雪柳
泉鏡花
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小石川白山のあたりに家がある。小山弥作氏、直槙は、筆者と同郷の出で、知人は渠を獅子屋さんと渾名した。誉過ぎたのでもありません、軽く扱ったのでもありません。
氏神の祭礼に、東京で各町内、侠勇の御神輿を担ぐとおなじように、金沢は、廂を越すほどの幌に、笛太鼓三味線の囃子を入れて、獅子を大練りに練って出ます。その獅子頭に、古来いわれが多い。あの町の獅子が出れば青空も雨となる。一飇の風を捲く。その町の獅子は日和を直す。が、まけるものか荒びは激しい、血を見なければ納まらないと、それを矜りとし名誉として、由緒ある宝物になっている。こういうのは、いずれ名ある仏師、木彫の達人の手になつたものであろうと思う。従って、不断この仕事があるわけではないので、亜流の職人が手間取にこしらえる。一種、郷土玩具の手頃な獅子があって、素材づくりはもとより、漆黒で青い瞳、銀の牙、白い毛。朱丹にして、玉の瞳、金の牙、黒い毛。藍青にして、黒い牙、赤い毛。猛き、凄まじき、種々で、ちょいとした棚の置物、床飾り、小児の玩ぶのは勿論の事。父祖代々この職人の家から、直槙は志を立てて、年紀十五六の時上京した。
彫刻家にして近代の巨匠、千駄木の大師匠と呼ばれた、雲原明流氏の内弟子になり、いわゆるけずり小僧から仕込まれて、門下の逸材として世に知られるようになりました。──獅子屋というのはそうした訳で、人品もよし、腕も冴えた。この人物が、四十を過ぎて、まのあたり、艶異、妖変な事実にぶつかった──ちと安価な広告じみますが、お許しを願って、その、直話をここに、記そうと思う。……
ついては、さきだって、二つ三つ、お耳に入れておきたい話があります。
以前、まだ、獅子屋さんの話をきかないうち、筆者は山の手の夜店で、知った方は──笑って、ご存じ……大嫌な犬が、人混の中から、大鰻の化けたような面。……なに馬鹿を言え、犬の面がそんなものに似てたまるかと……御尤でありますが、どうも時々そう見える。──その面が出はしまいかと気にしながら、古本古雑誌の前に踞込んで、おやすく買求めて来ましたのが、半紙綴八十枚ばかりの写本、題して「近世怪談録」という。勿論江戸時代、寛政、明和の頃に、見もし聞きもした不思議な話を筆写したものでありますが、伝写がかさなっているらしく、草行まじりで、丁寧だけれども筆耕が辿々しい。第一、目録が目線であります。下総が下綱だったり、蓮花が蓬の花だったり、鼻が阜になって、腹が榎に見える。らりるれろはほとんど、ろろろろろで、そのまま焼酎火が燃えそうなのが、みな女筆だからおもしろい。
中に、浅草だの、新吉原だの、女郎だのという字は、優しく柔かにしっとりと、間違いなくかいてある。どうも、このうつしものを手内職にした、その頃の、ごしんぞ、女房、娘。円髷か、島田か、割鹿子。……やつれた束ね髪ででもありましょうか、薄暗い行燈のもとに筆をとっている、ゆかしい、あわれな、寂しい姿が、何となく、なつかしく目に映る。何も、燈心の灯影は、夜と限ったわけではありません、しょぼしょぼ雨の柳の路地の窓際でもよし、夕顔のまばら垣に、蚊遣が添っても構いはしない。……内職の仕事といえば、御殿や、お邸でさえなければ、言わずともその情景は偲ばれましょう。
ところで、何しろ「怪談録」です。怨念の蛇がぬらぬらと出たり、魔界の巷に旅人が徜徉ったり。……川柳にさえあるのです……(細首を掴んで遣手蔵へ入れ)……そのかぼそい遊女の責殺された幻が裏階子に彳んだり、火の車を引いて鬼が駆けたり、真夜中の戸障子が縁の方から、幾重にも、おのずからスッと開いて、青い坊さんが入って来たりするのでありますから、がたがたがた、酒屋の小僧が台所の戸を開けても、ハッと思い、蚊遣の火も怪しく燃えれば、煙の末に鬼が顕われ、夕顔の蕊もおはぐろでニタリと笑う。柳の雫も青い尾を曳く。ふと行燈に蟷螂でも留ったとする……眼をぎょろりと、頬被で、血染の斧を。
「あれえ。」
筆を持った白い手を、わななかせたに違いない。
時に、白い手といえば、「怪談録」目録の第一に、一、浅草川船中にて怪霊に逢う事、というのがある。
当時の俳諧師、雪中庵の門人、四五輩。寛延年不詳、霜月のしかも晦日、枯野見からお定まりの吉原へ。引手茶屋で飲んだのが、明日は名におう堺町葺屋町の顔見世、夜の中から前景気の賑いを茶屋で見ようと、雅名を青楼へ馳せず芝居に流した、どのみち、傘雨さん(久保田氏)の選には入りそうもないのが、堀から舟で乗出した。もう十時を過ぎている、やがて十二時。舳が蔵前をさすあたり、漾蕩たる水の暗さにも、千鳥の声に、首尾の松が音ずれして、くらやみから姿をさしのべ、舟を抱くばかりに思うと、ぴたりと留って動かない。櫓づかいをあせる船頭の様子も仔細ありげで、夜は深し、潮も満ちて不気味千万、いい合わせたように膝を揉合い、やみを透すと、心持、大きな片手で、首尾の松を拝んだような船の舳に、ぼっと、白いものが搦んでいる。呼吸を詰めて見透すと、白い、細りした、女の手ばかりが水の中から舳に縋っているのであります。「さながら白き布かと見えて、雪のごとし」と、写本には書いてある。うつくしい女の手が布に見えたのは、嘘ではないらしい。狂言の小舞の謡にも、
肌さえ身さえ、手の縋った、いとしいのを。
「やあ、畜生。」
この怪もの、といったか、河童、といったか、記してないが、「いでその手ぶし切落さんと、若き人、脇指、」……は無法である。けだし首尾の松の下だけの英雄で、初めから、一人供をした幇間が慌てて留めるのは知れている。なぜにその手を取って引上げて見なかったろう。もし枝葉に置く霜の影に透したらんに、細い腕に袖絡み、乳乱れ、褄流れて、白脛はその二片の布を流に掻絞られていたかも知れない。
船頭もまた臆病すぎる。江戸児だろうに、溺れた女とも、身投とも弁えず、棒杭のようにかたくなって、ただ、しい、しい、静にとばかり。おのおの青くなって、息を凝らすうちに──「かの白き手、舳をはなし、水中に消入りぬ。」……
潮に乗って船は出た。
「が、しかし、水に溺れましたか、あるいは身投の婦人が苦しさのあまり、助りたさにとも申すような……」
幇間、もう遅い。分別おくれに、船頭と相顧みて、「船中このあたりにては、かような不思議はままある事、後に聞くもの、驚かずという事なし、いかなるものやらん合点ゆかず、恐しかりける事なり。」である。
が、ここを筆耕した、上品な、またおっとりと、ものやさしい、ご新造、娘には、恐しかりける事より、何となく、ものあわれに、悲しく、うら寂しく、心を打たれたろうと思う。
あとは隅田の凩である。
この次手に──
軽井沢へ避暑の真似をして、旅宿の払にまごついたというのではない。後世こそ大事なれと、上総から六部に出た老人が、善光寺へ参詣の途中、浅間山の麓に……といえば、まずその硫黄の香と黒煙が想われる。……さて行悩んで、侘しげなる茶屋に立寄り休むうちに、亭主がいうには、去年、(享保年中)八月中ばの事──その日も、やがて八ツ下り。稗黍の葉を吹く風もやや涼しく、熔岩とともにころがった南瓜の縁に、小休みの土地のもの二三人、焼土の通り径を見ながら、飯盛の彼女は、赤い襦袢を新しく買った。笄を質に入れたなどと話していると、遥に東の方よりむら立つ雲もなく、虚空を渡るがごとく、車の駆来る音して、しばらくの間に目前へ近づいたのを見ると、あら、可恐し、素裸の荒漢、三人、車を宙に輾くごとし。真先に、布、紙を弁えず飜した、旗の面に、何と、武州、郡の名、村の名、人の名──(ともに憚ると註してある)──歴々と記したるが矢よりも早く飛過ぐる。火を揚げ煙を噴いた車の中に、炎の搦んだように腰の布が紅に裂けて、素裸であろう、黒髪ばかり蓑のごとく乱れた、躯をのせた、輻が軋り、轍が轟き、磽确たる石径を舞上って、「あれあれ浅間山の煙の中へ火の尾を曳いて消えて候よ、六部どの。われら世過ぎにせわしき身は、一夜の旅も、糧ゆえに思うに任せず、廻国のついでに、おのずから、その武州何郡、何村に赴きたまわば、」事のよしをも訪いとむらいたまえと、舌を掉って語ったというのである。──嘘ばっかり。大小哥哥、宿場女郎の髪の香、肌ざわりなど大話をしていたればこそ、そんなものが顕われた。猪か猿を取って、威勢よく飛んだか、早伝馬が駆出したか、不埒にして雲助どもが旅の女を攫ったのかも分らない。はた車の輪の疾く軋るや、秋の夕日に尾花を燃さないと誰が言おう──おかしな事は、人が問いもしないのに、道中、焼山越の人足である──たとえ緊めなくても済むものを、虎の皮には弱ったと見えて、火の車を飛ばした三個の鬼が、腰に何やらん襤褸を絡っていた、は窮している。……ただし窮してまで虎の皮代用の申訳をした、というので、浅間山の麓の茶屋の亭主は語り、六部の爺様は聞いて、世に伝えたのは事実らしい。
これに続いて、
目白辺の屋敷猫を殺しむくいし事
下谷辺にて浪人居宅化霊ありし事
三州岡崎宿にて旅人狒々に逢う事
奥州にて旅人山に入り琴の音を尋ねる事
題を見ただけでも、唐から渡りものの飜案で、安価な上方版のお伽稗子そのままなのが直ぐ知れる。
新吉原山口にて客幽霊を見し事
同角町海老屋の女郎客の難に逢いし事
二つとも、ものあわれな譚だが、吉原の怪談といえば、おなじようなのがいくらもあります。
上野国岡部の寺にて怪しき亡者の事
美濃国の百姓の女房大蛇になる事
どうも灰吹から異形になって立顕われるのに、蓋をしたい、煙のようなのが多い。誰の気もおなじと見えて、ずらりと並べた目録の上に、いつかこの写本を見た読者の心をひいたらしく、ただ一つ題の上に、大きな○をかけた一条がある。
曰く、ここに武家、山本氏某若かりし頃、兄の家に養わる、すなわち用なき部屋住の次男。五月雨のつれづれに、「どれ書見でも致そうか。」と気取った処で、袱紗で茶を運ぶ、ぼっとりものの腰元がなかったらしい。若い身空にふりみふらずみ、分けてその日は朝から降りつづく遣瀬なさに、築地の家を出て、下谷三の輪辺の知辺の許へ──どうも前に云った雪中庵の連中といい、とかく赤蜻蛉に似て北へ伸すのは当今でいえば銀座浅草。むかしは吉原の全盛の色香に心を引かれたらしい。──三の輪の知人在宿にて、双方心易く、四方山の話に夜が更けた。あるじ泊りたまえと平にいう。いや夜あるきには馴れている、雨も小留みに、月も少し明ければ途すがら五位鷺の声も一興、と孔雀の尾の机にありなしは知らぬ事、時鳥といわぬが見つけものの才子が、提灯は借らず、下駄穿きに傘を提げて、五月闇の途すがら、洋杖とは違って、雨傘は、開いて翳しても、畳んで持っても、様子に何となく色気が添って、恋の道づれの影がさし、若い心を嗾られて、一人ではもの足りない気がすると言う。道を土手へ切れかかった処に、時節がら次男、懐中の湿っぽさが察しられる。寂しくわが邸を志して、その浅草新堀の西福寺──震災後どうなったか判らない──寺の裏道、卵塔場の垣外へ来かかると、雨上りで、妙に墓原が薄明いのに、前途が暗い。樹立ともなく、葎くぐりに、晴れても傘は欲しかろう、草の葉の雫にもしょんぼり濡々とした、痩せぎすな女が、櫛巻の頸細く、俯いた態で、褄を端折りに青い蹴出しが、揺れる、と消えそうに、ちらちらと浮いて、跣足で弱々と来てすれ違った。次男の才子は、何と思ったか傘を開いた。これは袖で抱込む代りの声のない初心な挑合であったろう。……身に沁む、もののあわれさに、我ながら袖も墨染となって、蓮の葉に迎えようとしたと、後に話した、というのは当にならぬ。血気な男が、かかる折から、おのずから猟奇と好色の慾念が跳って、年の頃人の妻女か、素人ならば手で情を通わせようし、夜鷹ならば羽掻をしめて抱こうとしたろう。
婦は影のように、衣ものの縞目を、傘の下に透して、つめたく行過ぎるとともに、暗く消えた。
その摺れ違った時、袖の縞の二条ばかりが傘を持った手に触れたのだったが、その手が悚然とするまで冷え透る。……
持ちかえて、そのまま傘を畳んで歩行き出すと、ものの一二町の間というのに、女の袖の触った片手──内々握ったかも知れないが──腕から肩の附根まで、その冷たさ氷のごとし。振ってみても、敲いてみても、しびれるほどで感じがない。……
今も講談に流布する、怪談小夜衣草紙、同じ享保の頃だという。新吉原のまざり店、旭丸屋の裏階子で、幇間の次郎庵が三つならんだ真中の厠で肝を消し、表大広間へ遁上る、その階子の中段で、やせた遊女が崩れた島田で、うつむけにさめざめ泣いているのを、小夜衣の怨霊とも心附かず、背中をなでると、次郎庵さん、と顔を上げて、冷たい手でじっと握った、持たれたその手が上と下に、ふわりふわり──幇間に尾花も変だ、芋茰が招くように動いて留まない。たちどころに半病人となって、住居へ帰り、引被いても潜っても、夜具の袖まで、ふわふわ動いて、押えても緊めても、頻に動く。学者は舞踏病の一種だと申されよう。日を経て、ふるえの留まらぬままに、一念発起して世を捨てた。土手の道哲の地内に、腰衣で土に坐り、カンカンと片手で鉦を、敲き、たたき、なんまいだなんまいだなんまいだ、片手は上下に振っている。ああ、気の毒だと、あたりの知人、客筋、の行きかえりの報謝に活きて、世を終った、手振坊主の次郎庵と、カチン(講釈師の木のうまい処)後にその名を残した、というのと、次男の才子の容体が、妙に似ている。
