麦藁帽子
堀辰雄
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私は十五だった。そしてお前は十三だった。
私はお前の兄たちと、苜宿の白い花の密生した原っぱで、ベエスボオルの練習をしていた。お前は、その小さな弟と一しょに、遠くの方で、私たちの練習を見ていた。その白い花を摘んでは、それで花環をつくりながら。飛球があがる。私は一所懸命に走る。球がグロオブに触る。足が滑る。私の体がもんどり打って、原っぱから、田圃の中へ墜落する。私はどぶ鼠になる。
私は近所の農家の井戸端に連れられて行く。私はそこで素っ裸かになる。お前の名が呼ばれる。お前は両手で大事そうに花環をささげながら、駈けつけてくる。素っ裸かになることは、何んと物の見方を一変させるのだ! いままで小娘だとばかり思っていたお前が、突然、一人前の娘となって私の眼の前にあらわれる。素っ裸かの私は、急にまごまごして、やっと私のグロオブで私の性をかくしている。
其処に、羞しそうな私とお前を、二人だけ残して、みんなはまたボオルの練習をしに行ってしまう。そして、私のためにお前が泥だらけになったズボンを洗濯してくれている間、私はてれかくしに、わざと道化けて、お前のために持ってやっている花環を、私の帽子の代りに、かぶって見せたりする。そして、まるで古代の彫刻のように、そこに不動の姿勢で、私は突っ立っている。顔を真っ赤にして……
⁂
夏休みが来た。
寄宿舎から、その春、入寮したばかりの若い生徒たちは、一群れの熊蜂のように、うなりながら、巣離れていった。めいめいの野薔薇を目ざして……
しかし、私はどうしよう! 私には私の田舎がない。私の生れた家は都会のまん中にあったから。おまけに私は一人息子で、弱虫だった。それで、まだ両親の許をはなれて、ひとりで旅行をするなんていう芸当も出来ない。だが、今度は、いままでとは事情がすこし違って、ひとつ上の学校に入ったので、この夏休みには、こんな休暇の宿題があったのだ。田舎へ行って一人の少女を見つけてくること。
その田舎へひとりでは行くことが出来ずに、私は都会のまん中で、一つの奇蹟の起るのを待っていた。それは無駄ではなかった。C県の或る海岸にひと夏を送りに行っていた、お前の兄のところから、思いがけない招待の手紙が届いたのだった。
おお、私のなつかしい幼友達よ! 私は私の思い出の中を手探りする。真っ白な運動服を着た、二人とも私よりすこし年上の、お前の兄たちの姿が、先ず浮ぶ。毎日のように、私は彼等とベエスボオルの練習をした。或る日、私は田圃に落ちた。花環を手にしていたお前の傍で、私は裸かにさせられた。私は真っ赤になった。……やがて彼等は、二人とも地方の高等学校へ行ってしまった。もうかれこれ三四年になる。それからはあんまり彼等とも遊ぶ機会がなくなった。その間、私はお前とだけは、屡々、町の中ですれちがった。何にも口をきかないで、ただ顔を赧らめながら、お時宜をしあった。お前は女学校の制服をつけていた。すれちがいざま、お前の小さな靴の鳴るのを私は聞いた……
私はその海岸行を両親にせがんだ。そしてやっと一週間の逗留を許された。私は海水着やグロオブで一ぱいになったバスケットを重そうにぶらさげて、心臓をどきどきさせながら、出発した。
それはT……という名のごく小さな村だった。お前たちは或る農家の、ささやかな、いろいろな草花で縁をとられた離れを借りて、暮らしていた。私が到着したとき、お前たちは海岸に行っていた。あとにはお前の母と私のあまりよく知らないお前の姉とが、二人きりで、留守番をしていた。
私は海岸へ行く道順を教わると、すぐ裸足になって、松林の中の、その小径を飛んで行った。焼けた砂が、まるでパンの焦げるような好い匂いがした。
海岸には、光線がぎっしりと充填って、まぶしくって、何にも見えない位だった。そしてその光線の中へは、一種の妖精にでもならなければ、這入れないように見えた。私は盲のように、手さぐりしながら、その中へおずおずと、足を踏み入れていった。
小さな子供たちがせっせと砂の中に生埋めにしている、一人の半裸体の少女が、ぼんやり私の目にはいる。お前かしらと思って、私は近づきかける。……すると大きな海水帽のかげから、私の見知らない、黒い、小さな顔が、ちらりとこちらを覗く。そしてまた知らん顔をして、元のように、すっぽりとその小さな顔を海水帽の中に埋める。……それが私の足を動けなくさせる。
私は流砂に足をとられながら、海の方へ出たらめに叫ぶ。「ハロオ!」……と、まぶしくて私にはちっとも見えない、その海の中から、それに応えて、「ハロオ! ハロオ!」
