夫人利生記
泉鏡花
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瑠璃色に澄んだ中空の樹の間から、竜が円い口を張開いたような、釣鐘の影の裡で、密と、美麗な婦の──人妻の──写真を視た時に、樹島は血が冷えるように悚然とした。……
山の根から湧いて流るる、ちょろちょろ水が、ちょうどここで堰を落ちて、湛えた底に、上の鐘楼の影が映るので、釣鐘の清水と言うのである。
町も場末の、細い道を、たらたらと下りて、ずッと低い処から、また山に向って径の坂を蜒って上る。その窪地に当るので、浅いが谷底になっている。一方はその鐘楼を高く乗せた丘の崖で、もう秋の末ながら雑樹が茂って、からからと乾いた葉の中から、昼の月も、鐘の星も映りそうだが、別に札を建てるほどの名所でもない。
居まわりの、板屋、藁屋の人たちが、大根も洗えば、菜も洗う。葱の枯葉を掻分けて、洗濯などするのである。で、竹の筧を山笹の根に掛けて、流の落口の外に、小さな滝を仕掛けてある。汲んで飲むものはこれを飲むがよし、視めるものは、観るがよし、すなわち清水の名聞が立つ。
径を挟んで、水に臨んだ一方は、人の小家の背戸畠で、大根も葱も植えた。竹のまばら垣に藤豆の花の紫がほかほかと咲いて、そこらをスラスラと飛交わす紅蜻蛉の羽から、……いや、その羽に乗って、糸遊、陽炎という光ある幻影が、春の闌なるごとく、浮いて遊ぶ。……
一時間ばかり前の事。──樹島は背戸畑の崩れた、この日当りの土手に腰を掛けて憩いつつ、──いま言う──その写真のぬしを正のもので見たのである。
その前に、渠は母の実家の檀那寺なる、この辺の寺に墓詣した。
俗に赤門寺と云う。……門も朱塗だし、金剛神を安置した右左の像が丹であるから、いずれにも通じて呼ぶのであろう。住職も智識の聞えがあって、寺は名高い。
仁王門の柱に、大草鞋が──中には立った大人の胸ぐらいなのがある──重って、稲束の木乃伊のように掛っている事は、渠が小児の時に見知ったのも、今もかわりはない。緒に結んだ状に、小菊まじりに、俗に坊さん花というのを挿して供えたのが──あやめ草あしに結ばむ──「奥の細道」の趣があって、健なる神の、草鞋を飾る花たばと見ゆるまで、日に輝きつつも、何となく旅情を催させて、故郷なれば可懐しさも身に沁みる。
峰の松風が遠く静に聞えた。
庫裡に音信れて、お墓経をと頼むと、気軽に取次がれた住職が、納所とも小僧ともいわず、すぐに下駄ばきで卵塔場へ出向わるる。
かあかあと、鴉が鳴く。……墓所は日陰である。苔に惑い、露に辷って、樹島がやや慌しかったのは、余り身軽に和尚どのが、すぐに先へ立って出られたので、十八九年不沙汰した、塔婆の中の草径を、志す石碑に迷ったからであった。
紫袱紗の輪鉦を片手に、
「誰方の墓であらっしゃるかの。」
少々極が悪く、……姓を言うと、
「おお、いま立っていさっしゃるのが、それじゃがの。」
「御不沙汰をいたして済みません。」
黙って俯向いて線香を供えた。細い煙が、裏すいて乱るるばかり、墓の落葉は堆い。湿った青苔に蝋燭が刺って、揺れもせず、燐寸でうつした灯がまっ直に白く昇った。
チーン、チーン。──かあかあ──と鴉が鳴く。
やがて、読誦の声を留めて、
「お志の御回向はの。」
「一同にどうぞ。」
「先祖代々の諸精霊……願以此功徳無量壇波羅蜜。具足円満、平等利益──南無妙……此経難持、若暫持、我即歓喜……一切天人皆応供養。──」
チーン。
「ありがとう存じます。」
「はいはい。」
「御苦労様でございました。」
「はい。」
と、袖に取った輪鉦形に肱をあげて、打傾きざまに、墓参の男を熟と視て、
「多くは故人になられたり、他国をなすったり、久しく、御墓参の方もありませぬ。……あんたは御縁辺であらっしゃるかの。」
「お上人様。」
裾冷く、鼻じろんだ顔を上げて、
