室生さんへの手紙
堀辰雄
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御高著「室生犀星詩集」(第一書房版)をお送り下さつて有難うございました。
私はいまこの雜誌からあなたに宛てた手紙の形式で何かあなたのことを書けと云はれ、丁度改造社版の「新選室生犀星集」を讀んでゐたところなので、あなたのさまざまな時代の作品のことを考へるには、最も適當な機会を得た譯であります。
吉村鐡太郎君が「文學」の二月號に「室生犀星論」を書いてゐますが、もうお讀みになりましたか。もしまだお讀みにならなかつたなら暗示的ないい論文ですから、是非お讀み下さい。吉村君は、その中で藝術家の變化といふことを問題にしてゐるのです。藝術家の變化には二通りあつて、その一つは自然成長によるものであり、他は轉換によるものであるとして、前者の好箇の一例として室生さんを、後者のそれとしては片岡鐡兵を擧げてゐるのです。そして前號で片岡さんを論じたので、今度は室生さん論をやつてゐるのです。吉村君は結論として、
「これは質的な變化である。かつて犀星氏は「憂愁が美の中に疼いてゐる」ことを歌つた。……今はさうではない。却つて氏は「美が憂愁の中に疼いてゐる」ことを知つた。さうしてその痛みを感じようとするのである。」
さう言つてゐるのです。これはいい批評であると思ひます。そして私はこれについては、一言もつけ加へる必要がありません。ただそれを私の言葉に飜譯することを許して貰ふならば、それは「詩のヴェイルを通して人生を見る」ことから「人生のなかへ詩を象篏する」ことへの變化だつたといふことになります。しかしそれは單にあなた一人における變化だつた許りではなしに、昨日から今日へかけての詩壇全體の推移でありました。廣い意味で、そこにマラルメからコクトオへの推移があつたと言つてもよいのです。あなたと一しよに出發した詩人らがほとんど全部落伍してしまつてゐる今日、あなた一人だけがなほ立派な仕事をしてゐられるのは、(去年出した詩集「鶴」のすばらしさ!)あなたがそのやうな變化をきはめて自然に行つたからであると思ひます。
しかし變化のあつたのは、詩ばかりではありません。あなたの小説も、──ことにそのスタイルの上には驚くべき變化が見られます。初期のスタイルは、豐富な實感に比較してやや語彙の不足だつたため、恰も舌足らずのやうな感じを與へるものでした。それは普通の散文といふよりも、もつと實感に近いものでした。それは何となく子供の表現に似てゐて、實に思ひもよらぬ新鮮なものでした。その當時、佐藤春夫氏があなたの作品をアンリ・ルッソオの作品に比較しましたのも、さういふところからではなかつたでせうか。
ところが最近のスタイルになりますと、それが急激な變化をしたことを知ります。かつては言葉からはみ出してゐたところの實感が、すつかり言葉の中に壓縮されてしまひました。そこにあなたの古典的にならうとする傾向を發見したいものは勝手に發見するがいいです。ただ、そのやうな傾向があなたにとつて良いものであるか否か、それはかかる場合、問題にすべきではありません。それはあなたの意識的の努力から生れたと言ふよりも、自然に成長したものであるからです。ただその成長の仕方は、誰にもその自然の成長であることを疑はせた位に、急激なものでした。しかしその變化はいま、吉村鐡太郎君によつてわれわれの眼にはつきりと、スロオモオションで映し出されました。
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以上のことは、吉村君の意見を私流に考へ直して見たに過ぎません。ところで私の言ひたいことは、そのもう一つ先きにあります。それはあなたの作品の中で割合に變化しなかつた部分──主として小説の構成法に就てです。勿論、これも單にあなたの小説の構成についてのみならず、あなたのそれをあなたのスタイルほどには變化させなかつたところの今日の文壇全體の構成に關する怠慢の問題となり得ます。が、何だか大げさな議論になつて行きさうですから、簡單に言つてしまひますと、あなたの小説の最も成功してゐるのは、構成上から見るとき、詩的な小説としてであります。