和歌批判の範疇
折口信夫
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一「こゝろ」 その一
およそ歌を見、歌を作る上において、必らず心得て置かねばならぬ、四つの段階的観察点がある。
此観察点は、元来作者の側にあるものではなくて、読者としての立ち場から出るものであるが、作者といへども、其作物を、完全なるものたらしめむ為には、出来るだけ自分の作物を客観の位置において、推敲を重ねなければならぬ。即、此場合においては、作者即批評家といふ態度に出なければならぬのである。されば、読者、又は批評家の立ち場において生じた批判の範疇は、作者が其作物を推敲する上においても、当然採用せられねばならぬわけで、前に述べた段階的観察点といふのは、即、此批判の範疇に外ならぬのである。
まづ美的情緒が動いて、ある言語形式を捉へると、此処にはじめて、こゝろが成り立つのである。こゝろは、作者の方においては之を思想といひ、読者の側からは之を、ある形式を通して受納する意味、といふ。繰り返していふと、言語形式を俟つて、ある限界が、情緒の内容を為して居る思想(未だ明に思想といふことの出来ない、甚だ渾沌たる状態にあるもの)の上につけられて、内容が固定して来るので、明確なこゝろは、此処に到つて現はれるのである。
形式の成ると共に、内容が定まる。此処にはじめて、ことばと、こゝろとの対立を見るのである。こゝろすぐれたりだの、おとりたるこゝろがまへだのといふのである。如何なる情緒も、取り扱ひ方、即、形式一つで、すぐれた内容とも、おとつた内容ともあらはれる。情緒と言語形式とは、互に因果関係を交錯することはあるけれども、内容は常に、形式の後に生ずるといふことは納得せられねばならぬ。世の中の歌よみが、こゝろを本とし、ことばを末だとして、容易く両者に軽重を定めて居るのは、今少し考へて見なければならぬと思ふ。かういふ謬見から語法を度外視して居る人もあるが、考へざるの甚しきものといはなければならぬ。勿論、ことばといふ語は、たゞ語法一つを指した訳ではない。歌学の上で、ことばと称へて居るものゝ意味は、いづれ第二において述べるが、此処では、情緒と詩歌の内容との間に、ある時間上、価値上の差別があるといふことを知つて貰ひさへすればよい。つまり従来は、作者の立ち場と読者の立ち場とを混同して居たので、情緒は作者として、こゝろは読者として、といふ風に、原因と結果との相違がある。作者として採るべき態度は、情緒とことばとの結合する処において、非常の苦心、努力を用ゐることで、此因果関係の交錯して居る二元の取扱ひに、間然する処があつたとすれば、二つのうちの、いづれかゞ強きに失して、他の一つが、之に伴はなくなる。此工夫が即、趣向といふのである。趣向とことばとが一致しなかつた時は、不調和が生ずる。古人が、詞、心に伴はずとか、詞すぐれたれど心おくれたるなりとかいうて居るのは、此出発点における、工夫の足らなかつた結果になつた作物を、評したのである。此情緒を表はす趣向とことばとの不調和は、文学的作物としての価値に影響するが、和歌には一面、形式美に陥つた点があるので、此辺から見れば、ことばの勝れたのは、形式自身に幾分の価値ある点より、こゝろのおくれたのを補ふことが出来る。
之に反して、ある情緒を盛るに適切な形式、限界を与へなかつた時は、詩歌ではなくて、単に叙述文に過ぎないものとなり了るので、詩歌たる資格は、形式美を有することばのすぐれた方が、まだしも多いわけである。形式美は、一歩退いて考へて見ると、つまらぬ趣向をも、言語形式によつて、思想としては、大に見直す事の出来るものとするのだともいふことが出来る。
兎も角も、此情緒を発表する趣向は、作物の根柢となるものであるから、適切なる言語形式を捉へることは勿論、極めて厳密な美的考察を要する。
