魔のひととき
原民喜



  魔のひととき


尾花の白い幻や たれこめた靄が

もう 今にも滴り落ちさうな

冷えた涙のわきかへる わきかへる


この魔のひとときよ

とぼとぼと坂をくだり径をゆけば

人の世は声をひそめ


キラキラとゆらめく泉

笑まひ泣く あえかなる顔



  外食食堂のうた


毎日毎日が僕は旅人なのだらうか

驟雨のあがつた明るい窓の外の鋪道を

外食食堂のテーブルに凭れて 僕はうつとりと眺めてゐる


僕を容れてくれる軒が何処にもないとしても

かうしてテーブルに肘をついて憩つてゐる

昔、僕はかうした身すぎを想像だにしなかつた

明日、僕はいづこの巷に斃れるのか

今、ガラス窓のむかふに見える街路樹の明るさ



  讃歌


濠端の鋪道に散りこぼれる槐の花

都に夏の花は満ちあふれ心はうづくばかりに憧れる


まだ邂合したばかりなのに既に別離の悲歌をおもはねばならぬ私

「時」が私に悲しみを刻みつけてしまつてゐるから

おんみへの讃歌はもの静かにつづられる


おんみ最も美しい幻

きはみなき天をくぐりぬける一すぢの光

破滅に瀕せる地上に奇蹟のやうに存在する


おんみの存在は私にとつて最も痛い

死が死をまねき罪が罪を深めてゆく今

一すぢの光はいづこへ突抜けてゆくか



  感涙


まねごとの祈り終にまことと化するまで、

つみかさなる苦悩にむかひ合掌する。

指の間のもれてゆくかすかなるものよ、

少年の日にもかく涙ぐみしを。

おんみによつて鍛へ上げられん、

はてのはてまで射ぬき射とめん、

両頬をつたふ涙 水晶となり、

ものみな消え去り あらはなるまで。



  ガリヴァの歌


必死で逃げてゆくガリヴァにとつて

巨大な雲は真紅に灼けただれ

その雲の裂け目より

屍体はパラパラと転がり墜つ

轟然と憫然と宇宙は沈黙す


されど後より後より追まくつてくる

ヤーフどもの哄笑と脅迫の爪

いかなればかくも生の恥辱に耐へて

生きながらへん と叫ばんとすれど

その声は馬のいななきとなりて悶絶す



  家なき子のクリスマス


主よ、あわれみ給へ 家なき子のクリスマスを

今 家のない子はもはや明日も家はないでせう そして

今 家のある子らも明日は家なき子となるでせう

あはれな愚かなわれらは身と自らを破滅に導き

破滅の一歩手前で立ちどまることを知りません

明日 ふたたび火は空より降りそそぎ

明日 ふたたび人は灼かれて死ぬでせう

いづこの国も いづこの都市も ことごとく滅びるまで

悲惨はつづき繰り返すでせう

あはれみ給え あはれみ給え 破滅近き日の

その兆に満ち満てるクリスマスの夜のおもひを



  碑銘


遠き日の石に刻み

    砂に影おち

崩れ墜つ 天地のまなか

一輪の花の幻



  風景


水のなかに火が燃え

夕靄のしめりのなかに火が燃え

枯木のなかに火が燃え

歩いてゆく星が一つ



  悲歌


濠端の柳にはや緑さしぐみ

雨靄につつまれて頬笑む空の下


水ははつきりと たたずまひ

私のなかに悲歌をもとめる


すべての別離がさりげなく とりかはされ

すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ

祝福がまだ ほのぼのと向に見えてゐるやうに


私は歩み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ

透明のなかに 永遠のかなたに

底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版

   1983(昭和58)年81日初版第1刷発行

初出:『外食食堂のうた』については、「近代文学」

   1949(昭和24)年10月号

   他の8篇については、「原民喜詩集」細川書店

   1951(昭和26)年

※詩の区切りの改行は2行アキに統一しました。

入力:ジェラスガイ

校正:砂場清隆

2002年720日作成

青空文庫作成ファイル:

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