匈奴の森など
堀辰雄
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秋になりました。夏の間、A山の向う側にあるいくつかの牧場に預けられてゐた牛どもも、再びこの村に歸つてきました。その背なかの黒い斑は、なんだか私には、さまざまな見知らぬ牧場の地圖のやうに懷かしく見えるのです。夏ぢう少年や少女たちの乘りまはしてゐた馬どもも、この頃はせつせと刈草を背負つて、村を通り過ぎます。いまから冬の間の食物を貯めるのですが、その刈草の中にはあなたの大好きな松蟲草も、あのかはいらしい花をつけたまま、混つてゐたりしてゐますよ。私は郵便局のとなりの小さな毛皮店で、もう店をしめるといふものだから、なんといふことなしに、つい栗鼠の毛皮を一枚と、秦皮樹のステッキを買つてしまひました。いつもどつちの店で買はうかと、あなたとジャン拳をして決めたりした、あの竝んだ二軒の花屋の前にも、もうめつきり花が少くなりました。お客ももつと少いのでせう。夏のうちはその花屋の主人たちまでが、そんな私たちのジャン拳をにこにこしながら見てゐたものですが、この頃ぢや、もし私がその一方で買はうものなら、もう一方の主人は私にひどく無愛想な顏をして見せるんで、こつちももう花の好きな相棒もゐないしするから、「花なんか勝手にしやがれ」と云つた顏つきで素通りするきりですが、まだその片方の店先きにぶらさがつてゐる ICE & FLOWERS といふ招牌の文字だけは、否でも應でも私の眼に飛びこんで來るんです。そしてそのちよつとばかし氣取つた横文字の脇に、これはまたいかにもお粗末な日本字で「氷ト花アリ」と小さく書いてあるのまで眼に入れると、なんだかかう私は頸卷でもしたくなつて來ます。さう、氷といへば、──いつかあなたと村からずつと遠くまで散歩に待つた時、向うの草原の眞ん中にしやれた藁屋根のシャレエらしいものが一つぽつんと立つてゐるのを見て、「やあ、あんなところにも別莊があらあ」とびつくりしたことがあつたでせう。ところが、この間、私があのへんを一人で散歩をしてゐるうちに、思ひがけずその藁屋根のシャレエの前へ出てしまつたら、それは何と氷室だつたのです。だうりで窓らしいものが一つもなかつた筈です。その氷室の裏へまはつて見たら、からつぽの大きな池があつて、それが梁のやうに組み合はした丸太で圍まれてゐました。冬になると、そこに水を流し込んで置いて、丸太に蓆かなんか掛け、すつかり日蔭にして氷をつくるやうな仕掛なのでせうか。丁度、誰もゐないらしいので、五六枚蓆の垂れさがつてゐるその入口のやうなところからそつと覗いて見ると、中にはまだ賣れ殘りらしい氷がうんとこさ積んでありました。……
或る日、私は村の雜貨店から小學生用の帳面を十錢で買つて來ました。表紙には、何處か瑞西あたりらしく見える、山の中の冬景色が描かれてありました。赤あかと夕燒けのした空と、その反射で窓硝子だけをきらきら光らせながら眞白に雪をかぶつてゐる一軒のシャレエと、裸かになつた二三本の枯木と、それからそんな雪道をこちらに背中を向けて歩いてゆく主人と犬と。……その晩、私が宿屋の爐ばたで(もうこちらでは爐を切つてゐるのです)、その帳面のザラザラした紙の上に鉛筆でせつせとノオトをつけてゐたら、まだ私とはそんなに年も違はないのにリウマチスで足の不自由になつてゐる主人が、私のそばにゐざり寄つて來ました。そこで帳面を伏せて、何の氣なしに表紙の繪に見入つてゐたら、主人がそばから「それは何處いらでせうね。この間もそれとそつくりな繪ハガキを見せて貰ひましたが、私にもちよつと見當がつきません」と云ふのです。「これはきつと瑞西かどこかだらう」と私が答へますと、「いや、あれは確かに此處の繪ハガキでしたよ。この繪もきつとあの繪ハガキから取つたもんですよ」と云ひ張ります。