日記
一九一三年(大正二年)
宮本百合子
|
木の葉のしげみや花ずいの奥にまだ夜の香りがうせない頃に目が覚めた。外に出る。麻裏のシットリとした落つきも、むれた足にはなつかしい。
この頃めっきり広がった苔にはビロードのやわらかみと快い弾力が有ってみどりの細い間を今朝働き出してまだ間のない茶色の小虫が這いまわって居るのも、白いなよなよとした花の一つ二つ咲いて居るのまで、はっきりした頭と、うるみのない輝いた眼とで私は知ることが出来た。人間を最も、力の満ちた、快活な時にする朝を私は有難い物に思われた。いつもより沢山……紅葉、紫陽花、孔雀草、八つ手、それぞれ特有な美くしさと貴さで空と土との間を色どって居る。どんなささやかなもの、そんなまずしげなものにでも朝のかがやきはいおって居る。
「力強い、勇気の有る、若々しい朝は、立派な洗面器で顔を洗って、おしまいして坐布団の上にチョロンと坐るよりは小川の流れでかおを洗いグルグルまきにして紺の着物に赤いたすきで田草をとり草を刈り黒い土を耕す方がつり合って居て立派にちがいない」
こんな事を考えながら小一時間もうき立った、この上もないうれしい気持でおどる様な足つきでブラついた。私の目にうつるすべてのもののそばにある木々の葉ずれも、空にある雲の走るのもみんなが私と同じたのしい歌をうたい、おどった足つきで居て、私が手をだしたら一緒におどって呉れはしまいかと思われるほど、私の心はたのしかった。家に入ると皆おきて居た。にこやかなおだやかな朝食をすませた。小さい弟がすずめがおや鳥がひなにこうしてたべさせるんだと云って私に目をつぶらせて小さい細い白い箸の先にしこたまからしをぬりつけて口中にぬってくれた。私は、どんなに見っともないかっこうだろうと思いながらもくしゃみをし涙をながさないわけにはいかなかった。けれどもそれさえも私はこの上なくうれしかったのでくしゃみをして涙をながす間におなかをおさえて男のような大きな声で笑いつづけた。間もなく、しずかなゆるやかな光線の流れ込む部屋に入って鉛筆をとった。二時間ばかり算術をした。本をよんだ。世間知らずな若い人達の詩と文章とを……、
これ等の本をよむ間、私は切りこの可愛いガラスのうつわの中から、銀紙につつまれたチョコレートをかみながらよんで居た。
紙の間にもチョコレートの香の中にもうれしさはとけこんで居た。
うれしさにあとおしをされて
「ついばんであげよか小麦さん」
白いひよこは云いました、
小麦の芽生えはおどろいて
細いその葉をふるわせて
やさしい声で云いました、
「もちっとまって下さいな
わたしの身丈のもう少し
大人に近くなるまでは」
菫の香りのとけ込んだ
春の空気はフンワリと
二人のまわりをつつみます
紫紺にかがやくせなもった
つばめが海を越えて来た
小さい可愛い背の上に
夏の男神を乗せて来た
茎は青白葉は柔く
小麦が大人になりました
「ついばんであげよか 小麦さん
貴方の身丈もちっとのびた」
小麦はさやさや葉をならし
可愛いこえで云いました
「白いひなさんかわゆい御方
私の持ってる青い穂の
みのらないのがわかりましょう、
もちっと待って下さいな」
「ついばんであげよか小麦さん」
小麦はうれしい声出して
「エエどうぞ たくさんあがって下さいな
すっかり大きくなりました」
小麦は体をなよなよと
地にまでねせて云いました、
白いひよっこは親鳥に
これも大きくなりました
こんな下らないもんくを紙にかきつけて声高に勝手なうたの節をつけてうたって居た。
新しいゴムマリの様の心地で……
御ひるすぎ、私は出まどの前に坐って、楓のやわらかそうな芽生えを見ながらいろいろたのしい事を──私のこれからあとの……──思って居た。そしてコーヤッてじっとして居ると、どこからか小蜂がとんで来て、私を背にのせて人のまだ行ったことのない国につれて行って呉れはしまいかとなんか思われた。
それから私はきのうのばん見た夢を母にはなそうと思って
「お母さま、あのネェ、」
と前おきして笑いながら「いも虫」の園につれて行かれた恐ろしかった話をしだした、中頃までした時、
「出たらめの話と知ってきいて居るのもまた毛色の変った面白さが有るネ」
と云ったんで大きな声でわらいながら、その話を中途でやめて運動場の砂をザクザクさせながらそのはなしのつづきを思って居た。
夕方、めずらしくカナカナがないた。私も一緒にカナカナカナカナと云って口がこわばる頃、とっぴょうしもない声で笑って部屋にかけ込んだ、うれしかった……
椿の木、桜、杉、そんな植え込みを通して青い瓦斯の下を行ったり来たり、笑ったりするお娘さんの姿が見えた、ひるま見る時よりも美しかった、
「となりのお嬢さんあなたはいくつ?」
かごの小鳥が声かけた
「わたしの年をあなたがきくの?