私はいそいで着物をぬぐ。そして海水着だけになって、盲のように、その声のする方へ、飛び込もうと身構える。
その瞬間、私のすぐ足許からも、「ハロオ!……」──私は振りむく。さっきの少女が、砂の中から半身を出してにっこりと笑っているのが、今度は、私にもよく見える。
「なあんだ、君だったの?」
「おわかりになりませんでしたこと?」
海水着がどうも怪しい。私がそれ一枚きりになるや否や、私は妖精の仲間入りをする。私は身軽になって、いままでちっとも見えなかったものが忽ち見え出す……
都会では難しいものに見える愛の方法も、至極簡単なものでいいことを会得させる田舎暮らしよ! 一人の少女の気に入るためには、かの女の家族の様式を呑み込んでしまうが好い。そしてそれは、お前の家族と一しょに暮らしているおかげで、私には容易だった。お前の一番気に入っている若者は、お前の兄たちであることを、私は簡単に会得する。彼等はスポオツが大好きだった。だから、私も出来るだけ、スポオティヴになろうとした。それから彼等は、お前に親密で、同時に意地悪だった。私も彼等に見習って、お前をば、あらゆる遊戯からボイコットした。
お前がお前の小さな弟と、波打ちぎわで遊び戯れている間、私はお前の気に入りたいために、お前の兄たちとばかり、沖の方で泳いでいた。
沖の方で泳いでいると、水があんまり綺麗なので、私たちの泳いでいる影が、魚のかげと一しょに、水底に映った。そのおかげで、空にそれとよく似た雲がうかんでいる時は、それもまた、私たちの空にうつる影ではないかとさえ思えてくる。……
私たちの田舎ずまいは、一銭銅貨の表と裏とのように、いろんな家畜小屋と脊中合わせだった。ときどき家畜らが交尾をした。そのための悲鳴が私たちのところまで聞えてきた。裏木戸を出ると、そこに小さな牧場があった。いつも牛の夫婦が草をたべていた。夕方になると、彼等は何処へともなく姿を消す。そのあとで、私たちはいつもキャッチボオルをした。するとお前は、或る時はお前の姉と、或る時はお前の小さな弟と、其処まで遊びに出てきた。いつだったかのように、遠くで花を摘んだり、お前の習ったばかりの讃美歌を唱ったりしながら。ときどきお前がつかえると、お前の姉が小声でそれを続けてやった。──まだ八つにしかならない、お前の小さな弟は、始終お前のそばに附きっきりだった。彼は私たちの仲間入りをするには、あんまり小さ過ぎた。そんな小さな弟に毎日一ぺんずつ接吻をしてやるのが、お前の日課の一つだった。「今日はまだ一ぺんもしてあげなかったのね……」そう云って、お前はその小さな弟を引きよせて、私たちのいる前で、平気で彼と接吻をする。
私はいつまでも投球のモオションを続けながら、それを横目で見ている。
その牧場のむこうは麦畑だった。その麦畑と麦畑の間を、小さな川が流れていた。よくそこへ釣りをしに行った。お前は私たちの後から、黐竿を肩にかついだ小さな弟と一しょに、魚籠をぶらさげて、ついてきた。私は蚯蚓がこわいので、お前の兄たちにそれを釣針につけて貰った。しかし私はすぐそれを食われてしまう。すると、しまいには彼等はそれを面倒くさがって、そばで見ているお前に、その役を押しつける。お前は私みたいに蚯蚓をこわがらないので。お前はそれを私の釣針につけてくれるために、私の方へ身をかがめる。お前はよそゆきの、赤いさくらんぼの飾りのついた、麦藁帽子をかぶっている。そのしなやかな帽子の縁が、私の頬をそっと撫でる。私はお前に気どられぬように深い呼吸をする。しかしお前はなんの匂いもしない。ただ麦藁帽子の、かすかに焦げる匂いがするきりで。……私は物足りなくて、なんだかお前にだまかされているような気さえする。
まだあんまり開けていない、そのT村には、避暑客らしいものは、私たちの他には、一組もない位だった。私たちはその小さな村の人気者だった。海岸などにいると、いつも私たちの周りには人だかりがした程に。そうして村の善良な人々は、私のことを、お前の兄だと間違えていた。それが私をますます有頂天にさせた。
そればかりでなしに、私の母みたいな、子供のうるさがるような愛し方をしないお前の母は、私をもその子供並みにかなり無頓着に取り扱った。それが私に、自分は彼女にも気に入っているのだと信じさせた。
予定の一週間はすでに過ぎていた。しかし私は都会へ帰ろうとはしなかった。
ああ、私はお前の兄たちに見習って、お前に意地悪ばかりしてさえいれば、こんな失敗はしなかったろうに! ふと私に魔がさした。私は一度でもいいから、お前と二人きりで、遊んでみたくてしようがなくなった。
