現場の写真
小酒井不木
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その年の春はいつまでも寒さが続いたので、塚原俊夫君は、私に向かって、また大地震でも起こらねばよいがなどと、時々私を気味悪がらせておりました。けれども、幸いに、大きな天災地変もなく、五月に入ってからは急に暖かくなって、実験室の前の躑躅が一時に咲き揃いました。
「兄さん、気候が寒いと、あまり大きな犯罪も起こらないようだねえ」
と、ある日の午後、俊夫君は、紫外線装置の部屋から、退屈そうな顔をして出てきながら言いました。
「犯罪など起こらない方がいいねえ。俊夫君には物足らぬかもしれないけれど、世間はたしかに迷惑するよ。しかし、ここ一週間ばかり急に暖かくなったから、また、犯罪がふえるかもしれないねえ。ことに浅草Y町の株屋殺しのように、事件が迷宮に入ると、それを模倣して人殺しが続出しないともかぎらない」
「ああ、そうそう」
と、俊夫君は、急に熱心な顔をして言いました。
「あの株屋殺しは、もう二週間になるが、まだ犯人が見つからぬようだねえ。いったい、警察は何をしているんだろうか。殺された人間がありゃ、殺した人間のあることは当たり前じゃないか」
「そりゃ君、無理だよ。人間は神様でないから。しかし、君は、あの事件について何か説をたてているのか」
「いや、僕は近頃、新聞記事というものが、日を経るに従っていよいよ出鱈目になってゆくことを知ったので、自分に依頼されない事件には、立ち入った研究をしないことにしているよ」
ちょうどその時、訪問の客があったので、私が扉を開けにゆきますと、それは他ならぬ「Pのおじさん」すなわち警視庁の小田刑事でありました。
「Pのおじさん、久しぶりですねえ」
と、俊夫君は、うれしそうな顔をして、小田さんのそばに駆けよりました。
「きっと、いいお土産を持ってきてくださったでしょう。僕、この頃うち、腕が鳴って仕方がなかった」
「いいお土産とも、実に大きなお土産だ」
と言いながら、小田さんはテーブルの前の椅子に腰を下ろしました。
「ああ、うれしい」
こう言って、俊夫君はしばらくの間、実験室を飛びまわりました。「お土産」というのは言うまでもなく、事件解決の依頼であります。やがて俊夫君が席につくと、小田さんは言いました。
「お土産というのは、他ではない、浅草Y町の株屋殺しさ」
私たちは思わず顔を見合わせました。
「たった今、俊夫君と、その話をしていたところでした」
と、私は言いました。
「それじゃ、俊夫君は、新聞でこの事件を研究していたのか」
と、小田さんは尋ねました。
「いいえ、詳しいことは少しも知りません。でも、犯人の容疑者として、誰やら、あげられたではないですか」
「うむ、それがね、いま検事局で、その男を厳重に取り調べているけれども、どうしても白状しないのだ。しかし、さっぱり証拠がないから、みんなが困っているのだ。だから、俊夫君にその証拠を見つけてもらおうということになったのだよ」
「どうか、事件の経過を逐一話してください」
と、俊夫君は言いました。
四月二十日の午前二時頃、浅草Y町の株式仲買人鈴木泰助は、自宅で何者かに殺されていることが発見された。発見したのは、同家に居住している泰助の手代の甚吉であって、彼はその夜、泰助の命令で、十一時頃家を出て高田老松町の篠田という家に使いに行ったが、あいにく篠田家の人々が留守だったので、午前一時頃まで門前で待っていた。
ところが、それでもまだ帰ってこなかったので、とうとう、用をたさずに戻ってくると、意外にも主人の泰助は奥の座敷の蒲団の上に、血に染まって、うつぶしになって死んでいたのである。
これを見た甚吉は、腰を抜かさんばかりに驚き、直ちにこれを付近の駐在所に訴え出たので、時を移さず警視庁から捜査班の人々がかけつけ、まず現場の写真を数枚撮影し、それから、式のごとく捜査を始めたのである。