「──母の父母、兄などが、こちらにお世話になっております。」
「おお、」と片足、胸とともに引いて、見直して、
「これは樹島の御子息かい。──それとなくおたよりは聞いております。何よりも御機嫌での。」
「御僧様こそ。」
「いや、もう年を取りました。知人は皆二代、また孫の代じゃ。……しかし立派に御成人じゃな。」
「お恥かしゅう存じます。」
「久しぶりじゃ、ちと庫裡へ。──渋茶なと進ぜよう。」
「かさねまして、いずれ伺いますが、旅さきの事でございますし、それに御近所に参詣をしたい処もございますから。」
「ああ、まだお娘御のように見えた、若い母さんに手を曳かれてお参りなさった、──あの、摩耶夫人の御寺へかの。」
なき、その母に手を曳かれて、小さな身体は、春秋の蝶々蜻蛉に乗ったであろう。夢のように覚えている。
「それはそれは。」
と頷いて、
「また、今のほどは、御丁寧に──早速御仏前へお料具を申そう。──御子息、それならば、お静に。……ああ、上のその木戸はの、錠、鍵も、がさがさと壊れています。開けたままで宜しい。あとで寺男が直しますでの。石段が欠けて草蓬々じゃ、堂前へ上らっしゃるに気を着けなされよ。」
この卵塔は窪地である。
石を四五壇、せまり伏す枯尾花に鼠の法衣の隠れた時、ばさりと音して、塔婆近い枝に、山鴉が下りた。葉がくれに天狗の枕のように見える。蝋燭を啄もうとして、人の立去るのを待つのである。
衝と銜えると、大概は山へ飛ぶから間違はないのだが、怪我に屋根へ落すと、草葺が多いから過失をしでかすことがある。樹島は心得て吹消した。線香の煙の中へ、色を淡く分けてスッと蝋燭の香が立つと、かあかあと堪らなそうに鳴立てる。羽音もきこえて、声の若いのは、仔烏らしい。
「……お食り。」
それも供養になると聞く。ここにも一羽、とおなじような色の外套に、洋傘を抱いて、ぬいだ中折帽を持添えたまま葎の中を出たのであった。
赤門寺に限らない。あるいは丘に、坂、谷に、径を縫う右左、町家が二三軒ずつ門前にあるばかりで、ほとんど寺つづきだと言っても可い。赤門には清正公が祭ってある。北辰妙見の宮、摩利支天の御堂、弁財天の祠には名木の紅梅の枝垂れつつ咲くのがある。明星の丘の毘沙門天。虫歯封じに箸を供うる辻の坂の地蔵菩薩。時雨の如意輪観世音。笠守の神。日中も梟が鳴くという森の奥の虚空蔵堂。──
清水の真空の高い丘に、鐘楼を営んだのは、寺号は別にあろう、皆梅鉢寺と覚えている。石段を攀じた境内の桜のもと、分けて鐘楼の礎のあたりには、高山植物として、こうした町近くにはほとんどみだされないと称うる処の、梅鉢草が不思議に咲く。と言伝えて、申すまでもなく、学者が見ても、ただ心ある大人が見ても、類は違うであろうけれども、五弁の小さな白い花を摘んで、小児たちは嬉しがったものである。──もっとも十ぐらいまでの小児が、家からここへ来るのには、お弁当が入用だった。──それだけに思出がなお深い。
いま咲く草ではないけれども、土の香を親しんで。……樹島は赤門寺を出てから、仁王尊の大草鞋を船にして、寺々の巷を漕ぐように、秋日和の巡礼街道。──一度この鐘楼に上ったのであったが、攀じるに急だし、汗には且つなる、地内はいずれ仏神の垂跡に面して身がしまる。
旅のつかれも、ともに、吻と一息したのが、いま清水に向った大根畑の縁であった。
……遅めの午飯に、──潟で漁れる──わかさぎを焼く香が、淡く遠くから匂って来た。暖か過ぎるが雨にはなるまい。赤蜻蛉の羽も、もみじを散して、青空に透通る。鐘は高く竜頭に薄霧を捲いて掛った。
清水から一坂上り口に、薪、漬もの桶、石臼なんどを投遣りにした物置の破納屋が、炭焼小屋に見えるまで、あたりは静に、人の往来はまるでない。
月の夜はこの納屋の屋根から霜になるであろう。その石臼に縋って、嫁菜の咲いたも可哀である。
ああ、桶の箍に尾花が乱るる。この麗かさにも秋の寂しさ……
