墓地の殺人
小酒井不木
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皆さん、これから申しあげる探偵談は、少年科学探偵塚原俊夫君が、自分でもいちばん骨を折った事件の一つだと申しているほど、面倒な殺人事件であります。
そもそも犯罪探偵の際、いちばん難しいのは、殺された人の身元の分からぬ時です。明らかに他人の手によって死に至らしめられた死体でも、その死体が何の誰だということが分からなくては、犯人捜索の手のつけようがありません。ですから、これまで、被害者の身元不明の事件が未解決のままに終わった例は甚だ多いのであります。
身元が分からねば、その人がどういう生活をして、どんな人と交際していたかを知ることができません。たとえ有力な容疑者を捕らえても、その本人が白状しないかぎり、身元の分からぬ者を殺したことによって刑罰に処することはできにくいのです。
ですから、殺人死体を取り扱う際には、探偵たるものはまず第一にその人が誰であるかを定めます。そうして、それが決まってから犯人の目星をつけにかかるのですが、さて、時として、犯人の身元が容易に分からぬ場合があるのです。そういう際に探偵は、人知れぬ苦心をしなければなりません。
これからお話しする事件においても、殺された人の身元が知れにくかったため、俊夫君が非常な苦心をしたのです。
皆さんもご承知のとおり、俊夫君はしばしば実験室の中で事件を解決しますが、死人の身元を検べるためには、時として方々へ出かけていって、色々な人に尋ねなければなりません。この事件でもそれがかなりに俊夫君の身体にこたえ、さればこそいつもこの事件の話が出るごとに「骨が折れた」という嘆息をもらすのであります。
皆さんは、たぶん上野公園の高台から、浅草方面一帯をご覧なさったことがございましょう。観音堂すなわち金龍山浅草寺から、だんだん眼を左の方へ移していきますと、眼界の尽きようとするところに、三つのあまり大きくない寺院が並んで立っております。
これは、旧幕時代に、将軍さまの御声がかりで建てられたという由緒のある寺でありますが、明治時代になってからは、さほど内輪が豊かでなくなり、かなりに荒れてきたのであります。宗派は浄土宗でありますが、住職は三ヶ寺とも度々代わります。でも、檀家の墓をあずかっているために、どうにかこうにか持ちこたえてはいけるようです。
関東の大震災の際もこの三ヶ寺だけは不思議に焼けのこり、付近の罹災民の避難所になりました。その後この付近は復興も遅々として進まず、寺はいよいよ荒れていくばかりですが、今は三ヶ寺とも、相当な住職と寺男とが住って、檀家の評判もよいということであります。
三ヶ寺ともSという街に面しているのでして、向かって右から、法光寺、東泉寺、福念寺の順に並んでおります。表通りにはそれぞれ山門が立っておりますが、本堂の裏には同じく三ヶ寺とも広い墓地があり、その墓地はMという細い街に面しておりますが、そこには別に門というものがなく、槙の木がまばらに植えてあるだけで、自由自在に人の出入りができます。ですから、墓参に来る時には、山門から入らないで、裏から入る人もあるのです。
断っておきますが、この三ヶ寺は、その本堂の形状といい、墓地の状態といい、まったく同じことなのですが、住職たちも寺男たちも、別に親しく交際しているわけではありません。申し遅れましたが、三ヶ寺の相互の境には、ちょっとした土塀が築かれております。もっともその土塀はところどころ崩れてはおりますけれど。
いや、いつの間にか三ヶ寺の説明が長くなってしまいました。けれども、この三ヶ寺の状態をはっきり分かってくださらないと、これから申しあげる事件の顛末も分かりにくくなるのであります。実に俊夫君は、この三ヶ寺の類似の点に眼をつけて、この事件の解決の緒を得たと言ってもよいのであります。
五月半ばの、よく晴れわたった朝のことです。三ヶ寺の中央に位する東泉寺の寺男で辰平と名づける六十ばかりの爺さんが、裏庭に落ちこぼれた躑躅の赤い花を掃き寄せながら、だんだん墓地の方へ、箒を動かして進んでゆきますと、突然、軽い驚きの声をあげて、その場につっ立ちました。
ある石塔の前に、俯しになって、一人の男が地面に横たわっていたからであります。
はじめ爺さんは、その男が眠っているのではないかと思いました。というのは、夏になると、よく宿なしの浮浪人たちが、この墓地で夜をあかすからであります。けれども、近づくなり、爺さんの想像は恐ろしく外れました。言うも無惨ながら、その男の後頭部は石榴のように割られていたのであります。
爺さんはいきなり箒を捨てて、転ぶように走って、住職に知らせました。五十前後の頭を剃りたての住職は、顔色を変えて走りだしてきました。
それから爺さんが交番へ届ける、交番から警視庁へ通知される。ちょうど、皆さんご承知の小田刑事の受け持ちとなったので、小田さんは直ちに俊夫君に相談にこられました。近頃では、小田さんは、自分の受け持ちの事件はことごとく、俊夫君に委任されることになりました。その方が小田さんにとって、好都合だったからであります。
私たちは時を移さず現場へ急行しました。死体はそのままになっておりましたから、俊夫君は非常に喜んで捜索に取りかかりました。これまで、多くの場合、俊夫君が出かける時には、大かた現場が踏み荒らされた後ですから、折角の手掛かりも滅茶滅茶にされているのですが、この事件では、まったくフレッシュな現場を提供されたので、いつものような不平は言えません。
不平が言えなかった代わりに、俊夫君は、一目で、「難事件にぶつかったな」と思ったそうです。もとよりこれは俊夫君が後に話したことですが、その理由は何かというに、その無惨の死に方をしている男は、メリヤスのシャツとズボン下だけを身につけているだけで、帽子も下駄もなければ、足袋もはいておらなかったからであります。
まるで他の場所から死体だけ運びこまれたかのように思われましたけれど、後頭部の傷から血が流れて地にしみこみ、しかも、その他には血がこぼれていないので、どうしても、犯人は、その場でその男を殺して、着物や下駄や帽子を運び去ったとしか考えられないのであります。
何のために犯人はそのようなことをしたか。あるいは強盗の仕業ではあるまいかとも思われますけれど、強盗ならば、帽子や下駄まで持ち去る理由がありません。これは結局、犯人が、死体の身元を分からぬようにするためにやったことであるに違いない、と、こう俊夫君は、一目見た瞬間に推定を下したのです。
「Pのおじさん」
と、俊夫君は、死体を見下ろしたまま、小田刑事に向かって言いました。
「この事件はすこぶる面倒になります」
「どうして分かるね?」
と、小田さんは驚いて尋ねました。
「犯人は死体の身元をくらませるために、死体をいわば裸にしていったのです。たとえ身元をくらませようとしても、東京の住人なら間もなく身元が分かるから、犯人は危険を冒して、裸にしてゆく道理がありません。こうして裸同様にしておけば、とうてい身元が分かるまいと思ってやったことにちがいありません」
言いながら俊夫君は後頭部の傷口をあらため、あたりを見まわしました。
「たぶん棍棒か、木の太い枝で、一撃を下したものと思われますが、その凶器も犯人は持ち去ってしまいました」
