むぐらの吐息
長谷川時雨
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十二月廿五日夜、東京日日新聞主催の「大東京座談會」の席上で、復興の途上にある大東京は、最初の豫算三十億の時から十億に削られた時まで、一千萬圓の國立劇場建築費が保存されてあつたが、終に最後の七億になつて消滅してしまつたといふことを、復興局長官の堀切善次郎氏によつて語られた。
讀もの中心の座談會では、もとより長講を誰しもが愼しんで避けてゐる。と共にあまり專門的な質問で時間を逸し、面白くない記事をよぎなくする事も失禮である。で、ぐつと安く──三十錢位で見せてもらはなければ、國立劇場が出來ても仕樣がない、とあたしは言つた。堀切氏も同感だといはれ、尾佐竹猛氏は、一體國立劇場といふのは無代で見せるものではないかと言はれた。
國立劇場といふものが無代のものかどうかを知らないあたしは、各國の國立劇場がどういふ組織のものか──寡聞なあたしはこんな時小山内氏に聞くのだが、悲しくも恰度其日その夜、本紙十月號記載上田文子氏の「晩春騷夜」上演記念の會で發病逝去されてしまつた──無代ならば大變結構なことと思つた。だが、さて、その無代といふことについて考へさせられた。
假に無代として、どういふ觀客が無代でその劇場へ招じられるか? お上のお仕事である──其實は市民の懷から出てゐるお金であるけれど──服裝は何々、資格はどうといふことになると、十圓の入場料でも五圓でも出せる人が、傲然とただで澄ましかへつてはいつてゆくやうになる。そのほかには作家だとか、俳優だとか、劇場關係者の家族が、何か素晴らしい特權でももつた人間のやうな顏をしてのさばりかへる。と、いふのは、あたしは何時も劇場にいつて見て不愉快なのは、觀劇費の幾割かを觀客から貰つて生活してゐる人間が、ぬつとした顏をしてゐたり、平等の藝術愛好者でなければならないのに、いささかの座席の料金の差がつくらせる大面な上等席のブルジヨア見物の顏である。それ故、折角の無代であらうとも、一千萬圓も建築費にかけた其立派な劇場は、國賓を招く場合があるとか、なんとかかんとか名をつけて、いはゆる庶民はいつも三階、もしくは四階五階へ押上げられて、一等席は貴女紳士と名づけられるものでなくては許せないとなるとなんのための無代ぞやと言ひたくなる。
そこで、そんな、削られて消えてしまつた案などにコダはつてゐないで、あたしはいつもあたしのユートピアだと笑はれる、あたしの案の大劇場論をここですこしばかりいひたい。ばかばかしいと思ふ利口者は讀まないでもよいし、理想を實現してくれたいといふ人があれば三拜九拜する。
食べられない人が多くあるのに、夢のやうな大劇場論など何が必要だと、女人藝術のお友達には叱られるかも知れないが、あたしは脚本作家である故か、劇場の方のことが妙に頭を支配する。
そこで、あたしはずつと前から大小二ツの劇場がほしいと思つてゐる。一ツは最も小さい、會員組織──重に藝術にたづさはる者のみによるもので、他から望まれたをりは或は一夕の觀覽料を貳百圓からとるかも知れない。なぜならこの會員は、演者も道具方も音樂も、上演脚本もみな會員から出たもので、しかもその劇場の維持費さへ負擔しなければならない集りであるから、そこへ頭を突つ込んで、他で見られない高級演劇を見ようとならば、貳百圓が參百圓でも出せる側の人たちには安いものであらう。といふと、この劇はその限られた會員以外には、見るすべがないのかといふとさうではない。それはも一ツの大劇場の方へゆく人たち──民衆劇場とでも大衆劇場とでも、その名はなんでもよい、そこへゆけば、おなじものを見る事が出來るのだ。要するに小劇場で吟味された劇が大衆の前へ、もつとも安價に示されるためにその小劇場の必要があるのだ。