樹島は歌も句も思わずに、畑の土を、外套の背にずり辷って、半ば寝つつも、金剛神の草鞋に乗った心持に恍惚した。
ふと鳥影が……影が翳した。そこに、つい目の前に、しなやかな婦が立った。何、……紡績らしい絣の一枚着に、めりんす友染と、繻子の幅狭な帯をお太鼓に、上から紐でしめて、褪せた桃色の襷掛け……などと言うより、腕露呈に、肱を一杯に張って、片脇に盥を抱えた……と言う方が早い。洗濯をしに来たのである。道端の細流で洗濯をするのに、なよやかなどと言う姿はない。──ないのだが、見ただけでなよやかで、盥に力を入れた手が、霞を溶いたように見えた。白やかな膚を徹して、骨まで美しいのであろう。しかも、素足に冷めし草履を穿いていた。近づくのに、音のしなかったのも頷かれる。
婦は、水ぎわに立停まると、洗濯盥──盥には道草に手打ったらしい、嫁菜が一束挿してあった──それを石の上へこごみ腰におろすと、すっと柳に立直った。日あたりを除けて来て、且つ汗ばんだらしい、姉さん被りの手拭を取って、額よりは頸脚を軽く拭いた。やや俯向けになった頸は雪を欺く。……手拭を口に銜えた時、それとはなしに、面を人に打蔽う風情が見えつつ、眉を優しく、斜だちの横顔、瞳の濡々と黒目がちなのが、ちらりと樹島に移ったようである。颯と睫毛を濃く俯目になって、頸のおくれ毛を肱白く掻上げた。──漆にちらめく雪の蒔絵の指さきの沈むまで、黒く房りした髪を、耳許清く引詰めて櫛巻に結っていた。年紀は二十五六である。すぐに、手拭を帯に挟んで──岸からすぐに俯向くには、手を差伸しても、流は低い。石段が出来ている。苔も草も露を引いて皆青い。それを下りさまに、ふと猶予ったように見えた。ああ、これは心ないと、見ているものの心着く時、褄を取って高く端折った。婦は誰も長襦袢を着ているとは限らない。ただ一重の布も、膝の下までは蔽わないで、小股をしめて、色薄く縊りつつ、太脛が白く滑かにすらりと長く流に立った。
ひたひたと絡る水とともに、ちらちらと紅に目を遮ったのは、倒に映るという釣鐘の竜の炎でない。脱棄てた草履に早く戯るる一羽の赤蜻蛉の影でない。崖のくずれを雑樹また藪の中に、月夜の骸骨のように朽乱れた古卒堵婆のあちこちに、燃えつつ曼珠沙華が咲残ったのであった。
婦は人間離れをして麗しい。
この時、久米の仙人を思出して、苦笑をしないものは、われらの中に多くはあるまい。
仁王の草鞋の船を落ちて、樹島は腰の土を払って立った。面はいつの間にか伸びている。
「失礼ですが、ちょっと伺います──旅のものですが。」
「は、」
「蓮行寺と申しますのは?」
「摩耶夫人様のお寺でございますね。」
その声にきけば、一層奥ゆかしくなおとうとい忉利天の貴女の、さながらの御かしずきに対して、渠は思わず一礼した。
婦はちょうど筧の水に、嫁菜の茎を手すさびに浸していた。浅葱に雫する花を楯に、破納屋の上路を指して、
「その坂をなぞえにお上りなさいますと、──戸がしまっておりますが、二階家が見えましょう。──ね、その奥に、あの黒く茂りましたのが、虚空蔵様のお寺でございます。ちょうどその前の処が、青く明くなって、ちらちらもみじが見えますわね……あすこが摩耶夫人様でございます。」
「どうもありがとう──尋ねたいにも人通りがないので困っていました。──お庇様で……」
「いいえ……まあ。」
「御免なさい。」
「お静におまいりをなさいまし……御利益がございますわ。」
と、嫁菜の花を口許に、瞼をほんのり莞爾した。
──この婦人の写真なのである。
写真は、蓮行寺の摩耶夫人の御堂の壇の片隅に、千枚の歌留多を乱して積んだような写真の中から見出された。たとえば千枚千人の婦女が、一人ずつ皆嬰児を抱いている。お産の祈願をしたものが、礼詣りに供うるので、すなわち活きたままの絵馬である。胸に抱いたのも、膝に据えたのも、中には背に負したまま、両の掌を合せたのもある。が、胸をはだけたり、乳房を含ませたりしたのは、さすがにないから、何も蔽わず、写真はあからさまになっている。しかし、婦ばかりの心だしなみで、いずれも伏せてある事は言うまでもない。