が、この方は無事に助かった。細身の大小、まだ前髪立ともいうべき年ごろに、余りといえば手の冷えよう、築地まで帰るのが心もとなく、さいわい蔵前に姉の縁づいた邸があった。いうまでもなく義兄の住居。真夜中に慌しく門を敲いて驚かすと、「馬が一所か。」とも言わず、兄は快く一間に招じた。上品な姉の、寝乱れた姿も見せず、早くきちんと着かえて、出迎へたのも頼もしい。
途中、五位鷺の声もきかず、ただ西福寺裏で行逢った、寂しく、あわれな婦を聞くと、兄は深く頷いた。が、まずいうがままにいたされよ、で、ご新姐に意を得させ、鍋をもって酒を煮た。下戸は知ったが、唯一の良薬と、沸燗の茶碗酒。えい、ほうと四辺を払った大名飲。
──聞いただけでも邪気が払える。あとをなお沸立った酒で、幾度もその冷込んだ手を洗わせ、やがて、ご新姐の手ずから、絹衾を深々と被せられると、心も宙に浮いて、やすらかにぐっすり寝た。目がさめると、雨は降っていたが気は晴々となった、と言います。三田の豪傑だと、片腕頂戴するところ、この武家の少年は、浅草で片手を氷にしようとした、いささかも武勇めかないだけに、読んでいても、これは事実だと思われる。
ここにもう一条「怪談録」から大意を筆記したい事がある。
明和三年弥生なかば──これは首尾の松の霜、浅間の残暑、新堀の五月雨などとは事かわって、至極陽気がいい。川崎の大師へ参詣かたがた……は勿体ないが、野掛として河原で一杯、茶飯と出ようと、四谷辺の大工左官など五六人。芝、品川の海の景色、のびのびと、足にまかせて大森の宿中まで行くと、街道をひいて通るのではない、馬五郎、という大工が、このあたりに縁類の久しい不沙汰をしたのがあり、ちょっと顔出して行きたし、お前さん方は一足お先へ。「おう、そうか、久しぶりと聞けば、前方でもすぐには返すまいし、戸口からも帰られまい、ゆっくりなせえ、並木の茶店で小休みをしながら待とうよ。」で、馬五郎がその縁類を訪れた。ここの辞儀挨拶は用がないから省略する。どれ、連中に追つこうと、宿はずれへ急ぐと、長閑な霞のきれ間とも思われる、軽く人足の途絶えた真昼の並木の松蔭に、容子の好い年増が一人、容の賤しからぬのが、待構えたように立っていて、
「もし、もし。」
女主人が是非お目にかかりたく、それゆえお迎えに参りました、と言う。
「へへえ、奥様がね。へい、はてな?」
お逢い遊ばせばわかる事、お手間は取らせませぬ、と手がのびて袂を曳かれると春風今を駘蕩に、蕨、独活の香に酔ったほど、馬は、うかうかと歩行き出したが、横畷少しばかり入ると、真向うに樹立深く、住静めた見事な門構の屋敷が見える。掃清めたその門内へ導くと、ちょっとこれに、唯今ご案内。で、婦は奥深く切戸口と思うのへ小走に姿を消した。式台のかかり、壁の色、結構、綺麗さ。花の影、松風の中に一人立つ大工の目を驚かして、およそ数寄を凝らした大名の下屋敷にも、かばかりの普請はなかろう。折から鶏の声の遠く聞えるのが一入里離れた思いがする……時しも家の内遠い処に、何となく水の音……いや湯殿で加減を見るような気配がした。いかにとぼんとした馬なればといって、広い邸の門内の素真中には立っていない。片傍に、家来衆、めしつかわれるものの住むらしい小造りな別棟、格子づくりの家があって、出窓に、小瓶に、山吹の花の挿したのが覗かれる。ふとその窓があくと、島田髷の若い女の、まるい顔が、馬を見ると、はッとした様子で、
「あれ、親方さん。」
「ええ。」
「どうして、こんな処へ。ここをどこだとお思いなさいます。──畜生道、魔界だことを、ご存じないのでございますか。」
「やあ。」
「人間のもとの身では帰られませんよ、どんな事がありましても、ここで何かめしあがったり、それからお湯へ入ってはいけません。こういううちにも、早く、早くお遁げなさいまし、お遁げなさいまし。」
「やあ、お前さんは。」
「三年あとに、お宅に飼われました、駒ですよ、駒……猫ですよ。」
ばったり、出窓の障子が上敷居から落ちて閉った時、以前の年増がもう目の前。
「お待たせいたしました。さあさあどうぞ。」
「へい、いえ、その。……」
「さあ。」
「へい、いえ、その。」
「さあ、まあ、どうなすったんでございますねえ。」
凄い。じっと見た目が袂を引いたより力が強い。見す見す魔界と知りながら、年増の手には是非もない。馬は、ふらふらとなって切戸口から引入れられると、もう奥庭で、階段のついた高縁の、そこが書院で、向った襖がするすると左右へ開くと、下げ髪にして裲襠を捌いた、年三十ばかりの奥方らしいのに、腰元大勢、ずらりとついて、
「待ちかねました。よう、見えたの。」
と莞爾。
その裲襠、帯、小袖の綾、錦。腰元の装の、藤、つつじ、あやめと咲きかさなった中に、きらきらと玉虫の、金高蒔絵の膳椀が透いて、緞子の裀が大揚羽の蝶のように対に並んだ。
「草鞋をおぬぎになるより、さきへ一風呂。」
「さっぱりと、おしめしあそばせ。」
腰元のもろ声を聞くと、頭から、風呂桶を引被せられたように動顛して、傍についた年増を突飛ばすが疾いか──入る時は魂が宙に浮いて、こんなものは知らなかった──池にかかった石だたみ、目金橋へ飛上る拍子に、すってんころりと、とんぼう返り、むく起きの頭を投飛ばされたように、木戸口から駆出すと、
「遁すなよ。」
という声がする。
「追え、追え。」
「娑婆へ出た。」
と口々に、式台へ、ぱらぱらと女たち。
門外へ足がのびた。
「手桶では持重りがして手間を取る、椀、椀、椀。」
といった……ここは書きとりにくい。魔界の猫邸であるのに、犬の声に聞えます。が、白脛か、前脚か、緋縮緬を蹴て、高飛びに追かけたお転婆な若いのが、
「のばした、叶わぬ。」
と、その椀を、うしろから投げつけたのが、空を足掻く馬の踵に当ると、生ぬるい水がざぶりとかかった。
生命拾を、いや、人間びろいをしたのであるが、家に帰って、草鞋を脱ぎ、足を洗う時心づくと、いやな気味の水のかかった処に、もさもさ黒い毛が生えていた。剃っても削っても、一夜のうちに湧いてのびる。……のみならず、当分は、
「椀。」
と一言いうさえ、口を塞いで、顔の色を変えた。「不思議にも浅間しく人々にも見せ申したり。馬五郎に心安ければ目のあたりこれを見る。なかなか浮きたる事にはあらず。」というのであります。
浮きたる事にも、飛んだる事にも、馬を鹿に、というさえあるに、猫にしようとした……魔魅の振舞も沙汰過ぎる。聞くからに荒唐無稽である。第一、浅学寡聞の筆者が、講談、俗話の、佐賀、有馬の化猫は別として、ほとんど馬五郎談と同工異曲なのがちょっと思い出しても二三種あります。肥後国、阿蘇の連峰猫嶽は特に人も知って、野州にも一つあり、遠く能登の奥深い処にもある、と憶う。しかるに前述、獅子屋さん直槙の体験談を聞くうちに、次第に何となく、この話に、目鼻がつき、手足が生えて、獣か、鳥か、稀有な形で、まざまざと動き出しそうになって来た。
と云って、いかにすればとて、現代に化猫は出はしません。それは話につれて、自然おわかりになりましょう。就いては場所──場所は麻布──狸穴ではなく──二の橋あたり、十番に近い洒落れた処ゆえ、お取次をする前に、様子を見ようと、この不精ものが、一度その辺へ出向いた、とお思い下さい。
「ああ、久しぶりだ。」
電車を下りて、筆者は二の橋に一息した。
橋もかわった。その筈の事で、水上滝太郎さんが白金の本宅に居た時分通ったと思うばかり、十五六年いや二十年もっとになる。秋のたそがれを思い出す。三田台の坂も今と違って、路は暗し、水は寂しい。橋板は破れ、欄干は朽ちて、うろぬけて、夜は狸穴から出て来て渡るものがありそうで、流れに柵んだ真黒な棒杭が、口を開けて、落葉を吸った。──これ、まだ化けては不可ない──今は真昼間だ。見れば川幅も広くなり、鉄橋にかわって、上の寺の樹蔭も浅い。坂を上った右手に心覚えの古樫も枝が透いた。踞んで休むのは身は楽だけれども、憩うにも、人を待つにも、形が見っともない、と別嬪の朋友に、むかし叱られた覚えがある。そこで欄干に凭れかかって煙草を──つい橋袂に酒場もあるのに、この殊勝な心掛を刎散らして、自動車が続けさまに、駆通る。
解った。いやしくも大東京市内においては、橋の上で煙草を喫む時世ではないのである、と云うのも、年を取ると、口惜いが愚痴に聞える。
ふけた事をいって、まず遊ばない算段をしながら、川添の電車道を、向う斜めの異な横町へ入って行く。……
いきなり曲角の看板に、三業組合と云うのが出ている。路地の両側の軒ごとに、一業二業、三業の軒燈が押合って、灯は入らないでも、カンカン帽子の素通りは四角八面に照らされる。中にも真円い磨硝子のなどは、目金をかけた梟で、この斑入の烏め、と紺絣の単衣を嘲るように思われる。
立込んだ家続だから、あっちこち、二階の欄干に、紅い裏が飜り、水紅色を扱った、ほしものは掛っていても、陰が籠って湿っぽい、と云う中にも、掻巻の袖には枕が包まれ、布団の綴糸に、待人の紙綟が結ばっていそうだし、取残した簾の目から鬢櫛が落ちて来そうで、どうやら翠の帳、紅の閨を、無断で通り抜ける気がして肩身が細い。
覗きはしないが、小窓、欞子に透いて見える、庭背戸には、萩の植込、おしろいの花。屋根越の柳の青い二階も見えた。あれは何の謎だろう。矢羽の窓かくしの前に、足袋がずらりと干してある。都鳥と片帆の玩具を苞に挿した形だ、とうっとり見上げる足許に、蝦蟇が喰附きそうな仙人掌の兀突とした鉢植に驚くあとから、続いて棕櫚の軒下に聳えたのは、毛の中から猿が覗きそうでいながら、却ってさまようものをしばらく彳ませ、憩わせる蔭を見せた。その仙人掌に下駄をつまだて、棕櫚に帽子をうつむけなどして、横に曲り縦に通ると、一軒、表二階の欄干を小さな楓に半ば覗かせて、引込んだ敷石に、いま打った水らしい、流れるばかり雫が漾う網代戸を左右に開いた、つい道端の戸口に、色白な娘が一人、芸妓の住居でないから娘だろう。それとも年の少いかみさんだろうか。──
(──かみさんだと、あとの直槙の話にそのままだが、誂え通りそうはゆくまい。──)
女中に職すぎるのが、踞んで、両膝で胸を圧えた。お端折下の水紅色に、絞りで千鳥を抜いたのが、ちらちらと打水に影を映した。乱れた姿で、中形青海波の浴衣の腕を露呈に、片手に黒い瓶を抱き、装塩をしながら、撮んだ形を、抜いて持った銀の簪の脚で、じゃらすように平直していた。
流行の小唄端唄など、浄瑠璃とは趣かわって、夢にきいた俗人の本歌のような風情がある。
荒唐無稽だの、何だのというものの「大森辺魔道の事」人はこんな時に、この物語を思い出すのが、身のためだろう。
その黒い瓶を取って投げられたら。……
筆者は足早に立退いた。
出抜けると丘が向うに、くっきりと樹が黒い。山下町はこの辺らしい。震災に焼けはしなかった土地と思うが、往来もあわただしく、落着きのない店屋が並んで、湿地か、大溝を埋めたかと見え、ぼくぼくと板を踏んで渡る処が多い。
ここへ来たのは、もう一ヶ処、見て戻りたい場所があったからで。……足場のよくない、上り道だが、すぐ近くに、造作なく、遠い心覚えの、見当がついた。
──一本松と、そこの一基の燈籠である──
おなじ一本松という──名所が、故郷なる金沢、卯辰山の山の端にあって、霞を絡い、霧を吸い、月影に姿を開き、雨夜のやみにも灯一つ、百万石の昔より、往来の旅人に袖をあげさせ、手を翳させたものだった、が、今はない。……
浮浪の徒の春の夜の焚火に焼けて、夜もすがら炬火を漲らせ、あくる日二時頃まで煙を揚げたのを、筆者は十四五の時、目のあたり知っている。草の中に切株ばかり朽ちて残った。が、年々春も酣になると、おなじ姿の陽炎が立つといいます。むかし享保頃、ここに若い人の、きれいな心中があって、地方の事で数の少い、また多くてはならないが、もののあわれのいいつたえを、幼い耳にも伝えられたものだった。
麻布の松は、くらがり坂の上にかくれて、まだ見えない。道の右手に、寺の石磴がすっくと高い。心なしか、この磴が金沢の松の上り口にそっくり似ている。(ここを、直槙が上った事はやがて知れます。)
また上り坂なりの石磴だから、いよいよ聳えて、階子を斜に立てたようである。下に、道端の高い空地で、草の中に子供が大勢遊んでいるのも、卯辰山のその麓を思い出させた。
「一本松の先に、ちょっとここを上って見よう。」
ふるさとも可懐しい、わずかに洋杖をつくかつかぬに、石磴の真上から、鰻が化けたか、仙人掌が転んだか、棕櫚が飛んだか、ものの逞ましい大きな犬が逆落しに(ううう、わん、わんわん!)
