遺稿
遺稿
泉鏡花



 この無題の小説は、泉先生逝去後、机辺の篋底きょうていに、夫人の見出されしものにして、いつ頃書かれしものか、これにて完結のものか、はたまた未完結のものか、今はあきらかにするすべなきものなり。昭和十四年七月号中央公論掲載の、「縷紅新草るこうしんそう」は、先生の生前発表せられし最後のものにして、その完成につくくされし努力は既にやまいを内に潜めいたる先生の肉体をいたむる事深く、その後再び机にむかわれしこと無かりしという。果してしからばこの無題の小説は「縷紅新草」以前のものと見るを至当とすべし。原稿はやや古びたる半紙に筆と墨をもって書かれたり。紙の古きは大正六年はじめて万年筆を使用されし以前にあがなわれしものを偶々たまたま引出して用いられしものと覚しく、墨色は未だ新しくしてこの作の近き頃のものたる事をあかす。主人公の名の糸七は「縷紅新草」のそれとひとしく、点景に赤蜻蛉あかとんぼのあらわるる事もまた相似たり。「どうもこう怠けていてはしかたが無いから、春になったら少し稼ごうと思っています。」と先生の私に語られしは昨年の暮の事なりき。恐らくこの無題の小説は今年のはじめに起稿されしものにはあらざるか。

 雑誌社としては無題を迷惑がる事察するにあまりあれど、さりとて他人がみだりに命題すべき筋合すじあいにあらざるを以て、しいてそのまま掲出すべきことを希望せり。

(水上瀧太郎附記)


 伊豆の修禅寺しゅぜんじの奥の院は、いろは仮名四十七、道しるべの石碑をなわて、山の根、村口に数えて、ざっと一里余りだと言う、第一のいの碑はたしかその御寺の正面、虎渓橋こけいきょうに向った石段の傍にあると思う……ろはと数えて道順ににのあたりが俗に釣橋釣橋と言って、渡ると小学校がある、が、それを渡らずに右へ廻るとほの碑に続く、何だか大根畠から首をもたげて指示ゆびさしをするようだけれど、このお話に一寸ちょっと要があるので、頬被ほおかむりをはずして申しておく。

 もう温泉場からその釣橋へ行く道の半ばからは、一方が小山のすそ、左が小流こながれを間にして、田畑になる、橋向うへ廻ると、山の裙は山の裙、田畑は田畑それなりの道続きが、大畝おおうねりして向うに小さな土橋の見えるあたりから、おのずから静かな寂しい参拝道となって、次第に俗地を遠ざかる思いがおこるのである。

 土地では弘法様のお祭、お祭といっているが春秋二季の大式日だいしきじつ、月々の命日は知らず、不断ふだん、この奥の院は、長々と螺線らせんをゆるく田畝でんぽの上にめぐらした、処々ところどころ萱薄かやすすき、草々の茂みに立ったしるべの石碑を、杖笠を棄ててたたずんだ順礼、どうしゃの姿に見せる、それとても行くともかえるともなく煢然けいぜんとして独りたたずむばかりで、往来の人はほとんどない。

 またそれだけに、奥の院は幽邃森厳ゆうすいしんげんである。畷道あぜみちを桂川の上流に辿ると、迫る処怪石かいせき巨巌きょがん磊々らいらいたるはもとより古木大樹千年古き、楠槐なんかいの幹も根もそのまま大巌に化したようなのが纍々と立聳たちそびえて、たちまち石門砦高く、無斎式、不精進の、わけては、病身びょうしんたりとも、がたくり、ふらふらと道わるを自動車にふんぞって来た奴等を、目さえ切塞きりふさいだかと驚かれる、が、慈救の橋は、易々と欄干らんかんづきで、しずかたいらかな境内へ、通行を許さる。

 下車は言うまでもなかろう。

 御堂おどうさっと松風よりも杉のひのきの香の清々すがすがしい森々しんしんとした樹立こだちの中に、青龍の背をさながらの石段の上に玉面の獅子頭の如く築かれて、背後の大碧巌だいへきがんより一筋水晶の滝が杖を鳴らして垂直に落ちて仰ぐも尊い。

 境内わきの、左手の庵室、障子を閉して、……ただ、仮に差置いたような庵ながらかまえは縁が高い、端近はしぢか三宝さんぼうを二つ置いて、一つには横綴の帳一冊、一つには奉納の米袋、ぱらぱらと少しこぼれて、おひねりというのが捧げてある、真中に硯箱が出て、朱書が添えてある。これは、俗名と戒名と、現当過去、未来、志す処の差によって、おもいおもいにその姓氏仏号を記すのであろう。

「おふだを頂きます。」

 ──お札は、それは米袋に添えて三宝に調えてある、そのままでもよかったろうが、もうやがて近い……年頭御慶の客に対する、近来流行の、式台は悪冷わるつめたく外套を脱ぐとくさめが出そうなのに御内証ごないしょう煖炉だんろのぬくもりにエヘンとも言わず、……蒔絵の名札受なふだうけが出ているのとはと勝手が違うようだから──私ども夫婦と、もう一人の若い方、と云って三十を越えた娘……分か? 女房の義理の姪、娘が縁づいたさきの舅の叔母の従弟の子で面倒だけれど、姉妹分の娘だから義理の姪、どうも事実のありのままにいうとなると説明は止むを得ない。とに角、若いから紅気こうきがある、長襦袢のつまがずれると、縁が高いから草履を釣られ気味に伸上って、

「ごめん下さいまし。」

 すぐに返事のない処へ、小肥りだけれど気が早いから、三宝越に、眉で覗くように手を伸ばして障子腰を細目に開けた。

 山気さんきみどりに滴って、詣ずるものの袖は墨染のようだのに、向った背戸庭せどにわは、一杯の日あたりの、ほかほかとした裏縁の障子の開いた壁際は、留守居かと思う質素な老僧が、小机にむかい、つぐなんで、うつしものか、かきものをしてござった。

