葛飾砂子
泉鏡花



縁日  柳行李  橋ぞろえ  題目船  衣の雫  浅緑


記念ながら


     縁日


       一


 先年尾上おのえ家の養子で橘之助きつのすけといった名題俳優やくしゃが、年紀とし二十有五に満たず、肺を煩い、余り胸が痛いから白菊の露が飲みたいという意味の辞世の句を残してはかのうなり、贔屓ひいきの人々はうまでもなく、見巧者みごうしゃをはじめ、芸人の仲間にも、あわれ梨園の眺め唯一の、白百合一つしぼんだりと、声を上げて惜しみ悼まれたほどのことである。

 深川富岡門前に待乳まっち屋と謂って三味線さみせん屋があり、その一人娘で菊枝という十六になるのが、秋も末方の日が暮れてから、つい近所の不動の縁日にまいるといって出たのが、十時半過ぎ、かれこれ十一時に近く、戸外おもて人通ひとどおりもまばらになって、まだ帰って来なかった。

 別に案ずるまでもない、おなじ町の軒並び二町ばかり洲崎すさきの方へ寄った角に、浅草紙、束藁たわし懐炉灰かいろばい蚊遣香かやりこうなどの荒物、烟草たばこも封印なしの一銭五厘二銭玉、ぱいれっと、ひーろーぐらいな処を商う店がある、真中まんなかが抜裏の路地になって合角あいかどに格子戸づくり仕舞家しもたやが一軒。

 江崎とみ、と女名前、何でも持って来いという意気づくりだけれども、この門札かどふだは、さるたぐいの者の看板ではない、とみというのは方違いの北のくるわ、京町とやらのさるうちに、博多はかたの男帯をうしろから廻して、前で挟んで、ちょこなんと坐って抜衣紋ぬきえもんで、客の懐中ふところを上目で見るいわゆる新造しんぞなるもので。

 三十の時から二階三階を押廻して、五十七の今年二十六年の間、遊女八人の身抜みぬけをさしたと大意張おおいばりの腕だから、家作などはわがものにして、三月ばかり前までは、出稼でかせぎの留守を勤めあがりの囲物かこいもの、これは洲崎に居た年増としまに貸してあったが、その婦人おんなは、この夏、弁天町の中通なかどおりに一軒引手茶屋ひきてぢゃやの売物があって、買ってもらい、商売をはじめたので空家になり、また貸札でも出そうかという処へ娘のお縫。母親の富とは大違いな殊勝な心懸こころがけ、自分の望みで大学病院で仕上げ、今では町住居ずまいの看護婦、身綺麗みぎれいで、容色きりょうくって、ものが出来て、深切で、おとなしいので、寸暇のない処を、近ごろかの尾上家に頼まれて、橘之助の病蓐びょうじょくに附添って、息を引き取るまで世話をしたが、多分の礼も手に入るる、山そだちは山とか、ちと看病づかれも出たので、しばらく保養をすることにして帰って来て、ちょうど留守へ入ってひとりで居る。菊枝は前の囲者が居た時分から、縁あってちょいちょい遊びに行ったが、今のお縫になっても相変らず、……きっとだと、両親ふたおやが指図で、小僧兼内弟子の弥吉やきちというのをむかいに出すことにした。

「菊枝が毎度出ましてお邪魔様でございます、難有ありがとう存じます。それから菊枝に、病気揚句だ、夜更よふかしをしてはくないからお帰りと、こう言うのだ。てめえまたかりん糖の仮色こわいろを使って口上を忘れるな。」

 坐睡いねむりをしていたのか、寝惚面ねぼけづらで承るとむっくと立ち、おっと合点お茶の子で飛出した。

 わっしょいわっしょいとう内に駆けつけて、

「今晩は。」というと江崎が家の格子戸をがらりと開けて、

「今晩は。」

 時に返事をしなかった、上框あがりがまちの障子は一枚左の方へ開けてある。取附とッつきが三畳、次のあかりいていた、弥吉は土間の処へ突立つったって、委細構わず、

「へい毎度出ましてお邪魔様でございます、難有ありがとう存じます。ええ、菊枝さん、姉さん。」


       二


「菊枝さん、」とまた呼んだが、誰も返事をするものがない。

 立続けに、

「遅いからもうお帰りなさいまし、風邪を引くと不可いけません。」

 弥吉は親方の吩咐いいつけに註を入れて、我ながらうまく言ったと思ったが、それでもなお応じないから、土間の薄暗い中をきょろきょろとみまわしたが、そっと、かまちに手をついて、及腰およびごしに、高慢な顔色かおつきで内をすかし、

「かりん糖でござい、評判のかりん糖!」と節をつけて、

「雨が降ってもかりかりッ、」

 どんなものだ、これならばあらわれよう、弥吉は菊枝とお縫とが居ないふりでかつぐのだと思うから、笑い出すか、噴き出すか、くすくするか、叱るかと、ニヤニヤひとりで笑いながら、耳をすましたけれども沙汰さたがない、時計の音が一分ずつ柱を刻んで、うしお退くように鉄瓶のひびき、心着けば人気勢ひとけはいがしないのである。

可笑おかしいな、」と独言ひとりごとをしたが、念晴しにもう一ツわめいてみた。

「へい、かりん糖でござい。」

 それでも寂寞ひっそり、気のせいかあかりも陰気らしく、立ってる土間は暗いから、くさめを仕損なったような変な目色めつきで弥吉は飛込んだ時とは打って変り、ちと悄気しょげた形で格子戸を出たが、後を閉めもせず、そのままには帰らないで、溝伝いにちょうど戸外おもてに向った六畳の出窓の前へ来て、背後向うしろむきりかかって、前後あとさきみまわして、ぼんやりする。

 がらがらと通ったのは三台ばかりの威勢の腕車くるま、中に合乗あいのりが一台。

「ええ、驚かしゃあがるな。」と年紀としにはない口を利いて、大福餅が食べたそうに懐中ふところに手を入れて、貧乏ゆるぎというのをる。

 処へ入乱れて三四人の跫音あしおと、声高にものを言い合いながら、早足でちかづいて、江崎の前へ来るとちょっとよどみ、

「どうもお嬢さん難有ありがとうございました。」こういったのは豆腐屋の女房かみさんで、

「飛んだお手数でしたね。」

「お蔭様だ。」ととめという紺屋の職人が居る、魚勘うおかん親仁おやじが居る、いずれも口々。

 中にはさまったのが看護婦のお縫で、

「どういたしまして、誰方どなたも御苦労様、御免なさいまし。」

「さようなら。」

「お休み。」

 互に言葉をかわしたが、つれの三人はそれなり分れた。

 ちょっとたたずんで見送るがごとくにする、お縫は縞物しまものの不断着に帯をお太鼓にちゃんと結んで、白足袋を穿いているさえあるに、髪が夜会結やかいむすび。一体ちょんまげより夏冬の帽子に目を着けるほどの、土地柄に珍しい扮装なりであるから、新造の娘とは知っていても、となえるにお嬢様をもってする。