私はなんだか狐につままれたやうな顏をしてゐましたが、さういへば、冬になつて雪でもうんと積つたら、あるひは何處かにこんな繪のやうな風景が出來上るのかも知れない、それにしても何處いらだらうなあと、私はこの村のあちらこちらを丹念に思ひ浮べて見ました。が、私にはなかなかこれに似たところは浮んで來ません。……けれども、そんなことを考へてゐるうちに、私もひとつ今年はそんな私の想像もつかないやうな冬になるまでこちらに居てやらうかしらといふ氣になつて來ました。何故、そんな冬まで居たいのかそれはよく私にも説明できません。しかしその冬まで居てしまつてからならば、私はきつと何とかうまい口實を見つけられるでせう。──宿の主人の話によりますと、外人たちの中には毎年こちらまでわざわざクリスマスをしにくる者もかなりあるさうです。さうしてその晩はホテルなどに集つて一晩ぢう踊りあかすのださうです。「よし、少くともそのクリスマスまで、私はこちらに滯在して居よう……」
それからといふもの、私はもう氣早にも、こちらで冬を過ごすための下準備をしだしました。先づ、私は主人にせびつては、いろいろ冬の物語を聞かせて貰つてゐます。今でこそリウマチスのために足が不自由になつてゐるとは云へ、主人は去年まではずゐぶん獵などをやつてゐたのです。ですから、いろいろと獵の話などを聞かせてくれます。昔はこのへんでも熊狩りなどもやつたさうですが、この頃は主に兎狩りをするのだと云ひます。
「兎といふのはずゐぶん莫迦な奴で……」と主人は私に話します。何故かと云へは、兎の奴は追はれると、きつともときた道へ引つ返してくるからださうです。だから、雪の中などですと、その足跡がはつきり殘つてゐるので、犬に兎を追はしておいて、その足跡のあるところで待つてゐると、きつと其處へ逃げて來るさうです。そいつを狙つて撃つのだと云ひます。なるほど、ずゐぶん莫迦な奴ですね。そんな具合ならば、私にだつて撃てさうな氣もするぢやありませんか。空氣銃かなんかでもつて……
宿屋には、ザザといふ名前の、よく仕込まれた獵犬が飼はれてゐます。ポインタア種の白い犬ですが……この間、私が近所の森の中にパイプを落してきたのを啣へて來てくれてから、急に仲好しになりました。この頃ではもう私がステッキを手にすると、かならず一緒について來るやうになりました。さうして私がいつも散歩に行く道すぢをちやんと知つてゐて、ずんずん先に一人で走つて行くのです。ときどき私は、まだ私の知らない、もつと他の異つた道の方へザザが私を連れて行つて呉れないかなあと思ふ位です。
この間、友人にいつか丸善で見かけたがまだあつたら送つて呉れと頼んでおいた、「主人と犬」といふ繪入りの獨逸の小説が、今日屆きました。まだ一頁も讀んでゐませんけれど、本文の間にところどころ插んである小さなデッサンを眺めながら、こんな物語の筋などを空想してゐます。──或る男が一匹の犬を拾つて、それを飼つてやつてゐる。そのうちにその男が散歩に出るとその犬がきつと隨いてくるやうになる。或る秋の朝、森の中を散歩をしてゐると、その犬が野兎のゐるのを嗅ぎつけてそれを追ひ立てる。それを見るや、はじめて主人の心に狩獵に對する情熱が目ざめてくる。──果して私の空想どほりにその物語がそんな風に展開して行くものかどうかは分りませんが、今からぽつぽつ讀み出したら、どうせ獨逸語の不得手な私のことだから、それをすつかり讀み畢へるのは、たぶん冬でせう。……
私はこの山麓に散らばつてゐる、いくつかの風變りな村の、多少ファンタスチックな沿革史みたいなものを、一度書いて見たいと思つてゐます。