事物を定義することに無頓着であつた古人は、伝習的に用ゐ来つた歌学上の専用語を、自由に用ゐて居る為に、たゞこゝろといふ一語を以て、趣向にも、亦内容にも通じて使つて居る。下に説かうとする数々の語も、皆かういふ風に、使用者が読者の直覚を予期してかゝつて居たのであるから、今日之を説くには、非常な困難を感ずる次第であるが、みな之は、言語の意味の内包が明かでなかつた為に生じた結果で、歴史的に発展の過程を考へて見れば、歌合行はれ、歌式出で、歌話が物せられ、師範家が出来、批評家が現はれた中に、雑多な用法をせられ乍ら、其処に、ある一道の集合的概念を抽き出す事が出来ると思ふ。此意味における専用語の意味を説明すると共に、発展の路において、経て来た異なる意味の用ゐ方をも、示したい考である。勿論、ある意味と、正反対の意味に用ゐられた例証は、自分といへども、少からず提出することが出来るが、唯集合的概念の謬らざる、最も適切に、巧妙に、また最も全過程を包括した、最近の意味におけるものを採るので、単に言語の意味を説くのみに止めず、今後この定められたる意味を以て、此等の専用語をば、盛に復活して用ゐたいといふ微意に外ならぬのである。
こゝろといふ語は、内容、即思想、及趣向の意に用ゐられて居る。
ここに一言断つて置かねばならぬのは、趣向といふものは、一体が、どういふ風に情緒を発表すれば、言語形式を通して、完全なる内容を形づくることが出来るかといふ、努力を意味するものであるから、趣向というても、思想というても、全然異なる事柄ではないので、たゞ原因結果の関係があるものといふ外に、明瞭な区別は出来ない。強ひていふと、趣向は動的で、まだ全く固定したといふことの出来ないもの、思想は静的で、結果より帰納せられた、固定したもの、言ひ換へれば、ことばと趣向とよりなつて、読者をして、形式的に、実質的に、並に想像の結合によつて、作者が最初に起したものに近い美的情緒を、再現せしむる働を為すものなのである。で、こゝろといふ語は、何の時代においても、右の両に用ゐられて居る。
天徳四年内裡歌合の、八番右の兼盛の、
ひとへづゝ八重山吹はひらけなむほどへて匂ふはなとたのまむ
とある歌、判の詞に、「右歌、八重山吹のひとへづゝひらけむは、ひとへなる山吹にてこそはあらめ。心はあるに似たれども、八重咲かずば、本意なくやあらむ」とあるもの、
応徳三年の若狭守通宗朝臣女子達歌合に、
郭公あかずもあるかな玉くしげ二上山の夜はのひとこゑ
の判詞に、「ふたかみ山、あかずなどいふ心、いとをかし」云々とあるもの、
建保五年の歌合の、二十三番の、
須磨の浦に秋をとゞめぬ関守ものこる霜夜の月は見るらむ
の歌に、「秋をとゞめぬ関守、残る霜夜の月をみる心宜し」とて、為スレ勝トと定家が追記したるもの、
景樹の、六十四番歌結、三十四番左の、「いかにせむ萩にはしかと頼めてし」云々の歌の判詞に、「左、萩にはしかとゝいふに、鹿をこめて、さてその萩だにもすぎむとぞするといはれたる、心詞たゞならぬにや」などあるのは、皆趣向の意である。
思想の意味に用ゐたのには、古今集の序、「在原業平は、そのこゝろあまりて、ことば足らず」云々とあるもの、
千五百番歌合、百三十六番右、定家の歌の、
まちわびぬ心づくしの春霞花のいざよふ山の端の空
を評して、「右、心こもりて、愚意難シレ及ビ」云々と、見えて居るもの、
六十四番歌結に、三番子日ノ友の右、
たちまじり小松ひく日はわれならぬ人のちとせもいのられにけり
とあるのゝ判詞に、「右は、その意したゝかにいひすゑられて、あまりこちたきまでにぞ聞きなされ侍る」云々、とある類が、其である。
二「こゝろ」 その二
思想と内容との関係については、前章に於て聊か述べておいたが、今尠しく説いておく必要がある。
