舞ひと踊りと
折口信夫



日本の芸能には古代からまひをどりとが厳重に別れてゐた。いろんな用例からみても、旋回運動がまひ、跳躍運動がをどりであつた事が明らかである。芸能と言ふより、むしろ生理的な事実について言つてゐるのである。だから宗教者が、ある時興奮状態におちいつて、その心理作用が生理的条件をつき動して表現せられるとき、ある場合は旋回運動としてはげしく、又はゆるく舞ふ事になる。又時としては跳躍運動として、その興奮の程度によつて、或は高く或は静かに、をどり上る動作がくり返される。歴史以前からの久しいかうした反覆が行はれてゐる間に、いつか神祭りの様式として、是非とも行はなければならないものとなつて来てゐた。それが次第に周囲を取りかこんで凝視し、又は傍観してゐるものにあたへる効果を、出来るだけ有効に強くしようと考へるやうになる。そこにまひ或はをどりの芸能、或は芸術的の価値を考へることがはじまるのである。

おそらく宗教的儀礼を執行する人のうちに一人があつて、神がより来つて、神らしい動作をしてゐるそれ〴〵の舞踊の有様を見ながら、之はどういふ状態に神があるか、どういふ神の動作か、さういふ事を判断する者がをつたに違ひない。さうして其等の人によつて、夫々をどりまひの特殊な意義、場合々々の価値と言ふものが定められて来たのであらう。だから多くの場合、舞ひと言ふのは、大様で静かな性格をもつた神の一面を表す事が多い。踊りは、幾分荒々しい粗野な感情を表現するでもんすぴりつとの類の動作であることが多い。其で、オノヅカらその精霊が勢よく我々の前から退去する姿を表す場合が多くあつて、其為に古来神遊びを初めとして、我が国に行はれてをつた幾多の鎮魂の舞踊である所の遊びが、次第に舞ひの方に傾いて、名もさう呼ばれるやうになつた。踊りは専ら、伊勢踊り・念仏踊り・神送り踊りの類の激しいものになつて行つた。さうして長い芸術と無関係な踊りの時期がすぎて、念仏踊りを中心とする踊りが次第に純化して、其頃流行し出した小唄類と合体して、種々の組みの踊りが出来、又その踊り手にも色々な種類の人々を加へた結果、譬へば、処女は処女、既婚婦人は既婚婦人の踊りといふ風に、踊りは踊りとして特別に芸能としての観照に耐へる様になる時が来た。之がおよそ室町時代以後と見れば間違ひが無からう。盆踊りの頭をもたげて来たのも、およそこの時期である。

ところが、踊りの盛んになるのも大体時期があつたので、戦国の頃に、急に著しくなつて来たのが歌舞妓踊りである。それが総べての踊りを指導するやうな地位に、やがて立つてゆくやうになつた。此時期になつて踊りも亦芸能としての地歩を保ち、次では芸術の域に到達するばかりになつた。此機運を早め、此動きを捉へたものは、歌舞妓役者の劇場において行つた踊りであつた。京阪地方には何しろ歴史久しい宗教舞踊があり、それが早くから芸術化するばかりの境地まで進んでゐた。其後文学的な優れた詞を持つた曲舞、更に舞ひの外に優婉な歌と身振りの融合した猿楽能などが現れて、舞ひは殆此上発達の望めない迄に進んで来た。だから踊りの価値は相当に認められてゐても、それが当然の地位を得る為には、自ら新しい地位を求めるほかなかつた。新興の都会で既に歌舞妓の一つの根拠地となつてゐた江戸は、正に踊りの根を下すべき土地であつた。其後両方実際、舞踊──舞と踊──の内容は、融通があり交換があつて、事実においては非常な違ひがある訣ではないが、江戸の舞踊は踊りと言ひ、それが歌舞妓から出発してゐる新しい歴史を示す名となつた。上方の舞踊は、近世の舞ひの頂点なる能を基礎として、それを崩したにすぎないといふ意義において舞ひと言つてゐたのである。

此二つの間に強ひて区別をつければ、相当な年代と地方的特色を背負うて来てゐるのだから、相当の限界はつける事は出来るが、要するに同じものと言つてさしつかへがない。唯その技術、其から、表現の上における約束の些細な相違は、今日この会場で、舞踊の指導者が夫々細やかに演じて示し分けられるだらうから、それに期待して、あなた方は十分目を遊ばしてよいと思ふ。

底本:「折口信夫全集 21」中央公論社

   1996(平成8)年1110日初版発行

底本の親本:「折口信夫全集 第十七卷」中央公論社

   1967(昭和42)年325日発行

初出:「芸能復興 創刊号」民俗芸能の会

   1952(昭和27)年10月発行

※初出時の表題は「舞と踊と」です。

※底本の題名の下に書かれている「昭和二十七年十月「芸能復興」創刊号」はファイル末の「初出」欄に移しました。

入力:門田裕志

校正:hitsuji

2019年1028日作成

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