塵埃は語る
小酒井不木
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今年の夏は近年にない暑さが続きましたが、九月半ばになると、さすがに秋風が立ちはじめて、朝夕はうすら寒いくらいの気候となりました。わが少年科学探偵塚原俊夫君は、八月に胃腸を壊してからとかく健康がすぐれませんでしたが、秋になってからはすっかり回復して元気すこぶる旺盛、時々、私に向かって、
「兄さん、何かこうハラハラするような冒険はないかなあ。僕は近頃腕が鳴って仕様がない」
と、皮肉の嘆をもらすのでした。
「さあ、こればかりはどうも仕様がないねえ。人殺しや強盗など、めったにない方が世の中は安全だからねえ」
「それはそうだけれど、僕にとっては、安全な世の中なんて、平凡でつまらない。何か面白い事件でも起こってくれなければ、それこそまた、病気に罹りそうだ」
およそ一ヶ月あまり、これという大事件の依頼もなかったので、俊夫君の失望するのも無理はありません。
「だが事件がないからといって、こちらでこしらえるわけにはいかん。まあじっと辛抱して待つより他はないねえ」
私はこう言って慰めるより他はありませんでした。
ある日の午前、私たちが、いつものような会話を繰り返していると、おもてに自動車の止まる音がして、次いで私たちの事務室の扉をはげしく叩く人がありました。いつも来客の時は私が迎えに出るのでしたが、その日は俊夫君が飛びだしてゆきました。
来訪者は四十格好の、洋服を着て口髭を生やした立派な紳士でした。何か心配事があると見え、顔色が青ざめて見えました。俊夫君は丁寧に招じ入れて椅子を差しだし、私を紹介してから、しずかに来意を尋ねました。
「私は本郷東片町に住む富田重雄というものでして、××銀行の重役を致しております」
と言いながら名刺を出して俊夫君に与え、
「昨日、家内に心配事ができましたについて、そのご相談に来ました」
と、品のある言葉づかいで紳士は語りました。
「心配事とはどんなことですか」
と、俊夫君は紳士の顔をじっと見つめながら尋ねました。
「今年七歳になる長男が、何者にか誘拐されたのです」
「誘拐」と聞くなり、俊夫君は、チラと私の顔を眺めました。その眼には、
「兄さん、待ちこがれていた事件がいよいよやってきたよ。嬉しいじゃないか」
という意味が明らかにあらわれておりました。
しかし、俊夫君は、少しも顔色を変えないで、
「どうか、その顛末をお話しください」
と、いたって平静な言葉で申しました。
紳士は語りました。
「この事件をお話しする前に、一応、私の家庭の事情を簡単に申しあげます。昨日誘拐されました長男の豊は、先妻との間にできた子でございまして、豊の母は、昨年の四月に病死しました。それ以後私はずっと独り身で暮らしてきましたが、ゆえあって、先月後妻を迎えたのです。
常子というのが後妻の名でして、卑しい身分のものですけれど、──ちょっとここではその身分を申しかねますが、──とにかく複雑な事情があって、常子に面倒を見てもらうことになったのです。
しかし、常子は私や豊を非常に親切にしてくれますので、私はたいへん喜んでおりました。ところが、豊はどういうものか常子を嫌って、あまり彼女のそばへは近寄りませんでした。それですから、豊は、私の家に古くから仕えている、女中のお崎という老婆がいっさい世話をしておりました。
昨日、お崎は豊を連れて、近所のM神社の境内へ遊びにゆきました。豊は沢山の子供にまじって秋の日を浴びながら、嬉しそうに遊びまわっておりましたので、お崎は別に気にも留めず、拝殿に腰をかけて、毛糸の編み物をしておりました。
ところが、だんだん日が西に傾いたので、家へ帰ろうと思って、豊を捜したところ、豊の姿が見えません。びっくりして、子供たちに様子を尋ねると、三十分ばかり前に、見知らぬおじさんが来て、豊を連れていったというので、転ぶように家に駆けつけてみましたが、もとより豊のいるはずはありません。すなわち豊は誘拐されてしまったのです」
