自然女人とかぶき女
──新歌右衛門に寄する希望──
折口信夫



いよ〳〵芝翫が歌右衛門を襲ぐさうである。考へれば、大変成長したものであるが、一往此辺で、飛躍の階梯を作るのに、双手をあげて賛成する。それは昭和の歌舞妓芝居から、最意味のある功労賞を贈るとすれば、まづ海老蔵と此人とに贈るのが、当を得た功績をあげてゐると思ふからである。かう言ふ言ひ方が、誇張した言ひ分の様に受けとられるかもしれぬが、私はちつとも大袈裟にものを言つてゐるつもりではないのである。あの戦争の後──まだ「老優人」たちの生き残つてゐたにかゝはらず──若し此二人が歌舞妓の世界に出て居なかつたとしたら、どんな事になつたらうと実に危殆ヒヤイな気持ちがする。若い戦後派の人々が占めてゐた観客層と言ふものは、事実歌舞妓芝居から、取り返しのつかない程遠い所へ退いて行つてしまつてゐたのである。少くともさう見えた。言ふまでもなく、歌舞妓芝居ほど率直な美と、単純無碍に直感に迫る強味を持つてゐる劇は無い。美しい役者が正しい輪廓をして現れて、簡明直截に動いてはきまる。これだけの事が、どれ程用意のない見物に入り易い条件になつたか。歌舞妓の世界に首を入れた事の無い若い人達に、とにもかくにも一往の感嘆すべき美を与へるのは、立役では海老蔵、女形では何と言つてもまづ芝翫をあげるよりほかはなかつた。荒涼たる戦後の舞台にこの二つの星のやうにきらめく両人を発見した時、歌舞妓亡びずの叫びが咽喉元につきあげて来るのがとめられない気がした。其点では小さいながら歌舞妓の救ひ主と言ふ讃め詞を、小声の程度ならば言つてよからうと思ふ。梅幸はじめ、ほめ詞の幾分かに当ることの出来る数人の優人も無視は出来ない。けれども何処か近代的であつたり、そのほか若い人の想像してゐる歌舞妓、それの持つたよさが、却て歌舞妓を亡す因子になりかねない別様の美しさに止つてゐたりして、ちよつとの不安が、実に大きな不安をおしひろげたのである。歌舞妓を救ふ為には、何としても、最「歌舞妓びと」らしい優人の出現が望まれてゐる時であつた。

さうして都合よく大空に暁の星が生れるやうに、女形として芝翫が閃き出した。墨染を踊つて彼の声望が、今日の段階を定めはじめた時、私などはまづ胸をなで下した。何故ならば、歌舞妓の美は舞台上に美を表現する女形が、欠けてはならない。それにやつと補充がついたと言ふ安堵である。これで歌舞妓も、何十年か生き延びたと言ふ気がしたものである。実を言へば、爛漫たる花の様に言はれた墨染を、せつなく寂しいものに感じた。ほんの短時間、関の扉に来て踊つて帰る小町姫に、完璧を見たのであつた。此程の姫が表現出来れば、時代物の半分の領域は此若者が背負つてよいと思つたものであつた。所が、操や相摸を演じるに到つて、誰も彼も、それに本役的な妥当性を感じ、賞讃を惜まなかつた。併し、さう言ふ「女武道」に属する「片外しもの」ばかりが、彼の「時代女」のはまり役ではなかつた。世話女房において、彼の発する演出気分が、その顔その姿を最、当を得たものにひき立てゝゐる事に心づいた。

われ〳〵の持つた意外感の一つは、先代歌右衛門の系統に、こんなに世話女に適した真女形が出ようとは思はなかつたと言ふことである。芝翫を考へる人は、さう言ふ所で二つに岐れるだらう。何としても先代歌右衛門の道を行かしたいと言ふ側と、芝翫は芝翫として個の領分を発見するのが、本道だとする人々とである。何と言つても正しいのは、個性にかなつた役を発見する──といふより、役に個性を充溢させると言ふ事である。親譲りの役柄など言ふ事は、二の次にしたいと言ふ事である。がそんなに単純に、歌舞妓芝居が一度だつて歩いて通つて来てはゐない。家の芸と言ふものが、何となく役者の個性を展開させ、或は個性的なものと、彼の要素とを調和させると言つた風に進んで来た。此は事実だ。だから新歌右衛門になる筈の芝翫も、先代の芸を一通り演じて、先歌右衛門をまづ自分の中に生かして、其後個性をのべて行く様にさせたいと思ふのであらう。此が常識である。だが歌右衛門の場合は、少くとも芝翫にとつてさう簡単に考へられても困るのである。