それから私に向かい、
「兄さん、ちょっと手を貸しておくれ、死体を仰向けにしたいから」
まことに有り難くない役ですけれど、私は手伝って死体を仰向きにいたしました。顔には泥がついていましたが、年齢は五十前後でありましょうか、色が浅黄く、五分刈り頭で、かなりによい体格をしておりました。
俊夫君は、顔の土を丁寧に払って、住職と辰平爺とに向かって尋ねました。
「この顔に見覚えはありませんか」
二人とも、じっと見つめておりましたが、やがて頭を横にふりました。
「昨夜、何かここで人声をお聞きになりませんでしたか」
やはり二人とも否定しました。
「どうも、はっきりは分からぬけれど、筋肉の硬さから判断して、殺害は昨夜の十二時頃に行われたに違いない」
誰に言うともなく、こう言って俊夫君は、死人のシャツのポケットをさぐりました。もとより何もありませんでしたが、しかし、俊夫君の指先には、ポケットの中のごみがつかまれておりました。私は、早速、探偵鞄の中から、時計皿を取りだして、それにごみを受けとりました。
それから俊夫君は、耳かきを持って、死体の耳の垢を取りました。次いで手の爪の垢、足の爪の垢を注意して集めました。
住職は、俊夫君のすることを好奇の眼をもって眺めていましたが、
「爪や耳の垢をとってどうするのですか」
と、尋ねました。
「爪や耳の垢は、その人の職業を知る手掛かりとなるのです。たとえばあなたの爪の垢にはきっと線香か抹香の粉が入っております。ですから、爪の垢の中に抹香の粉を見つければ、その人は坊さんであることが分かります」
住職は驚いた顔をして、わが指の先を眺めました。
俊夫君はそれから、死体の周囲の地面を注意して検査しました。ここ一週間ほど雨が降らぬので、地面はいたってかたく、足跡のようなものは発見することができませんでした。
「Pのおじさん、これでもう検査は一通りすみました。これから、この死体を警視庁に運んで、すぐ顔の写真を撮ってもらってください。
それから、死体を解剖して、胃腸の内容をよく検べてもらってください。同時にその内容の消化の程度をじゅうぶん検査してもらってください。僕は、これから実験室に帰ってごみと垢の検査をします」
塚原俊夫君は実験室に帰るなり、死人から取ってきたシャツのポケットのごみと、耳垢と、爪の垢との顕微鏡的検査にとりかかりました。
そもそもこのごみや垢の顕微鏡的検査は最近の科学的探偵法のうちで最も肝要な位置を占めているのでありまして、ある場合には指紋などよりも重要な役目をつとめることがあります。
この方面の大家としては現にフランスのリヨン警察の鑑識課の主任を勤めているロカール氏が最も有名でありまして、氏によって幾多の難事件がきわめて容易に解決されましたが、それらの例は氏の最近の著書に詳しく書かれておりまして、もとよりすでに俊夫君の愛読書の一つとなっております。
試みに今その一二の例を挙げるならば、ある森の中で一人の若い女が、絞殺されておりました。間もなく犯人嫌疑者として一人の青年が逮捕されましたが、いろいろの情況証拠があったにかかわらず、青年はどうしても自白しませんでした。
そこで警察では直接証拠を得られないものかと、ロカール氏に依頼しました。するとロカール氏はまず女の死体をよく検査してみましたところ、女の首筋に犯人が首をしめる時につけたと思われる、爪でひッ掻いた痕がありました。そこでこんどは青年の爪の垢を取って調べましたところ、顕微鏡下に現れたものは、人間の皮膚の上皮層とある特種の白粉の粉でありました。
その白粉は通常の白粉と違って、殺された女ばかりが特に愛用している珍しい白粉でありましたから、証拠はもはや確実なものとなりました。この証拠をつきつけるとさすがの青年もついに包みきれずして自白したのであります。
またあるとき紙幣贋造団が検挙されました。しかしながらそのうちの誰が張本人で、どこで紙幣を贋造しているのか分かりませんでした。もとより彼らの誰もそれを白状する者なく、警察でも困ってしまって、ロカール氏に鑑定を依頼したのであります。
するとロカール氏は嫌疑者たちの耳の垢を取っていちいち検べてみました。その結果一人の男の耳垢の中から印刷インキの飛沫を発見したのであります。その男というのは、宿屋の主人でありまして、警察もまさかと思って家宅捜索をしなかったのでありますが、このロカール氏の発見によって直ちに踏みこんで検べてみると、果たして地下室に印刷機が発見されたのであります。
こういうように爪の垢や耳の垢の検査は時として確定的に証拠を与えるものであります。また前回にも述べましたように、爪の垢からその人の職業を知ることもできます。またその人がどこに住まっていたかをも知ることができます。
しかしながら犯罪探偵の際には、どの事件もこれらの例のように都合よく運ぶとは限りません。俊夫君はずいぶん意気ごんで、顕微鏡的検査にとりかかりましたが、およそ三時間ばかりすぎた後、出てきた時の顔には確かに失望の色が現れておりました。
「どうだ、何か有力な手掛かりが得られたかね」
と私が聞くと、
「駄目駄目、何の変わった所見もない、ただ右の拇指に胡椒の粉が少し着いていたくらいのものだ」
「胡椒?」
と私は言って考えました。
「考えるまでもないよ、大方西洋料理でも食べたんだろう」
と俊夫君はこともなげに言いました。
「耳の垢には何か珍しいものでもなかったかね」
「いや何にもない、シャツのポケットのごみの中にも、これというものが発見されない。僕は墓地で死体を見た瞬間、この事件は難物だと思ったが果たしてそうだった。この上は解剖の結果を待って、何かの手掛かりを得るより他に仕方がない」
そのとき入口のベルが鳴ったので、私が開けにいきますと、そこには他ならぬ小田刑事が立っておられました。
小田さんが中に入るなり、俊夫君は解剖の結果を尋ねました。
「あれからすぐ死体を警視庁に運んで解剖してもらうと、死ぬ二時間ほど前に、死人は洋食を食べたことが分かった」
私たちは思わず顔を見合わせました。小田さんは私たちに頓着なく言葉を続けました。
「それはビーフカツの消化の程度で分かったのだ。殺されたのがゆうべの十二時だとすれば、ビーフカツを食ったのはたぶん十時前後だと思われる」
「それではすぐあの近所の西洋料理屋を探させてくださいましたか」
小田さんは頷いて、
「ああ、すぐさま部下に命じて手分けをして死人の写真を持たせて、浅草付近ばかりでなく、できるだけ方々の西洋料理屋を探させてある。発見し次第こちらへ電話で知らせることになっているのだ。時に君は何か変わったことを発見したかね」
「今も兄さんと話していたことですが、さっぱり手掛かりが無いのです。右の拇指の爪の垢から胡椒の粉が発見されたんですけれど、これは今あなたのお話しになった、解剖の結果を裏書きしたにすぎません。とにかくこの事件の犯人はよほど運がいい奴か、さもなければよほど狡猾な奴に違いありません。
しかし死人が西洋料理を食べたということは、この際よほど有力な手掛かりです。多分どこで食べたかと言うことがそのうちに分かるでしょう。そうすれば誰と一緒に食べにきたかということも分かり、しぜん犯人の手掛かりも得られることになります」