そりゃこそ出たわ、怯えまいか、大工の馬五郎ならざるものも、わッと笑う子供の声も早鐘のごとく胸を打って、横なぐれに、あれは狸坂と聞く、坂の中へ、狸のような色になって、紺飛白が飛込んだ。
そのまま突落されたように出た処は、さいわい畜生道でも魔界でもない。賑かな明い通りで、血腥いかわりに、おでんの香が芬とした。もう一軒、鮨の酢が鼻をついた。真中に鳥居がある。神の名は濫に記すまい……神社の前で、冷たい汗の帽子を脱いだ。
自動車が来たので、かけ合った、安い値も、そのままに六本木。やがて、赤坂檜町へ入って、溜池へ出た。道筋はこうなるらしい。……清水谷公園を一廻りに大通を過ぎて番町へ帰ったが、吻として、浴衣に着換えて、足袋を脱ぐ時、ちょっと肩をすくめて、まず踵、それから、向脛を見て苦笑したのは、我ながら呆けている。
けれども、直槙の事は、真面目にお聞きを願う。お聞きになると、あんまり呆けていないのにお心附きになろうかと思う。……
さて、以下、直槙から聞いた話を、そのままお伝えするのである。
二人対坐で、酌人はわざと居なかった。獅子屋さんは盃をちょっと控えた。
「──雪の家、……雪の家というその待合です──
(今日は、ご免下さい。)
あなた方はそうした格子戸を開けて、何といって声をお掛けになりましょうかしら……おかしな口のきき方です、五月雨時の午後四時ごろ、初夏真昼間だから、なおおかしい。
土間わきの壁を抜いて、御神燈といいますか、かき入れなしの磨硝子に、鉢から朝顔の葉をあしらって夕顔に見せた処が、少々歪曲んで痩せたから、胡瓜に見えます、胡瓜に並んで、野郎が南瓜で……ははは。
処へ、すぐ取次に出た女中が……間に合せの小女。それに向い、改って、
(小石川白山の小山と申すものですが。)
……どうもおかしい。ここへ来るのに、私は、ご存じと思います、二の橋の袂で自動車を下りましたが、三業組合の横町へ、一文字に入れそうもありません。また入れるにした処で、ちと大袈裟で、近所騒がせだと思いました。
運転手が深切に、まごつくと不可ません。先方は、と聞いて、一つ探険をして参りましょう。探険もまたおかしい。……実は、自宅玄関へ出た私ども家内が、「先途は麻布の色町ですよ、」とこの運転手に聞かせたからですが。──「行っていらっしゃい。」家内見送りでもって、昼間の待合行は余り数を覚えません。勝手が違ったので、一枚着換えたやつが、しからばともいわず、うっかり、帽子の茶系統処を、ひょいと、脱いで、駆出したのがすでにおかしいのでございました。
そこで、
(当屋に、間淵さんのお妹ごはおいでになるかね。)
淵が瀬にしろ、流にしろ、そのお妹ご、とお聞きになると、何となく色気があります。ところがどうして、胡麻塩の三分刈、私より八つばかりも年上の媼さんだから、お察しを願いたい。
──五日以前、暮方です。膳に向った、電燈を点けようという処へ、電話が掛って、家内が取次に出て、……「小山でございます、はい、あなたは、はあ、雪の家さん。」どうも雪の家という響き、何、響くほどの広さじゃない。あの手狭ですから、直ぐそこに、馬鹿な……受話器に向ったものの顔も白いように聞えて優しい名だな、と思いますと、はいはい、と受けていましたっけ。
──おわすれかも知れません、二十四五年前に、お目に、かかったきりですが、間淵の妹です。間淵は昨年なくなりました。けれど自分で一度お目にかかりたいと思いながら、ついうかがいそびれておりましたところ、このごろ、そちこち、新聞などで、名前を、写真を、見受けますし、ところも分りましたからちょっとお目にかかりたい。「そういって……二の橋の、きこえたでしょう、おつな名の待合から。」笑いながら、「大分、婆さんの声、お菜と一緒に、お生憎。」……「分った、分った、断ってもらおう。」「いいんですか。」「勿論、久しく煩いましても可厭な言種だが、とにかくだ、寝ているからおいで下すっても失礼します、いずれそのうち、ご挨拶だ。」……
──あとで、──おだいじにまた折を見ましてで電話を切りましたが、誰方? といって、家内が聞きます。
その時話した事ですが、さあ、もう十四五年も前だったろう。……馳走酒のひどいのをしたたか飲まされ、こいつは活がいいと強いられた、黄肌鮪の刺身にやられたと見えて、家へ帰ってから煩った、思い懸けず……それがまた十何年ぶりかで、ふと出会った旧い知己で、つい近所だから、と裏長屋へ連込まれた……間淵がそれだ。──いやそれなんです──
足の短い、胴づまりで肥った漢子の、みじめなのが抜衣紋になって、路地口の肴屋で、自分の見立てで、その鮪を刺身に、と誂え、塩鮭の切身を竹の皮でぶら下げてくれた厚情を仇にしては済まないが、ひどい目に逢ったのを覚えているだろう。これが間淵。その漢子の妹だよ、いま電話のかかったのは──と家内に。
が、妹には、逢ったというより見た事があるかないか、それさえよく覚えていない。──思い出せば、その酒と鮪の最中、いや、灘の生一本を樽からでなくっちゃ飲めない、といった一時代もあったが、事、志と違って、当分かくの通り逼迫だ。が、何の、これでは済まさない、一つ風並が直りさえすれば、大連か、上海か、香港、新嘉坡あたりへ大船で一艘、積出すつもりだ、と五十を越したろう、間淵が言います。この「大船で一艘積出す、」というのが若い時からその男の癖だった。話の中に、一人娘は、七八ツの時から、赤坂の芸妓家へ預けてある、といったのも、そういえば記憶がある。
──亡くなった、という電話だが、あとさきの様子から待合に縁がありそうに思われる。
その節、取りまぎれて、折返しとは行かなかったけれども、二月とはおかず、間淵の侘住居を訪ねたが、もうどこかへ引越しした。行くさきさえ、その辺で聞いても分らなかった、という始末なのですから。
(電話は聞きながしにしておこう。)
(義理の悪いことはないんですか。)
(言うにゃ及ぶべき。)
晩酌で、陶然として、そのまま肱枕でうたたねという、のんきさではありません。急ぎの仕事に少し疲れていた時であったのです。
ところがどうです、その翌日、まだ朝のうち、玄関で早口に饒舌っている女の声がして、すぐに取次のいうのを聞くと、年をとっては気ぜわしい、堪え情がなくなって訪ねて来た。しかじかの口上。起きられぬほどの容体でなければちょっと逢いたい、と昨夜の今朝で、その間淵の妹が追掛けてやって来ました。
不精から、面倒くさいというばかり、逢って差支えはちっともないのです、それに白山。──麻布からは大抵の苦労じゃない、勿論断る法はありません。玄関さきの座敷へ通させ、仕事場の小刀をおいて出て逢いました。
(ああ、ああ、さてお久しいことやぞや、お懐しい。)
申しては驕りの沙汰だが、「ことやぞや」ではお懐しいがられたくない、ところへ、六十近いお婆さんだから、懐しさぶりを露骨に、火鉢を押して乗出した膝が、襞襀捩れの黒袴。紬だか、何だか、地紋のある焦茶の被布を着て、その胡麻塩です。眉毛のもじゃもじゃも是非に及ばぬとして、鼻の下に薄髭が生えて、四五本スクと刎ねたのが、見透される。──この性格、何とお思いなさいます。」
「……余儀ない次第と申そうか、了見違いと申そうか、やがて、真夜中にこの婆さんを見なければならない羽目に立到りました時は、この面相にして、白を着て、黒い被布です、朱い袴を穿いていたのだから、その不気味さをお察し下さい。
その朝だって、家内が挨拶に出ようというのを、私が差留めたほどでした。
(まことにしばらく、……お珍らしい。)
と、時に、挨拶をするのも上の空で、人様の顔を失礼だが、うっかり見まもっているうちに、吃驚するように、思い出したのは、私が東京へ出ました当時「魔道伝書」と云う、変怪至極な本の挿画にあった老婆の容体で、それに何となくそのままなんです。
──「魔道伝書」ようございますか、勿論、板本でなし、例の貸本屋を転々する写本でなく、実にこの婆さんの兄の間淵が秘蔵した、半紙を部厚に横綴の帳面仕立で。……都合があって、私と二人で自炊をして、古襦袢、ぼろまでを脱ぎ、木綿の帯を半分に裂いて屑屋に売って、ぽんぽち米を一升炊きした、その時分はそれほど懇意だったのですが。──また大食いな男で、一升一かたけぺろりの勢。机を売り、火鉢、火箸から灰を売食といった時でも、その「伝書」は手離さなかった。もっとも渋を刷いた厚紙で嵌込の蔽があって、それには題して「入船帳」。紙帳も蚊帳もありますか、煎餅蒲団を二人で引張りながら、むかし雲助の昼三話。──学資を十分に取って、吉原で派手をした、またそれがための没落ですが、従って家郷奥能登の田野の豊熟、海山の幸を話すにも、その「入船帳」だけは見せなかった。もうその頃から、「大船を一艘」が口癖で、ただし時世だけに視野が狭い。……香港、新嘉坡といわないで、台湾、旅順へ積出すと言います……そこいらの胸算用──計画の覚だ、と思うから、見る気の起る筈もありません。
間淵は、名さえ洞斎といいました。家は祖父の代から医師なのを、洞斎本人は法津が目的で、勉強をするのは、能登では間に合わない。おなじ県でも金沢だけにありました専門学校へ通うのに、私の家を宿にした。──賄つき間貸と称える、余り嬉しくもない、すなわちあれです。私との縁はそれなんです。
やがて、間淵が東京へ出て、三年目かに、私も……申すはお恥しい、今もこの通りですが、志を立てて上京した。とっかかり草鞋を脱いだのが、本郷元町にあった間淵の下宿で、「やあ、よく来たね、」は嬉しいけれども、旅にして人の情を知る、となると、どうしても侘しい片山家の木賃宿。いや、下宿の三階建の構だったのですが、頼む木蔭に冬空の雨が漏って、洋燈の笠さえ破れている。ほやの亀裂を紙で繕って、崩れた壁より、もの寂しい。……第一石油の底の方に淀んでいる。……そうでしょう、下宿料が月の九つ以上も滞った処だから、みじめな女郎買じゃないけれども、油さしも来やしない。旅費のつかい残りで、すぐに石油を買う体裁、なけなしの内金で、その夜は珍らしく肴を見せた、というのが、苦渋いなまり節、一欠片。大根おろしも薄黒い。
が、「今に見たまえ、明日にも大船で一艘台湾へ乗出すよ。」で、すぐにその晩、近所の寄席の色ものへ連出して、中入の茶を飲んで、切端の反古へ駄菓子を撮んで、これが目金だ、万世橋を覚えたまえ、求肥製だ、田舎の祭に飴屋が売ってるのとは撰が違う、江戸伝来の本場ものだ。黒くて筋の入ったのは阿蘭陀煉、一名筏羊羹。おこしを食うのに、ばりばり音を立てなさんな、新造に嫌われる、と世話を焼いて、帰途が、屋台の牛めしです。寝床で話しながら遣らかそう、と精進揚を買って帰る。易くて腹にたまっていいと云ううちにも、油ものの好きな男で。
──ですから、のちに、私がその「魔道伝書」のすき見をした時も炬燵櫓……(下へ行火を入れます)兼帯の机の上に、揚ものの竹の皮包みが転がっていました──
そういった趣で、啖う事は、豆大福から、すしだ、蕎麦だ。天どんなぞは驕の沙汰で、辻売のすいとん、どうまた悟りを開いたか、茶めし、餡かけ、麦とろに到るまで、食いながら、撮みながら、その色もの、また講釈、芝居の立見。早手廻しに、もうその年の酉の市を連れて歩行いた。従って、旅費の残りどころか、国を出る時、祖母が襟にくけ込んだ分までほぐす、羽織も着ものも、脱ぐわ剥ぐわで、暮には下宿を逐電です。行処がないかと思うと、その頃の東京は、どんな隅にも巣がありました。裏長屋の九尺二間へ転げ込むのですが、なりふりは煤はきの手伝といった如法の両人でも、間淵洞斎がまた声の尻上りなのさえ歯切れよく聞える弁舌爽で、しかも二十前に総持寺へ参禅した、という度胸胡坐で、人を食っているのですから、喝、衣類調度の類、黄金の茶釜、蒔絵の盥などは、おッつけ故郷から女房が、大船で一艘、両国橋に積込むと、こんな時は、安房上総の住人になって饒舌るから、気のいい差配は、七輪や鍋なんぞ、当分は貸したものです。
徒士町の路地裏に居ました時で。……京では堂宮の絵馬を見ても一日暮せるという話を聞きます。下谷のあの辺には古道具屋が多いので、私は希望が希望だったから、二長町や柳盛座の芝居の看板の前には立ちません、若い時だから寒さには強い。ぶらぶら何を見て歩行いていたかは、ご想像に任せますが、空腹の目を窪まして長屋へ帰ると、二時すぎ。間淵は見えないで、その煎餅蒲団のかかった机の上に、入船帳の蔽を抜けて、横綴の表紙が前申した、「魔道伝書」、題ばかりでも、黙って見たままで居られますか。いきなり開けた処に、変な、可訝しな、絵があったのです。
若い、優しい女が裸体、いや、裸体じゃないが、縁の柱に縛られた、それまでのかよわい抵抗、悩乱が思われる。帯も扱帯もずり落ちて、絡った裳も糸のように搦んだばかり。腹部を長くふっくりと、襟の辷った、柔かい両の肩、その白さ滑かさというものは、古ぼけた紙に、ふわりと浮く。……
が、もう断念めたのか、半ば気を失ったのか、いささかも焦躁苦悶の面影がない。弱々と肩にもたせた、美しい鼻筋を。……口を幽に白歯を見せて、目を睜いたまま恍惚している。
それを、上目づかいの頤で下から睨上げ、薄笑をしている老婆がある、家造りが茅葺ですから、勿論、遣手が責めるのではない、姑が虐げるのでもない。安達ヶ原でない証には、出刃も焼火箸も持っていない、渋団扇で松葉を燻していません。ただ黒い瓶を一具、尻からげで坐った腰巻に引きつけて、竹箆で真黒な液体らしいものを練取っているのですが、粘々として見える。
老婆は白髪の上の処に、
おかしな口調です──(術を施すのところ)老婆はたちまち見て取った。絵も覿面だから解りました。が、その(ようゆう)が分りません、かなで書いただけで、それは三十年余りも経った、いまにおいてどういう意味だかわかりません。が……さて続いた絵なんです、もっとも、めくるとすぐに細かい字で、ぎっしり二三枚かき込んでありましたけれども、川柳にもありましょう、うまい事をいった、(読本は絵のとこが出て子に取られ)少年はきれいな婦の容易ならない身の上が案じられますから、あとを性急に開ける、とどうです。
