日本男子論
福沢諭吉
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明治十八年夏の頃、『時事新報』に「日本婦人論」と題して、婦人の身は男子と同等たるべし、夫婦家に居て、男子のみ独り快楽を専らにし独り威張るべきにあらず云々の旨を記して、数日の社説に掲げ、また十九年五月の『時事新報』「男女交際論」には、男女両性の間は肉交のみにあらず、別に情交の大切なるものあれば、両性の交際自由自在なるべき道理を陳べたるに、世上に反対論も少なくして鄙見の行われたるは、記者の喜ぶ所なれども、右の「婦人論」なり、また「交際論」なり、いずれも婦人の方を本にして論を立てたるものにして、今の婦人の有様を憐れみ、何とかして少しにてもその地位の高まるようにと思う一片の婆心より筆を下したるが故に、その筆法は常に婦人の気を引き立つるの勢いを催して、男子の方に筆の鋒の向かわざりしは些と不都合にして、これを譬えば、ここに高きものと低きものと二様ありて、いずれも程好き中を得ざるゆえ、これを矯め直さんとして、ひたすらその低きものを助け、いかようにもしてこれを高くせんとて、ただ一方に苦心するのみにして、他の一方の高きに過ぐるものを低くせんとするの手段に力を尽さざりしものの如し。物の低きに過ぐるは固より宜しからずといえども、これを高くして高きに過ぐるに至るが如きは、むしろ初めのままに捨て置くに若かず。故に他の一方について高きものを低くせんとするの工風は随分難き事なれども、これを行うて失策なかるべきが故に、この一編の文においては、かの男子の高き頭を取って押さえて低くし、自然に男女両性の釣合をして程好き中を得せしめんとの腹案を以て筆を立て、「日本男子論」と題したるものなり。
世に道徳論者ありて、日本国に道徳の根本標準を立てんなど喧しく議論して、あるいは儒道に由らんといい、あるいは仏法に従わんといい、あるいは耶蘇教を用いんというものあれば、また一方にはこれを悦ばず、儒仏耶蘇、いずれにてもこれに偏するは不便なり、つまり自愛に溺れず、博愛に流れず、まさにその中道を得たる一種の徳教を作らんというものあり。これらの言を聞けば一応はもっとも至極にして、道徳論に相違はなけれども、その目的とする所、ややもすれば自身に切ならずして他に関係するものの如し。一身の私徳を後にして、交際上の公徳を先にするものの如し。即ち家に居るの徳義よりも、世に処するの徳義を専らにするものの如し。この一点において我輩が見る所を異にすると申すその次第は、敢えて論者の道徳論を非難するにはあらざれども、前後緩急の別について問う所のものなきを得ざるなり。
世界開闢の歴史を見るに、初めは独化の一人ありて、後に男女夫婦を生じたりという。我が日本において、国常立尊の如きは独化の神にして、伊奘諾尊、伊奘冊尊は則ち夫婦の神なり。西洋においても、先ずエデンの園に現われたる人はアダムにして、後にイーブなる女性を生じ、夫婦の道始めて行われたるものなり。さてこの独化独生の人が独り天地の間に居るときに当たりては、固より道徳の要あるべからず。あるいは謹んで天に事うるなどのこともあらんなれども、これは神学の言にして、我輩が通俗の意味に用うる道徳は、これを修めんとして修むべからず、これを破らんとして破るべからず、徳もなく不徳もなき有様なれども、後にここに配偶を生じ、男女二人相伴うて同居するに至り、始めて道徳の要用を見出したり。その相伴うや、相共に親愛し、相共に尊敬し、互いに助け、助けられ、二人あたかも一身同体にして、その間に少しも私の意を挟むべからず。即ち男女居を同じうするための要用にして、これを夫婦の徳義という。もしも然らずして、相互いに疎んじ相互いに怨んでその情を痛ましむるが如きありては、配偶の大倫を全うすること能わずして、これをその人の不徳と名づけざるを得ず。我輩窃かに案ずるに、かの伊奘諾尊、伊奘冊尊、またはアダム、イーブの如きも、必ずこの夫婦の徳義を修めて幸福円満なりしことならんと信ずるのみ。
されば人生の道徳は夫婦の間に始まり、夫婦以前道徳なく、夫婦以後始めてその要を感ずることなれば、これを百徳の根本なりと明言して決して争うべからざるものなり。既に夫婦を成してここに子あり、始めて親子・兄弟姉妹の関係を生じ、おのおのその関係について要用の徳義あり。慈といい、孝といい、悌といい、友というが如き、即ちこれにして、これを総称して人生居家の徳義と名づくといえども、その根本は夫婦の徳に由らざるはなし。如何となれば、夫婦既に配偶の大倫を紊りて先ず不徳の家を成すときは、この家に他の徳義の発生すべき道理あらざればなり。近く有形のものについて確かなる証拠を示さんに、両親の身体に病あればその病毒は必ず子孫に遺伝するを常とす、人の普く知る所にして、夫婦の病は家族百病の根本なりといわざるを得ず。有形の病毒にして斯の如くなれば、無形の徳義においてもまた斯の如くなるべきは、誠に睹易き道理にして、これに疑いを容るる者はなかるべし。病身なる父母は健康なる児を生まず、不徳の家には有徳なる子女を見ず。有形無形その道理は一なり。あるいは夫婦不徳の家に孝行の子女を生じ、兄弟姉妹団欒として睦まじきこともあらば、これは不思議の間違いにして、稀に人間世界にあるも、常に然るを冀望すべからざる所のものなり。世間あるいは強いてこれを望む者もあるべしといえども、その迂闊なるは病父母をして健康無事の子を生ましめんとするに異ならず、我輩の知らざる所なり。古人の言に孝は百行の本なりという。孝行は人生の徳義の中にて至極大切なるものにして、我輩も固より重んずる所のものなりといえども、世界開闢生々の順序においても、先ず夫婦を成して然る後に親子あることなれば、孝徳は第二に起こりたるものにして、これに先だつに夫婦の徳義あるを忘るべからず。故に今仮に古人の言に従って孝を百行の本とするも、その孝徳を発生せしむるの根本は、夫婦の徳心に胚胎するものといわざるを得ず。男女の関係は人生に至大至重の事なり。
夫婦家に居て親子・兄弟姉妹の関係を生じ、その関係について徳義の要用を感じ、家族おのおのこれを修めて一家の幸福いよいよ円満いよいよ楽し。即ち居家の道徳なれども、人間生々の約束は一家族に止まらず、子々孫々次第に繁殖すれば、その起源は一対の夫婦に出るといえども、幾百千年を経るの間には遂に一国一社会を成すに至るべし。既に社会を成すときは、朋友の関係あり、老少の関係あり、また社会の群集を始末するには政府なかるべからざるが故に、政府と人民との関係を生じ、その仕組みには君臣の分を定むるもあり、あるいは君臣の名なきもあれども、つまり治むる者と治めらるる者との関係にして、その意味は大同小異のみ。斯く広き社会の中に居て、一人と一人との間、また一種族と一種族との間に様々の関係あることなれば、その関係について、それぞれ守る所の徳義なかるべからず。即ち朋友に信といい、長幼に序といい、君臣または治者・被治者の間に義というが如く、大切なる箇条あり。これを人生戸外の道徳という。即ち家の外の道徳という義にして、家族に縁なく、広く社会の人に交わるに要用なるものにして、かの居家の道徳に比すれば、その働くところを異にするが故に、その重んずる所もまた自ずから相異ならざるを得ず。
