ある手紙
原民喜
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佐々木基一様
御手紙なつかしく拝見しました。あなたから手紙をいただいたり、そのまた御返事をこうして書くのも、思えばほんとに久振りです。空襲の激しかった頃には私はよくあなたやほかの友人に、いつ着くかあてもない手紙を、何の意味もない手紙を、重たい気分で、しかも書かないではいられない気持に駆られて書いたものです。が、今こうしてペンを執ってみると、ふと何となしにそんな奇妙な気分がするのはどうしたことなのでしょう。
私ははじめて『近代文学』第一号を手にした日のことを思い出します。当時、広島で罹災して、寒村の農家の二階で飢えていた私は、むさぼるようにあの雑誌にとびつき、ひどく興奮したものです。久しい間、ああしたものに飢えていた所為もあったでしょう。しかしまたそれにはそれで人を感激さすだけのものがあったようです。たしかにこれは新しい文学運動の中心になるだろう、そんな風な予想からあの雑誌の順調な発展を祈らないではいられませんでした。その後、あなたたちの雑誌は多くの困難を克服しながら、みごとな発展を遂げています。『よくも揃いも揃って優秀なメンバーを集めたものだ』など世間の噂をきくたびに私は何となくうれしいのですが、終戦以来今日に到る迄の混乱と虚脱のなかにあって、つぎつぎに生彩ある問題を提起し検討してゆく、あなたたちの精力と速度、それから、現象にひきずり廻されない確固たる立場にとくべつ感心するものです。
私は広島の惨劇を体験し、次いで終戦の日を迎えると、その頃から猛然として人間に対する興味と期待が湧き上りました。『新しい人間が生れつつある、それを見るのはたのしいことだ』東京の友人、長光太からそんな便りをもらうと、矢も楯もたまらず無理矢理に私は東京へ出てまいりました。
『新しい人間』を求めようとする気持は今もひきつづいているのですが、それにしても、今ではその気持が少し複雑になっています。何といっても、敗戦直後は人間の悲惨さえ珍しく、それにはそれにつづく漠たる期待もありました。三年を経た今日では人間の生存し得るぎりぎりの限界にまで私は(生活力のない私は)追いつめられています。この手紙を書きながらも、ふと空襲警報下にあるような錯覚と気の滅入りを感じるのもそのためなのでしょう。
それにしても『日本沙漠』とは近頃、誰が云いだした言葉なのでしょう。花田清輝も、沙漠について、砂について、蟻地獄について、さまざまの考察をしているようですが、どうかするとこの頃は人間の魂まで砂のなかに埋没されそうになるのです。
昨年火蓋を切られた『新日本文学』対『近代文学』の論争も、その後焦点が紛糾しすぎてちょっと分りにくくなった節もありますが、結局は人間と現実に対する測定の立場の相違かもしれません。この二十年間の社会と文学のうごきを知るものにはあのような論争が避け得なかったこともほぼ推定されます。それに、あなたたちが人間の権威を内に築こうとしていることは何といっても素晴しいことです。しかし『政治と文学』の問題は私にとってあんまり問題が大きすぎます。作品や作家の印象について語りましょう。
人間に対する期待は容易に満たされないことが分りかけましたが、かねて前から待望していた新しい小説の出現には近頃かなりたんのうしました。どうかすると今でもまだ小説の不振とか新人の欠乏など云ってみたがる人もあるようですが、私は決してそうとは思いません。少くとも戦時中の惨たる凍死状態に比らべれば、今はどれだけ立派な人々が有望な仕事にとりかかっているかわかりません。梅崎春生、野間宏、椎名麟三、そういう新しい名が雑誌に現れるたびに、私は貪るように読んでみました。それぞれこれらの人たちはすぐれた技術と新しい意図を持っていて、充分興味をそそるようです。なかでも野間宏の『魂の煤煙』は今後どれだけ発展するか非常に期待されます。『顔の中の赤い月』については大概の人の意見が一致していたようですが、この人こそは恐らくほんとうに大成する作家でしょう。『魂の煤煙』(1)を読んだとき私は思ったのですが、人間の顔やちょっとした身振のなかにその人を生み育てた環境や歴史を探ろうとする描写法は、小説として何も目新しいものではないとしてもこの作者の観相術にはなにか豊かで独自な魅力があるようでした。中村真一郎の『死の影の下に』も魅力ある小説でした。この人とは逢って話をしてみてよく分りましたが、非常に頭脳の回転の速い人で、鋭利で過剰な神経の持主のようです。それに詩人や批評家としての天稟を恵まれている珍しい人です。