立った乱れ姿で縛られたのが、今度は崩れたように腰をついて、膝を折りかがめに、片足を、ぐったりと、濡縁に髪を流し、白く蹴出した、その一本のふくら脛の膝から下に、むくむくと犬だか猫だか浅間しい毛が生えて、まだ女のままの指尖が獣の鰭爪に屈まって縮んでいる。
──(ようゆう)ですね、老婆は、今度は竹箆を口に啣えて、片手で瓶の蓋を圧え、片手で「封」という紙きれを、蓋の合せ目へ禁しながら、ニヤリとしている。
その、老婆に、形も面も、どことなく肖ているのですよ。唯今お話をしました、──二の橋の待合から電話を掛け、当分病気だといって断ったのに、すぐに翌日、白山の私宅へ来た。──
「──お懐しい。」と袴の膝を不遠慮に突きつけた、被布で胡麻塩の間淵の妹。
ちょっとお待ち下さい。
「うう、うううう、おお、おお、苦しい。」
だしぬけに目の前の厠で、うめく声がすると、ばったり戸を開けて出たのが間淵で、──こんがらかると不可ません。──兄洞斎です。
私がその魔道伝書を覗いているのを見ると、
「や、いつ帰った。」
というが早いか、引手繰るや否や、肥っているから、はだかった胸へ腋の下まで突込んだ、もじゃもじゃした胸毛も、腋毛も、うつくしい、情ない、浅間しい、可哀相な婦を揉みくたにして、捻込んだように見えて、毛の生えた方も、白い方も、そのまま瞼にちらついて、覚えています。私は、ぱちぱちと瞬した。
「飛んでもない、こりゃ見せるもんじゃない、いや、見るもんじゃない。第一若いものが見ては大変だ……」
酷く腹が痛んで、私の帰ったのが夢中で分らなかったから、うっかりした折からだそうで。……渋豌豆の堅いやつを、自分で持って行って、無理に頼んで、うどん粉をこってりと、揚物にさしたという、それに中てられたんです。
なかなか、絵も二枚や三枚じゃない、ずッしり分厚に綴込んだ一冊で、どんな事が書いてあるか知れません。冒険的にも見たかったのでありますが、牛若ほどの器量がないから、魔道妖異の三略には、それきり、手を触れる事が出来なかった。
「なあ、それにしても、ほんにほんに久しいものやて、にい……」
さて、袴を穿いた婆さんはいうのです。巻莨を吹かしますが、取出すのが、持頃の呉絽らしい信玄袋で、どうも色合といい、こいつが黒い瓶に見えてならなかった。……
「あの時分」……
自分で尼、尼という、襟に大形の輪数珠も掛けていましたが、容体が巫女にも似て、両部も三部も合体らしい。……「尼ども、両親はとうになくなって、もともと身上の足りぬ処を、洞斎兄の学資といえば、姉の嫁、私には嫂じゃにい、その里方から末を見込んで貢いでおった処を、あの始末で、里をはじめ、親類もあいそを尽かせば、嫂も断念めた。それやで、に、嫂の里へ引取って養うてくれておった尼を連れて、東京へ、徒士町の長屋へ出向いたというものは、嫂は縁切り、尼はまたこの広い世界へ棄てられた。島流し同様のものやったが、にい──
人間の侘しい住居というより、何やら、むさくるしい巣のような裡から、あんたは、小僧に──」
そうです。千駄木の師匠、雲原明流氏の内へ、縁あって弟子小僧に住込みました。
これは申すまでもありません。
「洞斎の兄の身にして見ればじゃ、にい、この妹をつれて、女房が上京するといえばや、当分だけなと、くらしをつける銭金の用意をしていて、一緒に世帯をするものと思うたのが、そのしだら魂胆や。つら当にも、その場からでも、妹を奉公させる……また奉公もせんならん。翌日が日の糧にも困った、あの逼迫やよってに、すぐに口を見つけて、にい、わすれもせんぞに──あんたはその千駄木へ。尼は、四谷へ、南と、北へ。……一日違いで徒士町から分れたというもんじゃ。地方で結うたなり、船や汽車で、長いこと、よう撫でつけもせなんだれど、これでも島田髷やったが、にい。」
私は顔を見た。
「覚えておいでますかにい──ちょっとの間やったけれど、おなごりが惜しかったぞ。北と南へ。」
どっちが北だか、南だか、方角に途迷いしたが、とにかく分れたのは難有かった、と思いました。……それに、言わるれば、白粉をごってり塗けた、骨組の頑丈な嫂というのには覚えはあるが、この、島田髷には、ありそうな記憶が少しもない。
「命さえあれば、にい、どこでどう、めぐり逢わんとも限らんもんや。したが、尼も、この奉公を振出しに、それは、それは太いこと、苦労辛苦をしたもんや。」
ここで、長々と身の上話がはじまった。が、くどいから略しましょう。あり来りの事で、亭主が三度かわった事だの、姑小姑に虐められた事だの、井戸川へ身を投げようとした事だの、最後に、浅間山の噴火口に立って、奥能登の故郷の方に向って手を合わせて、いまわという時、立騰る地獄の黒煙が、線香の脈となって、磊々たる熔岩が艾の形に変じた、といいます。
ちょっとどうも驚かされた。かねて信心渇仰の大、大師、弘法様が幻に影向あった。灸点の法を、その以心伝教で会得した。一念開悟、生命の活法を獲受して、以来、その法をもって、遍く諸人に施して、万病を治するに一点の過誤がない。世には、諸仏、開祖の夢想の灸と称うる療術の輩は多いけれども。
「尼のに限っては、示現の灸じゃ。」
「──成程。」
「……昨宵も電話でのお話やが、何やら、ご病気そうなが、どんな容体や。」
「胃腸ですよ、いわゆる坐業で食っていますから、昨夜なぞは、きりきり疼んで。」
「いずれ、運動不足や、そりゃようないに。が、けど何でもない事や。肋膜、肺炎、腹膜炎、神経痛、胸の病、腹、手足の病気、重い、軽い、それに応じて、施術の法があって、近頃は医法の科学的にも、灸点を認めているのやが、その医法をも超越して、(時々むずかしい事をいいます。)気違が何や……癩でも治るがに。胃腸なぞはそりゃに、お茶の子じゃぞ。すぐに一灸で、けろりとする。……腹を出しなされ、は、は、は、これでもあんた、島田髷やて、昔馴染には。」
「ま、ま。」
「療治の用具もちゃんと揃えて持合わせておる、に。」
「まあ、まあ。」
「熱いと思うてかに、熱い……灸やから。は、は、は。微塵も、そりゃない。それこそ弘法様示現の術や、ただむずむずとするばかり。」
「まあ、しかし。」
「ただ、あんたのものを使うというては、火鉢の火を線香に取るばっかりや。」
弱った。
「それやかとても、火道具はちゃんとここに持っておるがや、燐寸なぞは使わんぞ、艾にうつす附木には、浅間山秘密な場所の硫黄が使うてあるほどに。」
なお弱った。
「どうも、灸だけは……ですよ。」
「お嫌いかに。」
「嫌いにも、なにも。」
「好嫌いは言うておられんぞに、薬には。それやし、何せい、弘法様の……あんたお宗旨は。」
「ほっけです。」
「堅法華、それで頑固や。」
「いや、いやそんな事より、なくなった母親の遺言です、灸は……」
「その癖、すえられなさる様な事が沢山あるやろ、は、は、は。これでも昔は島田髷や。」
と口を開けて、それでも皮肉ではなさそうに笑った。
「時に、洞斎さんは、何の病気で。」
と聞くと、
「中気でに、四年越。」
私も、何も、皮肉でいったのではなかった、気違も、癩さえ治すというのに対して。──しかし四年越、中気でなくなった事をいってからは、おかしく、急に陰気になって、帰支度をする。蒸しものの菓子を紙に包んで、ちょっと頂いた処は慇懃で却って恐縮。納めた袋の緒を占めるのが兜を取ったようで、厳に居直って、正午頃までに、見舞う約束が一軒。さて、とる年だし、思い立った時に逢って見たいのを、逢って見ぬと、いつまたお目にかかれようと、それゆえにこそ、といって起った時には、すこしばかり妙な寂しい気がしたのです。
人情ですか、争えない、それもあります。それに、自動車でなくっては運ばれない。嵩張った手土産がありました。
「義理さえ欠けなければ。」
とあとでいう家内の言については、使で礼を返しても、その義理は欠けなかったが──逢って見たい時に逢っておかぬと、いつまたお目に掛れるか──まだ仕事場へ帰らない──送出して取って返し、吸いかけの巻莨をまた撮んで、菓子盆を前に卯の花のなよなよと白いのを見ながら、いま帰った尼巫女の居どころを、石燈籠のない庭越に、ほのかに思いうかべました。待合、雪の家。
姪に当る、赤坂に芸妓をしていると、いつか聞いたのが、早く旦那なるものにひかされたか、事情はとにかく、心づもり二十そこいらで、まだ、若い。
この後見なり、客のとりまわし、家のきりもりをしていると思われる、その母親があるのです。妹ぐるみ打棄った、……いや間淵洞斎が打棄られた女房の、後二度目の女房なのです。後添、後妻、二度目の嫁といっても、何となく古女房のように聞えますが、どうして、間淵と夫婦になった年が、まだ、ほんの十五六。で、ただ一度だけ、その頃、私が、本所で逢った事がある。……
師匠明流の情で、弟子小僧に、住込んだ翌年の五月です。花時に忙がしい事があって用が立込んだかわりに、一日お暇が出て、小遣を頂いた。師匠は大家でも弟子は小僧だ、腰の煙草入にその銀貨を一枚「江戸あるき」とかいう虫の食った本を一冊。当日は本所の五百羅漢へゆくつもりで、本郷通りを真すぐに切通し、寄席の求肥の、めがねへ出ました。すたすたもので、あれから、柳原を両国まで、鉄道馬車で、あとはまた大歩行きに歩行くつもりの、ところが、馬車を下りる時、料金を払おうとする、と、落したのか、すられたのか、煙草入がありません。小遣ぐるみ。あッと慌てたが、それだけじゃ済まない。広小路のあの群集の中で、しょぼしょぼと監督の前へ出されたのですが、突出したとは言いますまい。連れてった痩せた車掌がいい男で、確に煙草入を──洋服の腰へ手を当てて仕方をして──見たから無銭のりではありません。掏られたのです。よろしい、と肥った監督が大な衣兜へ手を突込んで、のみ込んでくれました。
羅漢たちの中には、苦しい断食の業を積んだのがありましょう、思っただけでも足がすくむ。ありようは五百体より一杯をあてにした、蕎麦も、ちらしも、大道の餅も頬張れない。……それ以上に弱ったのは煙草が飲めない。参詣はしましたが、亀井戸の境内で、人間こうなると、目が眩みます、藤の花が咲いていたか、まだだったか、それさえも覚えていません。
太鼓橋の池のまわりの日当りの石に、順礼の夫婦が休んでいて、どうでしょう、女房が一服のんでいて、継ぎはぎだが紅いところの見える、襦袢の袖で、
「アイ」
あいと脚絆の膝をよじって、胸を、くの字なりに出した吸付煙草。亭主が、ふっかりと吸います、その甘味そうな事というものは。……
余計にがつがつして、息を切って萩寺の方へ出たでしょうか、真暗三方という形、かねて転居さきを端書で知っていました、曳船通の間淵の家に辿り着いた。ここで一片餉ありつこうし、煙草銭の工面をつけようと思いました。ところがどうです。──その時分の事で、まだ藁葺の古家で、卯の花の咲いた、木戸がありました。柱に、「東海会社仮事務所」と出ていて、例の大船で一艘積出す男は、火のない瀬戸の欠火鉢を傍に、こわれた脇息の天鵝絨を引剥したような小机によっかかって、あの入船帳に肱をついて、それでも莞爾々々している……
「これ、お茶をよ。」
と破襖の次の間へ。
「何だ、焼芋、蕎麦、ごもく、豆大福、豌豆の入った──うふ、うふ、うふふ。」
と尻上りの冴えた声で、笑を肥った腹へ揺った。
「鼠が貿易をしはしまいしよ、そんなものを積んで大海を渡れるものか。その了見だと、折角あれだけの名家の弟子になりながら、小刀で蟻を刻んでいやしないかね。
蕪にくッつけてさ、それ、大かぶにありつく、とか云って、買手が喜ぶものだそうだ。いや、これは串戯よ。船はちゃんころでも炭薪ゃ積まぬというのが唄にもある。こんな小さな家だって、これは譬えば、電気の釦だ。捻る、押すか、一たび指が動けば、横浜、神戸から大船が一艘、波を切って煙を噴くんだ。喝!」
と大きな口をあけながら、目を細く、頻に次の間を頤で教えて、目顔で知らせて、
「お茶を早くよ。」
貧しい盆に茶碗をのせて、気候は、そんなだのに、もう白地の浴衣です。髪だけは艶々と島田に結っていました。色の白い吃驚するほど人柄な、その若いのが、ぽッと色を染めて、黙って手をついた頸脚が美しい。
「きみ、小山、今度の妻だよ。」
その時、ついた手が白く震えた。
「冬というよ、お冬です。こりゃ親しい同県人だ。──お初に、といわないかね。」
「お初に。」
といった時、耳まで紅く染まった。それなり襖の影へ消えました。私は一息に空腹へ飲んだのですが、それは茶ではないのです。冷水に、ちらちらと白いものが浮かしてある、香煎は色がありましょう、あられか、菓子種か、と思ったのが、何と、志は甘かった、が、卯の花が浮かしてあったんです。毒にはなりますまい、何事もなかった処を見ると、枸杞の花だったかも知れません、白く、細かくて、枸杞は薬だといいますから。
そうと知ったら、言いますまいものを。……水は、実は途中で、三度ぐらい飲んでいましたから、東海会社社長の顔を見ると斉しく、息が切れる、茶を一杯、といって、それから焼芋、蕎麦、大福の謎を掛けた。申すまでもなく煙草入をなくした顛末を饒舌ってからですが、これに対する社長の応対は、ただ今お聞かせ申した通り。
湯を沸す炭もなく、茶も切れていたのです。年も二十以上違っている。どうしてこんな細君を。いや、あの、片時も手離さない「魔道伝書」を見るがいい。お冬さん、上品な、妍美い娘は、魔法に、掛けられたものでしょう。