 お縫は出窓の処に立っている弥吉には目もくれず、くびすを返すと何かせわしらしく入ろうとしたが、格子も障子も突抜けにあけッ放し。思わず猶予ためらって振返った。

「お帰んなさい。」

「おや、待乳屋さんの、」と唐突だしぬけに驚く間もあらせず、

「菊枝さんはどうしました。」

「お帰んなすったんですか。」

 いささか見当が違っている。

「病気揚句だしもうお帰んなさいって、へい、迎いに来たんで。」

「どうかなさいましたか。」と深切なものいいで、門口かどぐちに立って尋ねるのである。

 小僧は息をはずませて、

「一所に出懸けたんじゃあないの。」

「いいえ。」



     柳行李


       三


「へい、おかしいな、だって内にゃあ居ませんぜ。」

「なに居ないことがありますか、かつがれたんでしょう、呼んで見たのかね。」

「呼びました、わめいたんで、かりん糖の仮声こわいろまで使ったんだけれど。」

 お縫は莞爾にっこりして、

「そんな串戯じょうだんをするから返事をしないんだよ。まあお入んなさい、御苦労様でした。」と落着いて格子戸をくぐったが、土間をすかすと天鵝絨とうてんの緒の、小町下駄を揃えて脱いであるのにきっと目を着け、

「御覧、履物があるじゃあないか、何を慌ててるんだね。」

 弥吉は後について首を突込つっこみ、

「や、そいつあ気がつかなかったい。」

「今日はね河岸かしへ大層着いたそうで、まぐろあたらしいのがあるからおすきな赤いのをと思ってきいちゃんを一人ぼっちにして、角の喜の字へくとね、帰りがけにお前、」と口早に話しながら、お縫は上框あがりがまちの敷居の処でちょっとかがみ、くだんの履物を揃えて、

「何なんですよ、あしの湯の前まで来ると大勢立ってるんでしょう、恐しく騒いでるから聞いてみると、銀次さんとこの、あの、刺青ほりものをしてるお婆さんが湯気にあがったというものですから、世話をしてね、どうもお待遠様でした。」

 と、ふすまを開けてその六畳へ入ると誰も居ない、お縫は少しも怪しむ色なく、

「堪忍して下さい。だもんですから、」ずっと、長火鉢の前を悠々とはすに過ぎ、帯の間へ手を突込つっこむと小さな蝦蟇口がまぐちを出して、ちゃらちゃらと箪笥たんすの上に置いた。門口かどぐちの方をすかして、

「小僧さん、まあお上り、菊枝さん、きいちゃん。」と言って部屋の内をみまわすと、ぼんぼん時計、花瓶の菊、置床の上の雑誌、貸本が二三冊、それから自分の身体からだが箪笥の前にあるばかり。

 はじめて怪訝おかしな顔をした。

「おや、きいちゃん。」

「居やあしねえや。」と弥吉は腹ンばいになって、のぞいている。

「弥吉どん。本当に居ないですか、菊ちゃん。」とお縫は箪笥に凭懸よりかかったまま、少し身を引いて三寸ばかりいている襖、寝間にしておく隣のなが四畳のその襖に手を懸けたが、ここに見えなければいよいよ菊枝が居ないのにきまるのだと思うから、気がさしたと覚しく、猶予ためらって、腰を据えて、筋のしまって来る真顔は淋しく、お縫は大事を取る塩梅あんばいそっと押開けると、ただ中古ちゅうぶるの畳なり。

「あれ、」といいさまつかつかと入ったが、あわただしく、小僧を呼んだ。

「おっ、」と答えて弥吉は突然いきなり飛込んで、

「どう、どう。」

「お待ちなさいよ、いえね、弥吉どん、お前来るみち逢違あいちがいはしないだろうね、履物はあるし、それにしちゃあ、」

 呼び上げておきながら取留めたことを尋ねるまでもなく、お縫は半ば独言ひとりごとふたのあいた柳行李やなぎごうりの前に立膝になり、ちょっと小首を傾けて、向うへ押して、ころりと、仰向けに蓋を取って、右手を差入れて底の方からもたげてみて、その手を返して、畳んだ着物を上から二ツ三ツおさえてみた。

「お嬢さん、盗賊どろぼう?」と弥吉はたまりかねて頓興とんきょうな声を出す。

「待って頂戴。」

 お縫は自らおのが身を待たして、蓋を引いたままじっとして勝手許かってもとしまっている一枚の障子を、その情の深い目でみつめたのである。


       四


「弥吉どん。」

「へい、」

「おいで、」と言うや否や、ずいと立ってくだん台所だいどこの隔ての障子。

 柱につかまってのぞいたから、どこへおいでることやらと、弥吉はうろうろする内に、お縫はすそを打って、ばたばたと例の六畳へ取って返した。

 両三度あちらこちら、ものに手を触れて廻ったが、台洋燈だいランプを手に取るとやがてまた台所。

 そのたもとに触れ、手に触り、寄ったり、放れたり、筋違すじちがい退いたり、背後うしろへ出たり、附いて廻って弥吉は、きょろきょろ、目ばかりきらめかして黙然だんまりで。

 お縫は額さきに洋燈ランプを捧げ、血が騒ぐか細おもての顔を赤うしながら、お太鼓の帯の幅ったげに、後姿で、すっと台所へ入った。

 と思うと、湿しめりッけのする冷い風が、さっと入り、洋燈の炎尖ほさき下伏したぶしになって、ちらりとあおく消えようとする。

 はっと袖で囲ってお縫は屋根裏を仰ぐと、引窓がいていたので、すす真黒まっくろな壁へ二条ふたすじ引いた白い縄を、ぐいと手繰ると、かたり。

 引窓の閉まる拍子に、物音もせず、五ばかりの丸い灯は、口金から根こそぎいで取ったように火屋ほやの外へふッとなくなる。

いやだ、消しちまった。」

 勝手口は見通しで、二十日に近い路地の月夜、どうしたろう、ここの戸はしまっておらず、右に三軒、左に二軒、両側の長屋はもう夜中で、あかるい屋根あり、暗い軒あり、影は溝板どぶいたの処々、その家もここも寂寞ひっそりして、ただ一つ朗かな蚯蚓みみずの声が月でも聞くと思うのか、鳴いている。

 この裏を行抜ゆきぬけの正面、霧のあやも遮らず目の届く処に角が立った青いもののちらばったのは、一軒飛離れて海苔粗朶のりそだの垣を小さく結った小屋でく貝の殻で、その剥身むきみ屋のうしろに、薄霧のかかった中は、直ちに汽船の通う川である。

 ものの景色はこれのみならず、間近な軒のこっちからさおを渡して、看護婦が着る真白まっしろ上衣うわぎが二枚、しまい忘れたのが夜干よぼしになってかかっていた。

「おばけ。」

「ああ、」とばかり、お縫は胸のあたりへさっと月を浴びて、さし入る影のきれぎれな板敷の上へ坐ってしまうと、

あかりを消しましたね。」とお化の暢気のんきさ。



     橋ぞろえ


        五


「さあ、おい、起きないか起きないか、石見橋いわみばしはもう越した、不動様の前あたりだよ、すぐ八幡様はちまんさまだ。」と、しまの羽織で鳥打をかぶったのが、胴のに円くなって寝ている黒の紋着もんつきを揺り起す。