被害者鈴木泰助はことし五十歳で、細君は数年来肺を病んで片瀬に療養し、夫婦の間に子供はなく、ことし二十五歳になる手代の甚吉をいっしょに住まわせて、昼間は二人とも日本橋兜町の店に行き、いつも夜遅くに帰り、食事は三度とも店の方でするので、女中を一人も雇わずに、いわば男所帯で暮らしていたのである。
死骸は蒲団の上に、寝衣を着てうつぶしになって横たわっていた。仰向けにすると、寝衣の前側と敷布は真っ赤に染まっていた。その血は左の心臓部の傷口から流れだしたもので、傷口の模様から見て、鋭利な短刀をもって刺されたらしかった。その他には別に傷がなかったので、被害者は一刀のもとに倒れたものらしく、あたりには格闘したらしい形跡がなかった。
また、殺害に使用された凶器はそのあたりに見られなかったから、自殺でないことはすぐに分かった。そうして、座敷の隅にあった用箪笥の小引き出しがこじあけてあって、中がからっぽになっているところから見ると、犯人は、金がほしさに殺人を行ったことが推定された。
しかし、その他には、別にこれという証拠は発見されなかったので、警察では、甚吉を容疑者として逮捕し、尋問することになったのである。
その夜、甚吉はいつものとおり、主人と二人で兜町の店を出て十時半頃に家に帰った。すると、主人は急に用事を思い出し、ぜひ今夜中にこの手紙を、老松町の篠田さんのところへ持ってゆき、返事を貰ってきてくれと言って、一本の書状を渡した。ところが先方が留守だったので、およそ三時間家を空けたわけである。
医師の鑑定によると十二時前後に殺されたものらしいので、もし、甚吉が午前一時まで篠田家の門前に待っていたことが分かれば、彼に対する疑いは晴れるのであるが、篠田家の人々はもちろん、他にその証人に立つものがなかった。ただその夜篠田家の人々が、一時半頃まで一家揃って外出していたことは事実であった。
だんだん取り調べをしてみると、午後十一時半頃、すなわち甚吉を使いに出してからすぐ、被害者泰助は、付近の湯屋へ行ったことが分かった。それゆえ、殺害の行われたのは十一時半から十二時までの間であらねばならない。
入口の格子戸の錠が何ともなっていないこと、および別に格闘した形跡のないところを見ると、犯人は被害者の知っている人物であらねばならない。だから警察では、甚吉を最も有力な容疑者と認めたのである。
兜町の店の者たちの行動を調べても、だれ一人怪しむべきものはなく、その他、金銭上の関係から、怪しいとにらむべき者はなかった。
さらに、甚吉に対する容疑を深めたものは、彼が最近主人の不在をうかがっては悪いところへ遊びにゆき、かなりに借金を作っていたことであった。
が、このような、いわゆる状況証拠は重なっても、彼が犯人であるという直接証拠はなかった。すなわち、彼の衣服に血痕がついているとか、または、主人を殺した凶器が彼の所有であったとか、あるいはまた、箪笥の小引き出しに、彼の指紋が発見されたとか、ないしはまた、小引き出しから失われた金を彼が所持していたとか、これに類したことは一つもなかったのである。
一方、警察は、職業的な盗賊の所為かもしれぬと、その方面を詳しく検べたけれども、とんと要領を得なかった。また、言い落としたけれども、死体解剖の結果は、別にこれという新しい手掛かりを得なかった。
かくて、五日と過ぎ十日と過ぎ、二週間と過ぎた今日、甚吉がどうしても白状しないので、まだ真犯人の決定を見ないのである。
こう語って、小田刑事はほッと一息つき、私の差しだした茶をすすりました。俊夫君は刑事の語る間、一語も聞きもらすまいとして、その顔には緊張の色を浮かばせておりましたが、この時、静かに言いました。
「その現場の写真を見せてください」
