春
長谷川時雨
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今朝
昨夜、空を通つた、足の早い風は、いま何處を吹いてゐるか! あの風は、殘つてゐたふゆを浚つて去つて、春の來た今朝は、誰もが陽氣だ。おしやべりは小禽ばかりではない。臺所の水道もザアザア音をたて、猫はしきりにおしやれをしてゐる。
町では煙草のけむりが鼻をかすめ、珈琲が香ばしく、電車のレールは銀のやうに光り、オフイスの窓硝子は光線を反映し、工場の機械はカタンカタン響々と、規則正しく𢌞つてゐる。
朝はまだバスの女車掌さんにも勞れは見えないし、少年工も口笛を吹いて、シエパードを呼ぶ坊ちやんに劣らぬ誇りを生産に持つ。
春の新潮に乘つてくる魚鱗のやうな生々した少女は、その日の目覺めに、光りを透して見たコツプの水を底までのんで、息を一ぱいに、噴水の霧のやうな、五彩の虹を、四邊にフツと吹いたらう──
昨今
長く病らつてゐる人が、庭へ出られるころには、櫻花も咲かうかと思つてゐると、この冷氣だ。
だが、庭へおろしておく椅子などを、物置から出さしてゐるのなどは樂しい。風は寒くても、さすがに陽光は春だ。
マルセル・プルウストの「音樂を聽く家族」といふのを、譯者の山内義雄氏から貰つたので、その椅子に腰をおろして、ちよいとの間を盜んで頁を斷ると「テュイルリイ」といふ章に、
今朝、テュイルリイの庭の中、太陽は、ふとした影の落ちるのにも忽ち假睡の夢やぶられる金髮の少年といつたやうに、石の階段の一つびとつのうへに輕い眠りを貪つてゐた──
といふ書出しを見て、幾度も讀みかへす。なんともいへず氣に入つたのだ。
それにも負けずに、この頃あたしの、心の隅つこの方に住んでゐる、夕暮の歌がある。一ツは、サッフオの「夕づつの清光を歌ひて」といふ三行詩だ。
汝は晨朝の蒔き散らしたるものをあつむ。
羊を集め、山羊を集め、
母の懷に稚子を歸す。
といふのと、アンリ・ド・レニエの「銘文」といふ、これも三行の詩で、
あな、あはれ、きのふゆゑ、夕暮悲し
あな、あはれ、あすゆゑに、夕暮苦し
あな、あはれ、身のゆゑに、夕暮重し
共に、上田敏氏の譯である。
私はロシアといふ國のことを、種々に聽いてゐるが、その自然に對して、改造四月號の、横光利一氏の「半球日記」に書かれた、あの單純な、あの、無造作に見えるほどの表現によつて、草、草、草と、茫々した天地、悠久たる草原をともに見るの思ひがした。
──私は線路の傍に細々とついてゐる一條の路を眺め、ここをドストエフスキーが橇に乘つて流されて來たのかと見詰めてゐるばかりだ。
とあるところでは、わたくしも、びつくりと見詰めてゐるばかりの氣がした。
──ほのぼの朝日がさして來る──
といふ大平原の、
──樹木が一本もない。見る限り黄色な草で蔽はれた柔く低い山々の重なり、明るい光線、雲の流れ。眼を据ゑてぢつと山々を見てゐると、この無人の境では空と地とが狎れ合つてのどかに戲れてゐるやうだ。どことなく土地は一種の羞しさうな處女の表情をしてゐる。──とある。
土地と空とをさう感じたことは、私にもあるので、この大いなる果しなき地と空とでは、さうもあらうと思つた。そして、これは八月の盛夏の日記だが、ずつと前に、與謝野晶子女史が、十月ごろバイカル湖附近を通つて、空と、水と、一望薄の原の灰色と報じられたのをもどうしても忘れないでゐるので、今もそれを思ひあはしてゐる。
ブルー・パイ
たとへば、あたしが、モダンな、そして、ちよつと氣どつた、ハイヒールで、心もち肩で風を切るふうな、鼻のさきをなめてやると、かすかに細卷きのうすけむりがかすめた薫りが殘つてゐるやうな、三十歳の女だつたら、六月のドレスは、あの青いカササギみたいな禽の着附けを氣どるだらう。どこかお轉婆ふうで洒れてゐると思ふ。たしかあれは、濃い紺藍の尾ツポと翼のさきを持つてゐて、頭もその色だつたが、ネクタイを結んだやうに、咽喉のところと、帽子のさきとに、眞紅な眞紅な赤い飾りが、ぽつりとついてゐるのが、唇の紅のやうに鮮かに眼に殘つてゐる。そして上着は底を紺藍に染めた白と紺とのゴマガラ縞だ。
こんなのはあたしには似合はない。でも、六月の陽のさす、青葉の下で、この鳥をいつも眺める時、コケツトな女性をふと聯想する。文壇では宇野千代さんが着たらば、ピツチリとして、きつと好いだらうと思ふのだつた。
そよかぜ
