行乞記
室積行乞
種田山頭火



  一鉢千家飯

          山頭火

□春風の鉢の子一つ

□秋風の鉄鉢を持つ


雲の如く行き

水の如く歩み

風の如く去る

          一切空


 五月十三日 (室積行乞)


まだ明けないけれど起きる、まづ日暦を今日の一枚めくり捨てゝから空模様を見る、有明月の明るさが好晴を保證してゐる。

今日はいよ〳〵行乞の旅へ旅立つ日だ。

いろんな事に手間取つて出かけるとき六時のサイレン。

汽車賃が足らないから、幸にして、或は不幸にして歩く外ない。

長沢の池はよかつた、松並木もよかつた。

大道──プチブル生活のみじめさをおもひだす。

それから、──それから二十年経過!

佐波川の瀬もかはつてゐた。

若葉がくれの伯母の家、病める伯母を見舞ふことも出来ない甥は呪はれてあれ。

私を見つめてゐた子供が溝に落ちた、あぶない。

暑い風景である。

おもひでははてしなくつゞく。

宮市……うぶすなのお天神様!

肖像画家S夫妻に出くわした、此節は懐工合よろしいらしく、セル、紋付、そして人絹!

富海で、久しぶりに海のよさをきく

大道、宮市、富海──あれこれとおもひでは切れないテープのやうだよ。

お宮の松風の中で昼食、一杯やりたいな。

転身の一路がほしい。

富海行乞、戸田行乞、二時間あまり。

さりとは、さりとは、行乞はつらいね!

S君の家はとりこぼたれてゐた、S君よ、なげくな、しつかりやつてくれ。

自動車、それは乗客には、そして歩くものにはまさに外道車!

旧道はよろしいかな、山の色がうつくしくて、水がうまくて。

今、電話がかゝつてゐるから、行乞の声をやめてくれといふ家もあつた、笑止とはこれ。

一銭から一銭、一握の米から一握の米。

暮れて徳山へついた。

徳山は伸びゆく街だ。

白船居では例のごとし、酒、飯、そしてまた酒。

雑草句会に雑草のハツラツ味がないのはさみしかつた、若人、女性を見分したのは白船老のおかげ、感謝、感謝。

白船居の夢はおだやかだ、おだやかでなければならない。

白船老いたり、たしかに老いたり。

けふいちにちはあるきつゞけた、十里強。

行乞はつらいね。

可愛い子には遍路をさせろ。

行乞は他を知り同時に自を知る。

 月見草もおもひでの花をひらき

・春まつりの、赤いゆもじで乳母車押してきた

・春もゆくふるさとの街を通りぬける

・はぎとる芝生が春の草

・かきつばた咲かしてながれる水のあふれる

 五月晴、お地蔵さんの首があたらしい

 松蝉があたまのうへで波音をまへ

 たちよればしづくする若葉

・夏山のトンネルからなんとながいながい汽車

・踏切も三角畑の花ざかり

・竹の子みんな竹にして住んでゐる

 はるかに墓が見える椎の若葉も

・松並木ゆくほどに朝の太陽

・こゝでやすまう月草ひらいてゐる(大道)

・音もなつかしいながれをわたる(佐波川)

・ふるさとの山はかすんでかさなつて(宮市)

・水にそうてふるさとをはなれた

・誰もゐない蕗の葉になつてゐる

・線路がひかるヤレコノドツコイシヨ

・春はゆく鉢の子持つてどこまでも

・こゝは水の澄むところ藤の咲くところ

・埃まみれで芽ぶいてゐる


 五月十四日


とろ〳〵まどろんですぐ起きた、そして街から浜を歩いた。

晴は晴だが、時々曇、雨が近いことはたしかだ。

朝から酒、朝酒はうまいこともうまいがこたへることもこたへる。

漣月老を久しぶりに訪ねて、勢のよい君を祝し喜んだ。

九時近くなつて出立、櫛ヶ浜行乞、それから下松、虹ヶ浜、そして室積──六里の道が六十里にも感じられた、何しろ過飲と不眠とのために、さすがの私も今日ばかりは弱つてしまつた。