例えば私有の権というが如きは、戸外において最も大切なる箇条にして、これを犯すものは不徳のみならず、冷淡無情なる法律においても深く咎むる所なれども、一歩を引いて家の内に入れば甚だ寛かにして、夫婦親子の間に私有を争うものも少なし。家の内には情を重んじて家族相互いに優しきを貴ぶのみにして、時として過誤失策もあり、または礼を欠くことあるもこれを咎めずといえども、戸外にあっては過誤も容易に許されず、まして無礼の如きは、他の栄誉を害するの不徳として、世間の譏りを免るべからず。これを要するに、戸外の徳は道理を主とし、家内の徳は人情を主とするものなりというて可ならん。即ち公徳私徳の名ある所以にして、その分界明白なれば、これを教うるの法においてもまた前後本末の区別なかるべからざるなり。
例えば支那流に道徳の文字を並べ、親愛、恭敬、孝悌、忠信、礼義、廉潔、正直など記して、その公私の分界を吟味すれば、親愛、恭敬、孝悌は、私徳の誠なるものにして、忠信、礼義、廉潔、正直は、公徳の部に属すべし。けだし忠信以下の箇条も固より家内に行わるるといえども、あたかも親愛、恭敬、孝悌の空気の中に包羅せられて特に形を現わすを得ず。その行わるるや不規則なるが如くにして、ただ精神を誠の一点に存し、以て幸福円満欠くることなきを得るのみ。然るに戸外の公徳は、ややもすれば道理に入ること多くして、冷淡無情に陥らんとするの弊なきにあらず。最も憂うべき所にして、ある人の説に十全の正直は十全の親愛と両立すべからずといいしも、この辺の事情を極言したるものならん。古今の道徳論者が世人の薄徳を歎き、未だ誠に至らずなど言うは、その言不分明にして徳の公私を分かたずといえども、意のある所を窺えば、公徳の働きに情を含むこと未だ足らずして、私徳の円満なるが如くならずというの意味を見るべし。されば今、公徳の美を求めんとならば、先ず私徳を修めて人情を厚うし、誠意誠心を発達せしめ、以て公徳の根本を固くするの工風こそ最第一の肝要なれ。即ち家に居り家族相互いに親愛恭敬して人生の至情を尽し、一言一行、誠のほかなくしてその習慣を成し、発して戸外の働きに現われて公徳の美を円満ならしむるものなり。古人の言に、忠臣は孝子の門に出ずといいしも、決して偶然にあらず。忠は公徳にして孝は私徳なり、その私、修まるときは、この公、美ならざらんと欲するも得べからざるなり。
然るに我輩が古今和漢の道徳論者に向かって不平なるは、その教えの主義として第一に私徳公徳の区別を立てざるにあり。第二には、仮令え不言の間に自ずから区別する所ありとするも、その教えの方法に前後本末を明言せずして、時としては私徳を説き、また時としては公徳を勧め、いずれか前、いずれか後なるを明らかにせざるがために、後進の学者をして方向を誤らしむるにあり。然かのみならず、その教えの主義たるや、ややもすれば政治論に混同して重きを政治に置き、これに関する徳義は固より公徳なるが故に、かえって私徳を後にして公徳を先にするものさえなきにあらず。例えば忠義正直というが如き、政治上の美徳にして、甚だ大切なるものなれども、人に教うるに先ずこの公徳を以てして、居家の私徳を等閑にするにおいては、あたかも根本の浅き公徳にして、我輩は時にその動揺なきを保証する能わざるものなり。
そもそも一国の社会を維持して繁栄幸福を求めんとするには、その社会の公衆に公徳なかるべからず。その公徳をして堅固ならしめんとするには、根本を私徳の発育に取らざるべからず。即ち国の本は家にあり。良家の集まる者は良国にして、国力の由って以て発生する源は、単に家にあって存すること、更に疑うべきにあらず。然り而してその家の私徳なるものは、親子・兄弟姉妹、団欒として相親しみ、父母は慈愛厚くして子は孝心深く、兄弟姉妹相助けて以て父母の心身の労を軽くする等の箇条にして、能くこの私徳を発達せしむるその原因は、家族の起源たる夫婦の間に薫ずる親愛恭敬の美にあらざるはなし。
およそ古今世界に親子不和といい兄弟姉妹相争うというが如き不祥の沙汰少なからずして、当局者の罪に相違はなけれども、一歩を進めて事の原因を尋ぬれば、その父母たる者が夫婦の関係を等閑にしたるにあり。なお進んで吟味を遠くすれば、その父母の父母たる祖父母より以上曾祖玄祖に至るまでも罪を免るべからず。前節にもいえる如く、人の心の不徳は身の病に異ならず、病毒の力能く四、五世に遺伝するものなれば、不徳の力もまた四、五世に伝えて禍せざるを得ず。されば公徳の根本は一家の私徳にありて、その私徳の元素は夫婦の間に胚胎すること明々白々、我輩の敢えて保証する所のものなれば、男女両性の関係は立国の大本、禍福の起源として更に争うべからず。今日吾々日本国民の形体は、伊奘諾・伊奘冊二尊の遺体にして、吾々の依って以て社会を維持する私徳公徳もまた、その起源を求むれば、二尊夫婦の間に行われたる親愛恭敬の遺徳なりと知るべし。
夫婦親愛恭敬の徳は、天下万世百徳の大本にして更に争うべからざるの次第は、前既にその大意を記して、読者においても必ず異議はなかるべし。そもそも我輩がここに敬の字を用いたるは偶然にあらず。男女肉体を以て相接するものなれば、仮令えいかなる夫婦にても一時の親愛なきを得ず。動物たる人類の情において然りといえども、人類をして他の動物の上に位して万物の霊たらしむる所以のものは、この親愛に兼ねて恭敬の誠あるに由るのみ。これを通俗にいえば、夫婦の間、相互いに隔てなくして可愛がるとまでにては未だ禽獣と区別するに足らず。一歩を進め、夫婦互いに丁寧にし大事にするというて、始めて人の人たる所を見るに足るべし。即ち敬の意なり。
然らば即ち敬愛は夫婦の徳にして、この徳義を修めてこれを今日の実際に施すの法如何と尋ぬるに、夫婦利害を共にし苦楽喜憂を共にするは勿論、あるいは一方の心身に苦痛の落ち来ることもあれば、人力の届く限りはその苦痛を分担するの工風を運らさざるべからず。いわんや己れの欲せざる所を他の一方に施すにおいてをや。ゆめゆめあるまじき事にして、徹頭徹尾、恕の一義を忘れず、形体こそ二個に分かれたれども、その実は一身同体と心得て、始めて夫婦の人倫を全うするを得べし。故に夫婦家に居るは人間の幸福快楽なりというといえども、本来この夫婦は二個の他人の相合うたるものにして、その心はともかくも、身の有様の同じかるべきにあらず。夫婦おのおのその親戚を異にし、その朋友を異にし、これらに関係する喜憂は一方の知らざる所なれども、既に一身同体とあれば、その喜憂を分かたざるを得ず。また平生の衣食住についても、おのおの好悪する所なきを期すべからずといえども、互いに忍んでその好悪に従わざるべからず。またあるいは一方の病気の如き、固より他の一方に痛痒なけれども、あたかもその病苦を自分の身に引受くるが如くして、力のあらん限りにこれを看護せざるべからず。良人五年の中風症、死に至るまで看護怠らずといい、内君七年のレウマチスに、主人は家業の傍らに自ら薬餌を進め、これがために遂に資産をも傾けたるの例なきにあらず。
これらの点より見れば、夫婦同室は決して面白きものにあらず。独身なれば、親戚朋友の附合もただ一方にして余計の心配なく、衣食住の物とて自分一人の気に任せて不自由なく、病気も一身の病気にして他人の病を憂うるに及ばざるに、ただ夫婦の約束したるがために、あたかも一生の苦労を二重にしたる姿となり、一人にして二人前の勤めを勤むるの責に当たるは不利益なるが如くなれども、およそ人間世界において損益苦楽は常に相伴うの約束にして、俗にいわゆる丸儲けなるものはなきはずなり。故に夫婦家に居て互いに苦労を共にするは、一方において二重の苦労に似たれども、その苦労の代りには一人の快楽を二人の間に共にして、即ち二重の快楽なれば、つまり損亡とてはなくして苦楽相償い、平均してなお余楽あるものと知るべし。