それじゃ、あなたとおない年
ですよ、まだ若いでしょう?」
となりの娘さんが云いました
「マア、それじゃあマアお嬢さん
貴方はやっと二つなの?
同い年ならその筈よ」
かごの小鳥はおどろいて
どんぐりまなこで云いました、
「私はネェ、小鳥さん、
特別仕度の子なもんで
こやって口もきけますの
おかしいワネェ、オホ……」
小鳥も一緒に「オホ……」
笑ったけれども「何となく様子が変だ」と鳥さんは
首をかしげてとまり木に
チョコンと止まって居りました、
私は自分が小鳥になったつもりでこんな出たらめをうたって足拍子をとって笑って……間もなくいつもにもなくはちきれるようなうれしさに
「神様、どうぞ私の夜の床を御守り下さいませ」
こんな事を小声に云って床に入った。
この頃になくうれしい事ばっかりの一日、私は一寸しか、おしるしほかはたらかなかったけれども、今までにないうれしい一日で有った。こんな一日をうしろにおいてきぼりにするのがつらかった。
「何だか気の重い日らしい」目のさめた時に閃くようにそう思ったのがあたって一日中あくせくまるで、日向に石をつんでうめいて居る駄馬のように暮してしまった。
随分下らない面白くない一日だった、
日記をつけようと、ペンをにぎって居てさえもイライラするほどだった。昨日と正反対の心持で暮した今日一日が涙の出るほど可哀そうな様に思われた。
新聞を大変気に入ったところがあったので切りぬいておいたら、紙くずと一緒されてしまった。
たった一つの首人形をふみつぶされた。
「鴨」の原稿を破かれてしまった、小さい妹に、……
こんな事はみんな私の心持をいらいらさせたり、涙をこぼしたりさせたりした。
気の狂った様に汗をながして躰を働かせてホット息を吐くと一緒に心の中にすきのあるような気持になって居た。
おひる前は御ひるっからになったらたのしい事があろうかもしれないとこんな事を思って午後になった。だけどうれしい事もたのしい事もなかった。
「鴨」をかきなおして、里親の家から帰った子、とむしゃくしゃな心のまぎれに題もない短いものをみんなで三つ書いた。
ペンの先にならべられるものの一つ一つの意味もきのうとはまるであべこべのものであった。
夜は心をおちつけようとローソクをつけてだまってからかみをにらんで居た。けれどその焔のゆらめきに私の心も一緒になってゆれて居た。すきな本をひざの上にのせてそのかどをなでまわして、生きた霊のあるもののような気持で紙とかみのすれ合う声や香りを可愛がって居る内によほど気が落ついた。
どんなにいらいらしてもどんなになさけなくってもする事だけはしたんだから、……こんなことを□うす明りの空を見ながら思った、きょう一日は神さまに試みられたんだろう、キット
ねる時にこんな事を思った。
朝生れてから又夜八時間ほど死ぬまで今日は至って平穏に暮した。十時位まで数学と習字と絵を一寸書いて、ゆうべ話にきいた事をまとめて書いて見ようと思って書き出したけれども思うように行かなかったので図書館行ときめる、白い絽のようなつつっぽの着物に袴、頭は真中を二つにわけって後で二本あんだものをぶたさげなに結って下駄をはいて行った、ノートを二サつとインクをもって…………
今まで日比谷のには度々行ったけれ共上野にははじめてである。
下足の地下室なのがすこしいやで婦人のエツラン室から二階の本をかりるところまでは馬鹿に遠くて特別室を通りぬけて行くので、私なんかでさえ一寸妙な気持がした。
黒いジム服をきたお役人様? 即ち出納係りはまだわかい男のくせにいやに威ばって人のかおをいろいろと見て居る。