このとき電話のベルが鳴ったので、私が電話口へ出てみますと、先方は男の声で小田刑事に出てもらってくれと言うことでした。さては、と思って小田さんに目くばせすると、やがて小田さんは受話器を受け取って、何やら興奮したらしい口調で話しておられましたが、電話を切るなり、
「俊夫君、分かったよ、死人がゆうべ立ち寄った西洋料理屋が分かったよ、これからすぐに行こうと思うが、君も一緒に来てくれないか」
数分の後、私たち三人は自動車に乗って目的地に向かって走っておりました。小田刑事の話によると、ゆうべ死人が立ち寄った西洋料理屋は、浅草区Y町で死体の発見された場所、すなわちS町の三ヶ寺から約十町ばかり隔った街であります。
約三十分の後、自動車が着いてみると、その街は比較的繁華な街であって、死人が立ち寄ったというH軒という西洋料理屋は、二階建ての白い洋風の建物で小さっぱりとした体裁を備えておりました。
私たちは刑事に出迎えられて中へ入りましたが、幸いに時間が時間ですから、客がいないのでゆっくり話すことができました。捜索に来た刑事の話によると、都合よく給仕女が死人の顔を覚えていて、意外に早く分かったというのでありました。
小田さんはその刑事の労をねぎらい、死人に給仕したという女を呼んでもらいました。すると間もなく奥から十七八の色の白い丸顔の女が、おずおず皆の前へ出てきました。
彼女の語るところによると、ゆうべ死人はもう一人の男と一緒に、九時半頃に入ってきて、ビーフカツを命じお酒を飲んで、およそ十一時半頃まで何かしきりに話をしていたということでした。
死人の服装はよくは覚えていないけれど、セルの着物にセルの羽織を着ていたが、相手の男はやはりセルの着物に黒の単衣羽織を着て、二人とも鼠色のソフト帽をかぶっていたとのことでした。
「その相手の男の頭はどんな刈り方でした」
と俊夫君が尋ねました。
「丸刈りでございました」
「あなたはその人の顔をよく覚えていますが、つまりその人がもし二度目にここへ来たらすぐ思い出すことができますか」
「はあ、それは覚えているつもりでございます」
「あなたたちはよく一目で人の職業を言い当てなさるようだが、その人は何をしている人間だと思いましたかね」
「そうでございますね、色が白くて手がたいへん綺麗でしたから、ちょいと見るとお医者様ではないかと思いました」
「そう、それで二人はどんな話をしていたか聞きませんでしたか」
「それはちっとも存じません。ちょうどその頃はお客様が立てこんでみえましたので、一つところに給仕しているわけにゆかず、それに何だかずっと、ぼそぼそ話をしていらっしゃいました」
「それでお勘定はどちらの人がしましたね」
「さあ、それがよく分からないのでございます、勘定書を置いてゆきますと、しばらくして盆の上にお金が置いてありました。ところが二人がお立ちになった後で、食卓の上を掃除していますと、一枚の名刺が見つかりました。わざとお置きになったのか、あるいは財布の中からでも偶然落ちましたのか、俯きになっていたので落ちても気がつかなかったのか、とにかく私の気がつきました時分は、もうお帰りになった時で、どうにも致し方がございませんでした」
俊夫君は急に顔色をかがやかし、
「その名刺はまだ持っていますか」
「はあ」と言って、女は奥へ入ってゆきましたが、やがて名刺を持って出てきました。
俊夫君が震える手をもって、受け取った名刺は、
歯科医 大村貞三
東京市日本橋区蠣殻町三丁目
右のごときものでありました。俊夫君はしばらくじっと見つめていましたが、やがて小田刑事に向かって、
「とにもかくにも、大村歯科医を訪ねてみようではありませんか」
それから私たちはH軒を発見した刑事とともに西洋料理屋を辞して、自動車に乗りました。
蠣殻町三丁目へ来てみると、驚いたことに大村という歯科医はありませんでした。私たちはまるで狐にばかされたような気がして、探し回りましたが、二丁目と一丁目の間に交番がありましたので、そこへ行ってみると、巡査は幸いに十年この方、その地方を受け持っているのでした。私たちが簡単に用件を話して、大村歯科医のことを尋ね、その名刺を見せると、巡査は大いに驚いて、
「これは不思議です、大村さんは震災当時焼死してしまわれました」
と、声を震わせながら叫びました。
死んだ人の名刺、しかも震災当時すなわち四年あまり前に故人となった大村歯科医の名刺を、殺された男かあるいは彼と一緒に食事をした男かが持っていたということは、何を意味するであろうか。
俊夫君をはじめ、小田刑事も同行の刑事も一同あっけにとられて、しばらくは顔を見合わせているだけでありました。
「大村歯科医が震災で焼死されたことは、確かなのですか」
としばらくの後、俊夫君は交番の巡査に向かって尋ねました。
「さあ、そう言われるとはっきりしたことは答えられないのです。大正十二年九月一日の、あの恐ろしい日に、大村さんは用事があって他行していられたのだそうですが、そのまま永久に帰ってこられなかったので、家族の人たちは、焼死されたものと信じて、とうとう諦めてその後郷里の方へ帰ってしまわれたのです」
「それじゃ、別に死体が発見されたわけでないから、疑って見れば、大村さんはまだ生きていられるかもしれませんね。それであなたはそのご家族の今おいでになるという郷里が、どこであるかご承知ですか」
「名古屋です」
「名古屋?」
と俊夫君は考えて、
「名古屋のどこだか分かっていませんか」
「そらでは覚えていませんが、検べれば分かります」
こう言って、巡査は机の引き出しをあけて検べていたが、やがて紙片に書き写して、俊夫君に渡しました。
俊夫君はそれをポケットに納めながら、小田刑事の方を向いて、
「叔父さん、今のところではこの名刺が唯一の手掛かりですが、これ以上捜索の歩を進めるには、どうしても名古屋へ行って、大村さんの遺族に会って事情を聞きただすより他はありません。
この名刺が偶然、西洋料理店にあるはずはないと見ねばなりませんから、やはり女給の言ったように、殺された男か、またはそれと一緒に食事した男かの、どちらかが落としたものと考えねばなりません。ご覧のとおり、この名刺はできたての物とは違って、長い間紙入れか何かの中に入れられていたような状態を呈していますから、たぶん大村氏自身が作られた名刺だと考えるのが至当だと思います。
してみると食事をした二人のうち、どちらかが大村氏と何かの関係を持っているはずです。ことによったら大村氏の遺族が、二人のうち一人を知っているかもしれません。ですからこの際とにもかくにも名古屋まで行って、大村氏の遺族の人に会ってくる必要があると思います。幸いに住所が分かっていますから、これから僕は名古屋まで行ってこようと思います」
「それはご苦労だね。それじゃ名古屋行きを俊夫君にお願いすることとしよう。しかし、その間こちらで何か捜索をしておくべきことはないかね」
「そうですね」
と俊夫君はしばらく、俯いて考えていましたが、
「それじゃ死体の発見された東泉寺の住職と寺男の身分を検べておいてください。それからついでに東泉寺の両脇にある二ヶ寺の住職と寺男の身分も、念のために検べさせておいてくださいませんか」
かくて私たちは一行と別れて、旅支度をすべく実験室に帰りました。
汽車の時間の都合で、私たちはその夜十一時東京駅発の列車に乗りました。「名古屋市東区千種町高見三番地大村しん子」、これが私たちの訪問する先なのです。