小田刑事は白い洋紙の包みをポケットから取りだしました。包み紙を開くと、中から数枚のキャビネ形の写真があらわれました。俊夫君はそれを、むさぼるように取りあげて、いちいち検査しました。写真は死体を中心として、室内の有様を前後左右および上方から撮影したものでありました。
「被害者はたいへんよく太っていますねえ」
と、俊夫君はつぶやきながら、熱心に、代わる代わる幾度も写真を検べてじっと考えこみました。
やがて、小田さんは尋ねました。
「どうだね、何かその写真から犯人の手掛かりは得られないかね」
「そうですね」
と、俊夫君は、にっこりと笑って言いました。その「にっこり」は、いつも俊夫君が、新しい手掛かりを見つけた時にもらす笑いであります。で、私は、さてははや、俊夫君は、有力な証拠を見つけたなと思いました。
俊夫君は言葉を続けました。
「二つ三つ気がついたことがありますが、それはもう大方警察の人々にも知れていることだと思います」
「たとえばどんなことかね」
「たとえばです。犯人は被害者と知り合いの仲だということです」
「それは、いま話したとおりだ」
「それから、犯人は、被害者の後ろから、被害者をだかまえるようにして、心臓部を刺したことです」
「え、それはどうして分かる?」
と、小田さんは驚いて尋ねました。
「それはきわめて簡単です。この写真を見ますと」
と、そのうちの一枚をとりあげ、
「被害者は、枕のある方に足をのばし、夜着の畳んである方に頭を向けて、うつぶしになっております。これは犯人が、被害者の座っている後ろから抱きついて短刀で心臓部を刺し、それから、背部を手で突いて前方へつんのめらせたものです」
「しかし、前方から刺したと考えても差し支えないではないか」
「そうです。しかし、前方から刺しにかかれば、勢い、格闘が始まります。しかし、ここには格闘のあとはなく、いわば被害者は素直に殺されております。素直に殺されたということは、不意を襲われて、まったく何の予感もなく殺されたことになります。なおまた、前方から刺したのであれば、血が迸りますから犯人は当然その血を踏み、したがって、畳が、血で汚れていなければなりませんが、写真で見ると、畳の上には血は少しもこぼれておりません」
「そういえばそうだねえ」
と、小田さんは俊夫君の推理に敬服したような調子で言いました。
「だが、後ろからだかまえて殺したとなると、心臓部を刺すのはおかしいじゃないか、右の胸に短刀の傷があってしかるべきじゃないか」
「そこですよ、肝要な点は」
と、俊夫君は、勝ち誇ったような態度で言いました。
「おっしゃるとおり、もし犯人が右利きならば、心臓部を刺すのはおかしいです。ですから、僕は心臓部が刺され、しかも、それが後ろからだかまえて行われたものであるから、犯人は左利きの男であると推定したのです」
「え? 左利き? なるほどそうか。じゃ、甚吉が左利きか右利きかを検べればよい」
「そうです。もし甚吉が右利きだったら、すぐさま放免してやってください」
「それじゃ、今から、検事局へ電話をかけて尋ねてみよう」
「いや、かけるまでもありませんよ」
「なぜ?」
「たとい甚吉が左利きでも、彼は犯人ではありません」
「どうして?」
「十一時に浅草の家を出て、老松町まで行った甚吉が、十二時頃に帰ってきて主人を殺すはずがありません」
「けれども、甚吉は途中で引きかえしたかもしれん」
「しかし、先方の篠田家が留守だということは主人も知らず、彼もむろん知らなかったに違いありません。もし留守でなくば、すぐ露見することは分かりきったことです。しかも、彼はその手紙をあなたたちに見せたでしょう?」
「見せた」
「それご覧なさい」
「では、君は犯人は甚吉でないと言うのか」
「甚吉でありません」
「他に犯人があるというのか」
「ありますよ」
「それを君は知っているのか」
「知ってはおりません、ただ推定しただけです」
「誰だい?」
「それは今ここでは言えませんよ」
と、俊夫君はずるそうな顔つきをしました。
