小酒井不木氏スケッチ
国枝史郎
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「高きに登って羅馬を俯瞰し、巨火に対して竪琴を弾じ、ホーマアを吟じた愛す可き暴王、ネロを日本へ招来し、思想界へ放火させようではないか。五百あまりの白骨が、塁々として現われようぞ。惜しい人間が幾人あろう? 一、二、三……」と指を折る。「あっ、不可ない、十人とは無いや」斯ういうことを心の中で、往々考える傲慢な私も、小酒井不木氏の前へ出ると、穏しい中年の紳士となり、カウスの先を揃えるのである。
名古屋市中区御器所町、字北丸屋八二ノ四、鶴舞公園の裏手にあたり、丘を切通した道がある。その道を見下ろした小高台に、氏の住宅は立っている。白茶色の土坡で崖崩れを防ぎ、広く前庭を取り廻わした、和洋折衷の瀟洒たる二階家、まず数段の石段を登る、玄関に通ずるコンクリイトの小径、その左手は若木の植込、その右手は書斎の外側、窓が二つ(?)光っている。玄関と書斎とは張出になり、玄関の左手が母屋の前庭、そこに一対の藤棚がある。これが大変牧歌的だ。さて私は玄関に立った。夫人か乃至はお世話をして居られる、親戚の令嬢かが案内に出られる。お二人乍ら不在の節は、氏自身姿を現わす。これは洵に恐縮である。(博士よ、書生をお置きなさいまし)玄関の正面は二階へ上る階段、玄関の右手は直ぐ書斎で、私は書斎へ通ろう。広さ六畳の洋風書斎、壁に篏め込まれた巨大な書棚。それへ掛けられた深紅の垂布、他に巨大な二個の書棚、尚この他に廻転書架、窓に向かって大ぶりのデスク。──銀行の重役の用いそうな、前脚に引出のあるデスクである。デスクの上の雑然たることよ! 併し主人公の頭脳さえ、整理してあれば可いでは無いか。室の片隅にラジオを据えた卓、それと平行した室の隅に身長の高い置戸棚、そこに載せてある器といえば、青年時代の氏の写真(尤も今でも青年ではあるが)小さい可愛らしい七宝焼の花瓶、ひどく旨くない油絵の小品、等、々、々と云うようなもの。……戸棚の前に深張りの革椅子。他に籐椅子が二脚ある。そうして最う二つ廻転椅子。──氏常用の椅子である。室の中央に石炭ストーブ、それから最う一つ瓦斯ストーブ、書棚には沢山な和洋の書籍。
さて氏の風貌をスケッチしよう。中肉中身長血色よく、病身などとは思われない、衣裳の嗜好は地味の黒色。丹前姿の時もある。広い額だということは、氏が博士だという事に由って、非常に合理的に解釈出来よう。狭い額の人間など、往々例外はあるにしても、先ず滅多に博士には成れない。眼は全く微妙である、瞶る時には充分に鋭く、瞶めない時には軟い。だが最も特色的なのは、笑われる時の鼻皺であろう。鼻皺を寄せて笑われる時、博士号は未練無く影を潜め、「田園の長者」の面影が──もっと雑言を許されるなら、村風子の面影が現われる。これは全く訪問者に執っては、何より有難い現象である。氏が常時博士で居られては、些少訪問者は窮屈である。全く時々には田園の長者の、質朴穏和な風貌に、接しなければ呼吸詰るだろう。……と、こんなように書いてくれば、では氏は常時博士で居られ、只時々に田園の長者を、発揮するのかと訊く人があろう。そこで私はお答えしよう。いや実は反対なのであると。氏は大方の場合には、田園の長者振の持主であるが、遇々相手を瞶められる時、博士の威厳が眉宇に現われ、寄っ付けない程に鋭くなると。
氏は非常に話上手であるが、それより一層聞き上手である。此の書斎へ通る程の、九分九厘迄の訪問者は、脂を嘗めさせられた蛙のように、自分の腸を自分の手で、引き出して了うに相違無い。腸を引き出すという点では、氏は将しく外科医である。只外科医と違う所は、メスの代りに舌を用い、手を下さずに患者自身をして、勝手に引き出させる点にある。氏の慇懃丁寧なる、もし書斎のデスクの上へ、迂濶り腸を忘れて行こうものなら、後から小包郵便にして、添手紙と共に送り返される。腸ならまだしも結構である、曾て私は数枚の懐紙を、置き忘れて帰ったことがあった。然るに次回の訪問の際、氏は夫れを遺留品として、懇切に手渡して下された。
二分程椅子から前へいざり、背を丸めて顔を下げ、小声を一層小声にし、氏が若し話を仕掛けたら、訪問者は説得されるものと、予め覚悟をしなければならない。と云うのは然ういう態度で、話し出された其時こそ、自説を述べられる時だからである。しかし然ういう場合にも、極わめて婉曲な云い廻わし方をされる。「こう書籍にありました」「斯うある人が云って居ります」つまりこんなように云われるのである。これは露骨な自己拡張を、欲しない人の態度である。科学者が科学に立脚し、押し立てた説を崩そうとするなら、その科学者と同等か、同等以上の科学者で無ければ、企て及ばないことである。で私は然ういう場合には、きまって背広の襟を正す。