「あなた、テニス出来て?」或る日、お前が私に云った。
「ああ、すこし位なら……」
「じゃ、私と丁度いい位かしら?……ちょっと、やってみない」
「だってラケットはなし、一体何処でするのさ」
「小学校へ行けば、みんな貸してくれるわ」
それがお前と二人きりで遊ぶには、もってこいの機会に見えたので、私はそれを逃がすまいとして、すぐ分るような嘘をついた。私はまだ一度もラケットを手にしたことなんか無かったのだ。しかし少女の相手ぐらいなら、そんなものはすぐ出来そうに思えた。お前の兄たちがいつも、テニスなんか! と軽蔑していたから。しかし彼等も、私たちに誘われると、一しょに小学校へ行った。そこへ行くと、砲丸投げが出来るので。
小学校の庭には、夾竹桃が花ざかりだった。彼等は、すぐその木蔭で、砲丸投げをやり出した。私とお前とは、其処からすこし離して、白墨で線を描いて、ネットを張って、それからラケットを握って、真面目くさって向い合った。が、やってみると、思ったよりか、お前の打つ球が強いので、私の受けかえす球は、大概ネットにひっかかってしまった。五六度やると、お前は怒ったような顔をして、ラケットを投げ出した。
「もう止しましょう」
「どうしてさ?」私はすこしおどおどしていた。
「だって、ちっとも本気でなさらないんですもの……つまらないわ」
そうして見ると、私の嘘は看破られたのではなかった。が、お前のそういう誤解が、私を苦しめたのは、それ以上だった。むしろ、そんな薄情な奴になるより、嘘つきになった方がましだ。
私は頬をふくらませて、何も云わずに、汗を拭いていた。どうも、さっきから、あの夾竹桃の薄紅い花が目ざわりでいけない。
この二三日、お前は、鼠色の、だぶだぶな海水着をきている。お前はそれを着るのをいやがっていた。いままでのお前の海水着には、どうしたのか、胸のところに大きな心臓型の孔があいてしまったのだ。そこでお前は間に合わせに、あんまり海へはいらない、お前の姉の奴を、借りて着ているのだ。この村では、新しい海水着などは手に入らなかった。一里ばかり向うの、駅のある町まで買いに行かなければ。──そこで或る日、私はテニスの失敗をつぐなう積りで、自分から、その使者を申し出た。
「何処かで自転車を貸してくれるかしら?」
「理髪店のならば……」
私は大きな海水帽をかぶって、炎天の下を、その理髪店の古ぼけた自転車に跨って、出発した。
その町で、私は数軒の洋品店を捜し廻った。少女用の海水着の買物がなんと私の心を奪ったことか! 私はお前に似合いそうな海水着を、とっくに見つけてしまってからも、私はただ私自身を満足させるために、いつまでも、それを選んでいるように見せかけた。それから私は郵便局で、私の母へ宛てて電報を打った。「ボンボンオクレ」
そうして私は汗だくになって、決勝点に近づくときの選手の真似をして、死にものぐるいの恰好で、ペダルを踏みながら、村に帰ってきた。
それから二三日が過ぎた。或る日のこと、海岸で、私たちは寝そべりながら、順番に、お互を砂の中に埋めっこしていた。私の番だった。私は全身を生埋めにされて、やっと、私の顔だけを、砂の中から出していた。お前がその細部を仕上げていた。私はお前のするがままになりながら、さっきから、向うの大きな松の木の下に、私たちの方を見ては、笑いながら話し合っている二人の婦人のいるのを、ぼんやり認めていた。そのうちの海水帽をかぶった方は、お前の母らしかった。もう一人の方は、この村では、つい見かけたことのない婦人に見えた。黒いパラソルをさしていた。
「あら、たっちゃんのお母様だわ」お前は、海水着の砂を払いながら、起き上った。
「ふん……」私は気のなさそうな返事をした。そうして皆が起き上ったのに、私一人だけ、いつまでも砂の中に埋まっていた。私は心臓をどきどきさせていた。私の隠し立てが、今にもばれそうなので。そうしてそれが、砂の中から浮んでいる私の顔を、とても変梃にさせていそうだった。私はいっそのこと、そんな顔も砂の中に埋めてしまいたかった! 何故なら、私は田舎から、私の母へ宛てて、わざと悲しそうな手紙ばかり送っていた。その方が彼女には気に入るだろうと思って……。彼女から遠くに離れているばかりに、私がそんなにも悲しそうにしているのを見て、私の母は感動して、私を連れ戻しに来たのかしら?……それだのに、私は、彼女に隠し立てをしていた一人の少女のために、今、こんなにも幸福の中に生埋めにされている!