御なかん中で
「私のかおだって眼が二つほかついてませんよ」
って云ってやりたかった。
売店はこれも又地下室でまるで牢屋みたいな所だ。そこに木のゴチャゴチャなテーブルの前に立って、くらい中でおすしをほおばるやら、パンをぱくつくやら、たばこをすうやら、まっくらな中に煙草のにおいとクチャクチャクチャとお行儀のわるい人のものをかむ音ばっかりがみちて居る、こんなところで有りながら人がうじゃうじゃ居るにはおどろいた。
私は鉛筆を買いながら斯う思った、「出来ることなら、廊下の長さをもちっと倹約して売店の窓をもちっと大きくしてほしい」と。
いかにもお役人風なところばかりなのが少しいやだったがとにかく二時間ばかり見てかえる。
帰りには日がさしたので馬鹿にあつかった。一時間ほどノロクソとして居てから書き出す、大抵出来上った、題は「魔女」と云う。
夜はつくづく「時」と云う事を考えた。
私が七十まで生きるとしても五十五年ほかない、その間、二十五六までミッチリ勉強してもほんとに働くのは一寸ほかないんだからと思うとイライラするような過ぎて行く時のかことをおさえてとめて置きたいように思われる。
ねしなに「火取虫」を書いた。「花月雙紙」の序文を習字のつもりで書いた。今日は何にも変った事がなかった。
くりかえしてかんがえて見ると、朝おきる、御はんをたべる、算術、習字絵、一寸私のどうらくに手をつけて図書館に行く、かえる、又御はん、又書く、下らないきまりきった事をかんがえてぐちをこぼす、又書く。
そしてねる、おまけにねてまで下らない夢を見る。
私はそう思われる。私の一日はかたにはまるにも事をかいてよっぽど下らない下の下のかたにはまってるに違いないと、……
こいだけ書いて又下らない夢を見に床に入った。
今日の日記は「カーネーション」と名をつけて、ここよりも八十里ほど北の山国に住んで居る「トシチャン」と云う私より一つ年上のオムスメさんに送った。
「カーネーション」この名は別に深い意味が有るのでもなくただ私の花園に一番沢山咲いて居る花の名をとったばかりだけど、そのポッテリとしたはにかんだような花は可愛いので手紙の中に二輪押して入れた。
「日が高くなってからノコノコ起きたんですの、随分見っともいい事ですけど、もうとっくに私の宵いっぱりの朝ねぼうは知っていらっしゃるから妙なかくしだてなんかしずにネ──。
それからだれでもする事をして机の前に坐りました。
宿題をしにネ、……私の机の有家かなんか毎日違てるんです、なぜってばその日の風向によっていやにあつい部屋とそんなでない室もあるでしょう、そいだもんでもう小さい時からつかってるきたない机の上にものをのっけたまま抱えて中腰になってそこいら中家中にひっこしひっこししてあるいているんですから、今日なんかもいやにむしむししてもうゆだっちゃいそうなんで、かるい着物に細い帯を兵児帯のようにむすんで、三つ組にしてまるでくわいのような頭っつきをして机をかかえてそこいら中あるきまわった末、とうとう北の四角な板の間に坐っちゃったんです。
それから、鉛筆の先の丸いのにかんしゃくをおこしながら数学と英語と国語を見ました、汗がポロポロ出て来るんで私のせんばいとっきょのような広いでかぶつな額をゴシゴシふきながら。
「夢は勇ましいようでいいけれども、こうあつくっちゃネ──」
私は紙の上に行列をつくってる数学にこんなことを云いました。
英語のリーダーのおしまいに、あのだれでもが知ってる Twinkle, twinkle, little star, How I wander what you are?