なぜそんな餘計な手數をかけるのだと言はれるかも知れないが、今の世はあまり安かれ惡かれにしつけられてゐる。大量生産のものは品が惡いとされてゐる(圓本は別)。そして勢ひそれが當り前のことになつて、惡いが安いから我慢するとなつてゐる。それがいやだからで、價で見せるのではない。正しい藝術を、みんなの心の糧のたしに──心の糧といふほどにならずとも、せめて肥しぐらゐにでもなるやうに──それが望ましいのだ。ほんとに藝術を守るものと大衆との握手、富で買ふ人たちだけが不自由する──そんな劇場の一ツや二ツあつてもよい筈だ。ぜひ持ちたい。
でも興行者側はなんといふか? 少しでも障りになるか? いえ、ちつとも痛痒は感じないであらうと思ふ。第一見物が在來の劇場側にちつとも屬してゐない──はいりたくてもはいれない人たちだから。では、高給で抱へてゐる俳優たちを動かされては? さうした心配もまづ無用だと思はれる。小劇場によつて試演される劇は、高價な場代を拂つて樂しむ見物にはあまりよろこばれない代物だと、いはゆる黒人筋は樂觀するだらう。俳優は給金をとつてはやれない芝居を、眞に力一ぱいに──それは出來不出來や人氣が生活を脅やかさないグループの中だから、ほんとに熱心にやれるよろこびをもつて、眠つてしまつた藝術慾とおとろへた生活力を盛返すであらう。そしてこの小劇場の會員である事を誇らしくさへ思はなければならなく思ふだらう。尤も此舞臺では役者の等級はない。十代目市川團十郎より、名なしの權兵衞氏の方が、權助の役においてすぐれてゐれば、それが主役であらうと、合議の結果は大劇場の舞臺に出されるをりは組みかへられることになる。
此處で三十錢説を繰りかへして稱へる。三十錢は安いやうでまだ高いがこれは單に觀劇料ばかりではない。食べものも含んでゐるので、最初から好むところを述べると、切符は赤、青、白、などの色によつて食事券をも代用する。そして、二階に三階に、左右に、いづれの食堂もよき食事をすこしの騷音もなく、その日の入場者の數と、最初の指定によつた數を、みだれずに配置よく、一人の不滿もないやうに、美くしく心地よく並べる。食事の不滿があつては、いかによき演劇を見せたからとてなんにもならない。
氣の早い人はもうここらで笑ふでせう。なるほど夢だと──三十錢で、どうしてそんなに何もかもが出來るかと。
それは立派な劇場を建てるのは非常な金を要し、幾人かの株主がそれを出すかはりに、出したが最後、支出金の何十倍に達する利益を收めたからとて、もうよいよとは決していはない。だから、こんな劇場は出來よう筈もないが、建築費は無論勘定には入れない、あとはみんな勞資協定、必然な費用だけ引いて一錢づつでも殘りを割る。一厘でも一毛でも積立をする。或は最初は無給かも知れない、又は幾錢かを受取る千兩役者も出來るかも知れない。──しかし、料理人もボーイも、切符賣りも道具方も、むだをはぶけば──つまり怠けてはゐられないと思へば、不必要な懷手をしてゐるおかひこぐるみの道樂者は退いてしまふ。不入りな高價な興行をつづけるよりは、一年三百六十五日の日はかなりなものを運ぶから三十錢滿員の方が、或は遙によい成績をあげないとはいへない。そして利息をもつていつてしまはないから、關係者たちは直に利益をうけることが出來る。そこで、雇はれた者でない本當の親切が劇場の全部にみなぎる。