「ごめん下さいまし、お札を頂きます。」

 黒い前髪、白い顔が這うばかり低く出たのを、蛇体と眉もひそめたまわず、目金越めがねごしまつげの皺が、日南ひなにとろりとと伸びて、

「ああ、お札はの、御随意にの預かっしゃってようござるよ。」

 と膝も頭も声も円い。

「はい。」

 と、立直って、襟の下へ一寸ちょっと端を見せてお札を受けた、が、老僧と机ばかり円光のうちの日だまりで、あたりは森閑しんかんした、人気のないのに、何故か心を引かれたらしい。

「あの、あなた。」

 こうした場所だ、対手あいては弘法様の化身かも知れないのに、馴々なれなれしいこという。

「お一人でございますか。」

「おお、留守番の隠居爺じゃ。」

たったお一人。」

「さればの。」

「お寂しいでしょうね、こんな処にお一人きり。」

「いや、お堂裏へは、近い頃まで猿どもが出て来ました、それはもう見えぬがの、日和ひよりさえよければ、この背戸へ山鳥が二羽ずつで遊びに来ますで、それも友になる、それ。」

 目金がのんどりと、日に半面に庭の方へ傾いて、

「巌の根の木瓜ぼけの中に、今もの、来ていますわ。これじゃ寂しいとは思いませぬじゃ。」

「はア。」

 と息とともに娘分は胸を引いた、で、何だか考えるような顔をしたが、「山鳥がお友だち、洒落てるわねえ。」と下向げこうの橋を渡りながら言った、──「洒落てるわねえ」では困る、罪障ざいしょうの深い女性は、ここに至ってもこれを聞いても尼にもならない。

 どころでない、宿へもどると、晩餉ばんげ卓子台ちゃぶだいもやい、一銚子の相伴しょうばん、二つ三つで、赤くなって、ああ紅木瓜になった、と頬辺をおさえながら、山鳥の旦那様はいい男か知ら。いや、尼どころか、このくらい悟り得ない事はない。「お日和ひよりで、坊さんはお友だちでよかったけれど、番傘はお茶を引きましたわ。」と言った。

 出掛けに、実は春の末だが、そちこち梅雨入模様で、時々気まぐれに、白い雲が薄墨の影を流してばらばらと掛る。其処そこで自動車の中へ番傘を二本まで、奥の院御参詣結縁けちえんのため、「御縁日だとこの下で飴を売る奴だね、」「へへへ、お土産をどうぞ。」と世馴れた番頭が真新しい油もまだ白いのを、ばりばりと綴枠とじわくをはずして入れた。

 贅沢を云っては悪いが、この暖さと、長閑のどかさの真中には一降ひとふり来たらばと思った。みち近い農家の背戸に牡丹の緋に咲いてしべの香に黄色い雲の色をたたえたのに、舞う蝶のはね袖のびの影が、仏前に捧ぐるたえなる白い手に見える。遠方の小さいかすかな茅屋を包んだ一むら竹の奥深く、山はその麓なりに咲込んだ映山紅につ半ば濃い陽炎かげろうのかかったのも里親しき護摩ごまの燃ゆる姿であった。傘さしてこの牡丹にたたずみ、すぼめて、あの竹藪を分けたらばと詣ずる道すがら思ったのである。

 土手には田芹たぜりふきが満ちて、蒲公英たんぽぽはまだ盛りに、目に幻のあの白い小さな車が自動車の輪に競って飛んだ。いま、そのかえりがけを道草を、ざるに洗って、縁に近く晩の卓子台を囲んでいたが、

 ──番傘がお茶を引いた──

 おもしろい。

 悟って尼にならない事は、およそ女人以上の糸七いとしちであるから、折しも欄干越の桂川のながれをたたいて、ざっと降出ふりだした雨に気競って、

「おもしろい、その番傘にお茶をひかすな。」

 宿つきの運転手の馴染なのも、ちょうど帳場に居わせた。

 九時頃であった。

「さっきの番傘の新造を二人……どうぞ。」

「ははは、おたのしみで……」

 番頭の八方無碍むげの会釈をして、その真新しいのをまた運転手の傍へ立掛けた。

 しばらくして、この傘を、さらさらと降る雨に薄白く暗夜やみよにさして、女たちは袖を合せ糸七が一人立ちで一畝ひとうね水田みずたを前にして彳んだ処は、今しがた大根畑から首を出してゆびさしをした奥の院道の土橋をはるかに見る──一方は例の釣橋から、一方はとんびくちばしのように上へかぶさった山の端を潜って、奥在所へさながら谷のように深く入る──俗に三方、また信仰の道にちなんで三宝ヶ辻と呼ぶ場所である。

 ──き進むエンジンの音に鳴留なきやんだけれども、真上に突出つきでた山のに、ふアッふアッと、山臥やまぶしがうつむけに息を吹掛ふきかけるようなふくろうの声を聞くと、女連おんなれんは真暗な奥在所へ入るのを可厭いやがった。元来宿を出る時この二人は温泉街の夜店飾りの濡灯色ぬれびいろと、一寸野道で途絶えても殆ど町続きにひとしい停車場あたりのもやの燈を望んだのを、番傘をたたかぬばかり糸七が反対に、もの寂しいいろはの碑を、辿ったのであったから。

 それでは、もう一方奥へ入ってからその土橋に向うとすると、余程の畷を抜けなければ、車を返す足場がない。

 三宝ヶ辻で下りたのである。

「あら、こんな処で。」

「番傘の情人に逢わせるんだよ。」

「情人ッて? 番傘の。」

「蛙だよ、いい声で一面に鳴いてるじゃあないか。」

「まあ、風流。」

 さ、さ、その風流と言われるのが可厭いやさに、番傘を道具に使った。第一、雨の中に、立った形は、うしろの山際に柳はないが、小野道風何とかすずりを悪く趣向にしたちんどん屋の稽古をすると思われては、いいようはとぞんざいだが……ごめんをこうむって……しゃくさわる。

