さまよう町のさまよう家のさまよう人々
国枝史郎
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夜にはあらじ
霧ふかき昼なりき
町は霧にて埋もれたり
霧町に降り
降りたる霧町を埋めたり
日はあれど
月より朧ろにて
家あれど
墓より陰影的なりき
葬礼の列なりや
そこに、ここに、行く者は?
あらじ
歩める人の群なりき
昼の鐘遠くきこえ
夜の鐘に似たれども
ただ似たるなり
霧ふかき町なれば
鐘の音迷えるなり
玩具屋ありき
会堂ありき
塔ありき
円天上の大学ありき
霧の奥にありき
堀割よ
なぜに短艇を浮かべざるや?
いないな短艇浮かび、処女乗り、少年笛ふけど、
霧ふかければ、見えざるなりき
貴族の家に温室ありき
アラセイト──
蘭
アマリリス
レザ
白鳥花
フリジヤ
シネンセス
蟹手草
キク
スイートピー
霧の中の温室
温室の中の花
花の中の茶卓
茶卓に添える籐椅子
籐椅子によれる貴族
貴族により添える胸
乳房
唇
しかれども霧!
町々
露路
十字路
噴水
ベンチ
陰影にあらざるものはあらざりき
霧降る
放火──霧に咲く花!
姦淫──霧の誘惑!
ひと殺し──霧の秘密!
──町、霧に埋もれたり──
郵便脚夫は
霧のポストより
霧のごと果敢なき
恋文いだし
霧のごと弱き
乙女に与えき
乙女泣きける
霧
霧
霧
霧
かかる会話ありき
霧の中にて……
女「愛し給うや?」
男「………………」
霧
沈黙
男「愛し給うや?」
女「………………」
霧
沈黙
女「この薔薇を御身の飾穴へ」
男「………………」
沈黙
霧
男「この匕首を御身の乳の下へ」
女「………………」
かかる会話ありき
霧の中にて……
出納係「盗んだ」
受附の女「妾の情夫」
出納係「駆落だ!」
受附の女「何処へ?」
出納係「さあ直ぐにだ」
受附の女「ちょっと社長さんへ」
出納係「畜生!」
受附の女「あの課長さんへも」
出納係「幾人あるんだ」
受附の女「あの妾より二つ年下の給仕へも」
出納係「盗まなければよかった! 霧め!」
受附の女「云いつけてやろう。……妾は出世する」
出納係「殺すことにきめた!」
受附の女「霧! 白血球の霧! お母さん!」
かかる会話ありき
霧の中にて……
老人「生き過ぎたよ」
嬰児「産まれたばかりだ」
人妻「退屈していますのよ」
姦夫「そこが俺のつけ込みどころさ」
かかる絵画ありき
霧の中に──
一つの寝台
解剖台
横倒われる女
メスを持てる外科医
腑わけ
幽暗なる室内には窓さえあらじ
………………
………………
………………
皮を剥ぐにや?
………………
心臓をえぐるにや?
………………
………………
? ?
! !
………………
………………
「え、どうだ、この陰毛は!」
………………
………………
解剖台と
外科医と
横倒われる女と
窓無き部屋に充ちたる立合いの人々の顔の奇怪さ
興味と、期待と、奇蹟と、確証とを待つ顔
………………
………………
人妻らしい女
頽廃したる肌の色
………………
………………
姦婦の表情
姦夫は?
かかる音楽ありき
霧の中に──
短嬰な調にて始まりしが
音律なかばにて崩れたり
ヴェトーヴェンの如く英雄的には非ざりしが、メンデルスソーンの如く葬礼式にても非ざりき
さりとて
ショパンの如くにても、
………………
………………
………………
かかる音楽!
………………
………………
モツァルトとコンスタンツェ夫人との恋にも似たる
………………
………………
かかる建築ありき
霧の中に……
窓あれども
………………
………………
部屋あれども
………………
………………
廊下あれども
………………
………………
庭あれども
………………
………………
扉あれども
………………
………………
………………
………………
………………
………………
………………
「で、要するに、この……の中へ、文字を入れればいいのです。この詩はイバニエス氏の詩なんです。そうです西班牙の神秘派の詩人、若くて生きているイバニエス氏の詩なんです。そうしてイバニエス氏は詩の所々を、いつもこんなように……にして、ぼかして了う癖を持っているのです。──ところがどうでしょうこの私ですが、この……になっている所々へ、恰度あてはめるにいいような、不思議な建築や変わった会話や、異様な絵画や奇怪な音楽に、ぶつかったじゃァありませんか。よろしい、そこでお話ししましょう。
ああ併しちょっと待って下さい、その前に私はもう一つだけ、イバニエス氏の極わめて科学的の詩を、ご紹介して置きたいのですから。それはこういう詩なんです。……
複滑車の理を説明せよ
第一種
車の個数n個にして
その中半数は定滑車なり
残りの半数は動滑車とす
然る時は定滑車は原則として
力を減ずること能わざれども
動滑車は一枚につき二分の一ずつの力を減ずるを得るとなす
歯車を説明せよ
歯車は一名歯輪という
機械に於ける母体なり
A及びBなる円盤に
歯を具備するものを想像したまえ
これを想像的円という
想像的円、即ち、ピッチ円、
歯を適当に作りなば
Aの運動をいとも正確に
Bに伝うるを得るとす
正歯輪とは?
歪歯輪とは?
螺旋歯輪とは?
歯條とは?
文明を作り
文明を野蛮にし
………………
………………
………………
高速度女人虐殺の工場となす
コルニッシュ汽鑵
ランカシャアー汽鑵
炉戸
圧力計
量水器
節動輪
されども
安全弁はあらじ
…………
…………
光学応用
絃の振動
u=d/Id
「みんな関係があるのです、そうです私の物語の筋に、いや私の経験談に、よろしい、そこでお話ししましょう」
それは上海での出来事なのです。その日私は或る用件で、英国租界や米国租界や仏蘭西租界を歩き廻わっていました。
と云うと貴郎は私という人間が、何者であるかお知りになりたいでしょうね。
さよう、云ってもよいのです。
が、しばらくは黙っていましょう。いや或は永久に、黙っているかもしれませんなあ。
ですから貴方は私という人間を、詩人と思ってもよろしければ、国際的密偵と思ってもよく、漫遊者と思ってもよいのです。ひょっとすると私は考古学者──それも主として東洋の諸国、それもすっかり亡びて了った、楼蘭だの回乞だのというようなそういう古代の国々のことを、古瓦や鏃や骨片などを基とし、研究している考古学者だと、そう思ってもよろしいのです。もし又私が貴郎の眼に、大変な悪漢にうつるようでしたら、国際娘を諸国へ輸出入する、ゼゲンと見立ててもかまいません。
その日は秋のはじめでした。租界に添って流れている河──黄浦河の岸の並木の葉は、もう少し色づいて居りましたっけ。
目的の仕事が片付いたので、私は黄浦河の岸へ出て、並木の一本へよっかかって、河を見ながら煙草を喫っていました。
これも目的の一つとして、私はそれから数日の後には、黄浦河を下り呉淞へ出、それから西して揚子江を溯り、鎮江、南京、蕪湖、九江、漢口、岳州、沙市の辺へまで、旅行をしなければならなかったので、大いに勇気づいていたのでした。
時刻から云えば夕暮で、二百間あまりもありましょうか、そんなにも広い黄浦河に、碇泊している軍艦や商船へ、そろそろ燈がつく頃でした。
(今日はこれから何うしたものだ)
遊びのことを考えていたのでした。
旅行をしたらそうノウノウと、遊び廻わることは出来ないだろう、今の中に思うさま遊んで置こうと、こう思っていたからです。
(打鶏⦅私娼買い⦆にも少し倦きて了ったし、書厲⦅芸妓家⦆へ行くのも平凡だし、ダンスホールや酒場へ行ったところで、変わった興味もあるまいし、ひとつ開封路の春華舞台へでも行って、グロテスクの芝居でも見てやろうか)
などと考えておりました。
と、その時私の横へ、一人の男が寄って来ましたが、
「失礼ですが日本の方ですな」
と、これも本物の日本語で、こう話しかけたじゃァありませんか。
「さよう」
と私は云ってやりました。
「あなたも日本の方でしょうな」
「そうです」
とその男は云いました。「久しく当地にご滞在ですか?」
「…………」
私は微笑をしたばかりで、そうだかもそうで無いとも答えませんでした。うっかりそんなことに返事をすると、それからそれと尋ねますからな。どこに泊まっているか、名は何んというか、今どんな商売をしているか? そうしたあげく金を貸せだの、面白い所へ案内しようかだのと、云い出すことは知れているからです。
上海あたりにブラツイていて、紹介もないのに慣れ慣れしく、そんなように突然話しかけるような、そういう日本の人間は、九十パーセント迄碌でもない、食い詰め者の無頼漢ですからなあ。
勿論私という人間は、そんな人間にビクツクような、そんな人間では無いのですが──又そんな臆病な人間なら、今やっている職業なんか、出来るものじゃァないのですが、併しそんなような人間に、たとえ僅の間であろうと、甘く見られるのが厭だったので、そんな場合に心得のある男が、きまって取る態度の微笑と沈黙とで、応酬してやったという次第です。
と、その男は黙って了いました。しつこく訊ねようとしないのです。私の心持が解ったからですかな。
その間に私はその男を、仔細に観察してやりました。
その結果私は、
(おや)と思いました。(この男は決して月並の、上海ゴロでは無さそうだ。いや、善良な人間らしい。零落した貴族の若様で、ひどく悩んでいる人間らしい)
広い額、端麗な鼻、弓形をしている上品の口、色は白皙で髪が漆黒で、それを真中から分けている。少し古くはあったけれど、よごれめの無い折目正しい背広、年は二十八九歳でした。特に私の眼を引いたのは、愁を持ちながらも濁っていない、理智的というよりも情熱的の、その青年の立派な眼でした。
(こういう眼を持っている青年に、悪い人間というものは滅多に無い)
そう私は思いました。
そこで私は警戒を解いて、私の方から話しかけて見ました。
「上海に長くお住居ですか」
「ええ、相当永く居ります」
「何か研究でもなされているので?」
「研究? それは昔のことです」
そう云った時その青年の眼に、自分自身を嘲けるような、自分自身を憐れむような、そういう表情が表われました。
「内地の大学に居りました頃にはね、私も何かしら研究したものです。……流行の社会科学なども。……が、今じゃあメチャクチャです」
「よろしかったら私の宿へ来て、いかがです茶でも召しあがったら」
とうとう私はこんなことを、その青年にすすめて了いました。私としては曾て無いことで、よくよくどうもその青年が、私の気に入って了ったからなのでしょう。いや、そうではありません。その青年と逢った時から、どうも私という人間は、何かに魅せられ、何かに憑かれ、何かにまどわされ、何かに引きずり廻わされ、──古い形容詞を使って云うと、悪魔の手によって引きずり廻わされていたと、そう云わなければならないようです。
「それより」
と青年が云いました。「ご迷惑で無かったら私と一緒に、しばらくでよろしうございますから、町を歩いていただき度いのです。そうして私の煩悶に就いて、是非とも聞いていただき度いのです」
「よろしい」
と私はすぐに承知して、英租界の方へ歩き出しました。
英租界はご承知とは思いますが、租界の中で一番立派で、東西に通じている大馬路には、北京路、南京路、九江路、漢口路、福州路、広東路などの素晴らしく壮麗な路があり、南北に通じている路筋には、四川路だの河南路だの、福建路だの淅江路だの、広西路だのというような、いろいろの路があるのでした。
宛無しに私達は歩き廻わりました。
そうです、全く宛無しだったのです。いや私から云わせると「夢のように歩き廻わって」いたのでした。こんな変なことって曾てありません。だから悪魔のまどわしの手に、引きずり廻わされたというのですが。だってそうではありませんか、私という人間は職業がら、英租界などは隅から隅まで、掌上の物を探ぐるように、知悉していなければ不可ないのですし、又事実そうでもあるのです。即ち知り切って居るのです。それだのにどうでしょう、その日に限って、そうですその日の散歩に限って──その青年との散歩の日に限って、何の路をどんなように歩いたか、少しも覚えていないのです。
濃霧の中をさまよった私! こう形容でもしますかなあ。
「先生!」
と全く突然でしたが、南京路八〇号──今も云った通り歩いた道筋に就いては、正確の所は覚えていませんが、おおよそその辺へ来た時でした、青年が云ったぢゃありませんか、
「先生」と、そうです、こう私へ!