ここで紳士は一息ついて悲しそうな顔をしました。俊夫君は、化石したように、その話に聞き入りました。
「そこで家内じゅう大騒ぎになり、妻はあわてて私の行き先を電話で捜したのですが、あいにく私は用事があって他家を訪問しておりましたので、六時半頃に家に着いて、はじめて事情を知ったのでした。
で、私は妻に向かって、警察へ電話をかけたのかと聞きますと、妻は、事件が事件ですから、私の帰るのを待っていたと申しました。そこで私は一刻も猶予ならぬと思い、自ら電話室へ入ろうとしますと、そのとき女中の一人が駆けてきて、たったいま妙な男がこの手紙を投げいれてゆきましたと申しました。ハッと思って、その手紙を開いて見ると、果たしてそれは脅迫状でした」
こう言って紳士はポケットから、皺になった封書を取りだしました。それは褐色の事務用の封筒でして、表面には何とも書いてありませんでした。紳士は中からレター・ペーパーを取りだして、開いて読みました。
「豊君は一時預からせてもらう。明晩十時に本郷区A町S橋の袂にある石垣の下から五ツ目の石の右隣にある穴へ金三万円を紙に包んで入れておけ、その代わりに豊君を返してやる。もし警察へ告げたならば、直ちに豊君の生命を貰うから、そう思え。拳骨団」
富田氏はさらに言葉を続けました。
「この脅迫状を読んでも、私はかまわずに警察へ電話をかけようとしますと、そばにいた妻があわてて遮りました。そうして、豊ちゃんと三万円の金とかえるのなら、安いものだ。警察へ告げてもしものことがあったらどうなさる、あなたは豊ちゃんが可愛くはありませんかとしきりに申しますので、とにかく、妻の言葉に従って、警察へ告げることは見合わせました。そうして、私は不安の一夜を過ごしました。がどうも心が落ちつかぬので、こうして今、こちらへご相談に来たのです」
「こちらへおいでになることは、奥さんもご承知ですか」
と、俊夫君は尋ねました。
「いいえ、妻がまた止めるといけないと思って内緒で来ました」
「昨日、坊ちゃんを誘拐していったのはどんな男でしたか」
「子供たちの言うことですから、よく分かりませんが、何でも鳥打ち帽をかぶって洋服を着た相当の年輩の男だったそうです」
「この手紙を放り込んでいった男の人相はどんなでしたか」
「女中の言うところによりますと、暗かったからよく分からぬが、まだ若い男だったということです」
「すると坊ちゃんを誘拐した男と、手紙を放り込んでいった男は別人かもしれませんね」
「たぶん別人でしょう」
「お崎というお婆さんは信用のできる人ですか」
「むろん正直な女で、長年使っていますからよく分かっております。かわいそうに、お崎はゆうべ寝ずに心配しておりました」
俊夫君は脅迫状を取りあげて、そこに書かれている文句を見つめました。
「この筆跡はわざと擬筆が使ってありますが、これに見覚えはありませんか」
「ありません」
「今まで、こうした脅迫状を受け取られたことはありますか」
「ありません」
俊夫君はしばらく黙って考えておりましたが、やがて重々しく言いました。
「あなたは坊ちゃんの生命が助かるなら三万円出してもよろしいですか」
「無論です。けれど、三万円出しても果たして豊は帰ってくるでしょうか」
「金さえ渡せば返してくれると思います。ですから、今晩までに三万円を現金でこしらえておいてください。今晩九時にお宅へ伺ってその金を受けとり、僕が指定の穴のところまで持ってゆきます。そうして坊ちゃんを連れ戻してきます」
富田氏は俊夫君のこの自信のある言葉を聞いて、安心したような顔をして再会を期しつつ出てゆきました。
「俊夫君、本当に君、豊さんを取り戻せると思うかい?」
と、紳士が去ってから私は不安げに尋ねました。
「分からぬよ」
「え? だって君、今、いかにも取り戻せるように言ったじゃないか」
「そりゃ君、お父さんを安心させるためさ」
「で、君は三万円を持って悪漢に相手になりにゆくつもりか」
「そうよ、兄さんと一緒なら何でもないさ」