あなたが最近「死と彼女ら」其他によつてレアリスムの小説を書かうとしてゐることは私に理解できます。だが、それらの小説も、また本當の意味でレアリスムの小説にまで到達してゐないと思ひます。といふのは、あなたの小説は、殆んどすべて、いくつかの心理的風景から構成されてゐると言つてよいかと思ひます。そしてそれぞれの心理的風景はいづれも、或は地味なくすんだタッチで、或は殘酷なくらゐ生ま生ましいタッチで、描かれて居ります。のみならず、それらのさまざまな心理的風景は、數箇のダンゴが一本の串に刺されてゐるやうに、一本の感情によつて貫かれて居ります。(丁度詩においてあらゆる行が一本の感情によつて貫かれてゐなければならぬやうに。)しかしそれはまだ詩的な構成に過ぎません。そしてレアリストの構成とは言へないと思ひます。あなたの作品の中で比較的長いものが失敗してゐるのは、さういふ構成上の缺陷にそのすべてを歸することは出來ないでせうか。本當のレアリスムに達するためには、人間の心理を、風景畫家としてではなしに、一個の心理學者として取扱ふことが必要であると思ひます。私はここでニイチェの「ドストエフスキイは私が彼から學ぶところのあつた唯一人の心理學者だつた」といふ言葉や、ラジィゲの「小説はロマネスクな心理學だ」といふ言葉にアンダアラインしたいと思ひます。
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私はすこし角度を換へて見ませう。いままで小説の構成の仕方ばかり見てきましたから、今度は構成の結果を見てみませう。そのために、私はあなたの「死と彼女ら」を例に取ります。この中に描かれてゐる人物ら──一人の死にかかつてゐる男とそれをめぐる二人の女の心理解剖は、あなた一流のきびしさをもつて十分に掘り下げられてゐて、それを讀みながら胸の痛くなるやうな思ひがしました。が、讀み終つてそれから離れると、その胸の痛みが何時のまにか薄らぎ、そして尾を引きながら消えて行くのを、私はどうすることも出來ませんでした。といふのは、私の胸を痛ませたものは、悲劇それ自身ではなしに、悲劇の影でしかないからであります。影だから、それは我々の胸の深くまで落ちて來ることは出來るが、そこに何時までも落ちついてゐることは出來ないのです。この作品は芥川龍之介の「玄鶴山房」といろいろの點で非常に似てゐると思ひますが、そして「玄鶴山房」から此べるとこの作品の心理解剖の方が部分的にはずつと深くへ行つてゐると思ひますが、それにも拘らず「玄鶴山房」を讀んだときの胸の痛みの方が私にはずつと長く殘りました。これはどういふ譯だろうかと考へて見たのですが、それはつまり、「玄鶴山房」に描かれてゐるのは悲劇の影だけではないのです。そこには陰影ではなしに、悲劇それ自身があるのです。だから、あの褌で首をくくらうとまでする老人の心理は、私の心の底に落ちて來るだけではなしに、そこでまた新しい現實となつて生き始めることが出來るのです。そこに眞のレアリスムがあるのではないでせうか。
ところで、あなたの方法がさういふレアリスムとして缺陷を持つてゐるのは、一つはあなたの方法が映畫の方法からあまりに多くのものを借りてゐるからではないかと思ひます。私は芥川さんの「玄鶴山房」の細部にセザンヌの繪を認めたと同じ程度に、あなたの小説の全體のテンポ、一場面から他の場面への轉囘の仕方、俳優の顏を大寫しにするやうなところどころの心理描寫、等の中に映畫的なよさを認めました。しかしカメラは、いかに努力しても、現實の陰影をしか捕へることが出來ないものです。それがどんなによい映畫であつても、全體としてはすぐ忘れられて、そして我々の記憶にはその細部だけしか殘らないといふ事實が、それを證明します。だから、我々が映畫から影響を受けることは各自の勝手ですが、ただその場合、我々は映畫のすべての終つたところから小説を書き出さなければなりません。つまり映畫の影響を受けることによつて、あらゆる映畫的要素を我々の小説からことごとく除去しなければならないのです。寫眞といふものが發明されて以來、繪畫は實物らしさに近づくことの危險から救はれました。そこに現代の最もよい繪畫──マチスやピカソの繪があります。今度は我々は、小説からあらゆる外面的なもの(例へば筋とか動作とか風景など)を除去するために出來るだけ映畫を役立たせなければなりません。その時、又そこに最も純粹な小説が生れるに、違ひありません。