で、私は吃驚りして、青年の顔を眺めました。
「お父さん!」
と今度はどうでしょう、そう私に云ったじゃァありませんか、
「そうで無ければ哲学者の貴郎! 私の煩悶を解決して下さい!」
私は併し思いました。(そうだ俺は一面に於て、先生と云われてよい人間だ、哲学者と云われてもよい人間だ、俺の職業はそういうものを、一切兼ねていなければならず、又兼ねてもいるのだからな。……お父さん? さあ、これだけは困まる。年齢から云っても精々のところ、俺は青年より十歳より以上、年上であろうとは思われないのだからな。……しかし然うだ、青年の煩悶を、旨く解決してやったら、慈父のような人間だと云われてもよかろう)
で、私は青年へ云ってやりました。
「君、兎に角話して見たまえ」
「私の名は細川繁と云います」
その青年はそう云いました。
「私には恋人があるのです」繁青年は云いつづけました。「それは日本のお嬢さんなのです」
「この上海にいるのですか?」
「そうです、上海にいるのです。……どんなに私がそのお嬢さんを──お嬢さんの名は初枝と云います。ええ然うです、柵初枝と。どんなに私はその初枝さんを、愛して愛して愛していることか! 云う必要も無い程です。……ところが私はそのお嬢さんを、どうしても殺さなければならないような……」
「おい待ちたまえ、何を云うのだ」
「いえ私はどうあろうとも、そのお嬢さんの命を取る! どうしても取らなければならないような、そんな境遇になっているのです」
「…………」
「私は大変悲しいのです」
「…………」
「一体、どうしたら可いでしょう」
「…………」
「お父さん! 先生! 教えて下さい!」
「…………」
私は率直に云いますが、全くこの時は参って了いました。
(とんだ狂人にぶつかったものだ!)
こう思って参ったのです。
でも私は云ってやりました。
「そんなつまらないこと止めたまえ!」
「絶対に止めることは出来ないのです」
「そんな馬鹿なことあるものか! 恋人の命を取るなんて!」
「絶対にそれが出来ないのです」
「何故だろう。云って見たまえ」
「命令されているのですから」
「命令? 誰に? 云って見たまえ!」
「或る恐ろしい権力者から!」
「誰だ? 其奴は? その悪党は?」
「それは一言も云われません」
「云えば云えるさ、云って見たまえ!」
「云ったら私の方が殺されます。……この支那の国に居る限りは」
「…………」
私はそこで考えました。
そうして或事に思い至りました。
「じゃァ青幇か紅幇か、白幇か黒幇の連中だな」
「…………」
「おい、そうだろう、云ったがいい」
「…………」
繁青年は云いませんでした。
だから──云わないから──思いました。
(可哀そうに、どうやらこの男は、青幇、紅幇、白幇、黒幇そのどれかの連中の、ひどい圧迫を受けているらしい)と。
そのため私は奮起しました。
(よしこの青年の味方になってやろう)と。
(あいつらをこの際やっつけてやろう──俺の使命と一致するのだからな──蒋介石め! その一統め! 南京政府め! 顫え上がるなよ!)と。
で、私は云ってやりました。
「信じたまえ、ね、僕を! そうして一切を話したまえ!」
──でも矢っ張り駄目でした。
何んと驚くじゃァありませんか、繁青年は泣いているのです。
私は叱るように云ってやりました。
「男じゃァ無いか! 何を泣くんだ! ね、云いたまえ、敵は誰だ!」と。
すると青年は云いました。
「敵は、先生、青幇なのです」
「そうだろうそうだと思ったよ」
青幇とは一体何んだろう? こう貴郎は思うでしょうね。
青幇のことをお話しましょう。
いい文献が此処にあります。
私がお話しするよりも、これを読だ方が解りましょう。
お聞きなさい、読でみますから。
支那社会の中産階級以下に於て、最も甚だしい害毒を流しつつある二大痼疾がある。それは一を青幇といい、他を紅幇という。青幇は中産階級中の無頼漢的性質を帯びた不良分子即ち質屋の親方とか買弁とか。或は運送問屋、苦力及車夫の取締、料理屋、女郎屋の親分などにより組織せられたもので、──行動の如きも極めて巧妙である。紅幇とは、強盗、無頼漢等にて成り、その仕事も直情径行的に頗る荒っぽくやっつける方で、青幇には一度この紅幇の仲間に入って実務でウンと腕っ節を叩き上げたものがその大多数を占めて居る。即ち紅幇は青幇へ進む一階段ともなっている。だから数の如きも紅は青より大分多い。総て支那社会に起る暗殺、掠奪、ピス強盗の行為は、殆んど皆此等青紅幇の手に由らざるものなく、近頃市上で時々起る銭荘荒しのピス強盗の如きも大部分は彼等の荒行である。この青紅幇の組織内容はまことに整然たるものであって、団結力の強いことは驚く計り、僚友を救うこと、監督者の命を遵奉すること、一致動作すること等も目覚ましい位に厳しく行われている。尤もこの徒党は暗殺や強盗するのみが目的ではなく、中には相計って生活に安んじているのもある。一朝生活の不安定、或は横暴を極むる金持ちがあると忽ち正体を現わして、荒っぽい仕事をするようになるので、朝から晩まで、暗殺強盗ばかりしている訳では無論ない。
青幇の格式等級を定めるのに二十四通りあって、これは皆字を以て現わすことになって居る。即ち、
円、明、心、理、大、通、悟、覚、普、門、開、放、万、象、依、帰、羅、祖、真、伝、仏、法、玄、妙、
昔はこれに尚十六字も多かったそうであるが、其後自然にすたって現在の二十四字となった。そして一番多いのは「悟」の字「覚」の字に相当する者で、その次に多いのが「大」の字の階級に在る人、その上の「理」の字「心」の字相当者は殆ど寥々として暁天の星である。「大」の字は元より「悟」の字「覚」の字等は青幇から師爺として尊敬される。又昔はやかましかった入幇方法も今は極く容易く、僅かに一人の紹介者位で入れるようになった。尤も二三年に一度位しか募集しないで、その入幇法もやや昔の面影を保ってる所もあるが、その入門者の殆んど全部が一様に不良分子であること等は昔と正反対である。
幇規に就いて云えば、この幇規の最も重要な目的は幇匪同志の連絡及結束である。沢山の青幇中或は外埠の同幇と出会した場合、お互その暗号の話が合わなかったらどんな間違いが出来ぬとも限らぬ。そこでこの幇規は非常に重要事視され、入幇者は何を措いても先ずこの幇規を習うのである。
茲に顔を知らない同幇匪同志の初対面の挨拶ぶりを書いて見る。先ず甲匪が外埠に行って茶館に上ったとする。するとこの土地の同幇と馴染になって置く必要があるので、暗号で同幇に知らせる。即ち茶碗の蓋を仰向けにして茶碗の側に置くとか、或は酒店ならば箸を杯の右側に置くとかしてその外店先に看板を出して置く。するとその土地の幇匪が来て暗語問答をする。
乙「老大(初めての幇匪にはこんな尊称を用うる)は門檻に在りますかい」
すると甲匪は立って不動の姿勢で答える。
甲「祖爺の霊光に沾いません」(これは入幇の意)
乙「そのお方(師父を指す)はどなたです」
甲「馬が名前で、上が徳、下が坊」(馬徳坊というのは上海で有名な青紅幇の匪首である)
右のように名を三つに分って呼ぶことは、幇匪中の子弟が師父に対する敬意だそうである。
乙「貴方の名は何というんですか」
甲「江淮四幇です」(幇には皆名がある)
乙「老大は何の字を持っていますか」
甲「頭には二十一世脚には二十二世でわたしの身は二十二世です」(二十二字目は通の字に当る)
乙はここで甲の着席を勧めつつ尚尋ねる。
乙「あなたの方では現在どこの碼頭を占めていますか」
甲「只今△△碼頭です」
乙は尚暗号のことなどを尋ねるが、それが一通り終ると今度は甲が乙に対し同じようなことを尋ねる。そして乙の方が甲より上の位であった時は、甲は座を離れて鞠躬の礼をする。と乙はこれを扶け起し着座を命ずるが、やっとしてから甲は席に返る。等級の相違に由る礼儀の差別は中々やかましい。
甲よりも兄貴分だと判った乙は、そこの茶代は勿論、それから旅館に連れて行って一切の費用も出してやるし、又土地の者をそこに三日間招待してその費用も乙が負担せねばならぬ。三日過ぎたら大抵その縄張りを出て行くのであるが、若しもっと永くそこに留まろうとすれば、それ以後の費用は勿論甲の自弁である。
幇勢最も盛んな時は、上は役人より下は游民に至るまで、あらゆる階級の人々を吸集し、清末頃からは女入幇者も沢山あるようになった。蓋し入幇して居れば幇勢を駆って自分を社会的安全の地位に置くことが出来るからである。今左に入幇人物に就て少し書いて見よう。
青幇に役人が入るというのは一寸嘘のように聞えるが本当のことである。というのは青幇も今でこそ匪賊になってしまったが、初めて起した時は清朝を護るという目的で、強盗邪淫等を戒め、仁義礼智信を奨励したものである。だから役人連中も続々入幇して来た。尤もその頃は無頼漢の入幇は許さなかった。所が咸同年間になって青幇は非常に貧乏になり生計が苦しくなったから、幇人はこの幇勢を以て自然悪い方向へ向けるに至ったが、已に入幇している役人は脱幇するどころか、それとぐるになって、色々悪事を働くようになった。一体、支那の役人は上下を通じ自分の懐を肥やす事にのみ腐心し、儲けることなら少し位の悪事は何とも思っていないから、幇匪と通じて財物を掠めたのも寧ろ当り前の話であろう。
清末某省某州附近の十余県には幇匪の出没最も劇しく中にも某県の十八段という地方四五里四方は全く匪の棲家となり、一万以上の匪がここを根城として地方へ出稼したもので、子供も女もすべて幇匪となってしまった。その頭目は顧三五子と言ってその部下の主なる者二三千人は各村各荘各郷里に分在してその配備厳密を極めた。そして各所には数十或は数百の匪が固まって居住し住居の四周には、厚さ五六尺高さ二丈余の土城を築き、四方四個所の門の上には楼を建て幇を置いて絶えず見張人が番をしている。男女の各匪は暇の時は百姓や紡績などしているが、一度命令一下すれば直に匪となる。こんな団体が十八あったからその地方を十八段と呼ぶに至ったので、各段には小銃なども用意し、盛んに掠奪をやったから、金持ちの良民はだんだんよそに引っ越してしまっていつしかその附近一帯が幇の勢力範囲となった。
幇匪の勢力が日に日に強大になってゆくので、時の巡撫は統領にこれが討伐を密命した。統領は約一千の兵を率いてその地方に出かけたが、何ぞ知らんこの統領も亦幇匪だったので、頭目顧三五子と会見の上これから先の発展拡張を相談し、折角の討伐が却って虎に翼を添えたような結果になってしまった。そこで統領と顧三五子との領域を定め、顧の匪等はそれから又遠くの地方にその手足を伸ばした。この幇には、一ヶ月以内に同じ県を二度犯さないという内規があるので、従ってその荒し廻る地方がだんだんと拡がって行った。