 一行三人の乗合のりあいで端に一人仰向あおむけになってふなばたひじを懸けたのが調子低く、

つくだ々と急いでげば、

  潮がそこりてが立たぬ。

 と口吟くちずさんだ。

 けれども実際この船は佃をさして漕ぐのではない。且つ潮がそこるどころの沙汰ではない。昼過ひるすぎからがらりと晴上って、蛇の目のからかさを乾かすような月夜になったが、昨夜ゆうべから今朝へかけて暴風雨あらしがあったので、大川は八の出水、当深川の川筋は、縦横曲折至る処、潮、満々とたたえている、そして早船乗はやぶねのり頬冠ほおかぶりをした船頭は、かかるのひっそりした水に声を立てて艪をぎいーぎい。

 砂利船、材木船、泥船などをひしひしともやってある蛤町はまぐりちょうの河岸を過ぎて、左手に黒い板囲い、㋚〓(丸大)(「重なった「へ」/一」)と大きく胡粉ごふんで書いた、中空に見上げるような物置の並んだ前を通って、蓬莱橋ほうらいばしというのにかかった。

 月影に色ある水は橋杭はしぐいを巻いてちらちらと、うねって、横堀に浸した数十本の材木が皆動く。

「とっさんここいらで、よく釣ってるが何が釣れる。」

 船顎、

沙魚はぜ鯔子おぼこが釣れます。」

「おぼこならば釣れよう。」と縞の羽織が笑うと、舷に肱をついたのが向直って、

「何あてになるものか。」

って御覧ごろうじろ。」と橋の下を抜けると、たちまち川幅が広くなり、土手が著しく低くなって、一杯の潮はなかだかあふれるよう。左手ゆんでみさき蘆原あしはらまで一望びょうたる広場ひろっぱ、船大工の小屋が飛々とびとび、離々たる原上の秋の草。風が海手からまともに吹きあてるので、満潮の河心へ乗ってるような船はここにおいて大分揺れる。

「釣れる段か、こんな晩にゃあうなぎが船の上を渡り越すというくらいな川じゃ。」と船頭は意気すこぶあがる。

「さあ、心細いぞ。」

「一体この川は何という。」

「名はねえよ。」

「何とかありそうなものだ。」

「石見橋なら石見橋、蓬莱橋なら蓬莱橋、蛤町の河岸なら蛤河岸さ、八幡前、不動前、これが富岡門前の裏になります。」という時、小曲こまがりをして平清ひらせいの植込の下なる暗い処へ入って蔭になった。川面かわづらはますますあかるい、船こそ数多あまたあるけれども動いているのはこの川にこれただ一そう

「こっちの橋は。」

 間近くにじのごとくかかっているのを縞の羽織が聞くと、船頭の答えるまでもなく紋着が、

汐見橋しおみばし。」

さみしいな。」

 この処の角にして船が弓なりに曲った。寝息も聞えぬ小家こいえあまた、水に臨んだ岸にひょろひょろとした細くって低い柳があたかも墓へ手向けたもののように果敢はかなく植わっている。土手は一面の蘆で、折しも風立って来たからさっなびき、颯と靡き、颯と靡く反対の方へ漕いで漕いで進んだが、白珊瑚しろさんごの枝に似た貝殻だらけの海苔粗朶のりそだうずたかく棄ててあるのに、根を隠して、薄らあおい一基の石碑が、手の届きそうな処に人の背よりも高い。


       六


「おお、気味悪い。」とふなばたを左へ坐りかわったしまの羽織は大いに悄気しょげる。

「とっさん、何だろう。」

「これかね、寛政子年ねどし津浪つなみ死骸しがいかたまっていた処だ。」

 正面に、

葛飾郡かつしかごおり永代築地

 とりつけ、おもてから背後うしろ草書はしりがきをまわして、

 此処このところ寛政三年波あれの時、家流れ人死するもの少からず、此の後高波の変はかりがたく、溺死できしの難なしというべからず、これに寄りて西入船町を限り、東吉祥寺前に至るまでおよそ長さ二百八十間余の所、家居いえい取払い空地となし置くものなり。

 と記してかたわらに、寛政六年甲寅きのえとら十二月 日とある石の記念碑である。

「ほう、水死人の、そうか、わば土左衛門塚。」

「おっと船中にてさようなことを、」と鳥打はつむりをすくめて、

「や!」

 響くはすさまじい水の音、神川橋の下をくぐって水門を抜けて矢を射るごとく海に注ぐながれの声なり。

念入ねんいりだ、恐しい。」と言いながら、寝返ねがえりの足で船底を蹴ったばかりで、いまだに生死しょうじのほども覚束おぼつかないほど寝込んでいるつれの男をこの際、十万の味方とはげしく揺動かして、

「起きないか起きないか、ひどく身に染みて寒くなった。」

 やがて平野橋、一本ひともと二本蘆の中にまじったのが次第に洲崎のこのあたり土手は一面の薄原すすきばら、穂の中から二十日近くの月を遠く沖合の空に眺めて、潮が高いから、人家の座敷下の手すりとすれずれの処をゆらりと漕いだ、河岸についてるのは川蒸汽で縦に七そうばかり。

「ここでも人ッ子を見ないわ。」

「それでもちっとは娑婆しゃばらしくなった。」

「娑婆といやあ、とっさん、この辺で未通子おぼこはどうだ。」と縞の先生活返いきかえっていやごとを謂う。

「どうだどころか、もしお前さん方、この加賀屋じゃ水から飛込むうおを食べさせるとって名代なだいだよ。」

「まずそこらでし、船がぐらぐらと来て鰻の川渡りは御免こうむる。」

「ここでは欄干てすりから這込はいこみます。」

「まさか。」

「いや何ともいえない、青山辺じゃあ三階へ栗が飛込むぜ。」

「大出来!」

 船頭もどっと笑い、また、

佃々と急いで漕げば、

  潮がそこりて艪が立たぬ。

 程なく漕ぎ寄せたのは弁天橋であった、船頭はへさきのりかえ、さおを引いて横づけにする、水は船底をめるようにさらさらと引いて石垣へだぶり。

「当りますよ。」

「活きてるか、これ、」

 二度までゆすられても人心地のないようだった一名は、この時わけもなくむっくと起きて、真先まっさきに船から出たのである。

「待て、」といいつつ両人、懐をおさえ、つまを合わせ、羽織のひもめなどして、履物を穿いてばたばたとおかあがって、一団ひとかたまりになると三人言い合せたように、

「寒い。」

「おしずかに。」といって、船頭は何か取ろうとして胴の間の処へ俯向うつむく。

 途端であった。

 耳許みみもとにドンと一発、船頭も驚いてしゃっきり立つと、目のさきへ、火花が糸を引いて𤏋ぱっと散って、川面かわづらで消えたのが二ツ三ツ、不意に南京なんきん花火を揚げたのは寝ていたかの男である。

 ひとしく左右へ退いて、呆気あっけに取られたつれ両人ふたりを顧みて、呵々からからと笑ってものをもいわず、真先まっさきに立って、

 鞭声べんせい粛々!──



     題目船


       七


「何じゃい。」と打棄うっちゃったように忌々いまいましげにつぶやいて、頬冠ほおかぶりを取って苦笑にがわらいをした、船頭は年紀とし六十ばかり、せて目鼻にかどはあるが、一癖も、二癖も、額、まなじり口許くちもとしわに隠れてしおらしい、胡麻塩ごましお兀頭はげあたま、見るから仏になってるのは佃町のはずれに独住居ひとりずまいの、七兵衛という親仁おやじである。