米はあまり重いから、途中の安宿に預けたが、それだけでも大に助かつた。

室積は普賢市なので、帰る人がぞろ〳〵ぞろ〳〵、その場を自動車、自動車、自動車、何もかも埃まみれだ。

多少脚気の気味がある、旅で死んでは困る、私は困らないけれど、周囲の人々が困るから。

暮れるまゝに、やつとせい二居に着いた、学校まで行かないうちに、或る人に偶然教へられて尋ねあてたのはよかつた。

熱い風呂にはいつてさつぱりした、それから酒となつたのは自然で当然で必然だ、おそくまで、酒、鮹、酒、鮹。

やはらかな寝床、やすらかな睡眠。

せい二さんに尊敬と感謝とをさゝげる。

今日は一句もなかつた、昨日数十句あつた反動かも知れない、あるも本当、ないも本当だ。

とにかくこゝろよく酔へてぐつすり眠れた。

こゝから××まで何里ありませうかと訊ねたら、

おぢいさんは、三里近い

おばあさんは、一里半あまり

と教へてくれたが、おぢいさんは全然落第、おばあさんはまさに及第だつた、まあ二里位といふところであつたが。

道程を訊ねると、その教へ方によつてその人の智能性情がよく解る、それはメンタルテストといつてもよいほどに。

  今日の行乞所得

米  一升四合

銭  九銭也


 五月十五日


曇、とう〳〵雨になつた、半月ぶりの雨だらう、室積の人々には、せつかくの最後の書入日が駄目になつて気の毒だが、天を怨む訳もない。

私はこゝへきてゐてよかつた、安心して今日が暮らせる!

普賢様へ詣でる、女子師範校を通りぬけて大師堂へ詣でる。

皷ヶ浦はおだやかに千鳥が啼いてゐた。

学校はひつそりと風景をそなへてゐた。

えにしだの花がしづかだ、月草がふさはしい。

買物客が右徃左徃してゐる、農具や植木や瀬戸物が多い、合羽、竹籠がよく売れる、私はたゞ見て歩いた、買ふ金もなく買ふ気もない。

明るい雨だ、私の心が明るいから。

行きあたりばつたり! さういふ旅が、といふよりも、さういふ生き方が私にはふさはしい。

昼食で酒四本、そして昼寝ぐつすり、何だかせい二さんの厚意に甘えてゐるやうで気が咎める。

五橋羊羮(岩国名物と自称する)を一きれ食べる、容器(竹製)も内容も日本的。

夕方から、サカモリがはじまる、M氏に好感を持つて飲み合つた、ほどよく酔うて安眠。

短冊と半切とを書きなぐつた、自分が、自分といふ人間の出来てゐないことを痛感する、かういふ場合にはいつもかういふ痛感があるのだが。

 汐風の、すこしはなれてマブの花

・地べたべつとりと浜朝顔の強い風

・やけあと何やら咲いてゐる

・わがまゝきまゝな旅の雨にはぬれてゆく

・松のなか墓もありて

・つかれた顔を汐風にならべて曲馬団の女ら

 やたらにとりちらかしてお祭の雨となつた

 雨となつた枇杷の実の青い汐風

・山しづかにしてあそぶをんな

 つたうてきては電線の雨しづくしては

 警察署の木の実のうれてくる


 五月十六日


まだ降つてゐる、残酒残肴を飲んで食べる、うまい〳〵、そしてM氏のために悪筆を揮ふ。

朝酒は身心にしみわたる、酔うて別れる、誠二さんはすでに出勤、書置を残して、そして周東美人を連れて!

