災厄の日
原民喜



 自分の部屋でもないその部屋を自分の部屋のやうに、古びた襖や朽ちかかつた柱や雨漏のあとをとどめた壁を、自分の心の内部か何かのやうに安らかな気持で僕は眺めてゐる。湿気と樹木の多い日蔭の露路にこの下宿屋の玄関はあつて、暗い階段をのぼつた突当りの六畳が僕の部屋なのだが、焼け残つたこの一角だけは今、焼跡に発生してゐるギラギラの世界に対して、静かに身を躱してゐるやうだ。

 窓の外の建物の向ふにギラギラ燃えてゐた太陽が没して、この部屋の裸電球が古びた襖や柱を照らす頃、僕は漸く人心地がついたやうに古畳の上に横はつたまま、自分の部屋でもないその部屋を自分の部屋か何かのやうに眺めまはしてゐるのだ。これは僕が学生の頃下宿してゐた六畳の部屋に似てゐて、何となしに、この世のはてのやうな孤独の澱みが感じられる。僕は久振りに昔の古巣に戻つたやうな親しみをおぼへる。(古巣へ? ほんたうに僕が戻つて行かれたら!)僕はいま晩年のことを考へてゐるのだ。せめて僕の晩年には身を落着けることのできる一つの部屋が欲しい。この世のすべてから見捨てられてもいいから、誰からも迷惑がられず、足蹴にされたり呪詛されることのない場所で、安らかに息をひきとりたい。そしてその時、自分のしてきた、ささやかな仕事に対して、とにかく、かすかに肯くことができたら、そんなことを考へてゐると僕は何か恍惚とさされる。

 遠方の友よ、君はもうあの家には戻つて来ないのであらうか。君が旅に出掛ける頃、僕たちは同じ軒の下にゐながら、もうお互に打とけて話しあふこともできなかつた。前から僕は君の細君とは口をきくのもひどく怕かつたが、君が旅に出てからは、なほさら、あの家の空気は暗澹としてしまつた。転居の費用とあてさへあれば、僕はもつと早くあそこを飛出してゐただらうに。その家の無言の表示のなかには僕に早く立退いてほしいといふことが、いたるところに読みとれるのだつたが、僕はおどおどしながら窒息するばかりの窮屈な状態をつづけてゐた。

 だが、……ある日、僕は君が阿佐ケ谷の友人にあてた手紙を見せて貰つて、僕は根底から震駭された。さうかなあ、さうだつたのか……さうなつたのなら……もう、かうしてはゐられない、と僕は君の手紙の告白を読んだ瞬間から絶えず呟きつづけてゐたが、その友の家を出て省線の駅まで歩いて来ると、夜が急に深まつてゐた。さうか、さうなのか、と僕は電車の軌道や青いシグナルをじつと眺めてゐた。その冷んやりした夜のレールや電柱は、すべて何ごとも答へてはくれなかつたが、僕には何かの手応へのやうにおもへた。電車は容易にやつて来なかつた。静かな駅の上にかぶさる夜空は大きな吐息に満ちてゐるやうだつた。この夜空のはて、軌道の彼方に、僕のまだ知らない土地で、その遠隔の地で、君は新しい愛人と生活をともにしてゐたのか。さうして、僕がいつもの如くおづおづと帰つて行かうとする方角には、君が既に見捨て、断じて再び戻らないと宣言してゐる君の家があるのだ。さうして、今もその家には君の決意をまだ少しも知らない君の細君がゐるのだ。君は僕あてに手紙を出すと細君が怒るのを考慮して、長らく僕には手紙をくれなかつたのか。漠然とそんな心づかひも分つてゐたやうだが、悲しい友よ、君のお蔭で僕には人生が二倍の深さに見えてくる。友よ、人間とはこんなに悲しいものなのか。突然、僕の穿いてゐるゴム靴の底は、僕の体を宙に浮上らせるやうな感覚がした。僕は大きく息を吸つて、両脚を突張らねばならなかつた。