千駄木へ帰ってから、師匠に鉄道馬車の監督の話をすると、気に入った。その寛容と深切に対しても、等閑に棄てては置けない、料金は翌日にも持参しなさい。で、二日ばかりおいて、両国まで、その持参です。……なくなしたお小遣の分まで恵与に預る。……余程曳船へ廻りたかった。堅豌豆ぬきの精進揚か、いや、そんなものは東海会社社長の船には積むまい。豆大福、金鍔か。それは新夫人の、あの縹緻に憚る……麻地野、鹿の子は独り合点か、しぐれといえば、五月頃。さて幾代餅はどこにあろう。卯の花の礼心には、砧まき、紅梅餅、と思っただけで、広小路へさえ急足、そんな暇は貰えなかったから訪ねる事が出来なかった。
盆やすみに、今日こそと、曳船へ参りましたが、心当りの卯の花垣は取払われて、窪んだ空地に、氷屋の店が出ていました。……水溜りに早咲の萩が二つ三つ。
そういったわけで、それきりになったのですが、あと十何年、不意に、また間淵洞斎に出会って、悪酒にあてられた事を申しました。──
それは、白山の家を出て、入費のかからない点、屈竟ばかりでなく、間近な遊山といってもいい、植物園へ行って、あれから戸崎町の有名な豆府地蔵へ参ろうと、御殿町へ上ると、樹林一構、奥深い邸の門に貼札が見えたのです──鷺流狂言、開興。入場歓迎。──日づけが当日、その日です。時間もちょうどでありました。
舞台では、もう「宗八」というのがはじまっていたのですが、広書院の一方を青竹で劃っただけが、その舞台で、見物席は三十畳ばかりに、さあ十四五人も居ましたか、野分のあとの庭の飛石といった形で、ひっそり、気の抜けたように、わるく寂しい。
例の、坊さんが、出来心で料理人になって、角頭巾、黒長衣。と、俎に向った処──鮒と鯛のつくりものに庖丁を構えたばかりで、鱗を、ふき、魚頭を、がりり、というだけを、吶る、あせる、狼狽える、胴忘れをしてとぼん、としている。
海豚が陸へ上った恰好です。
仕切の竹で、これと向合い、まばらな見物の先頭に、ぐんなりした懐手で、悄れた鰭のように袖をすぼめていた、唐桟柄の羽織で、黒い前垂をした、ぶくりとした男が、舞台で目を白くする絶句に後退りをしながら振返ったのが、私に気がつくと、そのまま……熟と視た。
開演中です。居膝るように、密と傍へ寄って来て、
「小山じゃないか。」
「おお。」
「出ようよ、静に。」
気のどくらしくて、見ていられない舞台だから、誘い手のある引汐に会場を出たのです。
「──何、植物園から豆府地蔵、不如、菎蒻閻魔にさ。煮込んでも、味噌をつけても、浮世はその事だよ。俺もこの頃じゃ、大船一艘、綾錦でないまでも、加賀絹、能登羽二重という処を、船も、びいどろにして、金魚じゃないが、紅、白、ひらひらとした処を、上海あたりへ積出すほどの決心だ。一船のせよう。あいかわらず女の出来ない精進男に、すじか、竹輪か、こってりとした処を食わせたい。いや串戯はよして、内は柳町、菎蒻閻魔のすぐ傍だ。」
魚頭をつぎ、鱗をふく(宗八の言にありますね。)私窩子でもやってるのじゃないか、と思った。風丰がまた似ていました。柳町の裏長屋で……魚頭も鱗もない、黄肌鮪に弱った事は、──前刻に言った通りです。
その黄肌鮪だか、鬢長鮪だかと一緒に、悪酒を、なめ、なめ、
「あいかわらず、この体だ、といううちにも、一昨々年までは、台湾に一艘帆を揚げていたんだよ。ところが土地の大有力者が、妻に横恋慕をしたと思いたまえ。それのかなわない腹癒に、商会に対する非常な妨害から蹉跌没落さ。ただ妻の容色を、台北の雪だ、「雪」だと称えられたのを思出にして落城さ。」
と、羽織を脱ぐと、縞の女衣の、振が紅い。ニヤリとしながら、
「お冬、お冬、珍らしい男を連れて来たぞ。誰だ分るか、分るまい。」
薄暗そうな次の間で、人むかえの起居の気配が、と寂然やむと、
「お声で分りました。いらっしゃるなり。……小山さんです。」
間淵が菎蒻のような色をして、懐手の貧乏ゆすりで、
「酒だ、酒だ、酒を早く。」
人間どう間違えても、自惚のないものはないとか言います……少くとも私は……人として、一生に一度ぐらいは惚れられる。
無理な酒もすごしました。しかし、帰るまで、それっきり、お冬さんは、顔も姿も見せなかった。
──先に曳船通、のちに柳町の、そのお冬さん、今は二の橋辺の待合雪の家に居るらしい──白山を訪ねた尼の帰ったあとで、私は、庭の卯の花を見ながら、江戸の名画の雪景色を可懐しく思ったことは、いうまでもありません。
──お聞き下さるようだから続を話しましょう。──
ところで、その雪の家の胡瓜形の磨硝子の掛った土間に立ってから、久しくお待たせいたしました。
が、しかし待っていたのは、お聞き下さる、あなたではない、私です。南瓜です。は、は、は。
が、待つ間はなかったのです。小女がすぐに引返し、取次いで二階の六畳──八畳づまりですか……それへ通した。
真中に例の卓子台。で欄間に三枚つづきの錦画が額にして掛けてある。優婉、娜麗、白膩、皓体、乳も胸も、滑かに濡々として、まつわる緋縮緬、流れる水浅黄、誰も知った──歌麿の蜑女一集の姿。ふと、びいどろの船に、紅だの白だのひらひらするのを積むといった、間淵洞斎の言を思い出した。……いっては、あれだけの絵師に相済まないが、かかげてあるのは第何板、幾度かえして刷ったものだか、線も太ければ、勿論厚肉で、絵具も際どいのをお察し下さるように。いずれ二三人よんでお附合に一杯、という心づもり。もっとも家内の心づけ、出ず入らずに、なにがしの商品切手というのを、水引で袱紗で懐中にして、まじまじ、そこに控えている年配の男をついでにお察し下さるように──
で、酌人は酌人、ひらひらか、ちらちら、として、さてお肴、が、何分刺身はあやまる。……菎蒻、菎蒻がいい。おでんとしようと、柳町の事を思いながら一方を見ると、歌麿の蜑女と向合って「発菩提心。」という横額が掛っている。
亡くなった洞斎が遣りそうな好みだ、と思うと、床の間の置物が鼻の穴の目立って大きい、真黒な土の達磨。
花活に……菖蒲にしては葉が細い。優しい白い杜若、それに姫百合、その床の掛物に払子を描いた、楽書同然の、また悪く筆意を見せて毛を刎ねた上に、「喝。」と太筆が一字睨んでいる。杜若、姫百合の、およそ花にも恥じよ、「喝。」何たるものぞ、これだから、私は禅が。……
はてな、雪の家の、ここの旦那なるものが変に「喝。」がった難物かも計られぬ。……
「ああ、はじめまして、あなたが間淵さんの、お娘ご。」
そこへ、一枚着換えた風俗で、きちんとして、茶を持ってきたのが、むかし、曳船で見たお冬さんに肖如……といううちにも、家業柄に似ず顔を紅うした。そうして私の顔を視ると、ちょっと曇らせたような眉が、お冬さんより、顰んだ形に迫っています。お母さんは、目鼻だちがぱらりとしていたのです。
時宜挨拶がちょっと交されました。
「お父さんは、」
中気、とも言いかねて、
「久しくお煩いだったそうですね。」
「ええ、四年越……」
「それはそれは、何よりご看病が大変でしたね。で、甚だ何ですが、おなくなりになすったのは、此家で。」
「はあ、あの病気の発りましたのは内だったんですけれど、こんな稼業でしょう、少しは身体を動かしてもいいと、お医師がおっしゃいましてから、すぐ川崎の方へ……あの、知合の家が広うございますもんですから、その離室のような処へ移しましたんですの。」
──喝旦那の住居らしい……とするとお冬さんは、そっちで暮していはしないか。逢えない仕儀であろうも知れない。──またお察しを願うとして──実は逢いたかった。もっとも白山へ来訪をうけた尼刀自へ返礼に出向いたいのに、いつわりはないのですが、そんな事はどうでもいい。また妙に、その尼にも、いま差当って娘にも、お冬さんの消息が、さそくに口へ出なかった、そのわけは、前述の「魔道伝書」を見ない方には、お解りになりますまい。怪しからん事であります。
「何にしましても病気が病気だもんですから、あせりにあせり抜いて、気ばかり荒くなりましてね、傍を困らせ抜きますうちにも、あの病気に限って、食べものの難題ですの。ええ、一番困りましたのは毎日見ます新聞の料理案内と、それにラジオのご馳走の放送ですのよ。鴨、鳥はいいとして、山鳥、雉子、豚でも牛でも、野菜よし、魚よし、料理に手のかかったものを、見ると、聞くと、そのまんま、すぐ食わせろ、目の前へ並べろでもって、口が利けましただけになお不可ません、少しも堪忍をする気はなし、その場即座にって、間に合わないと、殺すか、ほし殺せなんですもの……どんなに母を泣かせたでしょう、小父様。」……
私は吐胸をつきました。どんな意味でも、この場合の「おじさま。」は身に応えた。今度はこっちが赤面して汗になった。
「魔法でもつかわないじゃ、そんな事は出来ません。」
その際、秘伝書を手に入れようという、深き慮があるものなら、もっと辛抱をしたでしょう。せき心で、お母さんはと、初めて聞くと、少々加減が悪くって、というんです。川崎とすればもとよりの事、この家に居た処で、病気だといえば……と思うも遅い。既に「おじさま。」と聞いた時、もう私は居たたまらなくなったのです。
発菩提心!……向合った欄干の硝子の船に乗った美女の中には、当世に仕立てたらば、そのお冬さんに似たのがたしかに。ああ発菩提心!……額の下へ、もそもそ不手際に、件の紅白水引を、端づくろいに、ぴんと反らして差置いて、すぐに座を開くと、
「まあ、おじさま。」
いかにも案外と、本意ない様子で、近所へ療治を頼まれて行っている、いまにも帰るでしょう。姨がという。尼刀自の事です。お顔を見たら、どんなに喜ぶか知れません。女中も迎いに出しました。ちょっと様子を、と襖を抜けるように、白足袋で、裾を紅入に二階を下りた。
間数もなさそうですが、居馴染まない場所は、東西、見当が分らない。十番はどっちへあたるか、二の橋の方は、と思うと、すぐ前を通るらしい豆府屋の声も間遠に聞え、窓の障子に、日が映すともなく、翳るともなく、漠として、妙に内外が寂然する。ジインと鉄瓶の湯の沸く音がどこか下の方に静に聞え、ざぶんと下屋の縁側らしい処で、手水鉢の水をかえす音が聞える。いい年増、もう三十七八になろうかしら、お冬さんが寝床を起きて出たのではないか、こんな時、厠のあたりに、けはいがするというものは、何だか、人影が幻に立つような気がするものです。
喝! ああ驚いた。掛けものめ。
「あっ! ははは。」
いきなり、男のように笑いかけて、
「驚かそう思うて、わざと、こっそりと上って来たぞに。心易立てや。ようこそに、ようこそに、こんな処まで、嬉しいこっちゃ。や、もう洞斎兄の事や、何の事や、すぎ去った。そんな挨拶はさらりとおくこっちゃ、にい。縁あればこそ、生あればこそ、北と南と、何十年分れたものが訪いつ訪われつ、やぞに。それに、そういう行儀は何じゃ、袴はいたり、膝にお手々をちゃんとついたり、早や、その手をぬいと伸ばいて、盃を持つ格好に、のう。」
人に口は利かせない。被布から皺びた腕を伸ばして、目八分に、猪口をあげる指形で、
「何とかいうたに、それ、それ、乾盃、あれに限るぞに、いい事じゃ。洞斎兄は沢山は飲まなんだけれど、島田髷の妹は少し飲るがやぞ。これでもに、古馴染や、遠慮はない。それにどこへ来なされた思うて、そのように堅うして。……花柳界、看板を出した待合や。さ膝を崩いて、楽にござって、尼かてこの年、男も同然、胡坐を掻いても人は沙汰せん。それに袴はいとるぞに。」
また高笑いで、
「……そこで念のため云うておくがですが、内証話をあけすけなが、あんたも世間が解っておいでや。寸法とかいうもんで、ここへ来ての以上、一口、酒となれば、芸妓も呼んでやろう、それ、ちゃんとその了簡は見えてある。なれど、それはさせんぞ。今日だけは、こちらへ万事まかせてくんされ、別懇のお附合や。そのかわり、わざと芸妓は呼ばん。尼がお対手して、姪がお酌やて、辛抱ものや。その辛抱ついでにな、お肴もありあわせやぞに。惣菜さながらの。」
いよいよ口を利かせません。立つにも立たれはしないから、しばらく腰を据える覚悟をしました。が、何分にも、餒れた黄肌鮪鬢長鮪が可恐しい。
「菎蒻。」
「こんにゃく。」
口の裡でむぐむぐ言ったのが耳へ入ったか、聞返されて、驚いて、
「卯の花なぞが結構です。」
また、うっかり、下の縁側を卯の花が、葉を搦んだ白い脚が、寝衣の裳を曳いて寝みだれ姿で寝床からと……その様子が、自分勝手の胸にあった。ただし、他家様のお惣菜を、豆府殻、は失礼だ。
「たとえばです。」
「お好きか、なんぼなと、内で間に合う、言いつけようでに。さ、もう、用意はしておったが、お燗の望みは熱いのか、ぬるいのか、何せい、程のいい処。……もう出来たろうに、何しとるぞ。」
と、手をたたく。
「はいい。」
返事は下でお極りの、それは小女か女中かで、銚子、盃、添えものは、襖が開いて、姪──間淵の娘の手で、もう卓子台に並んだのでありました。
さて、お盃。なかなか飲める。……柳町で悩まされた孑孑が酔いそうなものではなかった。
「お孝、お孝。」
と若いかみさんの、姪を呼んで、
「重ねて、それ、お酌をせんかの。……何をぼんやり……あんたの顔を見とるがや。……電燈もつけて。」
その燈に、お孝が、……若いかみさんの飲まない顔が、何故か、耳元まで紅かったのです。
「これがほんの水入らず、にい。そういえば、お対手は、姪、尼でもや、酒だけは黒松の、それも生一本やで、何と、この上の町、ここでの名所、一本松というてもいいやろ。」
と尼刀自が洒落れた。が、この洒落は悪くない。
「ああ、そうじゃ……あんたの故郷にもおなじ名の名所があったに──一本松──
……忘れもせんぞに、私が十三か四の頃や、洞斎兄さえ、まだ、尾山(金沢を云う。近国近郷の称呼。)の、あんたの家へ寄宿せぬさき、親どもに手を曳かれて、お城下の本願寺、お末寺へ参詣した時、橋の上からも、宿の二階からも、いい姿に、一目に見はらされて今でも忘れはせんのじゃが、その昔、あすこに心中があったそうやに。」
「……聞いています。」
「その心中に、くどき、くどきや、唄があって、あわれなものやが、ご存じですやろ。」
