ポウの本質
平林初之輔
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ポーは、アメリカの詩人にして最もアメリカ人らしくない詩人だと考えられている。だが、その逆に、アメリカならばこそポーを生み得たのだと言うこともできる。
ボードレールはポーについて言っている。「彼はアメリカの雰囲気にむせて、『ユウレカ』の冒頭で次のように書いた──私はこの書物を、夢を唯一の実在として信ずる人たちにささげる──だから彼は一つのすばらしい反抗だったのだ。彼は反抗だった。そして、彼は彼自身のやりかたで反抗した」
文明と、物質的進歩と、デモクラシーと、アメリカを構成するこの三位一体をポーはひっくりかえした。ポーはアメリカ文学におけるオアシスであった。
とはいえ私は、現代のアメリカが、その機械的文明の中から、新しい詩を生む可能性をもっていること、現にそれを生みつつあることを否認するものではない。しかし、ポーの時代には、話は別である。彼は、彼自身のやりかたで、当時の俗悪そのものであった非伝統的な、植民地的なアメリカ文明に反抗せざるを得なかったのだ。
では彼自身のやりかたとはどんなやりかたか? それはポー自身に答えさせるのが一番いい。彼はこう言っている。
「人間の中には、近代の哲学がそれを無視しようとしている神秘的な力がある。そしてこの何とも命名しがたい力なしには、この根元的な力なしには、人間の多くの行為は説明されないし、また説明することができないだろう。これらの行為は、それが悪であり、危険であるためにのみ魅力をもつのだ。一歩誤れば身を滅ぼす危険な深淵の魅力をもっているのだ。この本源的な、抵抗することのできない力は、人間の生まれつきもっている非道であって、それが、人間に、人殺しをさせたり、自殺をさせたり、刺客にさせたり、死刑執行人にさせたりするのである」
ポーが、その詩やいわゆる怪奇小説やで描き出そうとしたのは、この神秘的な力なのである。
彼の物語は、人生の例外的な出来事を描いたものであるという一般的な解釈は、それゆえに誤っている。彼の興味をひいた世界は、例外的な世界などではない。例外にも何にも実在しない世界であると同時に、誰の頭の中にもひそんでいる普遍的な力の支配する世界である。だから、彼の描く世界が普遍的に読者に迫る力をもっているのだ。そして私は言うが、科学者がコレラ菌を研究するのが、ちっとも悪いことでないと同じように、ポーがどんなに「不健全」な世界を描いたって、そのことのゆえに彼の芸術を誹謗するいわれは少しもないのだ。
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エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe)は、一八〇九年一月一九日、マサチューセッツ州ボストン市に生まれた。父はデビット・ポーというアイルランド出の役者、母はエリザベス・アーノルドという英国女優。エドガーは三歳の時父母を亡ったので、ジョン・アランというヴァージニアの煙草商に養われた。それからアランに連れられて英国に渡り、向こうで小学校をすませて、一八二〇年に帰米してヴァージニア大学に学んだ。
死んだのは一八四九年一〇月七日。場所はボルチモアの病院。病名は脳炎であった。墓はウエストミンスター教会にある。
底本:「平林初之輔探偵小説選2〔論創ミステリ叢書2〕」論創社
2003(平成15)年11月10日初版第1刷発行
初出:「世界探偵小説全集第二巻 エドガア・ポウ集」博文館
1929(昭和4)年12月
※表題の「ポウ」と、本文中の「ポー」は、底本通りです。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2011年1月4日作成
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