枯草
野口雨情
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花も実もなき枯草の一篇わが親愛なる諸兄に捧ぐ |
草に咲くさへ
毒の花
罪の花みな
紅からむ
羽うるはしき
例の童が
罪の矢ならば
美しかろ
唇にふれなば
倒るべき
毒の花なら
甘からむ
雲の香沈む有明の
月の森よりそと出でて
麦の緑の岡に立ち
見るよ平和の村の朝
霞の中に黄金色の
菜種の花は咲きにしが
葦の芽に降る春雨の
そそぐ韻も聞きにしが
麦の葉に吹く曙の
風は東にそよそよと
朝の香深き岡なれば
夢美しく眠るらむ
平和の村は有明の
み空に懸る雲の幕
雲の幕よりほころびて
草に甘露の霧が降る
瞳を上げよ寂しくも
雲にまぎるる島山の
森にぞ秋は浮びたる
入江に満つる海の香も
思ひか迷ふ金色の
夕日ただよふ波の上
さても静けき潮さゐに
海の日暮れて紫の
雲が流るる佐渡が島
舟ぢや女ぢや腕細ぢや
それでは波が関の戸の
佐渡は四十九里沖の島
桃の花咲く山寺の
籠に飼れし鶯に
仔細と申し聞すべく
したり貌なる猫の子よ
それは去年の春の事
花は霞にこめられて
桜が匂ふ曙の
帳薫ずる花の山
うれしき春の終日を
歓び叫ぶ百鳥の
真珠ころがす汝が声に
ききまどふこそ楽けれ
その日ゆ永き日月を
花の冠の鳥の子と
流転の玉のなが声は
永久の春に響くめり
己がのぞみをみだすべく
したたか者の猫の子は
籠に飼れし鶯に
仔細と申し語るらく
さつさ行きませう
あの山越えりや
淀の流が
花ざかり
桜は咲けど故郷の
月は朧に川しぶき
花は咲けどもちりちりに
淀の川瀬の水車
姉はよけれど妹に
鬼のお主の杢兵衛さん
とても暇はくださらず
それでお主と申すより
さつさ行きませう
あの山越えて
淀は故郷
花の里
手をこまぬきて逍遙の
牛の牧場に日は暮れぬ
夕の声の譜に合はず
林の中にひびきあり
松の林のあちこちに
耳傾けて佇めば
そは鵙の子のたはぶれて
小鳥の音を鳴く狡猾者よ
汝は野の鳥山の鳥
野の朝山の夕間暮
小鳥を覗ふ蛇の子の
げに横着者よ鵙の子よ
土やはらかく耕して
千草の種を培へば
春風いまだ吹かぬ間に
芽こそ細くも萠ゑにたれ
やがて春風そよそよと
吹けば真昼の日もゆるく
夕となれば白露の
清き匂も満ち渡る
月を重ぬるはや三月
日に日に草ははぐまれて
葉ゆらぐ陰にさまざまの
小き蕾も見ゆるかな
ある夜春雨草の葉の
緑いろよくそそぎしが
あくるあしたの夕より
つぼみは花と咲きにたり
花壇の土の美しく
今こそ花は開きたれ
春の日燃ゆる炎陽に
花の露の香ゆふべも消ゑじ
お竹お十七
暮の春
泣いて別れた
事もあろ
三十九でさへ花ぢやもの
お十七ではまだ蕾
花の蕾の身であろに
なんで浮世が嫌ぢややら
ほんに去年のわづらひは
町のお医者を頼まれ申し
お医者よけれど嫁さに行かば
恋の娘と名に立てられむ
恋の娘は何誰でござる
お釈迦さまではあるまいし
甘茶にするのは
罪ぢやもの
お竹お十七
暮の春
泣いて別れた
事もあろ
霞の幕はたなびきて
春は土佐絵の山桜
君よ青きを踏み玉へ
いざ野に出でて踏み玉へ
春のよき日は麗に
こがねの雲の日は燃ゑて
野にも山にも流にも
百千の鳥はさけぶめり
君よ青きを踏み玉へ
いざ野に出でて踏み玉へ
踏めば緑の若草に
ああ春の香は深からむ
安鎮清姫日高川の絵を見てそぞろに恋の悲劇を思ふ
夕は萌ゆる恋草の
あしたは消ゆる花の露
夜は美しき墨染の
絹紅の裳裾の身ぞつらき
君よゆかしき紫の
ゆかりに結べ袖と袖
蝶よ花よと父母の
膝にすがるは恥かしき
恋の悲劇は玉の緒の
総ての罪の終りなり
罪の終りはうたかたの
日高の川の涙なり
逢はせぬかよ
この川すそで
一夜どまりは桜の花よ
花のやうなる旅の僧
泡立つ海の輝くは
ああ太陽の照すなり
宝の沈む夜の海は
人に想をいたましむ
ぬぐふが如き白銀の
月の光は玉を綴り
繊雲遠くあかねさして
平和に満つる海の朝空
瑠璃なす蜜の香に酔うごと
琥珀の盃を嘴にふくみて
はしらの宮のみ使の
鴎は雲にまぎれ飛ぶ
閨の襖に紫の
ゆかりの幕を垂れこめて
如何にお嘆き遊ばすも
それはお無理と申すもの
夜はまばゆき
金屏に
姫はよき衣
