狂女と犬
小酒井不木



 京都の高等学校に居た頃、──それはたしか明治四十一年だったと思うが──私は、冬休みに、京都から郷里の名古屋まで、名所見物を兼ねて、徒歩で帰ろうと思い立った。汽車ならば五時間、悪七兵衛景清あくしちべえかげきよならば十時間かからぬくらいの道程みちのりを五日の予定で突破? しようというのであるから、可なりゆっくりした気持の旅であった。私は旅をするとき、道連れのあるのが大嫌いで、その時も、単身学校の寄宿舎を出発したのであるが、元来、冒険好きな私は、こんどの旅で、何か意外な、青春の血を泡立たせるような現象に出逢うか、あるいはまた、一夜に髪の色を白くするような事件に捲きこまれて見たいというような愚にもつかぬかんがえを抱いて居たのである。さもなくても、せめて昔の物語りに出て来る胡麻ごまはえにでもぶつかるか、或はまた、父母をたずねる女の巡礼と道連れになって、その哀れな身の上話をきいて、心ゆくままに慰めてやりたいというような希望も持って居た。しかし、実際道中をして見ると、そんなロマンスは何処どこにも落ちて居なかった。たまたま眼付きの悪い人間に出逢っても、それが散歩中の結核患者であったり、又、巡礼らしい者に出逢っても、六十ばかりの婆さんであったりして、間の抜けることおびただしかった。時として広重の横絵よこえに見るような松並木の街道を歩いて、道ばたに設けられたみすぼらしい茶店に腰を下しても、ミルク・キャラメルがちりにまみれて並べてあったのでは、五十三次の気分など立ちどころに打ち壊されてしまい、すこぶる失望せざるを得なかった。けれども、になって、わざとむさくるしい宿屋を選んで、狭い、臭い一室に泊ると、さすがに旅の寂しさがしみじみ感ぜられて、その寂しさを味うだけでも、今度の旅は有意義なものだと思うに至ったのである。

 道中のことをくだくだしく書くのはやめて、三日目に私は美濃の国にはいった。予定では古戦場で名高いS原を訪ねるつもりであったが、どう道を間違えたものか、人家の少しもない山奥に迷いこんでしまったのである。然し、道を迷ったということが何かこう一種の因縁のように思われて来て、私のあこがれて居る夢幻の世界へ踏み入る第一歩であるような気がした。或は、ことによると、世に言う狐狸こりのたぐいにばかされたのかも知れぬと考えると、急に、むらむらと冒険心が湧いて来て、却ってうれしいような気分になり、今夜は樹の蔭か岩の下で野宿をしてもかまわぬから行けるところまで行こうと決心して、全く人の往来ゆききのない細路をずんずん歩きつづけたのである。

 然し、昼過ぎから曇り出した空は夕方になって雪模様となり、彼是かれこれするうちに、ちらちら白いものが落ちて来たので、さすがの私も、いささか閉口して、せめて小さな水車小屋でもよいから見つけたいものだと、空腹と疲労を物ともせず、暗闇の中を可なりに高い山を登ってそのいただきに達すると、遥かむこうに、人家の灯影がまだらに見え出したので、私は急に元気づいて、山を降り、村の方をさして進んで行った。もう、その時分は雪もだいぶ降り積んで、人通りは絶えて無く、遠くに水の流れる音がして、まるでこの世ならぬ世界へでもはいったような気がしたのである。寒さの用意は相当にして来たけれど、その時、風さえ加わって、たとい人家の軒下でも、一夜をあかすのは可なりに苦しかろうと思い、何とかして、人家の中でとめて貰いたいという慾望が起って来た。

 やがて、村のとりつきにさしかかると、夜目にも小さな寺のあることがわかった。私は渡りに船と喜んで、門のない寺の境内にはいると、ふと、どこからともなく、人間の声が聞えたので、思わず立ちどまって耳をすますと、それはやさしい女の声で、子守唄をうたって居るのであった。