「いや、いいえ知りませんよ。」
私はまるっきり知らなかった。
小山直槙は、時に盃をあらためて、
「私は、まるで知らなかった──同郷です、あなたは大方、ご存じでしょう。」と云った。
筆者も更に知らなかった。
「ちっとも知りません。聞いたこともありません。」
「妙ですな、お国ものが誰も知らないで、隣りの能登の田舎の方で知っている。もっとも、その時、間淵の尼の話した処では、加賀の安宅の方から、きまって、尼さんが二人づれ、毎年のように盂蘭盆の頃になると行脚をして来て、村里を流しながら唄ったので、ふしといい、唄といい、里人は皆涙をそそられた。娘たちは、袖を絞ったために今もなお、よくその説句を覚えていると、云って聞かせました。心中の命は卯辰山に消えたが、はかない魂は浮名とともに、城下の町を憚って、海づたいに波に流れたのかも知れません。──土地に縁のある事は、能登屋仁平、というのです。いや、不義ゆえの心中の、それは年とった本夫で、その若い女房と、対手が若年の侍です──
──是非と望んで、これは私が聞きました。尼婆さんの他の饒舌には弱らされたが、これだけは、もう一度、また一度と、きかせて貰った。調子に乗ると、手拍子が張扇子になって、しかも自己流の手ごしらえ。それでもお惣菜の卯の花だ、とお孝の言訳も憎くない。句切だけぐらいだけれども、娘の鼓の手が入ったのです。が説くぞ、説きます、という尼婆さんの口説節が、あわれに、うらがなしく、昔なつかしく、胸にしみて、ぞくぞく心を揺って、その癖、一本松が、かっと血を湧かして、火のように酔って行く。
さんざ浮かれた折ばかり、酔いしれるとは限りません。はかない、悲しい、あるいは床しい、上品な唄、踊、舞を見て、魂とともに、とろとろに酔って行く。……あの体で。……あでやかな鬼の舞を視ながら、英雄が酔っぱらった例もあります。いや、いつかの間淵の話じゃないが、蟻の細工までにも到らない、箸けずりの木彫屋が、余五将軍をのみなかまに引込んだ処は、私も余程酔いました。──ま、ま、あなたへ、一杯。」
閑静な席で、対坐に人まぜせぬ酒の中に、話がここへ来たころは、その杯を受けた筆者も酔が廻った。この筆者の私と、談者の私と、酔った同士は、こんがらかっても、修理を捌くお手際は、謹んで、読者の賢明に仰ぐのである。
「何、唄をお聞きになる、よろしい、やッつけましょう。節なしに……もっとも、節をつけては大変だ。……繰返して、聞いたから、そこ、ここうろぬきながら覚えています。──恋とサア、というくどきです。
恋とサア情のその二道は、やまと、唐土、夷の国の、おろしゃ、いぎりす、あめりか国も、どこのいずくも、かわりはしない。さても今度の心中話。それをくわしくたずねて見れば、加賀の城下のその片畔、能登屋仁平が、
これです、年とった亭主というのは。──
女房のおとせ、年は二十一愛嬌盛り……
ちょっと娘が気になりますね。鼓をうってる……年もちょうどそのくらい。
いつの頃から夫に忍び、その名岩島友吉こそは、年も二十六、やさがた生れ、きりょう好いのについ誘かされて、人目忍びて逢う瀬の数も、……
──阿漕が浦の度かさなれば、おさだまりで、たちまち近所となりのうわさ、これも定まる処です。
夫仁平は穏厚な生れ、かっと燃立つ胸なでおろし、それが素振は顔へも出さず……
いいか、悪いか、分りませんが、金沢ものだ、仕方がない、とにかく杯を合せましょう。で、何しろ、かように親類縁者までの耳へ入るようになっては、世間へ済まぬ。今はこれまで、暇をくれよう、どんな夫を持とうとも、そうなれば仔細はないと、穏厚人、出方がまことにおとなしい。……もっとも、
そちがこの家へ来たそのはじめ、わずか年さえ二七の春よ、思いまわせば七年以来……
というのです。二七の春──私はまた……曳船で見た、お冬さんのそのころの年を思った、十五六──
いえばおとせは顔赤らめて、何もいわずに恥し姿。五年六年、年つき日ごろ、かわい、かわいと、撫でさするまで、情わすれた不義いたずらを、ぶつか叩くか、しもしょうことを、すいた男を添わせてやろと、かかる実意な夫をすてる、冥利すぎます、もったいなさに、天の冥加も、いと可恐しい。せめて夫へ言訳のため、死んでおわびは草葉の蔭と、雨に出て行く夜空の涙……
それから屋敷町の暗夜へ忍んだ、勿論、小禄らしい。約束の礫を当てると、男が切戸から引込んで、すぐ膝に抱く、泣伏す場面で、
そなた一人をあの世へやろか、二人ならでは死なせはしない、何の浮世はただ仮の宿、どうで一度は死なねばならぬ、死んで未来で添遂げようと、いえば嬉しやなおさら涙。さらば最期とかねての用意、女肌には緋の帷巾に、上は単衣の藍紺縞よ、当世はやりの……
その頃の派手らしい藍紺縞──これを最初に唄った時、尼婆さんは、当世はやりの何とか、と高々とやりながら忘れていた。ちょうど、お孝が銚子のかわりめに立った時だったのです。が、尼婆さんの首を捻る処へ上って来て、
当世はやりの黒繻子の帯……
と言継いだ。ちょいちょい唄うらしい、尼婆さんの方で忘れた処を、きき覚えのお孝が続けたのですが、はて、……呉絽服綸ではなかったか、と尼婆さんはもう一度考えましたが、
……黒繻子の帯、二重まわして、すらりと結び、髪は島田の笄長く、そこで男の衣裳と見れば、下に白地の能登おり縮、上は紋つき薄色一重、のぞき浅黄のぶッ裂羽織、胸は覚悟の打紐ぞとよ、しゃんと袴の股立とりて……大小すっきり落しにさして……
──飛んでもない、いや、串戯じゃない、何がしゃんと、股立です。のぞき浅黄のぶッ裂羽織が事おかしい。熱くて脱いだ黒無地のべんべら絽が畳んであった、それなり懐中へ捻込んだ、大小すっきり落しにさすと云うのが、洋杖、洋杖です。あいつを左腰から帯へ突出してぶら下げた形といっては──千駄木の大師匠に十幾年、年期を入れた、自分免許の木彫の手練でも、洋杖は刀になりません。竹箆にも杓子にもならない。蟻にはもとより、蕪にならず、大根にならず、人参にならず、黒いから、大まけにまけた処が牛蒡です。すなわち、牛蒡丸抜安の細身の一刀、これをぶら下げた図というものは、尻尾じゃないが、十番越に狸穴から狸に化かされた同様な形です。
ああ、しかし、こういっても──不思議ともいうべき、めぐり合せで、その時、一つ傘で連立っていた──お冬さんを、おなじ化され夥間だと思われては情ない。申訳がないのです。
酔っています。だしぬけにこんな事をいって、確に酔っている。私は息が忙込みますが、あなたはどうぞ静にお聞き下さい……」
──ちょっと呆気に取られたが、この言葉で、筆者は静に聞いていた。
「話は前後しました、が、この既にお冬さんの一つ傘に肩を並べた時は、何だか、それなり一本松へ心中に出掛けるような気がしたんですから──この面や格好を見ては不可ません。」
直槙は寂しく笑った。
「まあ、しかし忘れぬうちに、唄のあとを続けてからにしましょう。──大小すらりと落しにさして、──という処で、前後しました……
ここで死んでは憚る人目。死出の山辺に燈一つ見える、一つ灯にただ松一つ、一本松こそ場所屈竟と、頃は五月の日も十四日、月はあれども心の闇に、迷う手と手の相合傘よ、すぐに柄もりに袖絞るらむ。心細道岩坂辿り、辿りついたはその松の蔭。かげの夫婦は手で抱合うて、かくす死恥旗天蓋と、蛇目傘開いて肩身をすぼめ、おとせ、あれあれ草葉の露に、青い幽な蛍火一つ、二つないのは心にかかる。されど露には影さすものを、わたしゃ影でも厭いはせぬと、縋るおとせをまた抱きしめて、女房過分な、こうなる身にも、露の影とは、そなたの卑下よ、消ゆるわれらに永劫未来、たった一つの光はそなた。さらば最期ぞ、覚悟はよいか、いえばおとせは顔ふりあげて、なんの今さら未練があろう、早う早うと両掌を合わす、松もかつ散る氷の刃……
つらつら思うに、心中なぞするもんじゃありません、後世には酒の肴になる。いや怪しからない、いつまで聞いていようというんだ。私は心で叱りました。」──
「──ありがとう……厚くお礼を申上げる……唄と、馳走のお厚情、かさねて、ご挨拶を。これで、失礼──心なく、思わず長座をいたしました。何だか帰途に一本松が見たくなりました。」と、機に起つと、
「わけないぞに、一緒に行こうかに。」
慄悚とした、玉露を飲んで、中気薬を舐めさせられた。その厭な心持。酔も醒めたといううちにも、エイと掛声で、上框に腰を落して、直してあった下駄を突っかける時、
「ああ月が出た。」
と壁の胡瓜を見たんですから、ちらつくどころか、目も磨硝子で、ゆがんでいた。
処へ、ざっと雨が来ました。土間の鉢植が、土と一所に湿っぽく濡々と香う。
「お孝や、いいんだよ。私がお送り申すから。」
すぐ傍で──いま、つい近い自動車まで、と傘を手にして三和土へ出た娘を留めて──優しい声がすると、酒の勢で素早く格子戸を出た、そのすぐ傍です。切戸が一枚、片暗がりにツイと開く。鉢植でもあろうと思う、細い柳の雨に搦んで、細い青々とした、黒塀へ、雪が浮いたように出たんです。袖に添えた紺蛇目傘がさっと涼しい、ろくろの音で、
「さあ、どうぞ。」
一かげり翳った下へ、私は頭は光らないが、小さな蛍のようにもう吸込まれた。送って出たお孝が紛れ込むように、降り来る雨に、一騒ぎ。そこらがざわめく人の足音、潮時の往来の影。その賑な明るい燈の町へ向わずに、黒塀添いを傘で導く。
死出の山辺の灯一つ見える、一つ灯に松ただ一つ、一本松こそ、場所屈竟と、頃は五月の日も十四日、月はあれども心の闇に、迷う手と手の相合傘よ、すぐに柄もりの袖絞るらむ……
被布の抜衣紋で、ぐたりとなった、尼婆さんの形が、散らかった杯盤の中に目に見えるようで、……二階でまだ唄っている。
「お危うございますよ、敷石に高低がありますから。」
「つん踣っても構やしません。」
「あんなこと。」
「そうすれば、お縋り申す。」
「おほほ。」
「しかし、いいんですか。……失礼ですが、お冬さん……ですね。」
横顔で莞爾したようで、唇が動いたが、そのまま艶々とした円髷の、手柄の浅黄を薄く、すんなりとした頸脚で、うつむいたのがうなずいた返事らしい。
「……ほんとうにいいんですか、病気だっていうじゃありませんか。」
「ぶらぶらしてはいましたけれど、よもや、こんな処へなぞおいでなさりはしなかろうと思っておりましたのに、真実嬉しゅうございますわ。」
「私も嬉しいんです。」
何だか声が掠れている。
「まあ、お世辞のいいこと。でも、いま、名をおっしゃられて震えましたよ。とても覚えてなぞお在なさらないと存じました。けれど、それでもお目にかかりますのに、余り取乱していたもんですから、急にあの髪結さんを呼んで、それから湯へ入ったりなんかして……ついお座敷へ伺いますのが。」
夜目にも湯上りの薄化粧と、見れば一層鬢が濡れて、ほんのりした耳元の清らかさ。それに人肌といいますか、なつかしい香が、傘を打つしとしと雨に、音もなく揺れるんです。
「卯の花。」
慌てて、言いそらして、
「曳船を、柳町を思い出します。」
「ねえ、お久しい……二十……何年ぶりですか。私は口不重宝で、口に出しては何にもいえはいたしません。」
「何をです。」
「いいえ、いいんです。」
「おっしゃい、云って下さい、そうでないと、狸になって、あなたの傘を持った手に、もじゃ、もじゃ。」
「あれ。」
「触りやしない。触りやしないが、ぶら下りかねないというんです。いって下さいよ。」
「ただね、あつかましいんですけど、片時も忘れはしませんと申す事。」
「ご同然……」
「……」
「以上です。」
「……」
「お冬さん」
「……」
「口をおききなさらなければ毛だらけの手が。」
「それこそ、狸ちゃんでいらっしゃる。」
「ええ、狸。」
「私をおだましなさいます。」
「はぐらかしちゃ不可ないなあ、時に、路地を出ましたね。」
下駄がしとって、燈が流れる。
「構いませんか、こんな事をして歩行いていて。」
「里うちですもの、お互に廊下で行逢うもおなじですわ。」
私は酒の胸がわくわくした。
「ところで、自動車の、あります処は。」
「手前どもの、つい傍だったんでございますけれど、少し廻道をしたんですよ。大それた……お連れ申して歩行いて済みません。もう直きそこにございますから。」
「そりゃ、そりゃ困る、直きそこじゃ困るんだ。是非大廻りに、堂々めぐり、五百羅漢、卍巴に廻って下さい。唐天竺か、いや違った、やまと、もろこしですか、いぎりす、あめりかか、そんな、まだるっこしいことはおいて、お願いです、二の橋か、一本松へ連れてって頂きたい。」
「いらっしゃる。」
お冬は軽く佇みました。
「ほんとうに。」
「勿論、一緒に行って下さるんなら。ご迷惑?」
「いいえ、嬉しいんです。でも、まだお目にかかりませんけれど、奥様にお悪くはないでしょうか。」
「名所古跡を尋ねるのは、堂寺まいり同然です、構やしない。後生のためです、順礼に報謝のつもりで──ああ、そうだ亀井戸だ。──お酌というのが贅沢なら、あなたの手から煙草をのまないじゃ帰らない、いっそお宅へ引返すか。」
「それは、でもあの尼が、あなたのお座敷へ出ますのを喜びませんような様子が見えます。」
これはそうらしい。でなくっても、あの顔は見たくない。またいかに何でも、ほかの待合なぞへとは言いかねました。もっともそのまま別れる気はない。処へ自動車が見つかった。
弱った、一応は声をかけなければ済まない。
「ああ、柳町へ来ましたね。」
ちょうど人丈三つばかりなのが、雨に青い蓑で立っていて、その傍に空地を控え、おでん屋が出ていました。
「またおもい出します、難有い。」
傘の中から面と肩を斜っかいに、つっかかるように暖簾の中へ突出して、
「や、お閻魔殿、ご機嫌よう。」
「一口にがアぶり、えヘッ、ヘッヘッ、頭から塩という処を……味噌にしますか。」
「味噌は、あやまる。からしにしてくれ、菎蒻だ。」