その後各地方からの訴えに由り省の役人が探偵を出して十八段地方に入り込ましてみたが、男は田野に耕し女は糸を紡ぎ、子供は水牛に乗って笛を吹き、老人は家に閑居して羨ましい程の太平の有様である。役人は案に相違し、こんな平和な村に盗匪はいる筈はないと言って引き上げたが、これは全く幇匪にばかされたのである。匪と言えば統一も規則もない無頼漢の寄り集まりであるのが普通であるが、青幇の内部がいかに秩序整然たるかは一寸右のような工合である。彼等が掠奪しに出かける時は、暗夜にこっそり指定の場所に集まり、そして帰る時も各自獲物を分け、三々五々、買物でもして帰るように見せかけて来るので滅多にそれと気づく者はいない。匪の隣に住んで居ても分らない位である。だから、どれが良民でどれが幇匪であるかは匪より外は知る者がない。只この十八段地方では例の土城が問題となり、而も中に大砲や鉄砲を収めてあることも分ったので、役人はこれに就き調査を始めた所、村人の答弁が振っている。曰く、自分達がこの土城を築かなかった以前は、盗匪が出没して大分掠奪を被ったものであるが、茲に砲銃を備えるようになってからそいつ等が一切寄りつかなくなった。そこで村は御覧の通り太平無事である云々。役人は成程と感心して帰り、討伐は全然無効に帰したという話がある。地方軍官が幇と通じて悪事を働くこと及び幇内のいかに統一のついて居るかはこれを見ても分る。
青幇中で一番多いのは游民である。一定の職業なくぶらぶらしている連中で、よく言えば浪人悪く言えば無頼漢、これが幇勢の中心をなしてると言ってもよい位である。そして青幇の中には軟相と硬相との二大別があって、軟相は更に架相と吃相とに分れて居る。この軟相というのは比較的罪の軽いもので、逮捕せられても死罪は免れる。これを文差使とも称しているが、その中の主なることだけを説明しよう。
架相というのは、財産のありそうな奴を見立てて自分の幇に引っ張り込む一種の誘拐者である。だから金のない若しくは金の融通の利かないような者に対しては手をつけない。そうして一旦これを引っ張り込むとその者を連れて外の都市に遊びにゆく、するとそこの青幇等が思い切ってウンと御馳走をして金銭なんか惜くないと言った風な態度を示す。そして帰る時には数百元を送りものとして進上する。又その者が外出する時には乾児みたいな奴を五六人もつけてやる。外出して帰って来れば乾児等がソレお茶だとか何だとか騒いで歓待の限りを尽す。本人もいい気になって親分になった積りでいる。そしてだんだん日数が経つ中に、その道の空気にも大分染り、匪首の威勢のいいこと、幅のきく事等がツクヅク羨やましくなって、自分も一つその大頭株になって見たいと大変な欲望を起し、そして見得を張り又人々から煽てられたり、せられたいため札ビラを切る。金がなくなると家を売り土地を譲って財産がなくなるまで目が覚めない。又目が覚めて居っても、外の都市の匪首が遊びに来れば、自分が行った時大変御馳走になっている義理合上黙ってはいられない。矢張り幾百元か捨てねばならぬ。こんな工合でいつしか立派に幇中の人となってしまうのである。
幇首は随分金の要るものでその代り又儲けもするが、その主なる入費は外都市の幇匪との交際である。遊びに来るとか又その地を過ぎる幇首に対しては必ず御馳走せねばならない。而し手許が不如意の時は上海あたりの大きな幇匪から借りてでも彼等仲間の儀礼を尽さねばノケ者にせられてしまう。こんな風に彼等は沢山の費用を要する場合がよくあるので、どこか一つ大きな碼頭を管領して置かないとその方の自由がきかぬ。又碼頭を占領して置けば旅行などの時にも頗る便利だ。而しそういう大きな幇匪の所にはいつも居候が沢山ゴロゴロしているもので、前に上海で有名な匪首であった馬徳坊の内などでは、その居候に食わせる飯を毎日三斗も焚いていたそうである。ここらは一寸日本の親分乾児の関係に似ている。金が要るから従って金が欲しい、金の為めならどんな事でもする、人でも殺す、平気で殺して報酬を受けるが、流石に人殺しの報酬は高い。どんなに少くても百元よりやすいはなく、高きは五六千元に至るのも珍しくない。上海あたりの殺人は多く此等幇匪の手に行われている。
幇匪の仲間では子供や女の事を石頭條子とか貨色とか言っているが、この貨色なども亦よく彼等匪徒の手に誘拐せられ、そしてよそに売り飛ばされる。又他の誘拐者がこの匪徒に貨色の送附方を頼んで来るのもある。何れにしても十二十元から数百元位の収入はある。上海から、奉天、威海衛へ送り出す貨色は年々千名を下らぬそうである。
架相の中にも色々あるが、以上の外に軟把と言って、博奕専門の匪もある。九郎中、田一亭、童徳宝等の如きは上海に於ける有名なる軟把であった。博奕もまた青幇の収入中の重要なるものの一である。
青幇の金儲けの中で碼頭廻りというのがある。一寸仕事もなく暇ばかりで遊ぶのにも困るという時分に、揚子江流域の碼頭遊歴と出かける。気ばらし旁々無音払いを兼て金儲けと一挙三得のうまい旅行だ。手近の碼頭から次々にと上流の方へ足を伸ばして行く。各碼頭では、上海の親分が来たというもんで、宿屋代日用品の供給は勿論、愈々その碼頭を離れる時には、餞別として少なきは三五元、多きは百数十元を進物するから、一巡して上海へ帰る時には千余元の金が唸っている。そして餞別の金高はその碼頭の匪徒の格式を計るバロメーターとなるのであるから各匪は挙って出来るだけ沢山進物をする。従ってこっちの収入も増すという訳だ。茲に一例を挙げて見ると、顧海雲という二流所の匪首が松江に行った時そこの匪首は顧の為め博奕を開き、そのテラ銭以外に百余元を送ったそうである。一寸行ってもそれ位だ。尤も各碼頭の匪からの贈金や待遇は、お客さんたる匪首の貫禄如何によって変る。以上の四事は架相に属する仕事である。
次に游民中の吃相に就て話すと、これ又四種に分ける事が出来る。その一の開門口というのは女で金儲けすることだ。よそから売りに来た女を買ってその中の上玉は長三とか幺二とか、即ち芸妓にするが、悪玉は淫売とする。女の代価は百数十元より高いのはなく、大抵百元が普通、悪いのになると二三十元という安いのもある。そして女に就て彼等が一番注意するのは、顔の外に、処女であるか否かである。もし其女が大蝋燭(バージンを通人仲間でこういう)であれば、どんな醜婦でも先ず五十元以上で売れ、洗礼後のものならば値は半減する。かくて売られた女が淫売を強いられ、闇い社会にうようよ生きている態は四馬路や師孝徳路あたりで見らるる通りである。多きは十数人、少きは三四人の売女を一軒に置き、老鴇門頭等がこれを監督して夜昼の分ちなく商売を勧める。白昼客をとるのを打炮といい、其家に入って打炮しない客を跳老虫という。この跳老虫でも決してタダでは返さない。之等娼女が働く金は多い時は一日十数元にも上る。
開香堂というのは、堂を開いて匪徒を募集することであって、顔のよく売れた幇匪の開堂には一時に百名乃至二百名を収容し、新入匪は普通拝師金として十元開堂費六元合計十六元を収むる。又小匪首などの入堂するに際しては多くの金の外に酒食などを供してお目見得をする。自分の顔を立てるためだからそれは是非もない散財だ。大親分になるとこうして一度開堂する毎に少くも千元の収入を見る。馬徳坊の如き顔の広い親分の開堂する時は、外省の游民が船車でやって来て馬師を拝しその乾児実に万人余に及んだそうである。
吃相の中の収陋規というのは何か不正な仕事をしようとする際に幇匪の親分が各方面へ夫々手附けをやって置くことで、探偵等の如きも幇匪に対しては滅多に手出しが出来ないのである。
以上の三事を架相と称する。青幇の組織する人物に就ては已に役人と游民とに就て記したが尚茲に差勇と称する者が居る。差勇は兵勇差役で、兵隊と人夫とである。幇匪が大挙して一隊を作り或は泥棒し或は喧嘩して負傷兵が出来たりなどすれば、差役がこれを運ぶ。その他色々内通やら人夫的の働きやらをする。前清光緒二十九年のこと、江蘇に望平橋と称する一鎮があった。東西二支里計りの街であったが、相当に繁昌し、殊に鎮の北市では博奕が一年中開かれていて出入する者昼夜絶えなかった。附近に停泊している百余艘の船中にも同じように博奕が開かれ、そして船中には新式の小銃を備えてあった。この賭場が開かれて以来数十支里の田舎から賭客が船や車で出かけて来る者引きも切らず、従って鎮は一層の繁昌を示した。船の者等は少しもゆすりがましい事をしないで、鎮の店へ買物するのにも相当の値段できちんきちん取引するので、街の人の喜びはなかった。そうして其後三年ばかり経つ間に財産をすった者が続出したので、鎮の某は賭博の弊風を一掃しようとしてこれをそっと某大令に告げた。そこで大令は城守と共に緑営兵士数十名を引率し該鎮に来て見た所、賭場は閉鎖され、船はどこに行ったか影も形もない。大令等は差役に命じその賭場を焼かしめて引き上げたが、引き上げるとすぐに又元通りの博奕が出来た。兵が来ると何時の間にか消えて無くなり、兵が帰ると又すぐ開かれるという工合で、大令も後では奔命に疲れてしまった。それもその筈で、この軍隊は該匪と内通し、自分達が討伐に向うに先立ってその旨を通知し、予め立ち除かしめて置くので、捕まる者が一人もない。所が始め訴え出た某はその間の情実を察知したので上官に密告した。そこで或日未明に一隊が突然襲来して、匪の夢を破り、多少戦うて終に十余名を捕虜としたが他は逃げ去ってしまった。
青幇というのはこういうものなのです。そうしてその青幇の中には、日本人も加入しているのです。
そうして一旦加入した者は、どんなことがあろうと脱けることは出来ず、又、命令に背くことは出来ず、もしもそれに違反したが最後、自分ばかりか一家一族が、根絶やしにされて了うのです。
そういう青幇に繁青年が、関係しているというのですから、恐ろしいことと言わなければならず、私も昂奮した訳でした。
「繁君」
と私は云いました。
「事情を詳しく話すがいい。ね、詳しく話したまえ」
すると青年は云いました。
「私、貴郎にお願いいたします。娘の家へ行って下さい。初枝さんの家へ。私の恋人の家へ」
「場合によっては行ってもいいが、僕が行ってどうするんだね」
「私と初枝さんとを助けて下さい。お願いでございます。お願いでございます」
「だが、果たして、僕のような者に」
「先生、貴郎には何んでも出来ます。私には解っているのです!」
(不思議だな、どうしたんだろう? ……俺の素性を知っているのかしら?)