 糸七は小児こどものうちから、妙に、見ることも、聞くことも、ぞっこん蛙といえば好きなのである。小学最初級の友だちの、──現今は貴族院議員なり人の知った商豪だが──やしきが侍町にあって、背戸せどの蓮池で飯粒で蛙を釣る、釣れるとも、目をぱちぱちとやって、腹をぶくぶくとふくらます、と云うのを聞くと、氏神の境内まで飛ばないと、蜻蛉とんぼさえたやすくは見られない、雪国の城下でもせせこましい町家に育ったものは、瑠璃るり丁斑魚めだか、珊瑚の鯉、五色ごしきふなが泳ぐとも聞かないのに、池を蓬莱ほうらいの嶋に望んで、青蛙を釣る友だちは、宝貝のかくれ蓑を着て、白銀しろがねの糸を操るかと思った。

 学問半端にして、親がなくなって、東京から一度田舎へ返って、朝夕のたつきにも途方に暮れた事がある。

「ああ、よく鳴いてるなあ。」──

 城下優しい大川の土手の……松に添う片側町かたかわまちの裏へ入ると廃敗した潰れ屋のあとが町中に、棄苗すてなえ水田みずたになった、その田の名にはとなえないが、其処をこだまの小路という、小玉というのの家跡か、白昼も寂然しんとしていてこだまをするか、濁って呼ぶから女の名ではあるまいが、おなじ名のきれいな、あわれなおんながここで自殺をしたと伝えて、のちのちの今もお、その手提灯が闇夜に往来をするといった、螢がまた、ここに不思議に夥多おびただしい。

 が、提灯の風説に消されて見る人の影も映さぬ。勿論、蛙なぞ聞きに出掛けるものはない。……世の暗さは五月闇さつきやみさながらで、腹のすいた少年の身にして夜の灯でも繁華な巷は目がくらんで痩脛やせはぎねじれるから、こんな処を便たよっては立樹にもたれて、もとからの耕地でないあかしには破垣やれがきのまばらに残った水田みずたじっと闇夜に透かすと、鳴くわ、鳴くわ、好きな蛙どもが装上って浮かれて唱う、そこには見えぬ花菖蒲、杜若かきつばた河骨こうほねも卯の花も誘われて来て踊りそうである。

 此処だ。

「よく、鳴いてるなあ。」

 世にある人でも、歌人でも、ここまでは変りはあるまい、が、情ない事には、すぐあとへ、

「ああ、ぞお腹がいいだろう。」

 ──さだめしおまんまをふんだんに食ったろう─ても情ない事をいう─と、喜多八がさもしがる。……三嶋の宿で護摩ごまの灰に胴巻を抜かれたあとの、あわれはここに弥次郎兵衛、のまず、くわずのまず、竹杖にひょろひょろと海道を辿りながら、飛脚が威勢よく飛ぶのを見て、その満腹をうらやんだのと思いはひとしい。……又膝栗毛で下司げすばる、と思召おぼしめしも恥かしいが、こんな場合には絵言葉まきものや、哲理、科学の横綴よことじでは間に合わない。

 生芋の欠片かけらさえ芋屋の小母おばさんが無代では見向きもしない時は、人間よりはまだ気の知れないばけものの方に幾分か憑頼ひょうらいがある、姑獲女うぶめを知らずや、嬰児あかんぼを抱かされても力餅が慾しいのだし、ひだるさにのめりそうでも、金平きんぴら式の武勇伝で、剣術は心得たから、糸七は、其処に小提灯の幽霊の怖れはなかった。

 奇異ともいおう、一寸ちょっと微妙なまわり合わせがある。これは、ざっと十年も後の事で、糸七もいくらか稼げる、東京でいささかながら業を得た家業だから雑誌おあつらえの随筆のようで、一度話した覚えがある。やや年下だけれど心置かれぬ友だちに、──ようから、本名俳名も──谷活東たにかっとうというのが居た。


 作意でほぼその人となりも知れよう、うまれは向嶋小梅むこうじまこうめ業平橋なりひらばし辺の家持いえもちの若旦那が、心がらとて俳三昧に落魄おちぶれて、牛込山吹町の割長屋、薄暗く戸をとざし、夜なか洋燈をつけるどころか、身体からだにも油を切らしていた。

 昔からこうした男には得てつきものの恋がある。最も恋をするだけなら誰がしようと御随意で何処からも槍は出ない。許嫁いいなずけ打壊ぶっこわれだとか、三社様の祭礼に見初めたとかいう娘が、柳橋で芸妓げいしゃをしていた。

 さて、その色にも活計かっけいにも、寐起ねおきにも夜昼の区別のない、迷晦朦朧めいかいもうろうとして黄昏男と言われても、江戸児えどッこだ、大気たいきなもので、手ぶらで柳橋の館──いや館は上方──何とかへ推参する。その芸しゃの名を小玉といった。

 借りたか、ったか未だつまびらかならずであるが、本望だというのに、絹糸のような春雨でも、襦袢じゅばんもなしに素袷すあわせ膚薄はだうすな、と畜生め、何でもといって貸してくれた、と番傘に柳ばしと筆ぶとに打つけたのを、友だち中へ見せびらかすのが晴曇りにかかわらない。いわんや待望の雨となると、長屋近間の茗荷畠みょうがばたけや、水車なんぞでは気分が出ないとまだむかしのままだった番町へのして清水谷しみずだにへ入り擬宝珠ぎぼしのついた弁慶橋で、一振柳を胸にたぐって、ギクリとなって……ああ、逢いたい。顔が見たい。

こたまだ、こたまだ

 こたまだ……

 その辺の蛙の声が、皆こたまだ、こたまだ、と鳴くというのである。

 唯、糸七の遠い雪国のその小提灯の幽霊の徜徉さまよう場所が小玉小路、断然話によそえて拵えたのではない、とすると、蛙にちなんで顕著なる奇遇である。かたり草、ことの花は、蝶、鳥の翼、くちばしには限らない、その種子は、地を飛び、空をめぐって、いつその実を結ぼうも知れないのである、──これなども、道芝、仇花の露にも過ぎない、実を結ぶまではなくても、かすかな葉を装いはかない色を彩っている、ただしそれにさえ少からぬ時を経た。