されば夫婦家に居るは必ずしも常に快楽のみに浴すべきものにあらず、苦楽相平均して幸いに余楽を楽しむものなれども、栄枯無常の人間世界に居れば、不幸にしてただ苦労にのみ苦しむこともあるべき約束なりと覚悟を定めて、さて一夫多妻、一婦多男は、果たして天理に叶うか、果たして人事の要用、臨時の便利にして害なきものかと尋ぬるに、我輩は断じて否と答えざるを得ず。天の人を生ずるや男女同数にして、この人類は元一対の夫婦より繁殖したるものなれば、生々の起原に訴うるも、今の人口の割合に問うも、多妻多男は許すべからず。然らば人事の要用、臨時の便利において如何というに、人間世界の歳月を短きものとし、人生を一代限りのものとし、あたかも今日の世界を挙げて今日の人に玩弄せしめて遺憾なしとすれば、多妻多男の要用便利もあるべし。世事繁多なれば一時夫婦の離れ居ることもあり、また時としては病気災難等の事も少なからず。これらの時に当たっては夫婦一対に限らず、一夫衆婦に接し、一婦衆男に交わるも、木石ならざる人情の要用にして、臨時非常の便利なるべしといえども、これは人生に苦楽相伴うの情態を知らずして、快楽の一方に着眼し、いわゆる丸儲けを取らんとする自利の偏見にして、今の社会を害するのみならず、また後世のために謀りて許すべからざる所のものなり。
男女にして一度びこれを犯すときは、既に夫婦の大倫を破り、恕の道を忘れて情を痛ましめたるものにして、敬愛の誠はこの時限りに断絶せざるを得ず。仮令えあるいは種々様々の事情によりて外面の美を装うことなきにあらずといえども、一点の瑕瑾、以て全璧の光を害して家内の明を失い、禍根一度び生じて、発しては親子の不和となり、変じては兄弟姉妹の争いとなり、なお天下後世を謀れば、一家の不徳は子々孫々と共に繁殖して、遂に社会公徳の根本を薄弱ならしむるに至るべし。故に云く、多妻多男の法は今世を挙げて今人の玩弄物に供するの覚悟なれば可なりといえども、天下を万々歳の天下として今人をして後世に責任あらしめんとするときは、我輩は一時の要用便利を以て天下後世の大事に易うること能わざる者なり。
男女両性の関係は至大至重のものにして、夫婦同室の約束を結ぶときは、これを人の大倫と称し、社会百福の基、また百不幸の源たるの理由は、前に陳べたる所を以て既に明白なりとして、さて古今世界の実際において、両性のいずれかこの関係を等閑にして大倫を破るもの多きやと尋ぬれば、常に男性にありと答えざるを得ず。西洋文明の諸国においても皆然らざるはなきその中についても、日本の如きは最も甚だしきものにして、古来の習俗、一男多妻を禁ぜざるの事実を見ても、大概を窺い見るべし。西洋文明国の男女は果たして潔清なりやというに、決して然らず、極端について見れば不潔の甚だしきもの多しといえども、その不潔を不潔としてこれを悪み賤しむの情は日本人よりも甚だしくして、輿論の厳重なることはとても日本国の比にあらず。故に、かの国々の男子が不品行を犯すは、初めよりその不品行なるを知り、あたかも輿論に敵して窃かにこれを犯すことなれば、その事はすべて人間の大秘密に属して、言う者もなく聞く者もなく、事実の有無にかかわらず外面の美風だけはこれを維持してなお未だ破壊に至らずといえども、不幸なるは我が日本国の旧習俗にして、事の起源は今日、得て詳らかにするに由なしといえども、古来家の血統を重んずるの国風にして、嗣子なく家名の断絶する法律さえ行われたるほどの次第にて、頻りに子を生むの要用を感じ、その目的を達するには多妻法より便利なるものなきが故に、ここにおいてか妾を畜うの風を成したるものの如し。天理の議論などはともかくも、家名を重んずるの習俗に制せられて、止むを得ず妾を畜うの場合に至りしは無理もなきことにして、またこれ一国の一主義として恕すべきに似たれども、天下後世これより生ずる所の弊害は、実に筆紙にも尽し難きものあり。
さなきだに人類の情慾は自ずから禁じ難きものなるに、ここに幸いにも子孫相続云々の一主義あることなれば、この義を拡めていかなる事か行わるべからざらんや。妻を離別するも可なり、妾を畜うも可なり、一妾にして足らざれば二妾も可なり、二妾三妾随時随意にこれを取替え引替うるもまた可なり。人事の変遷、長き歳月を経る間には、子孫相続の主義はただに口実として用いらるるのみならず、早く既にその主義をも忘却し、一男にして衆婦人に接するは、あたかも男子に授けられたる特典の姿となり、以て人倫不取締の今日に至りしは、国民一家の不幸に止まらず、その禍は引いて天下に及ぼし、一家の私徳先ず紊れて社会交際の公徳を害し、立国の大本、動揺せざらんと欲するも得べからず。故に今日の日本男子にして内行の修まらざる者は、単に自家子孫の罪人のみにあらず、社会中の一人として、今の天下に対しまた後世に対して、その罪免るべからざるものなり。
主人の内行修まらざるがために、一家内に様々の風波を起こして家人の情を痛ましめ、以てその私徳の発達を妨げ、不孝の子を生じ、不悌不友の兄弟姉妹を作るは、固より免るべからざるの結果にして、怪しむに足らざる所なれども、ここに最も憐れむべきは、家に男尊女卑の悪習を醸して、子孫に圧制卑屈の根性を成さしむるの一事なり。男子の不品行は既に一般の習慣となりて、人の怪しむ者なしというといえども、人類天性の本心において、自ら犯すその不品行を人間の美事として誇る者はあるべからず。否百人は百人、千人は千人、皆これを心の底に愧じざるものなし。内心にこれを愧じて外面に傲慢なる色を装い、磊落なるが如く無頓着なるが如くにして、強いて自ら慰むるのみなれども、俗にいわゆる疵持つ身にして、常に悠々として安心するを得ず。その家人と共に一家に眠食して団欒たる最中にも、時として禁句に触れらるることあれば、その時の不愉快は譬えんに物なし。無心の小児が父を共にして母を異にするの理由を問い、隣家には父母二人に限りて吾が家に一父二、三母あるは如何などと、不審を起こして詰問に及ぶときは、さすが鉄面皮の乃父も答うるに辞なく、ただ黙して冷笑するか顧みて他を言うのほかなし。即ちその身の弱点にして、小児の一言、寸鉄腸を断つものなり。既にこの弱点あれば常にこれを防禦するの工風なかるべからず。その策如何というに、朝夕主人の言行を厳重正格にして、家人を視ること他人の如くし、妻妾児孫をして己れに事うること奴隷の主君におけるが如くならしめ、あたかも一家の至尊には近づくべからず、その忌諱には触るべからず、俗にいえば殿様旦那様の御機嫌は損ずべからずとして、上下尊卑の分を明らかにし、例の内行禁句の一事に至りては、言の端にもこれをいわずして、家内、目を以てするの家風を養成すること最も必要にして、この一策は取りも直さず内行防禦の胸壁とも称すべきものなり。
およそ人事に必要なるものは特に求めずして成るの常にして、かの内行不始末の防禦策の如きも、誰が家の主人がいずれの時にこれを発明して実行の先例を示したりなどいうべき跡はなけれども、今日の実際について見れば、主人の内行修まらざる者は、その家風の外面は必ず厳重にして、家族骨肉の間、自然に他人の交際の如く、何か互いに隠して打ち解けざるものあるが如し。あるいはまた、家道紊れて取締なく、親子妻妾相互いに無遠慮狼藉なるが如きものにても、その主人は必ず特に短気無法にして、家人に恐れられざるはなし。即ち事の要用に出でたるものにして、いやしくも家風に厳格を失うか、もしくは主人に短気無法の威力なきにおいては、かの不品行の弱点を襲わるるの恐れあればなり。世間の噂に、某家の主人は内行に頓着せずして家事を軽んじ、あるいは妻妾一処に居て甚だ不都合なれども、内君は貞実にして主公は公平、妾もまた至極柔順なる者にして、かつて家に風波を生じたることなしなどいう者あれども、これはただ外見外聞の噂のみ。即ちその風波の生ぜざるは、ただ家法の厳にして主公の威張るがためにして、これを形容していえば、圧制政府の下に騒乱なきものに異ならず。ただ表に破裂せざるのみ。その内実は風波の動揺を互いの胸中に含むものというべし。されば、男尊女卑、主公圧制、家人卑屈の組織は、不品行の家に欠くべからざるの要用にして、日々夜々、後進の子女をこの組織の中に養育することなれば、その子女後年の事もまた想い見るべし。我輩の特に憐れむ所のものなり。天下広し家族多しといえども、一家の夫婦・親子・兄弟姉妹、相互いに親愛恭敬して至情を尽し、陰にも陽にも隠す所なくして互いにその幸福を祈り、無礼の間に敬意を表し、争うが如くにして相譲り、家の貧富に論なく万年の和気悠々として春の如くなるものは、不品行の家に求むべからざるの幸福なりと知るべし。