って云う口調のいい可愛い詩があったもんで首をふって調子をとりながら赤い可愛いかっこうの本をなでながらうたってました。
そいから古い錦絵のうつしかけを又かきました。胡粉をぬりすぎたんで妙なかおになっちゃったんですの、まるで色のくろい人がデゴデゴに白粉をぬったようにネー、一人で笑ってたんですよ、「まるでそれじゃあせっかくのおひいさまも半分はきりょうがわるくなるってネ」一緒にかかえて来たロビンフード物語りと「花月雙紙」をよみました。「花月雙紙」は少しわからないとこが有るんでノートに書きぬいて置きましたけど、母も又おなかがいたみ出したと云ってきのうから居るんでこのあついにツキつけてきくわけにもいかず、自分がうごくのが一寸面倒だったんで、……ほんとにこんなにあつくっちゃあ、坐ったらもううごくのがいやですものネ──。いくら細い人だってそうだろうと思うんですけーど違うんでしょうか。
だれだっけかが云いましたけど、世の中で熱にあって縮まるものは焼物だけだってネ、三分ノ一ぐらいちぢまってしまうんですって。
私もやきもんじゃあないと見えてまるでうじゃじゃけたようにふくれてるんです。それから頬づえをついて前の庭の様子を□□はじめたんです。
一番目立ってさいて居る紫陽花は日あたりがつよいんでもう色があせ出して白っぽくなってグンニャリして居るところと云ったらまア、ほんとにいやらしい七面鳥のとさか見たいな気がするもんですネー、柿がそりゃあ落ちるんです、秋になって赤い実の数がへると困ると、おしくって糸でむすびつけて置きたいほどですの、柿が好物なもんでネ。まだ若い青桐は細い枝にもうあきが来たように茶色のカサカサな葉を沢山もって二三枚は地面に落ちてまで居るんですもの、気まぐれにも程が有りますものをネー、まるで夏をちゃかして居るように~~。
お昼はぬきにしちまいました、紅茶をのんだっきりで……
午後っからは又元のところで又原稿紙四角をうめたり、本をよんだりして夕御はんになってしまいました。
「百合子さんの本虫さん」ってあなたにひやかされたの思い出しながら御風呂をあびてからあなたんところへ、御たよりをかくときめたんです。
夜はとなりの御嬢さんの白い着物と蚊遣の煙りと私の浴衣の大きな模様と長い袖口から一寸出て居る、ムクムクの手がきれいに見えてました。
このお手紙をかいたのは夜の九時、
私の又と来ない一日は斯うして暮してしまいましたんです、」
これだけの日記の先に
随分暑うござんす事、御変りない事は御たより(先月の)で知ってます。
「私のこのごろを御知らせしようと思って今日の日記を御送します、大抵は毎日こんな工合にして暮してるんですから……」
とこう書いておしまいには、
「前の池の葵はもう咲いたでしょう、あの小っぽけな白い花が大すきなんですからいつかおして送って下さいな。ホラ、去年二人でこの花とりに池に行ったらわきの小川に、蝦がいっぱい居たんでたもとの中にとってかえって行きには蝦につられてあのこわい丸木ばしを渡ったけど、帰には渡れなくなって遠まわりをしてかえる内に袂の海老があつさにあてられてみんな死んでしまって、笑われましたっけネー。又そんな事を思い出すと行きたくなりますけど、こっちに居て少し勉強しようとも思ってるんでまだ中ぶらんりんなんです。
はっきりしたら又お知らせ上ようと思ってますけれども、…………
小さいだるまさんのような弟さんによろしく。貴方よく風邪をひく方だから体を大切になすってネ。
姉さんのような
妹さんのような御方へ」
って書いた。
私より年上で居て私より妹のような人だから「姉さんのような妹さんのような御方へ」と書いたんで随分のんき□しぶいかおしたって□□ないから私が大すきなんである。
フンワリと包まれたような気持で目がさめた。「今日はキットよくいろんな事が出来る」と斯う思われた。一夜の間にあおいの花は散ってしまった。青い苔の生えたしっとりとした黒土の上に見すぼらしい、みじめな形をした花が六つほど一っかたまりになって落ちて居た。フット、壇の浦の波の底に沈んだ若い女をフカブカと思わされるような形をして……コスモスが日かげにありながらも大変大きくなってつっかえをしてやらなくっちゃあならないほどになった。あんな暗いじめじめしたところに居ながら、とあの細い茎や根のすみずみにまで行きわたって居る、生の力の偉きなのにびっくりした。それと一緒にその一枚の葉でもわけなしでむしると云う事がいかにもみじめに思われてあの細い躰から血がながれそうに想像された。