この写真が、いま言った百人一首の歌留多のように見えるまで、御堂は、金碧蒼然としつつ、漆と朱の光を沈めて、月影に青い錦を見るばかり、厳に端しく、清らかである。
御厨子の前は、縦に二十間がほど、五壇に組んで、紅の袴、白衣の官女、烏帽子、素袍の五人囃子のないばかり、きらびやかなる調度を、黒棚よりして、膳部、轅の車まで、金高蒔絵、青貝を鏤めて隙間なく並べた雛壇に較べて可い。ただ緋毛氈のかわりに、敷妙の錦である。
ことごとく、これは土地の大名、城内の縉紳、豪族、富商の奥よりして供えたものだと聞く。家々の紋づくしと見れば可い。
天人の舞楽、合天井の紫のなかば、古錦襴の天蓋の影に、黒塗に千羽鶴の蒔絵をした壇を据えて、紅白、一つおきに布を積んで、媚かしく堆い。皆新しい腹帯である。志して詣でた日に、折からその紅の時は女の児、白い時は男の児が産れると伝えて、順を乱すことをしないで受けるのである。
右左に大な花瓶が据って、ここらあたり、花屋およそ五七軒は、囲の穴蔵を払ったかと思われる見事な花が夥多しい。白菊黄菊、大輪の中に、桔梗がまじって、女郎花のまだ枯れないのは、功徳の水の恵であろう、末葉も落ちず露がしたたる。
時に、腹帯は紅であった。
渠が詣でた時、蝋燭が二挺灯って、その腹帯台の傍に、老女が一人、若い円髷のと睦じそうに拝んでいた。
しばらくして、戸口でまた珠数を揉頂いて、老女が前に、その二人が帰ったあとは、本堂、脇堂にも誰も居ない。
ここに註しておく。都会にはない事である。このあたりの寺は、どこにも、へだて、戸じまりを置かないから、朝づとめよりして夕暮までは、諸天、諸仏。──中にも爾く端麗なる貴女の奥殿に伺候するに、門番、諸侍の面倒はいささかもないことを。
寺は法華宗である。
祖師堂は典正なのが同一棟に別にあって、幽厳なる夫人の廟よりその御堂へ、細長い古畳が欄間の黒い虹を引いて続いている。……広い廊下は、霜のように冷うして、虚空蔵の森をうけて寂然としていた。
風すかしに細く開いた琴柱窓の一つから、森を離れて、松の樹の姿のいい、赤土山の峰が見えて、色が秋の日に白いのに、向越の山の根に、きらきらと一面の姿見の光るのは、遠い湖の一部である。此方の麓に薄もみじした中腹を弛く繞って、巳の字の形に一つ蜒った青い水は、町中を流るる川である。町の上には霧が掛った。その霧を抽いて、青天に聳えたのは昔の城の天守である。
聞け──時に、この虹の欄間に掛けならべた、押絵の有名な額がある。──いま天守を叙した、その城の奥々の婦人たちが丹誠を凝した細工である。
万亭応賀の作、豊国画。錦重堂板の草双紙、──その頃江戸で出版して、文庫蔵が建ったと伝うるまで世に行われた、釈迦八相倭文庫の挿画のうち、摩耶夫人の御ありさまを、絵のまま羽二重と、友染と、綾、錦、また珊瑚をさえ鏤めて肉置の押絵にした。……
浄飯王が狩の道にて──天竺、天臂城なる豪貴の長者、善覚の妹姫が、姉君矯曇弥とともに、はじめて見ゆる処より、優陀夷が結納の使者に立つ処、のちに、矯曇弥が嫉妬の処。やがて夫人が、一度、幻に未生のうない子を、病中のいためる御胸に、抱きしめたまう姿は、見る目にも痛ましい。その肩にたれつつ、みどり児の頸を蔽う優しき黒髪は、いかなる女子のか、活髪をそのままに植えてある。……
われら町人の爺媼の風説であろうが、矯曇弥の呪詛の押絵は、城中の奥のうち、御台、正室ではなく、かえって当時の、側室、愛妾の手に成ったのだと言うのである。しかも、その側室は、絵をよくして、押絵の面描は皆その彩筆に成ったのだと聞くのも意味がある。
夫人の姿像のうちには、胸ややあらわに、あかんぼのお釈迦様を抱かるるのがあるから、──憚りつつも謹んで説おう。