「すると、君はその悪漢を見のがしてやるつもりか」
「いいや、捕まえてやる」
「どうやって?」
「三万円渡しておいて、安心させてから捕まえるんだ」
「もうその計画は立っているかい?」
「いやまだ、これから晩までに考えるんだ」
それから俊夫君は夕方まで実験室へ入って何事をか考えておりました。
夕食を済ますと間もなく、意外にも富田家の自動車が私たちを迎えにきました。
「拳骨団から、時間を変更してきましたから、これからすぐ来てくださるようにと主人から命令がありました」
と運転手は語りました。
私たちはさっそく用意をしました。街へ出るなり、気の早い俊夫君は、自動車に飛び乗りました。私は五六歩あとから従いました。
すると、意外にも自動車は、俊夫君が乗るなり、すぐ駆けだそうとしましたので、私は大声をあげて、「まだまだ」と叫んで追いかけようとしました。と、そのとき遅く私は後頭部にはげしい一撃を受けて、そのまま気絶してしまいました。
それからいく分間、あるいはいく時間人事不省に陥っていたのか、もとより私は存じません。私たちの街は人通りが少ないのと、街灯の数が少ないために暗いのとで、たとい私が街上に横たわっていても、躓きでもしないかぎりは、通行人が発見するに困難だったろうと思います。
とにかく、私は寒さのために、誰にもよび起こされずに、ひとりでに眼をあいて正気づきました。正気づくと同時に何事が起こったのか、すぐはっきり分かりました。すなわち、俊夫君が、無残にも私の手からもぎとられたことに気づいたのです。
私は起き上がってあたりを見回しましたが、もとより、その辺に俊夫君を乗せていった自動車はおりません。また私は、さっき、とっさの場合であったので、自動車の番号を見もせず、したがって、あの自動車を探す手掛かりは何一つありませんでした。
もし、雨降りあげくであれば、轍のあとをつけることもできます。けれどあいにく地面が乾いていて、街灯の光ですかして見ても、自動車の轍をはっきり見つけることはできませんでした。
仕方がないので、私は土を払って私たちの実験室へ引きかえしました。時計を見ると、わずかに三十分間人事不省に陥っていたことが分かりました。私は俊夫君が見知らぬ自動車で連れてゆかれたことを、本宅の俊夫君のご両親に告げようかとも思いましたが、いたずらにご両親を心配させるのもお気の毒であるし、それにさっきの自動車は、本郷の富田氏邸から迎えに派遣されたと言ってきたから、もしや本当に富田氏の指図で来たかもしれぬと思って、一応富田氏へ電話をかけて訪ねることに致しました。
電話をかけると、富田氏自身が電話口にあらわれました。私が、こちらへ自動車を迎えによこしてくださいましたかと聞くと、案のごとく、そんなことは知らないとのことでした。そこで私がさっきから経験した事情を話すと、富田氏は驚いて、さらにいっそう奇怪なことを物語りました。
それは何であるかと言いますに、富田氏のところへ、つい今しがた俊夫君から電話がかかって、恐れ入りますが奥さまに三万円の金をもって事務所へ来てもらってくれ、計画を変更したからとのことだったので、家内をすぐさまそちらへ自動車で送らせてやりましたとのことでした。
私はびっくりしました。私たちの出かける前に、俊夫君はそんな電話をかけはしなかったし、私の人事不省中に帰ってきて電話をかけるはずはなし、ことによると、自動車に載せられていった先から電話をかけたかもしれぬが、それならば富田夫人に、事務所へ金を持ってきてくれというはずはないからであります。
そこで私が、私のこの考えを話すと、富田氏も大いに驚き、電話ではじゅうぶん話ができないから、これから、一度お伺いする。もし、家内が、金をもってそちらをお訪ねしたら、私の行くまで、引きとめておいてくれと言って電話を切りました。
私はまるで狐にばかされたような気がしました。夢ではないかとも思いました。殴られた後頭部がいまだにしくしくして、ともすれば心が暗くなると同時に、じっとしてはおれぬような焦燥を感じました。俊夫君は今頃どうしているだろうか。果たして無事でいるであろうか。もしや苦しい目にあってはいないだろうか。