世間には、往々思想と内容とを混同して居るものがある。この詩歌の内容を、即思想とする辺から多くの誤が醸される。
これらの人の頭には、思想と内容との関係区別はおろか、形式と内容との交渉分離に就いてさへも、明かな考はなからうと思はれる。
内容は形式を俟つて生ずる。形式は内容に対しての名である。尠くとも、内容といふものを形式にさきだつて存するやうに考へ、内容を拒外したる形式があるやうに思ふのは誤謬である。この点に於て、思想と内容との区別が明になつて来る。
思想がある形式によつて制限を加へられたものが内容なので、これを他の方面でいへば、結果である。これに対して、思想は動機である。或はこれを、第一次思想、第二次思想といふ名称を与へて、区別をつくることが出来る。第二次思想は、即、ある形式を通じて、ある限界を加へられた思想をいふのである。
前にもいうた通り、第一次思想といふものは甚だ渾沌たるもので、これを客観的にいへば、情緒の内容、主観的に見れば、情緒と並行して進む思想である。であるから、多くの場合に於て、第一次思想を予め工夫しておいて、然る後に、ある形式を捉へようとすると、情緒の之に並行しないで、第二次思想との間に、非常な間隔のあるものが出来上る。客観を主とする俳句の如きに於ては、それもよいが、客観よりは寧ろ主観を生命として居る和歌に於ては、不成功に終つたものといはなければならぬ。
今一度言葉をかへていふ時は、思想は情緒のある傾向を示すものである。情緒と思想との関係は、斯の如く、非常に密接なものである。これが形式を呼ぶ場合に、趣向といふ立ち場が出来るが、和歌に於ては、屡この階梯は顧られぬことがある。和歌のみならず、主観を生命とする詩は、この階梯を形式成立後に延ばしておくことのあるのは、動もすれば情緒の流行を妨げることがある為で、事実この階梯は、必しも、此場合に欠くべからざるものではない。
しかしながら、第一次思想そのものをさながら表はさうといふことは、到底行はるべきことでない。この場合には、「言語形式」によつては、殆ど望がない。吾人はこの点に於て、象徴主義の価値を認める。即、作者の胸中に於ける情調の傾向を、読者に感受せしむるのみにて足れりとするのであるから、人々によつて感覚、感情の比較的強度を異にすることの多い言語の媒介によるよりも、寧ろ、情調を直通せしむるといふ方法を採る立ち場の出来る理由があるのである。
単に、作者の情調の傾向を読者に与へればよい。だから、この派の作者は、音楽的表示法を重じねばならぬと思ふ。音楽的表示法というたのは、音響を聴いて、その如何なる事件、如何なる思想を述べたといふことを知らないで居て、それでまづ聴者をして、音覚によつて惹起する所のある感情を感受せしむる方法である。この場合においては、この感情即内容である。音を利用して読者の感情を促がすといふことの可否は別に論ずる。この所にては、第一次思想を直にあらはさむとする派のあることを説いたまでゞあるが、どうしても「言語形式」を伴ふ間は、完全に象徴主義を遂行することは出来ないものであるといふに止めておく。
内容と思想との関係区別は、前章以来、屡説いたのであるから、もはや明かになつたことゝ思ふが、形式と内容とに就いては、今少しいはなければならぬ。形式内容の前後軽重をいふのは、甚考へざるものである。ある形式とは、ある内容の外囲である。ある内容とは、ある形式の内包である。ある内包をとり去られた外囲は、決して形式といふことは出来ない。また実際に於ても、さういふものゝあるべき道理はない。唯、便宜上与へた名称なので、もと〳〵独立して存在すべき筈のものではない。しかしながら、それと共に、理論上、明かに区別は立てゝおかねばならぬ。これと同様に、ある外囲を棄てた内包は、内容と名づくることは出来ぬ。しかしながら、この場合において、いささか、いうておかねばならぬのは、作者側に「情調傾向」といふ主観的事実あるが如く、内包の予定なくしてあらはれた形式の後の内容といふものも、成り立つべき余地がある。これは、形式の観念が明かになれば何の疑もない筈なのである。倫理学上の結果論と同じ立ち場にあるといふことが出来よう。