 七兵衛──この船頭ばかりは、仕事のしまいにも早船をここへつないで戻りはせぬ。

 毎夜、弁天橋へ最後の船を着けると、後へ引返ひっかえしてかの石碑の前をいで、蓬莱橋まで行ってその岸の松の木にもやっておいてあがるのがならいで、風雨のはげしい晩、休む時はさしき、年月夜ごとにきっとである。

 且つ仕舞船を漕ぎ戻すに当っては名代の信者、法華経第十六寿量品じゅりょうぼん自我得仏来じがとくぶつらいというはじめから、速成就仏身そくじょうじゅぶつしんとあるまでを幾度いくたびとなく繰返す。連夜の川施餓鬼かわせがきは、善か悪か因縁があろうと、この辺ではうわさをするが、十年は一昔、二昔も前から七兵衛を知ってるものも別に仔細しさいというほどのことを見出さない。本人も語らず、またかかる善根功徳、人がとがめるどころの沙汰さたではない、もとより起居に念仏を唱える者さえある、船で題目を念ずるに仔細は無かろう。

 されば今宵こよいも例に依って、船のへさきを乗返した。

 腰をひねって、艪柄ろづかを取って、一ツおすと、岸を放れ、

「ああ、い月だ、妙法蓮華経如来みょうほうれんげきょうにょらい寿量品第十六自我得仏来、所経諸劫数しょきょうしょごうすう無量百千万億載阿僧祇むりょうひゃくせんまんおくさいあそうぎ、」とじゅしはじめた。風もしずかに川波の声も聞えず、更けくにつれて、三押みおしに一度、七押に一度、ともすれば響く艪の音かな。

常説法教化無数億衆生爾来無量劫じょうせっぽうきょうげむすうおくしゅじょうじらいむりょうごう。」

 のりの声は、あしを渡り、柳に音ずれ、蟋蟀きりぎりすの鳴き細る人の枕に近づくのである。

 本所ならば七不思議の一ツに数えよう、月夜の題目船だいもくぶね、一人船頭。界隈かいわいの人々はそもいかんの感を起す。苫家とまや伏家ふせやともしびの影も漏れないはさこそ、朝々の煙も細くかの柳を手向けられた墓のごとき屋根の下には、子なき親、夫なき妻、乳のない嬰児みどりご盲目めくらおうな、継母、寄合身上よりあいしんしょうで女ばかりで暮すなど、あわれ果敢はかない老若男女ろうにゃくなんにょが、見る夢も覚めた思いも、大方この日が照る世の中のことではあるまい。

 ひげある者、腕車くるまを走らす者、外套がいとうを着たものなどを、同一おなじ世に住むとは思わず、同胞はらからであることなどは忘れてしまって、憂きことを、憂しと識別することさえ出来ぬまで心身ともに疲れ果てたその家この家に、かくまでに尊い音楽はないのである。

衆生既信伏質直意柔軟しゅじょうきしんぷくしちじきいにゅうなん一心欲見仏いっしんよくけんぶつ不自惜身命ふじじゃくしんみょう、」と親仁は月下に小船を操る。

 諸君が随処、淡路島通う千鳥の恋の辻占つじうらというのを聞かるる時、七兵衛の船は石碑のある処へかかった。

 いかなる人がこういう時、この声を聞くのであるか? ここに適例がある、富岡門前町のかのお縫が、世話をしたというから、菊枝のことについて記すのにちっとも縁がないのではない。

 幕府の時分旗本であった人のむすめで、とあるうちに身を沈めたのが、この近所に長屋を持たせくるわ近くへ引取って、病身な母親と、長煩いで腰の立たぬ父親とを貢いでいるのがあった。


       八


 少なからぬ借金で差引かれるのが多いのに、稼高かせぎだかの中から渡される小遣こづかい髪結かみゆいの祝儀にも足りない、ところを、たといおも湯にしろ両親が口を開けてその日その日の仕送しおくりを待つのであるから、一月とまとめてわずかばかりの額ではないので、毎々借越かりこしにのみなるのであったが、暖簾名のれんな婦人おんなと肩を並べるほど売れるので、内証でにくい顔もしないで無心に応じてはいたけれども、応ずるは売れるからで、売るのには身をもって勤めねばならないとか。

 いかに孝女でも悪所において斟酌しんしゃくがあろうか、段々身体からだを衰えさして、年紀としはまだ二十二というのに全盛の色もややせて、素顔では、と源平のやからに遠慮をするようになると、二度三度、月の内に枕が上らない日があるようになった。

 扱帯しごきの下を氷で冷すばかりの容体を、新造しんぞ枕頭まくらもとに取詰めて、このくらいなことで半日でも客を断るということがありますか、死んだ浮舟なんざ、手拭てぬぐいで汗をく度に肉がげて目に見えて手足が細くなった、それさえ我儘をさしちゃあおきませなんだ、貴女は御全盛のおかげに、と小刀針こがたなばりで自分が使う新造ものにまでかかることを言われながら、これにはまた立替えさしたのが、控帳についてるので、悔しい口も返されない。

 という中にも、随分気のたしかな女、むずかしく謂えば意志が強いというたちで、泣かないがあおくなる風だったそうだから、辛抱はするようなものの、手元がつまるに従うて謂うまじき無心の一つもいうようになると、さあどじょうにげる、うなぎすべる、お玉杓子たまじゃくし吃驚びっくりする。

 河岸は不漁しけで、香のあるたいなんざ、さとまでは廻らぬから、次第々々にひまにはなる、融通は利かず、寒くはなる、また暑くはなる、年紀としは取る、手拭は染めねばならず、夜具の皮は買わねばならず、裏は天地で間に合っても、裲襠しかけの色は変えねばならず、茶は切れる、時計はとまる、小間物屋は朝から来る、朋輩は落籍ひくのがある、内証では小児こどもが死ぬ、書記の内へ水がつく、幇間たいこもちがはな会をやる、相撲が近所で興行する、それ目録だわ、つかいものだ、見舞だと、つきあいの雑用ぞうようを取るだけでも、痛む腹のいいわけは出来ない仕誼しぎ

 随分それまでにもかれこれと年季を増して、二年あまりの地獄のくるしみがフイになっている上へ、もう切迫せっぱと二十円。

 盆のことで、両親の小屋へ持って行って、ものをいう前にまず、おひやを一口という息切いきぎれのするむすめが、とても不可いけません、すまないこッてすがせめてお一人だけならばと、はりも意気地もなく母親の帯につかまって、別際わかれぎわ忍泣しのびなきに泣いたのを、寝ていると思った父親が聞き取って、むすめが帰って明くる日も待たず自殺した。

 報知しらせを聞くとひとしく、むすめは顔の色が変って目がくぼんだ、それなりけり。砂利へ寝かされるような蒲団ふとんに倒れて、乳房の下に骨が見える煩い方。

 肺病のある上へ、驚いたがきっかけとなって心臓を痛めたと、医者がさじを投げてから内証は証文を巻いた、但し身附の衣類諸道具は編笠一蓋あみがさいっかいと名づけてこれをぶったくり。