君子の世に処するには、自ら信じ自ら重んずる所のものなかるべからず。即ち自身の他に擢んでて他人の得て我に及ばざる所のものを恃みにするの謂にして、あるいは才学の抜群なるあり、あるいは資産の非常なるあり、皆以て身の重きを成して自信自重の資たるべきものなれども、就中私徳の盛んにしていわゆる屋漏に恥じざるの一義は最も恃むべきものにして、能くその徳義を脩めて家内に恥ずることなく戸外に憚る所なき者は、貧富・才不才に論なく、その身の重きを知って自ら信ぜざるはなし。これを君子の身の位という。洋語にいうヂグニチーなるもの、これなり。そもそも人の私徳を脩むる者は、何故に自信自重の気象を生じて、自ら天下の高所に居るやと尋ぬるに、能く難きを忍んで他人の能くせざる所を能くするが故なり。例えば読書生が徹夜勉強すれば、その学芸の進歩如何にかかわらず、ただその勉強の一事のみを以て自ら信じ自ら重んずるに足るべし。寺の僧侶が毎朝早起、経を誦し粗衣粗食して寒暑の苦しみをも憚らざれば、その事は直ちに世の利害に関係せざるも、本人の精神は、ただその艱苦に当たるのみを以て凡俗を目下に見下すの気位を生ずべし。天下の人皆財を貪るその中に居て独り寡慾なるが如き、詐偽の行わるる社会に独り正直なるが如き、軽薄無情の浮世に独り深切なるが如き、いずれも皆抜群の嗜みにして、自信自重の元素たらざるはなし。如何となれば、書生の勉強、僧侶の眠食は身体の苦痛にして、寡慾、正直、深切の如きは精神の忍耐、即ち一方よりいえばその苦痛なればなり。
されば私徳を大切にするその中についても、両性の交際を厳にして徹頭徹尾潔清の節を守り、俯仰天地に愧ずることなからんとするには、人生甚だ長くしてその間に千種万様の事情あるにもかかわらず、自ら血気を抑えて時としては人の顔色をも犯し、世を挙って皆酔うの最中、独り自ら醒め、独行勇進して左右を顧みざることなれば、随分容易なる脩業にあらず。即ち木石ならざる人生の難業ともいうべきものにして、既にこの業を脩めて顧みて凡俗世界を見れば、腐敗の空気充満して醜に堪えず。無知無徳の下等社会はともかくも、上流の富貴または学者と称する部分においても、言うに忍びざるもの多し。人間の大事、社会の体面のためと思えばこそ、敢えてこれを明言する者なけれども、その実は万物の霊たるを忘れて単に獣慾の奴隷たる者さえなきにあらず。
いやしくも潔清無垢の位に居り、この腐敗したる醜世界を臨み見て、自ら自身を区別するの心を生ぜざるものあらんや。僅かに資産の厚薄、才学の深浅を以てなおかつ他と伍をなすを屑しとせず。いわんや人倫の大本、百徳の源たる男女の関係につき、潔不潔を殊にするにおいてをや。他の醜物を眼下に視ることなからんと欲するも得べからず。即ち我が精神を自信自重の高処に進めたるものにして、精神一度び定まるときは、その働きはただ人倫の区域のみに止まらず、発しては社会交際の運動となり、言語応対の風采となり、浩然の気外に溢れて、身外の万物恐るるに足るものなし。談笑洒落・進退自由にして縦横憚る所なきが如くなれども、その間に一点の汚痕を留めず、余裕綽々然として人の情を痛ましむることなし。けだし潔清無垢の極はかえって無量の寛大となり、浮世の百汚穢を容れて妨げなきものならんのみ。これを、かの世間の醜行男子が、社会の陰処に独り醜を恣にするにあらざれば同類一場の交際を開き、豪遊と名づけ愉快と称し、沈湎冒色勝手次第に飛揚して得々たるも、不幸にして君子の耳目に触るるときは、疵持つ身の忽ち萎縮して顔色を失い、人の後に瞠若として卑屈慚愧の状を呈すること、日光に当てられたる土鼠の如くなるものに比すれば、また同日の論にあらざるなり。
近来世間にいわゆる文明開化の進歩と共に学術技芸もまた進歩して、後進の社会に人物を出し、また故老の部分においても随分開明説を悦んで、その主義を事に施さんとする者あるは祝すべきに似たれども、開明の進歩と共に内行の不取締もまた同時に進歩し、この輩が不文野蛮と称して常に愍笑する所の封建時代にありても、決して許されざりし不品行を今日に犯し、恬として愧ずるを知らざるものなきにあらず。文明進歩して罪を野蛮人に得る者というべし。学術技芸果たして何の効あるべきや。我輩は我が社会を維持して国を立てんとするに、むしろ無学無術の人と事を共にするも、有智の妖怪と共にするを欲せざる者なり。そもそも我が日本国の独立して既に数千年の社会を維持し、また今後万々歳に伝えんとするは、自ずからその然る所以の元素あるが故なり。即ち社会の公徳にして、その公徳の本は家の私徳にあり。何者の軽薄児か、敢えて文明を口に藉りて立国の大本を害せんとするや。我が道徳は数千年に由来してその根本固し。豈汝らをして容易にこれを動揺せしめんや。天下広し、我輩徳友に乏しからず。常に汝らの挙動に注目して一毫も仮さず、鼓を鳴らしてその罪を責めんと欲する者なり。
人間処世の権理に公私の区別ありて、先ず私権を全うして然る後、公権の談に及ぶべしとの次第は、かつて『時事新報』の紙上にも記したることなるが(去年十月六日より同十二日までの『時事新報』「私権論」)、そもそもこの私権の思想の発生する事情は種々様々なれども、最第一の原因は、本人の自ら信じ自ら重んずるの心にあって存するものと知るべし。即ち我が徳義を円満無欠の位に定め、一身の尊きこと玉璧もただならず、これを犯さるるは、あたかも夜光の璧に瑕瑾を生ずるが如き心地して、片時も注意を怠ることなく、穎敏に自ら衛りて、始めて私権を全うするの場合に至るべし。されば今、私権を保護するは全く法律上の事にして、徳義には縁なきものの如くに見ゆれども、元これを保護せんとするの思想は、円満無欠なる我が身に疵つくるを嫌うの一念より生ずるものなれば、いやしくも内に自ら省みて疚しきものあるにおいては、その思想の発達、決して十分なるを得べからず。如何となれば本人は元来疵持つ身にして、その気既に餒えたるが故に、大節に臨んで屈することなきを得ず。即ち人心の働きの定則として、一方に本心を枉げて他の一方にこれを伸ばすの道理あらざればなり。私徳を修めて身を潔清の位に置くと、私権を張りて節を屈せざると、二者その趣を殊にするが如くなれども、根本の元素は同一にして、私徳私権相関し、徳は権の質なりというべし。試みにこれを歴史に徴するに、義気凜然として威武も屈する能わず富貴も誘う能わず、自ら私権を保護して鉄石の如くなる士人は、その家に居るや必ず優しくして情に厚き人物ならざるはなし。即ち戸外の義士は家内の好主人たるの実を見るべし。いかなる場合にも放蕩無情、家を知らざるの軽薄児が、能く私権のために節を守りて義を全うしたるの例は、我輩の未だ聞かざる所なり。