ここの押絵のうちに、夫人が姿見のもとに、黒塗の蒔絵の盥を取って手水を引かるる一面がある。真珠を雪に包んだような、白羽二重で、膚脱の御乳のあたりを装ってある。肩も背も半身の膚あらわにおわする。
牙の六つある大白象の背に騎して、兜率天よりして雲を下って、白衣の夫人の寝姿の夢まくらに立たせたまう一枚のと、一面やや大なる額に、かの藍毘尼園中、池に青色の蓮華の開く処。無憂樹の花、色香鮮麗にして、夫人が無憂の花にかざしたる右の手のその袖のまま、釈尊降誕の一面とは、ともに城の正室の細工だそうである。
面影も、色も靉靆いて、欄間の雲に浮出づる。影はささぬが、香にこぼれて、後にひかえつつも、畳の足はおのずから爪立たれた。
畳廊下を引返しざまに、敷居を出る。……夫人廟の壇の端に、その写真の数々が重ねてあった。
押絵のあとに、時代を違えた、写真を覘くのも学問である。
清水に洗濯した美女の写真は、ただその四五枚めに早く目に着いた。円髷にこそ結ったが、羽織も着ないで、女の児らしい嬰児を抱いて、写真屋の椅子にかけた像は、寸分の違いもない。
こうした写真は、公開したもおなじである。産の安らかさに、児のすこやかさに、いずれ願ほどにあやかるため、その一枚を選んで借りて、ひそかに持帰る事を許されている。ただし遅速はおいて、複写して、夫人の御人々御中に返したてまつるべき事は言うまでもなかろう。
今日は方々にお賽銭が多い。道中の心得に、新しく調えた懐中に半紙があった。
目の露したたり、口許も綻びそうな、写真を取って、思わず、四辺を見て半紙に包もうとした。
トタンに人気勢がした。
樹島はバッとあかくなった。
猛然として憶起した事がある。八歳か、九歳の頃であろう。雛人形は活きている。雛市は弥生ばかり、たとえば古道具屋の店に、その姿があるとする。……心を籠めて、じっと凝視るのを、毎日のように、およそ七日十日に及ぶと、思入ったその雛、その人形は、莞爾と笑うというのを聞いた。──時候は覚えていない。小学校へ通う大川の橋一つ越えた町の中に、古道具屋が一軒、店に大形の女雛ばかりが一体あった。﨟長けた美しさは註するに及ぶまい。──樹島は学校のかえりに極って、半時ばかりずつ熟と凝視した。
目は、三日四日めから、もう動くようであった。最後に、その唇の、幽冥の境より霞一重に暖かいように莞爾した時、小児はわなわなと手足が震えた。同時である。中仕切の暖簾を上げて、姉さんだか、小母さんだか、綺麗な、容子のいいのが、すっと出て来て、「坊ちゃん、あげましょう。」と云って、待て……その雛ではない。定紋つきの塗長持の上に据えた緋の袴の雛のわきなる柱に、矢をさした靱と、細長い瓢箪と、霊芝のようなものと一所に掛けてあった、──さ、これが変だ。のちに思っても可思議なのだが、……くれたものというと払子に似ている、木の柄が、草石蚕のように巻きぼりして、蝦色に塗ってあるさきの処に、一尺ばかり革の紐がばらりと一束ついている。絵で見た大将が持つ采配を略したような、何にするものだか、今もって解らない。が、町々辻々に、小児という小児が、皆おもちゃを持って、振ったり、廻したり、空を払いたりして飛廻った。半年ばかりですたれたが、一種の物妖と称えて可かろう。持たないと、生効のないほど欲しかった。が樹島にはそれがなかった。それを、夢のように与えられたのである。
橋の上を振廻して、空を切って駈戻った。が、考えると、……化払子に尾が生えつつ、宙を飛んで追駈けたと言わねばならない。母のなくなった、一周忌の年であった。
父は児の手の化ものを見ると青くなって震えた。小遣銭をなまで持たせないその児の、盗心を疑って、怒ったよりは恐れたのである。