名古屋駅へ着いたのは午前八時少し前で、麗らかな五月の陽が、かんかんと照っておりました。まず構内のミカド食堂で朝食をすまし、それから自動車を雇って、広小路通りをまっすぐに東へ走りました。
広小路は名古屋を東西に貫く、最も繁華な街でありまして、いわゆる大厦高楼が軒を並べ、しかもどことなくゆったりした気分に包まれているのは、名古屋そのものを象徴していると言うべきでしょう。俊夫君はもの珍しげに、両側を眺めながらいろいろの印象的批評を下して私に話しかけるのでありました。
やがて自動車は街を突き切って郊外らしいところへ出ました。私は十年ほど前に同じ道を通って覚王山日暹寺を訪ねたことがありますが、その頃は道の両側は一面の青田でして、諸所の農園めいたものがありましたが、今は立派な市街地となって、両側に断続的ではあるが、町屋が建ち並びました。
都市の発展の速度は実に驚くべきものであります。私はひそかに感慨に耽りながら、窓外の景色に目を移していましたが、やがて自動車は目的の場所に着きました。大通りから北に三丁ほど入ったこじんまりとした平家建てに、女文字で「大村寓」と書いた小さな標札がかけられてありました。
格子戸の前に立つと、奥でオルガンの音と子供の歌う声がしていましたが、私たちが格子戸を開けるなり、楽器の音はやんでやがて障子をあけて出迎えたのは、三十二三の背の高い痩せがたの婦人であって、一目でそれがこの家の女主人、すなわち大村夫人であると分かりました。
大村夫人は、見も知らぬ私たちの顔を見て、怪訝そうな様子をしておりましたが、俊夫君が用向きを簡単に述べると、「どうぞこちらへ」と言って、奥の一間に案内してくれました。
座が定まるなり、すぐさま俊夫君は用向きに移りました。ポケットから例の名刺を取りだして、
「これに見覚えがございましょうか」
と言いながら相手の顔をじっと見つめました。
大村夫人は名刺を取りあげて眺めましたが、やがてその手はかすかに震えだしました。
「まあ、どうしてこれをお持ちでございますか」
「するとこの名刺はご主人様のに間違いございませんか」
「確かに良人が作らせた物でございます」
「もしや、これと同じ名刺をまだお持ちではありませんか」
「はあ、確かまだ一二枚は残っていたと思います」
こう言って夫人は立ちあがって、次の間に退いたが、しばらくしてから一枚の名刺を持って入ってきた。
俊夫君は比べて見ると、それはまったく同じ物であった。
「ご主人様は震災の時に、悲しいことにおなりになったと聞きましたが、当日はやはりご一緒に宅においでになりましたか」
「いいえ」
と夫人は強く言って、急に悲しそうな表情になり、
「ちょうどあの日は、お友達が見えまして、朝から他行致したのでございます。それきり帰ってまいりませんでしたから、震災のために亡くなったものとして、私たちはこちらへ帰ってまいったのでございます。家族はみんな無事に避難いたしましたので、もし一緒にいましたら、無事だったろうにと、残念でなりません」
と言う声はうるんでおりました。
「そのご一緒に外出なさった友人とおっしゃるのはどうなさいましたでしょうか」
「その方も行方不明なのでございます。もっともそのお方にはご家族もなく、独身でございまして、私どもへ度々お出でにはなりましたが、どこのお生まれだか、よく存じませんでしたからお尋ねする手掛かりもなく、あの日その方と良人とが、一緒にいて難に遭いましたものか、それとも別れ別れになっておりましたのか、それさえはっきり分からないのでございます」
「それではその方は何と言う名前でございますか」
「稲村勝之とおっしゃいました」
「何をしていたんですか」
「株式月報という雑誌の記者をしていられました」
「それでは九月一日には、どういう用事でご主人とその稲村さんとが、お出かけになったのですか」
「さあ、それがよく分からないのでございます。主人は平素自分の用事のことはあまり私に話しませんでした。あの朝稲村さんがお訪ねになると、診察場を捨てておいて出かけてしまいました。本職の方は流行っていませんでしたが、それでも診察を捨てて出かけるには相当に重大な用事であったかと思います」
「それではその稲村さんとおっしゃるのは、どんな容貌でいくつくらいの人でございましたか」
「年齢は良人と同じくらい、当時は三十五六であったかと思います、顔は丸顔で、いつも頭は丸刈りにしていられましたが」
このとき俊夫君は、何か思い当たったらしく、ポケットから死人の写真を取りだしました。そうして、好奇心に満ちた目をもって、夫人の前に差しだしながら、
「もしやこの人をご存じではありませんか」
と尋ねました。
大村夫人は俊夫君の意味ありげな様子を感づいたと見え、恐ろしいものにでも触れる時のような手つきで、写真を取りあげて見つめましたが、やがて、
「あッ」という軽い叫び声をもらし、みるみる驚きの表情が顔面に漲りました。
「ご存じですか」
と俊夫君は畳みかけるように尋ねました。
夫人は大きく息をして、
「この方です。この方がいま申しあげた稲村さんです‼」
大村夫人が死人の写真を見て、それが主人の知己なる稲村勝之であると叫んだ時、俊夫君は飛びあがるほど喜びました。それもそのはずです。犯罪探偵の際、死人の身元が分かれば、いわば半分は捜索の歩みが進んだと言ってもよいからであります。
科学は時としてただちに犯人の身元を突きとめることがありますけれど、時にはこの事件のように顕微鏡やその他の科学的道具の少しも役に立たぬ場合が少なくありません。そうしたとき探偵に従事するものは、ただ肉体を働かせて、手掛かりから手掛かりへ移りながら歩を進めてゆくより他はありません。科学探偵においては、つまりその歩の進め方が、科学的であればよいのです。
さて死人の身元を知ることのできた俊夫君は、次にいかなる捜索の階段を踏んだでしょうか。大村夫人の叫びを聞いて、思わず腰を浮かせてからしばらくの間、俊夫君が興奮のために言葉を発しないでいると、大村夫人は読者諸君の想像されるごとく、死人稲村の写真がいかなる状態のもとに撮影されたかを尋ねかけました。
で、俊夫君は稲村の死体が、東泉寺の墓地に発見されて、探偵の結果、名古屋へ訪ねにこなくてはならなくなった経過を簡単に物語って聞かせました。
「稲村さんがこのとおり今まで生きていられたとしますと、お宅のご主人もことによったらまだ生きておいでになるかもしれませんね」
と、俊夫君は言いながらじっと夫人の顔を見つめました。
「いいえ」と夫人は言下にきっぱり否定しました。主人は生きていたら必ず戻ってくるはずでございます。大変な子煩悩でしたから、どうしてどうして子供を捨てておくはずはありません。それに家族を顧みないで生きているべき理由は少しもありません。
俊夫君は軽くうなずきながら考えていましたが、
「もしや主人様の写真をお持ちではありませんでしょうか」
「主人は写真を撮ることがあまり好きではありませんでしたから、独りで撮ったのは一枚もございませんが、ちょうど震災前に家族一同で撮ったのがございます」
こう言って夫人は、立ちあがって奥の間へ行き、やがて一葉の写真を手にして戻ってきました。俊夫君は受けとって、じっと見つめました。そこには中央にご主人夫婦、その前に二人のお子さんが座っていました。その大村氏夫妻の両脇に、女中らしい女と、年頃三十五六の、口髭を生やして頭髪を長くのばした男の人が立っていました。