 手当も出来ないで、ただ川のへりの長屋に、それでも日の目が拝めると、北枕に水の方へ黒髪を乱して倒れている、かかる者の夜更けて船頭の読経を聞くのは、どんなに悲しかろう、果敢はかなかろう、なさけなかろう、また嬉しかろう。

「妙法蓮華経如来寿量品第十六自我得仏来所経諸劫数無量百千万億載阿僧祇。」とじゅするのが、いうべからざる一種の福音を川面かわづらに伝えて渡った、七兵衛の船は七兵衛が乗って漂々然。


       九


 蓬莱橋は早や見える、折から月に薄雲がかかったので、野も川も、船頭と船とを淡く残して一面に白み渡った、水の色は殊にややにごりを帯びたが、はてもなく洋々として大河のごとく、七兵衛はさながら棲息せいそくして呼吸するもののない、月世界の海を渡るにひとしい。

「妙法蓮華経如来寿量品。」と繰返したが、聞くものの魂がふなばたのあたりにさまようような、もののまつわったか。烏が二声ばかりいて通った。七兵衛は空を仰いで、

「曇って来た、雨返しがありそうだな、自我得仏来所経、」となだらかにまた頓着とんじゃくしない、すべてのものを忘れたという音調でじゅするのである。

 船は水面を横に波状動を起して、急にはげしく揺れた。

 読経をはたと留め、

「やあ、やあ、かしが、」とつぶやきざまともを左へぎ開くと、二条ふたすじ糸を引いてななめに描かれたのはいなづますそに似たるあやである。

 七兵衛は腰をめて、突立つったって、逸疾いちはやく一間ばかり遣違やりちがえに川下へ流したのを、振返ってじっとみつめ、

「お客様だぜ、待て、妙法蓮華経如来寿量品第十六。」とせわしく張上げて念じながら、へさきを輪なりにすべらして中流で逆に戻して、一息ぐいと入れると、小波さざなみを打乱す薄月に影あるものがちかづいて、やがて舷にすれすれになった。

 飛下りて、胴の間に膝をついて、白髪天頭しらがあたまを左右に振ったが、突然いきなり水中へ手を入れると、朦朧もうろうとして白く、人の寝姿に水のかかったのが、一ゆれしずかに揺れて、落着いて二三尺離れて流れる、途端に思うさま半身を乗出したので反対の側なる舷へざぶりと一波ひとなみあびせたが、あわよく手先がかかったから、船は人とともに寄って死骸に密接することになった。

 無意識に今つかんだのは、ちょうど折曲げた真白まっしろひじの、鍵形かぎなりに曲った処だったので、

「しゃっちこばッたな、こいつあ日なしだ。」

 とそのまま乱暴に引上げようとすると、少しく水を放れたのが、柔かに伸びそうな手答てごたえがあった。

「どッこい。」驚いて猿臂えんぴのばし、親仁おやじ仰向あおむいて鼻筋にしわを寄せつつ、首尾よく肩のあたりへ押廻して、手をくぐらし、掻い込んで、ずぶずぶとながれを切って引上げると、びっしょり舷へ胸をのせて、俯向うつむけになったのは、形も崩れぬ美しい結綿ゆいわたの島田まげ。身を投げて程も無いか、花がけにした鹿の子のきれも、沙魚はぜの口へくはえ去られないで、ほどけてうなじから頬の処へ、血が流れたようにベッとりとついている。

 親仁は流にさらわれまいと、両手で、その死体のなかばはいまだ水に漂っているのをしっかり押えながら、わなわなと震えて早口に経を唱えた。

 けれどもこれは恐れたのでも驚いたのでもなかったのである。助かるすべもありそうな、見た処の一枝の花を、いざ船に載せて見て、咽喉のどを突かれてでも、居はしまいか、鳩尾みずおちったあとでもあるまいか、ふと愛惜あいじゃくの念さかんに、のぞみの糸にすがりついたから、危ぶんで、七兵衛は胸がとどろいて、慈悲の外何の色をも交えぬおいまなこふさいだ。

 またもや念ずる法華経の一節ひとふし

 やがて曇った夜の色を浴びながら満水して濁った川は、どんと船を突上げたばかりで、忘れたようにそのにえを七兵衛の手に残して、何事もなく流れ流るる。



     衣の雫


       十


 待乳屋の娘菊枝は、不動の縁日にといって内を出た時、沢山ある髪を結綿ゆいわたに結っていた、角絞つのしぼりの鹿の子のきれ浅葱あさぎと赤と二筋を花がけにしてこれが昼過ぎに出来たので、衣服きものは薄お納戸の棒縞ぼうじま糸織のあわせ、薄紫のすそ廻し、唐繻子とうじゅすの襟をかけて、赤地に白菊の半襟、緋鹿ひがの子の腰巻、朱鷺色ときいろ扱帯しごきをきりきりと巻いて、萌黄繻子もえぎじゅすと緋の板じめ縮緬ちりめんを打合せの帯、結目むすびめを小さく、しんを入れないで帯上おびあげは赤の菊五郎格子、帯留おびどめも赤と紫との打交ぜ、素足に小町下駄を穿いてからからとうちを。

 一体三味線さみせん屋で、家業柄出入るものにつけても、両親は派手好はでずきなり、殊に贔屓俳優ひいきやくしゃの橘之助の死んだことを聞いてから、始終くよくよして、しばらく煩ってまでいたのが、その日は誕生日で、気分も平日いつになくいというので、髪も結って一枚着換えて出たのであった。

 小町下駄は、お縫がとこ上框あがりがまちの内に脱いだままで居なくなったのであるから、身を投げた時は跣足はだしであった。

 履物が無かったばかり、髪も壊れず七兵衛が船に助けられて、があけると、その扱帯もその帯留も、お納戸の袷も、萌黄と緋の板締いたじめの帯も、荒縄に色を乱して、一つも残らず、七兵衛が台所にずらりとかかっていましずくも留まらないで、引窓から朝霧の立ちむ中に、しとしとと落ちて、一面に朽ちた板敷をぬらしているのは潮の名残なごり

 可惜あたら、鼓のしらべの緒にでも干す事か、縄をもって一方から引窓の紐にかけ渡したのは無慙むざんであるが、親仁おやじが心は優しかった。

 引窓を開けたばかりわざと勝手の戸も開けず、門口かどぐちも閉めたままで、なべをかけた七輪の下をあおぎながら、大入だの、こよみだの、姉さんだのを張交ぜにした二枚折の枕屏風まくらびょうぶの中を横から振向いてのぞき込み、

ねえや、気分はどうじゃの、少し何かがわかって来たか、」

 と的面まともにこっちを向いて、眉の優しい生際はえぎわの濃い、鼻筋の通ったのが、何も思わないような、しかも限りなきおもいを籠めた鈴のような目をみはって、瓜核形うりざねなりの顔ばかり出して寝ているのをながめて、大口をいて、