「僕はこれから、その犯人が高飛びをしてもういないか、あるいはずうずうしくまだうろついているかを検べてきますから、僕の帰ってくるまで、二人で待っていてください」
「どこへ行くのだ?」
と、小田さんは、いよいよ呆気にとられて言いました。
「いけませんよ、Pのおじさん。僕は言うまいと思ったら、死んでも言いませんよ」
私はその時、はじめて口を出しました。
「俊夫君、君一人で出かけてよいのか。僕も一緒についていこうか」
「いや」
と、俊夫君は制しました。
「危険なところへ行くのでないから、心配しなくてもよい。その代わり、もし犯人がまだうろついていたら、今夜、兄さんに骨折ってもらって、逮捕しようよ」
「本当にいいかい?」
「大丈夫よ」
と答えて小田さんの方を向き、
「Pのおじさん、僕の留守中に、念のため甚吉の右利きか左利きかを検べておいてください」
こう言って俊夫君は威勢よく出てゆきました。
「まったく、あの子は恐ろしいねえ」
と、小田さんは、俊夫君が去ってから、しみじみ言いました。そうでしょう、警察や検事局の人々が二週間かかっても分からぬことを、わずかに一時間あまりで、犯人の見当をつけるのですもの、小田刑事が、いまさらながら感嘆の声をもらしたのは当然です。
私は、俊夫君のほめられるのは、自分がほめられるよりもうれしいので、「本当に、天才以上です」と、相槌を打ちました。
「どれ、検事局へ電話をかけよう」
こう言って小田刑事は、係の検事を呼びだして、しばらく話し合っておられましたが、それから十五分ほどたつと、先方から返事があって、甚吉は右利きであるという通知を受けました。
「やっぱり、俊夫君の言うとおり、甚吉は犯人ではないらしい」
と、小田刑事は嘆息して言いました。
「それじゃ、いったい犯人は誰でしょうか、どうも、俊夫君の言葉だけでは、ちっとも見当がつきませんが」
と、私は尋ねました。
小田さんはしばらく腕を組んで考えておられましたが、
「やっぱり、僕にも分からない」
と、吐きだすように言いました。
それから私たちは、いくら考えても分からぬので、もうあきらめて世間話に移りました。
日がだんだん暮れてあたりがうす暗くなっても、俊夫君は帰ってきませんでした。私は何となく不安になりましたので、家の外へ二三度出てみました。遅くなれば、出先から電話がかかるはずですから、いっそう心配の念が増しました。
とうとう八時になりました。すると、自動車がおもてにつきましたので、私が走り出ると、それは果たして俊夫君でした。
室内に入るなり、俊夫君は言いました。
「Pのおじさん、どうもお待たせしました。さぞお腹がすいたでしょう。兄さん、御馳走を用意してください。食後にゆっくり話すから」
いかにもその声が元気に満ちていましたので、私は、俊夫君が、たしかに捜査に成功したと思いました。
食事の間、私たちが何を聞いても、俊夫君は意地悪く何も語りませんでした。が、食事がすむなり、真面目な声で言いました。
「Pのおじさん、株屋殺しの真犯人は、今夜十一時半頃Y町を通るはずです」
「え、どうしてそれが分かった。犯人はどんな人間かね?」
「まあ、捕まえるまで待ってください。ここを十時に出ればよいから、それまでラジオでも聴きましょう」
私は、どんな人間を逮捕することになるだろうかと腕がぴくぴくしました。頭では俊夫君にかないませんが、腕は憚りながら、柔道三段です。
私は今夜行わるべき犯人逮捕のことを色々想像しながら、その夜放送された筑前琵琶も浪花節も、うわの空で聴いていました。
午後十一時少し前に、私たち三人は、Y町の、殺人のあった家の軒端にたたずんで、犯人の通るのを待ちました。
意地の悪い俊夫君は、誰が犯人だかを教えてくれませんので、足音がするたびごとに、私はびくびくしました。犯人が通れば、俊夫君が合図することになっており、合図があれば私が飛びかかることになっております。