俊夫君は大人も及ばぬ賢い子であるから、何とか堪考して無事に過ごすであろうが、なにぶん腕力の強い連中にあってはかなう道理がなく、その腕力に抵抗すべき役目を持った私がこうして、無理に俊夫君から引き離されてしまったのであるから、俊夫君は今頃、寂しい思いをしているだろう。
こう思うと、私は思わず立ちあがって、室の中をあちらこちら歩いて、いかなる方法を講ずべきかを色々と考えました。こんなとき俊夫君がいたら、うまいことを考えてくれるだろうに、その肝心の俊夫君がいないのであるから、私も面食らわざるを得ませんでした。いっそ、警視庁へ電話をかけて小田さんの後援を仰ごうかとも思いましたが、拳骨団が富田氏へ送った脅迫状のことも思い出され、富田氏の来られるまで待とうと決心しました。
富田氏邸を先へ出られた夫人がもう来られてもよかりそうであるのに来られないのは、やはり悪漢たちのために誘拐されたのであろう。拳骨団は、富田氏の坊ちゃんを誘拐し、俊夫君を誘拐し、次いで富田夫人を誘拐したのである。こう考えると私は、拳骨団の行動がにくらしくてなりませんでした。といって私はどうにも仕様がありません。むなしく切歯扼腕するより他はありませんでした。
程なく、自動車の音が聞こえたので、もしや私は富田夫人が来られたのではないかと外へ出てみますと、やっぱりそれは富田氏自身でありました。氏は心配そうな顔つきをして、
「家内は来ませんでしたか?」
と尋ねました。
「おいでになりません」
「ああ、すると、やっぱり、悪漢たちの計略にかかったのですな。豊を連れてゆかれた上に、三万円の金までとられて、私は一体どうなるでしょう」
私は、富田氏のこの言葉を聞いて、何と言って慰めてよいかに迷いました。しかし、私も俊夫君を失った悲しさは同じです。私はぐずぐずしていられないと思いましたから、
「さっき俊夫君から電話がかかったとおっしゃいましたが、たしかにそれは俊夫君の声でしたか」
と尋ねました。
「実は電話には家内が出たのでした」
それから私は、私の遭難の顛末を物語り、富田氏も夫人の出てゆかれるまでの詳しい事情を語りました。
「夫人を乗せていった自動車は分かりましょうね?」
と私は尋ねました。
「無論わかります。近所のタクシー会社から雇ったのですから」
「それでは、今お宅へ電話をかけてくださって、そのタクシーが夫人をどこまで乗せていって、どういう目にあったか聞いてもらってください」
富田氏は自宅へ電話をかけて女中を呼びだし、用事を告げました。富田氏が女中に尋ねられたところによると、夫人はまだ帰宅はされないとのことでした。
いよいよこれは、捨てておくべき事件ではないと思って、私は、富田氏と、警察の援助を乞うてはどうだろうかと相談しました。富田氏は拳骨団の脅迫状の文句を恐れて、はじめは少し躊躇しましたが、肝心の俊夫君がおらなくなりましたので、ついに私の提言に賛成しました。
私が警視庁へ電話をかけると、都合よく俊夫君のいわゆる「Pのおじさん」すなわち小田刑事が宿直で、電話口へ出てくれました。私が今朝からの一部始終を簡単に話すと、小田さんは、それはたいへんだ、俊夫君が誘拐されたと聞いては一刻も捨てておけない、電話ではじゅうぶん事情を聞くことができぬから、これから宿直の代理を頼んで、すぐさまそちらへ出かけるという、うれしい返事をしてくれました。
私はなんとなく急に元気が出たように思いました。小田さんが来てくれさえすれば、警視庁の巡査は幾人でも借りることができる。もし悪漢の在所さえわかれば、たちどころに捕縛することができるではないか。
しかし、しかし、悪漢の在所は? 私はそれを考えて、顔を曇らさざるを得ませんでした。たとい小田さんが来られたとて、おそらく悪漢の在所を知ることはできないではないか。