前章にもいうた如く、和歌は一面において形式美に偏した処があるから、この点はよく考へておく必要がある。主観的に内容の予定なく、あるひはそれが乏しくとも、客観的にはその形式に対して、当然適当な内容が来るべきものである。畢竟するに、動機論、結果論二つながら、理論上にも実際上にも欠陥があるのだから、理想とする所は矢張り、何れにも陥らない内容と形式との調和にある。しかしながら、今はそれを論ずる場合ではない。が、昔からあまりにこの思想を重んじすぎて居る。しかも、その根柢においては、詩歌の思想と内容との意義の混同が、大なる原因をなして居るに相違ない。自然主義者の所謂「真」の意義も、この点の分別が大分欠けて居るやうに見える。つまり、汲々として、皆、形式、内容の交渉分離を知らずして、唯、思想を偏重した弊を脱することが出来ないのである。
この前提に立つて、自分は新に形体的内容、実質的内容といふ新名辞の説明を試みたい。
実質的内容とは、作者の予定より来る内容で、第一次思想から来るものであるから、これを直接内容とも名づけることが出来よう。次に、形体的内容とは、内容の予定なくして聯ねられたる言語が、偶然にある内容を有する形式となつた場合のその内容をいふので、畢竟実質的内容とは、思想より一直線に来る第二次思想、形体的内容とは、思想を発表する径路において、言語形式の為に、ある他の内容を形つくるもの、いはゞ副産物とも称すべきものである。
この副産物の出来る度合にも色々ある。或はこの副産物と主産物と全く融合して居ることがある。(肯て一致とはいはない。殆ど一致することはあるが、)それより、漸く副産物の量を減じて、部分的に副産物と主産物との交渉あるもの、或は殆ど副産物の加はつて居ないと見ゆるものもある。(言語形式を伴ふ間は、どうしてもこの副産物の含まるゝのは拒むことは出来ない。)
唯副産物の量を少くして、殆ど皆無と見ゆるに至るまでにするのが従来の作家の理想ではあるが、又一方に、この副産物を巧に利用するといふことも、詩としてはあながちに却くべきことではないと思ふ。このことは後に言語情調に就て述べる時に、今一度説くつもりで居る。どうしても副産物が伴はるゝものとすれば、主産物との融合に努めて見ることも必要であり、又、その融合の程度によつて価値の増減も自から生ずる訳である。然るに世の盲目評家は、その過程に於て、形式といふものを経ること、又、それが避くべからざるものなることを忘れて、この形式によつて、必然的に生ずる副産物の価値を認めないものすらあるが、実にわからないも甚しいといはねばならぬ。彼等は動もすれば技巧を排し、言語の彫琢を否定する。これ等の評家は、到底詩歌を解する資格がない。これ等の評家によつては、形式あるものは、すべて斥けられねばならぬ。象徴詩も彼等を満足せしむることは覚束ない。
形体的内容と、実質的内容との結合する点において、屡矛盾がある。是れ欠陥であると共に、亦これを利用して、好結果を収めることがある。落語とか笑府とかは、畢竟思想より直通して居る実質的内容と、言語形式によつて生ずる所の形体的内容とを並行せしめて、ある滑稽な内容を形くるのを目的とするのである。
川柳に於ては、最も著しくこの傾向を認めることが出来る。たとへば、
居候醋のこんにやくをいつも喰ひ