宿の奥さん、仕出屋の内儀さんの深切に厚くお礼を申上げる。

雨、雨、雨、ふる、ふる、ふる、その中を歩く、持つてきた一本を喇叭飲みする、酔ひつぶれて動けなくなつた、松原に寝ころんでゐたら、通行人が心配して、どうかなさいましたかといふ、まことに恥晒しだつた。

工合よく、近くに安宿があつたのでころげこむ、宿銭がないから(酒と煙草とは貰つてきたのがありあまるほどあるけれど)、すまないと思ひつゝ、誠二さんへ手紙を書いて、近所の子供に持たせてやつた。

誠二さんの返事はありがたかつた、すまない〳〵、人々に酒と煙草とを御馳走する。

・松風のみちがみちびいて大師堂

・夏めいた雨がそゝぐや木の実の青さや

 雨音のしたしさの酔うてくる

 これからどこをあるかう雨がふりだした

 ずんぶりぬれて青葉のわたし

  室積松原の宿

木賃料  三十銭

米五合  十一銭

   中ノ上といふところ、

   飯が少ない、

   すこしうるさい、

  今日の行乞所得

米  八合

銭  九銭


 五月十七日


霧雨、ぼうとして海も山も見えない。

松原の宿といふ気分はよかつた。

早朝、合羽を着て出立、島田を経て呼坂へ、そして勝間へ、行程六里。

薊が咲きつゞいてゐた、要の若葉が美しかつた。

呼坂の附近を行乞壱時間。

旧友井生君を訪ねて旧情を温めた、十年振の再会、話しても話しても話しつきない、君のよさに触れてうれしかつた。

君の祖父君は風雅人だつたといふ、さすがに家構も庭園も調度も趣味的に整頓してゐる。

・霧雨のしつとりと松も私も

 茨がもう咲いてゐる濁つた水

・ふつたりやんだりあざみのはなだらけ

・あやめあざやかな水をのまう

 なにがなしラヂオに雑音のまじるさへ

・晴れさうな水が湧いてゐる

・うごいて蓑虫だつたよ

 やうやく晴れてきた桐の花

・いちじくの葉かげがあるおべんたうを持つてゐる


 五月十八日


雨、曇、そして晴。

昨夜はよい一夜だつた、ありがたい一夜だつた。

下松まで二里、五時間あまり行乞する。

妙見社参詣、溜池に重なりあつてゐる亀はあはれであつた、人間の利己的信仰の具象である。

それから一里ばかり歩いて、先日、米を預けてをいた宿に泊る、村の宿とでもいはうか、若葉につゝまれて水にのぞんでゐる、よい宿であつたが、同宿の酔漢がうるさかつた。

白蛇──純白でなくて黄色を帯びてゐた──を見た、あまりよい気持はしなかつた。

同宿のお遍路さんの軽口のなかに、──

水はいやお茶はにがいし

   酢醤油の外に飲みたいものがある

その飲みたいものは、さて何でせう!

