半七雑感
国枝史郎




 岡本綺堂氏の「半七捕物帳」その主人公の半七にいていささか私見を述べることにする。

「……三十二三の痩ぎすの男で、縞の着物に縞の羽織を着て誰の眼にも生地の堅気とみえる町人風であった。色の浅黒い鼻の高い、芸人か何ぞのように表情に富んだ眼をっているのが、彼の細長い顔の著るしい特徴であった」

 働き盛りの半七といえば、こんなような風貌を持ってたらしい。

「しかしこんな稼業の者にはめずらしい正直な淡泊さっぱりした江戸児風の男で、御用をかさに着て弱い者をいじめるなどという悪い噂はかつて聞いたことがなかった。彼は誰に対しても親切な男であった」

 こういう性質の男であった。いかにも小説の主人公らしい洒落しゃれていて敏感で親切で、うっかりすると毒婦などには、思い込まれそうな岡っ引なのであった。

 最初に手柄を現わしたのは、彼の十九歳の時であった。「石燈籠」と云われる所の、殺人、強盗、誘拐事件で、最初の好運に見舞われた。雪をかずいた石燈籠の笠に、うっすり付いていた足跡にって犯人の素性を知ったのであった。だがうもこの発見、少々眉唾物である。ひどくバタの匂いがする。西洋流の探索である。ははァさては神田の半七、ドイルの探偵物でも読んだかな? などと疑問点を打ちくなる。だが十九歳のうい働きだ。そうそう突っ込むにも及ぶまい。

 彼の際立った特色は、「見込み」で人をショピかないことだ。あくまで証拠で押して行くことだ。これが名岡っ引の所以ゆえんである。

 彼はまことに細い物品から、探索の糸口を発見する。「お化師匠」の事件では、おとなしい「蛇」によって手蔓を得「筆屋の娘」の事件では、一本の「筆」によって手蔓を得又「少年少女の死」の、その上の部の事件では、「手拭」一筋から手蔓を得た。

 わけても上の部の事件では、鮮かな手並を現わしている。踊子が一人殺された。手拭が一筋落ちている。それに鉄漿おはぐろの跡がある。で半七は断定した。「鉄漿をつけた或る女が、手拭の端を口でわえ、それで子供を絞殺したのだ」──で見物の女達を一人一人物色する。果然犯人は目付かったのである。僅々きんきん数時間で目付めっけたのである。

「帯取の池」の事件では、彼は犯人の居り場所を食物によって発見した。或る場末の女師匠が、犯人を自分のうちへ隠していた。うすうす感付いては居ながらも、どうも証拠が目付からない。そこで下っ引の松吉に命じて、師匠の食物を調べさせる。その結果確実に知ったのであった。

「野郎は師匠の家に隠れているんだ。あたりめえよ。いくら新宿を傍に控えているからと云って、今時の場末の稽古師匠が毎日店屋物を取ったり、刺身を食ったり、そんな贅沢が出来る筈がねえ。可愛い男が忍ばしてあるから、巾着の底をはたいて精々のご馳走をしているんだ」──そこで師匠の家へ行き、戸棚から犯人を引き出すのであった。これは如何いかにも日本的で、そうして充分合理的である。

 大方の岡っ引は功に焦り、努めて罪人を出そうとする。しかるに半七はそうで無かった。彼には血もあれば涙もあった。彼は好個の紳士なのであった。この点ホルムスと似通っている。「勘平の死」の事件では、わざと犯人を自滅させ、和泉屋という大老舗に、成るべく迷惑をかけないようにした。「帯取の池」の事件でも、これを表向きにする時は、千次郎という若者は、お叱りの上町預け、これ位いの罪にはなるのであったがさっさっと見遁みのがしてしまうのであった。だから時々犯人などから、お礼の言葉を受けることがあった。