おっと、待てよ。今のさっきの様子では、お前は私の母をなんだか知っていたようだぞ! そんな筈じゃなかったのに?……と、私は砂の中からこっそりとみんなの様子をうかがっている。どうやら、私の母とお前たちの家族とは、ずっと前からの知合らしい。私にはどうしてもそれが分らない。これでは、欺こうとしていた私の方が、反対に、私の母に裏を掻かれていたようなものだ。突然、私は砂を払いのけながら、起き上る。今度はこっちで、あべこべに、母の隠し立てを見つけてやるからいい!……そこで、私はお前にそっと捜りを入れてみる。皆のしんがりになって、家の方へ引きあげて行きながら。……
「どうして僕のお母さんを知っていたの?」「だってあなたのお母様は運動会のとき何時もいらっしってたじゃないの? そうして私のお母様といつも並んで見ていらしったわ」私はそんなことはまるっきり知らなかった。何故なら、そんな小学生の時分から、私はみんなの前では、私の母から話しかけられるのさえ、ひどく羞かしがっていたから。そうして私は私の母から隠れるようにばかりしていたから。……
──そして今もそうだった。井戸端で、みんなが身体を洗ってしまってからも、私は何時までも、そこに愚図々々していた。ただ、私の母から隠れていたいばかりに。……井戸端にしゃがんでいると、私の脊くらい伸びたダリアのおかげで、離れの方からは、こっちがちっとも見えなかった。それでいて、向うの話し声は手にとるように聞えてくる。私のボンボンの電報のことが話された。みんなが、お前までがどっと笑った。私はてれ臭そうに、耳にはさんでいた巻煙草をふかし出した。私は何度もその煙に噎せた。そして、それが私の羞恥を誤魔化した。
誰かが、私の方に近づいてくる足音がした。それはお前だった。
「何してんの?……もうお母様がお帰りなさるから、早くいらっしゃいって?」
「こいつを一服したら……」
「まあ!」お前は私と目と目を合わせて、ちらりと笑った。その瞬間、私たちにはなんだか離れの方が急にひっそりしたような気がした。
せっかくボンボンやら何やらを持って来てやったのに、自分にはろくすっぽ口もきいてくれない息子の方を、その母は俥の上から、何度もふりかえりながら、帰って行った。それがやっぱり彼女の本当の息子だったのかどうかを確かめでもするように。そういう母の姿がすっかり見えなくなってしまうと、息子の方ではやっと、しかし自分自身にも聞かれたくないように、口のうちで、「お母さん、ごめんなさいね」とひとりごちた。
海は日毎に荒模様になって行った。毎朝、渚に打ち上げられる漂流物の量が、急に増え出した。私たちは海へはいると、すぐ水母に刺された。私たちはそんな日は、海で泳がずに、渚に散らばっている、さまざまな綺麗な貝殻を、遠くまで採集しに行った。その貝殻がもうだいぶ溜った。
出発の数日前のこと、私がキャッチボオルで汚した手を井戸端へ洗いに行こうとすると、そこでお前がお前の母に叱られていた。私はそれが私の事に関しているような気がした。それを立聞きするにはすこし勇気を要した。気の小さな私はすっかりしょげて、其処から引き返した。──私はあとでもって、一人でこっそりと、その井戸端に行ってみた。そしてそこの隅っこに、私の海水着が丸められたまま、打棄てられてあるのを見た。私ははっと思った。いつもなら私の海水着をそこへ置いておくと、兄たちのと一緒に、お前がゆすいで乾して置いてくれるのだ。そのことでお前はさっきお前の母に叱られていたものと見える。私はその海水着を、音の立たないように、そっと水をしぼって、いつものように竿にかけておいた。
翌朝、私はその砂でざらざらする海水着をつけて、何食わぬ顔をしていた。気のせいか、お前はすこし鬱いでいるように見えた。
とうとう休暇が終った。
私はお前の家族たちと一しょに帰った。汽車の中には、避暑地がえりの真っ黒な顔をした少女たちが、何人も乗っていた。お前はその少女たちの一人一人と色の黒さを比較した。そうしてお前が誰よりも一番色が黒いので、お前は得意そうだった。私は少しがっかりした。だが、お前がちょっと斜めに冠っている、赤いさくらんぼの飾りのついたお前の麦藁帽子は、お前のそんな黒いあどけない顔に、大層よく似合っていた。だから、私はそのことをそんなに悲しみはしなかった。もしも汽車の中の私がいかにも悲しそうな様子に見えたと云うなら、それは私が自分の宿題の最後の方がすこし不出来なことを考えているせいだったのだ。私はふと、この次ぎの駅に着いたら、サンドウィッチでも買おうかと、お前の母がお前の兄たちに相談しているのを聞いた。私はかなり神経質になっていた。そして自分だけがそれからのけ者にされはしないかと心配した。その次ぎの駅に着くと、私は真先きにプラットフォムに飛び下りて、一人でサンドウィッチを沢山買って来た。そして私はそれをお前たちに分けてやった。