八つ手の白い葉裏にあかと黒の先だって中はやって居た黒地に黄模様のはん袴のようなテントー虫が三つ、ポツン──ポツーンポツーンと言葉に云ったらこんな工合に散って居た。こんな事を御飯すぎて庭に出て見つけた、八つ手のうらのテントームシは何となくそのまんま忘れてはすまないように思われたんで、短いものを一つにまとめて置いた。それから落ついた今までないような余裕のある心地で机に坐った。
数学と、英語と地理、これだけのしなくちゃあならない事をすましてから Beggar と云うのを読んだ見た。
「丈の長い男と同じほどの又それよりも大きい体で
まるで海賊の女王としても似あわしいほどの女だった」
日本にこんな大きな立派な体の女乞食はまだ私は見た事がない、乞食でもそんななら少しは見いいんだろうと思った。
借りた「イノック・アーデン」をよんだ、初めからおしまいまで涙の出そうな詩であった。長い間苦労して久しぶりで故郷にかえっても面と自分の妻子に会う事は出来てもしないでただ宿の主に言づけして死んで行ったイノックが、その立派な心と一緒によみおわってからは頬がつめたくなって居た。
朝起きるとからかなりいろいろの刺げきをうけて居る私は、おひるっからになっても一寸した木の葉にも小虫にも思いやりが有った。
花活に入れるんだからと云われてナヨナヨとした孔雀草に青く光るはさみをあてた時も自分の心にそむいてあべこべの方に走るような苦しい心持でいたわるようにそろっと十本ばかりをきった、まるで草にうらまれて居るような心持で……。
私はこんなに急にふびんがる、心がどうして起ったのかと思われた、そしてひろいものをしたようにうれしかったけれどもこれも一日ごと、一時間ごとに変って動いて行く、二日とつづいて同じきもちのして居た事のない私の気持だと思うと又悲しいような気にもなった。
私は花をきりピヤノにつやぶきんをかけ、ダンテの半身像をみがいて手を洗い、かおをあらって出まどのわきにクッションを敷いて坐って他人の事でもあるように
「どうして私の心は一日ごとに一時間ごとにこう違うんだろう?」
と考えた。うすい木の棚からシみ出るニスの香を鼻の奥でかぎながらどうしてもわからせてしまわなければならない、と思って考えてた。一時間、もそうやって居た、けども分らなかった。
「自分のもので居ながらどうして自分で分らないんだろう」
私は自分がいかにも無智な草木よりも、五寸位ほかはなれて居ないもののように思われて来た。
「我ままで?」
「気まぐれで?」
「生意気で?」
数々ならべたてて目ろくのようにしても私の心の深いところにひそんで居るものは「ウン」と合点してくれなかった。
「可哀そうな子だネーお前はー、自分の心が自分でわからないでサァ」泣きたいような心持でなげつけるように一人ごとを云った。そうして、未練らしくたち上った。目ぶたの内がわがあつくなって居た。
それから重いものを抱いてるような心地で夜の来るのをまって居た。
夜は一番、私のうれしいたのしみな時である。私はそのよるの来るのばかりまって居た。まちあぐんで居た夜になっても「可哀そうな子だねーおまえは」と心んなかでささやいて居た。私は今夜にかぎって妙に母のそばをはなれたくなくなった。だまって、母の椅子のわきにすわってその肱かけに頭をのっけて居た。暑いからと云われてもどかなかった。
「早く御やすみ、つかれたようなかおして」
母に云われて
「おやすみなさいまし」
と云った、自分の声はいつもより、いかにも子らしいおだやかさであった。
私は悪い夢にうなされないようにとねがいながら床に入った。
今日一日、思い出してもいやなような不安な落つきのない一日であった。
おとといっから御なかが痛むと云って居た母は大変今日になったらくるしくなってとうとうもどしてしまった、私は目に涙をうかべながらいろいろと世話をした、別に大してかなしかったんではなかったけれど……
大きい方の弟の熱が又上って八度になったので、母は自分の体も忘れて
「一時間毎に熱を御とり……ふみぬがないようにネ、
やたらに水をのんではいけないんだから……」