窃かに世情を視るに、近来は政治の議論漸く喧しくして、社会の公権即ち政権の受授につき、これを守らんとする者もまた取らんとする者も、頻りに熱心して相争うが如くなるは至極当然の次第にして、文明の国民たる者は国政に関すべき権利あるが故に、これを争うも可なりといえども、前にいえる如く、この公共の政権を守り、またこれを得んとするには、先ず一身の私権を固くすること肝要にして、その私権を固くせんとするには私徳を脩めざるべからざるの道理も、既に明白なりとして、さて今日の実際において、我が日本国の政治家はいかなる種族の人にして、その私徳の位は如何と尋ぬるに、外面より見て人品はいずれも皆中等以上の種族なれども、特別に有徳の君子のみにあらず。その智識聞見は、あるいは西洋流の文明に近き人あるも、徳教の一段に至り特に出色の美なきは、我輩の遺憾に堪えざる所なり。文明の士人心匠巧みにして、自家の便利のためには、時に文林儒流の磊落を学び、軽躁浮薄、法外なる不品行を犯しながら、君子は細行を顧みずなど揚言して、以てその不品行を瞞着するの口実に用いんとする者なきにあらず。けだし支那流にいう磊落とはいかなる意味か、その吟味はしばらく擱き、今日の処にては、磊落と不品行と、字を異にして義を同じうし、磊々落々は政治家の徳義なりとて、長老その例を示して少壮これに傚い、遂に政治社会一般の風を成し、不品行は人の体面を汚すに足らざるのみならず、最も磊落、最も不品行にして始めて能く他を圧倒するに足るものの如し。
そもそも内行の不取締は法律上における破廉恥などとは趣を異にして、直ちに咎むべき性質のものにあらず。また人の口にし耳にするを好まざる所のものなれば、ややもすれば不知不識の際にその習俗を成しやすく、一世を過ぎ二世を経るのその間には、習俗遂にあたかもその時代の人の性となり、また挽回すべからざるに至るべし。往古、我が王朝の次第に衰勢に傾きたるも、在朝の群臣、その内行を慎まずして私徳を軽んじ、内にこれを軽んじて外に公徳の大義を忘れ、その終局は一身の私権、戸外の公権をも併せて失い尽したるものならんのみ。されば今日の政治家が政事に熱心するも、単に自身一時の富貴のためにあらず、天下後世のために、国民の私権を張り公権を伸ばすの道を開かんとするの趣意にこそあれば、後の世の政治社会に宜しからざる先例を遺すは、必ず不本意なることならん。もしもその本心に問うて慊からざることあらば、仮令え法律上に問うものなきも、何ぞ自ら省みて、これを今日に慎まざるや。金玉もただならざる貴重の身にして自らこれを汚し、一点の汚穢は終身の弱点となり、もはや諸々の私徳に注意するの穎敏を失い、あたかも精神の痲痺を催してまた私権を衛るの気力もなく、漫然世と推移りて、道理上よりいえば人事の末とも名づくべき政事政談に熱するが如き、我輩は失敬ながら本を知らずして末に走るの人と評せざるを得ざるなり。
然かのみならず国の徳義の一般に上進すると共に、品行論はいよいよ穎敏となり、天下後世の談にあらずして、いやしくも不品行者とあれば今日の社会に許されざるを常とす。試みに見るべし、有名なる英国の政治家チャールス・ヂルク氏は、誠に疑わしき艶罪(ある人の説く所に拠れば全く無根の冤なりともいう)を以て政治社会を擯けられたり。我輩はもとより氏に私の縁あらざれば、その人の幸不幸についても深く喜憂するにはあらざれども、ただこの一事を見て、英国政治社会一般の徳風を窺い知るのみ。即ち、かの政治社会は潔清無垢にして、一点の汚痕を留めざるものというべし。斯くありてこそ一国の政治社会とも名づくべけれ。その士気の凜然として、私に屈せず公に枉げず、私徳私権、公徳公権、内に脩まりて外に発し、内国の秩序、斉然巍然として、その余光を四方に燿かすも決して偶然にあらず。我輩は、我が政治社会の徳義をして先ず英国の如くならしめ、然る後に実際の政事政談に及ばんことを欲するものなり。
外国と交際を開きて独立国の体面を張らんとするには、虚実両様の尽力なかるべからず。殖産工商の事を勉めて富国の資を大にし、学問教育の道を盛んにして人文の光を明らかにし、海陸軍の力を足して護国の備えを厚うするが如き、実際直接の要用なれども、内外人民の交際は甚だ繁忙多端にして、外国人が我が日本国の事情を詳らかにせんとするは、容易なることにあらざるが故に、彼らをして我が真面目を知らしめんとするには、事の細大に論なく、仮令え無用に属する外見の虚飾にても、先ずその形を示して我を知るの道を開くこと甚だ緊要なりとす。即ち我が国衣食住の有様は云々にして習俗宗教は斯の如しなどと、これを示しこれを語りて、時としてはことさらにその外面を装うて体裁を張るが如き、これなり。例えば今日の実際において、吾人の家に外国人の来るあれば、先ずこれを珍客として様々に待遇の備えを設け、とにかくに見苦しからぬようにと心配するは人情の常なり。また、これを大にして都鄙の道路橋梁、公共の建築等に、時としては実用のほかに外見を飾るものなきにあらず。あるいは近来東京などにて交際のいよいよ盛んにして、遂に豪奢分外の譏りを得るまでに至りしも、幾分か外国人に対して体裁云々の意味を含むことならん。一概にこれを評すれば無益の虚飾なるに似たれども、他人をして我が真実を知らしむるは甚だ易からざるが故に、先ず虚より導きて実に入らしむる方便なりといえば、強ち咎むべきにもあらず。その虚実、要不要の論はしばらく擱き、我が日本国人が外国交際を重んじてこれを等閑に附せず、我が力のあらん限りを尽して、以て自国の体面を張らんとするの精神は誠に明白にして、その愛国の衷情、実際の事跡に現われたるものというべし。
然るに、我輩が年来の所見を以ていかように判断せんとするも説を得ざるその次第は、我が国人が斯くまでに力を尽して外交を重んじ、ただに事実に国の富強文明を謀るのみならず、外面の体裁虚飾に至るまでも、専ら西洋流の文明開化に倣わんとして怠ることなく、これを欣慕して二念なき精神にてありながら、独りその内行の問題に至りては、全く開明の主義を度外に放棄して、純然たる亜細亜洲の旧慣に従い、居然自得して眼中また西洋なきが如くなるの一事なり。元来西洋の人は我が日本の事情に暗くして、ややもすれば不都合千万なる謬見を抱く者少なからず。就中彼らは耶蘇教の人なるが故に、己れの宗旨に同じからざる者を見れば、千百の吟味詮索は差置き、一概にこれを外教人と称して、何となく嫌悪の情を含み、これがために双方の交情を妨ぐること多きは、誠に残念なる次第にして、我輩は常にその弁明に怠らず。日本国民既に耶蘇教に入りたる者あり、なお未だ入らざる者ありといえども、その入ると入らざるとはただ宗教上の儀式にして、日本帝国決して不徳の国にあらず、耶蘇教国独り徳国にあらず、いやしくも数千年の国を成して人事の秩序を明らかにし、以て東海に独立したるものにして、立国根本の道徳なくして叶うべきや、耶蘇の教義果たして美にして立国に要用なりとならば、我が日本国には耶蘇の名のほかに無名の耶蘇教民あることならんなどと、百方に言葉を尽して弁論すれば、また自ずからその意を解して釈然たる者なきにあらざれども、その談論時として男女関係の事に及び、日本の男子は多妻を許されてこれを咎むるものなく、ただに法律に問わざるのみならず習俗の禁ぜざる所なれば、社会の上流良家の主人と称する者にても、公然この醜行を犯して愧ずるを知らず、即ち人生居家の大倫を紊りたるものにして、随って生ずる所の悪事は枚挙に遑あらず、その余波引いて婚姻の不取締となり、容易に結婚して容易に離婚するの原因となり、親子の不和となり、兄弟の喧嘩となり、これを要するに日本国には未だ真実の家族なきものというも可なり、家族あらざれば国もまたあるべからず、日本は未だ国を成さざるものなりなど、口を極めて攻撃せらるるときは、我輩も心の内には外国人の謬見妄漫を知らざるにあらず、我が徳風斯くまでに壊れたるにあらず、我が家族悉皆然るにあらず、外人の眼の達せざる所に道徳あり家族あり、その美風は西洋の文明国人をしてかえって赤面せしむるもの少なからず、以て家を治め以て社会を維持するその事情は云々、その証拠は云々と語らんとすれども、何分にも彼らが今日の実証を挙げて正面より攻撃するその論鋒に向かっては、残念ながら一着を譲らざるを得ず。遂に西洋人に仮すに我を軽侮するの資を以てして、彼らをして我に対して同等の観をなさしめざるに至りしは、千歳の遺憾、無窮に忘るべからざる所のものなり。