〽ねんねこや、ころころや、ねんねのお守は何処いった、あの山越えて里いった。里の土産に何貰うた、でんでん太鼓にしょうの笛……

 美しい、透きとおるような調子に魅せられて、呆然として立って居ると、唄は三度び繰返された。そうして最後の節が風の中へとけこんでしまった時、はじめて私はがく然として我に返って、あたりをながめまわしたが、別に人影らしいものはなく、左手にあたって、石塔のようなものがぼんやり見えるだけだったから、冒険好きな私も、一種異様の恐怖を感じ、寺の庫裏くりをめがけて、逃げるようにかけつけ、どんどん戸をたたいたのである。

 すると中から返事があって、程なく戸をあけてくれたのはこの寺の住職らしい五十ばかりの坊さんであった。坊さんは、あがりがまちに置いたランプの光に照された私の姿を、暫らく怪訝けげんそうに見つめて立って居たので、私は簡単に事情を話して、一夜の宿を乞うたのである。それをきいた坊さんは急にニコニコして、

「それは難儀でしたな、おはいりなさい」と、親切に言って私を入れてくれた。

「こちらへ来なさい。幸い奥の座敷に火がかっかとおきて居るから」といって、坊さんはランプを捧げて、私を坊さんの居間に案内してくれた。六畳の室は火鉢の盛んな火勢でむっとする程暖かく、一隅に、机と本箱とが置かれ、机の上には一冊の和書が開かれたままになって居た。坊さんは、机の上にランプを置いて、押入れから座蒲団を出して私に与えた。

「御飯をこしらえてあげたいのですけれど、雇いの婆さんが夜分は村の自宅に帰りますから、私ではどうすることも出来ません。幸い貰い合せのカステラがありますから、それでも食べて我慢して下さい。その代り、御茶だけは、このとおりあついのが差上げられますよ」

 こう言って坊さんは、しゃんしゃん音をたてて居る鉄瓶を下して、煮えたぎって居る湯を土瓶に移し、それから机の傍にあったカステラの箱を開いて私にすすめた。私は遠慮なく御馳走になった。

 それから私たちは色々の話をはじめた。坊さんは可なりに愉快な人であって、私の学校生活や京都に関する話を、興味をもってきいてくれた。山奥の単調な生活を営んで居る人には、こうした話はすこぶる珍らしかったのであろう。

 一通り世間話がすんで、身体が温まって来ると、私はふと、さっき境内できいた子守唄を思い出した。

「時に御宅には赤ちゃんがおありですか」と私はざっくばらんにたずねた。

 坊さんは突然のこの質問に暫らくその意味を取りかねて居たようであるが、やがて、唇に薄いえみをうかべて言った。

「ここは禅寺で、私一人しか住んでりません。何故そんなことをきくのですか」

 私はそれをきいて、全身に所謂いわゆる粟を生じたように思った。

「そうですか、でも、先刻、私がこちらの境内にはいった時、すぐ近くで子守唄が聞えましたから」

 これをきくと、坊さんの顔の色がさっと変った。

「え? 本当ですか」と坊さんは、火鉢の方へのり出して来てたずねた。

「本当ですとも、唄の文句もはっきり聞えて、不思議にもそれをみんな記憶してります。ねんねこや、ころころや、……」

「もうわかりましたよ」と坊さんは私の言葉を強くさえぎった。「夜分でしたから、あなたは、向って左手に墓地のあるのを見なかったかも知れませんが、その子守唄はその墓地の下から聞えてくるのです」