と年よりのような声を出して心配して居た。電報が来て「父があすの朝の八時につく」としらせて来たんで、必要のところへはみんな電話をかけて知らせて置いた。
電話室がうすくらいので蚊に足をくわれるしとりつぎに出た人達がみんなはっきりわからないんで業をにやしたりして四十分も立たされてしまった。
むし歯がすこしいたみ出して眉の上のところへ神経痛がかたのさきから転宅して来た。
ブンブンが夜はマントルをこわしてしまったのでとりかえると、また一寸たってからとび込んで、自分も羽根をやいて少し毛のすりきれたジュータンの上に落ちた。
「ホラみた事か、だからわるさは御やめにするがいいのに」
私は虫をにらみながらこんな事を云った。
けれども「女王さまのおおせで命にかけて
灯をあさるわしゃひとり虫」
フット心の中で何ともつかないこんなものを考えたらみじめになった。
そのさきを考えようとしても出て来なかった。別な虫の三度目に飛び込んだ時にはほやをひび入らせてしまった。桃色のかさのかかったスッキリした形をしたスタンドをつけてピヤノ、西洋ローソクを二本ともした。うすい水色のカベ紙にはえて居る人達まで美しくなった。せかせかした心持で私はそこに落ついて居る事が出来なかった。夜の更けてから弟のそばに、ついておきて居たら黒い大きな猫が迷い込んでかやのすそに首を入れようとしながら「キャーゴー、ブーブー」とうなった。
私はうなされてとびおきた時のようにかやん中から手をのばしてやたらにリンをならしてようやっとおっぱらってもらった。
まだそこいらに丸くなって居るんじゃあないかと思われて、蚊帳を出る事が出来ず髪もとかさないでそのまんまねる仕度をしてしまった。
夕方からすっかり落ついた母はかおの色もふだんの通りになってしまった、少しは安心したけれども
「毎月、月に一度はかなくっちゃあ気がすまないもんと見えるネー」と云ったのを思い出して、又来月来るいやな、こわらしい事を思い出してたまらなくいやになってしまった。床のまわりにそんな事は忘れてしまいますようにと云うようにやたらに体をうごかしてノミトリをまいて、弟達の夜着をかけて、とうとう一日これで一日すぎてしまった。
本もよめず、書けもせず、勉強もせず、只まるで女中と同じように何をかんがえるでもなく体ばっかりをうごかして暮してしまった今日一日って云うものがいかにも馬鹿らしいような気がした。
本のよめなかった事、一番つらい事であったと枕にあたまをつけながらも思った。
「早く目を覚して御迎に行かれたら行こう」と思ってねたゆうべの腹案を意志の悪い寝むい虫がこわしてしまって御念の入った寝坊をしてしまった。髪をなでつける間もなく御父さまが上野じゃなくて玄関について御しまいになった。御土産は天津桃に羊かんにのし梅、安積にはよっていらっしゃらなかったらしい。今度はだまって居たからいいようなものの気をきかせたつもりで御手紙なんかあげて置いて若し用の都合でよっていらっしゃる時間のない時なんかは御祖母さまと御父様と両方から御こごとを頂戴しなくってはならなかったから…………
病人は二人とも(母も入れて)いいのできのうの分もまぜて今日は勉強するつもりで机に向うと御父さまが、トマトーをむけとおっしゃる、それをすましてから「今日は私一寸しなくっちゃあならない事があるんですから道ちゃんに出来る事はさせて、あんまり私をよばないで下さいまし」
とことわると
「御前なんか、一日中机にかじりついていたってろくな事は出来るはずがないんだから働いた方がましだ」
と云われたけれども口惜しいような、一日中机にかじりついてれば立派なことができるように思われたんで机の前にまいもどった。
数学は今まで毎日して来たから今日は休んで、英語と歴史とをさらう。
力抜山気被世 時不利
の詩をいつもよりしみじみとくり返してよんで居たら段々声が大きくなってしまったんで
「それこそほんとうのじゃじゃだ」
と云われたんでびっくりしてゆるんだ口元をたてなおすひまもなくつづけざまに笑われたんでやたらどなってしまった、あとで自分も吹き出すほど御かしい。
それからようやっと落ついてから、こないだのもののつづきを書き「聖書」と「希臘神話」を読む。「聖書」なんかは信心しない私なんかには別に有がたいとは感じないけれども「聖書」は一通り知って居なくっては不自由をしますよ、と忠告されたんで先によんだつづきから又よみ始めて居るわけである。