 村の宿の印象

水のいろ、若葉のかげ

遍路の世間話、酔ひどれの口説

亭主の強さ、おかみさんの深切

空は晴れてゆく風のさわやか

 木賃料三十銭

 飯はたつぷり

 夕飯 刺身

    煮魚と菜葉

    おしたし

 朝飯 味噌汁

    おろし大根

    菜漬


 五月十九日


早く起きて、そこらを歩く、田園の朝景色はよいかな、帰心が水の湧くやうにおこる。

徳山行乞、八時から二時まで。

今日の特種としては、下駄店の主人が間違つて、鉄鉢に入れた十銭白銅貨を返して喜ばせ、しまうたやの娘から五銭白銅貨を戴いて喜んだ事の二つであつた。

途上の買物、──

麦捍帽子特価二十五銭、茶碗二個十銭。

帰途、白船居でコツプ酒をよばれる、白船君のよい人であるに間違はないが、奥さんもまたよい人であることに間違はない、だから白船居はいつも春風たいとうだ。

福川まで歩いて、それから汽車、徃路一日が帰途一時間だつた。

  行乞所得

   米 一升四合

昨日

   銭 二十九銭

   米 二升

今日

   銭 五十五銭


 五月十九日


帰庵したのが六時半、夕あかりに雑草がはびこつてゐるのに驚かされた、あやめが咲いてゐた、棗が若葉を出してゐた。

樹明君のニホヒは残つてゐたが、姿は見えなかつた(日暦が今日になつてゐたから来庵はタシカだ)。

塵がういてゐた、蜘蛛の囲が張りまはされてゐた、その他に別状なし、変化がないといふことはさみしくないことはない。

自分には自分の寝床がいちばんよろしい、ヤレ〳〵ヤレ〳〵といふ気持だ。

飯を炊いたら半熟! これはさみしい事実である。

・さみしさ、半熟飯ナカゴメとなつたか

・たんぽゝちらんばかりへもどつてきた

・南天のしづくが蕗の葉の音


 五月二十日


曇、晴れさうだ、ゆつくりと朝寝。

一週間のとりかたづけをする。

のんびりと食べたり、考へたり、寝たり、歩いたり。

買物に出て、俄雨に降りこめられた、焼酎一杯の贅沢。

樹明君に帰庵の挨拶をする、早速来庵、酒と下物とを持つて。

久しぶりの会飲、うれしかつた、送つて学校まで。

 晴れるより雲雀はうたふ道のなつかしや

・ぬれるだけぬれてゆくきんぽうげ

  今日の買物

一、十五銭 石油三合

一、十五銭 焼酎一合五勺

一、十銭  若布百匁

一、八銭  醤油二合

一、八銭  赤味噌百匁

一、六銭  茹玉子二個


 五月二十一日


雨、ほどよい雨だつた。

昨日、樹明君が持つてきてくれた茄子苗を植ゑる。

今夜も樹明君は来てくれた、一杯やりたいな、しかし我慢する。

敬坊遂に来らず、失望々々。

・若葉して遠く街がかくれた


 五月二十二日


曇、間もなく晴れた。

身辺整理がなか〳〵忙しい、掃除、洗濯、畑仕事。

茄子苗はうまくついたらしい、トマト苗──これは昨日樹明君が植ゑてくれた──も好結果らしい、畑を見まはり、山を眺め、雑草、若葉を賞することは、ほんとうにうれしいことだ。

柑橘の花の香がすこし強すぎて困る。

せつかく売りにきた爺さんから豆腐二丁買ふ、五厘銅貨でやつとこさ!

夕方ちよつと樹明来、落ちついた樹明を祝福する。


 五月廿三日


晴、今朝も寝過した、六時に近かつた。

腹工合が悪いので、行乞は止めにして、洗濯したり畑仕事をしたり、読書したり執筆したりして暮らした。

蕗の佃煮をこしらへる、私の好物である。

裏畑の麦を刈る音、梅をもぐ声、のどかである。

たしかにほとゝぎすが啼いた、若い調子で。

机の場所を変へる、もう蚊帳を吊らなければならなくなつたから、書斉を表の四畳半から後の三畳へ移したのである。

アルコールなしの門外不出が三日つゞいた、努めてさうしたのではないが、しようことなしに、いや、おのづからさうなつたのだ。

 窓へのぞいて柿の若葉よ

 播いてゐるときほとゝぎす

・ほとゝぎすがなけば鴉も若葉のくもり

 身のまはりかたづけてさみしいやうな

 仲よく空から梅をもいでは食べ

・伸びぬいて筍の青空

・あてなくあるくや蛇のぬけがら

どうしても寝つかれないで、とう〳〵徹夜してしまつた。

井生君から貰つてきた改造と中央公論とを読んで、いろ〳〵の事を考へないではゐられなかつた、殊にその一つのもの転換時代とはその熱力と意気とで私をうつた、私は今更のやうに私の生活について、存在の意義について考へた、今更どうなるものでもないけれど。──

私の句作には私だけの価値、私の生存には私だけの意味があることを私は信じてゐる、信じてはゐるが、同時に私は私といふ人間があまりにみすぼらしいことを恥ぢてゐる、──かういふ私をほんとうに理解してくれる友は誰か!

   いつぞやの鉄鉢の句訂正

・霰、鉢の子の中の

   冬村君新婚の祝句として

・青葉に青葉が二つのかげ

・竹の子の竹になつてならんでゐる

・空は皐月の、一人ではない


 五月廿四日


今朝も早いも遅いもなかつた、ちつとも眠れなかつたのだから。

老いて眠れない、老いて眼がよくない、──老境しみ〴〵だ。

どうも私はクヨ〳〵しすぎる、ケチ〳〵しすぎる、ゆうようとして生きろ。

今日も行乞はダメ、新聞を隅から隅まで読む、やめてゐたのだけれど、T配達が好意を持つて、持つてきてくれるのである、とにかく新聞と現代生活とは一日も離れられない。

午後は果して雨となつた、しめやかな雨だ、たま〳〵発見した十銭白銅一つを持つて出かける、地下足袋を穿いて。

四日ぶりの外出、そして一浴一杯、いつでも湯はいゝな、酒はいゝな、だから、銭はほしいな!