私は変に思いました。
しかし率直に云って了いましょう。
この青年はよく見抜きました。
私という人間をよく見抜きました。
そうです、青幇や紅幇を、向うへ廻わして戦い得る者は、私以外には無いのですから。
そうして私が旅行をするのも。そうです先刻も申しました通り、私は明日にも上海を立って、呉淞から沙市の方へ旅行するのですが、その旅行する目的も、その青幇と紅幇とに、断然関係があるのです。
両幇の頭目を探し出す!
と云うのが目的かもしれませんなあ。
ハッハッハッ、が、併し、これはハッキリとは申しますまいよ。
「よろしい」私は云ってやりました。
繁青年へ云ってやりました。
「行こう、君の愛人の家へ、そうして何とかしてあげよう」
「先生、此処です。この家なのです」
オヤオヤと驚いて了いました。
行くも行かないも無かったのです。繁青年は計画的に、いつの間にか私をその家へ、彼の恋人初枝さんの家へ、私を連れて来たのですからね。
其処は×××街の八八番地の、随分閑静の住宅地でした。
その一画に洋館づくりの、宏壮の屋敷がありましたが、それが初枝さんの屋敷なのでした。
棟が幾個にも別れていて、それらの幾個かの棟を巡って、石垣が厳重につくられてあり、植込が繁く茂っていました。
私達は玄関へかかりました。
そうして案内を乞いました。
すぐに小間使が出て来ましたので、繁青年が何か云うだろう、こう思って其方を見ましたところ、何んと驚くじゃァありませんか、繁青年はいないのです。
つまり私を置いてけぼりにして、何処かへ立ち去って了ったのです。
私は瞬間途方にくれました。
しかし私には繁青年の意図が、何んとなく諒解されたので、躊躇せずに云ってやりました。
「お嬢様おいででございましょうか」
「はい、おいででございますが。……」
「細川繁君の友人なのですが、細川君のことに就きまして、ちょっとお嬢様にお眼にかかりたいので……松城昌三という者です」
「ちょっとお待ちを」
と云いすてて、小間使は奥へ引き込みましたが、すぐに出て来て云いました。
「どうぞお通り下さいますよう」
──そこで私は通りました。
案内されたのは玄関の横の、立派な応接間でありました。
一方に玉突の台があり、一方にグランドピアノがあって、素晴らしく広い応接間で、客間めいたところさえありました。
ソファーへ倚って待ちながら、初枝嬢が出て来たら何んと云おうか、とそれに就いて考えました。
(そうだ、真先に試みてみよう)
私はそんなように決心しました。
運ばれて来た紅茶を喫み喫み、しばらく待って居りました。
と、軽い足音がし、ドアを開いて二十一二の、気高いように美しく、そうして大相無邪気な顔をした、洋装のお嬢さんが這入って来ました。
初枝嬢だったのでございますね。
私は直ぐに立ち上がり、両方の手の四本の指を──つまり母指と人差指とを、丸くして二つの輪をつくり、その輪を左右の眼へあてて、輪の中から初枝嬢を眺めてやりました。
と、初枝嬢はギョッとしたように、胸を背後へ反らしましたが、でも殆ど反射運動のように、自分も同じ形をし、輪の中から私を眺め返えしました。
が、すぐにしまったと云うように、その手をダラリ、と下げて了うと、くず折れるように肘掛椅子の中へ体を埋めて了いました。
「ご心配には及びません。私は幇志では無いのですから。……勿論お嬢様も然うではないでしょうな。……私にはよく解って居りますよ。……そうして最早この問題には、触れないことにいたしましょう」
私はこう云って腰かけました。
そう私に云われたので、初枝嬢はホッとしたようでした。
しかし黙って俯向いたまま、顔を赧めては居りました。
と、不意に顔を上げ、私の顔を正視しました。
その顔を私も見詰めましたが、
(成程)
と思わざるを得ませんでした。
徴候がすっかり出ているからです。
──物を見てはいるが見えてはいない眼付!──。
そういう眼付であったからです。
(こんな可愛らしいお嬢さんを、青幇の奴等め、ひどいことをし居る!)
私は義憤を感じると共に、初枝嬢に同情して了いました。
「お嬢さん」
と其処で話しかけました。
「お体のお加減がお悪いのでしょうね」
「はい。……いいえ。……でも矢っ張り」
「何時頃お悪くなりますかな?」
「…………」
「深夜でしょうな。……二時か三時頃。……」
「…………」
「併しお嬢さんご自身には、それがお解りになりますまい。却ってお嬢様は眼を覚ました時に──朝、床から起きられた時に、体の悪さをお感じなさるでしょう」
「はい、そうなのでございますの。……特にこの頃はそうなんですの。……でも、大変失礼ですけれど、どうして貴郎にはそんなことを。……あの、お医者様でいらっしゃいまして」
初枝嬢はそう云って、不思議そうに私を見ました。
「或る場合には医者にもなります。……或る場合には心理学者にも……」
「でも繁さんのお友達には……」
「いや、私と細川君とは、つい最近の交際なので、おそらくお嬢様には私の噂を、これ迄一度も細川君の口から、お聞きになったことはありますまいよ」
「…………」
「それは然うと貴女のお父様が、行衛不明になられたのは、恰度今から五年先の、八月二十日のことでしたな」
「まあ、どうしてそんな事まで……」
「総領のお姉様が変死なされたのは、恰度今から二年前の八月二十日のことでしたな」
「どうしてご存知なのでございましょう。……そうして貴郎はどういう方です?」
「二番目のお姉様が変死なされたのは、恰度今から一年前の、八月二十日のことでしたな」
「云って下さい、貴郎って人、どういうお方なのでいますか!」
「で、今度はお嬢様の番だ」
「お母様! お母様! 早く来て下さい!」
「お嬢さん、騒いじゃァ不可ません。何んでも無いことじゃァありませんか。貴女のお屋敷に門礼がある。柵鉄也と書いてある。多少上海の事情通なら、柵家に起こった今云ったような事件は、誰でも知っている筈です。で、私も知っているだけです。……そうして現在お嬢様が、殺されかかっているというそのことは、たった今貴女の愛人にあたる、細川君から聞いたので、これだって間違いありません」
さて此処で柵家に就いての、怪奇の出来事をお話ししましょう。
柵鉄也が上海へ来たのは、十八歳の時だったということで、通訳として来たのだということです。
或外人の通訳として。
その後いろいろの商館や、公司や洋行に勤務したそうで随分苦労はしたものだそうです。
苦労したが金は儲からず、又、位置なども出来なかったそうで、三十歳頃迄はこれといって、社会の表面へも現われず何んでも無い人間だったということです。
ところが夫れが四十歳頃からメキメキと金を儲け出し、社会的位置もよくなって来て、××会の会長だの△△倶楽部の副総裁だのと、そんなようなものにさえなって了い、上海在留の日本紳士中での、幅利きの一人となったそうです。
何うして、何処で、そう儲けたのか。
これが人々を疑わせたそうです。
しかし所が上海なので、即ち世界の縮図であり、道徳無しと云われている、東洋きっての魔都なので、何うして何処で儲けたところで、そいつを根掘り葉掘りして尋ねたり探ったり問題にしたりなんかはまあ誰もしなかったのです。
それに鉄也という人間が、社交上手で愛嬌があり、聡明でもあり義侠的でもあり、要するに立派な紳士だったので、尊敬こそすれ悪口などは、誰もが云わなかったということです。
その夫人が鉄也と同じく、社交上手で賢明だったので──但しいくらかブルジョア趣味的で、高慢で派手好きで美人だったので、婦人達には鉄也のように、評判よくはありませんでしたが、その代わり男の間では、大分評判が好かったそうです。
三人の娘がありました。
鉄也も好男子、夫人も美人、ですから三人の娘達が、美しかったのは云う迄もなく、これが又世間の若い男達の、柵家に好意と興味とを寄せる、大きな原因となったそうです。
で、柵家へは毎日毎夜、おびただしい人が集まって、賑かさを極めたということです。
長女の名は浦路さん、次女の名は潮子さん、そうして末の娘さんは、さっきお話しした初枝さんなのです。
夫人の名は絹子というのです。
ところが今から五年前に、突然鉄也氏が行衛不明となり、今に消息が知れないのです。
つまり死んだのか生きているのか、それが今に知れないのです。
当時は世間でも随分騒ぎ、警察方面でも可成り熱心に、そうして勿論同情を以って、手を尽くして八方捜索しましたが、行衛を知ることが出来なかったそうです。
ところがその中に警察方面では、鉄也氏捜索を糸でも切るように、フッツリと切って了いました。
鉄也氏の居間の壁の一所に、
立誓伝来有奸忠。四海兄弟一般同。
忠心義気公候位。好臣反骨刀下終。
このように書いた小さい紙が、ピンで止められていたということを、夫人によって発見され、警察の耳へ這入ったからで、
さては青幇が関係しているのだなと、そう知ったからだということです。
(青幇のやった所業なら、どう探がそうと解るものではない)
──で、断念をしたんですね。
ところが災いはこればかりで無く、長女の浦路さんが二年前の、八月二十日に変死したのです。つまり黄浦河の水の上に、死体となって浮かんでいたんです。ところが更に去年の八月、それも二十日という同じ日に、これも黄浦河の水の上に、死体となって浮かんでいたんです。そうです、次女の潮子さんが。鉄也氏が行衛不明になったのも、矢張り八月二十日という日で、この日附は全く柵家にとり、呪う可き日でなければなりませんなあ。
そうして今度は末女の初枝さんが、愛人の細川繁青年によって、殺されなければならないような、悪運命に遭遇しているのです。
尚私は十五分ばかり、初枝嬢と話をしていました。
と、ドアをあけて一人の婦人が、部屋の中へ這入って参りました。
それは絹子夫人でした。
私の方では知っていましたが、夫人の方では知らなかったので、咎めるように云いました。
「おや初枝、お客様なのかい。……失礼ですけれど何ういうお方かね」
初枝嬢が何んにも云わない先に、私から立ち上がって云いました。
「細川君の友人でございまして、松城昌三と申す者です。今後は何卒お心安く……」
「細川さんのご友人、おや左様でございましたか」
夫人は何んとなく疑わしそうに、私をジロジロ見廻わしました。
有名な美貌の持主でしたが、一つは年、もう一つは、重なった不幸に打ちひしがれ、すっかり悌を変えていました。
それでも体格は立派であり、よく洋装が調和って見えました。
性質も昔とはすっかり異い、かたくなとなり疑い深かくなり、愚痴っぽくなり、すぐ泣くようになったと、世間一般の噂でしたが、しばらく話をしている中に、そういう性質も見てとれました。
しかし私はどんな婦人であろうと、話している中に、捕虜にして了い、信用させて了う一種の伎倆を──笑って下されては困まります、それは職業から来ているのですから──そういう伎倆を持っていましたので、この夫人も間もなく私という人間を、信用するようになりました。
初枝嬢が中座した隙に、私は夫人へ云いました。
「奥様、お家にとりまして、厭な日が近づいて参りましたな」
「…………」
すると夫人は撲られたかのように、ギョッとしたような顔をしましたが、すぐすすり泣をはじめました。
(無理ではないな)と思いながら、私は夫人に云いました。