中年の女、角帽、湯屋帰りの紳士などが数人私たちの前を通り過ぎました。あたりは真っ暗ですけれど、それでも、遠くの軒灯の光で、私たちのいることは、通り過ぎる人にも分かります。現に、二三人の人は私たちが何をしているのかと、怪しく思ってじろじろ眺めてゆきました。
「いいかい、俊夫君、僕たちのいることを犯人が感づいて、捕まえられぬ先に逃げはせぬかい?」
と、小田さんは心配そうな声で尋ねました。
「大丈夫ですよ、その点はまったく安全です」
と俊夫君は自信ありげに言いました。
十一時半頃になると、人通りはパタリと絶えました。遠くで犬のなく声が何となく物凄くひびいてきました。
やがて、十二時近くになりました。
「おかしいなあ、もう来るはずだが、それとも他の道を通ったのかな」
と、俊夫君はつぶやきました。その時、向こうの方に、かすかに按摩の笛が聞こえました。
「おや、按摩さんが通る」
と俊夫君は言いました。按摩は悲しそうな笛の音を立て、高い足駄をはいて、杖でさぐりながら、こちらへ近よってきました。
「あの按摩さんに聞いてみよう」
と、俊夫君はつかつかと、そのそばによりました。
「もし、按摩さん!」
「へえ、ご用でございますか」
「いや、揉んでもらうのじゃない。お前さん、ことによると、この株屋さんを殺した男を知っておいでだろう」
「ど、どういたしまして……」
このとき俊夫君は、按摩の杖をぱッと払いました。
「何をするッ」
と言いながら、按摩は裸足になって後ろへ逃げようとしました。
「それ、兄さん、早く」
と、俊夫君は引きずられながら言いました。
「俊夫君、按摩さんに何の罪がある?」
と、私は聞き返しました。
「兄さんの馬鹿! この按摩が左の手に杖を持っていたのが分からぬのか」
はッと思ったとき、私は万事をさとりました。小田さんもこの言葉で、はじめて按摩が犯人であることをさとって、私とともに飛びかかりました。
数分の格闘の後、私たちは、按摩を取り押さえることができました。
* * *
翌日、礼に来られた小田さんに向かって俊夫君は言いました。
「写真で、被害者がよく太っていることと、夜着が畳んだままになっているのを見たとき、被害者がお湯に行ったことと考え合わせて、按摩を雇ったのでないかと思いました。ちょうど十一時半頃は按摩の通るときです。それから、死体の位置から、被害者が敷蒲団の端に座って、後ろから抱かれて殺されたこと、犯人は被害者と知り合いであることなどから、被害者が按摩してもらっているときに殺されたものと推定しました。
そこで僕は昨日、あの辺を通る按摩が誰であるかを、聞きだそうとしました。かなりに骨が折れましたけれど、ついにその住所が分かりました。そこで僕は、その家の付近で按摩の出かけるのを待っていますと、やがて、運よく出かけました。見ると、左の手に杖を持っていますから、彼が左利きだと判断しました。
まさか按摩が犯人だと世間の人は思うまいと考えて、彼はずうずうしくも毎夜出かけて、しかも同じ町を平気で通っていたのです。
え? 何? やはり金がほしさに殺したと白状しましたか。盲目でありながら、よくも、巧妙に凶行をとげたものですねえ。いずれ、前科持ちでしょう。え? やっぱり、そうですか。それから、Pのおじさん。甚吉君にお会いになったら、今後はなるべく悪所ぐるいをやめよと伝えてください……」
底本:「小酒井不木探偵小説選 〔論創ミステリ叢書8〕」論創社
2004(平成16)年7月25日初版第1刷発行
初出:「少年倶楽部 一四巻八号」
1927(昭和2)年8月号
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年8月12日作成
2011年4月30日修正
青空文庫作成ファイル:
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