然り而して日本国中その責に任ずる者は誰ぞや、内行を慎まざる軽薄男子あるのみ。この一点より考うれば、外国人の見る目如何などとて、その来訪のときに家内の体裁を取り繕い、あるいは外にして都鄙の外観を飾り、または交際の法に華美を装うが如き、誠に無益の沙汰にして、軽侮を来す所以の大本をば擱き、徒に末に走りて労するものというべきのみ。これを喩えば、大廈高楼の盛宴に山海の珍味を列ね、酒池肉林の豪、糸竹管絃の興、善尽し美尽して客を饗応するその中に、主人は独り袒裼裸体なるが如し。客たる者は礼の厚きを以てこの家に重きを置くべきや。饗礼は鄭重にして謝すべきに似たれども、何分にも主人の身こそ気の毒なる有様なれば、賓主の礼儀において陽に発言せざるも、陰に冷笑して軽侮の念を生ずることならん。労して功なく費やして益なきものというべし。されば今我が日本国が文明の諸外国に対して、その交際の公私に論なく、ややもすれば意の如くならざるは、原因のある所、一にして足らずといえども、我が男子が徳義上に軽侮を蒙るの一事は、その原因中の大箇条なるが故に、いやしくもこれに心付きたる者は、片時も猶予せずしてその過ちを改めざるべからず。今の世界に居て人生誰か自国を愛せざる者あらんや。国のためとあれば荊に坐し胆を嘗むるも憚らざるは人情の常なり。内行を慎むが如き、非常の辛苦にあらず。在昔はこれを戒むるの趣意、単にその人の一身にありしことなれども、今は則ち一国の栄辱に関して、更に重大の事とはなりたり。身を思い国を思う者は、深く自ら省みる所なかるべからざるなり。
「日本男子論」の一編、その言既に長く、真正面より男子の品行を責めて一毫も仮さず、水も洩らさぬほどに論じ詰めたることなれば、世間無数疵持つ身の男子はあたかも弱点を襲われて遁るるに路なく、ただその心中に謂らく、内行の不取締、醜といわるれば醜なれども、詐偽・破廉恥にはあらず、また我が一身の有様は自ずから人に語るべからざる都合もあることなるに、斯くまでに酷言せずともなどといささか不平もありながら、さりとて何と答弁の辞もなくして甚だ苦しきことなるべし。我輩これを知らざるにあらずといえども、およそ今の日本国人として、現在の愉快、後世子孫の幸福は、何を以て最とするやと尋ねたらば、独立の体面を維持して日本国の栄名を不朽に伝うるのほかなかるべし。而してこの体面と栄名とを張るにいささかにても益すべきものはこれを採り、害すべきものはこれを除かんとするもまた、日本国民の身においてまさに然るべき至情なるべし。されば絶対の理論においては、人間世界の善悪邪正をいかなるものぞと論究して未だ定まらざるほどの次第なれば、まして男女の内行に関し、一夫一婦法と多妻多男法と、いずれか正、いずれか邪なる、固より明断し難しといえども、開闢以来の実験に拠り、また今日の文明説に従うときは、一家の私のため一国の公のために、多妻多男法は一夫一婦法の善きに若かず。かつ今日の世界は西洋文明の風に吹かれてこれに抵抗すべからざるの時勢なれば、文明の風に多妻多男を嫌忌して、そのこれを嫌忌するの成跡は甚だ美にして、今日の人の家を成し国を立つるに最も適当し、これに反するものは必ず害を被りて免るべからざること、既に明らかなれば、理論上の正邪はともかくも、一国人民として自国自家のために、決して軽んずべからざるの大義にして、即ち我輩がいかなる事情に逢うも、断乎として一毫をも仮さざる由縁なり。
またあるいは説を作り、西洋文明の人と称する者にても、その男女の内行決して潔清なるにあらず、表面はともかくも、裏面に廻りて内部を視察すれば、醜に堪えざるもの多し、何ぞ必ずしも独り日本人を咎むるに足らんなどいう者なきにあらず。これは我が国の上流、殊に西洋家と称する一類の中に行わるる言なれども、全く無力の遁辞口実たるに過ぎず。そもそも人生の気力を平均すれば至って弱き者にして、ややもすれば艱難に敵して敗北すること少なからざるの常なり。然るに内行を潔清に維持して俯仰慚ずる所なからんとするは、気力乏しき人にとりて随分一難事とも称すべきものなるが故に、西洋の男女独り木石にあらずまた独り強者にあらず、俗にいう穴探しの筆法を以てその社会の陰処を摘発するにおいては、千百の醜行醜聞、枚挙に遑あらず。我輩は親しくその国人の言に聞きたることもあり、またその著書・新聞紙上に見たることもありて、誠に珍しからずといえども、然りといえども日本男子はこの西洋社会の醜行醜聞を見聞して如何の感をなすや。これを醜なりとするか、はた美なりとするか。我輩の聞かんと欲する所は、ただその醜美の判断如何の一点にあるのみ。
日本男子鉄面皮なるも、その眼に映じて醜なるものは醜にして、美なるものは美なるべし。既に醜美の判断を得たり、然らば則ち何ぞその醜を去って美に就かざるや。本来醜美は自身の内に存するものにして、毫末も他に関係あるべからず。いやしくも我が一身の内に美ならんか、身外満目の醜美は以て我が美を軽重するに足らず。あるいはこれに反して我が身に一点の醜を包蔵せんか、満天下に無限の醜を放つものあるも、その醜は以て我が醜を浄むるに足らず、また恕するに足らず。されば文明なる西洋諸国の社会にもなお醜行の盛んなるを見聞したらば、幸いに取って以て自省の材料にこそ供すべけれ、いかに自儘なる説を作るも、他の悪事を見て自家の悪事を恕するの口実に用いんとするが如きは、我輩の断じて許さざる所なり。近く比喩を以てこれを示さんに、不品行によりて徳を害するも、虎列剌毒に触れて身を害するも、その害は同様なるべし。然るに今虎列剌の流行に際して我が保身の法を如何するや。天下の人皆病毒に感ず、流行病は天下の流行にして、西洋諸国また然りとのことなれば、もはや我が身も自ら顧みるに遑あらず、共にその毒に伝染して広く世界の人と病苦死生を与にすべしとて、自暴自棄する者あるべきや。我輩未だその人を見ざるのみならず、その流行のいよいよ盛んなるに従って自ら戒むるの法もいよいよ綿密にして、謹慎に謹慎を加うるは、世界古今人情の常なり。人生の身体とその精神と、いずれをも軽しとしまた重しとすべからざるはいうまでもなきことにして、今内行の不取締は、人倫の大本を破りて先ず精神を腐敗せしむるものなり。身体を犯すの病毒はこれを恐るること非常にして、精神を腐敗せしむるの不品行は、世間に同行者の多きがためにとて自らこれを犯して罪を免れんとす。無稽もまた甚だしというべし。故にかの西洋家流が欧米の著書・新聞紙など読みてその陰所の醜を探り、ややもすればこれを公言して、以て冥々の間に自家の醜を瞞着せんとするが如き工風を運らすも、到底我輩の筆鋒を遁るるに路なきものと知るべし。