「八月二十日という厭な日が、つい間近かに迫りました。……お嬢さんの初枝さんのお身の上に、ご用心なさらなければなりますまい」
「はい、そうなのでございます。……それで妾はまあ何んなに、この日頃心配して居りますことか! ……どうしたらよいのでございましょう⁉」
「いや、ご心配なさいますな、大概私にお嬢様のお命を、取り止めることが出来そうですから」
「そうして戴けましたらまァ妾は、どんなに嬉しゅうございましょう。……でも、本当に、貴郎のお力で?」
「まず大概は大丈夫でしょう。……そこで一二お訊ねいたしますが、浦路さんと潮子さんとが変死なさいました時、ああいう変死をなされる直前に、何か変わった出来事が──つまり二人のお嬢さんのご様子に、変わったところはございませんでしたか?」
「さあ」
と夫人は考え込みました。
「そういえば娘達は変死の前ごろから、夢でも見ているような茫然とした様子を……」
「で、如何です初枝さんも、そうです初枝さんの昨今も、そうなっては居りませんかな?」
「はい、そうなのでございます。矢張り同じように、そんな様子に……ですから妾は気が気でなく……」
「お二人ながら同じ黄浦河で、同じように溺死なされたという、この点に就いて何かお考えが……」
「それもその当時から変なことだと、妾は思って居りましたが……」
「お二人ながら何者かに誘惑されて、黄浦河の方へ出て行かれ、何かの事情で河へ投ぜられたと、こんなようにお思いになりませんかな?」
「誘惑されてと申しますと?」
「誘惑には二通あるようですな。……意識的の誘惑と無意識の誘惑と」
「…………」
「で、二人のお嬢さんの場合は、後者にあたると思われるのです」
「無意識的の誘惑だと、こう仰有るのでございますね」
「そうです」
と私は云いました。
「そうです、無意識誘惑なのです。云い換えると不可抗的誘惑なのです。……ところで現在初枝さんが、それにかかっているのです」
「まあ」
と夫人は顔色を変えました。
「どうしたらよろしゅうございましょう。……それに無意識、不可抗的って、どんな誘惑なのでございましょう?」
「精神科学、心理学、そんなものに属しているものです。が、私にはその誘惑も、大概破壊することが出来そうですから、ご心配せずにお任かせ下さい」
「どうぞお願いいたします」
「召使も大勢でございましょうね。お屋敷が大分手広いようですから」
「はい、女中が三人に、支那ボーイが一人、爺やが一人、五人の召使を使って居ります」
それから私は尚一時間ほど、夫人を相手に話してから、柵家へ別れを告げました。
私の住居は日本人町の呉淞路の二十号にあって、日本商人の山崎という人の、別館一棟を借りていたので──それは洋館でありました──誰にも累いされることなしに、研究することが出来るのでした。
自分の部屋へ帰って来て、ソファーへ腰かけて煙草を喫ったものです。
問題は今のところ簡単であり、探偵小説にあるような、複雑性などは無いのですから、考える必要も無かった訳です。
(要するに度胸の問題さ)
そんなように私は思いました。
(危険性はうんとあるが)
それは相手が青幇なのですから、命がけと云わざるを得ませんでした。
その夜私は十二時頃寝ました。
何かの気配を感じたのでしょう、私はフッと眼をさましました。
すぐに電気をつけて見ました。
卓の上に一枚の紙があり、その紙に字が書いてありました。
「柵家の事件より手を引かざることは、
貴下の生命を失うことなり。
青短剣」
斯ういう意味の文章でした。
(早速彼奴等やり出したな)
私はそう思って苦笑しました。
見れば裏庭に面している窓の、一枚の硝子が切り取られています。
青幇の一人が忍び込んで来て、そんなことをしてそんな紙を、卓の上へのっけて行ったのでしょう。
(ピストルで俺を殺そうとしたら、すぐにも俺は殺されたろうな。硝子を切り取った窓の穴から、手を差し入れて俺を射たら)
だから危険だと思いました。
朝になった時卓上電話のベルが、けたたましい音を立てました。
受話器を耳へ押えつけると、
「妾絹子でございますが」
と、絹子夫人の声がしました。
昨日柵家から帰える時、夫人へ私のアドレスと、電話番号とを云って置いたので、それでかけて来たのでしょう。
(何か事件が起こったと見える)
そう思って私はヒヤリとしました。
「何か事件が起こりましたか?」
「初枝が変なものを受け取りましたので」
「何んですか、変なものとは?」
「手紙なのでございますよ」
「手紙? ははあ、誰からの手紙?」
「差し出し人が解らないのです」
「…………」
「花売娘が持って来たのです」
「花売娘、こいつは詩的だ」
「まあ、そんなご冗談を。……今朝初枝が寝巻のままで、裏庭を歩いて居りますと、可愛らしい花売の娘が来て、花を買ってくれと云ったのだそうです。それで初枝が買いましたところ、花束の中に有りましたそうで。手紙があったのでございます」
「どんなことが書いてありましたかな?」
「申し上げにくいのでございますが……」
「私に関することですかな?」
「はい、そうなのでございます」
「では、私には見当がつきます。私という人間を近づけるな、近づけると恐ろしい目に逢うぞと、こんなことが書いてあったのでしょう」
「よくご存知でございますのね。そのとおりなのでございます」
「そこで夫人にお訊ねしますが、いかがです私を追っ払いますか」
「飛んでもない、そんなことを……」
「では結構、それでよろしい」
「でも、妾は恐ろしくて……」
「恐ろしいのは当日だけです」
「…………」
「八月二十日だけが恐ろしいのです」
「…………」
「いずれお訪ねしてお話ししましょう」
そこで電話を切って了いました。
それから私は考えました。
自分が柵家へ行ったことと、今度の事件へ踏み込んだことを、幾人の者が知っているだろうかと。
(細川繁と絹子夫人と、初枝嬢との三人だけだ)
答えはすぐにこう出ました。
では三人の中の何者かが、青幇の連中へ俺のことを、内通したと解さなければ不可ない。
そこで青幇の連中が、柵家と俺とを隔てようとしたのだ。
(いや、もう一人あるらしいぞ)
が、私はそんなことより、繁青年の訪ねて来るのを、心待ちに待って居りました。
これほどの重大事を頼んだ彼です。私と柵家との会見の様子を、知り度いと思って訪ねて来るのは、当然のことでありますからな。
(来たら断乎として訊いてやろう)
そう私は腹をきめていました。
果たしてその日の正午頃、繁青年は訪ねて来ました。
不安と焦燥とにオドオドして、昨日より悲惨に見えました。意志も何も無くなって了った。そんな人間に見えました。
(こんな人間には活を入れる意味で、高飛車に出なければ成功しない)
こう私は思いましたので、
「君、そこへ掛けたまえ。……さて、君に訊ねるが、君の属している青幇の本部、何処にあるのか云って見給え!」
こう云って睨みつけてやりました。
「…………」
繁青年は答えませんでした。
「城内か、それとも四川路か⁉」
以前にもお話ししたとおり、私は私の職業柄、青幇に就いては徹底的に、研究をして居りましたので、上海に幾個本部があるか、その本部は何処と何処にあるか、そんなこともおおよそは知っていました。
繁青年は黙っていました。
「云えないことはあるまい、云って見たまえ!」
「城内です、城内の……」
「それだけでよろしい、城内だけでよろしい。……で、会長は何んていう奴かね」
「知りません、知らないのです!」
繁青年は強く云って、私の顔を怨めしそうに見ました。
私も無理には訊ねませんでした。
幹部で無ければ本部の会長の、何者であるかを知ることが出来ないという、そういう組織になって居り、もし又喩え知っていたにしても、それは絶対に云うことが出来ず、云ったが最後云った人間は、例外なく命を取られて了う。──そういうことになっていることも、私は知っていたからです。
聞く可きことが他にないので、繁青年に云ってやりました。
「昨日僕は初枝さんとも逢い、絹子夫人とも逢って話した。そうして僕は云ってやった。初枝さんの命は私の力で、大概取り止めてお目にかけると。で、今度は君に云おう。君がどんなに初枝さんの命を、八月二十日に取ろうとしても、僕が決して取らせないと。さあもうよろしい、今日は帰えりたまえ」
その夜私は家を出て、城内へ這入って行きました。
城内というのは云う迄も無く、支那町のことでありまして、上海中で物騒な方面では、代表的のところであり、白昼ホールダップが行われたり、人攫いや殺人が行われたり、そうして一旦行われるや、容易のことでは犯人が出ないと、そう云われている所です。
夜は商売をしていません。
昼間は殆ど狂気じみているほど、騒がしい賑わしいこの一画も、夜はひっそりと静まり返えり、人影など滅多に見ることが出来ず、見えれば夫れは九分九厘まで、悪漢でなければならないのです。
露路などから突然飛び出して来て、矢庭に短刀でドテッ腹をえぐり、ほんのハシタ金を奪うために、──人間の命を犬や猫より、安くつもっているような、そんな凶悪の人間ばかりが、時たま彷徨っていると思えば、まあ間違いありますまい。
有名な湖心亭を右に見て、私は壬王街の方へ歩いて行きました。
その間に三度ばかり人間と逢い、襲われそうになりましたが、まさか私という人間を──それは様子で解りますので──襲うような素人の悪漢は無く、事も無く壬王街へ行きつきました。
と、此処にこんな城内などに、よもや有ろうとは思われないような、鬱蒼とした森がありまして、その森の中へ踏み入るや、私の姿は忽然として、消えたであろうと思われます。
と云うのは誰かが私の後を、こっそり従けて来たとして、そういうのでありますし、消えたと神秘的に云ったところで、何も魔法や忍術で、姿を消したというのではなく、これも私の職業がら、自然と会得した方法で、木立の蔭へ隠れた迄なのです。
で、耳を澄ましました。
少し離れた森の奥から、囁く声、歩き廻わる足音、そんなものが幽に聞え、其処に大勢の人間が、集まっていることを証明しました。
で、私は進んで行きました。
此処で申し上げて置きますが、この時の私の服装は、背広などという洒落れたもので無く、苦力の服装をしていたことで、そうして鳥打をまぶかに冠り、顔をかくすようにしていました。
青幇には日本人も加入して居り、その日本人が苦力姿をして、本部の会合へ出席したのだと、そう思わせるように仕組んだのです。
果たして闇の中に十数人の男が、塊まり合って立っていました。
私が傍へ寄って行くと、その中の一人が声をかけました。
「来たれるは誰ぞ?」
勿論支那語で云ったのです。
私も支那語で直ぐ答えました。
「汝の兄弟」
「何のために来たれる?」
「公所(本部のこと)の会合に列せんがために来たる」
「剣と頸といずれか堅き?」
「頸堅し」
「幾人か汝と共に来たれる?」
「一人」
「汝、何を以ってか一人来たれる?」
「秘密を保たんがために」
「よし、兄弟、通るがいい」──で、私は先へ進みました。
以上は青幇の問答なので、云う事が判で捺したように、ちゃんときまっているのです。云って見れば日本の博徒仲間で行う、仁義というあれなのです。
で、この仁義が云えなければ、贋物として追っ払われるのです。こうして私は第一の関門を、旨く越して了いました。