 君はその愛人のなかに神を見出し、この地上で被つた魂のかずかずの痛手をこの地上で、こんどこそほんとに医やすのだといふ。そして、そのためには君が建てた東京の家と家財一切は金輪際、捨てて顧みないといふのか。君がこれまで人間のできうる限りの忍耐力で堪へてゐたものも僕にはわかるやうな気がする。だから君にとつては、こんどのことも……だが、それにしても、そしてこれは……これらはすべて容易ならぬことに違ひないのだ。不思議な友よ、悲しい友よ、僕は君をよく知つてゐるはずなのに、ほんたうはまるで知つてゐないとも云へるのだ。そのくせ君の存在は遠くから僕をゆさぶり、僕に何ものかを放射してくる。戦時中、君が牢獄から出ていきなり鋭い詩を書きだした時も、ハツと僕を驚かした。終戦後、一刻も早く東京へ出て来いと云つてくれた君の葉書は忽ち僕を弾いた。そして今度も、何か容易ならぬものが、僕の胸を締めつける。……殆ど絶え間なしに、こんな独白を繰返しながら、僕はその夜もいつもの如くおづおづとあの家に帰つて行つた。何ごとも知らないその家の細君は、その家の奧にひつそりと存在してゐたやうだし、その家の模様は僕がそのことを知らなかつた前とちよつとも違つてはゐなかつた。だが、僕はどうしても、もう直ちにその家を引揚げねばならぬ男だつた。

 それから間もなく僕は甥の下宿へ一時、身を置くことになつた。彼は郷里から先輩の宿を頼つて受験に来て、その先輩が卒業したのと入替りに簡単にあとの部屋を譲り受けてゐた。この未成年の甥は僕のやうな窮迫をとても理解するのではなかつたが、ただ休暇中だけといふ約束で渋々と承知してくれた。もう甥の学校は夏になるかならないうちに休暇になつてゐた。僕は甥が帰郷すると入れ違ひに、この部屋に移つて来た。それから、ここでの仮りの生活がはじまつた。

 この下宿屋の階下の薄暗い部屋は、ここの主人とその母親だけの棲居になつてゐるのだが、品のいい老女とその若い息子は、まだ昔ながらの静かな澱みのなかに生き残つてゐるやうだ。二人が話しあつてゐる声まで、しつくりと穏やかに潤ひがあつて、まるでここへは災厄の季節も侵入しなかつたのかとおもへる。僕はある夕方、台所でその婆さんと身上話をしてゐた。

「原子爆弾……大変な目にあはれたのですね」

 静かな緊迫した調子だつたが、それだけの言葉で僕はふと深いところに触られたやうな不思議な気持がした。ある日、僕は知人から貰つた五合の米を甥の置いて行つた鍋で少し炊いてみようとおもつた。下宿の狭い薄暗い台所には小さな流場があつたが、鍋に水道の水を満たし指で白米を掻きまぜた瞬間、僕はこの流場が昔の僕の家の流場とそつくりのやうな錯覚がした。僕が妻と死別れた夏、その頃はもう女中も傭へなかつたので、僕はよく台所で炊事をしたものだ。炊事も洗濯も縫ものもとにかく不器用ながら出来るやうになつたとき僕の妻は死んだ。その後、僕は旅先の住居を畳んで広島の兄の家に移つた。(まるで広島の惨劇に遭ふために移つたやうなものだつたが、)それからも絶えず他所の家で厄介になりつづけてゐたので僕はもう台所のことを忘れかけてゐた。いま僕は自分の指を鍋の水に浸すと、急に自分の指がふと歓びに甦つたやうにおもへた。すぐ向ふの部屋には病妻が寝てゐて、僕は台所でごそごそ用事をした。長らく病床にゐながら妻は台所のこまごました模様を僕よりはつきり憶えてゐた。あれはつひ昨日のことのやうで、あの片隅はまだそこにあるやうに思へるのだが、実際はもう涯てしもない遠い世界のことがらになつてしまつた。だが、生活とは多分あのやうな、ひつそりした片隅にしかないものなのだらう。