今からざつと三四十年前のこと、難工事の末、こんな山の中にもやつと鐡道が通ずるやうになつてから、間もなく一人の外人牧師が偶然ここにやつて來て、この山麓が自分の故郷の霧の多い高原に酷似してゐるのを發見し、ここに掘立小屋のやうなものを建てて一夏を過ごしたことから筆を起すつもりでゐますが、いまではこの村にその牧師の名前をもつた小さな通りまで出來てゐる位です。ちやうど村の西の入口から斜めに入つて、本通りに對してゆるく抛物線を描きながら、再び村の東の入口でそれと合してゐる「ショオ通り」といふのがそれでありますが、何故その裏通りに特にその名前がつけられてゐるのか、誰にきいても分かりません。ただ村の老人たちのいまでもよく覺えてゐるのは、その裏通りに沿うていま大きなテニス・コオトの出來てゐるところは、なんでもその牧師が一人で開墾して、その村ではじめて萵苣やキャベツをつくつた畑の跡だといふことです。
この高原地帶は一體に四圍に起伏が多くて、まるで繪ハガキのやうに美しい丘がいくつも立ち竝んでゐますが、外人の別莊は大概そんな丘の上のはうにあります。ほとんどその頂きに近いところにあるのもあります。下の村からは、朝霧の中に、そんな別莊の赤い屋根や青い屋根などがまるで繪ハガキに貼られた外國の郵便切手のやうに見えることもあります。最初は外人といふものは、さすがに思ひ切つたところに別莊を建てるもんだなと感心してゐましたが、聞いて見ると、それは何も眺めがいいからといふためではなく、以前は毎年のやうに大きな山海嘯があつて、村のなかにあつた別莊などはいくつも流されたので、だんだんそんな丘の上のはうに建てるやうになつたのださうです。
毎朝、自轉車に乘つた少年達が、手紙だの、花だの、麺麭だの、野菜などを、そんな丘の上まで運んで行きます。が、その少年達の中には、誰ひとりその丘の一番てつぺんにある別莊まで自轉車を乘りつけられる者はありませんでした。みんな中腹まで來ると、自轉車から降りてそれを上まで兩手でもつて押して行きます。しかし、或る夏のこと、その丘の一番てつぺんにある別莊に、一人の可愛らしい金髮の少女のゐる一家が住んでゐたことがありました。その金髮の少女は毎朝いつも眞白なワンピイスを着て、自轉車にのつて手紙などを出しに丘を非常な速力で下りて來ますが、その少女は歸りにもそれと殆ど同じやうな速力で、その丘のてつぺんまで一氣にすうと上つて行つてしまふのでした。少年たちは、野菜や、麺麭などを一ぱい積んだ自轉車に手をかけたままみんなぽかんとして、花の咲いた藪のなかに見る見る消えてゆくその眞白い後姿をいつまでも見惚れてゐるのでした。彼等の中には「あれが天使といふものではないだらうか?」と云ひ出すものもありました。その少年は、いつだかその少女が自轉車で通り過ぎた跡に、鳥のにしては少し大き過ぎる、眞白な羽がいくつも落ちてゐるのを見たといふのでした……
しかし、そんな天使に似たやうな少女も、だんだんこの村には見あたらないやうになりました。そしてその代りに、たまに私がテニス・コオトのスタンドなどに近づきますと、こんなお孃さんを見かけます。いましがたまで熱心にテニスを見物してゐた癖に、私がはひつてゆくのを見ると、いきなり立ち上つて自分の周りにゐる青年達を見まはして、「誰か十五錢もつてない? なんだかプレン・ソオダが飮みたくなつちやつた」と云ひながら、私の方をちらつと意地惡さうに見ます。すると青年達は一どきに立ち上つて、「僕もつてる」「僕もつてる」と叫びながらみんな一緒くたになつて、一むれの黄蜂のやうに、向うの天幕張りのアイスクリーム屋の中に飛び込んで行きます。……私はその意地惡なお孃さんの住んでゐる別莊を知つてゐます。それは一めんにぎざぎざのついた針金の柵で取り圍まれてゐます。いつもその圍ひの中にはぴかぴかしたパッカアドと、ぼろぼろのフォオドが横づけになつてゐます。聞けばそのフォオドの方がその家のださうで、パッカアドの方は、そのお孃さんに結婚を申込んでゐる青年の一人が提供してゐるのださうです。ときどきその二臺の自動車に、そのお孃さんや青年たちがまるで葡萄の房のやうにはみ出るやうに乘つて何處かへドライヴに行くところを見かけます。が、そんな時にも、その意地惡なお孃さんは一度も、彼女への熱心な結婚申込者らしい青年の運轉してゐるそのパッカアドの方に乘つてゐたことはありません。いつもぼろぼろのフォオドの方に、さも面白さうに、乘つかつてゐるのです。