かつげども
谷の峡の
うむれ木の
世にふるものよ
いたはしき
眉の薄きは濃くならず
鼻の低きは生れつき
如何にお嘆き遊ばすも
医者に薬はあらざらむ
お色黒くば鴨川の
水にしばらく召し給へ
唇には京の下町の
臙脂ほどよくさし給へ
あはれゆかしきみ住ひの
玉のうてなの閨の戸に
如何にお嘆き遊ばすも
それはお無理と申すもの
雛祭りする九歳の
お竹は又も思ひけり
桃の花 桃の花
雛さまと何語る
去年も今年も
一昨年も
物めしまさぬ
優しさよ
日は永くして雛様の
欠伸に暮るる三ヶ日
夜は短くて桃の花
ねむた顔なる春の宵
一夜雛壇灯は消えて
幼きものよと子鼠の
幾ともがらは忍び来ぬ
されども家人は知らでありき
雛さまの雛さまの
鼻かぢられて哀れなり
緋桃の花は散りけりと
次の朝下婢あはて告げぬ
日の暮方に
空見れば
いつも敢果ない
事ばかり
すすき尾花は
穂に咲けど
秋の花ゆゑ
淋しかろ
恋はすれども
恋わすれても
めくら魚で
阿漕が浦よ
朝見れば東の海に
紋波の低きはあれど
浮雲の白きも見えず
海鴎は沖に飛べども
わたつみの彼方の岸に
羊飼ふ童もありや
あかつきの東の浜に
朝空のみ神とばかり
さまよへる乙女のひとり
うら若き身にありながら
黒髪は裳裾にかかれ
徒に嘆くは止めよ
今朝見れば東の海の
天地に雲はなけれど
又しても乙女はひとり
さまよへるかな
ほんに潮来へ
おじやるなら
佐原来栖に
お茶屋がござろ
姉さ召しませ
のう姉さ
花の乙女が後朝の
涙の雨が降るぞえの
一夜かりねの
手枕に
かりの妻ぢやと唄はれて
明日は何方の何処ぢややら
皐月照れ照れ
菖蒲も植ゑよ
お女郎見やんせ十六島は
雨の降るのに花が咲く
月なき秋の夜なぞ茄子枯れたる畑中に鳴く虫あり世人俗に蚯蚓の鳴くなりと言ふ
あはれ蚯蚓とあざけれど
背戸に人待つ少女子が
首うなだれて闇の夜に
聞くよ淋しき汝が唄
見よ閨の戸の夕間ぐれ
あふぐになれし星の海
されど心の香に酔うて
よしなきことを思ふかな
闇の潮に沈みたる
静夜の夢はさまさずも
夜鳴く虫のかなしさに
忘れがたきがあればなり
春の名残の
時の上に
紅き花こそ
惜みたれ
夏の流れの
行く水に
真白き花も
咲きにたり
翼あらむか空ゆくに
瞳あらむか物見むに
いづれ羽根なき翼なき
なれは盲目の土の精
夕さびしき草の戸の
雲にこぼるる星影を
市に行くべき虫ならば
さこそ思も清からじ
嗚呼有情の萬象の子よ
慰藉に唄ふひとふしも
げに東雲の近づけば
塵と埃に甘眠せむ
朝は静けき太陽の
繊雲とほく照しつつ
白露しげき草の葉に
あはれなが世の幸ありや
なれの姿は醜くも
ものの悲しき音にふれて
細く妙なる美きこゑを
聞けば胸こそすみ渡れ
人の生活の戦も
あはれ声なき夜の陣
いのりに眠るなが唄の
曲に律ある闇の韻
三十七年暮の二十七日、吾不運を嘆きつつ日没の海辺をさまよひて、同じおもひにありと聞く古河の思水子に寄す
風は颪で
寒からむ
幾夜の夢や
時雨るらむ
それは去年の昨日まで
俗に落ちなば死すべしと
鎗は錆ても武士の
鷹になるべう志
彼の青空を眺めては
空かけ渡る羽なくも
必ず鷹になる身ぞと
楽みたりし甲斐なさよ
詩人は銭を惜むなと
それやこれやに呵られぬ
されどうがらが生活を
思はぬ訳にはなり申さず
お銭と申すしれものに
百のしもどを打かれて
ああ徒に手をもがき
足をもがいて詩ならず
弦にはなれし弓の矢の
月日立つのは早けれど
終はすべて
涙なり
底本:「定本 野口雨情 第一巻」未来社
1985(昭和60)年11月20日第1版第1刷発行
底本の親本:「枯草」高木知新堂
1905(明治38)年3月14日刊
初出:村の平和「労働世界」
1902(明治35)年7月3日
鬼のお主「常総新聞」
1905(明治38)年1月1日
花壇の春「暗潮」
1903(明治36)年9月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:noriko saito
2010年4月19日作成
2010年11月4日修正
青空文庫作成ファイル:
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