 朝が待ち遠い鳥の一声二声で

 夜明けの水くめばそこら花のにほひ

・くもりおもたく蛙のなく

 小鳥なくや、ひとりごといふ

 ひさ〴〵もどればやたらに虫が(追加)

・伸びるがまゝの雑草の春暮れんとす

・ひつそり暮れるよ蛙が鳴くよ


 五月廿五日


雨、あがりさうであがらなかつた。

行乞には出かけられない、もう物資が乏しくなつたのに。

あざみをあやめに活けかへる、『見かけはつらき鬼薊、さわれば露の一しづく』か。

裏の雑草の中から、小さい筍が一本、によこりと伸び出てゐた、すまないとは思つたが、煮て食べた、うまくはなかつたが新鮮を味つた。

小鼠の悪戯には困る、一枚しか持たない蒲団の綿をかぢつたり、三八九をかぢつたりする。……

蚊帳の用意は出来てゐたが、今夜から吊りはじめた、昨日は百足が顔を這ふのに驚ろいて眼が覚めた、山家は虫の多いのに閉口する。

今日はいちにち無為無言だつた。

・あけたてもぎくしやくとふさいでゐる

・雀がころげる草から草へ

・によこりと筍こまかい雨ふる

・雨ふるあやめで手がとゞかない

・葉かげ黒い蝶

・ほきりとたんぽゝの折れてゐる花

・青葉の雨のしんかんと鐘鳴る

・壁に夜蜘蛛がぴつたりとうごかない

酒についての覚書の一つ、──

うまい酒、酔ふ酒であらねばならない、にがい酒、酔はない酒であつてはならない。


 五月廿六日


曇、后晴れて風が出た、時々雨がふつた。

御飯を炊いてゐると、聞き覚えるのある、そして誰とも思ひだせない声がする、出て見たら、意外にも義庵老師であつた、上京の帰途、立ち寄られたのである、いろ〳〵話してゐるうちに熊本がなつかしうなつた。

お茶もないし、何も差上げるものがないので、S店へ走つてビールと鑵詰と巻鮨とを借りて来て、朝御飯を食べて貰つた。

八時の汽車に間にあふやう、駅近くまで見送つていつた。

樹明君がやつてきて、冬村新婚宴はいよ〳〵今晩だといふ、うんと飲んで面白く騷がう。

もう米がなくなつたから、気はすゝまないけれど陶行乞、五時間ばかり歩きまはつた。

米 二升四合

銭 十七銭(外に樹明君が色紙代として二十銭喜捨)

今日の買物はよかつた。──

一金七銭  色紙二枚

一金六銭  焼酎五勺

一金十一銭 バツトとなでしこ

一金九銭  ハガキ六枚

一金三銭 草鞋一足

六時のサイレンをきいてから樹明居へ出かける、風呂に入れて貰つて、同道して冬村居へ、めでたし冬村君、冬村君御馳走でした、酔うてふらふらして戻つて、そのまゝごろりと寝てしまつた。

  祝句

空はさつきの、一人ではない

青葉に青葉がふたつのかげ

端午が近づいた、笹の葉を活けて粽をのしのぶ。

馬刀貝を食べつゝ旦浦時代の追憶にふける。


 五月廿七日


海軍記念日、上々吉の天気、のんびりした一日だつた。

朝、不三生さんが蜊貝をどつさり持つてきてくれた、しばらく話してゐるところへ樹明君、昨夜の酔態を話しあふべく来庵。

私も昨夜の着物の泥を落すのに苦心した、やかましくいふ人がゐないやうに、やさしくしてくれる人もゐない。

神保さんがくる、豆腐屋さんがくる、今日は賑やかだつた。

物資缺乏、もう塩までなくなつてしまつた、明日はどうでも山口行乞をしなければなるまい。

青葉から電燈線へ蜘蛛の囲

大盃の梅の花を飲む(冬村新婚宴)