「掛声はありがたいが閻魔はひどうがす。旦那、辻の地蔵といわれます、石で刻んで、重味があっても、のっぺりと柔い。」
「なるほど。」
「はんぺんのような男で。」
「はんぺんは不可い、菎蒻だ。からしを。」
「ご酒は……酒はそれこそ、黒松の生一本です。」
「私は、何だったって、一本松だよ。」
傘に葉ずれの音がします。うしろから柳の寝ン寝子を着せ掛けられるような気がして振向くと、一つに包まったほど、小雨もほの暖く湯上りの白い膚が、単衣を透通るばかり、立っている。
「おお、こりゃ、雪の家の、ご新姐。」
待合の女房を、ご新姐という。娘のおかみさんがあるのに対してだ、と思われた。
あとで解った事ですが。──
お冬は武家の出で、本所に落魄れた旗本か、ごけにんの血を引いている。煮豆屋の婆が口を利いて、築地辺の大会社の社長が、事務繁雑の気保養に、曳船の仮の一人ずみ、ほんの当座の手伝いと、頼まれた。手廻り調度は、隅田川を、やがて、大船で四五日の中に裏木戸へ積込むというので、間に合せの小鍋、碗家具、古脇息の類まで、当座お冬の家から持運んでいた、といいます。その折に、雲原明流先生の内弟子、けずり小僧が訪ねたのです。
それこそ、徳川の末の末の細流は、淀みつ、濁りつ、消えつつも、風説は二の橋あたりへまで伝わり流れて、土地のおでん屋の耳から口へ、ご新姐であったとも思われる。
ついでに、
──曳船の時、お十九でいらっしゃいましたね、そのあんたの前で、間淵洞斎が頬杖をつきながら、十五の私を、おれの女房だと、申しました。それッきり、私は世の中を断念めました──
肌身は、茶碗の水と一緒に、その夜、卯の花のように、こなごなに散った、と言うのを、やがて聞くことになりました。
それも、これも、私が魅されたのかも知れない。間淵に、例の「魔道伝書」がありましょう。女房に相伝していないと言われますか──お聞きになれば分るんですが。
「何を差上げます。ご新姐さん。」
うしろの空地に、つめ襟の服と、印半纏、人影が二つ三つさして来た。
「私は。……」
「しばらく、お見かけ申しません。」
「ご病気だった。それだもの、湯ざめをなさると不可い。猪口でなんぞ、硝子盃だ、硝子盃。しかし、一口いかがです。」
「では。わざと一つだけ。」
で、硝子盃から猪口へ通わせる。何を通わせるんだか、さながら手品の前芸です。酔方をお察し下さい。
「ご勘定、いいんですよ。」
「よくはありません。」
「私におまかせなさいまし。」
「実はおまかせ申したいんです。溝へ打棄らないで、一本松へ。」
「はあ、それはご趣向。あとで、お駕籠でお迎いに参りましょう。」
「棺桶といえ、お閻魔殿。──ご馳走でした。……お冬さん、そこで、一本松までは遥々ですか。」
「ええ、ええ、遥々……ここから小石川柳町もっと、本所ほどもありましょうか、ほほほ──そこの(ぞうしき)から直ぐですわ。」
「そいつは、心中を済ましたあとです。」
「まあ、(ぞうしき)という町の名。」
「これは失礼。」
と、明い町に、お辞儀をして、あの板の並んだ道を、船に乗ったように蹌踉した。酔っています。
「交番がありますから、裏路地を。」
「的実、ごもっともです。」
「ね、暗うございますから、お気をつけなさいましよ。」
「おお、冷い。……おん手を給わる、……しかし冷いお手だ。」
「済みません。冬も寒の中、指は霜の柱ですわ、こんな身体で。」……
「飛んでもない、私から見ると(二十一)だ。何でしたっけ、何だっけ……(年紀は二十一愛嬌盛り。)……」
「あれ、危い、路が悪いんですから、そんなにお離れなすっては濡れますよ。」
「心得た、(しゃんと袴の股立とりて。大小すらりと落しにさして。)……」
──ここです。濡れに寄るにも、袖によるにも、洋杖は溢出しますから、件の牛蒡丸抜安です。それ、ばかされていましょう。ばかされながらもその頃までは、まだ前後を忘却していなかった筈ですが、路地を出ると、すぐ近く、高い石磴が、くらがりに仄白い。深々とした夜気に包まれて階子のように見えるのが、──ご存じと思います。──故郷の一本松の上り口にそっくりです。
段の数はあるが、一も二もなく踏掛けた。
あたりに人ッ子一人なし、雨はしきる、相合傘で。
「──いよいよ道行です、何でしたっけ……
さらば最期のかねての覚悟。
女肌には緋のかたびらに、上は単衣の藍紺縞よ………………
でしたかね。」
という時、ふと見ると、おでん屋の燈でも、町通りでも気がつかなかった。暗夜の幻影、麻布銀座のあかりがさすか、その藍と紺の横縞の、お召……ですか、その単衣に、繻子ではないでしょうが、黒の織物に、さつきの柳の葉が絡ったような織出しの優しい帯をしめている。
──生霊か、死霊か、ここでその姿が消えるのではないかと、聞いている筆者は思った。さきに「近世怪談録」を見ているほどだから、その浅草新堀の西福寺うらの若侍とおなじく、横路地で冷たい手、といった時、もう片手きかないほどに氷ったのではないか、と危んだくらいであった。
「……やさしい、すずしい帯でした。
女肌には緋のかたびらに……
が、それが、なよなよとした白縮緬、青味がかった水浅黄の蹴出しが見える、緋鹿子で年が少いと──お七の処、磴が急で、ちらりと搦むのが、目につくと、踵をくびった白足袋で、庭下駄を穿いていました。」
──筆者はその時、二人の酒席の艶かな卓子台の上に、水浅黄の褄を雪なす足袋に掛けて、片裾庭下駄を揚げた姿を見、且つ傘の雫の杯洗にこぼるる音を聞いた。熟と、ともに天井を仰いだ直槙は、その丸髷の白い顔に、鮮麗な眉を、面影に見たらしい。──熟と、しばらくして、まうつむけのように俯向いた。酔っている。
「や、あなたは庭下駄を穿いていますね。」
吃驚して私が云った。
「いっそ脱ぎましょうか。」
「跣足になる……」
「ええ。」
「覚悟はいいんですか。」
「本望ですわ。」
「一本松へ着いてから。」
「ええ一本松へついてから。」
「一緒に草葉の蛍を見ましょう。」
「是非どうぞ。」
「そこまでは脱がせません、玉散る刃を抜く時に。」
が、例の牛蒡丸の洋杖で、そいつを捻くった処は、いよいよもって魅まれものです。
──さて、その一本松です。夜目に見て、前申した故郷の松にそのままです。一体、名所の松といえば、それが二本松、三本松でも、実際また絵で見なくても、いい姿はわかるものです、暗夜の遠燈の、ほの影に、それに靄をかけた小雨なんです。
──ああ、まだあすこをごらんにならない。──実は私もその夜がはじめてで。
事情あって、その後も、あの一本松、また寺の石磴のあたりまでは参りましたけれども、石磴を上ったって松も何もありはしません。磴は横です。真向うに、その夜、真暗な上り道がありました。一本松はその上なんです。石磴は、のぼると、……寺なのを、まつたくその時は知らなかった。のみならず、お目にかけたいくらい、あの石磴は妙です。あたりに何にもない中に立っているから、仄白い空の階子のようで、故郷の山道に似た処から、ひとりぎめに、私が先へ踏掛けた。ついて上ったのは、お冬さんなんですが、どうでしょう。庭下駄で捌く褄の媚かしさが、一段、一段、肩にも、腰にも、裳にも添って、上り切ると、一本松が見えたから不思議なんです。
「風はないのに、松の匂が襲うと一緒に、弱い女の肌の香が消えそうで。……実際身でしめ、袖で抱きたかった。
心細道、岩坂辿り、辿りついたはその松の蔭、
……その一本松よき死場所と、
かげの夫婦は手で抱合うて……
それから何でしたっけ。」
お冬が、
「……かくす死恥……ですわ、そんな、唄、うたってかまいませんか。
かくす死恥旗天蓋に、蛇目傘開いて肩身をすぼめ……
あれ、お燈明が、石燈籠に。
おとせあれ見よ、草葉の露に、青い幽迷な蛍火一つ……
蛍のようですわね。」
「お燈明。」
「ええ、ねえ、ごらんなさい、この松には女の乳を供えるんです。」
「飛んでもない、あなたの乳なぞ。……妬ける、妬けます。」
と云った。……乳とただ言われただけで、お冬さんの胸が雪白に見えるほど、私の目が、いいえ、お冬さんのいう言葉が、乳にかぎらず、草といえば、草、葉といえば、葉、露は、露、蛍は、蛍、燈明が燈明に見えたんです。何よりも一本松が一本松に、ありありと夜中に見えたんですから化されていたに違いない。いやそれ以上、魔法にやられていたのです、──「伝書」をお忘れになりますまい。ところで、唄の忘れた処は、その胸に手をあてて、お冬さんが思い出しては、つけてうたって、聞かせました。
「あの、……(わたしゃ蔭でもいといはせぬと、縋るおとせ)……何ですか、もんくでも私の口からだとあつかましい。」
「それはこっちでいう事ですが、何でしたっけな……縋るおとせをまた抱きしめて……
……縋るおとせをまた抱きしめて、女房過分な、こうなる身にも、露の影とは女の卑下よ、消ゆるわが身に永劫未来、たった一つの光はそなた。
あ、お燈明が、蛍が消えた。」
手を取りました。
「私も消えとうございますわ。」というのです。
──(同好の怪談は、ここでお冬さんが幽霊になって消えるのか、と筆者はまた思った、が、そうではなかった。)──
「私も消えとうございますわ。」
と、お冬さんがいった時です。松をしぶいて、ざっと大降りになった。単衣の藍、帯の柳、うす青い褄、白い足袋まで、雨明りというのに、濡々と鮮明した。
「傘では凌げません、雨宿りに、この中へ消えましょう。」
と、その姿で……ここは暗闇だ。お聞きになるあなたの目に、もう一度故郷の一本松を思い浮べて頂きたい。あの松の幹をです。立上りはしないで、傘なりに少し屈腰になって、その白い手で、トンと敲いたと思うと、蘭燈といいますか、かさなり咲いた芍薬の花に、電燈を包んだような光明がさして、金襴の衾、錦の褥、珊瑚の枕、瑠璃の床、瑪瑙の柱、螺鈿の衣桁が燎爛と輝いた。
覚悟をしました。たしかに伝来の魔法にかかった。下司と、鈍痴と、劣情を兼ね備えた奴として、この魔法にかからずにいられますか。
その上に大酔悩乱です。──一度はいつか、二日酔の朝、胸が上下に跳上り動悸をうつと、仰向けに寝ていて、茶の間の、めくり暦の赤い処が血を噴いた女の切首になって飛上り飛下りしたのを忘れない。それにもました惑乱です。
のめり込んで、錦爛の裡にぽかんとすると、
「一口、めしあがりますか。」
「何の事です、それじゃ狒々の老耄か、仙人の化物になる。」
と言ったんだから可恐しい。
狸穴の狸じゃないが、一本松の幹の中へ入った気で居て、それに供えるという処から、入りしなに壜に詰めた白いのを、鼻頭で掻分けたつもりで居る。それが朦朧として、何だかお冬さんの懐の中へ、つまみ込まれたようだったものですから。……何にしろ魔法にかかった、いよいよ魔法に掛ったに相違ない。一口、というのさえ酒でなしに、魔法に限ります、かかり切りになっていりゃ申分はありません。」
といって、肩のめりに、ぐったりと手を支いた。
この獅子屋さん、名も直槙が、くなくなになったから、余程おかしい。
いや、話は可笑しいのではないのである。
「御加護、たまわれ。」
……………………
──さて、かくて、曳船の卯の花の時の事、後に柳町の折とては、着て肌を蔽うほどのものもなかった、肌襦袢とあれだけでは、襖から透見も出来なかったことなど聞き、聞き……地蔵菩薩の白い豆府は布ばかり、渋黒い菎蒻は、ててらにして、浄玻璃に映り、閻魔大王の前に領伏したような気がして、豆府は、ふっくり、菎蒻は、痩せたり。二個の亡者は、奈落へ落込んだ覚悟で居る。それも良心の苛責ゆえでありましょうのに、あたりの七宝荘厳なのは、どうも変だ、といよいよ魔法にかかって、とろとろとしたと思う。
…………
「御加護たまわれ。」
かかる場所にて呼び奉るを、許させらるるよう、氏神を念じて起上った私は、薄掻巻を取って、引被せて、お冬さんを包んだのです。おさえた袖がわなわなと震えるのは、どうも踊るような自分の手で。──覚悟をすると、婦は耳も白澄むばかり、髪も、櫛も、中指も、しんとするほど静です。
「誰だ!」
どころじゃない。大きな天井に届く老婆の顔が、のしかかって、屏風越に、薄髭の頤でのぞいている……その凄さというものは。
もっとも、うとうととするうちに、もそりもそり裙で動いたものがある。鼠、いや、猫より大きい。しかも赤ッちゃけたものが、何か動く。紅いものといっては、お冬さんはちらりともつけていなかった。第一、身づくろいをするにしては、腰を上げ手を伸ばし、余りに人品が悪過ぎる。夢か、犬かと、思ったのが薄汚れた、赤袴です。赤袴の這身で忍んで、あらかじめ、お冬さんの衣桁にも掛けず嗜んで置いた、帯を掴み出していたのです。それを、柳に濡色な艶々と黒いのを、みしと蹈んで、突立ったのが、あと足で蹴退けると斉しく、
「誰だ、何が、誰だとは人間に向うてよういうた、にい。畜生のくせにして、おのれ。」
とその袴で、のしのしと出て坐った。黒の被布で、鈍色の単衣の白襟で、窪んだ目を睜いた。
「おお見た処が、まだ面相は人間じゃに、手は、足は、指なぞどうぞに、もう犬猫の毛が生えてはせぬか。どれ、掌など、ちょっと見せやれ。に、どれ、どれ。」
私は引払って手を引いた。幻に見えるのは、例の黒い瓶の煉薬です。──その向った柱には、どんな姿が、どんなありさまになっていたとお思いになります、これにかかっては堪らない。汚らわしい。
「何をするんだ。触っちゃ不可い。」
「触ったら嬉しかろ、難有いとおもいなされ、そりゃ犬猫に、お手々という処じゃがや。」
「犬猫、畜生とは何だ。口が過ぎよう。──間淵の妹。」
「うん、小山弥作──何で尼の口が過ぎる。畜生、というたが悪いと思うか。くろよ、くろよ、ぶちよ、ぶちよ、うふふ、うふふ。」
と、いやらしく口を割って、黄色い歯で笑ったあとを一睨み睨んだ。目が光って、
「この牡。」
「牡。」
余りの事に、私はむきと居直った。