こう考えているとき、電話のベルが鳴りましたので、はッと思って受話器を耳にあてると、それは富田氏邸の女中で、私が用向きを聞くと、夫人を乗せていったタクシーの運転手を調べたところ、夫人は須田町の交差点で、急に用事ができたからとてお降りになり、そのまま運転手に帰ってよいとおっしゃったとのことでしたと言うのです。
私たちは顔を見合わせました。富田氏は不審そうな顔つきをして、
「すると、家内は別に誘拐されたわけでもありませんねえ。はて、おかしいぞ」
と言って考えこみました。
私も、同じように、夫人の行動を変に思いました。夫人は俊夫君から電話がかかったといって三万円を持ちだしておきながら、途中で自動車を降りて、しかも私たちの事務所へ来られぬのは一体どうしたことであろう。
こう考えはじめると、その時、警視庁の小田さんが息をはずませて、訪ねてきました。私はとりあえず委細の事情を話し、富田夫人の不思議な行動についても語りました。富田氏も、そばから私の話を補って語りました。
私たちの話をじっときいていた小田さんは、何思ったか、時計を出して見ました。
「九時十五分か。拳骨団は今晩の十時に本郷××橋のそばへ金を持ってこいと言ったのだね? それではとにかく、念のために、部下のものを派遣して、××橋付近の様子を見に行かせよう」
こう言って、小田さんは、警視庁へ電話をかけ、二名の部下に××橋まで行って何か怪しいことはないか見てくるように命令しました。
それから、私たちは三人して、どうしたならば、拳骨団の連中を逮捕できるだろうかについて相談しました。小田さんも、名案が浮かばないと見えて、長い間腕をこまねいて、眼をつぶって考えました。
すると十時五分過ぎに、電話のベルがはげしく鳴りました。××橋へ行った巡査からの報告だったので小田さんが出ました。その時、小田さんの言葉が、どんなに、私たちをびっくりさせたかは、皆さんもお聞きになれば分かります。
「なに? 俊夫君と豊君とが猿轡をはめられて、松の木に縛られていたって? 二人とも生命に別状はない? そりゃ結構だ。すぐ自動車に乗せて、一緒にこちらへ連れてきてくれたまえ」
俊夫君と豊さんが自動車で送られてくると知って、私たちはどんなに待ったことか、それは皆さんにも想像ができることと思います。ことに富田さんは、最愛の一人息子が、とにもかくにも、無事で悪漢の手から帰されたときいて、限りなく喜ばれました。私も俊夫君と会えるのですから、じっとしてはおれず、室の中を歩きまわりました。小田刑事も私たち二人の喜ぶ姿を見てにこにこしておられました。
やがて、待ちどおしい時間もついに過ぎて、表に自動車の止まる音が聞こえました。私たち三人は言い合わせたように走りだしました。
それから!
富田さんは豊さんを抱きあげ、私は俊夫君の手をとりました。
「兄さん、豊さんは賢いよ。ちっとも泣かなかったから」
俊夫君はこう言って取り乱した様子もせず富田さんにお辞儀をし、さらに言葉を続けました。
「兄さん、本当に心配かけたねえ。Pのおじさん、どうも色々ありがとう」
「いや、びっくりしたよ」
と私たちがあまりの嬉しさに物の言えないことを察して小田さんが言いました。
「でもよく悪漢たちは、君ら二人を無事で帰したねえ?」
「彼らは金さえ取ればそれで目的を達したわけですから、僕ら二人には用がなくなったのです。けれど」
と言って俊夫君はさらに語気を強めて言いました。
「悪漢たちは、もう僕に用がなくなったかもしれぬが、僕はこれから彼らに用があるのです!」
「え?」
と私はびっくりして言いました。
「では、君は悪漢を逮捕するつもりか」
「もちろんさ、だからぐずぐずしてはいられない。さあ、皆さん、とにかく、事務室へ来てください」
こう言って俊夫君が真っ先に家の中に入りましたので、私たち三人と、俊夫君たちを送ってきた小田さんの部下の警官二人とは続いて事務室の中へ入りました。
私が中へ入るなり、俊夫君は言いました。
「兄さん、さっそく顕微鏡の用意をしてくれ。むこうで取ってきた塵埃を検査したいから」
私は大急ぎで用意しました。