俊夫君はその人を指さしながら尋ねました。
「これはご親戚の方でございますか」
その瞬間、夫人の顔に一種の不快らしい表情が現れました。
「いいえ」
と夫人は口ごもるようにして答えました。
「この人は、いわば代診のようにして、内でお世話を申しあげた人でございますが、少し不都合なことがありましたので、ちょうど震災の半月ほど前に、出ていただいたのでございます」
「何という人でした」
「石川五郎とおっしゃいました」
「どこの人でございますか」
「さあ、それがおかしいのでございます。ある人の紹介でふとしたことから雇い入れることになりましたが、自分の生まれ故郷などを、はっきりおっしゃらないのでございます。
別に強いてお尋ねする必要もありませんし、はじめは忠実に働いてくださいましたから喜んでおりましたが、だんだん夜分の外出が多くなり、果ては主人の留守に私にいろいろうるさいことをおっしゃるようになりましたので、とうとう出ていただいたのでございます。
ところが何だかそれをたいへん恨みに思っておいでになるように、人伝に聞きました。震災でそのお方も行方不明になってしまわれたのでございます」
「どうもいろいろ有り難うございました。朝早くからお伺いしてご面倒をかけまことに失礼でございました。私たちは稲村さんを殺した犯人を探しているのでございますから、もしこの写真を拝借させていただくことができればたいへん好都合でございます。
もちろん大切に取りあつかいますし、複写ができ次第お返しいたしますから、是非お聞きとどけを願いたいと思います」
「よろしゅうございます」
こう言って大村夫人は、機嫌よく俊夫君の申し出を聞いてくれました。
私たちは午後の特急で東京へ帰ることにしました。汽車の中で俊夫君は、死人の写真や大村氏一家の写真を取りだして、しきりに研究しておりました。俊夫君は写真を見る時は、いつも片眼をつぶります。
皆さんはたぶん実体鏡というものをご承知でありましょう。ほんの少し違った位置で撮った二枚の写真を並べて、両眼で見る時は写真の中の物体の前後が明瞭に現れてきます。一枚の写真だけでは物体の前後がはっきりいたしません。ところが片眼を閉じて写真を見つめますと、一枚の写真でも実体鏡のように、はっきり前後がついて見えるのであります。鼻の高さとか、顔の凹凸は片眼をつぶって見れば、明らかに分かるのであります。
さっきから俊夫君はしきりに片眼で大村氏一家の写真を見ていましたが、
「兄さん」と不意に私に呼びかけました。
「この石川五郎という男の顔をご覧なさい。これは通俗な言葉で言うと、けっして油断のならぬ顔だよ。伊太利の有名な犯罪学者ロンブロゾーの著書の中に、定型的な犯罪者の顔としてこのとおりの顔が載っているよ。
額の狭いところといい、髪の毛や髭が非常に濃いのといい、頬骨の出っぱっているところといい、頤が大きいところといい、立派に犯罪者たるの資格を備えているよ。
ことに眼を見たまえ、仏蘭西のヴィドックという探偵は、眼だけ見れば犯罪者か否かが分かるとさえ言っているが、眼が窪んでいて割合に大きく、しかも何となく光がにぶくうるんで見えるのは、殺人者型に属するもので、どうやらこの男もその型に属するらしい。
それに色がいたって白く、もっとも色は写真ではよく分からぬけれど、手などの具合が女のようにか弱く見えるのは、いよいよ犯罪者としての条件を具備するわけだ」
「それでは君は、この男が今度の事件に関係していると思うのか」
「いやまだ僕は何とも思っていないよ。ただこういう犯罪者として定型的な顔をした男がここに偶然に撮影されているから珍しく思っただけだよ。けれど兄さん、今回の事件を検べるには、やはりこの男についても検べてみる必要があると思う。
ことに震災少し前に、不都合なことがあって解雇されたというし、どこの生まれだかあいまいにしていたというし、解雇されてから大村氏を恨んでいたというし、震災後行方不明であるというような点から、いよいよ取り調べる価値があると思う」
「君は大村さんが、震災で死んだと思うか、あるいはまだ生きていると思うか」
「はじめ僕は殺された男が稲村だと聞いた時、ことによったら稲村と一緒に出かけた大村さんも、稲村と同じように生きておりはしないかと思って大村夫人に、大村氏の写真を見せてくれと言ったわけだが、この写真を見るにおよんで僕は少なくとも大村さんは生きてはおらぬと思ったよ。
この石川五郎という男が、定型的な犯罪者型を備えているに反して、大村さんは骨相学上から言えば、どうしても善人としか考えられない顔をしているよ。もっともこれまで悪人の顔に関する研究はかなり精密に行われたが、善人の顔については積極的な研究というものがあまり行われていない。だから我々は善人か否かを判断するには、悪人でないか否かで行っているにすぎない。
つまり大村さんの顔も、悪人でないというにすぎないが、夫人の言われたとおり大の子煩悩であるとすれば、生きていられるかぎりは、姿を見せられないはずはないよ。とにかく我々は死んだ男の身元が分かった以上、今度は死んだ男と一緒に例の西洋料理店H軒で洋食を食べた男を探しださねばならない。
実験室に帰るなり俊夫君は、すぐさま大村夫人から借りてきた写真の複写に取りかかりました。帰宅したのは十時すぎでして、汽車の旅行はかなりに疲れるものでありますから私は今晩はすぐに寝て、休養したらよいだろうと勧めましたけれども、俊夫君はけっして聞きません。かれこれ三時近くまで働いていたと思いますが、私は先へ失敬してしまったから俊夫君の寝に就いた時間を知りませんでした。
あくる朝、目覚めてみると俊夫君もほとんど同時に目を覚まして、いたって元気な様子をしておりました。
「兄さん、顔を洗う前にゆうべ僕の複写した写真を見せてあげよう」
こう言って私をうながしながら実験室に入り、六枚の手札形の写真を示しました。三人の男がそれぞれ正面と横顔とに撮れておりました。一人は大村氏、一人は石川氏でありますが、他の一人は誰だか分かりません。頭は丸刈りで頬骨が出っぱって、髭も何も無い人相の悪い男です。
「これは誰だい」
と私はその見知らぬ男を指さして言いました。俊夫君は笑って、
「分からんかね。やはり石川氏だよ。髭をとって頭を丸刈りにしてみただけさ」
いつもながら俊夫君の技巧には感心するのですが、髭をとって頭を丸刈りにすることによって、こうも人相が変わるものかと、不思議に思いました。
「見たまえ」
と俊夫君が言いました。
「写真の正面図から横顔を描くのはかなりに骨が折れるけれども、これは練習すれば比較的容易にできることだよ。やはり片眼の観察でやるんだが、筆で描いてあるけれど、書いてから写真に撮ると、ちょっと写真に見まがうようにできるよ。
人間の顔の特徴というものは、正面から見るよりも横から見た方がはっきり分かるよ。親子兄弟の中で、正面から見て似ていない顔でも、横顔を見るとその輪廓がよく似ているものだよ。この石川氏の写真でもそうだが、丸刈りにして髭をとると、正面から見た顔はかなり違っているけれど、側面から見ると、余程よく似ているだろう」
なるほど、そう言われればそのとおりです。
「何のために態々これを作ったのか」
「それは今にH軒へ行けば分かることだよ。さあ早く食事を済まして、女給の寝込みを襲おうではないか」