 ひつそりとしたこの宿の雰囲気を絶えず掻き乱してゐるのは、僕のすぐ向ふの部屋なのだ。障子と狭い廊下で隔てられてゐるその部屋は殆ど絶え間なく僕の方へ響いてくる。障子の向ふの若い男は日に二三度は烈しい咳の発作に襲はれる。その咳だけきいてゐると、もう余り余命は長いことなささうなのだ。だが、咳が鎮まれば、すぐ興奮した声で彼は喋りつづける。その障子の向ふで細君を相手に喋つたり身動きしてゐる調子は、まるで何か危険な物質の上を爪立ちながら飛歩いてゐるやうだ。僕はその男の身うごきから、ふと向ふの部屋に無数の爆弾が飛散つてゐるやうな幻想をおぼへる。箸を持つ間も畳の上を忙しげに、あの男は逃廻つてゐるのではないか。その部屋には日に何度も相棒らしい人がやつて来るが、すると彼は相棒らしい声でひどく調子づいてゐる。忙しげに早朝から出かけるかとおもへば、一日中寝そべつて細君と喋りあつてゐることもある。それから、軍人あがりらしい間抜け声の揉み医者がやつて来ると、二人はすぐ世間話に夢中になる。終戦のどさくさに、らくらくと荒稼ぎした連中のことを彼は自分のことのやうに熱狂して話しだす。間抜け声の医者はねつとりと落着払つて「さうしたものですかなあ」と感心してゐる。そのうちに話はきつと戦争のことになる。すると彼等の間にはもう今にもすぐ世界戦争が始まりさうなことになつてゐるのだ。「さうしたものですかなあ」と揉み医者はいつまでも坐り込んでゐる。

 どうしても、絶えず、あの部屋には騒擾がなくてはならないのだらう。男が留守の時は、小柄な細君がひとりで何かぶつぶつ呟いてゐる。「ああ、米が欲しい、米が。いつになつたら米の心配しないで暮せる世の中になるのやら」と嘆息のやうに喚いてゐることもある。僕はある朝その細君が男にむかつて、「それでもあなたは元気になつたわね」と囁いてゐるのを聞いて吃驚した。あの二人もこの地上から追詰められて、今、六枚の畳の上で佗しく寄り添つてゐるのだが、ほんとに寄り添つてゐるのだらうか、そのことさへ、もう気づかないし、はつきりはしてゐないに違ひない。

 三度、三度の外食食堂では玉蜀黍の団子がつきものなのだが、あの日まはりの花のやうに真黄な団子は嚥下するのに困難であつても、とにかく空腹感を満たしてくれる。僕にとつて二年間もつづいた飢餓感覚は今もまだ僕を脅かしてゐるのだが、僕はその黄色なものの存在に対して子供らしい安心感を抱くやうになつた。ところが、僕の周囲で忙しげに食事をしてゐる人たちは、どうかすると、その団子だけをテーブルの上に放り出して行く。(さうだ、彼等はとにかく僕よりはましな暮しをしてゐるのだな)と僕は時々その見捨てられた団子の数に驚かされる。ここへ集まつて来る人々は細つそりと生気ない顔をした仲間と、てらてら卑しげな表情の連中とが水と油のやうに、しかし、まぜごちやになつて並んでゐる。僕は朝夕の行列の中で、ふと淋しげな眼の色の婦人を見かけたことがある。大きな通勤カバンを抱へたその婦人は朝の食堂で昼の食糧を弁当箱に詰め込んでゐた。だが、ここへ集まつて来る婦人は大概、爪さきを真紅に染めた若い女たちだ。さうした女たちはもう放縦なポーズが身についてゐるのか、壁とテーブルの間の狭い通路は席のあくのを待つ人々で一杯なのに、椅子を壁に凭掛けて脚をテーブルの上にやり何かを嘲けるやうに身を反りかへしてゐる。

 僕は食堂を出てアスフアルトの道路の方へ歩いて行く。軒の密集した小路から、そこへ出ると、暑い陽光が一杯あふれ、風はしきりに吹いて来る。この道路は駅のガードの方へ通じる路で、時間も空間もすべて一つの方向から他の方向へ流されてゐるやうだ。僕はたしかに、はつきりとそれを感じる。だが、僕の現実の視覚のすぐ裏側には、今この道路が忽ちバラバラに粉砕されてしまふ。破片だ、──結局ここも何か惨劇の跡の破片なのだ。……だが、僕の踏んでゐる惨劇の破片の道路と道路の上の空は今、ピンと胸を張つて駅のガードの方へ一つの意欲の如くつづいてゐるではないか。結局、僕の方がここへ迷ひ込んで来た破片なのだ。……だが、もう一度、僕はピンと張つた青空の向ふに眼をやると、この道路のはるか向ふに、何か小さなものがピカリと閃く。と、一ふきの風に散りうせてしまふ奇怪な地球壊滅の全景が見えてくるのだ。

