鉄鉢と魚籃と
──其中日記から──
種田山頭火



 九月三日。

 曇、さすがに厄日前後らしい天候。

 朝は梅茶三杯ですます。身心を浄化するには何よりもこれがよろしい。

 前栽の萩──それは一昨年黎々火君と共に裏山から移植したもの──が勢よく伸びて、びっしり蕾をつけている。早いのはぽつぽつ咲きだしている。萩は何となく好きな花だが、それは山萩にかぎる。葉にも花にも枝ぶりにも私たち日本人を惹きつけるものがある。

 このごろの蚊のするどさ、そして蠅のはかなさ、いずれも死んでゆくもののすがたである。

 午前は郵便を待ちつつ読書。

 ハガキ三枚、黎々火君から、十返花君から、そして珍らしくも病秋兎死君から。雄郎和尚から絵葉書と詩歌八月号清臨句集黎明、これは若狭紙を大判のまま使って、なかなか凝ったものである。

 午後は近在行乞、家から家へ歩きまわっているうちに、何だか左胸部が痛むようなので、二時間ばかりで切りあげた。それでも米八合あまり頂戴している。さっそく炊いて食べる。まことに「一鉢千家飯」、涙ぐましくなる。

 今日の行乞相はよかったと思う。行乞の功徳はいろいろあるが、行乞していると、自分のことも他人のこともよく解る、我儘がいえなくなる。我儘を許さなくなる。我儘をたたきつぶして、自他本然の真実心を発露せずにはいられなくなる。


 九月四日。

 宵からぐっすり寝たので早くから眼が覚めて、夜の明けるのが待ち遠しかった。

 芋の葉を机上の日田徳利に挿す。其中庵にはふさわしい生花である。

 小雨がふりだした。大根を播く。托鉢はやめにして読書に倦けば雑草を観賞する。

 夕方、K君がひょっこり来庵、明日から出張する途次を立ち寄ってくれたという。渋茶をすすりながら清談しばらく、それからいっしょにF屋まで出かける。ほどよく飲んで酔うて戻って来たのは十二時近かったろう。


 九月五日。

 雨、だんだん晴れる。

 今日は澄太君が来てくれる日だ。

 待つ身はつらいな、立ったり坐ったりそこらまで出て見たり──正午のサイレンが鳴ってから、やっと懐かしい姿が現われた、Iさんといっしょに。

 酒、米、醤油、酢、豆腐、茄子、何から何まで御持参だ。これではどちらがお客だか解らない。客も主人もなくなったところに私たちのまじわりがある。

 名残はつきないけれど、六時の汽車へ見送る。人生はすべて一期一会のこころだ。

 さて、明日は托鉢しようか、魚釣しようか、もし其中庵にスローガンがあるとしたならば──

「今日は托鉢、明日は魚釣!」

(「層雲」昭和十年十月号)

底本:「山頭火随筆集」講談社文芸文庫、講談社

   2002(平成14)年710日第1刷発行

   2007(平成19)年25日第9刷発行

初出:「層雲 昭和十年十月号」

   1935(昭和10)年10

入力:門田裕志

校正:仙酔ゑびす

2008年519日作成

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