私たちはやがて自動車に乗ってH軒へ駆けつけました。果たして例の女給は眼を擦りながら、我々を迎えました。俊夫君は彼女を片隅へ呼んでまず大村氏の写真を、横顔と正面の顔と二枚とも差しだしました。
「この人に見覚えはありませんか」
女給は二枚の写真を、代わる代わる見つめておりましたが、静かに首を振りました。
「こんな人、一度も見たことがありません」
そこで俊夫君は、髭の生えている石川氏の写真を出して、正面の顔と横顔とを、女給の前へ突きつけました。が、やはり静かに首を振りました。そこで俊夫君は、
「ではこの人は?」
と言って、髭をとり、丸刈りにさせた写真を示しました。
すると女給の顔にはにわかに緊張の色が現れました。彼女はその横顔の方を手に取りあげ得意そうに叫びました。
「この方です。殺された方と一緒に食事をなさったのはこの人です」
H軒の女給の言葉によって、殺された男と先夜一緒に食事した相手が、大村歯科医の家にいたことのある石川五郎という、性質のあまり善良でない男だと分かった時、俊夫君がいかに喜んだかは、読者諸君にも想像されることと思います。
名古屋の大村医師の家族を訪ねて、殺された男が大村氏の知己なる稲村勝之と分かった時の喜びよりも、はるかに喜びの程度は大きいのでした。
それもそのはずです、石川五郎が被害者とその夜十一時半頃まで一緒に食事をして、それから三十分内外のうちに凶行が演ぜられたというのですから、石川五郎が稲村を殺した最も有力な嫌疑者でなければならぬからです。
この上はただ石川五郎の行方さえ確かめればよく、しかも俊夫君が修正して作った写真があるのであるから、それを焼き増しさせて刑事を八方に走らせて探せば、とにもかくにも犯人の手掛かりが得られることになるわけです。
H軒を飛びだすなり俊夫君は、私を引っ張るようにして、ちょうどそのとき通りかかったタクシーの空車を拾い、まっしぐらに警視庁さして急がせました。常になく俊夫君は、そわそわとして始めのうちは私が話しかけても、相手にしませんでしたが、やがて突然、
「ああ分かったよ」
と叫びました。
「ええ、何が?」
と私はいささか面食らって訪ねました。
「何がッて、犯人がよ」
「だって犯人はもう石川五郎に決まっているじゃないか」
「石川五郎ッて、どこにもいないよ」
私は驚いて言いました。
「それでは犯人はその写真の男ではないのか」
「むろん写真の男さ、けれどももう石川五郎とは名乗っていないのだ、だから僕はこの男が今どんな姿をして、どこにいるかを推定したのさ」
私はむらむらと湧きいずる好奇心を押さえつけることができませんでした。
「本当か、どこにいるんだ、何をしているんだ」
「考えてごらんよ」
と俊夫君は、意地悪くもすぐには聞かせてくれないのです。
私は自動車に揺られながら、この間から経験した事実をいちいち記憶に浮かべて、考えあわせてみましたが、もとより犯人がいかなる場所に、いかなる姿をしているかは、さっぱり分かりませんでした。俊夫君と同じ物を見、同じことを聞きながら、まったく雲を掴むごとき混乱に陥るだけでありました。
「僕にはとうてい分からない、そんなにじらさないで教えてくれたまえ」
と私は降参の弱音をはきました。俊夫君はにやりと笑いながら、
「話すよ、だが残念ながらもう警視庁へ着いた」
こう言って、ちょうどそのとき止まったタクシーのドアーを開けて、ゴム毬のように俊夫君は飛びだしました。
小田刑事は例のごとく、にこにこして私たちを迎え、やがて三人は応接室で対座しました。
「どうだったね」
と小田刑事は、待ちかねたように聞きました。
すると俊夫君は、私たちの獲物の多かった今までの経過を話さないで、かえって小田さんに向かって、死体の発見された東泉寺の住職と寺男の身元調査の結果を尋ねました。
「東泉寺ばかりでなく、その両脇の法光寺と福念寺もできるだけ詳しく検べてみたよ」と小田さんは語りはじめました。
「もっとも福念寺の住職は、ここ一週間ばかり熱病で寝ているということで、寺男がまたすこぶるぼんやりした老人だから、要領を得なかったが、あとの二ヶ寺の住職と寺男の身元は比較的はっきり分かったよ。
三ヶ寺とも同じような構造で、境目は崩れかけた土塀にすぎないが、不思議にも住職同士も、また寺男たちもあんまり交際はしないで、ただ時々ちらりと顔を見るくらいのもので、よその寺の住職や寺男の身元は誰も知らない有様だった。
けれども本人たちに会って検べたところによると、東泉寺の住職も法光寺の住職も、あるいはその寺男たちも皆はっきりした履歴を持っていて、これという怪しい点はないんだ。
それから福念寺の寺男も愚鈍な老人ではあるが、身元だけははっきりしているんだ。この上はただ福念寺の住職の身元調査が残っているけれども、熱がひいたら会うという話で、刑事はそのまま帰ってきたんだ。なおここに詳しい答申書があるからこれを読んでみてくれたまえ」
こう言って小田刑事が、ポケットから取りだして差し付けた答申書を、俊夫君は数分の間熱心に読み、読み終わるなりじっと考えていましたが、
「ありがとうございました、これで僕の推定がいっそう確かになりました。もう犯人は袋の鼠も同様です」
小田刑事は驚いて、俊夫君の顔を見ました。
「え? それでは被害者の身元が分かったのかね」
「被害者の身元ばかりでなく、殺害の行われた夜、H軒で被害者と一緒に食事をした男も分かりました。これがその男の写真です」
こう言って俊夫君は、石川五郎の写真を小田刑事の前にならべました。
はじめ小田刑事は、狐に誑かされたような顔をして、しばらくの間、俊夫君をじっと眺めていましたが、
「君、本当か、素晴らしい功績をたてたものだねえ。どうして一体この写真が手に入ったのだ」
そこで俊夫君は、名古屋の大村未亡人に会って、被害者の稲村勝之という雑誌記者で、その当時大村氏としきりに交際して、震災当日には二人でどこかへ出かけたまま帰ってこなかったこと、それから大村方では震災少し以前に石川五郎という代診を解雇したこと、その石川五郎の写真を見せられて、その顔が犯罪者型をしているので、特に修正の写真を作って、もしやこの事件に関係はないかと思って、H軒の女給に見せると、果たしてそれが被害者と一緒に食事をとった男であると分かったこと、などなどを俊夫君は順序よく話しました。
その間小田さんは、驚嘆の表情を浮かべて、聞いておりましたが、
「それで君はやはり犯人が、この石川五郎だと思うのだね」
俊夫君が返事する前に私が口を出しました。
「そればかりか俊夫君は、今この男がどこにいるかということまで知っているのです。さっきここへ来る自動車の中で、僕は考えさせられたのですが、さっぱり見当がつきません」
「ふむ」
と小田刑事も腕を組んで考えはじめました。
「今まで俊夫君が話した材料だけでは、僕にも少しも判断がつかない、それとも俊夫君は何か別の証拠でも発見したのかね」
「いいえ」
俊夫君はきっぱり否定しました。
「推定したんです、今までの材料から推定しただけです」
「はて」
と小田さんは首をかしげました。
「なおさらむずかしいことだね、僕にはとても今までの材料で推定を行うことはできない。是非ここで聞かせてくれたまえ」
俊夫君はしばらくの間、思い迷っているようでしたが、