 明けていうと、活東のその柳橋の番傘を随筆に撰んだ時は、──それ以前、糸七が小玉小路で蛙の声を聞いてから、ものの三十年あまりを経ていたが、胸の何処どこかに潜み、心の何処にかくれたか、翼なく嘴なく、色なく影なき話の種子は、小机からも、硯からも、その形をあらわさなかった、まるで消えたように忘れていた。

 それを、その折からお十四五年ののち、修禅寺の奥の院みち三宝ヶ辻にたたずんで、蛙を聞きながら、ふと思出おもいだした次第なのである。

 悠久なるかな、人心の小さき花。

 ああ、悠久なる……

 そんな事をいったって、わかるような女連おんなれんではない。

「──一つこの傘を廻わして見ようか。」

 糸七は雨のなかで、──柳橋をざっと話したのである。

「今いった活東が弁慶橋でやったように。」

「およしなさい、沢山。」

 と女房が声ばかりでたしなめた。田の縁に並んだが中に娘分が居ると、もうその顔が見えないほど暗かった。

「でも、妙ね、そういえば……何ですって、蛙の声が、その方には、こがれる女の小玉だ、小玉だと聞こえたんですって、こたまだ。あら、真個ほんとうだ、串戯じょうだんじゃないわ、叔母さん、こたまだ、こたまだッて鳴いてるわね、中でも大きな声なのねえ、叔母さん。」

「まったくさ、私もおかしいと思っているほどなんだよ、気の所為せいだわね、……気の所為といえば、新ちゃんどう、あの一斉に鳴く声が、活東さんといやしない?……

かっと、かっと、

 かっと、……

 それ、揃って、皆して……」

「むむ、聞こえる、──かっと、かっと──か、そういえば。──成程これはおもしろい。」

 女房のいうことなぞは滅多に応といった事のない奴が、これでは済むまい、蛙の声を小玉小路で羨んだ、その昔の空腹を忘却して、図に乗気味のりぎみに、田の縁へ、ぐっとしゃがんで聞込ききこむ気で、いきなり腰を落しかけると、うしろ斜めに肩を並べてひさしの端を借りていた運転手の帽子を傘でたたいて驚いたのである。

「ああ、これはどうも。」

 そのくせ、はじめは運転手が、……道案内の任がある、つは婦連おんなれんのために頭に近い梟の魔除まよけの為に、降るのにわざと台から出て、自動車に引添って頭から黒扮装の細身に腕を組んだ、一寸ちょっと探偵小説のやみじあいの挿絵に似た形できっとしてたたずんでいたものを、暗夜のなわての寂しさに、女連が世辞を言って、身近におびき寄せたものであった。

「ごめんなさい、熊沢さん。」

 こんな時の、名も頼もしい運転手に娘分の方が──そのかわり糸七のためにわびをいって、

「ね、小玉だ、小玉だ、……かっと、かっと……叔母さんのいうように聞こえるわね。」

「蛙なかまも、いずれ、さかり時の色事でございましょう、よく鳴きますな、調子に乗って、波を立てて鳴きますな、星が降ると言いますが、あの声をたたく雨は花片はなびらの音がします。」

 月があると、昼間見た、うねに咲いた牡丹の影が、ここへかさなって映るであろう。

「旦那。」

「………」

 妙に改った声で、

「提灯が来ますな──むこうから提灯ですね。」

「人通りがあるね。」

「今時分、やっぱり在方ざいかたの人でしょうね。」

 娘分のいうのに、女房は黙って見た。

 温泉の町入口はずれと言ってもよかろう、もう、あの釣橋よりも此方へ、土を二三尺離れて一つともれて来るのであるが、女連ばかりとは言うまい、糸七にしても、これは、はじめ心着いたのが土地のもので様子の分った運転手でかった、そうでないと、いきなり目の前へ梟の腹で鬼火が燃えたようにおびえたかも知れない。……見えるその提灯が、むくむくとともすわって、いびつにおおきい。……軒へ立てる高張たかはりは御存じの事と思う、やがてそのくらいだけれども、夜のなわてのこんな時に、唯ばかりでは言い足りない。たとえば、かざしている雨の番傘をばさりと半分に切って、ややふくらみを継足つぎたしたと思えばいい。

 樹蔭の加減か、雲が低いか、水濛すいもうが深いのか、持っているものの影さえなくて、その提灯ばかり。

 つらつらつらつらと、動くのに濡色ぬれいろが薄油に、ほの白くつやを取って、降りそそぐ雨を露に散らして、細いしぶきを立てると、その飛ぶ露の光るような片輪にもう一つ宙にふうわりとほのあかりの輪を大きく提灯の形に巻いて、かつそのずぶ濡の色を一息にじったわめながら、風も添わずに寄って来る。

 姿が華奢きゃしゃだと、女一人くらいは影法師にしてさかさに吸込みそうな提灯のおおきさだから、一寸ちょっと皆声を㖭んだ。

「田の水がぼうと映ります、あのあかりだと、縞だの斑だの、赤いのも居ますか、蛙の形があらわれて見えましょうな。」

 運転手がいうほど間近になった。同時に自動車が寐ているおおきな牛のように、その灯影を遮ったと思うと、スッと提灯が縮まって普通の手提に小さくなった。汽車が、その真似をする古狸を、線路で轢殺ひきころしたという話が僻地にはいくらもある。文化が妖怪を減ずるのである。が、すなおに思えば、何かの都合で図抜けに大きく見えた持手が、吃驚びっくりした拍子にもとの姿を顕わしたのであろう。