といふ句において、単に実質的内容なる食客がいつもすのこんにやくのと小言をいはるゝとだけでは、何の興味もない。形体的内容に於て、醋あへの蒟蒻を常食として居るといふ意味があらはれて、実質的内容と並行して、しかも終には読者の観念界に実質的内容にある色彩を帯びた第二次思想となつてあらはれる点に、多大の興味があるのである。語をかへていふと、形体的内容と実質的内容とによつて形くられたる集合概念を抽き出すといふ所に興味は存するのである。
茲に集合概念というたのは、厳格な意味に於て用ゐたのではなく、唯二つの内容が集合して一種特別な意味をなす点を捉へていうたのみで、勿論この集合概念の上には意味ある予定ある思想が働いて居るので、無意味の中から、意味を取り出すといふのではない。
実質的内容は一つではあるが、形体的内容は、二つ以上に上ることがある。
実質的内容は、根本を作者の主観において居るが、形体的内容は、読者の客観を基礎として居る。
一体主観といふことは、背景的事実、認識すべからざる現象で、実際にはあらはれて来ない。すべて認識の上のことは、元来、皆主観から出るのであるが、これをいひあらはす場合には必ず客観的になつて来る。唯便宜上その程度によつて、主観とか、客観とか分つのであるが、もと〳〵皆主観に発した所の客観なのである。実質的内容は、作者の主観から発して客観的段階を経て、読者の客観を俟つて、その主観界に復活するものであるが、これにも度合があつて、読者に主観的分子を多く感ぜしむるものが主観詩で、客観的分子を多く感ぜしむるものが客観詩である。形体的内容についていふと、もと〳〵この表現は作者本来の目的でないので、元来は主観的でないのであるが、そのあらはす径路に於て主観的な表現法をもとることがある。
繰りかへしていふと、思想は作者の主観に根柢をおいて、之を客観的に観察したもので、これが更に客観的表現法によつて、ある形式を採つて読者の客観界に入つて、はじめて内容といふ名を得る。これがまた個々の読者の主観界に空想的仮象として顕はれる。
形体的内容は、読者の観照によつて、写象としてあらはれるが、今一歩其知性的分子を脱して感性に入ると、感覚的仮象となるのであるが、此感覚的仮象が観念界において、実質的内容から来た所の空想的仮象と結び附く処に、種々の関係を生ずる。勿論此場合、右の両者の統一融合せられるといふのが理想であるが、常に之を望むことは出来ない。しかし此理想地に至らなければ、観念的感情は起らない。感覚的仮象によつて感覚的感情が惹起せられたばかりでは、文学の真の目的が達せられたとはいはれぬ。しかも、尚此上に大なる要件がある。其は、観念の聯合といふことである。これは、専ら読者側にあることではあるが、作者は予め適当な観念の聯合をなさしむる為、恰好な形式内容を読者にあたへねばならぬことはいふまでもない。
形体的内容は、読者側において生ずるものなることは勿論であるが、作者の予期はおなじく度外視してならぬ。
読者の観照によつてあらはれる写象は、三つの異なる立ち場を有つて居る。
一、主観的表現
二、客観的表現
三、絶対的表現
此三つの場合について、簡単な説明を試みよう。
(一)主観的表現といふのは、写象をとほしてある主観が認めらるゝもの。
君しのぶ草にやつるるふる里は松虫の音ぞかなしかりける(古今)
わが庵は都のたつみしかぞ住む世をうぢ山と人はいふなり(同)
前の歌は、忍草のしのぶといふ語を契機として、君しのぶといふ思想が結びつけられて居る。単に景を叙するに止めずして、作者の予期した主観的表現が認められる。
後のも、やはり、世をうぢ山のうといふ語がはずみとなつて、単に処を示すばかりでなく、作者の人格を述べて、歌全体に世を憂といふ色彩を帯びしめて居る。此表現法は、多く、一二音の類似から実質的内容の上にすつかり形体的内容を被らしめて居る。然し時としては、全体ではなく一部分の実質的内容と結合して居るのも見える。