「あはは、あんな顔をして罪のない、まだ夢じゃと思うそうだ。」

 菊枝は、硫黄いおうヶ島の若布わかめのごとき襤褸蒲団ぼろぶとんにくるまって、抜綿ぬきわたまろげたのを枕にしている、これさえじかづけであるのに、親仁が水でもはかしたせいか、船へ上げられた時よりは髪がひっつぶれて、今もびっしょりであわれである、昨夜ゆうべはこの雫の垂るる下で、死際の蟋蟀きりぎりすが鳴いていた。

 七兵衛はなおしおらしい目からえみこぼして、

「やれやれ綺麗きれいな姉さんが台なしになったぞ。あてこともねえ、どうじゃ、切ないかい、どこぞ痛みはせぬか、おなかは苦しゅうないか。」と自分の胸を頑固な握拳にぎりこぶしでこツこツと叩いて見せる。

 ト可愛らしく、口を結んだまま、ようようこの時かぶりを振った。

「は、は、痛かあない、いな、嬉しいな、し、可し、そりゃこうじゃて。おめえ、飛込んだ拍子に突然いきなり目でも廻したか、いや、水も少しばかり、丼に一杯吐いたか吐かぬじゃ。大したことはねえての、気さえたしかになれば整然ちゃんと治る。それからの、ここは大事ない処じゃ、ばばも猫も犬もらぬ、わし一人じゃから安心をさっしゃい。またどんな仔細しさいがないとも限らぬが、少しも気遣きづかいはない、無理に助けられたと思うと気がめるわ、自然天然と活返いきかえったとこうするだ。可いか、活返ったら夢と思って、目が覚めたら、」といいかけて、品のある涼しい目をまた凝視みつめ、

「これさ、もう夜があけたから夢ではない。」


       十一


 しばらくして菊枝が細い声、

「もし」

「や、産声うぶごえを挙げたわ、さあ、安産、安産。」と嬉しそうに乗出して膝を叩く。しばらくして、

「ここはどこでございますえ。」とほろりと泣く。

 七兵衛は笑傾えみかたむけ、

うまいな、涙が出ればこっちのものだ、ねえや、ちっとは落着いたか、気が静まったか。」

「ここはどっちでしょう。」

「むむ、ここはな、むむ、」とひとりでほくほく。

「散々気をんでおめえ、ようようこっちのものだと思うと、何を言ってもただもうわなわな震えるばっかりで。弱らせ抜いたぜ。そっちから尋ねるようになれば占めたものだ。ここは佃町よ、八幡様の前を素直まっすぐに蓬莱橋を渡って、広ッを越した処だ、いか、わしは早船の船頭で七兵衛とうのだ。」

「あの蓬莱橋を渡って、おや、そう、」と考える。

「そうよ、知ってるか、姉やは近所かい。」

「はい。……いいえ、」といってフト口をつぐんだ。船頭は胸で合点がってんして、

「まあ、可いや、おめえとこは構わねえ、お前の方にさえ分れば可いわ、佃町を知っているかい。」

 ややあって、

「あの、いつか通った時、私くらいな年紀としの、綺麗な姉さんが歩行あるいていなすった、あすこなんでしょう、そうでございますか。」

「待たッせよ、おめえくらいな年紀としで、と、こうと十六七だな。」

「はあ、」

「十六七の阿魔あまはいくらも居るが、綺麗な姉さんはあんまりねえぜ。」

「いいえ、いますよ、丸顔のね、髪の沢山たんとある、そして中形の浴衣を着て、赤い襦袢じゅばんを着ていました、きっとですよ。」

「待ちねえよ、赤い襦袢と、それじゃあ、お勘がとこに居る年明ねんあきだろう、ありゃおめえもう三十くらいだ。」

「いいえ、若いんです。」

 七兵衛天窓あたまを掻いて、

「困らせるの、年月も分らず、日も分らず、さっぱり見当が着かねえが、」とすこぶる弱ったらしかったが、はたと膝を打って、

「ああああ居た居た、居たが何、ありゃ売物よ。」と言ったが、菊枝には分らなかった。けれども記憶を確めて安心をしたものと見え、

「そう、」と謂った声がうるんで、少し枕を動かすと、顔を仰向けにして、目をふさいだがまた涙ぐんだ。我に返れば、さまざまのこと、さまざまのことはただうら悲しきのみ、うたがいおそれもなくって泣くのであった。

 髪もゆらめき蒲団も震うばかりであるから、仔細しさいは知らず、七兵衛はさこそとばかり、

「どうした、え、姉やどうした。」

 問慰といなぐさめるとようよう此方こなたを向いて、

「親方。」

「おお、」

「起きましょうか。」

「何、起きる。」

「起きられますよ。」

「占めたな! おめえじっとしてる方が可いけれど、ちっとも構わねえけれど、おきられるか、ってみろ一番、そうすりゃしゃんしゃんだ。気さえたしかになりゃ、何お前案じるほどの容体じゃあねえんだぜ。」と、七兵衛は孫をつかまえて歩行あんよは上手の格で力をつける。

 蒲団の外へは顔ばかり出していた、すそを少し動かしたが、白い指をちらりと夜具の襟へかけると、顔をかくして、

「私、………」



     浅緑


       十二


「大事ねえ大事ねえ、水浸しになっていた衣服きものはおめえあのとおりだ、聞かっせえ。」

 時に絶えず音するはしずかな台所の点滴したたりである。

「あんなものを巻着けておいた日にゃあ、骨まで冷抜ひえぬいてしまうからよ、わし褞袍どんつく枕許まくらもとに置いてある、誰も居ねえから起きるならそこで引被ひっかけねえ。」

 といったが克明な色おもてあらわれ、

「おお、そして何よ、憂慮きづかいをさっしゃるな、どうもしねえ、何ともねえ、おら頸子くびったまにも手を触りやしねえ、胸を見な、不動様のお守札が乗っけてあら、そらの、ほうら、」

 菊枝は嬉しそうに血の気のない顔に淋しいえみを含んだ。

「むむ、」とうなずいたがうしろむきになって、七兵衛は口をとんがらかして、なべの底を下から見る。

 屏風びょうぶの上へ、肩のあたりがあらわれると、潮たれ髪はなお乾かず、動くに連れて柔かにがっくりと傾くのを、軽く振って、根をおさえて、

「これを着ましょうかねえ。」

「洗濯をしたばかりだ、船虫は居ねえからよ。」

 緋鹿子ひがのこの上へ着たのを見て、

またっせえ、あいにくたすきがねえ、わしがこの一張羅の三尺じゃあ間に合うめえ! と、かろう、合したものの上へめるんだ、濡れていても構うめえ、どッこいしょ。」

 七兵衛は螇蚸ばったのような足つきで不行儀に突立つったつと屏風の前を一跨ひとまたぎすぐに台所へ出ると、荒縄には秋の草のみだれざき、小雨が降るかと霧かかって、帯の端衣服きものすそをしたしたと落つるしずくも、萌黄もえぎの露、紫の露かと見えて、慄然ぞっとする朝寒あささむ

