巫女と遊女と
折口信夫
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大尽と末社 我々は遊郭の生活は穢いものと思つてゐるが、江戸時代の小説・随筆等を読むと、江戸時代の町人は遊郭生活を尊敬してゐる。段々調べてみるとその生活も訣る。遊びにゆく人達は目的は同じところなのだが、直接に売色に関係した事を目的としてゐない。吉原・新町・島原等に於ける遊郭の本格的な遊びをするお客をだいじんと言ふ語で表してゐる。大尽と書いてゐたが、元は大神と書いたのである。それに対してお供が従いてゆく。それを末社といふのだが、後に太鼓持ちを末社と言ふやうになつた。それは大尽についてゆくお供と末社との間が離れてゐるので、お供(太鼓持ち)を末社と言ふやうになつたのである。
神社に於いては主座の神が大神であり、そこに配合せられてゐる小さな神が末社である。ところが吉原では末社とは言はない。と言ふのは江戸の町を対象としてゐるからである。昔の人は都会と郊外とを区別して、郊外に住む人は江戸の町に対して江戸といつたのである。
大尽と言はれる男が伴れてくるお供をえどがみといひ、その土地の人間で大尽を取り巻くものをぢがみと言つてゐる。それで見ても大神・末社等の語は神社の神々によせてゐる。なぜかと言へば現在の神社の性格では訣らないが、昔の神社の祭りの主要なものは宴会であつたのが、近頃になつて厳粛な儀式ばかりを残してゐるのである。要するにお祭りが盛んになると言ふ事は、饗宴が大きくなることであつた。
祭りと饗宴 遊郭に於ける饗宴はお祭りの形式を践むのだが、昔の人は正直だから、重要な部分だけを行はずにとにかく始めから終りまで行つたのである。吉原へ遊びに行くと饗宴を開く。村の饗宴と同じく或式が行はれ、その式に来臨する正客があり、それを廻る陪従の客があり、これらの人々に主人が酒・肴を進め、芸人を進め、客もこれに応じて後、客が主人の進めた芸人を自分の思ふ通りにするのが昔のきまりであつた。遊郭の揚屋へ行つても同じ形式で行つたのである。例へば月見は遊郭では大事な行事であり、地唄の「月見」を見ても遊郭に於ける遊びの席の様子が訣る。島台を据ゑ(島台即、洲浜台は平安朝時代から饗宴の席に出てくる)、そこへすゝきをあしらひ、銀紙で作つたお月様を張る。その島台を置いて饗宴の座敷が開かれるのである。
祭りの時招かれた神が饗宴を受けるのと同じ形を、客が受けるのである。唯違ふのは、客がその費用を支払ふだけである。昔の人はさういふ遊びをする身分になりたいと絶えず思つてゐたのである。性欲をほしいまゝにするのではなく、座敷のとりさばきを如何にするかゞ問題で、伝説にも残る事を予期した。当時の人々には、それをうまくやる事によつて名誉と考へたのである。
舞大夫 その時に招かれた女で一番上の女を大夫といふ。これは神事に関係のある語に違ひないが、客が遊びにゆく饗宴とは関係のない語である。当時遊郭での遊びは、大為込みな遊びで、大夫は、始めはそんなに教養が必要であるとも思はれなかつたが、身分のある者が自由に出入してから、相当な教養が必要となつて来たのである。近代では幸若の舞大夫が、遊郭の大夫の本流遊女である。しかもその中には歌舞妓もの、乱暴狼藉を働くもの、所謂無頼漢(豪華な服装をして人の思はくもかまはぬ振舞ひをするもの)などゐたが、江戸初期は相当な教養があり、素性も良かつたので、見識が高かつた。それが無頼漢気取りと相俟つて意気地となつたのである。普通の女と違ひ、彼女等はさういふ個性を持つてゐた。
教養を積まなければならないだけに、その口があつて、女の芸事或は諸文学、或は芸術、或は花等に行つたのである。それ迄は職業的な幸若のであつたが、その後段々本道の芸に進んで行つた。遊女の位置が高まると、当時の人々は、まるで、貴族の女性か遊女の位置の高い女性かでないと、女の高い生活を知らないのが、江戸時代の小説随筆に出てくるところの女性観である。そんな風になつて来てから遊郭生活を理想的に考へてくるわけである。
結婚を教へる女 それなら何の為に遊女と言ふ売色が行はれて来たかと言へば、理論や想像では解釈出来ない。つまり我々の結婚といふことには、相手の女性が決つたらその人とすぐ結婚する、といふのは昔の風習ではなく、その為には段階があつた。男の為に女があり、女の為に男があつたのに違ひない。女の結婚する場合の事をよく言つてゐるが、男の結婚する場合の事を考へてみる必要がある。その場合大抵、村の青年に結婚法を教へる女があつたのである。その女は宗教的な威力をもつた人であつて、適齢に達した男等に、結婚の方法を教へるのであつて、昔の人の理想としてゐたのであらう。
何処の国に於いても、どうして生殖の道を覚えたかを考へると、事実は何でもなかつたのだらうが、想像にしてみると不思議なのである。銀蠅や鶺鴒のつながつてゐるのを見たりして、人間以外の動物の叡智によつて悟らされたと考へるのは、一つの理想である。
だからとつぎの教へを教へたのは、村々にとつぎを教へる女がゐなくては、男は結婚しなくてもすむだらうといふ一つの理想で、教へなくとも結婚はするが、教へる女があるのは生殖の方法を教へる為ではなく、そんな女を設けなければ宗教的儀式がすまないと言ふ事なのである。大抵の場合は宗教的な女性がゐて、初めて、生殖の道に這入るところの女に会ふ。それはつまり宗教的関門を通らす事で、女の場合、初夜権の様に、女の体に持つてゐる悪い血を宗教的威力を以つて排除する意味なのである。男も同じく婚姻するのに、宗教的儀式によつて適当な資格を与へられるのである。
普通神社に仕へてゐる巫女が、さうした為事をしたのは、古く記録に載つてゐる。神社に仕へてゐなくとも、宗教的な要素を持つてゐる女であればよい。中には旅をして来る遊女もあり、村に附属してゐる遊女、神社・寺院等の附近に住む遊女等がある。
さういふ一つの関門を通り越して初めて結婚に這入るのである。男が通らなければならない関門を割合に早く忘れて、男は女の処へ通つて結婚する様になつた。遊女の処へ通ふ年齢は、いくつから始つてくるか、宗教的な女性とのこゝろみは何歳までか、秘密な事であるだけに訣らない。
底本:「折口信夫全集 21」中央公論社
1996(平成8)年11月10日初版発行
底本の親本:「折口信夫全集 第十七卷」中央公論社
1967(昭和42)年3月25日発行
初出:「橿原の友 第六号(婚礼特輯号)」
1949(昭和24)年2月発行
※初出時の表題は「巫女と遊女」です。
※底本の題名の下に書かれている「昭和二十四年二月「橿原の友」第六号。婚礼特輯号」はファイル末の「初出」欄に移しました。
入力:門田裕志
校正:hitsuji
2020年2月21日作成
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