「南無、観世音……」

 打念じたる、これを聞かれよ。……村方の人らしい、鳴きながらの蛙よりは、泥鼈すっぽんを抱いていそうな、しずくの垂る、雨蓑を深く着た、蓑だといって、すぐに笠とは限らない、古帽子だか手拭だか煤けですっぱりと頭を包んだから目鼻も分らず、雨脚は濁らぬが古ぼけた形で一濡れになってあらわれたのが、──道巾は狭い、身近な女二人に擦違おうとして、ぎょッとしたように退すさると立直って提灯を持直もちなおした。

 音を潜めたように、跫音あしおとを立てずに山際についてそのまま行過ゆきすぎるのかと思うと、ひったりと寄って、運転手の肩越しに糸七の横顔へ提灯を突出つきだした。

 蛙かと思う目が二つ、くるッと映った。

 すぐに、もとへ返して、今度は向う廻りに、娘分の顔へ提灯を上げた。

 その時である、菩薩の名を唱えたのは──

「南無観世音。」

 続けて又唱えた。

「南無観世音……」

 この耳近な声に、娘分は湯上りに化粧したくびを垂れ、前髪でうつむいた、その白粉おしろいの香の雨に伝う白い顔に、一条ひとすじほんのりと紅を薄くさしたのは、近々と蓑の手の寄せた提灯の──模様かと見た──朱の映ったのである、……あとで聞くと、朱で、かなだ、「こんばんは」と記したのであった。

 このまざまざと口を聞くが、声のない挨拶には誰も口へ出して会釈を返す機を得なかったが、菩薩の称号に、その娘分に続いて、糸七の女房も掌を合わせた。

「南無観世音……」

 また繰返しながら、蓑の下の提灯は、ほらの口へ吸わるる如く、奥在所の口を見るうちに深く入って、肩からすそへすぼまって、消えた。

「まるで嘲笑あざわらうようでしたな、帰りがけに、またあの梟めが、まだ鳴いています──爺い……老爺らしゅうございましたぜ。……爺も驚きましたろう、何しろ思いがけない雨のやみに第一ご婦人です……気味の悪さに爺もお慈悲を願ったでしょうが、観音様のおかげで、此方が助かりました、……一息冷汗になりました。」

 するすると車は早い。

「観音様は──男ですか、女でいらっしゃるんでございますか。」

 ひびきの応ずる如く、

「何とも言えない、うつくしい女のお姿ですわ。」

 と、浅草寺せんそうじの月々のお茶湯日を、やがて満願に近く、三年の間一度も欠かさない姪がいった。

「まったく、そうなんでございますか、旦那。」

「それは、その、何だね……」

 いい塩梅あんばいに、車は、雨もふりやんだ、青葉の陰の濡色の柱のうっすり青い、つつじのあかるい旅館の玄関へ入ったのである。

 出迎えて口々におかえんなさいましをいうのに答えて、糸七が、

唯今ただいま夜遊よあそびの番傘がもどりました──熊沢さん、今のはだね、修禅寺の然るべき坊さんに聞きたまえ。」


 天狗の火、魔の燈──いや、雨の夜のなわてで不思議な大きな提灯をたからと言ってあえて図に乗って、妖怪を語ろうとするのではない、かえって、偶然のある場合にはそれが普通の影象らしい事を知って、糸七は一先ひとまどくしゃとともに安心をしたいと思うのである。

 学問、といっては堅過かたすぎよう、勉強はすべきもの、本は読むべきもので、後日、紀州にまるる著名の碩学せきがく南方熊楠みなかたくまぐす氏の随筆を見ると、その龍燈について、と云う一章の中に、おなじ紀州田辺の糸川恒太夫いとかわこうだゆうという老人、中年まで毎度野諸村を行商した、秋の末らしい……一夜、新鹿村のみなとに宿る、この湊の川上に浅谷とたとうるのがある、それと並んで二木嶋、片村、曾根と谿谷が続く二谷の間を、古来天狗道と呼んで少からず人のおそるる処である。時に糸川老人の宿った夜はあたかも樹木挫折ひしおれ、屋根ひさし摧飛くだけとばんとする大風雨であった、宿の主とても老夫婦で、客とともに揺れ撓む柱を抱き、わずかに板形の残った天井下の三畳ばかりに立籠たてこもった、と聞くさえ、……わけて熊野の僻村らしい…その佗しさが思遣おもいやられる。唯、ここに同郡羽鳥に住む老人の一人の甥、茶の木原に住む、その従弟を誘い、素裸に腹帯をめて、途中川二つ渡って、伯父夫婦を見舞に来た、宿に着いたのは真夜中二時だ、と聞くさえ、その胆勇たんゆうほとんど人間の類でない、が、暴風ぼうふう強雨きょうう如法にょほう大闇黒中だいあんこくちゅう、かの二谷を呑んだ峯の上を、見るも大なる炬火きょか廿にじゅうばかり、烈々としてつらなり行くを仰いで、おなじ大暴風雨に処する村人の一行と知りながら、かかればこそ、天狗道の称が起ったのであると悟って話したという、が、あるいは云う処のネルモの火か。

 なお当の南方氏である、先年西牟婁むろ郡安都ヶ峯下より坂泰ばんたいみねえ日高丹生川にて時を過ごしすぎられたのを、案じて安堵の山小屋より深切しんせつに多人数で捜しに来た、人数の中に提灯唯一つ灯したのが同氏の目には、ふと炬火数十束一度に併せ燃したほどに大きく見えた、と記されている。しかも嬉しい事には、談話に続けて、続膝栗毛善光寺道中に、落合峠のくらやみに、例の弥次郎兵衛、北八が、つれの猟夫の舌を縮めた天狗の話を、何だ鼻高、さあ出て見ろ、その鼻を引挘ひきむしいで小鳥の餌をってやろう、というを待たず、猟夫の落した火縄たちまち大木の梢に飛上とびあがり、たった今まで吸殻ほどの火だったのが、またたくうちに松明たいまつおおきさとなって、枝も木の葉もざわざわと鳴って燃上ったので、頭も足も猟師もろとも一縮み、生命ばかりはお助け、と心底から涙……が可笑おかしい、櫔面屋とちめんや喜多利屋きたりやと、這個しゃこ二人の呑気ものが、一代のうちに唯一度であろうと思う……涙を流しつつ鼻高様に恐入おそれいった、というのが、いまの南方氏の随筆に引いてある。