日本男子の内行不取締は、その実において既に厭うべきもの少なからざるなおその上に、古来習俗の久しき、醜を醜とせずして愧ずるを知らざるのみならず、甚だしきに至りて、その狼藉無状の挙動を目して磊落と称し、赤面の中に自ずから得意の意味を含んで、世間の人もこれを許して問わず、上流社会にてはその人を風流才子と名づけて、人物に一段の趣を添えたるが如くに見え、下等の民間においても、色は男の働きなどいう通語を生じて、かつて憚る所なきは、その由来、けだし一朝一夕のことにあらず。我が王朝文弱の時代にその風を成し、玉の盃底なきが如しなどの語は、今に至るまで人口に膾炙する所にして、爾後武家の世にあっては、戸外兵馬の事に忙わしくして内を修むるに遑なく、下って徳川の治世に儒教大いに興りたれども、支那の流儀にして内行の正邪は深く咎めざるのみならず、文化文政の頃に至りては治世の極度、儒もまた浮文に流れて洒落放胆を事とし、殊に三都の如きはその最も甚だしきものにして、儒者文人の叢淵即ち不品行家の巣窟とも名づくべき悪風を成し、遂に徳川を終わりて明治の新世界に変じたれども、いわゆる洒落放胆の気風は今なお存して止まず、かの洋学者流の如き、その学ぶ所の事柄は全く儒林の外にして、仮令え西洋の宗教道徳門に入らざるも、その国人に接し、その言を聴き、その書を読み、その風俗を視察するときは、事の内実はともかくも、その表面のみにても、これを日本の事態に比して大いに異なる所あるを発明し、大いに悟りて自ら新たにし、儒流洒落の不品行を脱却して紳士の正に帰すべきはずなるに、言行一切西洋流なるにもかかわらず、内行の一点に至りては純然たる旧日本人の本色を失わざるもの多し。けだし社会一般の習俗に制せられて、醜を醜とするの明を失うたるものにして、あるいはこれを評し有心故造の罪にあらず、無心に悪を犯すの愚というも可ならん。この点より見れば悪むべきにあらず、むしろ憐れむべきのみ。
前年外国よりある貴賓の来遊したるとき、東京の紳士と称する連中が頻りに周旋奔走して、礼遇至らざる所なきその饗応の一として、府下の芸妓を集め、大いに歌舞を催して一覧に供し、来賓も興に入りて満足したりとの事なりしが、実をいえばその芸妓なる者は大抵不倫の女子にして、歌舞の芸を演ずるの傍ら、往々言うべからざる醜行に身を汚し、ほとんど娼妓に等しき輩なれば、固より貴人の前に面すべき身分にあらず。西洋諸国の上流社会にてこの種の女子を賤しむは勿論、我が日本国においても、仮に封建時代の諸侯を饗するに今日の如き芸妓の歌舞を以てせんとしたらば、必ず不都合を訴うることならん。されば、かの貴賓もその芸妓の何ものたるを知らざりしこそ幸いなれ、もしも内実の事情を聞くこともありしならんには、饗応の満足に引替えて、失敬無状を憤りしことなるべし。これとてもさきの紳士連中は無礼と知りて行うたるにあらず、その平生において、男女品行上のことをば至って手軽に心得、ただ芸妓の容姿を悦び、美なること花の如しなどとて、徳義上の死物たる醜行不倫の女子も、潔清上品なる良家の令嬢も大同小異の観をなして、さては右の如き大間違いに陥りたるものならんのみ。我輩は直ちにその人を咎めずして、我が習俗の不取締にして人心の穎敏ならざるを歎息する者なり。これを要するに、今の紳士も学者も不学者も、全体の言行の高尚なるにかかわらず、品行の一点においては、不釣合に下等なる者多くして、俗言これを評すれば、御座に出されぬ下郎と称して可なるが如し。花柳の間に奔々して青楼の酒に酔い、別荘妾宅の会宴に出入の芸妓を召すが如きは通常の人事にして、甚だしきは大切なる用談も、酒を飲み妓に戯るるの傍らにあらざれば、談者相互の歓心を結ぶに由なしという。醜極まりて奇と称すべし。
数百年来の習俗なれば、これを酷に咎むるは無益の談に似たれども、今の日本は、これ日本国中の日本にあらずして、世界万国に対する文明世界中の日本なれば、いやしくも日本の栄誉を重んずる士人においては、少しく心する所のものなかるべからず。試みに一例を挙げて士人に問わん。君らがいわゆる盛会に例の如く妓を聘し酒を飲み得々談笑するときは勿論、時としては親戚・朋友・男女団欒たる内宴の席においても、一座少しく興に入るとき、盃盤を狼藉ならしむる者は、君らにあらずして誰ぞや。その狼藉はなお可なり、酒席の一興、かえって面白しとして恕すべしといえども、座中ややもすれば三々五々の群を成して、その談、花街柳巷の事に及ぶが如きは聞くに堪えず。そもそもその花柳の談を喋々喃々するは、何を談じ何を笑い、何を問い何を答うるや。別品といい色男といい、愉快といい失策というが如き、様々の怪語醜言を交え用いて、いかなる談話を成すや。酔狂喧嘩の殺風景なる、固より厭うべしといえども、花柳談の陰醜なるは酔狂の比にあらざるなり。もしも外国人の中に、日本語に通ずること最も巧みにして、談話の意味は勿論、その語気の微妙なる部分までも穎敏に解し得る者あるか、または日本人にして外国語を能くし、いかなる日本語にてもその真面目を外国語に写して毫も誤らざる者ありて、君らの談話を一より十に至るまで遺る所なく通弁しまた翻訳して、西洋文明国の中人以上、紳士貴女をしてこれを聴かしめ、またその訳文を読ましめたらば、かの士女は果たして如何の評を下すべきや。一切の事情をば問わずして、ただ喫驚の余りに、日本の紳士は下郎なりと放言し去ることならん。君らは斯る評論を被りて、果たして愧ずる所なきか。
西洋諸国の上流紳士学者の集会に談笑自在なるも、果たして君らの如き醜語を放って憚らざるものあるか、我輩の未だ知らざる所なり。けだし文明の社会にはかつて聞かざる所の醜語にてありながら、君らが常にこれを語りて憚る所なきは、日本の事は外人の知らざる所なりとして、強いて自ら安んずることならんなれども、前節にいえる如く、今日の日本は世界に対するの日本なり、いやしくも国を国として栄辱の所在を知るものは、君らの言行について不平なきを得ざるなり。また些細の事なれども手近く一例を示さんに、『時事新報』紙上に折々英語を記して訳文を添えたる西洋の落語また滑稽談の如きものは読者の知る所ならん。この文は西洋の新聞紙等より抜きたるものにして、必ずしもその記事の醜美を撰ぶにあらざれば、時々法外千万なる漫語放言もあれども、人生の内行に関するの醜談、即ち俗にいう下掛りのこととては、かつて一言もこれを見ず。その然る所以は、訳者が心を用いて特に避けたるにあらずして、原書中を求めて斯る醜談に見当たらざればなり。今仮に西洋の原書を離れて、これに易うるに日本流の落語滑稽を以てせんとして、その種類を集めたらばいかなるものを得べきや。談柄必ず肉体の区域に入りて、見苦しく聞き苦しきものは十中の七、八なるべし。畢竟我が人文のなお未だ鄙陋を免れざるの証として見るべきものなり。然り而してこの日本流の落語なりまた滑稽談なり、特に下等の民間に行わるる鄙陋なればなお恕すべしといえども、堂々たる上流の士君子と称する輩が、自ら鄙陋を犯してまた鄙陋を語り、醜臭を世界に放つが如きは、国民の標準たる士君子の徳義上において、遁るべからざるの罪というべし。