⁂
秋の学期が始まった。お前の兄たちは地方の学校へ帰って行った。私は再び寄宿舎にはいった。
私は日曜日ごとに自分の家に帰った。そして私の母に会った。この頃から私と母との関係は、いくらかずつ悲劇的な性質を帯びだした。愛し合っているものが始終均衡を得ていようがためには、両方が一緒になって成長して行くことが必要だ。が、それは母と子のような場合には難しいのだ。
寄宿舎では、私は母のことなどは殆んど考えなかった。私は母がいつまでも前のままの母であることを信じていられたから。しかし、その間、母の方では、私のことで始終不安になっていた。その一週間のうちに、急に私が成長して、全く彼女の見知らない青年になってしまいはせぬかと気づかって。で、私が寄宿舎から帰って行くと、彼女は私の中に、昔ながらの子供らしさを見つけるまでは、ちっとも落着かなかった。そして彼女はそれを人工培養した。
もし私がそんな子供らしさの似合わない年頃になっても、まだ、そんな子供らしさを持ち合わせているために不幸な人間になるとしたら、お母さん、それは全くあなたのせいです。……
或る日曜日、私が寄宿舎から帰ってみると、母はいつものような丸髷に結っていないで、見なれない束髪に結っていた。私はそれを見ながら、すこし気づかわしそうに母に云った。
「お母さんには、そんな髪、ちっとも似合わないや……」
それっきり、私の母はそんな髪の結い方をしなかった。
それだのに、私は寄宿舎では、毎日、大人になるための練習をした。私は母の云うことも訊かないで、髪の毛を伸ばしはじめた。それでもって私の子供らしさが隠せでもするかのように。そうして私は母のことを強いて忘れようとして、私の嫌いな煙草のけむりでわざと自分を苦しめた。私の同室者たちのところへは、ときおり女文字の匿名の手紙が届いた。皆が彼等のまわりへ環になった。彼等は代る代るに、顔を赧らめて、嘘を半分まぜながら、その匿名の少女のことを話した。私も彼等の仲間入りがしたくて、毎日、やきもきしながら、ことによるとお前が匿名で私によこすかも知れない手紙、そんな来る宛のない手紙を待っていた。
或る日、私が教室から帰ってくると、私の机の上に女もちの小さな封筒が置かれてあった。私が心臓をどきどきさせながら、それを手にとって見ると、それはお前の姉からの手紙だった。私がこの間、それの返事を受取りたいばっかりに、女学校を卒業してからも英吉利語の勉強をしていたお前の姉に、洋書を二三冊送ってやったので、そのお礼だった。しかし真面目なお前の姉は、誰にもすぐ分るように、自分の名前を書いてよこした。それがみんなの好奇心をそそらなかったものと見える。私はその手紙についてほんのあっさりと揶揄われたきりだった。
それからも屡々、私はそんな手紙でもいいから受取りたいばっかりに、お前の姉にいろんな本を送ってやった。するとお前の姉はきっと私に返事をくれた。ああ、その手紙に几帳面な署名がなかったら、どんなによかったろうに!……
匿名の手紙は、いつまでたっても、私のところへは来なかった。
そのうちに、夏が一周りしてやってきた。
私はお前たちに招待されたので、再びT村を訪れた。私は、去年からそっくりそのままの、綺麗な、小ぢんまりした村を、それからその村のどの隅々にも一ぱいに充満している、私たちの去年の夏遊びの思い出を、再び見いだした。しかし私自身はと云えば、去年とはいくらか変って、ことにお前の家族たちの私に対する態度には、かなり神経質になっていた。
それにしてもこの一年足らずのうちに、お前はまあなんとすっかり変ってしまったのだ! 顔だちも、見ちがえるほどメランコリックになってしまっている。そしてもう去年のように親しげに私に口をきいてはくれないのだ。昔のお前をあんなにもあどけなく見せていた、赤いさくらんぼのついた麦藁帽子もかぶらずに、若い女のように、髪を葡萄の房のような恰好に編んでいた。鼠色の海水着をきて海岸に出てくることはあっても、去年のように私たちに仲間はずれにされながらも、私たちにうるさくつきまとうようなこともなく、小さな弟のほんの遊び相手をしている位のものだった。私はなんだかお前に裏切られたような気がしてならなかった。