 夜の燈火は、場所により、時とすると不思議のしょうを現わす事があるらしい。

 幸に運転手が猟師でなかった、おんなたちが真先に梟の鳴声に恐れた殊勝さだったから、大きな提灯が無事に通った。

 が、例を引き、因を説きもうひらく、大人の見識を表わすのには、南方氏の説話を聴聞することが少しばかりおくれたのである。

 実は、怪を語れば怪至る、風説をすれば影がさす──先哲の識語にかんがみて、温泉宿には薄暗い長廊下が続く処、人の居ない百畳敷などがあるから、逗留中、取り出ては大提灯の怪を繰返して言出さなかったし、東京にかえればパッと皆消える……日記を出して話した処で、鉛筆の削屑ほども人が気に留めそうな事でない、おんなたちも、そんな事より釜の底の火移りで翌日のお天気を占う方が忙しいから、ただそのままになって過ぎた。

 翌年──それは秋の末である。糸七は同じ場所──三宝ヶ辻の夜目に同じ処におなじ提灯のあらわれたのをた。──

 ……そうは言っても第一季節は違う、蛙の鳴く頃ではなし、それにその時は女房ばかりが同伴の、それも宿に留守して、夜歩行よあるきをしたのは糸七一人だったのである。

 夕餉ゆうげが少しおそくなって済んだ、女房は一風呂入ろうと云う、糸七は寐る前にと、その間をふらりと宿を出売、奥の院の道へ向ったが、

「まず、御一名──今晩は。」

 と道しるべの石碑に挨拶をする、微酔ほろよいのいい機嫌……機嫌のいいのは、まだ一つ、上等の巻莨まきたばこに火を点けた、勿論自費購求の品ではない、大連に居る友達が土産にくれたのが、素敵な薫りで一人その香を聞くのがおしい、燐寸マッチの燃えさしは路傍の小流こながれに落したが、さらさらと行く水の中へ、ツと音がして消えるのが耳についたほど四辺はしずかで。……あの釣橋、その三宝ヶ辻──一昨夜、例の提灯の暗くなって隠れた山入の村を、とふとみまわしたが、今夜はもとより降ってはいない、がさあ、幾日ぐらいの月だろうか、薄曇りに唯ぼうとして、暗くはないが月は見えない、星一つ影もささなかった、風も吹かぬ。

 煙草の薫が来たあとへも、ほんのりと残りそうで、袖にも匂う……たまさかに吸ってふッと吹くのが、すらすらと向うへなびくのに乗って、なわたのほの白いのをむともなしに、うかうかと前途なるその板橋を渡った。

 ここで見た景色を忘れない、苅あとの稲田は二三尺、濃い霧に包まれて、見渡すかぎり、一面のおぼろの中に薄煙を敷いた道が、ゆるく、長く波形になって遥々はるばると何処までともなく奥の院の雲の果まで、遠く近く、一むらの樹立こだちに絶えては続く。

 その路筋を田の畔畷あぜの左右に、一つ、二つ、三つ、四つ、五つ、六つ、七つと順々に数えるとふわりと霧に包まれて、ぼうとうら消えたのが浮いて出たようにまた一つ二つ三つ四つ五つ、稲塚──その稲塚が、ひょいひょいと、いや、実のあとといえば気は軽いけれども、夜気に沈んだ薄墨の石燈籠の大きな蓋のように何処までも行儀よく並んだのが、中絶えがしつつ、雲の底に姿の見えない、月にかけた果知れぬ八ツ橋のさまながめられた。

 四辺は、ものの、ただ霧のおぼろである。

 糸七は、そうした橋を渡った処に、うっかり恍惚うっとりたたずんだが、すそに近く流の音が沈んで聞こえる、その沈んだのが下から足を浮かすようで、余り静かなのが心細くなった。

 あの稲塚がむくむくと動き出しはしないか、一つ一つ大きな笠をかぶった狸になって、やがては誘い合い、うなずきかわし、寄合って手を繋ぎ、振向いて見返るのもあって、けたけたと笑出わらいだしたらどうだろう。……それはまだくみし易い。宿縁にって仏法を信じ、霊地を巡拝すると聞く、あの海豚いるかの一群が野山の霧を泳いで順々に朦朧と列を整えて、ふかりふかりと浮いつ沈んつ音なく頭を進めるのに似て、稲塚の藁の形は一つ一つその頂いた幻のおおきな笠の趣がある。……

 いや、串戯じょうだんではない、が、ふと、そんな事を思ったのも、余り夜ただ一色の底を、しずかに揺って動く流の音にただよわされて、心もうわの空になったのであろう……と。

 何も体裁を言うには当らない、ぶちまけて言えば、馬鹿な、糸七は……狐狸こりとは言うまい──あたりを海洋に変えた霧にみこまれそうになったのであろう、そうらしい……

 で幽谷の蘭の如く、一人で聞いていた、巻莨まきたばこを、其処から引返しざまに流に棄てると、真紅なつぼみが消えるように、水までは届かず霧に吸われたのをしかと見た。が、すぐに踏掛けた橋の土はふわふわと柔かな気がした。

 それからである。

 かかる折しも三宝ヶ辻で、また提灯に出会った。

 もとの三宝ヶ辻まで引返すと、ちょうどいつかの時とほとんど同じ処、その温泉の町から折曲一つ折れて奥の院参道へあらたまる釣橋の袂へ提灯がふうわりと灯も仄白ほのじろんで顕われた。

 糸七は立停たちどまった。

 忽然として、仁王が鷲掴みにするほど大きな提灯になろうも知れない。夜気は──夜気はほぼ似て居るが、いま雨は降らない、けれども灯の角度が殆ど同じだから、当座仕込の南方学みなかたがくに教えられた処によれば、この場合、偶然エルモの火を心して見る事が出来ようと思ったのである。