 かうして僕のうちには絶えず窈かに静かな惨劇が繰返されてゐるのだが、僕はいつのまにか駅のあたりまで来てゐる。道路が駅のところへ来ると、急に焼跡の新世界が展がり、人々の流れは戦災者の渦のやうに息苦しくなる。流れてゐる、流れてゐる、人々はまだ的もなく押流されてゐる。と、ガード下のトラツクに袋を抱へたどす黒い男女が警官たちに包囲されて無理矢理に一人づつ車上に積込まれて行く。が、たちまち人々の流れはそんな光景を黙殺して露路から露路へ入込んで行く。露路から露路へ、僕も乞食のやうな足どりで歩いてゐる。戦災と飢ゑと宿なしがいたるところに流れてゐる。ぞろぞろと人波は向ふの方からもやつて来る。

 しかし、どうかすると、僕は何かはつとする。たしかに、ダイヤモンドのやうなものが、樹木の多い露路の人混みのなかから、たしかに、こちらを射てゐる。あれは一たい何なのだらうか。なにものが僕を射るというのであらうか。それは何か思ひちがひのやうにも思へるのだが、だが、たしかに今も地上にはそんな美しいものが存在してゐるのかもしれない。

 僕は甥から部屋を早く立退いてくれと催促されてゐた。近いうちに彼は友人を一人連れて帰るので、どうしてもそれ迄に僕にここを出てくれと云ふのだつた。初めの約束もあつたし、僕はこの部屋に移つた時からも絶えず貸間はさがしてゐた。週に二度出掛けて仕事を貰つて来る出版社の人々にも極力頼んでみた。できるかぎり僕の数少ない知人から知人をめぐつて部屋のことを哀願してはゐた。が結局、金を持つてゐない僕にとつて、殆どそれは絶望的といふよりほかなかつた。どうかすると、僕は自分の部屋でもないこの部屋に(もつとも、さうでもするより他はなかつたのだが……)うつかり安定感を抱きかけてゐた。しかし、甥の要求の手紙は度重なり、その調子もだんだん激越になつてゐた。僕はそろそろ逃亡の準備をしておかねばならなかつた。

 ある日、たうとう甥はこの部屋に戻つて来た。学生服の甥は部屋の障子をあけると、黙つて廊下の外に立ちどまつてゐた。僕はその顔を見た瞬間はつとして、あ、これはもう駄目だな、と思つた。それはもう顔とも云へない位、怒りにはち切れさうな顔だつた。こんな風な顔なら、僕にはいくつも思ひあたることがあるのだ。甥は廊下の外に立つてゐるもう一人の学生服を顧みて、「はいれよ」と云つた。友人らしいその男は部屋に入つて来ると、僕に軽く会釈した。僕は甥に何とか言葉を掛けようと思つてもぢもぢした。だが、甥の顔の筋肉は硬直してピリピリ痙攣してゐた。

「もう二三日待つてくれないか、とにかくもう二三日」僕は漸くこれだけ云ふと、やがてその部屋を出て行つた。いや、僕が部屋を出たといふより、痙攣が僕をあの部屋から押出したのだ。僕は密集した軒の小路を抜けて、広いアスフアルトの道路へ出た。道路の上の空はピンと胸を張つて駅のガードの方へ一つの意志の如くつづいてゐる。ふらふらと僕はいつのまにか駅の前の雑沓を歩いてゐた。前から二三度僕の意識に浮んだことのある土地会社の方へ足は向いてゐた。袋路を入つて、その扉の前に僕は立つた。僕が扉を押して入ると、狭い土間に老婆が一人腰掛けてゐた。

「部屋ですか、この付近にあるのですよ、アパートの二階の四畳半ですが、今日も一人見に行かれて流場が少し暗いといつて断られましたが……」

「その流場には水道もあるのですか」僕は妙なことを訊ねたが老婆が頷いたので何か吻として、権利金のことを訊ねた。

「一万といふことですが、係の人が今留守ですから明日もう一度おいでになりませんか」

 一万円ときいて、僕はかねて勤先の出版屋へ交渉中の前借の金額を思つた。それは恰度、一万円であつた。それだけの金が借れると、それだけが僕にとつて使ふことのできる最後の金に違ひなかつた。

