水のほとり
堀辰雄
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私はいま、こんな胸の病氣で、部屋の中に閉ぢ籠つたきり、殆ど外出することなんかないと言つていい位であるが、──いまから數週間前、まだ私の病氣もこんなに重くならなかつた頃のことだ、晝間のうちはそれでも我慢して寢床の中にもぐり込んでゐたが、夕方になるとなんだか耐らない氣持になつて、私は無理に起き上り、出來るだけ氣輕な散歩者のやうな服裝をして、何のあてもなしに街の中へ出かけて行く習慣があつたものだ。そして私は家を出ると、すぐ前の、今年になつて漸く出來上つた隅田公園のなかを通り拔けながら、或時は枕橋を渡つて、河岸に沿うたままビイル會社の横を拔けて吾妻橋の方へ出たり、また或時はそれと反對の方向に、新築中の牛島神社の裏を拔けて、言問橋の方へ出たりするのであつた。そして吾妻橋にせよ、或は言問橋にせよ、私はそれを渡りながら、ふとその中ほどに立止つて、それらの橋の下を、鈍く、くろぐろと流れてゐる大川に見入るやうなことがあつた。あたかも自分自身の心の状態を試して見るかのやうに。……そしてその時、もし私にアポリネエルのセエヌ河を歌つてゐる詩などがひよつくり思ひ浮ばうものなら、私はそれによつて自分の心の何となく晴れやかであるのを知ることが出來た……
L'amour s'en va comme cette eau courante
L'amour s'en va
Comme la vie est lente
Et comme ĺEspérance est violente
Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure
さういふ時はそれでよかつた……だが、大川の上にあかあかと冬のきびしい夕日が照り、それが濁つた水の色と映り合ひながら、そこに何とも言ひやうのない、凄じいばかりの色感を生じさせてゐる時などは、私はちよつとそれを見ただけでも、何だかぞつと惡寒がするやうな、耐らなく不快な重苦しい心持になつてしまふのだ。その時分は、私にはさういふ惡感が、私の足の下を物憂げに流れてゐる大川の、その赤いとも黒いともつかないやうな、濁つた色の不快さから來るものとしか感じられなかつたが、いまから思へば、それはそのせゐばかりではなく、その當時すでに私の中にこつそり潛在してゐた病熱の、あらゆる水といふ水を嫌惡する性質のためもあつたに違ひないのだ。……
そんな何となく不快なやうなときにしろ、或はまたアポリネエルの詩句などを我知らず口吟んでゐるほど氣の輕いときにしろ、私は橋の中ほどに佇みながら、ふと、ダダダダダといふ心臟を惡くするやうな音を聞き、そして夕靄の中を、昔から「一錢蒸氣」と呼ばれてゐる、古ぼけた蒸氣船が、それでも小さな波を蹴立てながら私のゐる方へ進んでくるのをぼんやりと目に入れてゐるうちに、私はどうかした具合で思はずドキツとするやうなことがあるのだ。すると同時に私は(これも私の熱の作用のせゐだつたのかしら?)ふしぎに茫漠とした、とりとめのない氣分に落ち込んでしまひ、私の視野のなかの現實の風景がずんずん暈けてゆき、そしてその上に二重にも三重にも重なり合ひながら、昨日の失はれた風景が思ひがけず立ち現はれてくるのだが、それは例へば、ビイル會社の近代的な冷たい感じのするコンクリイトの壁へいつか一めんに蔦のからんだ古い煉瓦の壁が侵入し、それを見る見る掩ふかと思ふと、いつか現在の芝生ばかりの公園にとつて代つてゐる震災前の樹木の多い水戸樣の屋敷の中から、その昔、人が「首縊りの木」と呼んでゐた、一本の氣味のわるい恰好をした老木がによつと浮び出てきて、夜などその木の傍を通るときは一目散に駈け出さずにはゐられなかつたやうな子供の時分の恐怖感までがまざまざと思ひ出されてくる、といつた風に。……
その間もたえず私の眼は、笹縁のやうに白い泡で縁どられた蒸氣船をぼんやり追つてゐるのだが、そのうちに私は再び先刻のやうなドキツとする氣持を經驗する。すると今度は、その瞬間まで私を取卷いてゐた昨日の風景の幻たちがたちまち消滅する番だ。そして私は再び自分自身を、いつのまにか悲しげな勞働者たちで一杯になりだしてゐる、夕方の橋の上に見出しながら、ただそれだけが今しがたの幻の中からそつくりそのまま殘つてゐるやうな古蒸氣船のうしろ姿を、あたかもそれがその幻のうしろ姿であるかのやうに、とりとめのない氣持で見送つてゐるのである。
それは冬の夕方なのだ。そして私の立つてゐる橋の上からは、北方の空一面に、いくすぢとなく工場の灰色の煙の流れるのが見え、そしてそれらの灰色がどれもみな遠近によつて異つてゐるやうに、これもまたそれぞれに高低の異つた諸工場のサイレンの音がどれからともなく一どきに鳴り出すのが、橋の上の喧騷を通して私の耳に入つてくる。さて、私はと言へば、それを機會にそれからすぐ明るい街の方へ行かうともしないで、ぢつと橋の欄干に倚りかかりながら、いつかまたアポリネエルの詩句などを口吟んだりしたものだ。
Passent les jours et passent les semaines
Ni temps passé
Ni les amours reviennent
Sous le pont Mirabeau coule la Seine
Vienne la nuit sonne l'heure
Les jours s'en vont je demeure
底本:「堀辰雄作品集 第四卷」筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日初版第一刷発行
初出:「時事新報」
1931(昭和6)年3月21日~22日夕刊
※初出時の表題は「本所(一)(二)」です。
入力:tatsuki
校正:植松健伍
2017年11月24日作成
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