 ──違う、提灯が動かない霧にすわったままの趣ながら、しずかにやや此方へ近づいたと思うと、もう違うも違いすぎた──そんな、古蓑で頬被ほっかむりをした親爺には似てもつかぬ。髪の艶々つやつやと黒いのと、色のうつくしく白い顔が、たけだちすらりとして、ほんのり見える。

 婦人が、いま時分、唯一人。

 およそ、積っても知れるが、前刻、旅館を出てから今になるまで、糸七は人影にも逢わなかった。成程、くらやみの底を抜けば村の地へ足は着こう。が、一里あまり奥の院まで、曠野の杜を飛々とびとびに心覚えの家数は六七軒と数えてとおに足りない、この心細い渺漠びょうばくたる霧の中を何処へ吸われて行くのであろう。里馴れたものといえば、ただ遥々はるばるなわてを奥下りに連った稲塚の数ばかりであるのに。──しかも村里の女性の風情では断じてない。

 霧は濡色ぬれいろしゃを掛けた、それを透いて、かえって柳の薄い朧に、霞んだ藍か、いや、淡い紫を掛けたような衣の彩織で、しっとりともう一枚羽織はおなじようで、それよりも濃く黒いように見えた。

 時に、例の提灯である、それが膝のあたりだから、つまは消えた、そして、胸の帯が、空近くして猶且なおかつ雲の底に隠れた月影が、其処にばかり映るように艶を消しながら白く光った。

 唯、ここで言うのは、言うのさえ、余り町じみるが、あの背負揚しょいあげとか言うものの、灯の加減で映るのだろうか、ちらちらと……いや、霧が凝ったから、花片はなびら、緋の葉、そうは散らない、すッすッと細く、毛引けびき雁金かりがねを紅で描いたように提灯に映るのが、透通すきとおるばかり美しい。

「今晩は。」

 この静寂さ、いきなり声をかけて行違ゆきちがったら、耳元で雷……はがありすぎる、それこそ梟が法螺ほらを吹くほどに淑女を驚かそう、黙ってぬっと出たら、狸が泳ぐと思われよう。

 ここは動かないでいるに限る。

 第一、あの提灯の小山のように明るくなるのを、じっとして待つ筈だ。

 糸七は、かつて熱海にも両三度入湯した事があって、同地に知己の按摩がある。療治が達しゃで、すこし目が見える、夜話が実に巧い、職がらで夜戸出よとでが多い、そのいろいろな話であるが、ず水口園の前の野原の真中で夜なかであった、茫々とした草の中から、足もとへ、むくむくと牛の突立つったつように起上った大漢子おおおとこが、いきなり鼻の先へ大きな握拳にぎりこぶし突出つきだした、「マッチねえか。」「身ぐるみ脱ぎます──あなたの前でございますが。……何、この界隈トンネル工事の労働しゃが、酔払って寐ころがっていた奴なんで。しかし、その時は自分でも身に覚えて、がたがたぶるぶると震えてましてな、へい。」まだある、新温泉の別荘へ療治に行ったかえりがけ、それが、真夜中、時刻もちょうど丑満うしみつであった、みや神社へ上り口、新温泉は神社の裏山に開けたから、皈りみちの按摩さんには下口になる、隧道ずいどうの中で、今時、何と、うしとき参詣まいりにまざまざと出会った。黒髪を長く肩を分けておどろさばいた、青白い、細面ほそおもておんなが、白装束といっても、浴衣らしい、寒の中に唯一枚、糸枠に立てると聞いた蝋燭を、裸火で、それを左に灯して、右手に提げたのは鉄槌てっついに違いない。さて、藁人形と思うのは白布で、小箱を包んだのを乳の下鳩尾みずおちへ首からつるした、頬へ乱れた捌髪さばきがみが、その白色を蛇のように這ったのが、あるくにつれて、ぬらぬら動くのが蝋燭の灯の揺れるのに映ると思うと、その毛筋へぽたぽたと血の滴るように見えたのは、約束の口にくわえた、その耳まで裂けるという梳櫛すきぐしのしかもそれが燃えるような朱塗であった。いや、その姿が真の闇暗くらやみの隧道の天井を貫くばかり、行違ゆきちがった時、すっくりと大きくなって、目前を通る、白い跣足はだしが宿の池にありましょう、小さな船。あれへ、霜が降ったように見えた、「私は腰を抜かして、のめったのです。あの釘を打込む時は、杉だか、くすだか、その樹の梢へその青白い大きな顔が乗りましょう。」というのである。

 ──まだある、秋の末で、その夜は網代あじろごうの旧大荘屋の内へ療治を頼まれた。旗桜の名所のある山越の捷陘しょうけいは、今は茅萱ちがやに埋もれて、人の往来は殆どない、伊東通い新道の、あの海岸を辿って皈った、その時も夜更よふけであった。

 やがて二時か。

 もう、網代の大荘屋を出た時から、途中松風と浪ばかり、みちに落ちたあかい木の葉も動かない、月は皎々こうこう昭々しょうしょうとして、磯際の巌も一つ一つ紫水晶のように見えて山際の雑樹ぞうきが青い、穿いた下駄の古鼻緒も霜を置くかと白く冴えた。

 ……牡丹は持たねど越後の獅子は……いや、そうではない、たしなみがあったら、何とか石橋しゃっきょうでも口誦くちずさんだであろう、途中、目の下に細く白浪の糸を乱して崖に添って橋を架けた処がある、その崖には滝がかかって橋の下は淵になった所がある、熱海から網代へ通る海岸の此処は言わば絶所である。按摩さんがちょうどその橋を渡りかかると、浦添うらぞえを曲る山の根に突出つきで巌膚いわはだに響いて、カラカラコロコロと、冴えた駒下駄の音が聞こえて、ふと此方の足の淀む間に、その音が流れるように、もう近い、勘でも知れる、たしかに若いおんなだと思うと悚然ぞっとした。

