私の生活(二)
種田山頭火



 御飯ができ、お汁ができて、そして薬缶を沸くようにしておいて、私は湯屋へ出かける。朝湯は今の私に与えられているゼイタクの一つである、私は悠々として、そして黙々として朝湯を享楽する(朝湯については別に扉の言葉として書く)。過現未一切の私が熱い湯の中に融けてしまう快さ、とだけ書いておく。

 湯から帰ると、手製の郵便受函に投げ込まれてある郵便物を掴んで、いそいそと長火鉢の前にあぐらをかく、一つ一つ丹念に読む、読んでは微笑する、そして返事を認める、それを持って角のポストまで行く、途中きっと尿する、そこは花畑だ、紅白紫黄とりどりの美しさである、帰って来て、香ばしい茶をすする、考えるでもなく、考えないでもなく、自分が自分の自分であることを感じる。──この時ほど私は生きていることのよろこびを覚えることはない、そして死なないでよかったとしみじみ思う。

 それから、朝食兼昼食がはじまるのであるが、もう余白がなくなった。余白といえば、私の生活は余白的だ、厳密にいえば、それは埋草にも値しないらしい。

(「三八九」第三集)

底本:「山頭火随筆集」講談社文芸文庫、講談社

   2002(平成14)年710日第1刷発行

   2007(平成19)年25日第9刷発行

初出:「「三八九」第三集」

   1931(昭和6)年330日発行

入力:門田裕志

校正:仙酔ゑびす

2008年519日作成

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