この村の外人の別莊には、大概、粗末なものながら氣の利いたヴェランダがついてゐます。そして毎年氣をつけて見てゐると、そのヴェランダはだんだんその住人に似てゆくやうな氣がします。髯もじやなフランス人の牧師の長く住んでゐる別莊のヴェランダは、いつの間にかその柱に山葡萄が捲きついて、その主人の髯みたいになりました。それから、いつも笑ふと眞白な齒の見える若い奧さんのゐる、ドイツ人のドクトルが新しく引越していつた別莊では、そのヴェランダの手すりまでがすぐ眞白にペンキを塗られてしまひました。それに引き代へ、そのお隣りの、いまにもヴェランダのこはれさうになつた荒れ果てた古い家には、もうすつかり齒の拔けたよぼよぼの老孃が、それもたつた一人きりで、いささか魔法使ひのお婆さんめいた暮らしをしてゐます。
又、この村の土着の人々の中には、彼等の無智と外人の移植した文明とが混んがらかつて、隨分頭のとんちんかんに出來上つてゐる者もゐます。昔は炭燒きをしてゐた男が、急に麺麭屋に變つて、この頃では一流の店になつてゐますが、ときどき今でもその男はうつかりすると麺麭を眞つ黒焦げに燒いてしまふさうです。又、蜜蜂を何年も飼ひながら別莊番をやつてゐる、聾の老人は、自分の耳の中にも蜜蜂がゐるやうに、いつか思ひ込んでゐます。ときどきそのなかで蜜蜂がうなつてゐると云ふのです。それから八百屋の少年は、どこからか拾つてきた海泡石のパイプに、玉蜀黍の毛をつめては、毎日すぱすぱやつてゐます。
しかし、外人の眞似をしたがるのは、何も人間ばかりではありません。動物だつて同じことです。小鳥までが生噛りの外國語で歌ふやうになつたらしい。どうも頬白のおしやべりが急にこの頃分かりにくくなつたのは、そのせゐでせう。しかし啄木鳥の奴が、このところ、だいぶタイプライタアの腕を上げたらしいことは、確かなやうです。いつも草原のまん中におつぽり出されてゐる愚かな山羊たちまでも、いつの間にかフランス語を二つ三つ覺え込みました。ほら、やつてゐるでせう? Mais…… mais──
夏になると、立派な洋犬も澤山はひり込みます。しかし、夏中こちらで大事に飼はれてゐた犬のなかにも、都會では忙しくて手が燒けると見え、歸るとき棄てられて行く奴がゐます。秋になつてから、そんな犬が自動車に乘せられて、數哩離れた山のなかの部落へ棄てられに行くところを、屡〻私は見かけました。恐らくそんな犬だつたのでせう、この間私の友人の阿比留君が、A山の向う側の麓にある牧場を見に行つた歸りに、何とかいふ小さな部落を通り過ぎようとしたら、何處からともなく一匹の痩せこけたセッタア種の犬が飛び出して來て、いきなり人なつこさうに吠えついたさうです。さうしてしきりに尾をふつて、阿比留君のまはりをぐるぐる駈けずり𢌞りながら、いつまでも離れようとはしません。すこし持て餘ましてゐると、通りかかりの麁朶を背負つた村びとたちも立ち止つて、「洋服の人が通るとあんなに嬉しがりやがる」と云ひ合つてゐたさうです。……
この村のずつと西北方に、一つの小さな森があります。町はづれから二キロメエトルぐらゐも離れてゐませうか。小さいなりに、晝間でも薄暗いほど、樅などのこんもり茂つた森です。外人たちの間には、この森は「匈奴の森」といふ名前で知られてゐます。ここには古くから別莊が何軒もあつて、(しかし今ではもうすつかり壞れたまま打棄らかされてあるのもありますが)、おほくドイツ人が住んでゐるやうです。夕方など、この森の奧からは、誰が吹かすともつかず幽かにフリュウトの音のやうなものが聞えて來ます……