 寐鳥ねどりの羽音一つしない、かかる真夜中に若いおんなが。按摩さんには、それ、かつて丑の時詣のもの凄い経験がある、そうではなくても、いずれ一生懸命のおんなにも突詰つきつめた絶壁の場合だと思うと、たちまさっと殺気を浴びて、あとへもさきへも足が縮んだ、右へのめれば海へ転がる、左へ転べば淵へ落ちる。杖を両手にひしと掴んで根をめ、がッしりと腰を据え、欄干のない橋際を前へ九分ばかり譲って、其処をお通り下さりませ、で、一分だけわがものに背筋へ滝の音を浴びてしゃがんで、うつくしい魔の通るのをこらえて待ったそうである。それがまた長い間なのでございますよ、あなたの前でございますが。カラン、コロンがき其処にきこえたと思いましたのが、実はその何とも寂然しんとした月夜なので、遠くから響いたので、御本体ははるかに遠い、お渡りに手間が取れます、寒さは寒し、さあ、そうなりますと、がっがっごうごうという滝の音ともろともに、ぶるぶるがたがたと、ふるえがとまらなかったのでございますが、話のようで、飛んでもない、何、あなた、ここに月明つきあかりに一人、橋に噛りついた男が居るのに、そのカラコロの調子一つ乱さないで、やがてすまして通過とおりすぎますのを、さあ、鬼か、魔か、と事も大層に聞こえましょうけれども、まったく、そんな気がいたしましてな、千鈞せんきんの重さで、すくんだ頸首くび獅噛しがみついて離れようとしません、世間様へお附合ばかり少々櫛目を入れましたこの素頭すあたま捻向ねじむけて見ました処が、何と拍子ぬけにも何にも、銀杏返いちょうがえしの中背の若い婦で……娘でございますよ、妙齢の──姉さん、姉さん──私は此方が肝を冷しましただけ、余りに対手あいての澄して行くのに、口惜くなって、──今時分一人で何処へ行きなさる、──いいえ、あの、網代へかえるんでございますと言います、農家の娘で、野良仕事の手伝を済ました晩過ぎてから、裁縫のお稽古に熱海まで通うんだとまた申します、痩せた按摩だが、大の男だ、それがさ、活きた心地はなかった、というのに、お前さん、いい度胸だ、よく可怖こわくないね、といいますとな、おっかさんに聞きました、かんざしを逆手に取れば、婦は何にも可恐こわくはないと、いたずらをする奴の目の球を狙うんだって、キラリと、それ、ああ、危い、この上目を狙われてたまるもんでございますか、もう片手に抜いて持っていたでございますよ、串戯じょうだんじゃありません、裁縫がえりの網代の娘と分っても、そのうつくしい顔といい容子ようすといい、月夜の真夜中、折からと申し……といって揉み分けながらその聞手ききての糸七の背筋へ頭を下げた。観音様のお腰元か、弁天様のお使姫、当の娘の裁縫というのによれば、そのまま天降あまくだった織姫のよう思われてならない、というのである。

 こうしたどの話、いずれの場合にも、あってしかるべき、冒険の功名と、武勇の勝利がともなわない、熱海のこの按摩さんは一種の人格しゃと言ってもいい、学んでしかるべしだ。

 ──ところで、いま、修禅寺奥の院道の三宝ヶ辻に於ける糸七の場合である。

 夜の霧なかに、ほのかな提灯の灯とともに近づくおぼろにうつくしいおんなの姿に対した。

 糸七はそのまま人格しゃの例に習った、が、按摩でないだけに、姿勢はかれと反対に道を前にして洋杖ステッキを膝に取った、突出つきだしては通る人のもすそを妨げそうだから。で、道端へしゃがんだのである。

 がさがさと、踞込しゃがみこむ、その背筋へ触るのが、苅残かりのこしの小さな茄子畠で……そういえば、いつか番傘で蛙を聞いた時ここにうね近く蚕豆そらまめの植っていたと思う……もう提灯が前を行く……その灯とともに、枯茎に残った渋い紫の小さな茄子が、眉をたたき耳を打つつぶての如く目を遮るとばかりのひまに、婦の姿は通過とおりすぎた。

 や、一人でない、銀杏返いちょうがえしの中背なのが、添並そいならんでと見送ったのは、按摩さんの話にくッつけた幻覚で、無論唯一人、中背などというよりは、すっとすらりと背が高い、そして、気高く、姿に威がある。

 その姿が山入やまいりの真暗な村へは向かず、道の折めを、やや袖ななめに奥の院へ通う橋の方へ、あの、道下り奥入りに、揃えて順々に行方も遥かに心細く思われた、稲塚の数も段々に遠い処へ向ったのである。

 釣橋の方からはじめは左の袖だった提灯が、そうだ、その時ちらりと見た、糸七の前を通る前後を知らぬ間に持替もちかえたらしい、いまその袂にともれる。

 その今も消えないで、かえって、色の明くなった、ちらちらと映る小さな紅は、羽をつないで、二つつづいた赤蜻蛉あかとんぼで、形が浮くようで、沈んだようで、ありのままの赤蜻蛉か、提灯に描いた画か、見る目には定まらないが、すがたは鮮明に、その羽摺れに霧がほぐれるように、尾花の白い穂がなびいて、かすかな音の伝うばかり、二つの紅いすじが道芝の露に濡れつつ、薄い桃色に見えて行く。

底本:「文豪怪談傑作選 泉鏡花集 黒壁」ちくま文庫、筑摩書房

   2006(平成18)年1010日第1刷発行

底本の親本:「鏡花全集 第二十四卷」岩波書店

   1940(昭和15)年630

初出:「文藝春秋」

   1939(昭和14)年11月号

※「畷」に対するルビの「なわて」と「なわた」の混在は、底本通りです。

入力:門田裕志

校正:坂本真一

2017年112日作成

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