玩具
原民喜



 終にあたりは冴えてしまった。今、二〇ワットの電燈の下に両方の壁が聳え立ち、窓は鎖され、扉には鍵がかけてある。さうすると、彼を囲繞する四畳半の鬼気が、彼を憫笑してくれるのであった。


 彼は今日街に出て一人の婦人と恋の散歩をした。彼はぜんまい仕掛けの紳士よろしく、巧みなゼスチュアと頭に残らないやうな会話とで、愉しい時間を持つことが出来た。婦人はゴム人形のやうに溌剌と無色透明な心臓を有って彼と並んで舗道を行った。恋の季節を修飾する早春の枯木や、アドバルーンや、轢死人が彼等の周囲にあって移動した。高い建築物の日蔭を泳ぎ廻る群衆の一滴で彼はあった。

 そして今、彼はその一滴が遠くに在って凝結し出すのを覚える。彼は己が永遠に舗道に釘づけになった時の姿を想って慄然とする。それは何と憐れな玩具の一つに類したことか。

 高い窓から自分の散歩してゐる姿を見てゐた自分自身があったのに気づく。そこで彼は今もあの婦人の手を執りながら高い窓の方を見上げて、大丈夫だよと云ってみる。しかし、さう云ひながら自分は下らない玩具になりさがりたがってゐるのを、深夜に於いては否定出来なかった。

底本:「普及版 原民喜全集第一巻」芳賀書店

   1966(昭和41)年215日初版発行

入力:蒋龍

校正:伊藤時也

2013年124日作成

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