「そうですね、しかしみな話してしまっては興味がないから、こういう事件について行うべき推定の原理だけを話しましょう」
「原理とは」
「蓋然の法則です」
あまりに突飛な言葉に小田さんも私もしばらく、意味を捕捉するに苦しみました。と、この姿を見てとった俊夫君は、次のように語りました。
「蓋然の法則とは、例を挙げて言いますなら、たとえばここに幾人かの人がある。その人たちの身長を計算してみると、中等度の身長を有する人がいちばん多く、極端に長い人、および極端に短い人はその数が最も少ないのであります。
それからまた貝殻を幾個か投げてみますと、それがみな仰向く場合と、みな伏さる場合は最も少なく、約半分仰向き、約半分伏さる場合、あるいはそれに近い比例の場合が最も数が多いのであります。
ですから生物学上の問題などを判断する場合にも、この法則を頭に置いて研究するとすこぶる便利なのであります。
犯罪の場合でもやはりこの蓋然の法則に従うのです。世の中に行われる犯罪者は、みな大抵はその形式を同じゅうしているものであります。すなわち、ごくありふれた犯罪がいちばん多いのです。犯罪者の知恵というものは、たいてい決まっております。
非常に優れた犯罪者というものは、めったにあるものじゃありません。だから犯罪探偵の場合には、やはり蓋然の法則に従って、ふつう犯罪者の考えそうなことを考え、それによって証拠に照らしあわせながら探偵の歩を進めてゆけばよいのです。
僕自身も平素なるべく奇抜な事件に出会いたいと祈っているのですけれど、難事件と称せられるものも、ただ証拠が順序よく手に入らないだけで、それがために、折角の証拠が間違った推定の材料となるのにすぎないのです。そうして解決されてみれば、きわめて平凡な犯罪にすぎません。
かえって、見たところ平凡な事件だと思われるものが、どうしてなかなか困難きわまるものであるというのが、これまでの例になっています。
さて今度の事件です。僕ははじめて死体を見た時から、これはよほどの難事件だと思いました。そうして死体の着物を奪って、その身元を知れないように、工夫した点からかなりに頭の働く人間の仕業であると思いました。そうして被害者と食事をした男が、犯罪者型の顔をしていることを知って、この男がその犯人であると考えてもよいと思いました。
してみると、この事件を解決するには、この男が出しそうな知恵を考えて解決すればよいと思ったのです。これがつまり蓋然の法則の応用なのです。しからばこの男は、殺害の際、どんなことを考えるであろうか。殺害の動機はおそらく大村氏を中心として考えて、稲村が石川を脅迫したのではないかと思われます。
そうして石川は稲村を殺そうと決心したのですが、夜の十二時近くに、寂しい方面に進んでゆくということは、相手に気づかれやすいから、殺害が墓地で行われたものとすると、稲村はまったく自然にそこまで歩いてきたと考えるより他ありません。
しかも十一時半から十二時までの短い時間に殺されたとすると、死体が他所から運ばれたとは考えられませんから、どうしてもあの墓地で演ぜられたに違いありません。そうするとあの寂しい墓地の中へ入りこむさえ、おそらく被害者は何の不自然なく入ったに違いありません。
しからばそれはどういうことを意味するでありましょうか。すなわち稲村自身がそこに住まっているか、または石川五郎がそこに住まっているのでなくてはなりません。ところが凶行の演ぜられた東泉寺には、住職と寺男以外に誰も住まっていません。
そこで僕は考えたのです。そうして考えてゆくにつれて、はじめて死体を臨検した時のことを思い出したのです。三ヶ寺とも同じ形をして、同じような境内と、同じような墓地の格好をしている点に気づいたのです。そうしてそこに、この犯人の知恵が働いていることを察したのです。
で、僕は自動車の中で、兄さんに向かって、犯人が分かったと叫んだのです。そうして今Pのおじさんからこの答申書をかりて読んで、いよいよ僕の推定を確かめたのです」
ここまで語って俊夫君はほっと一息つきました。
「やッ、なるほどそうか、ぐずぐずしてはおれぬ」
こう言って小田刑事が立ちあがりました。皆さん、犯人は誰でしょうか。
俊夫君に犯人の推定の径路を聞くなり、さすがに小田刑事は察しがついたと見えて、
「ぐずぐずしてはいられない」
と言いながら立ちあがりましたが、私には何が何だかさっぱり分かりませんでした。
俊夫君の説明した「蓋然の法則」の意義はどうにかこうにか了解することができましたけれど、なおまたその蓋然の法則を応用して現在の事件を解釈しようとする考えにもうなずくことができましたけれど、さて犯人がどこにいるのかさっぱり見当がつきませんでした。
俊夫君の言うところによると、犯人は石川五郎であるが、今は石川五郎とは名乗っていない、殺害の行われた場所が寺院の墓地という寂しい場所であるから、犯人が被害者の稲村をわざわざそこへ連れだしていっては感づかれるから、二人はきわめて自然に東泉寺の墓地へはいったに違いない、と言うのですが、そうすれば石川五郎か稲村勝之かが東泉寺に住んでいなくてはならぬはずです。
けれども東泉寺には住職と寺男としかいないので、犯人石川が住職か寺男かに変装していたとも考えられませんから、私はすっかり判断に迷ったのです。
もし、ゆっくり私に考える余裕が与えられたならば、私といえども立派に判断がついたに違いありません。事件の解決された今から見れば、判断のつかなかったのが不思議なくらい簡単なことだったのです。
けれども、皆さんもご承知の「コロンブスの卵」と同じことで、解決のあとで考えれば至極簡単なことでも、解決前に考えることは容易なことではありません。読者諸君の大多数は、おそらくすでに俊夫君の説明を聞いて犯人を推定された人もありましょうが、中には私同様に今なお判断に迷っておられる人もあることと思います。
判断のつかぬ人はどうか今しばらく待っていてください。私は、筆を進めて、小田刑事が立ちあがられてから、どうされたかを書かねばなりません。
小田刑事が立ちあがるなり、扉を押して、あたふた出てゆかれましたが、およそ五分ほど過ぎると再び戻ってこられました。
「腕利きの警官を四人連れてゆくことにした。さあ一緒に出かけよう」
こう言って私たちを促されました。私はどこへ行くのか分かりませんでしたが、俊夫君はもとより予期していたことですから、喜び勇んで小田さんのあとからついてゆきました。私はどこへ行くのか俊夫君に尋ねようかとも思いましたが、
「まだ分からぬのか」
と言われるのも残念ですから、分かった風をして一緒に出かけました。
外には自動車が二台用意されてありました。俊夫君が小田さんに向かって何事をか囁くと、小田さんはうなずいて、警官たちを前の自動車に乗らしめ、何事か訓令を与えました。すると警官たちの乗った自動車はただちに走りだしました。
それから私たち三人──小田さんと俊夫君と私──は後の自動車に乗りました。もうその頃には、前の自動車は横丁に曲がってしまいました。
私は自動車がどこへ行くのか好奇心をもって期待していましたが、着いた先はというと東泉寺の墓地です。してみればやっぱり「犯人は東泉寺にいるのかな」と私は考えました。