第一の関門を越しさえすれば、第二、第三関門は、形式的のものなので、難無く越すことが出来るのです。
第二と第三の関門を、事実私は難無く越して、集会所の入口へ達しました。周囲一丈もありましょうか、そんなにも太い杉の木があり、その根が空洞になっていましたが、それが集会所の入口なのです。
私は其処から這入って行きました。
石の階段が通じていて、それを歩いて下へ行きました。
下にあったのは地下室でした。
地下室で見た光景は、凄いといえば凄いとも云われ、滑稽だといえば滑稽だとも云われる、そういったようなものでした。
催眠術をかけている所を、冷静に第三者が観察したら、滑稽に見えるじゃアありませんか。
が、同じ光景を、感激的にロマンチックに、──いや寧ろミスチックに、眺めたとしたら同じ光景が、凄く見えるに相違ありません。
地下室で私の見たものは、その催眠術の施法だったのです。
もし施法をしているその人が、魔王を現わした仮面を冠り、物々しい喇嘛風の胴服を着、印を結んだり解いたりするような、変に技巧的な手附をし、その前に跪坐し平伏し、恐れおののいている被施法者を、威嚇していたとしたらどうでしょう。
しかも施法者の前と後に、青い色の焔や赤い色の焔が、燃え上がっていたとしたら何うでしょう。
その上施法者の右と左に、数人の覆面をした人間が、妙に威容をつくろって、並んでいたとしたら何うでしょう。
可成り怯かされるじゃアありませんか。
私が這入って行った地下室で、認めたところの光景というのが、そう云ったところのものでした。
支那の人間という奴は、こういうことを好むものです。
何事をも物々しくし、何事をも神秘化す。(これは道教の悪感化なのですが)そうして何事をも非科学的にする。
そうして彼等は催眠術というものを、ひどく巧妙に使用するのです。
義和団事件を起したところの、彼の拳匪という奴や、一層有名な長髪賊なども、矢張り催眠術を巧みに使用し、愚夫愚婦を瞞着し煽動したものです。
だから青幇紅幇の徒が、同じように催眠術を使用して、悪事をするのは自然であり、当然であると云うことが出来ます。
併し被施法者が繁青年──細川繁であったのには、私も少し驚かされました。
そうです繁青年が、魔王のような仮面を冠った、青幇の会長の前に跪ずき、嘆願しているではありませんか。
「私にはどうしても今度の役目ばかりは、仕遂げることは出来ません。どうぞ他の誰人かに、お命じなすって下さいますよう」
こう嘆願しているのでした。
しかし会長は聞き入れませんでした。
会長は呪文でも称えるかのような口調で、
「お前は役目を果たさなければならない。それだのにお前は毎日のように、力を失って行くではないか。……さまよう町の、さまよう家の、さまよう人々の中に於て、お前は役目を果たさなければならない!」
その声は厳めしく、そうして催眠術施法者の型に、そっくり篏まった命令的のもので、そうして、従って邪教の教主が、信者に対してご託宣をする時、きまって使う語調でもありました。
と、果たして繁青年は、その語調その態度に、すっかり圧伏されて了い、意志を喪失して了いました。
彼は云ったじゃアありませんか。
「そうです、私は、さまよう町の、さまよう家の、さまよう人々の中で、役目を果たさなければなりません」と。
(もう可い)
と私は思いました。
(これ以上いると発見される)
で、私は帰りかけました。
ところで貴郎はこの私が、この時まで地下室の何処にいたのか、まだお解りになりますまいね。
私はこの時まで十数人の者と──いずれも青幇の会員なのですが、──一緒に次の部屋にいたのでした。
つまり私も彼等の一人として。
地下室は可成り広いのです。私達のいるこの部屋の奥に、繁青年や会長や、幹部達のいる部屋があり、尚その奥にも部屋があるのです。
繁青年に対する命令、それが終わると他の会員が呼ばれ、──次の部屋へ呼び入れられ、悪事に対する他の用件を、又会長から云い付けられるのでした。で、私といる会員達は次々にこの夜会長によって、それぞれの仕事を命ぜられる可く、集まって来ていた連中なのです。
私はこっそり地下室を出ました。
森へ出るとホッとしました。
大変も無い毒気の中から、やっと逃れ出た人間かのように、本当にホッとしたのです。
守衛達は私を咎めませんでした。
会長から命令を受け取って、地下室から出て来た会員の一人だと、こう解したからでしょう。
すがすがしい森の香を嗅ぎ乍ら、私はまるで歌うかのように、
「さまよう町の、さまよう家の、さまよう人々のその中で……」と、こう小声で呟きました。
(役目を果たさなければなりません。……役目? 殺人! 恋人殺し! 富豪の美しい令嬢殺し!)
(さまよう町の、さまよう家の、さまよう人々とは併し何んだ?)
私はこのことを考えました。
大変詩的で美しく、ミスチックでさえある言葉であることよ!
(さまよう町の、さまよう家の、さまよう人々!)
私は考えに耽りました。
私が青幇の集会所の、地下室へ這入って行くという、この危険を冒したのは、会長の何者だかということと、もし探れたら何が故に、そう迄青幇の連中が、柵家へ仇をするのであろうか? それを探り度い為めからでした。彼等が、わけても会長が、催眠術を使うということ──そうしてその使う催眠術の一種、遠隔暗示で柵家の令嬢、初枝さんを精神喪失者とし──特に夜に於て夫れにして、八月二十日には以前に死んだ、二人の姉さんと同じように、無意識に、しかし自分の方から、死場所を目指して進んで行くように──そうしているということなどは、私は推察していたのでしたから、敢て地下室で探ろうなどとは、計画しては行かなかったのでした。
そうして地下室へ這入って行った結果、会長の人物は見ましたが、何者であるかという点は──その素性という点は、結局知ることは出来ませんでした。その上何が故に柵家へ、青幇の連中がそう迄執念く、仇をするかということに就いても、発見することは出来ませんでした。
が、その代り「何ういう処で」初枝さんを殺そうとしているか? その「処の」暗示だけは、ゆくりなくも知ることが出来ました。
「処」とは何処か?
云う迄も無い!
「さまよう町の、さまよう家の、さまよう人々」の中なのです。
が、其処は何処なのか?
そうだ、其処は何処なのか?
知らなければ不可ない! 知る必要がある! そうだ探す必要がある!
私は森を出て支那町へ這入り、城内を脱けて租界へ出、これという当もありませんでしたが、波止場の方へ歩いて行きました。
黄浦灘に立って眺めた夜景は──上海の夜景は東洋第一の、貿易港としての上海の、雄大さと壮麗さと華美さとの、代表的のものでありましょう。近代文明──欧亜の粋と、欧亜の罪悪とを一緒に蒐めた、魔都の姿の大写であると、そういうことも出来ましょう。
絢爛そのもののようなネオンサインが、此方の街衢に輝いて居れば、対岸には宏壮のビルディングが、──上海製糸、川崎ドック、英米煙草会社、日華紗廠、そういったビルディングが窓々から、強い光度の電燈を、ふんだんに放射しています。
黄浦河上には各国の船が、──日本船や英国船や、仏国船や独逸船が、国々の趣味を現わした、さまざまの船体に浮かんでい、それのマストや甲板から、河上へ投げている電燈の光が、波の蜒りに従って、縄のようになわれるのも、美しい眺めということが出来ましょう。
私は河上をぼんやりと眺め、矢張り考えて居りました。
(さまよう町の、さまよう家の、さまよう人々とは何んのことだろう? 何処にそういう処があるのか?)
すると其時うしろの方から、
「紳士、よい所へご案内しましょう」
と、迚も仇っぽい女の声で、呼びかけるものがありました。
私はそこで振り返えって見ました。
一見した所は令嬢だが、仔細に見るとまぎれもない、私娼それも夜遊神と呼ばれる、それであることが解りました。
此処でちょいとばかり通を云いますが、上海に於ける辻君には、大体二種類あるのです。夜の七八時から午前の一二時まで、人眼を引くような服装と化粧とをし、往来をブラブラさまよって、客を引くところの夜遊神と、大馬路や四馬路の茶楼などへ行って、客を引くところの拉的野鶏、つまりこの二種類なのです。
で、私に呼びかけた女は、その夜遊神でありまして、その夜遊神は私娼の中でも、下等に属しているもので、容貌も風采もみすぼらしくなければなりません。それだのに──呼びかけたその夜遊神は、今もお話ししたように、一見すると令嬢のように、美しくもあれば高尚でもあり、衣裳なども立派なのでした。
私の好奇心は湧き立ちました。
で、私はからかいました。
「よい所へ? 有難う。行ってもいいね。が、どんな可いところかね」
すると女は云いました。
「紳士、兎に角参りましょうよ。屹度ご失望はなさいますまい」
「成程、そうかも知れないね。……が、一体どの辺なのかね」
「たいして遠くはありません」
「君の家かね? ホテルかね?」
「いいえ、どっちでもありませんわ」
「ははあ、そうすると石畳の上か」
「まあ、そんな、そんな下等な。……よい氈が敷いてございます」
「よい氈が、そりゃア素的だ。……ベッドのスプリングも利いているだろうね」
「ホ、ホ、ホ、その通りですわ。……そうして可い音楽も……」
「よい音楽も聞かせてくれるって。そいつは豪勢な話じゃアないか。……ところで代価は? いくらなんだ?」
「ね、行ってからにしましょうよ。ね、そういうご相談は」
「いけないね、そいつはよくない、すべて取引は率直の方がいい。……で、率直にうかがうが、君の体を自由にするには、いくら程の資本が入用なのだい?」
「駄目よ、あなた、そんな無作法なこと。……ご案内すればいいんですわ。……だからご一緒に参りましょうよ。……上等のバス、上等のお酒、……妾一人だけじゃアありませんのよ。他にも女の人居るんですわ。……ですからお好み次第ですわ。……よい絵画、よい盆栽、よいシガー、よい光線……一切が備えてありますのよ」
(変だな)
と私は思いました。
夜遊神などというものは、のっけに代価を云うものですのに、この女はそれを云いません。
夜遊神などというものの巣は、あさましいみすぼらしいものであって、よい音楽だの、よい風呂だの、よい絵画だのよい盆栽だのと、そんなものを備えてなんかいない筈です。
それだのにそんなものを備えているという。云い方に嘘は無さそうである。
(変だな)と思わざるを得ませんでした。
「一体どこへ行くんだい。何処へ連れて行ってくれるんだい?」
真面目に私は訊いて見ました。
すると女も真面目に答えました。
「さまよう町の、さまよう家の、さまよう人々の所へ。……ね。ご一緒に参りましょうよ」
私は一瞬間ぼんやりし、次の瞬間には用心しました。
この私の心の動揺は、貴郎にも解っていただけるでしょうね。
全く驚かされて了いました。
だって然うじゃァありませんか。
私が知り度いと熱望していた「さまよう町の、さまよう家の、さまよう人々」のいる所へ、そんな夜遊神が連れて行ってくれると、余りにおあつらえ向きに云ってくれたのですもの。
私はつくづくと女を見ました。
と、卒然と心の中へ、一つの疑問が浮かんで来ました。
(うん、この女、女幇だな)
それはこういう疑問でした。
が、女幇とは何んでしょう?