氏は他人の創作に対し、決して悪声を放たない。賞讃の辞を以て埋めて了う。だが斯ういう氏の態度を、功利的のものに解釈しては不可ない。断じて然うでは無いのだから。これには二つの理由がある。文筆生活に這入ってから、氏は年を閲していない。で氏は飽迄も自分自身を、アマチュアを以て任じて居られる。で氏は時々云われるのである。「苦労人の作った苦心の作を、どうしてアマチュアの身分を以て、悪く云うことが出来ましょうか」と。だが私は思うのである。「『恋愛曲線』『痴人の復讐』『手術』というような作を産んでも、尚アマチュアと云い得られるだろうか? もし氏が本当にアマチュアなら、文芸の苦労人というような、古外套をかなぐり捨てアマチュアという浴衣に着かえよう」と。だが先ず是は是として、もう一つの理由を説くことにしよう。批評する場合にも立場がある。欠点だけを刳り出し、一切合切はたき込んで了え、これが一つの立場である。美点ばかりを拾い上げ、これを世間へ推薦しよう。これが一つの立場である。もう一つの立場を是々非々主義という。そうして是は理想境である。批評即是々非々主義、こう云っても可い程の理想境である。理想境へは手が届かない。届きもしない癖に利用したがる。政党などを見るがいい。行き詰まった場合に振り翳すのが、この神聖なる是々非々主義である。文壇の批評とて然うでは無いか。俺は厳正に批評するよ。こう云って行う其批評、大方甚不厳正である。向うの先輩へ遠慮をし、此方の同輩へわたりを付け、更に後輩へ因果を含め、さて其上での厳正批評即ち斯ういう厳正批評は──言い換えると批評の是々非々主義は、不徹底の別名と云ってよかろう。それより一切はたき込んで了え、乃至は一切褒めて了え、この批評の方が徹底している。
小酒井不木氏の批評の立場は、即ち第二のものである。
氏と雖欠点はある。偽悪家を以て任ずることなど、その一つに数えてよかろう。「こんな様子はしていても、作中で惨酷を扱うのですから、私は悪人かも知れませんよ」こう云ったような意味のことを、氏は時々洩らされる。大いに凄がろうとするのである。併し私の考えからすれば、偶像にされまいとする心理から来た、「逃げ」の一手としか思われない。この一手失敗である。偶像にされまいと努力する人は、大方偶像にされるものであり、偶像にされようと努力する人は、却って偶像にされないばかりか、ポンチ画の材料にされるものである。何んと浮世の多方面に、偶像にされようと努力してポンチ化される人が多いことか。
加工的で無い自然の警句を、会話の間へ挿むことは、本人の氏さえ知らないらしい。巧んだ警句というものは、聞く人をして時あって、肩を聳やかさせるものである。そうで無ければ失笑させる。バアナアド・ショウのような哲人でさえ、余りに多く加工的警句を、その作の中へ盛るために、鳥渡肩を聳やかしたくなる。自然に流露する警句には、そうした憂は少しも無い。で、氏の警句を聞く毎に、私は大概頭を下げる。そういう私は何うかというに、努めて加工的の警句を製し、会話や作の中へ織り込んで、鬼面人を嚇そうとして、いつも反対に嚇されている、慨嘆すべき道化者なので、尚更ら巧まない氏の警句には、身に滲む節が多いのである。
氏は時々早口になる。
氏の創作を読んでいると、早く文章に綴らなかったら、材料が何処かへ逃げて行きそうだと、心配して書いているような、性急の所が窺われると、或る軽快なD・S作家が、曾て本誌で指摘したが、会話の中にも夫れが見られるが、是は欠点では無い。氏が早口になるや否や、田園の長者も博士も消えて、俄然大学の書生さんが、書斎一杯に拡がるのである。何んと愉快なことでは無いか。だが談論風発を、もし誰かが予想して、氏の書斎を訪問したら、例外無しに裏切られるだろう。一つは体を労られるため、一つは粘液質の鈍感者流が自分の云っていることが自分に解らず、その為め人にも解るまいと、そこで眼を怒らせ声を大にし、丁寧に疾呼反覆するあの悲しむ可き喜劇なるものを、踏襲する必要が無いためとで、いつも氏は低声で物を云われる。私の趣味など何うでもいいが、併し御免を蒙って、私の趣味で云わせて戴けるなら、基督のような人格者であろうと、カントのような智者であろうと、談論風発したが最後、私は躊躇無く無視して了う。そうして私は云うつもりである。「彼奴騒々しい石塊だ哩」とアフリカを踏破したスタンレーのような、大味な冒険心の持ち合わせはないが、騒々しい石塊の眼の前で、その雑音を封する可く、喉仏の見える迄口を開け、笑殺一番するくらいの、小味な冒険心なら持っている。
氏が低声で話されることは、私には何より有難い。