 部屋に戻つてみると、そこら中が甥の荷でごつた返しになつてゐたが、今、部屋には甥も友人もゐなかつた。机の上の紙片を見て僕ははつとした。

〈三日ほど待ちます 僕たちは三日間友人のところへ行つてゐます必ず立退いて下さい 以上〉

 圧力はやはり僕をここから弾き出さうとしてゐるのだ。これは僕にとつて、単なる甥の拒否ではなかつた。……翌日は嵐にでもなりさうな、奇妙にねつとりした、だらだら雨の日だつた。僕が土地会社を訪れると、係の人はゐた。そのブローカーらしい男は、すぐに貸間の条件についてごたごた話しだした。それから、とにかく一度ごらんになつては、と僕にすすめた。そこの小僧に案内してもらふことになつた。僕と一緒に外へ出た小僧は傘もささないで雨のなかをすたすた歩いて行つた。彼は僕を甥の下宿のある露路の方へ連れて行く。が、その一つ手前の角まで来ると、横へ曲つて助産婦の看板の出てゐるところまで来た。そこがアパートだつたのだ。僕はその時までそこにアパートがあるとは気がつかなかつた。だが、それは僕の迂濶さばかりからではない、その古びた木造二階建の家屋は殆ど芥箱か何かのやうに引込んだところに目だたなく存在してゐたのだから。僕たちは大きな薄暗い芥箱のなかに這入つて行つた。朽ちかかつた木の階段にはところどころ穴があいてゐて、短い階段をのぼると、低い天井に薄暗い電燈が一つ佗しげに灯つてゐる。そこから一米幅の廊下の筈なのだが、薪やらバケツが通路一杯塞いでゐた。障害物を避けながら二三歩進むと、すぐ目の前の扉が開放しになつてゐる部屋の入口に小僧は立留まつた。が、つづいて僕がその入口に立つた時、何か気味悪い濁つた塊りがもぢやもぢやと暗いなかに蠢めいてゐる姿に僕は圧倒されさうだつた。小僧はその部屋に上つて行くと、何かひそひそと話してゐた。

「どうぞおはいり下さい」膝の上に女の児を抱へてゐる若い女が僕の方へ声をかけた。狭い汚れた畳の上には白米が一杯に新聞紙に展げてあつたが、僕が入つて来ると、真黒な腕をした痩せた老人が、それを両手で掻き集めて隅の方へ片づけた。壁に凭掛つて汚れたモンペ姿の老婆が二人、脚を投出してゐた。五人暮しかしら……僕はこの部屋の人員のことをぼんやり考へてゐた。

「お天気がわるくていけませんね。いい部屋ですよ、日もよくあたりますし……」若い女は落着払つて日常の会話を持ちかけて来た。僕はさつき土地会社の男から、その部屋の条件についていろいろきかされてはゐた。アパート管理人の諒解は後でうけることにして、最初は同居人の形でずるずる入り込むこと、(さうでもしなければこの節、部屋など絶対にないと彼は云つた)だから、部屋を見に行つても、前から識りあひの人が訪ねて来たやうに振舞つて欲しい、さうして同じアパートの煩さい人々の手前をうまく繕つてもらひたいといふのが、その条件であつた。差当つて僕はこの条件に縛られて行くより他はなささうだつた。若い女はあたりの部屋に聴かすため大きな声で世間話をするのだつた。それから、あたりを憚るやうな声で部屋の説明をした。

「あと三日位で部屋はきれいに開けますよ。ですけど、当分、間代は私の方から管理人へ払ふことにさせて下さい。それからアパートの人達にはとにかく身内だといふことにしておいて下さい。いいえ、隣近所はみんなそれはいい人たちばかりです」

 その説明は何か眼の前にある、僕には見えない、複雑な糸について云つてゐるやうな、もどかしさがあつた。

「それであなたたちの出て行くあてはあるのですか」

「こんどは事務所の二階へ移ります。いいえ、この人たちは郷里から一寸来てゐましたが明日は帰ります」

 僕は古びた箪笥や境台でごたごたした壁際や、向ふに見えるガラスの破損した窓に視線をやり、何かがつかりしたやうな気持だつた。僕と案内人とがその薄暗い芥箱のやうなアパートの建物を抜けて外に出ると、あたりは陰気な雨の巷であつたが、それでも外の光線や空気がすつと爽やかに感じられた。

 返事を少し待つてもらふことにしたが、僕は怯気づいてゐる気持を強ひて鞭打たなければならなかつた。どんな陰惨な建物だらうが、暗い環境だらうが、とにかく自分の部屋として、いくらかの空間が与へられれば、それでいいではないか。さうすれば、その部屋の中に何ものにも侵されない僕の部屋を持つことができるのだ。だが、やはり最初あの部屋の入口に佇んだ時の、あのもぢやもぢやとした濁つた気味のわるいものが、どうにもならなかつた。僕はどう決めていいのか思ひ惑つてゐた。……朝がた僕は奇怪な夢をみた。アパートの部屋のあのもぢやもぢやとした真黒い塊りが一瞬、電撃のやうに僕の頭のなかに再現したかとおもふと、「あれは、泥棒の巣だ」と、はつきりした声が聴きとれた。僕は妙に胸苦しく脅えた感覚に突落されてゐた。

