桜さく島
見知らぬ世界
竹久夢二



みち




あを野原のはらのなかを、しろみちがながく〳〵つヾいた。

はヽともあねとも乳母うばとも、いまはおぼえもない。

おぶさつたそのをんなくので、わたしもさそはれてわけはしらずに、ほろ〳〵いてゐた。

をんなかたほヽをよせると、キモノの花模様はなもやうなみだのなかにいたりつぼんだりした、しろ花片はなびら芝居しばゐゆきのやうにあほそらへちら〳〵とひかつてはえしました。

黄楊つげのさしぐしがおちたのかとおもつたら、それは三ヶみかづきだつた。

黒髪くろかみのかげの根付ねづけたまは、そらへとんでいつてはあをひかつた。

またあかかんざしのふさは、ゆら〳〵とゆれるたんびに草原くさはらへおちては狐扇きつねあふぎはなけた。

少年せうねん不可思議ふかしぎゆめは、しろみちをはてしもなく辿たどつた。







花道はなみちのうへにかざしたつくりざくらあひだから、なみだぐむだカンテラがかずしれずかヾやいてゐた。はやしがすむのをきっかけに、あのからひヾいてくるかとおもはれるやうなわびしい釣鐘つりがねがきこえる。

きん小鳥ことりのやうないたいけな姫君ひめぎみは、百日鬘ひやくにちかつら山賊さんぞくがふりかざしたやいばしたをあはせて、えいるこえにこの暇乞いとまごひをするのであつた。

     ぶつ

きらりとひか金属きんぞくのもとに、黒髪くろかみうつくしい襟足えりあしががっくりとまへにうちのめつた。血汐ちしほのしたヽる生首なまくびをひっさげた山賊さんぞくは、くろくちをゆがめてから〳〵からと打笑うちわらつた。

あヽお姫様ひいさまられたのか。

それは少年せうねんのためには「最初さいしよ発見はつけん」であつた。

もう姫君ひめぎみんだのだ、んでしまへば、もうこのはなも、とりも、うたも、ふたヽびきくこともみることもできないのだ。

なみだ少年せうねんむねをこみあげこみあげをながれた。

死顔しにがほ」も「くろわらひも」なみだにとけて、カンテラのひかりのなかへぎらぎらときえていつた、舞台ぶたい桟敷さじき金色こんじきなみのなかにたヾよふた。

そのとき黒装束くろせうぞく覆面ふくめんした怪物くわいぶつが澤村路之助丈えとめぬいたまくうらからあらはれいでヽあか毛布けつとをたれて、姫君ひめぎみ死骸しがいをば金泥きんでいふすまのうらへといていつてしまつた。

んだのではない、んだのではない、あれは芝居しばゐといふものだとはヽなみだをふいてくれた。

さうして少年せうねんのやぶれたこヽろはつくのはれたけれど、舞台ぶたいのうへで姫君ひめぎみのきられたといふことはわすれられない記臆きおくであつた。また赤毛布あかけつとうらをば、んだ姫君ひめぎみあるいたのも、不可思儀ふかしぎ発見はつけんであつた。




傀儡師くわいらいし





…………大阪おほさかをたちのいても、わたしが姿すがた

    たてば、借行輿かりかごをおくり………………

口三味線くちさみせん浄瑠璃じやうるりには飛石とびいしづたひにちかづいてくるのを、すぐわたしどもはきヽつけました。五十三つぎ絵双六ゑすごろくをなげだして、障子しやうじ細目ほそめにあけたあねたもとのしたからそつと外面とのもをみました。

四十ばかりのをとこでした、あたまには浅黄あさぎのヅキンをかぶり、には墨染すみぞめのキモノをつけ、あしもカウカケにつヽんでゐました、そのは、とほくにあをうみをおもはせるやうにかヾやいてゐました。ばうのさきには、よろいをきたサムライや、あか振袖ふりそでをきたオイランがだらりとくびをたれてゐました。