あるかぎり展開かれた麥畑を地の色にして、岡を越え、河に絶たれては打ちつづく桃の花の眺めは、紅霞といふ文字はこれから出て、此野を吹く風が、都の空をも彩どるではなからうかと思ふやうに眺められる。凄いほどな麗人といふよりも美しい野の少女が朱の頬を火照らしながら、それでも瞳を反らしてしまはずに、うるんだ眼差しで、凝と見入つてゐるやうな、捨てがたい、胸のはれるやうな心持を與へられる。
私は春が來るごとに、少女達の魂が、宵々ごとの夢にどんなふうに蒸されてゆくだらうかと、笑ましくなつて少女達の顏を眺めることがある。私がまだほんの少女の時分に、凍瘡のいたがゆいやうな雨のふる宵に風呂から出て、肌の匂ひとは知らずに、白粉の溶けてしみこむ頸もとを眺めたり、自分でも美しいと思ふやうな眼の色を見詰めてゐたり、しつとりと香油をふくむ黒い鬢の毛を掻きなでて見たりして、燈火のもとで鏡に見惚れてゐた時もあつた。
いま私の𢌞りに、十六の春を、自分の唇の色にも唆かされるやうな夢見がちな娘たちが居る。私はその少女達の面を眺めるたびに、春風ではないが、少女の額へ柔かい微笑が投げてやりたくなる。
男に生れるのなら
やにつこい色男でなく、才子でなく、といつて大男總身に智惠が𢌞りかねでなく、老年になつてから哀れだから、細面の美男子でもなく、といつてドングリの如く堅く強げでも、あまり野蠻では厭。
日々の心の生長する、膽ありて細心、己に慢ぜず、ことに女性を侮蔑せざる──そんなふうな人に生まれたし。
お風呂場美術
美女の湯上りの風趣を、古來から美人畫家は、おのおのの麗筆で、さまざまに眺めて描いてゐる。几帳のかげに、長い髮に香を炷きしめさせてゐるのもある。鬢上げをしたまま煙草をくゆらしてゐるのもある。紺蛇の目の半開き、ぬか袋をくはへてゐるのもあれば、湯上り浴衣を抱へてゆくのもある。このごろあたしの書いた小説の揷繪にも、肩から衣のぬげおちようとしてゐるところ──これは湯上りといへないが──濛々たる湯氣の中に立つた姿もある。
だが、繪に出來ないで、私の心にとまつてゐる風景は、白紙を鼈甲の笄に捲いた、あの柳橋の初春の──白紙を捲いた笄なんて、どうしたつて繪にはならない、そしてそれは柳橋にはかぎつてゐないが、かみゆひさんの手腕を見せた藝妓島田が揃つて──三ヶ日過ぎると、恰好のいいつぶし島田にザングリ結つたのも交つて、透き通るやうな笄を一本、グツと揷したのが、クルクルと細紙を捲きつけてくる。白紙が湯氣に濕つて──したたれるやうな緑の黒髮に對し、あの、しんめりした感觸──
しかし、今でもさうかどうか。家で揷したんぢや笄の恰好が惡いし、髮の根がゆるむし。そこで、髮を結ひあげるときに揷して、笄を惜しまずやつたのであらうが、二三十年も前のことで、今日の錢湯風景を知らないから、なんともいへない。
お風呂場美術──近ごろは街頭から、すぐ、ぢかではないけれど、あの、戸を一枚ガラリとあけると、すぐそこが脱衣場はいけない。下駄をぬぐところは別にしなければ、いくら本場の美術展覽會をとりしまつたつてなんにもならない。また古くさくもとへもどつて二十年前についていふと、小さい鏡を番頭さんが、留湯の桶と一緒に、グツと押出して來たものだつたが、近ごろは羽目一ぱいの鏡があるさうだ。それは、よささうで惡い。こんなことをいふと古くさいと笑はれるかも知れないが、みじんまく──即ちおしやれは、人に知られず自分だけコツソリしてこそ引きたつ、同性だからかまはないといふのは違ひはしまいか。もし愛する同志が一緒になつて、すぐに嫌になるのが、内面からでなく、あいつのあすこがいやだなんて、顏かたちに指さされるのは、コツソリやるべき身じんまくを、同性の前でやるのとおなじ不遠慮さで──つまり、浴場の鏡場奪取の光景とおなじ殺風景にやるためではあるまいか──
は、は、これでは浴場美術ではなく浴場哲學? になつちまふ。せめて粹な女の人だけは、おふろにはいる時も、小唄の女の氣持ちでね、なんて、千九百三十年なのに──
底本:「桃」中央公論社
1939(昭和14)年2月10日発行
初出:今朝「令女界」
1936(昭和11)年4月1日
昨今「文藝懇話會」
1937(昭和12)年3月
ブルー・パイ「モダン日本」
1937(昭和12)年7月1日
男に生れるのなら「現代」
1933(昭和8)年3月
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月17日作成
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