それに就いて此処に文献があります。
これを読んでお聞きに入れましょう。
「青幇中には女匪も可なり居るがこれもその仕事に由って四種に分類する事が出来る。
折梢女友というのは、女匪が巧に金持のお嬢さん達と友達となり、或は麻雀を勧め沢山の貸を作ってそれをたねに金品を強請し、金品の持ち出しが出来ない時は淫売を強いたりなどするので、そのやり方が頗る巧だから良家の娘さん達もウカと掛ってしまう。彼等女匪は、城隍の前で誓いを立て十姉妹と自称し、年に由って老大とか老二とかの称号をつけ、互に連絡を取って活動する。此の方法であたら花の蕾を踏み躙られた金持の娘さんが上海にも少くない。
女匪の働く悪事の中でも、串放白鴿の如きは最も驚くべきもので、それは女匪中の美人をどこかのお嬢さんに仕立て、田舎あたりの金持ちの息子と結婚させる。それ迄には例の如く巧妙な方法で相手方に取り入り、こっちのお嫁さんも立派な大家のお嬢さんとして立て通してその道筋をうまく運び、さて愈々結婚してしまうともう占めたもので、薄ノロ亭主の助平たらしいのに乗じ、せいぜいあまったるい言葉を浴せかけて充分手玉に丸め込み、それからそろそろ目ぼしい品物例えば首飾り、腕環、其他装飾物、金銭などを少しずつ持ち出していつしかその家に大きな穴をあけるのである。
ある知事が嘗て上海城南の某公館に住んでいた事があった。その鷹揚な態度と、出入する毎に自動車や馬車を駆る様子を見つけた一女匪は、家に帰ってこれを取り入れる方法を母に相談した。そこで母は女に盛装させ、その附近を徘徊させていたが、案の如く知事の目にとまり、請われて結婚する迄に漕ぎつけた。その時知事からは千元贈ろうとしたが、母は自分の娘は売女ではない。金は要らぬから自分も一緒に引き取って呉れと言って二人してその家に入り込み、知事が江西あたりに赴任する時もついて行ってそろそろ奥の手を出し、金品をかくし始めた。そしてもういい時分だと頃を見計らい、上海に遊びに行きたいから、暇を呉れと言って家を出で、上海には来ないで知事の郷里に行き、知事のおやじに向って知事さんは今度道尹になる。それに就て運動費が要るから一万元ばかり呉れと、出鱈目の嘘八百を並べ、まんまと大金をせしめて上海に帰り何食わぬ顔していたが、驚いたのは知事とそのおやじで、詐欺にかかったと気づいた時は家がからっぽになっていた。そこで早速手続きをして上海を探した結果、この女匪は某遊戯場で捕えられたそうである。此の種の罪悪は、女匪の犯行の中でも許すべからざるものである。女匪の中には博奕専門の奴がいて、金持の家族に接近しそして賭博に誘い、大金を捲き上げる。博奕を開いた最初一日二日は態と負けてやり、その間に向うの手筋を看破し、且つ骸子の印を覚えて置いて、それから捲き上げに掛る。時には又女匪自身が大家公館に夫々伝手を求めて入り込み凄い腕を振うこともある。之等の女匪を女子郎中という。
度胸の据った或いは手先の特別器用な女匪は、窃盗の手先や掏摸になる。匪徒が窃盗するには先ず女匪をして家内の様子を偵察せしめ、そして時を計って入り込み、仕事をするので、その手先が第一番に捕まえるのは、婢僕である。
嘗て某公館がこの手でウンとやられた事がある。或日そこのアマが裏門のそばで洗濯していたら一人の巫女がやって来てそのアマに向い、お前の身の上には今に大変なことが起って来る。お前の印堂の黒いことはどうだ、ああ怖い怖いと言ったので、簡単なアマは大変吃驚し、どうしたらこれを避けることが出来ようかと援けを求めた。巫女は鹿爪らしく、お前が今日わしに逢うたのはせめてもの幸だ、ここ二三日遅れたらもう取り返しがつかなかった。そこでその禍を解く法だが、余計は要らないからお礼としてたった三十元お出しなさい、早く出さなけりゃ遅れると大変だぞと言って威しつけた。アマは泣きそうな顔をして、アマ位していて三十元の金がある筈がない。十元にまけといて呉れと頼んだ。巫女は自分を信用せしめるために、自分の役目は人を救うのであるから貧乏人からは金は取らない。それで家人に紹介して呉れと言ったので、アマは大変喜び早速これを承諾した。そこで巫女は一本の針を取り出し自分の臂から血をとりそれを符につけて与え、別に又紙にそっと薬を包み仙水だと言って飲ませ、そして何日の何時頃線香蝋燭をあげてお祈りしたらすぐ癒ると本当らしく教えて立ち去った。翌日になるとアマは変な病気に罹りぼんやりして不吉な事ばかり言うようになった。家人は不図昨日来た巫女の話を聞き、早速その通りお祈りをすると、不思議にも二三日して悉皆癒った。家中の人々は大いにこれを奇とし、巫女の住所をアマに聞いたが知らない。兎に角不思議な巫女だと感心している。巫女の飲ませた薬の為め一時病気を起したなどとは夢にも知らない。半月計りしてから巫女がその家に来たので、アマは、仙人が来た仙人が来たと喜び叫び、内の主人もお前さんに逢いたいと言って待っているから早く内にお入りなさいと言って迎え入れ、主人に紹介した。巫女は主人の求めによりその相を観て曰く、あなたの相は大変宜しいが、と言って急に驚いて起ち上りあなたの命はどうも危ない。今年が厄年になっている。これは家相が悪いようだと言って、家中隈なく見て廻り、どこにこんな物がある、どこに入口があり、家族は何人と悉皆探偵が出来て仕舞った。
それから二三日経ってその公館に泥棒が入って、金銀珠玉及び現金等数千元を強奪して去ったが後になってその巫女が泥棒の手引をしたことが判った。こんな例は外にも沢山ある。
(女幇なら恰度よい。よし、云うなりになってやろう)
私は其処で云ってやりました。
「よろしい、行こう、案内してくれたまえ」
女はチラリと私を眺め、意味ありそうに笑ってから、先に立って歩き出しました。
私は歩きながら考えましたよ。
(この黄浦河の河岸は、何んと俺には運命的なんだ! 繁青年に話しかけられ、今度の事件に捲き込まれたのも、このホアンプーの河岸なら、この不思議な夜遊神に、突然話しかけられて、不思議な処へ連れて行かれるのも、このホアンプーの河岸だ。
ホアンプー!
黄浦河! 上海の動脈、生命線! そのホアンプーは俺の宿命だ!)
事実その通りであったのです。ホアンプーは私の宿命でした。
だんだんお話しして行く中に、お解りになることと存じますがね。
× × ×
さて貴郎、親愛なる貴郎、私の長話を大変神妙に、謹聴して下さる親愛なる貴郎その貴郎へ申し上げて置きます。これからお話しする私の話の、その話の話しぶりに、充分ご注意下さいとね。
と云うのは私は必要上から、写実的にお話ししないで、象徴的にお話しするからです。
神秘的、夢幻的、超現実的──こう云ったような話しぶりであると、然うも云うことが出来るかもしれません。
× × ×
さて此処は「さまよう町の、さまよう家の、さまよう人々」の、住居をしている処です。
何時の間にか私は例の女によって、此処へ案内されて来たのでした。
町の道を歩いて行きました。
さまよう町の道をです。
大変細くはありましたが、綺麗で平坦で掃き清められていて、すがすがしい程でありました。
その道の左右には家々がありましたが、いずれも洋風で高尚で、こぢんまりとして居りまして、どの家もおおよそ同じ大きさで、門のドアなども似たようなもので、建築法や都市美観を、極度に参酌して作ったということが、よく頷かれる次第でした。
往来している人達も、大変上品で美しくて、瀟洒としていて気持がよく、それに話し合う声なども、小さくて丁寧でありました。
みんな仲よく、みんな愉快そうで、そうしてみんな何か一つの共同の目的に向かっていると、そんなように思われる人達でした。
男達の中には老人もあり、青年も中年者もありましたが、女達の中には不思議な程、ひどい年寄は見受けられませんでした。
このことがこの町をいよいよ美しく、はなやかなものにしていました。
十五六から三十五六迄の、いずれも縹緻のよい女達が、年相応にお化粧をして、心持ち派手な服装をして(そう、お化粧もどっちかといえば、可成り派手な方でした)町をゆるやかに歩きながら、軽快に朗に媚を含んで、時には蠱惑的の流瞥さえして、男達と何んのわだかまりもなく、時には殆ど性的の方で、無道徳だと思われる程にも、自由に大胆に話し振舞い、それが普通だとしている様子は、寧ろ私には快い、好感の持てる風景でした。
娯楽的建物というよりも、娯楽的設備と云った方が、よろしいように思われますが、そういうものが可成り豊富に、この町には設備されて居りました。
一つのラウンジでは優秀なバンドが、優秀な音楽を奏していました。ラウンジの広さは二百畳敷ぐらいで、天井の中央はドームになって居り、色彩絢爛の色硝子が、交互に張った装飾を持ち、その胴壁には七層朝顔型の、黄金色硝子の装飾電燈が、舞台へ光線を投げかけていました。用具はいずれもマホガニー製で、床は矢筈組樫木張で、その上に高価なカーペットが、ずっと敷きつめてありました。
何んと高尚で、こぢんまりしていて、贅沢に出来ているラウンジなのでしょう。
音楽を聞いている人達は、大概礼装をして居りました。女はドレスでありましたし、男はタキシードか燕尾かでした。
自由に寛いでもたれ合ったり──女と男とがもたれあったりして、音楽を聞いているのでした。
私も其処でほんの僅の間、音楽に耳を澄ましましたが、それよりこの町の芸術的の諸所を、もっと見たいと思いましたので、ラウンジを出て町を歩きました。
ふと私は随分立派な、ギャレリーの中へ這入って行きました。
伊太利中古フロレンチン式に、装飾されてあるこのギャレリーは、全く立派なものでした。
よい絵画がかかって居ました。
超現実派タンギーの絵画「マダムと仙人掌」がかかっていたのには、すっかり感心して了いました。
タンギーは貴郎もご承知でしょうが、あの荒涼たる不毛の砂地と、そうして不可能の壮大さ──こういうものを連想させる、全く独創的の天才画家で、その絵は得がたいとされていますのに、その絵がかかっているのでした。
でも私は其処を出て、ブラブラ町をさまよいました。
そうして何時ともなく、しかし自然に、一つの喫煙室へ這入って行きました。
これも立派な造作でした。
ウィリアム・エンド・メリー様式で、英国材の胡桃を用い、雅趣のある素地蝋磨に、おおよそがなって居りました。正面中央には伊太利産らしい、大理石の枠を持った大煖炉があり、丸透彫の前飾も、確に勝れたものでした。
大柱はマホガニーでありまして、華麗極まる大理石模様を、総体に現わしているところなど、エレガントと云ってもいい程でした。
窓が両開き硝子扉であり、華麗のカーテンがかかって居り、床が護謨敷になって居り、煖炉の前にオリエンタルカラーの、段通が一面に敷いてあるのも、好ましい趣味でありましたよ。
文机、円テーブル、長椅子など、ことごとく上等なものであり、それに倚って男女の人々が、麻雀だのポーカだのをやっていました。
可成りの額を賭けているようで、時々亢奮した勝負の声があちらこちらから起こりました。
私はそこでしばらくの間、賭事を眺めて居りましたが、やがて其処を出て往来へ出ました。
と、行手の曲り角を廻って、私を此処へ案内して来た、例の女が近寄って来ました。
「お気に入りまして、え、貴郎?」
「気に入りました、よい所ですね」
「お食事は如何? 何か召しあがっては?」
「ではご案内願いましょうか」
「いらっしゃいまし、こちらなのよ」
で私は女について──女の名は黄蓮といいましたが──少しばかり歩きました。
と、私達は何時の間にか、立派な食堂へ来ていました。
仏国現代式装飾だなと、こう思いながら食堂の内部を、黄蓮とペパミントを飲み乍ら、私は仔細に眺めました。
天井は随分高くありました。柱は楕円形で太くありました。その天井とその柱の内部に、隠されて点されている電燈から、軟かい光が放射されて、それが室内を照らしているのが、特殊的でありました。
正面中央にある飾棚も、最新式のものであり、それに対した後方の壁には、飾配膳棚が備えつけられてあり、これも趣味を極めたものでした。左右の両壁には驚くばかりに、精巧を尽くした仏蘭西製の、寄木細工の壁画が二面、堂々とかかげられてありましたが、それは有名なベルサイユ宮殿の、庭園を現わしたものでした。