「ええっ?」と、こんどは私がびっくりして一膝乗り出した。

「いや、びっくりなさるのも無理はありません。今の世に、幽霊や化物の話をすると、誰も本気では相手になってくれませんが、世の中には、理窟では解釈の出来ぬ不思議な現象があるものです。この寺には、今から三年ほど前になくなったある狂女と、その赤子と、狂女の可愛がって居た犬とが一しょの墓に葬ってあるのですが、その墓の中から、時々、夜分に、その子守唄が聞えるのです。それが何月何日に聞えるときまって居る訳ではありませんが、かく、狂女の霊魂が、死後もなお生前のとおりにこのあたりに、さまよって居るとしか考えられないのです」

 私は冷たい水を全身に注ぎかけられたような気がした。そうしてふと正面の床の間にかけてある達磨だるまの図に眼を移すと、気のせいかその大きな眼が瞬きしたようであった。然し、私のこの一時的の恐怖は去って、その代りに好奇心が猛烈に起って来た。

「どうでしょう。お差支なくば、その狂女の身の上話をして頂けませんか」

 こういって私は坊さんの返答如何いかにと、その顔を見つめた。

「そうですな。お若い方には、或は興味が多いかも知れませんから、それでは一つお話しすることにしましょう」

 こう答えて、坊さんは床の間の前にあった炭籠を引き寄せて、火鉢に炭をついだ。戸外には風が吹き募って、雪の戸を打つ音がしんみりと聞えて来た。


 いざお話しするとなると、さて、何から始めてよいかに迷います。そうだ、まず狂女の身の上からお話しするのが順序でしょう。

 おちょうさん。これがその狂女の名でした。狂女といっても生れながらの狂女ではありません。お父さんの死後、悲惨な運命のために狂女になったのです。死んだ時は二十歳でした。お蝶さんは、ひなにはめずらしい美人でした。然しお蝶さんの血管には、怖ろしい毒血が流れて居たのです。一口にいえばお蝶さんは癩病らいびょうの血統を持って居ました。癩病の血統のものは、非常に美人が多いということですが、お蝶さんの美しかったことも、或はそんな原因だったかも知れません。お蝶さんは十八の暮までお父さんと一しょに住んで居ましたが、そのお父さんが長い間癩病で動けなかったので村の人は誰も寄りつかなかったのであります。お父さんは何でも九州へんの武家の果だそうでしたが、今から十年ほど前に、業病故に、人目を避けるつもりでこの山奥の村にたどりついて、村はずれに家を建ててすまうことになり、相当にお金を持って居たため、食うには困らず娘さんと二人で暮してりました。ところがお父さんは二年ほどすぎると足腰がたたぬようになって、どっと寝ついてしまい、爾来じらい四年ばかりの間、お蝶さんの手厚い看護を受けて生きて居たのですが、村人がさっぱり交際を絶って居たので、その生活は可なりに寂しいものでありました。わしは癩病などを怖れませんから、時折見舞ってやりましたが、村の人はそれを快く思いませんでした。村人の布施で成立って居る寺のことですから、自然わしも遠慮しなければならぬことになったのです。然し、お蝶さんの家には「白」となづける大きな犬が飼われて居まして、この犬が非常に賢く、二人のよい友達になって居たのであります。

 ところが、お蝶さんの熱心な看護の甲斐もなく、お父さんは、今から四年ほど前に、とうとうなくなりました。お蝶さんの悲歎は想像以上で、その時から、多少精神に異常を来したらしかったのです。けれども、その発狂の程度は極めて軽いもので、わしがたずねましても別に変ったところは見えませんでした。が、何しろ村人は相変らず寄りつきませんので、発狂するのは無理もないことです。わしはお蝶さんが、お父さんの死後、どこか他国へでも行った方がよかろうとそれともなく勧めて見ましたが、お蝶さんは、頑固にこの土地に居たいと主張するのでした。この辺が、発狂した証拠かとも思われました。兎に角お蝶さんは白を相手に、寂しい日を送ってりました。