をとこ自分じぶんのかたる浄瑠璃じやうるりに、さもじやうがうつったやうな身振みぶりをして人形にんぎやうをつかつてゐました。

あかしかけをきた人形にんぎやうは、しろ手拭てぬぐひのしたにくろひとみをみひらいて、とほくきたたびをおもひやるやうにかほをふりあげました。

…………奈良なら旅籠はたご三輪みわ茶屋ちやや…………

    五、三をあかし…………

ゆびおりかぞえ

…………二十日はつかあまりに四十りやう、つかひはたし

    て二のこる、かねゆへ大事だいじ忠兵衛ちゆうべえ

    ん…………

といつて、かたはらにくびをたれた忠兵衛ちゆうべえをみやつたガラスのにはなみだがあるのかとおもはれました。

…………科人とがにんにしたもわたしから、さぞにくかろう

    おはらもたとう…………

おもひせまつて梅川うめかはは、たもとをだいてよろ〳〵よろ、わたしはうへよろめいて、はつとみとまつて、をあげたときしろゆびがかちりとつたのです。

わたしきながらおくへはしりこみました。




阿波鳴門順礼歌あはのなるとじゅんれいうた




ふるさとをはる〴〵

こヽに紀三井寺きみいでら

はなみやこちかくなるらん

「おつるしなないんですねえ、母様かあさま

「さいなあ、阿波あは鳴門なるとをこえて観音様くわんのんさまのお膝許ひざもとへいきやつたといのう」

「でも、おつるはお祖母様ばあさん手紙てがみ母様かあさまにみせたの」

「さいなあ、おつる母御はヽごは、その手紙てがみをおつるふところからとりだしてみながらよみながらおなきやつたといのう」

母様かあさま、おつるんだの」

「なんの、ぬものぞいの。おつる観音様くわんのんさまのお膝許ひざもとへいつたのやがな」

母様かあさま、おつるはなんてつてうたつたの」

さい河原かはら砂手本すなてほん

一ツつんでははヽのため

二ツつんではちヽのため

三千世界さんぜんせかいおや

死出しで旅路たびぢをふだらくや

あすのたれか添乳そへぢせん

「か……母様かあさま

「なあに」

「お……おつるしなないんですねえ」




はヽ




二人ふたり少年せうねんとまつたいへは、隣村りんそんにもだたる豪家がうかであつた。もんのわきにはおほきなひいらぎが、あをそらにそヽりたつてゐた。

わたしどもははしら障子しやうじほねくろずんだ隔座敷ざしきへとほされた。とこには棕梠しゆろをかいたぢくかヽつてゐたのをおぼえてゐる。

健作けんさくはヽでございます。学校がつかうではもう常住じやうぢう健作けんさくがお世話様せわさまになりますとてね」

とお母様かあさまはれて、わたしかほをしみ〴〵なさけぶかいひとみでみられた。

わたしをふせて、まへにおかれた初霜はつしもさら模様もやう視線しせんをやつてゐました。

「まあ」

と、おもひもかけぬこえにおどろいて、わたしははっとかほをあげたのです。

母様かあさまは、はしたないおこなひをおしつつむやうに

草之助さうのすけさんでござんしたか。ま、おほきくおなりやしたことわい、なんぼにおなりやんしたえ」

「十二です」

「まあそんなになりますかいなあ」とゆめみるまなざしをあげて「ようまあ、よつてくださんした」

おもひいつてこういはれた言葉ことばに、かつておもひもしらぬ感激かんげきをおぼえて、私はしみ〴〵とよそのおばさんをみました。くろくそめてまゆあほひとで、そのにはなみだがあつた。

縁側えんがは南天なんてんをみてゐたら、おばさんはうしろからわたしかたそでいて

「おばあさんもおたつしやですかえ」

ときかれた。

代紙よがみ江戸絵えどゑをお土産みやげにもらつて、あくむらへかへつてきました。

まつりれて友達ともだちのうちへとまつた一分始終いちぶしヾう祖母ばヾはなしてきかせました。すると、祖母ばヾをみはつて、そのかたはちヽ最初まへの「つれあひ」だつたとおどろかれました。