「牡、牡よ。そっちの牝も髷の鬢が、頬先に渦毛を巻いとる、見しゃれ。人間の言葉が通ずるうちに、よう聞け、よう聞けや。
牝が傘さいて、この牡を送って出たまではよかったれどな、帰りが遅い。その遅いだけでさえもじゃ、お孝がどないにも気を揉んだいのう。起ったり居たり、門へ出る、路地を覗く。何をそわつくやら、尼も希有なと思うとるうちに、おでん屋で聞いたそうな、一本松の方へ、この雨の降る中、うせたとな。
お孝が早や、あわれや、見得も外聞もない。裙をくるりと、あの坂を走り上った。うれしやな、ああさん、と駆けよったのが、あの、ほの白い松の根の建札や、とにい、建札が顔に見えるようやったら、曝首じゃが、そらほどの罪……を、また犯いたぞ。」
その松の中へ、白鷺と梟が塒した夢は、ここではっきり覚めました。七宝の粧も螺鈿の衣桁もたちまち消えて、紗綾、縮緬も、藁、枯枝、古綿や桃色の褪せた襤褸の巣となったんです。
「かねてから私も知っとる、お孝はなお孝はな、……それがために、牝、われが身になって、食いものねだりの無理非道よりも泣かされたぞ、に、に。牝、牝も骨身……肩、腰、胸、腹、柔い膸まで響いてこたえておろうに。洞斎兄がや、足腰の立たん中気の病人がや、四年越、間がな、隙がな、牝の姿が立違うて、ちょっとの間見えぬでも、噛みついて、咽笛を圧伏せるようにゃ、気精を揉んだは何のためや、お冬おのれが、ここな、この、木彫師、直槙。」
私は呼吸を詰めた。
「小山さんじゃ。まだその時は牡、とはいうまい。また牝、ともいうまい。その時には、金輪際、みだら、ふしだらはなかった。また有るわけもないかじゃ事は、尼も、洞斎兄の身にかわって天地を見抜いてよう知っとる。じゃが、病人は、ただそれのみを、末期まで、嫉妬に嫉妬して、われの貞操を責め抜いたに、お冬も泣かされれば、尼かて、われの身になって見て、いとしゅうてならなんだ。
うう、因果やの、前世の業というは可恐しい。曳船でも、柳町でも、この直槙の形が家の内へ顕われると、棟、柱、梁に祟られた同然に、洞斎兄は影を消すように引越して、あとをくらまかいた、二十何年もたって、臨終にも、目を瞑らず、二世三世までも苦しんだ。嫉妬、怨念、その業因があればこそ、何の、中気やかて見事に治療をして見せる親身の妹──尼の示現の灸も、その効がなかったというもんやぞ、に。」
黒い瓶、いやその信玄袋を、ひしと掴んで、
「に、それやもんの、あだ果報な、牡めは、宿業として、それだけお冬に思われておった、自から夫の病人にその気が通ずる、に、に。それやよってじゃ、相合傘で送って出て、一本松にも居らぬとすりゃ、雨の中を、いつまでも、どこへどう行くもんや、つもっても知れておる。……知れるよってに、お孝が半狂乱じや、松の辺には居らぬと見て、駈けずり歩行いて、捜しまわった、脛の泥の、はねだらけで、や、お仏壇の前に、寝しなのお勤行をしておった尼の膝に抱きついた。これがや、はや、に、小猫が身を揉むように、
──助けて下さい、お媼さん──
と、いいか、
──私は畜生になります──
とじゃに。」
ただ引伏せた練絹に似た、死んだようなお冬の姿が、撓うばかりに揺れたのであります。
「私も、わけをきいて、う、五寸の焼釘を、ここの肝へ刺されたぞ。──畜生になります──とお孝がいうた一言じゃ。」
「どうしたんです。お孝さんが何をいったんだ。」
「言うか、言おうか。」
「ええ、可厭な息を掛けるない、何だ。」
「聞くか、聞くか。また、聞かさいで、おかりょうか。おのれら二人は、いい事にして、もと友だちの、うつくしい女房、たかが待合の阿媽。やかれても、あぶられても、今は後家や、天下晴れ察度はあるまいみだらじゃが、神仏、天道、第一尼らが弘法様がお許しないぞ。これ、牡。」
「お黙んなさいよ。」
「うンや黙らん、牡、いや、これ小山直槙どの。あんたは過ぎた──何の年、何の月、何の日の、雨の降る夜に、友だちと三人づれ、赤坂の……何の待合で……酔倒れて…………一夜あかいた……覚えがあるでしょ……でしょ……でしょ。……その時の……若い芸妓を………誰やと思う。」
(拳を握って、ハタと卓子台について、がっくり額を落したから、聞いている筆者は驚いた。)
「ああ。」
「もうその声が畜生の呻唸じゃ、どうじゃ、牡、何と思う。牝、どうや。」
と、尼婆がじりじりと枕へ詰寄せる。袴の赤いのが、お冬さんの細首を裂く血に見える。
「これ、夫の妹、おつかわしめの尼に対して、その形は何じゃい、手をつけ、踞め、起きされ、起きされ、これ。」
「はい。」
といって、前髪を枕にうつむいた。
「起きぬか。這え。これ、やっと片手をついた処は、片膝ももたげたじゃろ、に。左か、右か、毛縮緬などからめかいて、いやらしい、犬がしいこくとおなじじゃぞに、に、に。」
かッとなった、私は子供のうちから手にする鑿小刀は、今ぞ、この時のためではないか。畜生、いや、これは怪我にも口にすべきではない。飛びかかって、と思って、また悚然としました。
お冬も、ぶるぶると震えたんです。
「身を震わすの、身ぶるいするの、毛並を払ふの、雨のあとのや。」
「姨さん、殺して……殺して……」
「何、殺せじゃ、あははは、贅沢な。これ、犬ころしにはならぬぞ、弘法様のおつかわしめは。」
私はぐうたらな癖に、かッとなる、発作的短気がある。
「お冬さん、死のう。」
「……嬉しい。」
「ただし、婆を打殺して。」
「あれ、あなた、私だけ、私は覚悟をしています。」
「よい、よい、よい、よい。死ぬ、死のう。殺すとやに、そこまで覚悟がついたれば、気を落ちつけて聞きんされ。や、や、二人とも、よう聞きんされ。これまでは罰や、罪業に対する一応の訓戒じゃ。そこを助ける、生きながら畜生道に落ちる処を救いたまわる、現当利益、罰利生、弘法様はあらたかやぞ。
おつかわしめの尼がや、示現の灸で助けてあげる。……
形ある、形ない、形ある病疾、形ない悪業、罪障、それを滅するこの灸の功力ぞに。よって、秘法やぞに。この法は、業病難病、なみなみならぬ病ともまた違うて……大切な術ゆえに、装束をあらためて、はじめからその気で来たや。さ、どうや。お冬さん……もう牡牝はいわんぞ。お冬さん、あんたも知ってじゃろ、別しての秘法は、艾も青々となる瑠璃の白露のようながや。」
「助けて下さいまし、お尼さん、そうして、お灸は、どこへ。」
「魂は、胸三寸というわいの。」
「ええ。」
「鳩尾や、乳の間や。」
「……恥しい。」
「年でもあるまい。二十越した娘を育てたものが、何、恥しい。何、殿方に、ははは、こりゃ好いた人には娘のようじゃ。」
「夜もふけました、何事も明日にしてはいかがです。」
「滅相な、片時を争う。一寸のびても三寸の毛が生えようぞに。既に、一言を聞いた時、お孝には、もう施した。二人のためには手間は取られず、行方は知れぬ。こんな場席を、仏智力、法力をもって尋ねるのは勿体ない。よって、魔魅や、魔魅の目と導きで探って来たぞに、早う、なされんかに、お冬さん。」
「はい。」
「さ、お冬さん。」
「はい。」
「これ。」
「はい、でも。」
「ええ、うじうじして、畜生。」
「……お尼さん、助けて下さい。」
「それ、見され。」
黒い皺手で、雪の胸。……
「おお、軽々と柔こう、畜生になる処を、はや、ひっくり返った。」
がばと開けて、
「それ、救の手が届くと、はや、白い天人が仰向いたようじゃ。ええ、邪魔な。」
細い、霜を立てたように、お冬が胸に合せた両掌を、絹を裂くばかり肩ぐるみ、つかみ伸しに左右へ剖いた。
「熱うない、知っての通り、熱うない、そのかわり少し大いぞ。」
艾ですが、縦に二筋、数六つ。およそ一千疋の子を孕んだ蜘蛛の蠢くように、それが尼の手につれて、一つ一つ、青い動悸で、足を張って動く。……八つの乳となりはしないか、私は肩から氷をあびた。
「やの、したたかな冷汗や、胸へ走るの、流れるの、熱うはない。」
と吐いて、附木を持翳すと、火入の埋火を、口が燃えるように吹いて、緑青の炎をつけた、芬と、硫黄の臭がした時です。
「南無普賢大菩薩、文珠師利。……仕うる獅子も象も獣だ。灸は留めちまえ、お冬さん。畜生になろう、お互に。」
「おお、象よかろ、よかろ。手では短い、その、くにゃくにゃとした脚を片股もぎとって、美婦がった鼻へくッつけされ、さぞよかろ。」
「あ、あ。」
「その象結構だ、構うものか。」
「……いやです、あなたが獅子でも、象でも、私は女で、影にも添っていたいんです。」
──こんなに、いとしい思いをした覚えはない。
「よし。」
私は大胡坐で胸を開けた。
「尼さん、療治をうけよう。」
──火は熱いか、熱くないか、とおっしゃるんですか。いや、それは……
何だといって、六つずつ十二の煙が、群りまとい這いまつわる、附木の硫黄は、火の車で、鉄の鍋の中に、豆府と菎蒻がぐらぐらと煮える……申しますまい。口で言うだけでも、お冬さんを、我が手で苛め虐げるに斉しいんですから、ただ幻に見て、爪の尖まで、青くなった時に、お冬さんが一言幽にいいました。
「草葉の、露に、青い、蛍が、見えますわ。」
と手術でもうけたあとのように、やっと立って、それでも、だてじめの上へ帯を抱えたなりに、膝をなやして、戸を出る私の背に縋つて、送ろうとするのを、
「慎しみませい、灸の忌じゃ、男の傍へ寄ってもならん。」
と、袴をはだけて、立ちふさがって突きのけた。
「そこで、戸を膝行って出た私ですが、ふらふらと外へ出たのは一枚の開戸口で。──これが開いたのを、さきには一本松の幹だと思った。見ると、小さな露台があって、瀬戸の大鉢に松が植っています。一本松ではありません、何とかいう待合、同業の家だった。目の下が、軒並の棟を貫いて、この家の三階へ、切立てのように掛けた、非常口の木の階段だったのが分りました。いずれ、客の好奇心を嗾ろうといった誂えと見えます。確に寺の磴へ上ると思って、いつの間にか──これで庭下駄で昇った女に手を曳かれたのでは、霧に乗った以上でしょう。
ずり落ちる下界は、自動車が(ここへは通る)待っていました。傍に、家業がら余程奇を好んだと見えて、棕櫚の樹が鉢に突立ててある、その葉が獅子の頭毛のように見えて、私は、もう一度ぐらぐらと目が眩んだ、横雲黒く、有明に……
あけがた家に帰ってから、私は二月ばかり煩った。あとで、一本松、石磴の寺、その辺までは密と参りました。木戸をも閉めよ、貫木をも鎖せ、掛矢で飛込んでも逢いたい。心に焼くように、雪の家の空あたりが、血走る目で火の手になり、赤いまでに見えるけれども、炎を水にし氷にしても、お孝という、赤坂で一度間違いをした娘に顔が合わされません。
畜生でも構わない、逢えさえすれば……
心を削り、魂を切って、雌雄の──はじめは人の面のを、と思いました。女の方は黒髪を乱した、思い切って美しい白い相の、野郎の方は南瓜に向顱巻でも構わない。が、そんな異相な木彫とすると、どこの宮堂でも引取りません。全身の獅子を刻んで、一本松──あの附近の神社へ納めたんです。
名家の馬が草を食いに、夜、抜出たのではない。牝獅子の方が、どうした事か、間もなく石磴を飛んで裂けました。」
直槙はここで目を閉じた、が、はらはらと落涙した。
「……ちょうどその頃だと言います。人にはいえず、打明けては頼めない事ですから、そこいら差触りなく、おでん屋などに幅の利きそうな若い男を頼んで、あのあたりの様子を聞くと、雪の家のごしんぞは、気が狂ったろう、乳のまわり、胸に、六ところ、剃り落しても剃り落しても赤斑の毛が生える、浅間しさ、情なさに取詰めた、最後は、蜑女の絵が抜出したように取乱して、表二階の床の掛軸「喝」という字に、みしとくいつくと、払子をサッと切破いた、返す、ただ、一剃刀で。
この事があってから、婆さんの尼は、坂東三十三番に、人だすけの灸を施し、やがては高野山に上って更に修行をすると云って、飄然と家を出た。扮装が、男の古帽子を被り、草鞋で、片手に真黒な信玄袋、片手に山伏の貝を吹いて、横町をそのまま出ました。西の方、その坂東第一番に向った。その後沙汰はない。しかし、灸は実によく利いた。人間業に似ない、と界隈一帯、近く芝、となり赤坂辺まで、その行方を惜しむといいます。
──雪の家は、川崎辺へ越した、今はありません。
尼が畜生道に堕ちるのを救うといったのも、怪しい縁によって、私はおびき寄せたのも、……どうもはじめから、兄洞斎の、可恐い嫉妬の怨念に酬ゆる、復讐の呪詛だったとも思われません。しかしまた怪しい業通によって、かねて企図したものだったかも知れません。何にしても、私のために、かわいそうな、はかない、お冬……」
と、いうとともに、直槙は胸を切られたように、蒼ざめて、両手で肩を抱いたのでありました。
毛が生えていたかも知れない。血をはいていたかも知れない。その胸を、とは、さすがに筆者も聞き得なかった。
直槙がなくなって、もう三年になる。
筆者は、あの時以来、一本松へはまだ行って見ないで居る。恐れて毛並は見定めなかった、坂を駆出したのは、残った獅子だったかも知れません。
だから、家へ帰って、少しばかり足を気にしたのも、そんなにお笑いにはなるまいと思う。………
底本:「泉鏡花集成9」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年6月24日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十四卷」岩波書店
1940(昭和15)年6月30日第1刷発行
初出:「中央公論 第五十二年第十三號」
1937(昭和12)年12月
※訂正注記に際しては、底本の親本を参照しました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2012年9月18日作成
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