 真中まんなかに際立って、袖も襟もえたようにかかっているのは、よき、琴、菊を中形に染めた、朝顔の秋のあわれ花も白地の浴衣である。

 昨夜ゆうべ船で助けた際、菊枝はあわせの上へこの浴衣を着て、その上に、菊五郎格子のくだん帯上おびあげを結んでいたので。

 いわれは何かこれにこそと、七兵衛はその時からあやしんで今も真前まっさきに目を着けたが、まさかにこれが死神で、菊枝を水に導いたものとは思わなかったであろう。

 実際お縫は葛籠つづらの中を探して驚いたのもこれ、眉をひそめたのもこれがためであった。斧と琴と菊模様の浴衣こそ菊枝をして身を殺さしめた怪しのきぬむすめが歌舞伎の舞台でしばしば姿を見て寐覚ねざめにもおもかげの忘られぬ、あこがるるばかり贔屓ひいき俳優やくしゃ、尾上橘之助が、白菊の辞世を読んだ時まで、寝返りもままならぬ、やまいの床に肌につけた記念かたみなのである。

 江崎のお縫は芳原の新造しんぞむすめであるが、心懸こころがけがよくッて望んで看護婦になったくらいだけれども、橘之助に附添って嬉しくないことも無いのであった。

 しかるに重体の死にひんした一日、橘之助が一輪ざしに菊の花をけたのを枕頭まくらもとに引寄せて、かつてやんごとなきなにがし侯爵夫人から領したという、浅緑あさみどりと名のある名香めいこうを、お縫の手でいてもらい、天井からつるした氷嚢ひょうのう取除とりのけて、空気枕に仰向けに寝た、素顔は舞台のそれよりも美しく、蒲団ふとん掻巻かいまき真白まっしろな布をもっておおえる中に、目のふちのややあおざめながら、額にかかる髪のつや、あわれうらわかき神のまぼろしが梨園を消えようとする時の風情。


       十三


 橘之助はあかの着かない綺麗な手を胸に置いて、こうかおりを聞いていたが、一縷いちるの煙は二条ふたすじに細く分れ、さきがささ波のようにひらひらと、なびいて枕にかかった時、白菊の方に枕を返して横になって、弱々しゅう襟を左右に開いたのを、どうなさいます? とお縫が尋ねると、勿体ないが汗臭いからき占めましょう、と病苦の中にったという、香の名残なごりを留めたのが、すなわちここに在る記念かたみの浴衣。

 懐しくもゆかしさに、お縫は死骸の身にまとった殊にそれが肺結核の患者であったのを、心得ある看護婦でありながら、記念かたみにと謂って強いて貰い受けて来て葛籠つづらの底深く秘め置いたが、菊枝がかねて橘之助贔屓びいきで、番附に記した名ばかり見ても顔色を変えるさわぎを知ってたので、昨夜、不動様の参詣さんけいの帰りがけ、年紀とし下ながら仲よしの、姉さんお内かい、と寄った折も、何は差置き橘之助のうわさ、お縫は見たままを手に取るよう。

 これこれこう、こういう浴衣と葛籠の底から取出すと、まあ姉さんと進むる膝、あかりとともに乗出す膝を、突合した上へ乗せ合って、その時はこういう風、仏におなりの前だから、優しいばかりか、目許めもと口付、品があって気高うてと、お縫が謂えば、ちらちらと、白菊の花、香の煙。

 話がこうじて理に落ちて、身にみて涙になると、お縫はさすがに心着いて、すしおごりましょうといって戸外おもてへ出たのが、あしの湯の騒ぎをつい見棄てかねて取合って、時をうつしていたに、過世すぐせの深い縁であろう、浅緑の薫のなおせやらぬ橘之助の浴衣を身につけて、跣足はだしで、亡き人のあとを追った。

 菊枝は屏風の中から、ぬれ浴衣を見てうっとりしている。

 七兵衛はさりとも知らず、

「どうじゃめるものはこの扱帯しごきいかの。」

 じっと凝視みつめたまま、

 だんまりなり。

「ぐるぐるまきにすると可い、どうだ。」

「はい取って下さいまし、」とやっといったが、世馴よなれず、両親ふたおやには甘やかされたり、大恩人に対し遠慮の無さ。

 七兵衛はそれを莞爾にこやかに、

「そら、こいつあ単衣ひとえだ、もうしずくの垂るようなことはねえ。」

 やがて、つくづくと見て苦笑い、

「ほほう生れかわって娑婆しゃばへ出たから、争われねえ、島田の姉さんがむつぎにくるまったなりになった、はははは、縫上げをするように腕をこうぐいとらかすだ、そう、そうだ、そこで坐った、と、何ともないか。」

「ここが痛うございますよ。」と両手を組違えに二の腕をおさえて、つむりが重そうに差俯向さしうつむく。

「むむ、そうかも知れねえ、昨夜ゆうべそうやってしっかり胸を抱いて死んでたもの。ちょうど痛むのは手の下になってた処よ。」

「そうでございますか、あの私はこうやって一生懸命に死にましたわ。」

「このは! 一生懸命に身を投げるやつがあるものか、串戯じょうだんじゃあねえ、そして、どんな心持だった。」

「あの沈みますと、ぼんやりして、すっと浮いたんですわ、その時にこうやって少し足を縮めましたっけ、また沈みました、それからは知りませんよ。」

「やれやれ苦しかったろう。」

「いいえ、泣きとうございました。」



     記念ながら


       十四


 二ツ三ツ話の口がけると老功の七兵衛ちっともすかさず、

「何しろ娑婆しゃばへ帰ってまず目出度めでたい、そこで嬰児あかんぼは名は何とう、お花か、お梅か、それとも。」

「ええ、」といいかけて菊枝は急に黙ってしまった。

 様子を見て、七兵衛は気を替えて、

いや、まあそんなことは。ところで、かゆが出来たが一杯どうじゃ、またぐっと力が着くぜ。」

「何にも喰べられやしませんわ。」とにべの無い返事をして、菊枝は何か思出してまた潸然さめざめとするのである。

「それも可いよ。はは、何か謂われると気に障ってうるさいな? 可いや、可いやお前になってみりゃ、盆も正月も一斉いちどきじゃ、無理はねえ。

 それでは御免こうむって、わし一膳いちぜん遣附やッつけるぜ。なべの底はじりじりいう、昨夜ゆうべから気をんで酒の虫は揉殺したが、矢鱈やたら無性むしょうに腹が空いた。」と立ったり、居たり、歩行あるいたり、はて胡坐あぐらかいて能代のしろの膳の低いのを、毛脛けずね引挟ひっぱさむがごとくにして、紫蘇しその実に糖蝦あみ塩辛しおから、畳みいわしを小皿にならべて菜ッ葉の漬物うずたかく、白々と立つ粥の湯気の中に、真赤まっかな顔をして、熱いのを、大きな五郎八茶碗ごろはちぢゃわんでさらさらと掻食かっくらって、掻食いつつ菊枝が支えかねたらしく夜具に額をあてながら、時々吐息を深くするのを、茶碗の上から流眄ながしめそっと見ぬように見て釣込まれて肩で呼吸いき