 それだけならばまだよかったのですが、ここに突然お蝶さんの身に一大災難が降りかかって来ました。それはどんなことかと申しますと、ちょうど、お父さんがなくなって二月経つか経たぬうちに、この村の鬼門に当る山に、どこからともなく、五人の悪漢わるものが引き移って来たのでした。その山はたしか、先刻あなたが通っておいでになった筈ですが、その山に、彼等は、小さな藁葺わらぶきの小屋を建てて住いました。何でも飛騨の国の山奥から来たらしいというような噂がありましたが、むかしで言うと山賊の群で、彼等は夜な夜な山から村へ出て、野菜ものを盗んだり、鶏をったり、勝手次第なことをしました。後には白昼に五人が徒党を組んで村中を横行闊歩し、木を伐ったり、子供をいじめたりしましたが、たまたま反抗すると、どんな恐ろしい目に逢わされるかも知れぬので、村の人たちは見て見ぬ振りをするのでありました。明治の聖代に、こんなことが平気で行われて居ようとはあなたも思い及びますまいが、彼等のような人間にかかっては警察も何の役に立ちません。暴力に対しては、より以上の暴力を用いなければ鎮圧出来ないのであります。

 さてこの五人の無頼漢が、可哀そうにもお蝶さんに眼をつけたのです。いやもう、思っても恐ろしいことでした。お蝶さんは彼等に対して、あだかも鷲ににらまれた雀のようなものでした。とうとう、彼等はお蝶さんの家にはいりこんで来て、代る代る、お蝶さんに暴行を加え、後にはお蝶さんの家を根城として、お蝶さんを彼等のめかけのようにしてしまいました。村人は非常に同情しましたけれども、もはや如何ともすることが出来ませんでした。お蝶さんは定めし白とともに毎日毎日その悲運を歎いたにちがいありません。そうして、かよわい身にも深く心に復讐を期したにちがいありません。白は賢い犬でしたから、畜生ながらもきっと、お蝶さんの心を悟ったにちがいありません。さればこそ、後にお蝶さんと白とは立派に復讐をとげることが出来たのであります。

 話は前へ戻って、彼此かれこれするうちに、お蝶さんは妊娠したのであります。即ち、悪漢のたねを宿したのであります。運命はどこまでお蝶さんを虐げるのでしょう。妊娠すると同時にお蝶さんの精神異常が著しくなったのであります。これは後にお医者さんから聞いたことですが、妊娠すると屡々しばしば異嗜いしが起って、平素口にしないものを平気で喰うようになるそうですが、お蝶さんには、極度の異嗜が起ったのであります。彼女は土を喰べました。又、灰を喰べました。時には芋虫を喰べ、時には蛇をつかんでそれを割いて喰べました。そうして、五人の悪漢が食事をして居る時に芋虫を投げたり、蛇の血を膳になすりつけたりしましたので、さすがの五人もこれには閉口したと見えて、とうとう、お蝶さんの家を逃げ出し、再び山の小屋に帰りました。ただ、白のみは、相も変らず忠実に主人につかえてりました。

 然し、その頃には、お蝶さんは文字通り無一物になってしまって、その日の食うものにも困るようになりました。白は殊勝にも、村の居酒屋などから肉片を貰って来ては、お蝶さんに喰べさせるのでありました。村人も非常に同情して、野菜や米の袋などを白の口にくわえさせますと、白は忠実にそれをお蝶さんの許に運びました。

 ところが、無情冷酷な五人の悪漢たちは、白が口にくわえて居るものをさえ横取りするようになったのです。どこまで彼等の残虐は続くのでしょう。白は始めのうちは反抗しましたが、後には棒でたれるのを怖れて、し食物をくわえて居るところを五人のものに見つけられると、くわえて居るものをすなおに彼等に提供しては逃げて行くようになりました。畜生とはいえども、定めし残念に思ったでしょうが、賢い白は無抵抗主義を発揮したのでありました。実に世の中には人間よりも賢い犬があるものです。白はほかの犬とちがって、めったに吠えたことがありませんでした。恐らくそれは無抵抗主義に徹底して居たためでありましょう。人間の無抵抗主義者はとかくよく喋舌しゃべりたがるものですが、この点、犬の方が一寸ちょっとすぐれて居るように思われます。