本編の趣旨は、初段の冒頭にもいえる如く、日本男児の品行を正し、その高きに過ぐる頭を取って押さえ、男女両性の地位に平均を得せしめんとするの目的を以て論緒を開き、人間道徳の根本は夫婦の間にあり、世間の道徳論者が自愛博愛などとてその得失を論ずる者あれども、本来私徳公徳の区別を知らざるものなれば、脩徳に前後緩急を誤ること多し、私徳は公徳の母にして、その私徳の根本は夫婦家に居るの大倫にあり、然り而して古来世の中の実際において、常にこの大倫を破る者は男子にして、我が日本国の如きはその最も甚だしきものなれば、多妻法、断じて許すべからず、斯る醜行を犯す者は、一家の不幸を醸して、禍を後世子孫に遺すのみならず、内行不取締は醜聞を世界万国に放つものにして、自国の名声を害するの罪人なり云々とて、筆鋒の向かう所は専ら男子にして、婦人の地位如何に論及したることなし。そもそも我が国の婦人を男子に比較するときは、全く地位を殊にし、居家内実の権力はともかくも、戸外交際の事に至りてはすべて男子のために専らにせられて、婦人は有れども無きに異ならず。特に男子が多妻の醜行を犯して婦人の情を痛ましむるが如き、ただに自愛に偏するのみならず私曲私慾の最も甚だしきものにして、更に一言の弁論あるべからず。我輩は常に世の道徳論者の言を聞き、論者が特にこの大切なる一点をば軽々看過してあたかも不問に附する者多きを見て窃かに怪しむのみか、その無識を冷笑するほどの次第なれば、大いに婦人の地位を推してこれを高処に進め、以て男子に拮抗せしめんとするの考案なきにあらず。徹頭徹尾、今の婦人と今の男子とを相対照して今の関係にあらしむるは、我輩のあくまでも悦ばざる所なれども、眼を転じて一方より考うれば、本来物の高低・強弱・大小等は相対の関係にして絶対の義にあらず。高きものあればこそ低きものもあり、強大あればこそ小弱もあり。故に今、婦人の地位を低しというも、男子の地位を引下げて併行するに至らしむれば、男女の権力平等なりというべし。あるいは婦人は今のままにして、男子の地位をして一層の下に就かしむれば、女権特に高しというべし。これ即ち我輩が独り男子を目的にして論鋒を差向けたる所以なり。
然るにここに支那学の古流に従って、女子のために特に定めたる教義あり。その義は諸書に記して多き中について、我が国普通の書を『女大学』と称し、女教の大要を陳べたるものなるが、書中往々不都合にして解すべからざるものなきにあらず。例えば女子の天性を男子よりも劣るものと認め、女は陰性なり、陰は暗しなど、漠然たる精神論を根本にして説を立つるが如きは、妄漫無稽と称すべきなれども、その他は大抵皆女子を戒めたる言の濃厚なるものに過ぎず。我輩がかつて戯れに古人の教えを評し、町家の売物に懸直あるが如しといいしもこの辺の意味にして、『女大学』の濃厚苛刻なる文面を正面より受取り、その極端を行わんとするは、とても実際に叶わざることなれども、さりとて教えの言として見れば道理に差支あるべからず、ただ独り女子のみを責むることなく、男子をもこの教えの範囲内に入れて慎む所あらしむれば、その主義甚だ美なるもの多し。
例えばその文の大意に嫉妬の心あるべからずというも、片落に婦人のみを責むればこそ不都合なれども、男女双方の心得としては争うべからざるの格言なるべし。また姦しく多言するなかれ、漫りに外出するなかれというも、男女共にその程度を過ぐるは誉むべきことにあらず。また巫覡に迷うべからず、衣服分限に従うべし、年少きとき男子と猥れ猥れしくすべからず云々は最も可なり。また夫を主人として敬うべしというは、女子より言を立てて一方に偏するが故に不都合なるのみ。けだし主人とするとは敬礼の極度を表したるものなれば、男子の方より婦人に対し、夫婦の間は必ず敬礼を尽し、ただにその内君を親愛するのみならず、時としては君に事うるの礼を以てこれを接すべしといえば、夫を主人とするの語も、また差支なかるべし。されば我輩、婦人の地位を高くするの議論は満腹溢るるが如くにして、自ずからその方便もなきにあらずといえども、これは他日に譲り、今日の目的は今の婦人の地位をばそのままに差置き、『女大学』をも大抵の処まではこれを潰さずして、かえって男子をしてこの『女大学』の主義に従わしめ、以て男子の品行を糺して双方を併行の点に維持せんとするにあるものなり。
今その然る所以の理由を述べんに、婦人の地位の低きとは、男子に対して低きことなれば、これを引上げて高き処に置かんとするに当たり、第一着に心頭に浮ぶものは、とにかくに、今の婦人をして今の男子の如くならしめんとするの思想なるべし。然り而してその男子の如くなるや、知識気力の深浅強弱如何の辺に止まり、専ら精神を練るの教えを主として、当局の婦人においても、その範囲を脱せざれば甚だ佳しといえども、文明の事は有形の門より入るもの多きの例なれば、婦人の教育についてもその形を先にし、先ず衣裳を改めて文明の風を装い、交際を開いて文明の盛事を学び、只管外国婦人の所業に傚うて活溌を気取り、外面の虚飾を張りてかえって裏面の実を忘れ、活溌は漸く不作法に変じ、虚飾は遂に家計を寒からしめ、未だ西洋文明の精神を得ずして、早く既に自家遺伝の美徳美風を失うことなきを期すべからず。これらの弊害は事物の新旧交代の際に多少免るべからざるものとしてこれを忍ぶも、ここに忍ぶべからざるは、その弊害の極度に至り、今の婦人が男子の挙動に傚わんとして、今の日本男子の品行を学ぶが如きあらばこれを如何すべきや。日本国人の品行美ならずといえども、なお今日までにこれを維持してその醜を蔽い、時として潔清義烈の光を放って我が社会の栄誉を地に落つることなからしめたるものは何ぞや。ただ良家の婦人女子あるのみ。現に今日にあっても私徳品行の一点に至り、我が日本の婦人と西洋諸国の婦人と相対するときは、我に愧ずる所なきのみならず、往々上乗に位して、かの婦人の能くせざる所を能くし、その堪えざる所に堪え、彼をして慚死せしむるものさえ少なからず。内外人の共に許す所にして、即ち我が大日本の国光として誇るべきものなり。もしも年来日本男子をしてその醜行を恣にせしめて、一方に良家婦徳の凜然たるものなからしめなば、我が社会はほとんど暗黒世界たるべきはずなるに、幸いにしてその然らざるは、これを良婦人の賜といわざるを得ず。
然るに今日において、未だ男子の奔逸を縛するの縄は得ずして、先ずこの良家の婦女子を誘うて有形の文明に入らしめんとす、果たして危険なかるべきや。居は志を移すという。婦女子の精神未だ堅固ならざる者を率いて有形の文明に導くは、その居を変ずるものなり。その居既に変じてその志はいかに移るべきや。近く喩えを取り、今日の婦人女子をして、その良人父兄の品行を学ぶことあらしめたらばこれを如何せん。試みに男子の胸裡にその次第の図面を画き、我が妻女がまさしく我に傚い、我が花柳に耽ると同時に彼らは緑陰に戯れ、昨夜自分は深更家に帰りて面目なかりしが、今夜は妻女何処に行きしや、その場所さえ分明ならずなどの奇談もあるべしと想像したらば、さすがに磊落なる男子も慚愧に堪えざるのみならず、これは世教のために大変なりとて、自ら悚然たることならん。然るに婦女子の志の有形無心の文明に誘われて漸く活溌に移るの最中、あるいはこの想像画をして実ならしむるなきを期すべからず、恐るべきにあらずや。男子の不品行は既に日本国の禍源たり、これに加うるに女子の不品行を以てす、国のために不幸を二重にするものというべし。男子社会の不品行にして忌憚するなきその有様は、火の方に燃ゆるが如し。徳教の急務は百事を抛ち先ずこの火を消すにあるのみ。婦人の地位を高尚にするの新案は、あたかも我が国未曾有の家屋を新築するものにして、我輩固より意見を同じうするのみならず、敢えて発起者中の一部分を以て自ら居る者なれども、満目焔々たる大火の消防に忙わしくして、なお未だ新築に遑あらず。故に今後は、我輩の筆力のあらん限り、読者と共にこの消防法に従事して、先ず婦人の居を安からしめ、漸くその改良に着手せんと欲するものなり。
底本:「福沢諭吉家族論集」岩波文庫、岩波書店
1999(平成11)年6月16日第1刷発行
底本の親本:「福沢諭吉選集 第9巻」岩波書店
1981(昭和56)年1月26日第1刷発行
初出:「時事新報」時事新報社
1888(明治21)年1月13日~24日
入力:田中哲郎
校正:うきき
2009年1月13日作成
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