 五月廿八日


曇、……行乞は見合せる。……

旧暦の端午である、在来の年中行事は旧暦でないと、季節的に本当でない、したがつて、気分的にも気乗がしない。

朝から、神保さんがやつてきて茶摘みに精出してゐる。

朝は塩気なしですましたが、昼は前のF家から茶碗に一杯の醤油を借りて菜葉を煮る(神保さんが借りてきてくれた、多謝々々)。

昼御飯の仕度をしてゐるところへ、樹明君さうらうとしてやつてくる、酒はつゝしむべきかなと私を悲しませる、そして私をして学校の給仕を通して奥さんに嘘を吐かなければならないやうにした!

昼寝は悪くないけれど、今日の昼寝は長すぎた。

夕方また雨となつた。

寝て起きた樹明君がおとなしく──みすぼらしく帰つた、お互に共通の弱点を持つてゐるのだから、その切なさはよく解る、よく解るだけそれだけ、私自身に鞭つ意味に於て、君に苦言を呈せざるを得ない(伊東君に対しても同様だ)。

石油がなくなつたから、そして買ふことが出来ないから、暮れると直ぐ寝た、寝た方がよい、読むよりも、考へるよりも。

こゝ二三日、どういふものか句が出来ない、それもよからう。


 五月廿九日


曇つてはゐるけれど、今日はどうしても行乞しなければならない、ずゐぶん早く起きたが、あれこれ手間取つて、出かけたのは六時すぎだつた、九時から二時まで山口市街行乞、それからまた歩いて帰庵、徃きの三里は何でもなかつたけれど、帰りの三里は少々こたえた、幸にして焼酎といふ元気回復薬を飲んだけれど。──

ほんとうに久しぶりに草鞋を穿いた、草鞋でアスフアルトの新国道を歩みしめてゆく心持はよかつた。

山口で、ゆくりなく、川棚温泉で昨夏相識の坊さんに邂逅した、彼は俗坊主だけれど、憎めない人間だ。

帰庵して、胡瓜苗を植ゑ、唐辛苗を植ゑ、種生薑を植ゑ、月見草を植ゑた、イヤハヤ忙しい事。

そしてまた、街へ出かけた、今夜なくてはならない物を買ふために。

  今日の行乞所得

銭 六十八銭

        合計金九十弐銭

米 一升一合

  今日の買物

      種生薑 百匁七銭

一金十五銭

      胡瓜苗六本五銭、唐辛苗七本三銭

一金十七銭 焼酎壱合五勺

一金八銭  石油二合

一金五銭  醤油一合

一金五銭  塩

一金四銭  なでしこ

一金九銭  ハガキ六枚

・月草を植ゑて一人

・鉢の子の米の白さよ

・注連を張られて巌も五月

・初夏や人は水飲み馬は草喰み

   二句追加

・うごかない水へ咲けるは馬酔木の花で

・ゆく春の身のまはりいやな音ばかり


 五月三十日


晴、けふも山口へ、十時前から二時過まで行乞、帰途、湯田温泉浴、蓮芋の苗を買うて戻る。

山口の山はさすがによろしい、ことに糸米あたりの山がよろしい、中学時代のおもひでがそこらに残つてゐた、後河原の葉桜もうれしかつた、よくそのあたりを歩いたものだ。

伊勢神楽がおどつてゐた、私と同様に時代錯誤的産物の一つだ、はかないをかしさを覚える。

たま〳〵鏡にうつつた顔! 何と醜い顔! それが私のだつた!