 半七といえども恫喝はした。高飛車に出ておどすことがあった。

「……それで世の中が無事息災に通って行かれりゃァ、闇夜にぶら提灯は要らねえ理窟だが、どうもうばかりは行かねえ。さあ、恐れ入って真直まっすぐになんでも吐き出してしまえ。ええ、おこついているな。やにめさせられた蛇のように往生際が悪いと、もうお慈悲をかけちゃあいられねえ。さあ。申立てろ。江戸中の黄蘗きはだを一度にしゃぶらせられた訳でもあるめえし、口の利かれねえ筈はねえ。飯を食う時のように大きい口をあいて物を云え。野郎、判ったか。悪く片附けていやあがると引殴ひっぱたくぞ」

 などと勇敢にやっつけるのであった。

 そうして後でれにいてこう弁解をしているのであった。

「今と違って、むかしの番屋の調べはみんなこんな調子でしたよ。町奉行所は格別、番屋で調べる時には岡っ引や手先ばかりでなく、八丁堀の旦那衆もみんなこの息で頭からポンポン退治たいじ付けるんです。芝居や講釈のようなもんじゃありませんよ、ぐずぐずしていりゃあ、ほんとに引殴ひっぱたくんですよ」

 その俳優のように表情に富んだ神田の半七の大きな眼が、そういう場合如何に鋭く、どんなに威圧的に輝くことか、想像すると面白いでは無いか。しかもそういう恫喝にさえ、「脂を嘗めさせられた蛇」だとか「江戸中の黄蘗を舐らせられた」とか、詩的な形容詞が飛び出すのである。半七は芸術的探偵なのである。

 彼には幾人か手先があった。間違いや出鱈目を報告するので、法螺熊という異名のある、ヤクザの手先もあることはあったが、松吉という手先などは優秀な腕を持っている。自分で大体見当を付け、ず手先をして探らせる。それから自分が出掛けて行き、最後の仕上げをするというのが、半七の常套手段である。で彼は勿論自分自身が、立派な探偵であると共に、聡明な親分でもあるのである。時によっては肉身の妹で、常盤津師匠の文字房をさえ、下っ引として使うことがある。だが何うやら妻君にだけは、一切容喙させないらしい。

「やかましい。御用のことに口を出すな」

 などとキメ付けることさえある。

 半七と雖も神では無い。時によっては失敗もした。「湯屋の二階」の事件などは、その著しい例であった。正月二日から遊んでいる得体の知れない二人の武士、その持物を調べて見ると、干からびた人間の首が出る。時は文久年間で、世間が何んとなく騒がしい。かてて加えて強盗事件がある。どうでも怪しいと目星を付け、十手を突きつけて訊問して見るとどっこい大宛違いなのであった。友の敵討ちの助太刀を、殿から命ぜられた武士達なので、正月二日から遊び歩いているのは、敵を捜しているのであり、不思議な人間の首というのは、一人の武士の家の宝で、今日う所の木乃伊ミイラなのであった。

「今でこそお話をすれ、その時には私も引込がつきませんでしたよ。なまじ十手を振廻したりなんかしただけに猶々なおなお始末がつきませんや。でも、その梶井という武士さむらいも案外さばけた人で一緒に笑ってくれましたから、まあ、まあ、どうにか結末おきまりは付きましたよ」

 こう云って半七は苦笑しているが、いかにもこれもっとである。

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 半七は名探偵、これには何んの異存も無い。チョン髷時代の岡っ引としては、もうもう充分科学的でもある。最も大切な直感力さえある。人柄から云っても好もしい。

 まるで実在の人物のようだ。ふと人混ひとごみなど歩く時、僕は時々思うことさえある。

 ──唐桟の羽織を引っかけた、色の浅黒い半七が、じっと獲物へ眼を付け乍ら雑踏の巷を押し分け押し分け、その辺を歩いてはいまいかと! 朱総の十手さえ眼にちらつく。

 自由自在天衣無縫、岡本綺堂氏の話術の冴は、いや七十歳の半七の、円滑を極わめた話術の冴は、そうまで神田の半七を写し出しているのである。

底本:「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」作品社

   2005(平成17)年915日第1刷発行

底本の親本:「新青年 新春増刊号」

   1926(大正15)年2

初出:「新青年 新春増刊号」

   1926(大正15)年2

入力:門田裕志

校正:きゅうり

2018年928日作成

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