頭脳の回転速度といえば、やはり石川淳の『明月珠』『焼跡のイエス』などを思い浮かべます。あのピンと緊張した極から極へまっしぐらに読者を追いつめてゆく手は、何というスタイルの魔力なのでしょう。この人はもう身から出た錆を身につけた独自の風格さえあって、なかなかちょっとかなわないようです。伊藤整の鳴海仙吉ものも時々、私をハッとさせます。これは自意識の処理、小説叙法の装置──などと云うと変てこですが──について新分野を拓いてゆくものではないでしょうか。
丹羽文雄の『蕩児』や船山馨の『現在』を読むと、デフォルメされた世相が一応巧みにひびいて来ます。ことに船山馨の場合、烈しい自虐の調子が人を惹きつけるのですが、それでいて、読後の物足りなさ、うそ寒さは一体どういう訳なのでしょう。
『近代文学』創刊号以来、毎号執筆している埴谷雄高の『死霊』には、この作者のその身魂を投じて悔いない心意気につくづく頭がさがります。これこそは日本に嘗てなかった小説の世界を築くものでしょう。今迄読んだ部分だけでも、作中人物の対話の嶄新さ、夢や狂気にまで滲透してゆく心理の翳など大変なものですが、現在のような環境であのような仕事を続けて行くということは、殆ど言語に絶する忍耐を要する業かもしれません。そういえば、これは小説ではないが、戦時中黙々として『戦争と平和論』を書きつづけた本多秋五も偉い仕事をしたものです。
その他まだ私の目に触れた範囲で期待している人に馬淵量司、鈴木重雄などがあり、未知数ながら来年あたりから活躍するだろうと思える人に若尾徳平、野田開作などがあります。
サルトルの『嘔吐』を読んだ感銘もなかなか忘れ難いものでした。恐らく『ユリシーズ』以来久振りで私を震撼させた書ですが、このことは何も私にとって、目下流行の実存主義哲学や肉体の文学とは関係のないことですから、ここでは述べますまい。ただひそかにおもうのは、いま夢中で『嘔吐』を読んだ日本のうら若い一人の青年が、やはり根底から震撼されるとともにはじめて文学のスタートを切る気持に突きやられたのではないかということです。こんな空想が描かれてなりません。
あれを読みこれを読み、──近頃は私も雑誌の編集をしている関係上、なま原稿だけでも二千枚は読みました──絶ゑず作家や作品名を賑やかにぐるぐる考えつづけていると、何だかのぼせ気味になってしまいます。しかし──
『たとい、他人がどのように立派なものを書こうと、それが、作家であるお前にとってどうしたというのだ。他人の作品にばかり見とれてお前の書くものはどうなのか。お前はパスカルの葦ではなかったのか。極地に身を置き、山嶺に魂を晒し、さゝやかな結晶を遂げようとする作家の祈願は忘れたのか』と、こういう風な声はいつも私のなかで唸りつゞけています。できれば私も十年前のようにひとり静かな田舎で、好きなものだけを読んだり書いたりして暮していたいのです。だが、現在の私にはそれはとても不可能なことです。現に身を休める部屋さえ得られず、雑沓のなかで文学のことを考えていると、これも吹き晒しの極地にいるおもいです。
いつかお逢した際、来年は『近代文学』で十九世紀小説の再検討から二十世紀風の小説の提唱をするということを伺いましたが、それをたのしみにしています御元気でいて下さい。来年は是非『停まれる時の合い間に』を書いて下さい。
一九四七年十二月八日
底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版
1983(昭和58)年8月1日初版第一刷発行
初出:「月刊中国」
1948年(昭和23)2月号
入力:ジェラスガイ
校正:門田裕志
2002年7月20日作成
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