 新国道はまつすぐにして兵列がくる

・草へ脚を投げだせばてふてふ

・春ふかい草をふみわけ蛇いちご

・たゞ暑くゆきつもどりつローラーのいちにち

・うしろは藪でやぶうぐひす

・うらから風もひとりですゞしい

昨日も今日も行乞相はわるくなかつたが、それでも時々こだはつた、捨てゝも、捨てゝも、ちぎつても、ちぎつても、執着はのこるものかな。

夜はぐつすりと寝た、近来にない熟睡だつた。

  今日の行乞所得    今日の買物

銭 六十四銭     蓮芋苗 五銭

米 一升三合     焼酎 二十銭


 五月三十一日


けさは早かつた。

阿知須行乞、わるかつた、風はふくし、人気はよくないし、気分はいら〳〵するし、同行が多いし(三人)、労れてはゐるし、……さう〳〵にして帰庵した。

庵が、やつぱり、よろしい、さみしいけれどやすらかで。

鮮人の子供が喧嘩してゐる。

うれしいたより、かなしいたより、黎々火君からはへちまのたね

樹明来、よい酒をのんでよい酔をえた。

昨日は新国道のよさを痛感した、──大道坦として砥の如し、──今日は石ころ道のみじめさ、──どこまで行く石ころみち。──

この窮乏、そしてこの自由、食ふや食はずの私であるが、私は行きたいときに行きたいところへ行く、天は二物を与へないといふ、まつたくその通り。

 電線といつしよに夏山越えて来た

・朝から水をのむほがらかな空


 六月一日


酔中夢なし、ほつかり覚めて、飯を炊く、そして酒を飲む。

今日一日のさびしさは飯の生煮であつた。

冬村居から青紫蘇の苗を貰うて来て植ゑる。

柿の花はおもしろいかな。

待つてゐる──敬坊来、間もなく樹明来、かしわで飲む、何といふうまさ、友情そのものの味はひだ!

敬坊の奥さんが子供をみんな連れてやつて来られた、敬坊に信用なし、奥さんに理解なし、女といふものは、妻といふものは。──

敬坊おとなしく、奥さんうれしく、樹明つゝましく、帰つてゆく、私はぽかんとしてあるだけの酒を飲む、……よかつた、よかつた、よかつた、よかつた。

・もう明けさうな窓あけて青葉

・蛙がうたうてゐる朝酒がある

 肉が煮えるにほひの、赤子が泣く

 めつきり夏めいて机の上の蟻も

・ながい毛がしらが

 もらうてきてうゑてをくよいくもり

  昨日の所得         昨日今日の買物

米 一升一合        一金十六銭 酒二合   一金弐銭 切手一枚

銭 十七銭         一金六銭  醤油二合  一金五銭 湯札弐枚

 換算して一金四十一銭也。 一金九銭  ハガキ六枚 一金四銭 胡瓜苗四本

              (嚢中完全に無一文なり)


 六月二日


くもり、北九州への旅立を見合せる。

樹明君が朝早く来て、飯をたべさせてくれといふ、そしてたつた一杯だけたべた、頭髪を刈りてもらふ、さつぱりした、ふたりが縁側で話してゐるところへ、やつてきた人がある、──中井吉之介さんだつた、インテリルンペンである君の話は興味ふかく尽くるところがなかつた、ムジナの話、フクロウの話、近代女性の話、マムシの話、アダリンの話、ボクチンの話、等、等、等。

私もルンペン生活をやつてきたけれど、君のそれは本格的だ。

敬坊が樹明君に托してくれた壱円で、石油を買ひ、煙草を買ひ、焼酎を飲み湯に入つた。

夜は酒と句とヨタとで賑つた、主賓吉之介、客賓樹明、不二生、主人公は山頭火、たゞし酒も魚も樹明君の贈物、酒もうまかつたが話もおもしろかつた。

 明日は死なう青葉をあるきつゞける(吉之介さんに代つて)

・地べたにすわり食べてるわ

・はれ〴〵酔うて草が青い

・石垣の日向の蛇のつるみつつ

・つきあたれば枯れてゐる木

・さみしいけれども馬齢薯咲いて


 六月三日


徹夜だつたから早い、五時にはもう支度が出来た、あまり早うて気の毒だつたけれど、ルンチヤンを起す、六時のサイレンが鳴る前に二人は出立した、彼は故郷鳥取へ、私は北九州へ。


 六月三日  から

          行乞記

 六月十一日 まで

底本:「山頭火全集 第五巻」春陽堂書店

   1986(昭和61)年1130日第1刷発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:小林繁雄

校正:仙酔ゑびす

2009年115日作成

青空文庫作成ファイル:

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