日曜日ごとに、お前はお前の姉と連れ立って、村の小さな教会へ行くようになった。そう云えば、お前はどうもお前の姉に急に似て来だしたように見える。お前の姉は私と同い年だった。いつも髪の毛を洗ったあとのような、いやな臭いをさせていた。しかしいかにも気立てのやさしい、つつましそうな様子をしていた。そして一日中、英吉利語を勉強していた。
そういう姉の影響が、お前が年頃になるにつれて、突然、それまでの兄たちの影響と入れ代ったのであろうか? それにしてもお前が、何かにつけて、私を避けようとするように見えるのは何故なのだ? それが私には分らない。ひょっとしたら、あの姉がひそかに私のことを思ってでもいて、そしてそれをお前が知っていて、お前が自ら犠牲になろうとしているのではないのかしら? そんなことまで考えて、私はふと、お前の姉と二三度やりとりした手紙のことを、顔を赧らめながら、思い出す……
お前たちが教会にいると、よく村の若者どもが通りすがりに口ぎたなく罵って行くといっては、お前たちが厭がっていた。
或る日曜日、お前たちが讃美歌の練習をしている間、私はお前の兄たちと、その教会の隅っこに隠れながら、バットをめいめい手にして、その村の悪者どもを待伏せていた。彼等は何も知らずに、何時ものように、白い歯をむき出しながら、お前たちをからかいに来た。お前の兄たちがだしぬけに窓をあけて、恐ろしい権幕で、彼等を呶鳴りつけた。私もその真似をした。……不意打ちをくらった、彼等は、あわてふためきながら、一目散に逃げて行った。
私はまるで一人で彼等を追い返しでもしたかのように、得意だった。私はお前からの褒美を欲しがるように、お前の方を振り向いた。すると、一人の血色の悪い、痩せこけた青年が、お前と並んで、肩と肩とをくっつけるようにして、立っているのを私は認めた。彼はもの怖じたような目つきで、私たちの方を見ていた。私はなんだか胸さわぎがしだした。
私はその青年に紹介された。私はわざと冷淡を装うて、ちょっと頭を下げたきりだった。
彼はその村の呉服屋の息子だった。彼は病気のために中学校を途中で止して、こんな田舎に引籠って、講義録などをたよりに独学していた。そうして彼よりずっと年下の私に、私の学校の様子などを、何かと聞きたがった。
その青年がお前の兄たちよりも私に好意を寄せているらしいことは、私はすぐ見てとったが、私の方では、どうも彼があんまり好きになれなかった。もし彼が私の競争者として現われたのでなかったならば、私は彼には見向きもしなかっただろう。が、彼がお前の気に入っているらしいことに、誰よりも早く気がついたのも、この私であった。
その青年の出現が、薬品のように私を若返らせた。この頃すこし悲しそうにばかりしていた私は、再び元のような快活そうな少年になって、お前の兄たちと泳いだり、キャッチボオルをし出した。実はそうすることが、自分の苦痛を忘れさせるためであるのを、自分でもよく理解しながら。今年九つになったお前の小さな弟も、この頃は私達の仲間入りをし出した。そして彼までが私達に見習って、お前をボイコットした。それが一本の大きな松の木の下に、お前を置いてきぼりにさせた。その青年といつも二人っきりに!
私は、その大きな松の木かげに、お前たちを、ポオルとヴィルジニイのように残したまんま、或る日、ひとり先きに、その村を立ち去った。
私は出発の二三日前は、一人で特別にはしゃぎ廻った。私が居なくなったあとは、お前たちの田舎暮らしはどんなに寂しいものになるかを、出来るだけお前たちに知らせたいと云う愚かな考えから。……そうしてそのために私はへとへとに疲れて、こっそりと泣きながら、出発した。
秋になってから、その青年が突然、私に長い手紙をよこした。私はその手紙を読みながら、膨れっ面をした。その手紙の終りの方には、お前が出発するとき、俥の上から、彼の方を見つめながら、今にも泣き出しそうな顔をしたことが、まるで田園小説のエピロオグのように書かれてあったから。しかし、私はその小説の感傷的な主人公たちをこっそり羨しがった。だが、何んだって彼は私になんかお前への恋を打明けたんだろう? それともそれは私への挑戦状のつもりだったのかしら? そうとすれば、その手紙は確かに効果的だった。
その手紙が私に最後の打撃を与えた。私は苦しがった。が、その苦しみが私をたまらなく魅したほど、その時分はまだ私も子供だった。私は好んでお前を諦めた。
私はその時分から、空腹者のようにがつがつと、詩や小説を読み出した。私はあらゆるスポオツから遠ざかった。私は見ちがえるようにメランコリックな少年になった。私の母が漸くそれを心配しだした。彼女は私の心の中をそれとなく捜る。そしてそこに二人の少女の影響を見つける。が、ああ、母の来るのは何時もあんまり遅すぎる!