 余談は扨措さておいて、彼是するうちに、お蝶さんはとうとう子を生みました。それは可愛い男の子でありました。村人はそれを知って、祝うかわりにひそかに悲しみました。悪漢の一人を父とし、癩病の血統を持った狂人を母としたその子の運命は、思いやるだに悲惨なものです。しかも運命はどこまで残酷なものでしょう、お蝶さんの精神異常は、子を生んでから一層はげしくなったのであります。

 彼女はお産をしてから二三日たたぬうちに泣きしきる赤子を抱いて、山や野原を、黒い髪を振りみだし乍ら、跣足すあしで走りまわりました。黒水晶のように美しい、大つぶな眼をむいて、天の一方をにらみながら、先刻さっきあなたが御聞きになった子守唄をうたっては、あてもなくさまよいました。

 〽あの山越えて里いった…………

というところなど、その朗らかな声は山にこだまして、村人の涙をそそったものです。白は彼女にいて居ることもありましたが、二人の食物を求めるために忙しくて、彼処此処かなたこなたをとびまわりました。彼女はもはや誰の顔を見ても見わけがつきませぬでした。わしが近よってもただにッと笑うだけで、わしを認識することが出来なかったらしいのでした。然し、本能とでも言いますか、彼女は赤子に乳をやることを忘れませぬでした。彼女が分娩したのは三月の末でしたが寒い山里とはいい乍ら、すでに野にたんぽぽが咲いて、彼女はそれを摘んでは赤子をあやしました。

 然し、発狂の度が高まると同時に、彼女が五人の悪漢をうらむの情は、露骨になって来ました。内気な彼女は、それまで怨恨うらみの情を胸中深く蔵して居ただけですが、発狂のために漸次ぜんじ抑制の力が麻痺したものか、五人のものに対する復讐心が非常な勢で、頭をもたげて来ました。もとより彼女はその時、五人のものをさえ見わけがつかぬのでしたが、その魂に刻みこまれた復讐の念は、彼女の肉体の存する限り、いや、肉体が亡びてもなお残るであろう程強いものだったと思います。

 村人が彼女の家のそばを通ると、彼女はいつも、白に向って、

「白や、かたきとっておくれ!」

 と、あたかも白に向って催眠術でもかけるかのように、白をじっと見つめて言うのだったそうです。すると、白は、さもさもその言葉をよく了解したかの様に、口をあいて舌を出し、前脚を折って前に差出し、尾を振り乍ら、人間でいえば、万事承知しましたと、うなずく様な挙動をしたそうです。白が果して、彼女の発狂した事を知ったかどうかわかりません。然し、お蝶さんが、たまたま赤子を置いて、一寸外へ出た留守に、赤子が泣き出すと、白は赤子の傍へ飛んで行って、ゆすぶりながら、あやす真似をするくらいの智慧のある犬でしたから、或は主人が何のために発狂したかをよく理解して居たのかも知れません。実際、後に御話しするように白は見ごとにお蝶さんのかたきを取りました。白自身が、前に御話ししたように五人のものにはさんざん苦しめられて居たのですから、機会があらば自分でも復讐したいと思って居たのかも知れません。とに角、白はその機会をとらえることが出来たのであります。むろん、白は人間のように物をいいませんでしたから、彼の本当の意志を知ることは出来なかったのですが、少くとも、見たところ、五人のものは、白にかたきを取られたのであります。