で、その配當は見物の方へも割り戻されてよいわけであるが、數多き人を一人づつ記入しておく事は出來ないから、その配當をもつてますます設備をよくしなければならない。雨の日雪の日の自動車は、本所行、市外行、深川行といふ風に、一目でわかるやうに赤い塗や青い色で現はし、なる可く無料で老幼婦女から送り出すやうにする。自動車の厄介にならない男子たちには地下室に理髮や浴場を、入口には靴磨きを──これはちつとおせつかいめくが、誰しも好んでむさくるしいのを悦ぶものはない。心地よさは、やはらぎを與へるものである。そのやはらぎこそ人類が生きてゆくのに大切な大切な愛ではないか。
細かしくいへばこの最小劇場の土地は、辨慶橋の中あたりの靜かなところ、長椅子の三ツ四ツをおき、坐るとも腰かけるとも隨意で二階もなにもない。ただ舞臺をこはさないだけの柔らかみのある、贅澤でない居心地のよい無裝飾にちかい一室、階下や階上は、倶樂部や讀書室に貸して、劇場の維持費を助けさせることなど。
復興局案國立劇場設立地は丸の内の印刷局のあとだつたさうだが、あたしの大劇場は、すこし片寄るが、隅田川を裏にして、淺草藏前の以前の高等工業學校のあつたあたりにしたい。靜かに開演を待つ若人が河にむかつた讀書室の欄によつて思索し、或はボートをうかべて樂しみ、老人はまたそれを見て笑む──そんなよきことは出來ないであらうか? 借問す、みなさん。
寶塚歌劇の創始者で、箕面電鐵の專務で、先年脚本集をくださつた東京電燈の重役──近年芝居道の方も大資本家化したので、當り前のことではあるが、劇壇のお仲間にしてはお氣の毒な氣のするほど立派な、小林一三氏のお口から、最近二度ばかり妙なことをきいた。
一度は久米正雄氏の渡歐送別會の席上だつたが、その時はあんまり氣にしなかつたのでわすれてしまつたが、十二月二十日東京會館で松竹の大谷、白井兩氏の祝賀會が終つたあと、ふとした座談のはしが耳に殘つてゐる。
控室の隅の長椅子の前に、菊池寛氏とあたしと三宅やす子氏とが居た。そこへ小山内氏が來て──その時話したのが最後となつたが──「毛剃」(歌舞伎座、左團次所演)を見てくれるなら早く行かないと元船のところが五分位で幕になるからといはれた。それからまた高橋(左團次)が家内が雜誌へ何を話したかと心配してゐたが、などと話してゐた時、山本有三氏が寄つて來られ、その他の人と小林氏とがあつた。その時小林氏はあつさりとかういふ意味のことをいつた。
「今に役者がえらくなると、脚本作家なんかは要らなくなる。あつたところが、ああ書けかう書けと注文される位なものだ」
「そんな馬鹿なことはない」と否定する山本氏の聲が際立つてきこえた。菊池氏や小山内氏は笑つてゐた。
思ひ出すとその前に、テーブルスピーチでも小林氏は俳優高級論をとなへてゐた。今よりももつと高給を彼等に與へよといふのであつた。
その場にもつとも多く──殆んどといつてよいほどゐた俳優諸氏をよろこばせるための資本家のお上手と見ればなんでもないが、また、おだてられて、さうだと思ふ役者もあるまいが──。
役者全體がシエクスピアになるものではない。最も俳優が、全然違つた方面から巣立つたらば知らないことだが──だが、それほどの人材ばかり出たら、傀儡となつて叫び狂ふ自己の職業に滿足するかどうか?
小林氏もまた、大劇場をもつ抱負のある事を述べられた。これは直ぐにも實行力のある人の仕事であるから、確固たるもので、早晩實現されるものに相違ない。願はくば、消滅した國立劇場の如く、無代ともゆくまいが、安くしてください。但し俳優高級論とは一致しまいが──
これは小林氏にお願ひする。
底本:「桃」中央公論社
1939(昭和14)年2月10日発行
初出:「女人藝術 昭和四年二月號」
1929(昭和4)年2月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年12月7日作成
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