 朝の外食を済ませて部屋に戻ると、甥から電報が来てゐた。

〈アサツテカヘル〉

 僕には殺気立つた甥の顔が目に見えてくるやうだつた。もはや躊躇してゐる際ではなかつた。僕は早速外出した。出版社に立寄つて、前から申込んである前借の金を頼んだ。金はその時、都合よく融通してもらへた。一万円の包みを受取ると、僕はとにかくめさきが少し明るくなつた。それから、その足で土地会社へ立寄つた。もの馴れ顔のブローカーは僕の来るのを待つてゐたかのやうな顔つきだつた。

「まだ少し不審があるのですが、あんな風な条件で約束しても、ほんとに相手は他へ移る的があるものかどうか」

「さあ、それはあの人も子供まである婦人ですし、まさか大それたことはしないでせう。何でも借金の期限に追はれてゐるやうで、話は急いでゐるやうです。誰でもいいから約束する人を見つけてくれと今朝もやつて来ました」ブローカーは慎重さうな顔つきで更につけ加へた。「とにかく、相手の身元をはつきり確かめておきなさい。米穀通帳なり金融通帳なり見せて貰つて控へておけば大丈夫でせう」

 僕はまだ割り切れないものがあつたが、その足でアパートの部屋を訪れた。入口に立つたとき昨日と変つて、部屋は稍〻すつきりした(少くともそう感じようとする気持が僕にあつたのかもしれない)感じだつた。部屋には昨日の若い女がひとり壁に凭掛つてゐた。

「少しは広々したでせう。今朝、箪笥を売払つてさつぱりしたところなのです」

 女は自嘲的な調子で狭い部屋を見廻した。それはやはり何かに追つめられてゐるものの顔だつた。

「子供は母が郷里へ連れて帰りました。これからはほんとに新規蒔直しでやるつもりです」

 僕は米穀通帳のことを持ち出した。

「あ、身許調査ですか」と、女は汚れた通帳を取出して僕の前に展げた。ずらりといろんな姓名が記入してあるなかから杉本花子といふところを指して教へてくれた。その通帳の住所は福島県になつてゐた。女はそのことを弁解しだした。

「以前はここで配給とつてゐたのですが、田舎の方が欠配もないし、ずつといいので、あちらへ移したのです。だから、お米はあちらから背負つて運んでゐるのです」

 僕には何だかよく事情がわからなかつた。すると女はこんなことを云ひ出した。

「あなたの荷物は沢山おありなのですか。明日あたり私はここを引揚げるつもりですが、ただ少しお願ひがあるのです。目ぼしい荷物は持つて行きますが、この鏡台とか押入の行李などは当分ここへ置かして下さいませんか。どつちみち間代は当分私の方から管理人へ払ひます」女はもう僕がここを借りることにしているやうだつた。

 その夕方、土地会社の男が僕を訪ねて来て、僕の返事を求めた。僕はまだ何とも決心がつかなかつた。するとまた翌朝、土地会社の男はやつて来た。何しろ相手は急いでゐるのだから手金だけでも今日中に渡してやつてくれ、でなければ話を他へ持つて行くと急かしだした。たうとう僕はその申込を承諾した。彼が帰つて行くのと入れ違ひにアパートの女が金を受取りに来た。女は金を受取ると、それでは早速今日のうちに荷物を少し運んで頂きたいと云ひだした。僕はいま荷物を向ふへ運んでみたところで、まだどうにもならないだらうと思つた。あまり気はすすまなかつたが、とにかく行李を一箇だけその部屋に運んで行つた。……その部屋の片隅に僕の行李が置かれると、僕といふ存在はひどく中途半ぱな気持にされてしまつた。だが、こんな風な困難な状態も焼け出されの僕にとつては止むを得ないことかのやうにおもへた。

