雑文一束
平林初之輔
|
郵便をポストへ入れると、すぐにはたして郵便がポストの中へうまく落ちたかどうかが気になる。宛名を書き忘れていはしないかということが気になる。満足にポストの中へはいっており、宛名も正確に書いてあるとしても、それが雲煙万里を隔てた目的地へ間違いなく行きつく可能性は甚だ乏しいような気がする。西洋人はビジネスの手紙は二通ずつ出すということを聞いたが、二通出せばプロバビリティが二倍になるわけだからいくらか安心ができる勘定だ。しかし同時に二通出すよりも半日位間をおいて二通出す方がプロバビリティはより大きい。何となれば、同じ時に二通出せば同じ原因のために二通とも不着になるわけだからである。神経衰弱のひどい時分に、私もこういう経験をしたことがある。何しろ、その時は、沢山の手紙が間違いなく宛先へつくのが奇跡のように思われたものだ。
ブランキという人は、十九世紀の中葉にフランスの政府が悪魔のように恐れた猛烈な社会主義者であるが、この人がある牢獄に監禁されていた時に考え出した宇宙観がある。それは宇宙間にある星はすべて地球と同じで、宇宙間には無限の地球があり、したがって無数のヨーロッパがあり、無数のフランスがあり、無数のブランキがあって、その無数のブランキがいま自分と同じように牢獄の中で自分と同じことを考えているのであるというのだ。私などは人間の中では相当ラジカルな機械論者であるが、それでも、時によると、人間は死ぬ刹那に意識が、それと同時に生まれる他の生物の頭の中へ飛びうつるのではなかろうか、という考えを抱く。輪廻転生説がどこの原始民族にも信じられたのは、理由のあることだ。
犯罪は必ず発覚するとか探偵はいくたび過誤をおかしてもよいが犯人のただ一つのミステークはフェータル〔致命的な〕だとかいうことを刑法学者や警察当局などがよくいうが、そんな馬鹿なことはないと私は思う。犯人がどれだけミステークをやり、警官の前に証拠をばらまいておいたって、探偵のたった一つのミステークで「迷宮」に入る場合だってあるに相違ない。前の言は、警察の刑事政策上からきた宣伝と警察の自惚れと、刑事学者の驚くべき学問過信とからきたもののようである。
病気の話をきくと、すぐに自分がその病気になりそうな気がする。胃癌とか、中風とかいう病気のことをきくと、もう免れっこはないように思う。火事のある時分には──一年中東京には火事があるから一年中、したがって一生そうであるわけだが──外出していると急に火事が心配になることがある。
私は師範学校にいた頃、六円の小為替(その時分は三円ずつ二枚になっていた)を一級下の生徒に盗まれたことがある。はじめはまるで見当もつかず、その男は私と話したこともない人間だったので困ったが、私は舎監にも届け出ず、ひとりでとうとう犯人を見つけて白状さしたことがある。この舎監に届け出なかったということは、私のこの世でなした善行の筆頭に位するものである。なぜなら、この小さな盗みが公にされてから犯人がわかったら、その男は、鉄拳と冷水とで半殺しの制裁を仲間から受け、その上で退校させられて一生を棒にふるからだ。例の男はいまだに無事に小学校の先生をしているだろうと思うとちょっと愉快である。
底本:「平林初之輔探偵小説選2〔論創ミステリ叢書2〕」論創社
2003(平成15)年11月10日初版第1刷発行
初出:「探偵趣味 第二年第四号」
1926(大正15)年4月号
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年12月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。