真偽を道具屋にたしかめるために、祖母がついて、大橋を渡る半ばで、母のおくつきのある山の峰を、孫のために拝んだ、小児も小さな両手を合せた。この時の流の音の可恐さは大地が裂けるようであった。「ああ、そうとは知りませぬ。──小児衆の頑是ない、欲しいものは欲しかろうと思うて進ぜました。……毎日見てござったは雛じゃったか。──それはそれは。……この雛はちと大金のものゆえに、進上は申されぬ──お邪魔でなくばその玩弄品は。」と、確と祖母に向って、道具屋が言ってくれた。が、しかし、その時のは綺麗な姉さんでも小母さんでもない。不精髯の胡麻塩の親仁であった。と、ばけものは、人の慾に憑いて邪心を追って来たので、優い婦は幻影ばかり。道具屋は、稚いのを憐れがって、嘘で庇ってくれたのであろうも知れない。──思出すたびに空恐ろしい気がいつもする。
──おなじ思が胸を打った。同時であった、──人気勢がした。──
御廟子の裏へ通う板廊下の正面の、簾すかしの観音びらきの扉が半ば開きつつ薄明い。……それを斜にさし覗いた、半身の気高い婦人がある。白衣に緋を重ねた姿だと思えば、通夜の籠堂に居合せた女性であろう。小紋の小袖に丸帯と思えば、寺には、よき人の嫁ぐならいがある。──あとで思うとそれも朧である。あの、幻の道具屋の、綺麗な婦のようでもあったし、裲襠姿振袖の額の押絵の一体のようにも思う。……
瞬間には、ただ見られたと思う心を、棒にして、前後も左右も顧みず、衝々と出、その裳に両手をついて跪いた。
「小児は影法師も授りません。……ただあやかりとう存じます。──写真は……拝借出来るのでございましょうか。」
舌はここで爛れても、よその女を恋うるとは言えなかったのである。
「どの、お写真。」
と朗に、しっとり聞えた。およそ、妙なるものごしとは、この時言うべき詞であった。
「は、」
と載せたまま白紙を。
「お持ちなさいまし。」
あなたの手で、スッと微かな、……二つに折れた半紙の音。
「は、は。」
と額に押頂くと、得ならず艶なるものの薫に、魂は空になりながら、恐怖と恥とに、渠は、ずるずると膝で退った。
よろりと立つ時、うしろ姿がすっと隠れた。
外套も帽も引掴んで、階を下りる、足が辷る。そこへ身体ごと包むような、金剛神の草鞋の影が、髣髴として顕れなかったら、渠は、この山寺の石の壇を、径へ転落ちたに相違ない。
雛の微笑さえ、蒼穹に、目に浮んだ。金剛神の大草鞋は、宙を踏んで、渠を坂道へ橇り落した。
清水の向畠のくずれ土手へ、萎々となって腰を支いた。前刻の婦は、勿論の事、もう居ない。が、まだいくらほどの時も経たぬと見えて、人の来て汲むものも、菜を洗うものもなかったのである。
ほかほかとおなじ日向に、藤豆の花が目を円く渠を見た。……あの草履を嬲ったのが羨しい……赤蜻蛉が笑っている。
「見せようか。」
仰向けに、鐘を見つつ、そこをちらちらする蜻蛉に向って、自棄に言った。
「いや、……自分で拝もう。」
時に青空に霧をかけた釣鐘が、たちまち黒く頭上を蔽うて、破納屋の石臼も眼が窪み口が欠けて髑髏のように見え、曼珠沙華も鬼火に燃えて、四辺が真暗になったのは、眩く心地がしたからである。──いかに、いかに、写真が歴々と胸に抱いていた、毛糸帽子、麻の葉鹿の子のむつぎの嬰児が、美女の袖を消えて、拭って除ったように、なくなっていたのであるから。
樹島はほとんど目をつむって、ましぐらに摩耶夫人の御堂に駈戻った。あえて目をつむってと言う、金剛神の草鞋が、彼奴の尻をたたき戻した事は言うまでもない。
夫人の壇に戻し参らせた時は、伏せたままでソと置いた。嬰児が、再び写真に戻ったかどうかは、疑うだけの勇気はなかったそうである。
「いや、何といたしまして。……棚に、そこにござります。金、極彩色の、……は、そちらの素木彫の。……いや、何といたして、古人の名作。ど、ど、どれも諸家様の御秘蔵にござりますが、少々ずつ修覆をいたす処がありまして、お預り申しておりますので。──はい、店口にござります、その紫の袈裟を召したのは私が刻みました。祖師のお像でござりますが、喜撰法師のように見えます処が、業の至りませぬ、不束ゆえで。」