 翌日は残金を渡して、一応とにかく部屋を開渡してもらふ約束だつた。僕が約束の時刻に訪ねて行くと、部屋はいろんな荷物でごつた返してゐた。

「ああ、くたびれた」と女は大きな溜息をついて、「昨夜いろんなことを考へるととても眠れなかつたのです」と、なほもごそごそ細かい品物を引掻廻してゐた。しかし僕から残金を受取ると、女は急に真面目さうな顔になり、

「では今日からこの部屋を使つて下さい」と小声で呟いた。それからふと何か説明しにくい纏らないことを喋る時のやうに、こんなことを云ふのだつた。

「私はすぐ出て行きます。ですけれど、これからもやはり時々はお邪魔させて頂きますよ。それから鍵を一つ、この方を預けておきます。気をつけて下さい。ここのアパートでは品物がよく無くなりますから、鍵だけはお願ひします」

 それから暫く荷拵へをしてゐたが、やがて大きな包みを背に負ふと両手に籠や風呂敷包を持つて出掛けて行つた。相手が出て行くと、僕は自分の荷物のことを考へながら、そこの押入を開けてみた。押入はまだ半分以上、女の荷物で塞がつてゐた。これではどうにもならなかつたが、差当つて僕は夜具だけでも向ふの下宿から運ばうと思つた。

 僕はその夜そこのアパートへ夜具を運んで来ると、その時からその部屋での僕の生活が始まつた。だが、これはほんとに僕の部屋なのだらうか……。ここには女の残して行つた鏡台や卓袱台が僕の目の前にあり、押入の中には自堕落な暮し振りがはつきり見えてくる。しかし、それは僕の知つたことではない。僕は僕の周囲にある無関係の物質から影響されたくはないのだ。だが、僕の眼の前の窓ガラスには大きな穴があつて、そこへ貼られた半紙は皺くちやになつてゐて、そして今にもとれてしまひさうなのだ。ガラス戸の桟は歪んで緩るみ、開け立てするたびにぐらぐらする。壁も畳も襖も滅茶苦茶に汚なく、時々、プーンと芥溜の臭ひがする。それから……、この部屋の周囲にある陰惨な空気について云へば殆ど限りがなかつた。部屋は廊下と同一平面の高さにあるので、外をガタガタ歩く下駄の音は寝てゐる僕の枕頭に直接響いて来る。階段の脇の光線のあたらぬ流場は煤けた蜘蛛の巣か何かのやうに真黒だつたが、僕はその水道の栓を捻つてみると、水は一滴も出なかつた。水道はもう数年前から壊れてゐたのだ。通風のわるい狭い廊下では部屋毎に薪を燃やす。その煙は建物の中を匐い、容赦なく僕の目や鼻を襲つた。僕は外から帰つてこのアパートに入ると、入口のところでむんむんする人間の異臭のかたまりと出あふ。躓きさうな階段をのぼつて薄暗い廊下の方へ来ると、青ぶくれのおかみさんが廊下に乳飲児を抱へて、すぐ扉の脇に小便をさせてゐるのだつた。……僕は自分が子供だつた頃のことを憶ひだすのだ。子供の僕は自分の家の納屋の荒壁の汚れた部分を見てもひどく気持悪かつたが、他所の家の惨めな姿など見ると、すぐ夢にまで出て来さうな寒気を感じた。そんな風な弱々しい子供の僕は今でも僕のすぐ手の届くところにゐるのだが……。

 ある朝、早くからこの部屋をノツクするものがあつた。僕が睡不足の眼をこすりながら内側から鍵を外すと、背に大きなリユツクを負つた旅行者の扮装で、女は扉の外に立つてゐた。

「只今」と女は勝手にどかどか部屋に上つて来て肩の荷を外した。

「一寸郷里まで行つて来ました」と女はまだ旅行の浮々した弾みを持つてゐるやうだつた。僕は彼女が今度引越すと云つてゐた事務所の方へ行つてゐたこととばかり思つてゐた。だが、相手は僕の思惑など眼中になく、今、古巣に戻つて来たやうに振舞ひだした。リユツクの紐を解くと新聞紙を展げて白米をざあつと移した。それから、両手で白米を掻きまぜては、口に茶碗の水を含みプーツと吹き掛けだした。

