雑草一束
国枝史郎
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「探偵趣味」へも御無沙汰致しました。同人の列につらなり乍らこう御無沙汰をしては申わけありません。そこで雑然たることでも書いて見ることにいたします。
支那の秘密結社といえば「白蓮会」「三合会」「哥老会」の三つを先ず思い出します。この中白蓮会からは分派として一時「大刀会」「小刀会」「在理教」等の会が出来、その流れが馬賊になったということです。有名な義和団もこの白蓮会の支流の筈です。その起源は非常に遠くて、北胡の侵入時代だと云いますが、ハッキリ白蓮会の名を、世間へ印象させたのは元の順帝の至平十年で、韓山童という人物だそうです。俺は弥勒仏の産れ変わりだと称して愚夫愚婦をまどわしたそうであります。
次に起こったのが「三合会」で、「清水会」「双力会」などという支流があります。その成立は康煕十三年だそうです。有名な長髪賊の中にも三合会の会員は多数加わって居りまして一大勢力となっていた筈です。三合会の会員全部が是に加わる筈になっていたそうですが、長髪賊の洪秀全の持っている教理と三合会の教理とが相反していたため其事が行われなかったそうです。もし三合会会員全部が加わっていたら長髪賊の勢力はもっと大きくなっていたことと思われます。
次に起こったのが哥老会で、その起源は乾隆年間であり、盛んになったのは同治年間でその盛んになった原因が一寸面白いのです。と云うのは長髪賊を平げた湘勇の子弟が、戦終わるや衣食に窮して、各自団隊を作りましたが、これが哥老会に合したため盛んになったというのです。長髪賊の中には三合会員があり、それを亡ぼした連中が似たような秘密結社の哥老会に入会したという訳です。そうして三合会と哥老会とは非常に親しいというわけです。
哥老会に就いて思い出すのは釈元恭という日本の僧侶のことです。
私の少年時代──小学校時代ですが、この釈元恭という名は一時随分耳にしました。それは日本の僧侶であり乍ら支那の哥老会の一大勢力家であったからです。その当時の単行本に「釈元恭」というものがありました。むずかしい漢文崩しの文章で書いた元恭の伝記でありましたが、私は解らないなりに愛読した記憶があります。その当時の書籍の一体裁として綴じるのに絹糸を以てする綴じ方の本がありましたがその「釈元恭」なる本もそういう体裁を持っていました。内容は大方忘れて了いましたが、たしか日本人で、柔術が上手で、支那の拳法以上に支那に於て有効視されて居ることだの、その柔術を使って支那官憲の包囲を遁がれたというようなことが書かれてあったことぐらいを覚えて居ります。それより何よりハッキリは覚えているのはその本の口絵でした。墨染の法衣を着て鉄のシャク杖を突いて、岩角に立っている姿で、その法衣の袖が背後の方へ翻っていたのが今に眼底にありあり残っています。
私ばかりで無く私ぐらいの年格好の人の中にはこの「釈元恭」という本を読んだ人も多かろうと思います。その後私はこの本を手に入れようとして古本屋だの図書館だのを探がしましたが有りませんでした。一時少年の血を湧かせた此種の本も時代には勝てず消滅して了ったものと思われます。
欧米には花言葉というものがあって、某の花と某の花とを一緒に送くれば「あなたを愛する」という意味になり某の花と某の花とを一緒に送くれば「私を愛して下さい」という意味になるとか、その他花と花との組み合わせによって自分の意志を先方に伝えることが出来るようになっているそうですね。それと同じ意味に於て、郵便切手の張り方によって同じく自分の意志を先方へ伝えることが出来るようになっているということを聞いたことがあります。即ち斜めに張ればどういう意味になるとか、逆サに張ればどういう意味になるとか、二枚張ればどうとか、三枚張ればどうとか。その二枚なり三枚なりを斜に張ったり逆に張ったり、いろいろさまざまの張り方によって自由自在に自の意志を先方へ伝えることが出来るのだそうです。これなど旨く取りあつかえば一寸気の利いた猟奇的乃至探偵的の物語が作れるように思われます。
私が大阪に居りました頃一友人がそれに就てこんなことを話してくれたことがあります。「或る女から手紙が来るのだ、ところがその切手の張り方がいつもいつも変なのだ、正式に張ってあることが無いので、逆サに張ってあったり斜めに張ってあったりしているのさ。五本や十本の中には、ただそそっかしい女だぐらいと思っていたがあんまり夫れが長くづくので不思議に思って女に訊ねて見たら女は話せないわというような顔をし乍らも赤面して、それっきり手紙をよこさなくなったので一層不思議に思って或る人に話したらその人は夫れは恐らく切手の張り方で君に恋の告白か恋の誘惑をしたのだろう、欧米にはあるよと教えられたが恐らく然うだったろう。そういうことを知っていなかったので僕は遂に恋を釣り損なったよ」
これなど扱い方によって気の利いた作になると思います。この反対を書いても気の利いたものが出来そうです。
メキシコ(?)の若い男女の間では煙草の喫み方によって意志を伝え合うことが行われているということです。巻煙草を人差指と中指とで支えて真直ぐに喫めばどうだとか、左に傾ければどうだとか、右へ傾ければどうだとか、上へ傾ければどうだとか、下へ傾ければどうだとかいうのだそうです。(葉巻の場合にはそれがどういうように変化するとか、そういう事も定められてあるのだそうです)。又、母指と人差指で支えて、そうして左右上下に喫うことによって意味が違い、又喫った煙の吐き出し方によって(即ち、一息に全部を吐き出すとか、三口に吐き出すとか、最初の一吐きを長く吐いて、その後を短く切って吐き出すとか、その他あらゆる変化ある吐き方によって、自分の意志を相手の者へ伝えるのだそうです)。本来これは同国の秘密結社で行われていた暗号であったのが、いつの間にか一般に行われるようになったのだそうです。一本の煙草と、片手の指と、口とを用いて、どのような場合にでも他人へは秘密に自分の意志を思う相手へ伝えることの出来るこの方法は面白くもあれば近代的でもあるように思われます。
底本:「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」作品社
2005(平成17)年9月15日第1刷発行
底本の親本:「探偵趣味」
1927(昭和2)年11月
初出:「探偵趣味」
1927(昭和2)年11月
入力:門田裕志
校正:北川松生
2016年3月4日作成
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