「希臘神話」はいつ見ても面白いものだと思う。本をよみながら一寸首をあげて見るとわきの木ばこの上にのっけてある石膏の娘の半身像のかおが影の工合で妙にいやらしく見えたんで手をのばして後むきにしてしまった。それからインクスタンドの下の方にゴトゴトになってたまって居るのでペンが重くってしようがないんで、気がついたらもう一寸もいやになったんでまだ一寸あったのをすててしまってきれいに水であらって、丸善のあの大きな□□のびんから小分をしてペンをひたして書いて見ると気持のいいほどかるく動く。
この勢で何か書こうかと思ったけれども何にも出て来なかったから、いろんな雑誌の中から書ぬきをして御ひる前はすんでしまった。
御ひるっから二時頃までは何やら彼やらと下らない事を云ってすごしてしまったので大あわてにあわてて墨をすり筆の穂をつくろって徳川時代を書いた古風な雁皮紙とじたのと風俗史と二年の時の歴史の本と工芸資料をひっぱり出す。
この徳川時代をひっぱり出したわけは、こないだの夜、父が、ただやたらに本をよみ書きなどして居ても下らないから時代時代を丁寧に親切にしらべて見た方が好いだろうと云われたからその説にしたがって割合にくわしく知って居て今に近い徳川時代から段々と逆にのぼる事にきめたのでひっぱり出したわけである。
いろんな本からひっぱりぬいちゃあ、書きとりにか□□か、歴史上の概観だけをすっかり書いてしまう。大体割方は風俗史にならってそれからそれぞれを精しくやって見ようと云う目ろみである。徳川家康が江戸幕府をたてて徳川時代をつくるにほねのおれたように、紙の上に筆とことばでつくりあげるのさえ仲々苦しい事である。
「どうにでもやって見せる」斯う思って仕事にかかったんだからどうしてもやって見たいと思って居る。御ひるっからは、これですっかりつぶれてしまった。夜はソナタと讚美歌のいいのを弾いて見た。
この頃は割合に沢山考えた、事柄に於ては……けれども、自分で満足するように考えの及ぼした事もなければ又自分で少しは実になりそうだと思ったものなんかは一つもありゃしない。それ丈頭を無駄に用ったわけだと今になって一寸口惜しいけれども又、相当に考える事も必用だからと自分でなぐさめて居る。こないだ書いた「魔女」の原稿は書き出しから気にくわず見るのもいやになったんで、一寸おしかったけれども焼いてしまった。も一度よく考えて書いて見ようと思った。自分の書いたものを火にもやしたのは生れて始めてだった。生れてはじめての事をするほどその原稿は気に入らなかった。けれどもこの次に書く時にはと思ってるからさほど情なくもない。
学校の事をしようと思って机に向ったけれども例の気まぐれな、出来心で、徳川時代の方を御先にまわしてしまった。参考にと思って国文学史と関根先生の「小説史稿」と雑誌に出て居た江戸文学と江戸史跡をよむ。いるところへはり紙をして別に分けておいた。筆を新らしいのをおろしたら妙にピョンピョンして書けないからかんしゃくをおこして鋏でチョキンとしてしまった。かえって書きよくなった。五枚ほど書いてから墨がかわいてしまったからそれをしおにやめた。それからもう一昔もそれよりも前の「上等記事論説文例」って云うのをよむ。「神功皇后韓ヲ征スル事ヲ論ズ」と云う一寸ばかりの短い論説だか何だか分らないようなのがあって、一番おしまいに道真左遷の事を論ズと云うのがあった。割合に下らないもんだった。それから「約百記」を半分ほどよんだ。□百□の信仰の力の強いのにビックリした。
どんな苦しい事に出会ったにしろ世の中を又は人を恨まず自分のする事だけをまじめにして行くと云うのは基督信徒にかぎらず大切な事だと思った。
それからいよいよ本式に化学と国語を見た。国語の柴田鳩翁の「道話一則」をよみ次の次の松下禅尼までよんでみた。「東遊記」(橘南谿)のは今度図書館に行った時によんで見ようと思った、兼好法師のがあったんで「徒然草」がよみたくなってしまった。本箱から引ずり出してよみはじめたけれども分らないとこが沢山あるんでノートに書きぬきながらよんで行く、手間ばかりかかる。
気まかせにこのごろ出た単純生活と前から出て居た原本をひっぱりだこをしてよんで見た。これも赤い条だらけになってしまった。