と、淳朴な仏師が、やや吶って口重く、まじりと言う。
しかしこれは、工人の器量を試みようとして、棚の壇に飾った仏体に対して試に聞いたのではない。もうこの時は、樹島は既に摩耶夫人の像を依頼したあとだったのである。
一山に寺々を構えた、その一谷を町口へ出はずれの窮路、陋巷といった細小路で、むれるような湿気のかびの一杯に臭う中に、芬と白檀の薫が立った。小さな仏師の家であった。
一小間硝子を張って、小形の仏龕、塔のうつし、その祖師の像などを並べた下に、年紀はまだ若そうだが、額のぬけ上った、そして円顔で、眉の濃い、目の柔和な男が、道の向うさがりに大きな塵塚に対しつつ、口をへの字形に結んで泰然として、胡坐で細工盤に向っていた。「少々拝見を、」と云って、樹島は静に土間へ入って、──あとで聞いた預りものだという仏、菩薩の種々相を礼しつつ、「ただ試みに承りたい。大なこのくらいの像を一体は。」とおおよその値段を当った。──冷々とした侘住居である。木綿縞の膝掛を払って、筒袖のどんつくを着た膝を居り直って、それから挨拶した。そッときいて、……内心恐れた工料の、心づもりよりは五分の一だったのに勢を得て、すぐに一体を誂えたのであった。──
「……なれども、おみだしに預りました御註文……別して東京へお持ちになります事で、なりたけ、丹、丹精を抽んでまして。」
と吃って言う。
「あなた、仏様に御丹精は、それは実に結構ですが、お礼がお礼なんですから、お骨折ではかえって恐縮です。……それに、……唯今も申しました通り、然るべき仏壇の用意もありません。勿体なくありません限り、床の間か、戸袋の上へでもお据え申そうと思いますから、かたがた草双紙風俗にとお願い申したほどなんです。──本式ではありません。忉利天のお姿では勿体ないと思うのですから。……お心安く願います。」
「はい、一応は心得ましてござります。なお念のために伺いますが、それでは、むかし御殿のお姫様、奥方のお姿でござりますな。」
「草双紙の絵ですよ。本があると都合がいいな。」
樹島は巻莨を吸いさして打案じつつ、
「倭文庫。……」
「え、え、釈迦八相──師匠の家にございまして、私よく見まして存じております。いや、どうも。……」
と胸を抱くように腕を拱んで、
「小僧から仕立てられました、……その師匠に、三年あとになくなられましてな。杖とも柱とも頼みましたものを、とんと途方に暮れております。やっと昨年、真似方の細工場を持ちました。ほんの新店でござります。」
「もし、」
と、仕切一つ、薄暗い納戸から、優しい女の声がした。
「端本になりましたけれど、五六冊ございましたよ。」
「おお、そうか。」
「いや、いまお捜しには及びません。」
様子を察して樹島が框から声を掛けた。
「は、つい。」
「お乳。」
と可愛い小児の声する。……
「めめ、覚めて。はい……お乳あげましょうね。」
「のの様、おっぱい。……のの様、おっぱい。」
「まあ、のの様ではありません、母ちゃんよ。」
「ううん、欲くないの、坊、のんだの、のの様のおっぱい。──お雛様のような、のの様のおっぱい。」
「おや、夢を御覧だね。」
樹島は肩の震うばかり胸にこたえた。
「嬢ちゃんですか。」
「ええ、もう、年弱の三歳になりますが、ええ、もう、はや──ああ、何、お茶一つ上げんかい。」
と、茶卓に注いで出した。
「あ、」
清水にきぬ洗える美女である。先刻のままで、洗いさらした銘仙の半纏を引掛けた。
「先刻は。」
「まあ、あなた。」
「お目にかかったか。」
「ええ、梅鉢寺の清水の処で、──あの、摩耶夫人様のお寺をおききなさいました。」
渠は冷い汗を流した。知らずに聞いた路なのではなかったのである。
「御信心でございますわね。」
と、熟と見た目を、俯目にぽッと染めた。
むっくりとした膝を敲いて、