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大分あなたのスタイルや構成ばかりについて書きましたが、勿論、さういふものだけがあなたの作品の重要な部分ではないでせう。それら二つのものをあなたの作品から除いてしまつても(それらを除いてしまふと、あとには何も殘らないやうな作品がいかに今日多くあることよ!)、そこには地平線のやうに、あなたの蒼茫とした精神が殘つて居ります。そしてそれこそがあなたの作品の中で、最も私を感動させてしまふものであります。しかしその中では私をして私の感動に身を任さしめよ。私はそれをば科學者のやうに分析することを好みませぬ。ただ私の何とはなしに感じてゐることを言つて見ますと、あなたの精神が私をこんなにも感動させるのは、その精神が非常に烈しい野蠻なものであると同時にそれが非常に柔かな平靜なものであるためのやうです。ドストエフスキイの中の或物がジィドの所謂「天園と地獄との結婚」によつて我々を打つやうに、それが我々をば打つてくるのです。それについて私は或る一つの發見をしたのですが、あなたの精神が野性を帶びて起き上るのはいつもあなたの外側に向つてであり、あなたの内側に向つてはそれはかならず平靜な働きをするのです。私はあなたくらゐ絶えず自分の外側において野蠻な不安を感じてゐる人を知りませんし、同時にまた、あなたくらゐ自分の内側においていささかの不安も持つてゐない人を知りません。その點、あなたは萩原朔太郎と非常に相違して居ります。萩原さんは自分の外側には割合に呑氣であるのに反し、自分の内側にはいつもはげしい不安を、天使ととり組んだヤコブのやうな格鬪を、感じてゐる人であります。その點、萩原さんはあなたよりもずつと近代的であるかも知れません。さうして萩原さんにはあなたの平靜な部分が氣に入らぬかも知れません。芥川さんもさういふ萩原さんと同じ位に、自分の内側に絶えずはげしい不安を抱いてゐた人ですが、しかし芥川さんはあなたの平靜さを十分に理解しそれを愛してゐたやうであります。いつか芥川さんが、「室生君は幸福だ」と言つたとき、あなたはその言葉に芥川さんの輕蔑しか感じなかつたやうですが、芥川さんはさういふ意味で言つたのではなく、自分が神から與へられたものだけではどうしても滿足できずに苦しんでゐるとき、あなたが神から與へられたものだけで滿足してゐる、いや諦め得てゐることを、痛切に羨望したのであらうと私は信じます。何故なら芥川さんの求めてやまなかつた平靜さは、あなたの生れながら少しも害はずに持つてゐたものでありますから、さういふあなたにとつては人生といふものが、芥川さんのやうに苦しむものではなく、ただ嘆くべきものであるのは、きはめて自然なことであります。私は、私の知つてゐる人々の中で、あなたこそ最も東洋的な精神の持主であると思ひます。
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私はいま此處まで來て、今さら氣のついたことですが。私はあんまりあなたの小説についてばかり書いてしまひました。しかしそれは何もあなたの詩が私の頭の中になかつたからではありません。それどころか、あなたの仕事の中では詩こそ──人があなたの小説の全部よりもあなたの詩のなかのどの一篇をも選ぶと言ふとき、それにうつかり贊成しかねないほど、──詩こそ私の最も愛するものであります。しかしあなたの詩は、私たちしか知らない靜かな場所に、もう少しそつとして置きたいと思ひます。「それに苔の生えるまで。どんな苔が生えるか。」
底本:「堀辰雄作品集第五卷」筑摩書房
1982(昭和57)年9月30日初版第1刷発行
底本の親本:「堀辰雄小品集・薔薇」角川書店
1951(昭和26)年6月15日刊
初出:「新潮 第二十七巻第三号」
1930(昭和5)年3月号
※初出時の表題は「室生犀星の小説と詩」。
入力:tatsuki
校正:岡村和彦
2013年1月17日作成
2013年11月13日修正
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