一寸何をしていいかわからなかったので、百科大辞典を片っぱしから見て行く、私はよく、一寸手のあいた時に、字引や言海を見るのがすきだけれどもこれもくせの一つとしてあげるべき筈のものだ。
机が大変よごれたので水色のラシャ紙をきって用うところだけにしき、硯ばこを妹にふみつぶされたから退紅色のところに紫や黄で七草の出て居る千代がみをほそながくきって図学紙をはりつけて下に敷いた。
水色のところにうき出したように見えてきれいだ。
私はこの上で書くものとつり合った、きれいな気持できれいな字で書かなくっちゃあいけないようなきがした、あしたかあさって図書館にやっていただこうと思う。読む本の番号や何んかをうつして来ておかなくっちゃふつごうだと思ったのでいつでも持って行くノートにそれに都合のいいような条をひいて置いた。はじめの方は丁ねいに、あとから面倒になったんですこしきたなくなってしまったけれども誰が見るもんでもないからと思ってまに合わして置く。
夕方は何にもする事がなかったもんでもう忘れかけて居るような古いうたをうたったり、「古今集」からすきなうたを書きぬいたりした。夜、御となりで御琴と三味線合奏をはじめられた、楽器の音はうれしかったけれども三味せんのベコベコとうた声の調子ぱずれには少しなさけなかった。
やたらに旅に出て見たい日だった、ただどっか歩きまわって見たくって何にも手につかないほど……
私は朝めがさめると一緒に旅に出て見たい事と思った。私は坐ってジッとして居ると目の前に広重の絵のような駅の様子や馬方の大福をかじって戻る茶店なんかがひろがって行く。さしあたって行くところもないんだしするから、女の身でやたらに行きたがったってしようがないって云うことは知って居る。けれども、あの草いきれのする草原の中をサヤサヤと云わせながら歩く時の気持や、田舎家によって冷い水をもらう時のうれしさなんかを思うとすぐとんで行きたいようにまでなる。
なまじ一度、そんなのんきな、さっぱりした男のような旅をした私はその味をしめてなかなか思いきれない。
私はいきなり母の前に坐って
「母様、どこか旅させて下さいまし」
まのぬけたような調子で云った。
「またはじまった」
と笑ってとりあってくれない。自分も一緒に笑いながら口のはたが変な工合に引きつれるような気がして私はなき笑をして居た。
落つかないフラフラした糸のきれたフーセンみたいな気持は御ひる前いっぱいつづいた。私は机にすわっていろんな人の紀行文や名所話なんかをよんで自分が出かけたような気持になって居た。
御ひるはんの時、「男だったら、どこへだって出られるんだけれども」とこんな事をかんがえながら、夢中でラッキョーの上にのって居たまっかいとうがらしを思いきりよく頬ばってしまった。口の中と目玉はひっくりかえりそうになってくしゃみが出はじめた。
「下らない事をかんがえ込んで居るからさ」
母はニヤニヤしながら、私のちんころがくしゃみしたようなかおを見て居る。この唐がらしは随分見っともいいかおになったけれども私の頭をはっきりとさして呉れた。もし御ひるにこれがなかったら、私は一日中旅に出たい、と云う病気にとりつかれて居たかも知れない。
御ひるっからは私の頭が大変しずかになったんで、徳川時代を書く事と「聖書」、「歴史攻究法」、「世界文学史」を読む事は落ついてする事が出来た。もうすっかり旅に出たいなんて云う事は忘れたようになってしまった。
成井先生のところから暑中の御見舞を下さった。早速御返事を出して置く。まだ手紙を出さなくっちゃあならないところが沢山あるんだのにと思ったけれども気が向かないからやめた。
古い『新古文林』に出て居る本居宣長先生の「尾花が本」と楽翁コーの「関の秋風」をうつして置く。夜は父から希臘の美術の話をきいた。それから法隆寺模様の特長と桃山時代の美術の特長とを文様集成を見て知った。
底本:「宮本百合子全集 第二十三巻」新日本出版社
1979(昭和54)年5月20日初版
1986(昭和61)年3月20日第5刷
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2010年3月13日作成
2012年11月25日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。