桜さく島
春のかはたれ
竹久夢二
|
暮れゆく春のかなしさは
歌ふをきけや爪弾の
「おもひきれとは死ねとの謎か
死ぬりや野山の土となる」
「春信」の
女の髪をすべりたる
黄楊の小櫛か
月の影。
「どうせ売られる身ぢやほどに
静かに漕やれ 勘太殿」
秋の日は
赤い蜻蛉のかはたれに
塀の蔭から青頭巾。
やれ人買ぢや、人買ぢや
何処へ迯げようぞ、隠れようぞ。
赤い蜻蛉が飛びまわる。
思ひあまりて御籤を引けば
なんとせうぞの凶と出る。
いつそ打明け話さうか
ひとりで泣いて済さうか。
えヽなんとせう川柳。
トコ ドンドコ ピイ ヒヤラヒヤア
麦の上をば風が吹く。
役者の群にはぐれたる
子供心のはかなさは
……うちの浦のちさの木に
雀が三羽とうまつて
一羽の雀がいふことにや
ゆふべ御座つた花嫁御
何が悲しゆてお泣きやるぞ
お泣きやるぞ………………
今のわが身につまされて
ほろりほろりと泣いてゆく。
黄な袋のセメンエン
熱ある舌にしみる時。
暗い空から雪が降る。
炬燵の上の黒猫の
青い瞳の光る時。
柩の屋根へ雨が降る。
……チン ツン くどけば なぁびく
チツツン ツントン 相生の松……
口三味線の足拍子
空気草履の柔かさ。
肩のうへでは花色の
日傘がまわる絵がまわる。
……またいついつもの約束の チンツン
日をまつ 時まつ 暮をまあつ……
角兵衛獅子の悲しさは
親が太鼓打ちや、子が踊る。
股の下から峠を見れば
もしや越後の山かと思ひ
泣いてたもれなとも〴〵に。
角兵衛獅子の身の辛さ
輪廻はめぐる小車の
蜻蛉がへりの日も暮れて
旅籠をとるにも銭はなし
逢の土山雨が降る。
一や
二や
お駒さん。
煙草の けむりは
丈八つあん…………
とん〳〵とんとつく手鞠。
白い指からはなれて見れど
未練が残るといつたよに
やるせないよに往来する。
ゆら〳〵ゆれる伊達帯から
江戸紫の日が暮れる。
三や
四や
夕霧さん………
春の夜の、夢の一つはかくなりき。
丹塗の欄の長廊に
散りくる花を舞扇
うけて笑みたる「歌麿の
女」の青き眉を見き。
冬の夜の、夢一つはかくなりき。
黒き頭巾を被りたる
人買の背に泣いじやくり
山の岬をまわる時、
「廣重の海」ちらと見き。
雪の降る日は、駒鳥の
紅い胸毛のおど〳〵と
風に吹かれるやるせなさ。
雪の降る日に、小雀は
赤い木の実が食べたさに
そっと見に出るいぢらしさ。
(ねんねしなされ。まだ日は高い
暮りやお寺の鐘がなぁる。)
村のはづれにちら〳〵するは
虫か蛍か人魂か。
さうじやない〳〵。母さんの
点けさしやんした雪洞が
風に吹れてゐるわいな。
(ねんねしなされ。まだ夜は夜中
明りやお寺の鐘がなぁる。)
山のうへをばふわ〳〵飛ぶは
鳥か獣か三ヶ月か。
さうじやない〳〵。母さんの
小袖に染めた牡丹の花が
雨に降られてゐるわいな。
雲に別れて野に降りし
雨のこヽろのやるせなさ
思ひまゐらせ候〓(「まいらせそろ」の草書体文字)
空になげたる彩文は
森にかヽりし虹かいな。
雪の降る夜のかなしさに
姉の小袖をそと被つぎ
「……でんちうじや、はりひぢじや
島さん、紺さん、なかのりさん……」
踊りくたびれ「袖萩」の
肩に小袖をうちかけて
涙ながらの 芝居事
「寒かろうとて着せまする」
このまあつもる雪わいの。
行灯のかげにとつおいつ
娘ごころの羞しや
何と答もしら紙の
膝のうへにて鶴を折る。
隣のとなさん、何処へいた。
向ふのお山へ花摘みに
露草 つら〳〵月見草。
一枝折れば、ぱっと散る
二枝折れば、ぱっと散る
三枝がさきに日が暮れて
東の紺屋へ宿とろか、
南の紺屋へ宿とろか。
東の紺屋は赤い窓、
南の紺屋は青い窓。
南の紺屋へ宿とれば、
夜着は短かし夜は長し。
うつら〳〵とするうちに
青い窓から夜があけた。
底本:「桜咲く島 春のかはたれ」洛陽堂
1912(明治45)年2月24日発行
※近代デジタルライブラリー(http://kindai.ndl.go.jp/)で公開されている当該書籍画像に基づいて、作業しました。
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の表記を新字にあらためました。
※文中の「…」は底本では1文字あたり4点ないしは5点の点線ですが、文字の幅に合わせた「…」で代用しました。
※歴史的仮名遣いから外れたものも、底本通り入力しました。
※促音「っ」の小書きの混在は底本のままとしました。
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:土屋隆
校正:田中敬三
2005年8月22日作成
2010年11月1日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。