鎖ペンを握って
──三月十九日夜──  山頭火
種田山頭火



春と共に白楊社が生れた。あのポプラ若葉のようにすくすくと伸びゆけよと祈る。

会名の『白楊社』は可い。(たしか二三年前に東京郊外在住の画家連中が同名の会合を組織していたと思う。今では解散したらしい)『四十女の恋』は本集の内容にふさわしくない。次号からはもっと適切な名をつけて欲しい。

勝手な文句は並べるものの、私は不泣君の労に対しては最大級の感謝を捧げます。

編輯は順番に為ることにしたい。各地各人の気分が出て面白かろうと思う。

歌の数は最近作十首内外ということにしたい。それでないと、一人で二百首も三百首も出されたとき、編輯者が困る。そして十首内外ならば、ほぼ、或る纏った気分を現わすことも出来ようし、また最近作として置けば季を限る必要はない。

歌集留置期限はまあ二三日ということにしてはどうだろう。二回まわすのだから、その位の日数にしておけばどんな忙しい人でも充分通読することが出来るだろうと思う。

互選はせぬ方がいいらしいその代りに読後の感想をなるたけ正直になるたけ詳細に書いて貰いたい

申合は此位にして置きたい。此以上呶々すると面白くなくなる。それから先の事は自己の芸術的良心に従って行えば可いそれで腹を立てたり拗ねたり泣き出したりするような人は野暮だ

ただ一つ、もう一つ、私として──無遠慮な、ぐうたら男の私として、予じめ頼んで置きたいことがある。それは、若しも何かの間違で諸君が右の頬を打たれなすったとき或は接吻せられることもあろう左の頬を出されないまでもじっと堪忍して願わくならば微笑でもしていて下るほどの雅量を持っていて欲しいということです。小供のするような無邪気な喧嘩ならば面白いけれど、大供のする睨合には感心しません──

兎に角、こう早く本社が成り立ったのは嬉しかった。私はエムファサイズする。今朝、本集を手にしたとき、胸がどきどきした。初めて熱い恋を囁かれた少女のように。……笑ってはいけません。私は妻も子もある三十男ですからね! 諸君、可愛くなりませんか!!!

本集は『春愁』『若き悲しみ』またはハイカって(少々嫌味はあるが)『二十歳ハタチの峠へ、三十歳の峠から』とでも名付くべきでしたろう。若い人は大胆に若い恋を歌いたまえ。私ら中年者は中年の恋を露骨に歌います。それにしてももう少し物足りませんね。老爺おじいさんと……そして……フェヤセックスがいないから!

私は以前から小っぽけな純文芸雑誌発刊の希望を胸ふかく抱いています。機が熟したら、必ず実行します。そして、その一半を俳句の椋鳥会と短歌の白楊社とに捧げたいと思うています。郷土芸術──新しい土に芽生えつつある新らしい草の匂いが、春風のように私の心をそそります。そして私の血は春の潮のように沸き立って来ます。(併し、こんなことはあまり高い声では申されません。地方雑誌の経営ではこれまで、度々失敗していますから。)

         

春が来た。春が来たからといって、私には間投詞を並べて、可愛い溜息を洩らすほどの若々しさもなく、また、暗い穴の底へほうり込まれたような鬱憂もないが、矛盾した自己を、やや離れた態度で、冷かに観照しうるだけの皮肉がある。シニカルな気分である。この心持はドストエヴスキーやストリンドベルヒのそれらでなくしてチェーホフのそれに近い。微笑でもない、慟哭でもない、泣笑である。赤でもない、黒でもない、クリーム色である。

『三十男にも春は嬉しい。』と白泉君が呟く。『嬉しくないこともないね。』と私が答える。『あまり嬉しくはないんですか。』と誰やら若い人が混ぜ返す。──こういう心持をおどけた態度でうたってみた。断るまでもなく与太郎の囈語たわごとみたいなものである。本号の雑録があまり淋しいから、筆序に書いて置きました。真面目に読んで下さると、諸君より先に、私の方がじっとしていられません!

(歌集『四十女の恋』所収 大正二年)

底本:「山頭火随筆集」講談社文芸文庫、講談社

   2002(平成14)年710日第1刷発行

   2007(平成19)年25日第9刷発行

初出:「歌集『四十女の恋』」

   1913(大正2)年

入力:門田裕志

校正:仙酔ゑびす

2008年519日作成

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