きもの
長谷川時雨



 着ものをきかへようと、たたんであるのをひろげて、肩へかけながら、ふと、いつものことだが古への清少納言のいつたことを、身に感じて袖に手を通した。

 それは、雨の降るそぼ寒い日に、しまつてあつた着るものを出してひつかけると、薄い汗のが鼻をかすめると、その、あるかなきかの、自分の汗の匂ひの漂よひと、過ぎさる夏をなつかしむおもひを、わづかの筆に言ひ盡してあるのを、いみじき言ひかただと、いつでも夏の末になると思ひ出さないことはない。何か、生といふ強いものを、ほのかななかにはつきりと知り、嗅ぐのだつた。


 きものにもさま〴〵あるが、煎じつめれば、きものは皮膚の延長だとわたくしは思つてゐる。

 裸身はだかでは居られないので、天然の美を被ふのに、その顏によく似合つた色の布を選らむのは當然なことで、すこしでも美しいのをといふ心持ちが、色彩に敏くなり、模やうや、かたちまでが種々に變化し、賣手のつくる流行に支配されると、自分の皮膚とは、似てもにつかないものをつけることになつて、化粧を濃くしてごまかし、自分の本來のものを殺してまで衣服の柄の方に顏を合せようとする不自然さになつたりする。


 そんなことを思つてゐるところへお客があつた。きものの話をきいて書くのだといはれる。

 いろんな變轉を經て來て、日本の着ものは、この風土と、この家屋とのなかに育つて、平和な時の家庭服としては、ゆくところまでいつた良さがあるといふやうな話をして、

「一人の人が考へたのではなく、長い年月の間に、みんなが、自分たちに具合よくしていつたのだから──」

 と、言ひながら、

「日本の着物を裁つといふのは、反物を四ツ四ツと折つて、それを二ツに斷りはなし、あとを堅に二ツにすれば出來る、老若男女、いづれもおなじ、こんなにはつきりしたものはない。」

 と、昔の人の頭のよさを、また思ひ直した。

 反物は、近頃こそ袖が長くなつたので、三丈とか、三丈三寸とか五寸もあるのがあるが、明治時代は二尺八寸がお定まり、木綿ものは七寸のもあつた。これは時代を遡つて、特別の織のほかは、寸尺の短いものであつたことを思はせる。

 お針仕事が、津々浦々の、女たちにもわかりよいやうに、反物のはばは、およそ男の人のゆきに一ぱいであることを目標めあてとし、その布を、袖に四ツに疊んで折り、身ごろを長く四ツに折ればとれる。あまつたのを堅に二ツに割つて、襟とおくみとすれば出來る。縫ひ方も簡略で、みんな堅に縫ひ、袖の下を縫つて袋にすればよいので、單衣を合せれば袷、間に綿を入れれば綿入れとなつたのだ。

 しかも、寸法も、男は何寸、女は何寸と定法じやうはふがあり、大概それで誰にも着られる。子供は、何歳までが四ツ身、その下が三ツ身、その下が赤兒用の一ツ身で、四ツ身は何尺の裂地が入用、一匹の布(成人用の二反が一機ひとはたで、二反つながつてゐるのが一匹)で四ツ身は三ツとれる、三ツ身は半反で出來る、一ツ身は一反の三分の一の裂れ地で出來ると教へられる。

 ふぞくした繻絆でも、下布でも、みんな堅長、横長、角型であるから、たち屑も出ないが、裁ち、縫ふのが樂であると共に、着るのも樂だ。しかも、老年者のは男女共通の布ですむし、夜着にも風呂敷にも、雜巾にも、あますところなく最後まで役に立つ。

 どうも、かういふ便利に馴れてゐると、衣服の改良といふことは、仕事服、非常服の方からでなければ具合がわるい。と、いふと、アツパツパ禮讃はどうしたといはれもするが、ここにいふ、日本の平服のよさは、もつとも簡略な、細い帶とゆかたが代表するきものをいつてゐるので、家庭用以外のものではなく、アツパツパの方は働く女と、これからの生活に、時代を意識していつてゐるので、鎖國的平和時代がまた來るものではなし、その時代に發達したきものが、これからの激しい時代に、そのままでよい筈もない。

 末の妹がまだ少女の時分、口ばかり達者だといつて、よくが、

「茶袋は、どんな着ものを、子供や亭主にきせるかな。」

 と、笑つてゐた。茶袋ちやふくろといふ愛稱は、おちやつぴいといふ意味と、袋でも着てゐるかといふこともふくめてゐた。

「風呂敷のやうな大きな布に、頭の出るところだけ穴をあけて着せておくか。」

 ともいつた。

「丹波ほうづきをならべたやうに、男の子は青いの、女の子は赤いの。」

 と、父に相槌を打ちながら、わたくしは、ふと何か、暗示といふほどでもないが、思ひあたるものがあつた。

 原始的なきるものは、そんなところにもある、それで手を出して、胴をくくれば、今日の言葉でいふ簡單服の型になる。


 隨筆集に「きもの」といふ題を不用意につけてしまつたが、きものとは、たけだけしいと考へてしまつた。「きもの」といふ名のもつ廣さ、大きさ、強さは、もつと〳〵本質的に研究したものへつける題であつたと、蟲の音く夜ごろの凉しさなのに、汗ばんだ。

──昭和十四年九月十日夜──

底本:「隨筆 きもの」實業之日本社

   1939(昭和14)年1020日発行

   1939(昭和14)年117日5版

入力:門田裕志

校正:仙酔ゑびす

2009年117日作成

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