「皆さんと話しながら、検査したいから、この机の上へ持ってきて、電球を取りかえて、検査のできるようにしてくれないか」
やがて用意ができると、俊夫君はポケットから皺になった紙包みを取りだし、その中の塵埃を、耳かきですくって、対物ガラスの上にのせ、顕微鏡でのぞきました。
「色々なものがある」
こう言ってしばらくの間、俊夫君は熱心に検査しておりましたが、程なく顔をあげると、その顔には満足の色が浮かんでおりました。
「さて皆さん、これから僕が今晩どんな目にあったかをお話ししましょう」
と別に疲れた様子も見せず俊夫君は語りだしました。そのとき豊さんは、お父さんの膝にだかれて、大きい眼をぱっちりとあいておとなしくしておりました。
「僕が富田さんからのお迎えだという自動車にとび乗るなり、自動車が動きだしたのではっと思った途端、中に乗っていた男が、僕に猿轡をかけ、眼かくしをしました。
僕はその時、これはたぶん悪漢たちが、僕の邪魔するのを恐れて彼らの住家に連れてゆくにちがいないと思ったので、よし、それならば、必ず彼らの住家を見つけ、彼らを一網打尽にしてやろうと決心しました。
しかし彼らもなかなか狡猾で、僕にその住家の位置を見つけられないようにと思ったのか、用もない道をぐるぐるまわったらしく、およそ一時間も過ぎたと思う頃、自動車が止まりました。眼かくしされているので、もとよりどこをどう通ったか分かりません。また、自動車の到着したところがどんな風な場所か分かりませんでした。
僕は彼らの一人に背負われて、その住家に連れこまれ、やがて二階の一室に入れられてはじめて、猿轡と眼かくしとをはずされました。見ると、その室の隅に一人の小児がうずくまっておりました。僕はそれが豊さんにちがいないと思ったので、『豊ちゃん』と呼ぶと、その子は軽くうなずきました。
僕はそのかわいそうな姿を見て思わず、『豊ちゃん、もう心配しないでもよいよ。僕がついているから大丈夫だよ』と言いました。すると、僕を連れてきた男は、『おいおい子供の癖に生意気を言うな』と申しました。見るとそれは四十ばかりの赤ら顔の男で、口髭を生やしておりました。
僕は黙ってにやにや笑っていました。するとその男は、『金さえ手に入れば貴様たちは帰してやるけれど、もし金が手に入らなければいつまでも擒にしておくから、そう思え』と申しました。
僕はしかし黙って、どうしたならば彼らの裏をかいてやることができるかとしきりに考えました。するとその男は、『じたばたすると承知しないぞ』と言い置いて階下へ行き、他の男と何やら語っておりました。
そこで僕は、まず室の中を見まわしました。室は六畳敷で床の間がついておりましたけれど畳は薄黒く古びて、塵埃がいっぱいたまり、汚い電灯がさびしくともっておりました。
僕はそこで、そっと雨戸に近よって節穴から戸外を見ると、はるか向こうに寺の屋根が見え、眼のまん前に寺の門が見えました。その他には何も見えなかったので、再び室の中に座ると、とつぜん近くに汽車の通る音が聞こえました。で、僕はその家が鉄道の付近にあることを知りました。
しかし、それだけでは市中か郊外か分かりませんでした。そこで僕はじっと考え、ふと、いいことを思いつきました。それはもし畳の上の塵埃を集めてその中に何があるかを検べたなら付近にどんな工場があるか分かるだろうと思ったのです。
東京の家の塵埃はたいてい付近の工場から来るものです。僕は手早く手帳の紙を破り、畳の上の塵埃をできるだけたくさん手で集めて包みました。
それからおよそ何時間たったかよく分かりませんでしたが、一人の客がその悪漢たちの住家に入ってきました。話し声を聞くとどうやらそれは女らしく、しばらくすると、その声の持ち主が梯子段を登ってきました。そうしてその人が襖を開くなり、豊さんは、『あッお母さん』と言って、そばに駆け寄ろうとしました」
この俊夫君の言葉を聞くなり、富田さんは思わず立ちあがろうとしました。
「え? それでは、あの妻の常子が? 豊、本当か?」