ドーム前端の階上に、奏楽室がありまして、そこでは音楽を奏していました。
「何うォ」
と黄蓮は云いました。
「妾の処へいらっしゃいましな」
「うん」
と私は応じました。
「ひとつ款待にあずかろうかね」
「妾で勿論いいんでしょうね」
「いいとも、結構、君が好きだもの」
「でも他にも美しい人が、随分いると思わなくって」
「居りますね、ふんだんにいる」
「どの人だろうと大丈夫なのよ。……でも約束の出来ている人はねえ」
「いや君で充分だよ」
私はこう云って日本人好みの、細面できゃしゃな黄蓮の顔を、好意を以って眺めました。
「しかしもう少し見て廻り度いから」
「ではその後でいらっしゃいな。……妾の所、知っていらっしゃるわね」
「後で行こう。知っているとも」
二人は食堂から外へ出て、辻で左右へ別れました。
それから私は急の坂を、下の方へ下りて行きました。
何も下の方に私の興味をそそる、特別のものがあると思って、下りて行ったのではありませんでしたが。
下の町も上の町とよく似ていて、細い往来は清潔であり、往来の左右の家々は、いずれも同じような形であり、そうしていずれもこぢんまりとしていました。
が、大体に上の町よりも、ずっと遥に質素であり、みすぼらしくさえありました。
ひとつにはこの町に不思議な程にも、人が住んでいないからでした。
いや嘗ては住んでいたが、現在は、少くも今日の夜は、殆ど誰もが住んでいない。──と、そんなように思われるのでした。
往来についている電燈の光も、で、ずっと暗くあれば、家々の窓からは云い合わせたように、燈火の光が洩れて来ないのでした。
さよう事実そうなのでした。
どの窓からも電燈の光が、殆ど洩れて来ないのでした。
勿論まばらに、ほんのたまたま、往来を人が通りましたが、その人が上の町の人とは異い、サラリーマンか高級労働者かと、そんなように思われる人ばかりでした。
私は更にもう一つの坂を、下の方へ下って行きました。
と、また町がありました。
しかしその町は私の心を、憂愁にさせるに足るばかりの、陰惨としたものであり、事実私は夫れを見て、憂愁の想いにとらえられました。
その町は寧ろ町というより、巨大な数個の合宿所──それも貧しい人々の、合宿所の集団そのものであると、そう云った方がいいような、そう云ったようなものでした。
何処かに工場でもあると見えて、エンジンの音、ダイナモの音、調革の廻る音などが、可成り烈しく聞えていました。
ところが何うでしょうその町にも、人は殆どいないのです。
で、まるっきり廃墟のようなのです。
燈火も暗く闇と云ってもよく、万事がひどくみすぼらしいのです。
私は悲しみを覚えましたよ。
そうしてこんなように呟きましたっけ。
「何んとこの町は──さまよう町は──階級がハッキリしているんだ! ブルジョアの住居、プチブルの住居、プロレタリヤの住居とハッキリと、三つの階級に分けられている」
この事が私を不快にしました。
で私は坂を上って、プチブルの住居へ帰って行きました。
それから更に一番上の町、ブルジョアの住居へ行こうとして、プチブルの町の細い往来を、少しばかり歩きました。
と、一つの窓の中から、女の泣声が聞えて来ました。
そこで窓から覗いて見ました。
窓の内側には燈火も無く、只窓から射し込んでいる、幽な外光によって内側が、ぼんやりと見えるばかりでしたが、その窓の内側に、半裸体の若い娘らしい女が、寝台に倒れて泣いている姿が、いたいたしく眼に映りました。
窓はほんの小さいもので、硝子とカーテンとで蔽われて居り、そのいずれもがほんの少しずつ、開いているのでありました。
女の様子や女の泣声が、大変憐れでありましたので、私は思わず声をかけました。
「もしもし貴女、どうしたのです?」
すると女は驚いたように、窓の方へ顔を向けましたが、その容貌は美しく、そうして真面目で無邪気だったので、私は感動されました。
女は私を認めましたが、最初は疑ってでもいるように、只凝視て黙っていました。
が、不意に叫びました。
「どうぞお助け下さいまし! 此処から出して下さいまし!」
「…………」
私は唖然としたでしょうか?
いいえそんなことはありません。
この町がどういう町であるか、この町にある家々が、家々に住んでいる人々が──更に率直に繰りかえして云えば「さまよう町のさまよう家のさまよう人々」の如何なるものであるかを、既に確かめている私にとっては、この女がどういう女であるか──どういう運命で此処へ来て、今何ういう運命にあるか、そうして私が助けなかったら、将来どういう運命になるかを、これ又知って居りましたので、決して唖然とはしませんでした。
「よろしい」と私は云いました。「出来るだけお力になりましょう。……併し果たしてこの私に、貴女をお救いする力があるか何うか、これが実は覚束ないのです」
「いいえ大丈夫でございます。私のことを日本の領事館へ、至急お知らせ下さいましたら、妾は助かるのでございますから」
云いおくれましたがその女は、日本ムスメだったのでございます。
「それは屹度引き受けました」
こう私が云った時に、私は私の背後にあたって、物の気勢を感じました。
で、敏捷に振り返り、素早く拳を揮いました。
私の足下へ倒れたのは、鞭を持った獰猛な支那人で、そのポケットにはピストルが一挺、ちゃんと隠されてありました。
(事情は随分切迫しているらしい)
こう私は感じましたので、
「どうです貴女、大丈夫ですか? 今夜一晩大丈夫ですか?」
こう急いで訊いて見ました。
「何んでございますの、大丈夫かとは?」
「貞操のことです、貴女の貞操……」
「守ります! 屹度、守って見せます!」
「何時貴女ここへいらっしゃった?」
「はい、今から三日前に」
「三日前に、それはあぶない、彼等は彼等の掟として、三日以上は待ちませんよ」
「でも妾、きっと頑強に……」
「いや夫れよりこうなさいまし」
私は思い付いて云いました。
「私の恋人におなりなさい」
「…………」
「私に今夜買われなさい」
「不可ません! 貴郎も、まあそんなこと!」
「いや誤解しては不可ません。只それは形式なのです。つまり然ういうことにして、貴方の貞操を守ってあげましょう」
女は合点がついたようでした。
うな垂れて細い声で礼を云いました。
(さてこの野郎だが何うしたものかな)
気絶している支那人を、私は足でこづき乍ら、その始末を考えました。が、どうせその中に蘇生するのですから、何処かへころがして置けばよいと、こう思って少しばかり離れたところにある、四辻の隅へ引っ張って行きました。
それから一時間も経った頃、私とその娘とは上の町の、迚も華麗な寝台づきの部屋で、静に話して居りました。
娘の名は澄子と云い、十九歳だということでした。
よい体格のしっかりした気象の、好感の持てる娘でした。
澄子は身の上を語りました。
それによると彼女は名古屋の産れで、女学校も卒業し、職業婦人になろうと思って、いろいろ職を求めたが、思わしい職業が見付からない。それに彼女は見掛け以上に、志操も堅固であれば大胆でもあり、冒険心と猟奇心とに、可成りに富んでいたところから、この頃盛んに日本の内地で、上海に於ける自由の生活が、銀安の噂と相俟って語られ、ひどく好奇心をそそるところから、彼女は思い切って上海まで出て行き、変わった世界を見ると共に、生活の方法を立てようと、いろいろ伝手を求めたところ、友人に知己が上海領事館に書記として勤務をしていたので、その人に紹介をして貰ったところ、来てもよいという返辞であった。
そこで是も友人の知己で、上海へ行く人があったので、その人と同行して三日前に、この上海へ上陸した。領事館の書記の某という人から、差し廻された自動車があった。で、彼女は同行者と別れ、その自動車へ乗ったところ、領事館へは行かないで、このようなところへ連れて来られ、すぐ一室へ監禁されたあげく、娼婦になる可く強要された。
勿論彼女は承知しなかった。
と、彼女は折檻された。
そうして今日に及んだのである。
──と云うのが彼女の話でした。
「上海にはザラにあることです」
私は彼女にそう云いました。
「もう私がお眼にかかった以上、どうともしてあなたはお助けして見せます」
そうも私は云ってやりました。
彼女は礼を云いました。
すっかり安心している様子なのです。
この部屋も随分立派でした。
ソファー、アームチェア、ライチングデスク、それらの物は鞣革と、紫檀とで出来て居りました。
花卉を描いた優れた油絵、美女を描いた日本の版画、それらは名ある物でした。
桃色の絹の蓋を冠った、電気スタンドの軟い光が、ダブルベッドの純白の敷布を、催情的に色づけてもいました。
窓があって其窓にも、桃色のカーテンがかかっていました。
窓の向うを通って行く人の、ひそひそとした会話なども、おおらかに聞えて参りました。
「ラウンジダンスがはじまっているよ」
「そうね、行って踊りましょうよ」
などと話して行く者もあり、
「ね、今夜は飲み明かしましょうよ」
「うん、よかろう、シャンパンでも抜こう」
などと云って行く者もありました。
(さて是から何うしたものだ?)
私はここで考えました。
この女にオールナイトの玉をつけて、私一人だけがこの町を去って、日本領事館へ出かけて行って、この女──澄子の知己だという某書記官に事情を話し、それから官憲へ依頼して、この町から澄子を取り返すことは、何んでも無いことでありましたが、それでは余りに平凡であり、そうして私としてはそんなこと以外に、柵家に関するいろいろのことで、この「さまよう町」に就いてこの「さまよう家」に就いて、もっと知り度いことがありましたので、今急に此処を立ち去ることが、出来がたいように思われました。
(さて是から何うしたものだ)
不図よい考えが浮かんで来ました。
で、ボーイを呼びました。
「黄蓮を呼んでくれ給え」間も無く黄蓮がやって来ました。
黄蓮は人の好い女でした。
お前の代りに澄子という女を買うよ、だからマネージヤーに交渉してくれ──こう私が頼んだところ、厭な顔もせずに頼みに応じ、マネージャーに交渉してくれた程でした。勿論その代りお礼として、少しばかり金はやりましたが。
それより此処のマネージャーが、その澄子が一議に及ばず、私という人間に買われてもよいと──つまり是迄、三日の間、頑強に断っていた娼婦としての勤めを、つとめることを承知したことを、どんなに驚いたか知れませんでした。
「黄蓮」と私は話しかけました。
「君は何時頃から此処にいるのだね?」
「そりゃア随分以前からだわ」
「以前からって、何時頃からだい」
「そうですねえ、三年も前から」
「三年も前から。こいつは古いなあ。……それでは一つ聞きたいことがあるが、去年の八月二十日という日に、一人の日本のお嬢さんが、此処へ入り込んでは来なかったかね?」
「去年の八月二十日ですって? 随分昔のことなのね、何うだったかしら、……でも何んなお嬢さんですの?」
「美しい上品な上流の家庭の、典型的のお嬢さんなのだ。柵潮子さんという人だ」
「あ、その人なら知っていますわ」
「ほー、知っているか、それは有難い」
「変った事件がありましたのでね、それで妾おぼえているんですわ」
「ねえ黄蓮」と私は云いました。
「その変った事件というのを、詳しく話してくれないかね。僕は是非とも聞きたいんだが」
こう云って私は若干の金を、又彼女にやりました。
「ええええよろしゅうございますとも、知っているだけ妾お話ししますわ」
底本:「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」作品社
2005(平成17)年9月15日第1刷発行
底本の親本:「探偵」
1931(昭和6)年7月~11月
初出:「探偵」
1931(昭和6)年7月~11月
入力:門田裕志
校正:北川松生
2016年3月4日作成
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