 わしはよく古い書物の中で、賢い犬の話を読みました。可愛がられて居た主人に殉死をするとか、或は主人の身代りになって死ぬとか、或は主人の急を救うとかという話を読みました。そうして白もやはりその種の犬だったと思ってります。わしは白を見るたびに、聖人賢人の姿を聯想しました。大賢は愚なるがごとしとかいいますが、白も見たところはのっそりして居たのであります。むかしギリシャに何とかいう桶の中にはいって暮して居た哲学者がありましたそうですな。そうそうヂオゲネスといいましたか、わしは白を見る度に、そのヂオゲネスを思い出しました。白はぼんやり寝て居るかと思うと、なかなかそうではなく、よく頭が働くのです。そうして、その頭を働かして、遂に五人のものに対して怖ろしい復讐をしたのであります。

 それは四月の始めのことでした。五人の悪漢は山でしきりに木を伐りたおしてりました。彼等は大声で喋舌り、大声で唄いました。すべての暴君はいずれも鼻唄気分につかって居るものですが、暴君のうたう鼻唄は聞くものにはげしい恐怖を誘発します。ですから、彼等が山で木を伐って居るときには、村人はわざわざまわり道をして避けて行くのでありました。ですから、その日も山の麓を走って居る比較的大きな道の上には人通りが絶えてりました。

 すると其処そこを一人の中年の小僧が自転車にのって通りかかりました。山道ではあっても、さほど急ではありませんから自転車は平気で通います。小僧は馬肉屋の雇人やといにんでして、この村から二里ほど隔った町から、いつも、村の酒屋に馬肉を運んで来るのでありました。彼も五人の恐ろしいことをよく知ってりましたが、自転車ですから、細道をとおることも出来ず、又、いかに足の早い悪漢たちでも、自転車には追いつけませんから、冒険をしつつやって来たのであります。彼はいつも自転車の鞍の後のところに籠をいわえつけ、その中へ馬肉を入れて運びました。

 その時、日は暮れかかって居ましたが、小僧がむこうから走って来るのを、早くも見つけた悪漢たちは、ばらばらととび出して来て道を塞ぎ一斉に両手を上げました。驚いたのは小僧です。然し身の軽い彼は、ひらりと飛び降りたかと思うと、くるりとハンドルを後ろ向け、再び飛び乗って今来た道を引き返しました。

「馬肉を寄越せ」

「肉を置いて行け」と、五人は口々に叫び乍ら、小僧の後を追いかけましたが、もとより敵することが出来ません。さすがの五人も顔見合せて苦笑しながら、道ばたに腰を下して、小僧の走って行く姿を残念そうに眺めました。

 小僧の姿はいつしか夕靄の中に消えて、五人は何事をか話し合ながら立ち上ろうとすると、小僧の去った方角から夕靄の中を白いものがこちらに動いて来るのでした。近づいたのをよく見るとお蝶さんの白が口に大きな肉塊をくわえて居るのでありました。それを見た五人のものは、馬肉屋の小僧があわてて逃げて行く拍子に、籠の中から飛び出した馬肉の塊を白が拾ってくわえて来たのだと察しました。そこで彼等は白を捕えようとしますと、白は例の如く無抵抗主義を発揮して、折角の獲物だがいさぎよくお譲りしましょうと言わんばかりに肉塊を道ばたに置いて、我家の方へ走って行きました。

 五人のものは思わぬ獲物におおいに喜び、早速それを煮て一杯飲もうと相談を決し、彼等の小屋に引き上げました。これ等のことは別に私が見て居た訳ではなく、あとから知れた事実を綜合して組立てた御話ですが、それから、その小屋の中で楽しい酒宴が開かれました。薄暗いランプの光に照し出された彼等の獰悪どうあくな形相は、さながら地獄の鬼の酒宴を見るようであったに違いありません。

 そのあくる日のことです。恐らくこの村始まって以来はじめてであろうと思われる怖ろしい光景が、樵夫きこりの一人によって発見せられました。山腹にかけられた小屋の中に、五人の悪漢が死体となってよこたわって居たのです。こんろの上には鍋がかかったままになってりまして、盃や徳利が狼藉ろうぜきを極めてあたりに転がって居たのであります。