なんでも歐洲大戰中ずつと、ドイツ人ばかりでこの森に集つて、他の部落とは全く沒交渉に暮らしてゐたさうですが、その時他の外人たちがこの森にそんな綽名をつけたのだと云ふことです。それなりずつとこの森がドイツ人の部落みたいになつてしまつたやうでして、そのせゐか、私が散歩がてらその森の中にはひつて行くと、いつも熊笹の中から、嗄れた叫び聲をあげながら、跣足で飛び出してくる小さな子供たちの感じも、なんとなく野蠻です。或る夏、この森に何處から迷ひ込んできたのか、ストリンドベルクといふ名前の五十がらみの瑞典人が、一人暮らしをしてゐたこともあります。いつも猫背をして、玉葱のにほひをさせながら、構はないなりをしてよく村を散歩してゐました。口笛がよほど嫌ひだと見えて、子供が口笛などを吹いてゐようものなら、いきなり傍へ近づいて行つて、それを止めさせたりしてゐました。この瑞典人も、彼と同姓の有名な狂詩人のやうに、多少被害妄想狂だつたのかも知れません。
この森を私はたいへん愛してゐます。歐洲大戰當時、この森の中に閉ぢこもつて數年の間不安に暮らしてゐたドイツ人たちのことは、ちよつと小説に書けさうな氣もします。そんな氣もちで、ときどき秦皮樹のステッキを突いてはこの森に散歩にくるやうになつてゐるうちに、私は高等學校時代に教科書として讀んだことのある「喬木林」といふ物語のことを始終思ひ浮べるやうになりました。この物語を書いた作家は確かアダルベルト・シュティフテルとか云ひました。あまり世に知られてゐない不遇な作家のやうですが、ニイチェのたいへん珍重してゐた作家ださうです。──實はかういふ私もその物語の筋などはすつかり忘れてしまつてゐるのですが、唯、その雰圍氣のやうなものだけははつきりと頭に殘つてゐるのです。(一體、小説なんていふものはその雰圍氣だけが眞實なのではないでせうか?)で、その雰圍氣を中心にして、私の朧ろげな記憶を辿つて見ますと、それはなんでもスウエデン戰爭を背景にした物語で、ボヘミアの山岳地方にある大きな森のなかの城で、ときをり遠くに銃聲などを聞きながら、老人と女達だけで、氣づかはしげに暮らしてゐる。……ただ、そんな恐怖と不安とに充ちた、毎日毎日の繰り返しが、綿々と語られてゐただけのやうでした。そしてなんの劇的な場面も遂に現はれずに、物語の始まつたのと同じやうな、無氣味なほどの靜けさで物語は終るのでした。……私がそれを教科書として讀まされたときは、丁度、今の自分にはどうしても理解できないやうな焦燥が自分を人生の方へ驅りやつてゐた頃だつたので、そんな地味な物語からは何の感動も受けませんでしたが、今になつて、私は始めて何とも云へない懷しい氣もちで、それを。讀んだ漠然とした記憶を蘇らせてゐます。さうして私は、大戰當時のこの「匈奴の森」を背景にして、ドイツ人たちが絶えず何かに怯やかされながら暮らしてゐるところを、──しかし最後まで何の出來事らしいものを起らせずに、たださう云つた不安な雰圍氣のやうなものだけで、そしてその間におのづから一人一人の性格が浮び出てくるやうな風に、一つの小説を書いて見たいとも思つてゐます。……
ある秋のクラシックな夕方でした。この人氣のない匈奴の森に、一人のベレエ帽をかぶつた詩人さんが散歩に來ました。別莊はもうとつくにみんな釘づけにされてゐます。しかし、森の中といふものは、こんな秋になると、一層なんだか物音に充たされてゐて、夏などより反つてざわざわしてゐる位です。熊笹がしつきりなしに音を立てたり、栗鼠が小惡魔のやうに木をゆすぶつたり、もぐらもちが絶えず土をもくもく持ち上げてゐます。そこで神經質な詩人さんは、ポケットから黄いろい假綴の本をとり出すと、それを高聲に朗讀しながら、こはごはそこいらを歩いてゐました。
合唱 待ちたまへ。いいことを教へて上げよう。君は玉子が新鮮かどうかを如何して見分けるか知つてゐるかね?