と言って、膝の上の豊さんに尋ねました。
豊さんは、ただ黙って頷くだけでした。
「そうです、まさしく豊さんのお母さんでした。そうして今度のことは、お母さんと僕を背負って連れてきた男とが主になって、あなたから三万円の金を奪って神戸まで高飛びし、それから支那へでも渡る計画らしかったのです」
「そうとはちっとも気がつかなかった。豊、堪忍してくれ、お父さんが二度目のお母さんを家へ入れたのが悪かった」
こう言って富田さんは、
「それからどうしました?」
と俊夫君に尋ねました。
「それからお母さんは豊さんに向かって、『お前がいつもお母さんを嫌うから、こういう目にあうのだよ。お母さんはこれからよそのおじさんと一緒にいい所へ行くよ。ここにお父さんのお馬鹿さんからたんまり取ってきたお金があるからね』と言いながら懐をたたきました。
僕はあまりに癪にさわったから、いきなり豊さんのそばへかけより、豊さんを抱きあげてお母さんに押しつけ、『抱いておあげなさい』と言いました。すると、お母さんはいよいよ怒って僕らをはねのけながら、『おいおいもう、こんな子供たちに用はないから、S橋までつれていって捨ててきてくれ』と階下の男に申しました。
やがて僕らは猿轡をかまされ、眼かくしをされて再び自動車に乗せられ、S橋で下ろされました。そうして松の木にしばられ、幸いに皆さんに見つけられたわけです」
ここまで語って俊夫君は一息つきました。みんな固唾をのんで聞いていましたが、そのとき小田さんが言いました。
「それじゃもう今頃は、悪漢たちは逃げてしまっただろう」
「いいえ大丈夫逃げはしません。これから皆さんと一緒に逮捕にゆきたいと思うんです」
「どうして逃げないと分かるね?」
俊夫君はだまって内ポケットから、風呂敷包みを出し、富田さんの方へ差しだし、
「中を見てください」
と言いました。富田さんは豊さんを下へおろして、包みを開きましたが、それと同時に、
「あッ、妻が持っていった三万円だ!」
と叫びました。
「そうです。それからこれを見てください」
と言って汽車の二等切符を四枚ポケットから出して小田さんに渡しました。
「神戸行か、なるほど。だがどうして、君は三万円を取り返した?」
と小田さんは尋ねました。
「豊さんを抱きあげ、お母さんに押しつけて怒らせたとき、僕は僕のもっていった新聞紙を包んだ風呂敷包みとすりかえたのです。僕はこれでもすりの研究をしたことがあります。今まで一度も応用したことはなかったですが、暴にむくゆるには暴をもってすべきだと思い、今夜はじめて役に立たせました」
「で、君はどうして彼らの住家を知るつもりか」
と小田さんは俊夫君の機敏を褒めてから尋ねました。俊夫君は、再び顕微鏡をのぞいて言いました。
「むこうの家の塵埃の中に、小麦の粉とカルシウムと粘土(すなわちセメント)の粉とがまじっているのです。ですから製粉会社とセメント会社が近くにあって、しかも鉄道が通っているところです。多分それだけで、あなたたちには分かるはずです」
すると小田さんの部下の一人は、
「それなら日暮里です」
と言下に答えました。
「では日暮里のお寺を捜せばよい」
と俊夫君は得意げに言いました。
それからどんなことが行われたかは、皆さんにもほぼ想像がつくと思いますから、詳しくは申しません。豊さんのお母さんはじめ、三人の悪漢は、小田さんたちの手で難なく捕らえられてしまいました。
底本:「小酒井不木探偵小説選 〔論創ミステリ叢書8〕」論創社
2004(平成16)年7月25日初版第1刷発行
初出:「子供の科学 四巻五号、五巻一~二号」
1926(大正15)年12月~1927(昭和2)年2月号
※表題は底本では、「塵埃は語る」となっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年8月12日作成
2011年4月30日修正
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