「それは御縁じゃ──ますます、丹、丹精を抽んでますで。」
「ああ、こちらの御新姐ですか。」
と、吻として、うっかり言う。
「いや、ええ、その……師、師匠の娘でござりまして。」
「何ですね、──ねえ、……坊や。」
と、敷居の内へ……片手づきに、納戸へ背向に面を背けた。
樹島は謝礼を差出した。出来の上で、と辞して肯ぜぬのを、平にと納めさすと、きちょうめんに、硯に直って、ごしごしと墨をあたって、席書をするように、受取を──
記
一金……円也
「ま、ま、摩……耶の字?……ああ、分りました。」
「御主人。」
と樹島が手を挙げて、
「夫人のお名は、金員の下でなく、並べてか、……上の方へ願います。」
「あ、あ、あい分りました。」
「御丁寧に。……では、どうぞ。……決して口を出すのではありませんが、お顔をどうぞ、なりたけ、お綺麗になすって下さい。……お仕事の法にかなわないかは分りませんが。」
「ああ、いえ。──何よりも御容貌が大切でございます。──赤門寺のお上人は、よく店へお立寄り下さいますが、てまえどもの方の事にも、それはお悉しゅうございましてな。……お言には──相好説法──と申して、それぞれの備ったおん方は、ただお顔を見たばかりで、心も、身も、命も、信心が起るのじゃと申されます。──わけて、御女体、それはもう、端麗微妙の御面相でなければあいなりません。──……てまいただ、力、力が、腕、腕がござりましょうか、いかがかと存じまするのみでして、は、はい。」
樹島は、ただ一目散に停車場へ駈つけて、一いきに東京へ遁げかえる覚悟をして言った。
「御新姐の似顔ならば本懐です。」──
十二月半ばである。日短かな暮方に、寒い縁側の戸を引いて──震災後のたてつけのくるいのため、しまりがつかない──竹の心張棒を構おうとして、柱と戸の桟に、かッと極め、極めはずした不思議のはずみに、太い竹が篠のようにびしゃっと撓って、右の手の指を二本打みしゃいだ。腕が砕けたかと思った──気が遠くなったほどである。この前日、夫人像出来、道中安全、出荷という、はがきの通知をうけていた。
のち二日目の午後、小包が届いたのである。お医師を煩わすほどでもなかった。が、繃帯した手に、待ちこがれた包を解いた、真綿を幾重にも分けながら。
両手にうけて捧げ参らす──罰当り……頬を、唇を、と思ったのが、面を合すと、仏師の若き妻の面でない──幼い時を、そのままに、夢にも忘れまじき、なき母の面影であった。
樹島は、ハッと、真綿に据えたまま、蒼白くなって飛退った。そして、両手をついた。指はズキズキと身に応えた。
更めて、心着くと、ああ、夫人の像の片手が、手首から裂けて、中指、薬指が細々と、白く、蕋のように落ちていた。
この御慈愛なかりせば、一昨日片腕は折れたであろう。渠は胸に抱いて泣いたのである。
なお仏師から手紙が添って──山妻云々とのお言、あるいはお戯でなかったかも存ぜぬが、……しごとのあいだ、赤門寺のお上人が四五度もしばしば見えて、一定それに擬え候よう、御許様のお母様の俤を、おぼろげならず申伝えられましたるゆえ──とこの趣であった。
──樹島の事をここに記して──
筆者は、無憂樹、峰茶屋心中、なお夫人堂など、両三度、摩耶夫人の御像を写そうとした。いままた繰返しながら、その面影の影らしい影をさえ、描き得ない拙さを、恥じなければならない。
底本:「泉鏡花集成8」ちくま文庫、筑摩書房
1996(平成8)年5月23日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二十二卷」岩波書店
1940(昭和15)年11月20日発行
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年10月23日作成
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