「ああ、お米よ、お米よ、米ゆゑ苦労はたえはせぬ」

 そんなことを呟きながらゲラゲラ笑ひ、升で測つては風呂敷に移した。軈て風呂敷包を一つ抱へてふいと外へ出て行つた。暫くすると、女はすぐに部屋に戻つて来た。続いて、背の高いマーケツト者らしい男がのそつと部屋に上つて来る。男は部屋にゐる僕の存在を無視し、立つたまま畳の上の白米を蔑んだ眼つきで見下してゐたが、やがて黙つて出て行つた。それからも、女は絶えずそはそはしながら部屋を出入しながら昼すぎまでゐたやうだが、何時の間にか姿を消してゐた。

 日が暮れると毎晩停電なので、アパートは真暗になるが、僕は蝋燭を点ける気もしないので、真暗な部屋に蹲つた儘ぼんやりしてゐた。誰かが僕の部屋の扉をノツクして、濁み声で「杉本さん」と叫ぶ。

「杉本さんはゐませんよ」僕は扉の外からさう応へたが、相手はなかなか去らなかつた。扉をあけて僕は用向を訊ねてみた。

「困つたな、杉本さんゐないのですか。自転車を一つあづかつておいてもらひたいのですがねえ」

「自転車を? この部屋へ」僕はただ驚くだけであつた。やがて相手は黙々と帰つて行つた。

 殆ど毎日いろんな不可解な人物が杉本を訪ねて来た。結婚媒介所で教へてもらつたといつてやつて来る若い青年や、その媒介所の親爺までやつて来るやうになつた。それから債権者らしい男も頻繁に苛立たしくやつて来る。僕はこの部屋の先住者にどんな複雑な事情があるにしろ、なるべく早く立退いてもらひたいと思ふ心で一杯だつた。

 と、ある朝早くから扉を叩く音で僕は起された。女はこの前と同じやうにリユツクを背負つて意気込んでゐた。僕は何時頃ほんとにこの部屋を開けてもらへるのか、そのことをすぐに訊ねた。と意外な障害物と遭遇したやうに、ぴしりとしたものが閃き、それから急に女はひどく萎れた顔つきになつてゐた。

「私の方にもいろいろ都合がありますので、……それに実はお米のことで二千円ぺてんにかかつたところなのです。闇屋にお金渡したのに約束の米はくれなかつたので……相手が悪かつたので」

 そんなことを憂はしげに呟いてゐたが、軈てリユツクの紐を解きだした。白米は新聞紙に展げられ、両手で荒々しく掻き廻されてゐた。

「食ふか、食はれるか」何か凄惨な姿で女はひとり呟いてゐた。

 僕は殆ど毎晩すぐ隣室で泣き叫ぶ子供のために眠れない。親はまるでその子をいびり殺さうとしてゐるのだらうか、──撲りつける手の音がピシピシと僕の耳にひびく。僕の頭のなかの状態はこのアパートのどうにもならぬ疵だらけの姿と似て来る。どうにもならぬ人間たちが朽ちかかつた階段を降りて巷へ出て行く。どうにもならぬ人間の群はぞろぞろぞろぞろ駅の方で押合つてゐる。さうした人間たちは、混乱の電車の中やマーケツトに、お互の符牒と動物力で僕と無関係に生存してゐる。そして、さうした人間たちはいつも土足で僕の頭のなかを踏みにじるのだ。僕の頭には次第に訳のわからぬ怒りが満ちて来る。怒りはこの部屋に満ちてゐる。これはほんたうに僕の借りた部屋なのだらうか。それともこの汚ならしい部屋までが現在の僕を愚弄しようとしてゐるのではないか。……なにごとももう考へるな、と夜はきまつて停電になつた。毎晩の停電は僕を日が暮れると絶望的にすぐ床に横はらせる。僕はこんな詩を考へる。


わびしい部屋のなかの海。頭のなかの海、くらい怒りを溶かす海、大きな大きなあまりにも大きなものにむかつて睡り込んでゆかうとする、ぎしりぎしりと頭のなかに渦巻く海。


 真黒な思考の夜のつぎには、毎日、この部屋にも朝がやつて来る。すると、僕にはとにかく何やら新しく拭はれた気持にされてゐる。この畳とも云へない位、汚れきつた畳の上にも、今、秋の光線はひつそりとしてゐる。その澄んだ光は……。遠方の友よ、僕は君に呼びかけてゐるのだ。

底本:「日本の原爆文学1」ほるぷ出版

   1983(昭和58)年81日初版第一刷発行

初出:「個性」

   1948(昭和23)年12月号

※連作「原爆以後」の5作目。

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:ジェラスガイ

校正:門田裕志

2002年720日作成

2011年419日修正

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。