私は或る日、突然、私のはいることになっている医科を止めて、文科にはいりたいことを母に訴えた。母はそれを聞きながら、ただ、呆気にとられていた。
それがその秋の最後の日かと思われるような、或る日のことだった。私は或る友人と学校の裏の細い坂道を上って行った、その時、私は坂の上から、秋の日を浴びながら、二人づれの女学生が下りてくるのを認めた。私たちは空気のようにすれちがった。その一人はどうもお前らしかった。すれちがいざま、私はふとその少女の無雑作に編んだ髪に目をやった。それが秋の日にかすかに匂った。私はそのかすかな日の匂いに、いつかの麦藁帽子の匂いを思い出した。私はひどく息をはずませた。
「どうしたんだい?」
「何、ちょっと知っている人のような気がしたものだから……しかし、矢張り、ちがっていた」
⁂
次ぎの夏休みには、私は、そのすこし前から知合になった、一人の有名な詩人に連れられて、或る高原へ行った。
その高原へ夏ごとに集まってくる避暑客の大部分は、外国人か、上流社会の人達ばかりだった。ホテルのテラスにはいつも外国人たちが英字新聞を読んだり、チェスをしていた。落葉松の林の中を歩いていると、突然背後から馬の足音がしたりした。テニスコオトの附近は、毎日賑やかで、まるで戸外舞踏会が催されているようだった。そのすぐ裏の教会からはピアノの音が絶えず聞えて……
毎年の夏をその高原で暮らすその詩人は、そこで多くの少女たちとも知合らしかった。私はその詩人に通りすがりにお時宜をしてゆく、幾たりかの少女のうちの一人が、いつか私の恋人になるであろうことを、ひそかに夢みた。そしてその夢を実現させるためには、私も早く有名な詩人になるより他はないと思ったりした。
或る日のことだった。私はいつものようにその詩人と並んで、その町の本通りを散歩していた。そのとき向うから、或いはラケットを持ったり、或いは自転車を両手で押しながら、半ダアスばかりの少女たちががやがや話しながら、私たちの方へやってくるのに出会った。それらの少女たちはちょっと立ち止まって、私たちのために道を開けてくれながら、そうしてそのうちの幾たりかは私と一緒にいる詩人にお時宜をした。彼は何か彼女たちとしばらく立ち話をしていた。……私はその時はもう、われにもなく其処から数歩離れたところにまで行っていた。そうしてそこに立ち止まったまま、今にもその詩人が私の名を呼んで、その少女たちに紹介してくれやしないかという期待に胸をはずませながら、しかし何食わぬ顔をして、鶏肉屋の店先きに飼われている七面鳥を見つめていた……
しかし少女たちは私の方なんぞは振り向きもしないで、再びがやがやと話しながら、その詩人から離れて行った。私も出来るだけその方から、そっぽを向いていた。
それからまた、私はその詩人と並んで歩き出しながら、いま会ったばかりの少女たちの名前を、それからそれへと、熱心に、しかし、何気なさそうに、聞いていた。今まで私によそよそしかった野生の花が、その名前を私が知っただけで、急に向うから私に懐いてくるように、その少女たちも、その名前を私が知りさえすれば、向うから進んで、私に近づいて来たがりでもするかのように。
そんなことのうちに三週間ばかり滞在した後、私は一人だけ先きに、その高原を立ち去った。
私が家に帰ると、私の母ははじめて彼女の本当の息子が帰って来たかのように幸福そうだった。私がすっかり昔のような元気のいい息子になっていたから。しかし私の元気がよかったのは、その高原で私の会ってきた多くの少女たちを魅するために、そしてそのためにのみ、早く有名な詩人になりたいという、子供らしい野心に燃えていたからだった。母はそんな私の野心なんかに気づかずに、ただ私の中に蘇った子供らしさの故に、夢中になって私を愛した。
その高原から帰ると間もなく、私はT村からお前の兄たちの打った一通の電報を受取った。それは一種の暗号電報だった。──「ボンボンオクレ」
私は今度はなんの希望も抱かずに、ただ気弱さから、お前の兄たちの招待をことわり切れずに、T村を三たび訪れた。もうこれっきり恐らく一生見ることがないかも知れぬ、私の少年時の思い出に充ちた、その村の海や、小さな流れや、牧場や、麦畑や、古い教会を、ちょっと一目でもいいから、もう一度見ておきたいような気もしたから。それに矢張り、何んといっても、その後のお前の様子が知りたかったから。
私がいままではあんなにも美しく、まるで一つの大きな貝殻のように思いなしていた、その海べの村が、いまは私の目に何んと見すぼらしく、狭苦しく見えることよ! 嘗てはあんなにもあどけなく思っていた私の昔の恋人の、いまは何んと私の目には、一箇の、よそよそしい、偏屈な娘としてのみ映ることよ!……それから去年よりずっと顔色も悪くなり、痩せこけている私の競争者を見た時は、私はなんだか気の毒な気さえしだした。そうして私はますます彼を避けるようにした。彼は時々悲しげな目つきで私の方を見つめた。……私はそのもの云いたげな、しかし去年とはまるっきり異った眼ざしの中に、彼の苦痛を見抜いたように思った。しかし私自身はと云えば、もうこれらの日が私の少年時の最後の日であるかのように思いなしていたせいか、至極快活に、お前の兄弟たちと遊び戯れることが出来た。