私たちが、墓地へ入りこむと、寺男の辰平爺さんが見つけて近寄ってきました。続いて住職が走りだしてきました。私は寺男か住職かどちらかが石川五郎の写真に似てはいないかと、二人の顔を代わる代わるじっと見つめましたが、少しも似寄ったところはありませんでした。
住職はにこにこして小田さんに尋ねました。
「いかがでございます。犯人は分かりましたか」
小田さんは先刻からあたりを見まわしていて、落ちつかぬ様子をしていました。私たちより先に出発した警官たちの自動車を待ってでもいるのか、住職に尋ねられても、
「いや……まだ」
と浮かぬ返事をしたきりでありました。
このとき俊夫君は住職に向かって言いました。
「この三ヶ寺はまったく同じ建物でありながら、住職同士はあまり交際なさらぬそうですねえ」
すると住職は心もち顔をあからめて言いました。
「仏に仕える身でありますから、お互いに親しく交際したいと思いますが、どうしたわけか先方で交際をおきらいになりますので、強いてご交際を求めるのもどうかと思って遠慮しているのです」
「ではお隣の福念寺の住職とはご交際ありませぬか」
「交際どころかお顔もろくに見たことがございません」
「辰平さんは福念寺の住職の顔を知っていますか」
と、俊夫君は寺男に向かってききました。
「二三度見たことがあります」
ちょうどこの時、お隣の福念寺の寺男らしい老爺がその墓地を通って街の方へ歩いて行きました。
俊夫君は辰平爺さんに向かって、
「あれが福念寺の寺男ですか」
と、小声で尋ねました。
「そうです」
と、辰平爺さんは、きっぱり答えました。俊夫君は何思ったかポケットから石川五郎の写真を取りだして、辰平爺さんの前に差しだしました。
「この写真の顔に見覚えはありませんか」
爺さんは、横顔の写真をしばらく、じっと見つめておりましたが、急ににっこりしたかと思うと、
「この人ですよ。お隣の福念寺の住職は」
と叫びました。
私はその瞬間に、すべての謎を一時に了解しました。
と、その時です。ばらばらと福念寺の墓地に足音がして、先発自動車に乗ってきたはずの四人の警官が、息をはずませながら、境の土塀をとびこえて、小田さんのところへ駆けてきました。小田さんは尋ねました。
「どうした、捕らえたか」
「残念です」
と、一人の警官は答えました。
「私たちは感づかれないように、ずっとむこうの街で自動車を乗り捨てて、表門からひそかに福念寺の境内にしのびこみ、それから寝室へ近寄りましたところ、意外にも寝床の中には住職はいないで、寺男らしい爺さんが、しかも首に手拭いをまかれて絞殺されて横たわっておりました」
「なに? 絞殺されて?」
「それから、私たちは、庫裡や本堂の各部屋を捜しましたが、どこもかも森閑として、鼠一匹おりませんでした。犯人は寺男を絞殺して逃げたものと見えます」
この時、俊夫君は叫びました。
「それでは、いま出ていった寺男が求める犯人です、まだ、遠くへは行っておりません。早く自動車に乗って追っかけましょう」
俊夫君を先頭とした、私たち七人は、鮨詰めになって自動車に乗り、寺男のあとを追っかけました。寺男ははるか向こうをまっすぐに進んでいきましたが、ふと、あとを振り向くなり、私たちを認めたと見え、突然、横丁に曲がりました。
自動車は全速力を出して、その横町の曲がり角へ来ましたが、それは四尺ほどの小道で、もとより自動車は通り得ません。やむなく一同は飛び降りて、寺男のあとを追っかけましたが、さてどこへ行ったかさっぱり見当がつきません。
両側には植え込みを持った家が数軒ならんでいて、もしこの家のどれかに逃げこんだとすると、すこぶる捜索が厄介です。小田さんはしきりに気をもみはじめました。
やがて私たちが四辻のところへ来ると、右の方から、金縁の色眼鏡をかけて洋服を着た紳士が静かに歩いてきました。
小田さんは帽子に手をかけて、
「もしや今、この辺で老人にお逢いになりませんでしたか」
と、慇懃に尋ねました。
「逢いましたよ」
紳士は落ちつきはらって答えました。
「その老人なら、あのむこうから二軒目の家へ入っていきました」
「それッ!」と言ってみんなが出かけようとするのを、俊夫君は手をもって制しながら、紳士に向かって言いました。
「石川五郎さん! 今はもうあなたの運のつきですよ」
パッと身をかわして、紳士は走りだしました。はげしい追跡、次いで格闘、紳士は数分の後、手錠をかけられ神妙に控えながら、小田さんに引っぱられて自動車にのせられ、警視庁へ運ばれました。
皆さん!
かくてこの面倒な事件は解決したのであります。
石川五郎すなわち福念寺の住職の白状したところによると、彼は大村歯科医の家に厄介になっておりましたが、道ならぬことをしようとしたため、大村氏の家を追いだされ、それを深く恨んでいたのであります。
稲村勝之とは大村氏の家にいる時分から懇意にしていたのでありますが、稲村が腹の黒い人間であることを知って、二人で大村氏から大金を詐取しようと計画しました。そこで稲村は大村氏にある土地を周旋することになり、大正十二年九月一日の朝、登記を済ますのだといって大村氏を誘いだしました。
もとより、それは出鱈目であって、大村氏が持参した大金を奪い取るのが目的でありました。そこで稲村は大村氏と連れ立ってちょっと友達の家によると言ってある家に入りましたが、そこにはかねて石川が待っていて、たちまち協力して大村氏を殺し、死体をその家にかくして、金を二分して、そのまま石川と稲村とは別れてしまいました。
ところが幸か不幸かあの大震火災が起こって大村氏の死体が焼けてしまい、彼らの罪の跡はなくなってしまいました。
石川はそれから諸方を流浪しましたが、悪銭身につかず、間もなく零落して暮らしているうち、運よくも福念寺の住職に住みこみました。そのまま暮らしていけばよかったのですが、天は長く悪人の存在を許しません。
先日とつぜん稲村勝之が寺へ訪ねてきたのであります。稲村も諸方を流浪して非常に貧乏になっていたのですが、どうして捜しだしたものか石川のありかを知り、会うなりお金を貸してくれと言いだしました。
もとより他人に貸すほどのお金はありませんから、円滑に拒絶しようとすると、稲村は大村歯科医殺しを種にして強請しはじめました。そのとき石川は稲村を殺そうと決心し、二人で西洋料理店H軒で食事をし、墓地の形が似ているところから隣の東泉寺の墓地へ連れこんで撲殺し、衣類や下駄を脱いで何食わぬ顔して戻ってきました。
ところが愚鈍だと思った寺男にそれを感づかれてしまったものですから、毒食らわば皿のつもりでさらに寺男をも絞殺し、寺男に変装して危ういところを逃げだしたのですが、俊夫君のためについに逮捕されてしまいました。寺を出る時すでに下には洋服を着ていたのですから、あのようにわずかの時間に紳士に変装することができたのであります。
いずれにしても今回の事件は、俊夫君が今までとり扱ったうち、最も面倒な事件でありました。
底本:「小酒井不木探偵小説選 〔論創ミステリ叢書8〕」論創社
2004(平成16)年7月25日初版第1刷発行
初出:「子供の科学 七巻一~六号」
1928(昭和3)年7~12月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年8月12日作成
2011年4月30日修正
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