 思出したように急がしく掻込かっこんで、手拭てぬぐいはじでへの字にしわを刻んだ口のはたをぐいとき、差置いたはしも持直さず、腕を組んで傾いていたが、台所を見れば引窓から、門口かどぐちを見れば戸のすきから、早や九時十時の日ざしである。このあたりこそ気勢けはいもせぬが、広場一ツ越して川端へ出れば、船の行交ゆきかい、人通り、烟突えんとつの煙、木場の景色、遠くは永代、新大橋、隅田川の模様なども、同一おんなじ時刻の同一頃が、親仁おやじの胸に描かれた。

ねえや、姉や、」と改めて呼びかけて、わずかに身を動かすそびらに手を置き、

「道理じゃ、いにしろ、悪いにしろ、死のうとまで思って、一旦いったん水の中で引取ったほどの昨夜ゆうべの今じゃ、何か話しかけられても、胸へ落着かねえでかえって頭痛でもしちゃあ悪いや、な。だからわしあ何にも謂わねえ。

 一体昨夜ゆうべめえを助けた時、直ぐ騒ぎ立てればよ、汐見橋の際には交番もあるし、そうすりゃ助けようと思う念は届くしこっちの手は抜けるというもんだし、それに上を越すことは無かったが、いやいやそうでねえ、川へ落ちたか落されたかそれとも身を投げたか、よく見れば様子で知れらあ、お前は覚悟をしたものだ。

 覚悟をするには仔細しさいがあろう、幸いことか悲しいことか、そこン処は分らねえが、死のうとまでしたものを、わしが騒ぎ立って、江戸中知れ渡って、つかまっちゃあならねえものに捕るか、会っちゃあならねえものに会ったりすりゃ、余計な苦患くげんをさせるようなものだ。」七兵衛は口軽に、

「とこう思っての、そっおぶって来て届かねえ介抱をしてみたが、いや半間はんまな手が届いたのもおめえの運よ、こりゃ天道様てんとうさまのおなさけというもんじゃ、無駄にしては相済まぬ。必ず軽忽かるはずみなことをすまいぞ、むむ姉や、見りゃ両親ふたおやも居なさろうと思われら、まあよく考えてみさっせえ。

 そこで胸を静めてじっと腹を落着けて考えるに、わしそばに居ては気を取られてよくあるめえ、直ぐにこれから仕事に出て、蝸牛まいまいつぶろの殻をあけるだ。しか、桟敷さじきは一日貸切だぜ。」


       十五


「起きようと寝ようと勝手次第、おまんまを食べるなら、冷飯おひやがあるから茶漬にしてやらっせえ、水を一手桶ておけんであら、いか、そしてまあ緩々ゆっくりと思案をするだ。

 思案をするじゃが、短気な方へ向くめえよ、後生だから一番方角を暗剣殺に取違えねえようにの、何とか分別をつけさっせえ。

 幸福しあわせと親御の処へなりまた伯父御叔母御の処へなり、帰るような気になったら、わしに辞儀も挨拶あいさつもいらねえからさっさと帰りねえ、おめえが知ってるという蓬薬橋は、広場ひろっぱを抜けると大きな松の木と柳の木が川ぶちにある、その間から斜向はすかいに向うに見えらあ、可いかい。

 また居ようと思うなら振方ふりかたを考えるまで二日でも三日でも居さっせえ、わしン処はちっとも案ずることはねえんだから。

 その内に思案して、あかして相談をして可いと思ったら、って見さっせえ、この皺面しわづらあ突出して成ることならッ首は要らねえよ。

 わしあしみじみ可愛くってならねえわ。

 それからの、ここに居る分にゃあうっかり外へ出めえよ、実は、」

 と声をひそめながら、

「ここいらは廓外くるわそとで、お物見下のような処だから、いや遣手やりてだわ、新造しんぞだわ、その妹だわ、破落戸ごろつきの兄貴だわ、口入宿くちいれやどだわ、慶庵だわ、中にゃあお前勾引かどわかしをしかねねえような奴等が出入でいりをすることがあるからの、飛んでもねえ口に乗せられたり、猿轡さるぐつわめられたりすると大変だ。

 それだからこうやって、夜夜中よなか開放あけっぱなしの門も閉めておく、分ったかい。うちへ帰るならさっさと帰らっせえよ、わしにかけかまいはちっともねえ。じゃあ、俺は出懸けるぜ、手足をのばして、思うさま考えな。」

 と返事は強いないので、七兵衛はずいと立って、七輪の前へ来ると、しゃがんで、力なげに一服吸って三服目をはたいた、駄六張だろくばり真鍮しんちゅう煙管きせる雁首がんくびをかえして、つついて火を寄せて、二ツさげ煙草入たばこいれにコツンと指し、手拭てぬぐいと一所にぐいと三尺に挟んで立上り、つかつかと出て、まだしずくまぬ、びしょぬれの衣を振返って、憂慮きづかわしげに土間に下りて、草履をつっかけたが、立淀たちよどんで、やがて、その手拭を取って頬被ほおかぶり。七兵衛は勝手の戸をがらりと開けた、台所は昼になって、ただ見れば、裏手は一面の蘆原あしはら、処々に水溜たまり、これには昼の月も映りそうに秋の空は澄切って、赤蜻蛉あかとんぼが一ツき二ツ行き、遠方おちかたに小さく、つりをする人のうしろに、ちらちらと帆が見えて海から吹通しの風さつと、濡れたきぬの色を乱して記念かたみの浴衣はゆらめいた。親仁はうしろへ伸上って、そのまま出ようとする海苔粗朶のりそだの垣根のもとに、一本二本咲きおくれた嫁菜の花、あしも枯れたにこはあわれと、じっと見る時、菊枝は声を上げてわっと泣いた。


妙法蓮華経如来寿量品みょうほうれんげきょうにょらいじゅりょうぼん第十六自我得仏来所経諸劫数無量百千万億載阿僧祇じがとくぶつらいしょきょうしょごうすうむりょうひゃくせんまんおくさいあそうぎ。」

 川下の方からしんとして聞えて来る、あたりの人の気勢けはいもなく、家々のともしも漏れず、ながれは一面、岸の柳の枝を洗ってざぶりざぶりと音する中へ、菊枝は両親ふたおやに許されて、髪も結い、衣服もわざと同一おなじなりで、お縫が附添い、身を投げたのはここからという蓬莱橋から、記念かたみの浴衣を供養した。七日なぬかってちょうど橘之助が命日のことであった。

きいちゃん、」

「姉さん、」

 二人は顔を見合せたが、涙ながらに手を合せて、捧げ持って、

南無阿弥陀仏なむあみだぶつ、」

「南無阿弥陀仏。」

 折から洲崎のどのうちぞ、二階よりか三階よりか、海へさっと打込む太鼓。

 浴衣はしずかに流れたのである。

 菊枝は活々いきいきとしたむすめになったが、以前から身に添えていた、菊五郎格子の帯揚おびあげに入れた写真が一枚、それに朋輩のむすめから、橘之助の病気見舞を紅筆べにふでで書いて寄越よこしたふみとは、その名の菊の枝に結んで、今年は二十はたち

明治三十三(一九〇〇)年十一月

底本:「泉鏡花集成3」ちくま文庫、筑摩書房

   1996(平成8)年124日第1刷発行

底本の親本:「鏡花全集 第六卷」岩波書店

   1941(昭和16)年1110日第1刷発行

入力:門田裕志

校正:染川隆俊

2009年510日作成

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