ましみづの細きながれは居ながらも手をひたすらになつかしげなる(大隈言道、草径集)
兎も角、読者は僅かな音を媒介として、作者の思想と見ゆる者を二種以上享くることが出来るのであるから、非常に重宝な方法といはねばならぬ。
(二)客観的表現は、客観事象によつて惹き起された興味の印象が、全体的又は部分的に、実質的内容を蓋うて居るもので、此には叙景的のものと叙事的のものとがある。
(イ)桜さく遠山どりのしだり尾のなが〳〵し日もあかぬ色かな(後鳥羽院、新古今)
忍れどこひしき時はあしびきの山より月のいでゝこそ来れ(貫之、古今)
波まより見ゆる小島のはま楸ひさしくなりぬ君にあひ見で(勢語)
津の国の浦のはつ島はつかにも見なくに人の恋しきやなぞ(雅成親王、玉葉)
いづれも景を叙するのは、ある語を喚び起す為の用意なので、短くて用を達するのもあるが、大抵長くなる様である。
叙景によつて与へられた印象が、しつくりと実質的内容にあてはまるものでなくてはならぬ。あてはまるといふのは、必しも関係のある事実を述ぶる必要はない。唯その形体的内容の聯想が、実質的内容と、傾向を一にして居ればよいのである。此には屡失敗したものがあるが、左のものゝ如きは成功して居る。
(ロ)ますらをがさつ矢たばさみたち向ひ射るまとかたは見るにさやけし(万葉)
よひにあひてあしたおもなみなばりにかけながき妹がいほりせりけむ(同)
あしびきの山どりの尾のしだり尾のなが〳〵し夜をひとりかもねむ(同、作者未詳)
たちのしり鞘にいり野に葛ひく我妹ま袖もて着せてむとかも夏葛ひくも(万葉)
叙事的表現といふのも、畢竟、此うちにこめて説く事が出来ようと思ふ。ある観念、又はある思想を喚び起す為に、他の事実現象を述べて、それを契機として言語の類似、又は同一思想を捉へて、本題目に入る手段であるが、質朴な万葉時代の修辞法には屡用ゐられて居る。しかも、多くは本題よりも遥かに長く、形式の大部分を占めて居る事は注意せねばならぬ。
此法においては、最も形体的内容の聯想が、実質的内容と傾向を同じくする必要がある。最も形体的内容が明らかにあらはれて居るのは、此法であるが、それだけにまた、実質的内容を融合することも困難である。極めて単純なる感情をばあらはす手段であるから、形体的内容を述ぶることに低徊して、なるべく、事実よりも印象を深く与へて、実質的内容の量を深く感ぜしむるといふのが眼目である。此点は象徴派の参考とすべきものであらう。
(三)此表現法は、美的仮象を分解して、空想的と感覚的との両写象にして仕舞つては、完全な内容を形くることの出来ぬ者、即主観客観の融合した者と、主観客観を超越した者とを併せていふので、名称に稍不穏当な処あるが、姑く絶対的といふ名称の下に容るゝことゝした。
時鳥まつにしもさく藤の花人の心のなびくなりけり(加納諸平、柿園詠草)
身をうみのおもひなぎさは今宵かなうらに立つなみうち忘れつゝ(大和物語)
諸平のは、時鳥を今か〳〵とまつ心を折しもさいて居る藤の上にうつしてよんだもので、要はたゞ、人の心が時鳥になびいて居るといふ実質的内容に帰するが、それが形体的内容と融合してあらはれた美的仮象は、決してそんな単純なものではない。感覚的仮象(即形体的内容)は、松になびいて咲いて居る藤の花、空想的仮象は、なく初声をまつ心が時鳥になびくといふこと、前後にまつとなびくといふ語があつて、此が契機となつて、両仮象を結びつけて居るが、其集合概念としてあらはれた美的仮象は、やゝ趣を異にして居る。松になびいて居る藤の花を単に形体的内容とし、人の心が時鳥になびくといふのを容易く、実質的内容として分つことが出来ないところに、此表現法の意味はある。