このから、少年せいねんのちいさいむねにはおほきなくろかたまりがおかれました。ねたましさににてうれしく、かなしさににてなつかしい物思ものおもひをおぼえそめたのです。くらのまへのサボテンのかげにかくれてはわたしとおなしにのわきに黒子ほくろのある、なつかしいそのひとのことを、人しれずおもひやるならはせとなつたのです。ですがわたしは、そのひとわたしの「みのはヽ」であるといふことをたしかめるのをおそれました。やつぱりよそのおばさんです。私は、さう思つてゐねばなりませんでした。




まどのムスメ




中窓ちうまど欄干てすりにもたれてあまだれをみてゐるムスメがあつた。

肩揚かたあげのある羽織はおりには、椿つばき模様もやうがついてゐた。かみはおたばこぼんにゆつてゐたやうにおもはれる。

俯向うつむいてゐたゆえ、かほはどんなであつたかそれはわからない。

けれど、五月雨さみだれころとて、淡青ほのあを空気くうきにへだてられたその横顔よこがほはほのかにおもひうかぶ。

戸外とのもにはカリンのがうはつて、淡紅うすくれなゐはなくらあめにはにたちまよふてゐた。

それが何時いつであつたとも、そのムスメがたれであつたともいまるよしもない。

はヽにきけど、そんなまどたことがないといふ。

あねにきけど、そのやうなムスメはらぬといふ。

そのころよんだリイダアなどのむすめかとおもふけれど、それもたしかでない。

ムスメはつひにうつむいたまヽ、いつまでも〳〵わたし記臆きおく青白あをじろかげをなげ、灰色はいいろ忘却ばうきやくのうへをぎんあめりしきる。




炬燵こたつのなか




………おにはのまえの亀岡かめをか

   きみをはじめてみるときは

   千代ちよもへぬべき心地ここちして………


美迦野みかのさんは、炬燵布団こたつぶとん綴糸とぢいとをまるいしろゆびではじきながら、離室はなれ琴歌ことうたこえをあはせた。

「あたしね、「黒髪くろかみ」をあげたらこんどは「春雨はるさめ」だわ。いヽわね。は め…………」

「……………………」

わたしはだまつて美迦野みかのさんのえくぼにうつとりとみとれてゐた。

草之助さうのすけさんてば返事へんじがない、いヽよめさんでもとつたのかい」

「…………」わたしわらつてゐた。

「なぜだまつてるのさ。なにかおこつたの」

「うヽん」

「さ、一がさした」

「二がさした」

「三がさした」

「四がさした」

「五がさした」

「六がさした」

「七がさした」

はちがさした、ぶん〳〵ぶん………」

「いや、美迦みかさんはあんまりひどくつねるんだものな」

「いたかつて、ごめんなさい」

そうつて美迦野みかのさんは、あまへたやうにしんなりとしなだれかヽつて

「まあおかあいそうに」

つて、あかくなつたわたしあつくちびるでひつたりとひました。布団ふとん眼深まぶかかにかぶつた小鳩こばとのやうに臆病をくびやう少年せうねんはおど〳〵しながらも、おんなのするがまヽにまかせてゐた。

少年せうねんおんなかほをみあげるのさえはづかしかつた。

底本:「桜さく島 見知らぬ世界」洛陽堂

   1912(明治45)年424日発行

※近代デジタルライブラリー(http://kindai.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。

※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字にあらためました。

※文中の「…」は底本では1文字あたり4点ないしは5点の点線ですが、文字の幅に合わせた「…」で代用しました。

※歴史的仮名遣いから外れたものも、底本通り入力しました。

※促音「っ」の小書きの混在は底本のままとしました。

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:土屋隆

校正:田中敬三

2005年822日作成

2010年111日修正

青空文庫作成ファイル:

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