氏の社会観、人生観、文芸観というようなものは、氏の口からは聞くことが出来ない。そういう質問をする毎に、「まだ定まっていないのです」と、謙遜の辞を以て答えられる。この方面でもアマチュアを以て、自ら任じて居られるらしい。よし又それを持っているにしても、氏の人柄から推察すれば、詳説しないに相違無い。「押し付けがましい」と云うことを、極端に嫌う氏であるから。
専門の知識を平易に処理し、物語を作り研究物を編む、この氏の態度を次のように、私は形容したいと思う。
「病弱の氏は容易なことでは、書斎から街頭へは出て行かれないが、が其代り自分ぐるみ、書斎を街頭へ持ち出して行き知識の大道商売をする」と。
知識とか芸術とか云うようなものは、象牙の塔へ蔵することに由って、尊厳を保つものと解されている。或時代からの陋信ではあるが、尚今日もそんなように、解釈しているものがあるらしい。歴史的に研究をして見れば、そういう陋信に捉えられたことも、一応理と頷かれるものの、もう今日では通用しまい。にもかかわらば尚今日、所謂る知識の高踏派、所謂る芸術の高踏派が、蠢動しているのは、何うしたものだろう。知識や芸術というものは、大衆化すること──大道商売に由って、少くも高貴性を失うと、高踏派の徒が云うのなら私は押し切って進言する。「まあ然ういう独善主義は止めて、一度大道で商売って見給え。案外高貴性は失われないよ。もし又大道で商売った為に、ほんとに高貴性が失われるようなら、それは買手の罪では無く、その知識や芸術が、時代錯誤をしていたからさ。罪は却って高踏派にあるよ」と。尚私は進言する。「人間に関係ある一切の物は、大道商売をすることに由って、真価を発揮することが出来るのだよ」と。更に私はこんなようにも云う。「特に高踏派に属するものは、大道に商売う必要があるよ。いかに今日の大衆なるものが智的に情操的に進歩しているか、それを知ることが出来ようからね」と。
氏のこぢんまりした書斎の中に、二つストーブのあるということは、探偵小説の材料にはならない。至極簡単に、解釈出来る。寒気を厭われるからである。で、石炭ストーブが、書斎を暖めるに間に合わない時は、瓦斯ストーブで暖めるらしい。それほど寒気を厭われる氏も、訪問者の体質を懸念して、時々自分を犠牲にされる。私はバセドー氏病の持主として、厳寒中にも発汗する。ポカポカと暖い氏の書斎は、その点に於ては苦手とも云える。で氏は話し中斯う云われる。
「大分暑いじゃあありませんか。ひとつ窓でもあけましょう」
しかし私は遠慮する。「いえ、暑くはなさそうです」その癖充分発汗している。で話が継続する。と氏は復もや云う。
「暑いようです、開けましょう」
「暑いものですか、寒いくらいです」発汗しながら復遠慮! で、話が継続する。と氏は黙って立ち上がり、手早くガタンと窓を開ける。氷柱のような一本の風が、窓を通して吹き込んで来る。私の汗は引っ込むが、氏はそんな場合咳をされる。
物を書くということが、現在の氏には興味らしい。その興味の趣くままに、ペンを執り文を綴るらしい。歌い乍ら物を書く、斯う云ってもひどく間違ってはいまい。やがて夫れが形を変え、憤り乍ら物を書く、この境地に達した時、氏の態度も作風も、一変するだろうと想われる。
「不断の摂生」ということが、氏の肉体養生法であるが、文芸の士としての氏の態度も、これにピッタリ当て篏まっている。如何にもむらが無く秩序正しい。そうして人との接待面にも、夫れがハッキリ窺われる。不愉快な近代の芸術家型たる、お天気師の態度が無いのである。
休火山と云うものは恐ろしい。何時か必ず爆発するぞ、こういう約束を持ち乍ら、静まり返っているからである。氏が私には休火山に見える。
春が来たので最う大丈夫、氏がどんなに窓を開けても、風邪を引かれる気遣いは無い。一層繁く訪問しよう。ラ・ルビアを喫うことによって、書斎を煙だらけにした処で、これも窓から出て了う。氏を大して苦しめもしまい。だが精々三十分ぐらいで、お暇しようと思い乍ら、氏の書斎へ通ったが最後一番可い椅子へ腰を下ろし、四時間ぐらいたてつけに喋舌る、この私の不作法には、済度しがたいものがある。但し如何なる場合でも、優秀なる人は優秀なるが為に、優秀ならざる人間に由って、受難の憂目を見るものである。氏と私との交際に於て──尠くも私の長座の為めに、氏の感ずる受難の如き、将しく夫れに相当しよう。で、私は云おうと思う。「私の長座を矯めようとするなら、氏よ、自分の体から、優秀なるものをお捨て下さい」と。「罪の一半は氏にもあります」と。
底本:「国枝史郎探偵小説全集 全一巻」作品社
2005(平成17)年9月15日第1刷発行
底本の親本:「新青年」
1926(大正15)年7月
初出:「新青年」
1926(大正15)年7月
入力:門田裕志
校正:Juki
2014年5月14日作成
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