その呉服屋の息子は今年建てたばかりの小さな別荘に一人で暮らしていた。彼はその新しい別荘を、その夏お前たちの一家を迎えるために建てさせたらしかった。しかし彼の病気がそれを許さなかった。お前たちは、去年の農家の離れに、女ばかりで暮らしていた。お前の兄たちと私だけが、その青年の家に泊りに行った。
或る早朝だった。私は厠にはいっていた。その小さな窓からは、井戸端の光景がまる見えになった。誰かが顔を洗いにきた。私が何気なくその窓から覗いていると、青年が悪い顔色をして歯を磨いていた。彼の口のまわりには血がすこし滲んでいた。彼はそれに気がつかないらしかった。私もそれが歯茎から出たものとばかり思っていた。突然、彼がむせびながら、俯向きになった。そしてその流し場に、一塊りの血を吐いていた……
その日の午後、誰にもそのことを知らせずに、私は突然T村を立ち去った。
エピロオグ
地震! それは愛の秩序まで引っくり返すものと見える。
私は寄宿舎から、帽子もかぶらずに、草履のまんま、私の家へ駈けつけた。私の家はもう焼けていた。私は私の両親の行方を知りようがなかった。ことによると其処に立退いているかも知れないと思って、父方の親類のある郊外のY村を指して、避難者の群れにまじりながら、私はいつか裸足になって、歩いて行った。
私はその避難者の群れの中に、はからずもお前たちの一家のものを見出した。私たちは昂奮して、痛いほど肩を叩きあった。お前たちはすっかり歩き疲れていた。私はすぐ近くのY村まで行けば、一晩位はどうにかなるだろうと云って、お前たちを無理に引張って行った。
Y村では、野原のまん中に、大きな天幕が張られていた。焚火がたかれていた。そうして夜更けから、炊き出しがはじまった。その時分になっても、私の両親はそこへ姿を見せなかった。しかし私は、そんな周囲の生き生きとした光景のおかげで、まるでお前たちとキャンプ生活でもしているかのように、ひとりでに心が浮き立った。
私はお前たちと、その天幕の片隅に、一塊りに重なり合いながら、横になった。寝返りを打つと、私の頭はかならず誰かの頭にぶつかった。そうして私たちは、いつまでも寝つかれなかった。ときおり、かなり大きな余震があった。そうかと思うと、誰かが急に笑い出したような泣き方をした。……すこしうとうとと眠ってから、ふと目をさますと、誰だか知らない、寝みだれた女の髪の毛が、私の頬に触っているのに気がついた。私はゆめうつつに、そのうっすらした香りをかいだ。その香りは、私の鼻先きの髪の毛からというよりも、私の記憶の中から、うっすら浮んでくるように見えた。それは匂いのしないお前の匂いだ。太陽のにおいだ。麦藁帽子のにおいだ。……私は眠ったふりをして、その髪の毛のなかに私の頬を埋めていた。お前はじっと動かずにいた。お前も眠ったふりをしていたのか?
早朝、私の父の到着の知らせが私たちを目覚ませた。私の母は私の父からはぐれていた。そうしていまだにその行方が分らなかった。私の家の近くの土手へ避難した者は、一人残らず川へ飛び込んだから、ことによるとその川に溺れているのかも知れない。……
そういう父の悲しい物語を聞いているうち、私は漸くはっきり目をさましながら、いつのまにか、こっそり涙を流している自分に気がついた。しかしそれは私の母の死を悲しんでいるのではなかった。その悲しみだったなら、それは私がそのためにすぐこうして泣けるには、あまりに大き過ぎる! 私はただ、目をさまして、ふと昨夜の、自分がもう愛していないと思っていたお前、お前の方でももう私を愛してはいまいと思っていたお前、そのお前との思いがけない、不思議な愛撫を思い出して、そのためにのみ私は泣いていたのだ……
その日の正午頃、お前たちは二台の荷馬車を借りて、みんなでその上に家畜のように乗り合って、がたがた揺られながら、何処だか私の知らない田舎へ向って、出発した。
私は村はずれまで、お前たちを見送りに行った。荷馬車はひどい埃りを上げた。それが私の目にはいりそうになった。私は目をつぶりながら、
「ああ、お前が私の方をふり向いているかどうか、誰か教えてくれないかなあ……」
と、口の中でつぶやいていた。しかし自分自身でそれを確かめることはなんだか恐ろしそうに、もうとっくにその埃りが消えてしまってからも、いつまでも、私は、そのまま目をつぶっていた。
底本:「燃ゆる頬・聖家族」新潮文庫、新潮社
1947(昭和22)年11月30日発行
1970(昭和45)年3月30日26刷改版
1987(昭和62)年10月20日51刷
初出:「日本國民」日本國民社
1932(昭和7)年9月号
初収単行本:「麥藁帽子」四季社
1933(昭和8)年12月5日
※初出情報は、「堀辰雄全集第1巻」筑摩書房、1977(昭和52)年5月28日、解題による。
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校正:染川隆俊
2004年1月21日作成
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