江戸川乱歩
平林初之輔
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御大典の当時、全国の警察が警戒網を布いて、怪しい挙動風体の者はいちいち検挙拘引していた頃のこと、伊勢の方面へ旅行中であった、江戸川乱歩が突如その筋の取り調べを受けたということである。というのは彼は、昼間のうちは寝ていて、夜になるとうろうろ歩きまわるので挙動不審だというので宿の者が警察へそっと密告したためだったそうである。東京でも浅草公園で夜を明かしたりすることは珍しくないということだ。『一寸法師』などはその所産だが、必ずしも、『一寸法師』を書くためにではなく、そうした情景が彼には気に入るらしい。
早稲田の政治経済部を出てから二十幾つかの職業をやってきたと称する彼は、何よりも苦労人である。あの怪奇小説の作家で、どんな風貌をしており、どんな生活をしているかと好奇心をもって会いにゆく人は、「案外平凡な人ですね」と言って大抵あてがはずれたような顔をして帰ってくる。実際、彼はペンをもつよりも、角帯でもしめて、帳場の前に座っているにふさわしい風貌の持ち主である。若旦那と言いたいが、あの頭の毛の薄さでは、若の字だけはとらねばなるまい。
彼はいつも、眠そうな、退屈そうな表情をしている。感激というようなものは、生まれる時に母親の腹の中に忘れてきたような顔をしている、それでいて非常に熱心で、現代には稀に見る情熱家で、凝り性であるらしい。
人間は、どちらかといえば上方人通有の俗っぽい方で、案外、野心もあれば、稚気もあり、功名心ももっているようだ。一頃は探偵小説家と言われるのを肩身を狭く思って、芸術小説の方へ進もうと志望していたらしい。探偵作家として特殊扱いにされるのが、芸術家としての沽券に関するとでも思ったのだろう。そんなことをそうとう気にする男である。だが、下っ端の大衆作家に見るような下素っぽいところは微塵もない。俗臭を帯びながらどこか仙骨を帯びてもいる。ちょっと矛盾した性格の人間である。
彼の作品は初期のものは大部分愛読したものだが、近頃では、私自身探偵小説にあきてきたせいもあって、めったに読まない。しかし、出来不出来は免れないにしても、彼は一作ごとに何程かの進歩を見せざればやまないような人間だから、近頃の彼の作は立派なものだろうと思う。
彼の想像力は、ポーに似ていると言われている。しかし彼の作にはポーの作に見るような鬼気のせまるものはない。これは彼のスタイルのせいだ。ポーのスタイルには通俗的要素は微塵もないが、乱歩のスタイルは多分に通俗的で、時によると芸人風にすらなる。これは現代のジャーナリズムが彼をそうさせたにもよるが、彼は一面において、融通自在な迎合性をもっているせいである。これは芸術家としての、特に大衆作家としての彼の強味でもあると同時に、彼の作品に神韻ともいうべき風格を欠如させている理由でもある。
彼の文章は救い難く古い。感覚的な描写はほとんどなく、すべての甘味は(もしありとすれば)ナラティブ〔物語、話術〕の甘味である。話術の巧みさである。これも、大衆文学の要請が彼をそうさせたにもよるだろう。
彼のインタレストは常に、退廃的なもの、病的なもの、グロテスクなものに向かっている。健康なもの、進歩的なもの、溌剌たるものは彼の芸術の世界から拒否されている。そこに彼の特異性があると同時に、彼の作品の大衆性の限度がある。
が何と言っても日本の探偵小説、アブノーマル・リテラチュアの中で彼はだんぜん群を抜いている。
底本:「平林初之輔探偵小説選2〔論創ミステリ叢書2〕」論創社
2003(平成15)年11月10日初版第1刷発行
初出:「新潮 第二七年第一号」
1930(昭和5)年1月号
入力:川山隆
校正:門田裕志
2010年10月28日作成
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