次の歌の類は、沢山ある。此は前の者よりは主観が明らかにあらはれて居る。うみは単に客として言語をあやなす為に採られたばかりであるが、此種の者もかりに此部類にこめておかう。
此外、興の体に属するものゝ一部、及、音覚を主とする者は、此うちに入れねばならぬ。
定家の所謂幽玄体と称するのは、非常に音覚を重じた者で、主観客観を出て絶対境に入らむとして居るものが多い。であるから、従来の学者の如き、内容に形体的、実質的の両面のあることの考へもなく、且、勿論二方面の区別を立てた後に、之をまた融合せしめて考へることの出来なかつた頭脳からは、難解とのみ却けられたのも道理であるが、今日ではもうその様な解釈法ではいけない。音覚については、すがたのことを説く場合に、更に、詳しく論ずるつもりである。
右、略ぼ三つの表現法によつて、形体的内容があらはされるといふことを述べた。次には尠し立ち場をかへて部分と全体との考への上から、形体的内容と実質的内容との関係を説きたい。
第一次思想の限界を加へられてあらはれたものが実質的内容であることは、予ていうておいた。であるから、まづ与へられた形式の全体をうづむる内容といふことが出来る。
次に、実質的内容に並行して、同一の形式の上に統一せられて居る形体的内容がある。
君恋ふるなみだのうらにみちぬればみをつくしとぞわれはなりぬる(新撰万葉)
君を恋ふるあまりに、自分は常に涙におぼれて居る。かくては、我身をも終につくすべきかといふ実質的内容に並んで、涙を湛へた中に澪標の如く立つて居るといふ形体的内容が、詩全体に亘つて統一融合せられて居る。
右は、内容が並行して居る場合を述べたのであるが、茲に一つ注意しておくべきは、形体的内容が、一部分の連鎖を持つて居るばかりであつて、それによつて起された感情が詩全体に遍満して居る場合がある。これをもこの場合に併せて挙げておく。
若鮎のひれふる姿みてしよりこの川上の家ぞ恋しき(加納諸平、柿園詠草)
この歌は、万葉の「玉島のこの川上に家はあれど君をやさしみあらはさずありき」といふ歌が根柢になつて居ることを、この川上の家といふ言葉によつて悟らしむる。若鮎は、領布をおこさむ為の語、新しく造られた枕詞である。ところが、唯単に領布をおこすばかりで満足せず、その感じを終までも続けて居る。この作者は、仮に、玉島の処女に返歌せられた男の心持になつて、詠んだものである。実質的内容においては、玉島川の辺で会うた女が、自分の家は玉島川の川上にあるというて居つたが、その処女が別を惜んで領布を振つた、その姿を見てから、玉島の川上の家が、これかあれかと心あてに恋しい心地がするといふのであるが、形体的内容によつて惹起せられた感情は、まづ若鮎のひれふるといふ語によつて、若鮎の泳いで居る様の感覚的仮象を思ひ浮べる。この美的仮象は、次に来るこの川上といふ語によつて、一層深められる。此に到つては、若鮎と処女とを判然とわけては、想像のうへにあらはれて来ない。処女のことを述べたのだといふ意識は明かにありながら、感覚的仮象から出た鮎の川に泳ぐ様の色彩を、実質的内容から来た空想的仮象の上に被らしめて居るといふべきである。
底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
1996(平成8)年3月25日初版発行
初出:「わか竹 第二巻第五・十一号」
1909(明治42)年5、11月
※底本の題名の下に書かれている「明治四十二年五・十一月「わか竹」第二巻第五・十一号」はファイル末の「初出」欄に移しました
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年7月24日作成
青空文庫作成ファイル:
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