熊 日光のなかに置いてそれが透明かどうかを見分けるんでさあ。
合唱 其處にゐるお孃さんだつてそれと同じことさ。月と私達との間に置いて、それを透かして見ながら、その魂が透明か、曇つてゐるかを見分けるがいい。
詩人さんはついその一節に心を奪はれて、そのはずみに自分の足が何を蹴とばしたのだか、氣がつきませんでした。びつくりして、足もとを見ると、それは何と小さな熊、──子供のおもちやの熊でした。まるで彼のいま讀んでゐる本から知らぬ間に拔け出して、そこにぴよこんと足を空中にもち上げたまんま、仰向けに轉がつてゐるとしか思へません。毛はあちこち剥落してゐます。おまけに、片つぽのガラス製の眼玉がとれて、一本へし折られた足は赤い絲でぶざまに縫ひつけられてゐます。そこで詩人さんは、その可哀さうな熊を、こんどはステッキの先でそうつと道ばたの熊笹の中に押し込んでやりました。それから又、何氣なささうに歩き出しながら、さつきの朗讀を續けました。……
夕方、詩人さんはその散歩から歸つて來ると、大いそぎで帳面を開いて、こんなことを書き出しました……
「……Brrrrrrrn……あああ、何んておれは見つともないざまをしてゐるんだ。何んて悲しさうな面をしてゐるんだ。昔はこんな熊笹の中に大威張りで寢そべつてゐたのになあ。…今ぢやこんなに小さくなつて、熊笹の中におれがかうやつて寢てゐるんだか寢てゐないんだか誰にもわからない位だ。が、それもかへつてこの身の仕合はせと云ふものだ。若しこんなざまをしてゐるところを、あの栗鼠の野郎にでも見つかつたら、どんなに笑やがることか! ……ああ、いつそのこと、あの詩人の奴に蹴とばされて、おれの千年の眠りから醒まされなければよかつた。そんな眠りから醒めたとて、いまのおれには、おれの悲しい運命をどうしやうもないのだ。こんな位なら、これまで通り、子供部屋の人氣者になりながら、ひたすら原始林を夢みてゐた方がまだ増しだつた。なるほど、いまおれのはふり出されてゐるこの森はちよつとその原始林に似てゐないことはない。しかし、おれはもう立ち上つて、渇を醫しにあそこの木からぶらさがつてゐる山葡萄を採りに行くだけの氣力もないのだ。……さつきおれをうつかり蹴とばしてこの熊笹の中にはふり込んでくれたあの先生には、せつかくおれの息を吹つかへさせてくれたのだから、一通りも二通りもお禮は云はなくつちやなるまいが、あいつが詩人さんだつたのがこつちの災難。──詩人さんなんていふものは、おれ達の抒情的性質はどうかすると蘇らせて呉れようが、おれ達の獸牲なんぞは一向お構ひなしと來てゐる。若しおれに以前のやうな獸性をも一緒に返して呉れたんだつたら、さうだ、おれは眞先きにあの先生に食らひついてやつただらうに! ……」
底本:「堀辰雄作品集第四卷」筑摩書房
1982(昭和57)年8月30日初版第1刷発行
初出:「新潮 第三十二巻第一号」新潮社
1935(昭和10)年1月号
入力:tatsuki
校正:染川隆俊
2010年5月29日作成
2011年5月23日修正
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