お灸
長谷川時雨
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お灸ずきの祖母が日に二三度づつお灸をすゑる。もの心覺えてから灸點の役が、いつかあたしの仕事になつてゐた。五百丁の巴もぐさをホグして、祖母の背中の方へ𢌞ると、小さい燭臺へ蝋燭をたて、その火をお線香にうつして、まづ第一のお灸を線香でつらぬき、口の中でブツブツ言つて、體中を手早く御祈祷するやうな手附きをした。いづれなんとか文句があつたのであらうが、おそはつた時から忘れてゐるのだ。祖母が沈香をもつてゐたのと、指をやけどしたりすると、チチンカンプンと口で吹きながらいつたのとを、ごつちやにして、なんでも、
沈香御祈祷、チチンカンプン、チチンカンプンとごまかしたやうだつた。
その祖母が、自分が灸ずきなのばかりではなく、あたしにも日に二三度すゑなければ承知しなかつた。弱いからといつて──お行儀が惡いからといつて──ハイと言はなかつたからといつて──
だが、あたしの弱かつたのはお灸のせゐだと今では思つてゐる。なぜならば、膏汗と精根を五ツ六ツのころから絞りつくしてゐるのだ。ごめんなさいといつたからとて許してくれるものではない、泣けば泣くだけ多くすゑられる。逃げればいよいよ惡化する。跳ねかへさうとすれば、母の大きな肥えた體が、澤庵漬のやうに細つこいあたしの上に乘つて、ピシヤンコにつぶしてしまふ。まつたく或時は、涙とよだれと鼻と汗で、平べつたくなつてしまつて起きあがられない事もあつた。そんな時は圖々しいといつて、短氣な母の平打ちがピシヤリピシヤリと來て、惡くするとも一度熱い目にあはされたりした。そして、その祖母といふ女と、母といふ女と、二人の年長者は言つた。
「家の子は仕置きがきいておとなしい、それにどうやら體も丈夫になつた。」
子供たちは支那金魚の目玉のやうに、灸のあとのフクレたのを見て悲しみあつた。ホテつて痛むこともあつた。ことにあたしはそれがひどかつた。兩方の人差指の根もと、足の中指の根もと、おへその兩ワキのは動くので燒けあとが大きかつた。背中は八ツ目鰻の目のやうだといはれた。
父はよく悲しがつて女の人たちに言つてゐた。
「肩だけへはすゑてくれるな。洋服を着たときに困る」
それ、また、洋服なんて──お父さんが惡いと叱られてゐた。
×
震災のとしであつた。あたしの體はグツと惡く、心も身もクタクタだつた。ある雜誌社の方から親切にお灸をすすめられた。それは肩である。手の甲の眞ん中である。あたしは吐息をついた。父の悲しがつた言葉を思ひだしたから。
しかし、灸點師は火をクツツケてしまつた。その後、小さい女中がすゑてくれることになつたが、十六の小娘のすゑるお灸がバカに熱くてこらへられなかつた。ジリジリと焦げる樣子がをかしいので氣をつけると、それはわざとぢかに火をあててゐるのだつた。お灸をつけておくれといふと大きく丸めて火をつけて、わざと背中を轉がす──がまんしてゐると、ますます大きくして熱がるかと樣子を見てゐる。
あたしは熱がりながら十一二で、おとなしくして、羽箒をもつて、どんなにしたら具合よくゆくかと、細かく神經をつかつて祖母の背中にむかつてゐた自分の姿を思ひ出してゐた。そして自分の後に心で笑つてゐる娘を見てゐた。その娘は非常に醜くて青い鼻汁をグスグスいはせてゐるが、××樣があたしをくどくのなんのと書いた紙を捨ておいて、いつもあたしを困らせてゐるのだつた。氣をつけて──と頼むよりは、他の手をかりなければならないことで、しかも亡父があれほど氣にしてくれた肩なのだから、お灸の養生法はそれきりで中止してしまつた。
×
大きな灸を心にすゑて苦しむ──それは別の心ゆかせもあらうが、さういふ意味でなく、自分を叱るお灸も心にすゑなければならない。折々思ひだされるのは、もぐさの匂ひと、むかしあたしの膝の前にすわつた祖母と、ついこの間、後から腰へ膝を押しつけたあの娘との、肉體を燒くお灸についての異なる感じである。
底本:「桃」中央公論社
1939(昭和14)年2月10日発行
初出:「不同調」
1928(昭和3)年
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2009年1月18日作成
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