文芸の力 時代の力
折口信夫



あゝ言ふ時代別けは、実はおもしろく思はぬのだが、一往は、世間に従うておいてよい。東山だの、桃山だの、と言ふ称へである。

この所謂東山時代・桃山時代、其に似た心持ちを、十分に持つた江戸の元禄時代、此等の時期が、日本の芸術・文学の、大いに興つた時代、と言ふことになつてゐる。此には、異存はない。歴史の上の、著しい事実だからである。だが、此時代が、健全な時代であつたか。此反省は真に、それ〴〵の時代に、ドウじ難いものゝあることを感じさせる。而も其でゐて、芸術・文学を生育し、飛躍させるのに、まことに恰好な力のあつた時期だつたことは、否む訣にはいかぬ。

時代として、俄分限・成り上り者の時世トキヨ、といふ感の深い此等の時勢に、健康な芸文の営みが行はれ、美しい花が咲くと思はぬのが、通例、芸術史・文学史の上の、考への型になつて来てゐる。吾々すら、さう思ふのだから、世間大体はまづ、さう言ふカタで、時勢と芸文との関聯を、考へてゐるに違ひないと謂はれよう。

芭蕉や、近松や、西鶴において、題材はどうあらうと、表現力や、芸文に対する意欲、第一に人間の掴み出し方の、実に堂々として居る点を見ると、不健全な時勢が育んだ文学であり、文学者である、とは思はれぬのである。かう言ふ点になると、扱つてゐる題材などは、全く問題ではなくなる。

金閣や銀閣の、立面図の案出せられた時代、さう言ふ建て物の内部を整へる壁代・調度の類を作り出す異常な俊才も、輩出してゐたのである。其よりも更に、さう言ふ座敷に出て演ぜられた芸能や、其台本となる文学が、発達してゐたことは、誰しも認める事実であらう。又、さう言ふ芸能の代表者の背後には、幾千万のみじめらしい芸の乞士が、古い歴史を負うて、おなじく古き世より持ち伝へた芸能に、ワメき、踊り、狂うて居たのであつた。利休を生み出し、又利休の生み出した「茶」の伝統が、果して後世の吾々の考へ慣れてゐるやうに、わびしい味ひに帰するものだらうか。一輪の「わびすけ」の半開の白瑪瑙のチヨクは、憂鬱とは凡、縁のない快さに咲いてゐるではないか。

利休の生涯を考へても、此わびすけを拡大したら、そこに出て来さうな闊達性が、十二分に物を言つてゐる。彼の茶も、そこに、性根があつたやうである。

桂離宮などを拝見して帰つた印象の中心には、やはり此闊達性の、大きくひろがつて来てゐるのに、心づく。

なる程、遠州好みと言ふものは、こんな傾向に対する評価だつたのだ、と会得するであらう。石州の案出したと伝へる茶席・茶庭を見ても、やはり相当に、豪華過差の感を受ける。

茶の精神の中から、此豪華にして過差なるものを認めることの出来ぬ、人ばかりでもあるまいと思ふが、どうだらう。

茶は茶、日常生活は日常生活といふ風に游離してゐたのが、利休の生活ではない。又、さう言ふ游離に、意味を認めて、そこに風雅閑寂があるのだなどゝ考へる人があるとしたら、其は、思ひ直して欲しいと思ふ。

茶は、芸術の生活内容を持つて居て、言語化・造形化せなんだまでのものなのである。そのかはり、演劇の最近い処まで、素質を展開して来て居たのではないかと思ふ。花道に並んで見物したり、羅漢台に押し合つて、役者の後姿とか、かうせきばかりを鑑賞して居た。あゝ言ふ見物が、茶の客に当るやうである。

謂はゞ、見物である筈の客と、少数の陪賓とが、時としては役者になり、立てば頭がつかへ、たひらに坐れば、壁土をおとすと言ふ様な、窮屈な舞台で演ぜられる演劇だ、と言ふことも出来よう。だが此は、決して比喩のつもりで言ふのではない。真実さうした、僅かな距離よりないことを言はうとするのだ。

江戸の初期から、段々用語を替へて、おなじ用語例に宛てはめようとした語がある。だてといふ語の代表する、一系の語である。寛闊と言ひ、だてと言ひ、互に一つ用語例の中に、少しづゝ範囲を異におし展げて行かうとした。其がもつと外面式に表現せられたものは、六方ロツパウ・丹前の類の語で、所作行動から、性格までも偲ばせるやうになつたのだ。

結局、語自身圧迫せられて、極めて狭い片隅にしか、意義を残さずなつた、その昔の「かぶき」なる語の内容を、色々に言ひ替へたに過ぎぬと言へば、言ひ過ぎだらうか。

新興の気象激しい時代には、迅速に生育する力がつきとほつて居る。憂への、歓びの芸術も、うつたへる、たのしさの文学も、此力に依つて、十分に伸しあがるのである。憂愁の文学が、陰鬱な時代に出て来るとすれば、其は愚痴文学であり、口説クゼチの文学に過ぎぬであらう。

其と今一つ、もつと芸文を育てる原動力になるものは、擁護者である。擁護する者なしに、育つてこそ、真の芸文ではあつても、擁護するものゝない迫害の時勢には、芸文は萎れいぢけてしまふのである。「花」は花でも、温室の花を望む吾々ではない。擁護者の手で、さもしい芸文の幸福を、偸みたいとも思はぬ。

だが、さう言ふ擁護によつても、咲くべき花の、大いに咲いて来て居るのが、歴史上の現実であつた。成り上り時代・俄分限の時勢の、東山・桃山・元禄などの時代が、吾々に多くの遺産を残してくれたことは、疑はれぬ事実なのである。此が、文士・芸術家の理想を超越した世間の姿なのであつた。

底本:「折口信夫全集 21」中央公論社

   1996(平成8)年1110日初版発行

底本の親本:「折口信夫全集 第十七卷」中央公論社

   1967(昭和42)年325日発行

初出:「国文学叢話」

   1944(昭和19)年11月刊行

※底本の題名の下に書かれている「昭和十九年十一月「国文学叢話」」はファイル末の「初出」欄に移しました。

入力:門田裕志

校正:植松健伍

2018年828日作成

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