確かにあなた達が僕に植えつけてくれたもの──或いはそれをあなた達のおかげではじめてそれと気づいたもの、と言わなければなりません。そこに僕の詩の他とは異なる強みもあったわけでした。
なんだか自分の事ばかり書いてしまいましたね。それにあなたに宛てたのやら、他のみんなに一しょに宛てたのやら、分らないものになりましたが、それというのも、あなたが──ことにあなたの小説だの、お手紙だのが、そのきっかけになったもの故、御免下さい。
僕、結婚してもう一年半になりますが、始終旅先でばかり暮しているような気のしているせいか、なんだかまだ結婚したばかりのような気もちで、なかなか落ちつけませんでした。これからは大いに落ちついて、この冬じゅうかかりそうな長い仕事に向わなければなりません。僕は自分の新しい生活が──僕としてよりも、僕達としての生活が、──自分の今後の仕事の上にどんな影を投げるものか、胸のおどるような期待と、同時に一種の危惧をもたずにはおられません。そんな新しい僕の姿、あなたにはおかしいでしょう。こんどは僕のそういう生活ぶりだとか、これからしたいと思っている仕事のことなどすこしお書きしましょう。きょうはこれで失礼いたします。
こんどは多分何処かの湖畔であなたのお手紙を受取り、そこから又お便りを差し上げることになるだろうとおもっておりました。私は仕事のために小さい旅に出かけるばかりにしておりました。が、急に身体の具合が悪くなり、医者の忠告で少なくともその日数だけは静かに寝ていなければなりませんでした。こうやって予定の仕事を持ちながら、それがつい延び延びになってゆくのは、本当に気が気でありません。しかし、きのうあたりからやっと元気になって、けさは日あたりのいいヴェランダでこの手紙に向えるようになりました。
朝のうちは此処にいると本当に気もちが好い。すぐ向うに古い松の木のこんもりした低山があって、それが一めんに日をいっぱい浴びながら、その何処かしらにいつも深い陰をひそませている具合、──そのなんともいえない幽けさがいくら見ていても倦きないのです。病中、室生さんから「つくしこひしの歌」をいただいて、気分のいいときに拾い読みした短篇中の心にしみたかずかずの情景が、此処にこうしていると、何か目前に彷彿として来てならないのも、それとこれとに一味通じあった一種の翳りのようなもののあるためかともおもえるような、けさは静かな朝です。
「つくしこひしの歌」──私達にはもちろんのこと、それをお書きになられた室生さん御自身にも本当に思いがけなかったにちがいないような、純粋な、いじらしいばかりの作品、──それは同時にそんな小説をお書きになろうとは思いもよられなかったであろう「死のいざない」の最近のにがい御経験の中からでなければ、そんなにも甘美に、そんなにも無心に描かれはしなかったろうと思われました。そういう二つの極端のものをいつも御自身の裡にごく自然にお生かしになっていられるのには、それを見出す度にいつもの事ながら私は感嘆の念を禁じ得ません。
あなたの御近作、いまだ拝見しておりませぬのが甚だ心残りです。私はどうもこれまですべてに無精で、友人の作品でも、よほどそれを読みたいときに丁度手もとにあるような具合に行かないと、つい読まずにしまって、あとで後悔することが多いのです。この頃は何かにつけて、もうすこし自分というものを突放して、他人というものに真面目に向わなければならぬと考えておりますが……
作者にとっては何よりもうれしい御言葉をあなたが与えて下すった「かげろうの日記」も、私にとっては、先ず何よりも自分以外のものへの熱心な話しかけでありました。そうして私の話しかけた人達のなかから、数人の相当の年輩の女の方だけが私の問いにまさしく答えてくれました。私はあなたをもその一人に数えることが出来るのだと知って、いま、その事でどんなによろこんでいるか、殆どお分りにならない位でしょう。──そういう本当の読者がまだ少なくて、ほんの数人きりであったにせよ、それだけでも私の仕事の自分に対する意義はあったのだと思えるのです。
この私のはじめての他人への話しかけであった作品、及びこれからの私のしようとしている長い他人との対話であるべき新しい仕事から見れば、これまでの「美しい村」や「風立ちぬ」なんぞは、ほんの私のモノローグに過ぎぬでしょう。いつかまた、さまざまな見知らぬ他人との対話だとか、他人の悲劇への参加(けれどもそれ等の差し出がましい助言者にも、又ひややかな目撃者にもなりたくはない、ただその傍らにじっとしていて、それだけでもって不幸な人々への何かの力づけになっているような者になっていたい……)だとかの後に、そういうもっと静かな、もっと力と諦めに充ちたモノローグに帰って行くかも知れませんが。
「風立ちぬ」を書き上げたあとで、一年ばかり山のなかに孤独に暮してから、ようやく他人の方へ目を向けるようになり、なにかそれに話しかけたいような欲望を感じながら、「かげろうの日記」を書いた一方、それと殆ど同時に私は一人の女性と結婚いたしましたが、それも私にとっては自分のそういうささやかな成長に役立たせたかったからにほかなりませんでした。
ジャック・シャルドンヌと言う仏蘭西の作家がその恋愛論を述べた小さい本のなかで、「恋愛というものに対する自分の考えはいろいろに変化してきた。最初は、それは創造することなのだと考えた。それからそれは完全というものを好むことなのだと考えるようになった。が、最後にそれは反対に、一人の女性をあるがままに受け入れること、即ち何処から何処まで彼女自身であって、いま若くあることも、又いつか年老いることも勝手であるところの、一人の自由な女性を受け入れることであると考えるようになって来た。」と書いているのを読みました。なんだかその言葉がそっくり今の私にあてはまるように思われますので、一寸此処に書いてみる気になりました。同じ作家の「祝婚歌」という小説の翻訳がこんど出ましたが、結婚生活によってはじめて人間が鍛えられてゆくという作者特有の思想の下に書かれた大へん立派な小説ですゆえ、いつかお読みになって御覧になりませんか。
けさの新聞で、窪川君の御本が出来上ったことを知りました。昔からの友人の一人として、本当に心からおよろこびを申したく思います。どうぞよろしくお伝え下さい。
中野君からはこの夏のまえに一度お便りをいただきました。赤ちゃんがお弱いようで、蔭ながら心配しておりましたが、たいへん御丈夫にお育ちのようで本当によかったと思います。数年前信州富士見で私が「風立ちぬ」に描いたような人生を生地で暮していた頃、同じように療養に来られていた妻君のところに見舞に来られた中野君と屡々会って、一しょに近所の森の中を散歩したことなど、いまだになんともいえず懐かしい思い出になっています。ついぞそれきり会いませんが、この頃中野君たちも元気のようで大へんよろこんでいます。こんど窪川君の御本の出たお祝いを兼ねて、室生さんをお誘いして、昔の仲間だけで集まるようなささやかな会をこの年の暮にでもひとつしようではありませんか。西沢君や宮本君なんぞがなんだかすぐ其処にいるようで、やっぱりいなくって淋しいですけれど。……
底本:「堀辰雄集 新潮日本文学16」新潮社
1969(昭和44)年11月12日発行
1992(平成4)年5月20日16刷
※底本の「始め二重山括弧」と「終わり二重山括弧」は、ルビ記号と重複するため、それぞれ「〈」と「〉」に置き換えました。
入力:横尾、近藤
校正:松永正敏
2003年12月12日作成
2010年11月2日修正
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