 ここまで語って坊さんは一息ついて茶をすすった。戸外には吹雪の音がだんだんはげしくなった。私はその先が聞きたくてこらえ切れず、

「どうして五人のものが死んだのですか」と息をはずませてたずねた。

「樵夫が最初に発見したときは、あたりがあまりに乱雑になって居るので、五人のものが喧嘩口論をして互に殴り合って死んだのかと思ったそうですが、別にあたりに血がこぼれて居る訳でなく、ただ、むしろの上に、嘔吐物が散らばって居たばかりなので、恐らく食あたりをしたのだろうと考えたそうです。果して、後に検屍に来た医師によって、五人の死は、食物の中毒だとわかりました」

「それではその白のくわえて来た馬肉に中毒したのですか」

「そうなのです。然し白のくわえて来たのは馬肉ではなかったのです。馬肉屋の小僧の話によると、彼が五人に追われて一目散に逃げて行く途中で、白がむこうから何かくわえて走って来るのに出逢ったそうです。然し五人のものは、前後の事情から考えて、当然、白のくわえて来たものを馬肉と思ったにちがいありません。ですから彼等はそれを小さく切って煮たのですが、その実彼等のたべたものは、馬肉ではなくて、全く意外なものだったのです」

「何でしたか」

「皿の上に残って居た肉片にくぎれしらべた医師は、それを後産のちざん即ち胎盤と鑑定したのです」

「胎盤?」と、私は耳を疑った。

「そうですよ」

 私はぞっとした。暫らく私は坊さんの顔を見つめたまま口をきくことが出来なかった。

「では、それがそのお蝶さんの身体から出た胎盤だったのですか」と、私は、何だかきそうな気持になってたずねた。

「さあ、それはもとよりわかりません。白は物を言いませんし、お蝶さんは相変らず狂い続けてりましたから。医師の鑑定によりますと、その胎盤は比較的新らしいが、腐敗しかけて居たので、腐敗毒の為に、五人のものは七転八倒して苦みながら絶命しただろうとのことでした。其時分村にお産はありませんでしたから、多分お蝶さんの胎盤だろうと察せられたのです」

 私はこれをきいて深い感動を与えられた。悪人ながら、その五人のものが、極度に苦しんで死んで行った姿を想像して、一種のものすごい思いに襲われた。

 坊さんは続けた。

「このことをきいて、村の人たちは狂女と白とが立派に復讐したのだと語りあいました。白が果して復讐を意識して、そのようなことをしたのか、或はお蝶さんが白にくわえさせたか、或は全く偶然の出来事であったか無論わかりませんでしたが、兎に角、五人のものが死んでからお蝶さんは「白や、かたきをとってくれ」ということだけは言わぬようになったのです。けれど、子守唄をうたって赤子を抱き乍ら、野原をかけまわることだけは止めませんでした。村人は、一年以来このかたこの村に振りかかって来た災難を除いてくれたことを大に感謝して、その後白を通じてお蝶さんに食物を届けるものが多くなりました。

 然し、悲しい運命はなおも、このあわれな一家を追かけました。五人が死んでから一月たたぬうちに、ある夜お蝶さんの家から出火して、お蝶さんも、赤子も、白も、みんな焼け死んでしまいました。人々は涙ながらに三つの死体をこの寺の墓地に葬ったのですが、今もなおお蝶さんの子守唄が時々墓場の中から聞えて来るのであります。……」

 この悲しい物語をきいた私は、その夜、長い間お蝶さんの身の上を思って眠ることが出来なかった。そうして、この話をきいたことによって、こんどの旅行の目的は十分遂げられたように思った。

底本:「怪奇探偵小説名作選1 小酒井不木集 恋愛曲線」ちくま文庫、筑摩書房

   2002(平成14)年26日第1刷発行

初出:「大衆文芸」

   1926(大正15)年7

入力:川山隆

校正:宮城高志

2010年520日作成

2011年223日修正

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