あれだけの役者だつたけれど、先代は早期からの鉛毒の為、すべての身体的表情が自由でなかつた。其為気分表現の方へ進んで行つた。これは一体九代目団十郎から受けた暗示で、年と共に益それを生かして大いに歌右衛門の芸の領地が開かれたのである。歌右衛門の経歴について知識なく、歌右衛門の容貌に無関心な見物に出あつたとしたら、あれ程の役者でも其点だけ軽蔑されるだらう。正直に言ふと、若い頃の私などが、その代表者である。

今までの径路で見ると、若手役者の中、歌舞妓芝居らしい技術を最、体の上に生かした技術派の芝翫は、先歌右衛門とは凡対蹠的な優人であり、又さうなつて行きさうである。

近頃淀君及び其に通ずる役の幾つかをしあげて来てゐる様だが、此は単に仕打ちの好みに過ぎないのならまだよい。若し先代の役だから、先代の位置に早く直らうと言ふ心から、芝翫も望んでするのであつたら、こゝは大いに考へてもらひたい。

今まで吹輪の姫には適当した顔が、「すべらかし」になると、俄然似合はなくなる。此は顔の形に考へなければならぬ所があるのだし、一概には言へないが、素の美しさに近いものを出さうとするのは、今のところ望みがない。

「自然を離れて自然が発揮出来る」と謂つた趣きの見える容貌である。鬘の刳り方によつて程よく顴骨を調節してゐる、と言つた弱点を生かす強味、此が芝翫に最著しく現れて、彼の美の中心になつて来る。それが女武道や世話女房の場合には、真女形として妥当感を起させる容貌を造つて来るのであらう。だが、どうあつても容貌の上にある先代との大きな開きに注意してほしい。先代の眼も頗綺麗な眼だつたが、私ども、その美しさをしみ〴〵と知つた頃にはもういけなかつた。目からまづ衰へ出してゐた。それに比べると、今の芝翫の眼は血統的に先福助の容貌を伝へてゐる。目尻の刳りの美しい、謂はゞ芸術女と言ふよりも自然女と謂つた印象を与へるまなじりである。

この目が容貌に寄与する純潔性が、福助の場合には、いつまでも、彼の容貌に完成感を持たせなかつた。共に常に彼の持芸の先途に遠く輝いて見えたからである。若くて死んだ福助も、晩年には、菊五郎の女房役として、彼の亭主を圧倒しかねない芸量を示しかけてゐた。併しその度毎に、彼の目は、彼をひき放す様に芸の遥か彼方に澄んでゐた。彼の芸にその目の持つ自然女を演出するものが出来なかつた。その為に、福助時代の見物は、彼を技芸未完成の悲しむべき優人として見送つたのであつた。

芝翫の上にもまた、曾て福助を照した自然女性の星が輝いてゐる。何時の日彼がその星を自分の芸域に追ひつめて、まだ誰も表現することのなかつた潔い女性を生み出すやうになるだらうか。かへす〴〵も彼自身持つて生れたこの芸の光りに圧倒せられないやうに望みたい。

歌右衛門になることは、必しも芸の昇格を意味しない。彼の先人と共有する類稀なる自然の眦は、どうあつても、彼自身の内容として捉へ、芸の輝き又発する様に努めなければならぬものである。彼ほど強い意思のある青年は、必、この眦をおのがものとするに遠くない。私はさう信じる。私の同時代もさう信じる人に充ちてゐる。

底本:「折口信夫全集 22」中央公論社

   1996(平成8)年1210日初版発行

底本の親本:「かぶき讃」創元社

   1953(昭和28)年220

初出:「花道 別冊六世中村歌右衛門襲名記念号」

   1951(昭和26)年5月発行

※平仮名のルビは校訂者による加筆です。

※底本の題名の下に書かれている「昭和二十六年五月「花道」別冊」はファイル末の「初出」欄に移しました。

入力:門田裕志

校正:酒井和郎

2019年222日作成

青空文庫作成ファイル:

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