短歌の口語的発想
折口信夫
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短歌に口語をとり入れることは、随分久しい問題である。さうして今に、何の解決もつかずに、残されてゐる。
一体どの時代でも、歌が型に這入つて来ると、大抵は珍しい語に逃げ道を求めた。形式の刺戟によつて、一時を糊塗しようとするのである。若しわれ〳〵が、文献に現れた死語・古語の中から、当時に於ける口語・文語が択り分けられるとしたならば、必、多くの口語的発想を見出すことが出来ようと思ふが、今日では容易な仕事ではなくなつてゐる。散木弃歌集あたりには、それでも多くの口語を見ることが出来る。実は、この話の最初に歴史的に見た、口語と文語との限界に就いて、予め述べておかねばならない筈なのであつた。何時の時代にも、文語と口語との区別は、大凡立つてゐた事なので、たゞそれが、今日ほど甚しくはなくて、幾分互ひに譲歩しあふ事があつたといふばかりで、今の人の考へるやうに、口語その儘を筆録したのが、直に文語とならない事は、今日の口語文を見ても知れるであらう。二葉亭や美妙斎の大胆な試みに過ぎなかつた時代から見れば、今日の口語文は、確に一種の形式を備へたものになつて来てゐる。多くの人は、です、だを会話語として、文章語としてはであるを使うてゐる。よく〳〵、修辞上の必要のある場合の外は、のつけにとは言はないで、最初にといふ。かうして現代語の中にも、幾分、硬化しかけてゐる正確な語を、文章語にむけてゐるのである。
これまでの研究でも時間の助動詞つ・きはぬ・けりと較べて、会話的要素の多いものとせられてゐる。俊頼などが口語を取り容れてゐる、というたところで、名詞に止つてゐるので、一つの短歌の全体の発想には、大した影響を持つてゐないものである。西行あたりになると、まゝ、会話語と文章語との判断を誤つたらしいふつゝかさが見えてゐる。さうして全発想に深い影響のある動詞・副詞などにも、会話語が尠からず混じてゐる容子である。が併し、これは西行の出身が、もと〳〵無学であるべき筈なのであるから、不思議はない。山家集を見て、折々さうした処に気のつくのは、会話語の発想法が、まだ、純化を経て取り入れられてゐなかつた証拠である。景樹なんどは、あれでなか〳〵動揺した男で、「一寝入りせし花の蔭かな」「それそこに豆腐屋の声聞ゆなり」などの試みをしてゐる。けれども、これも口語をもつて文語的発想を試みた、と言ひ換へる方が寧適当であらう。代々の俗謡類を見ても、必会話語その儘を用ゐたものとは思はれない。どうしてもいくらか宛形式化し、硬化させてゐる傾きがある。して見れば、短歌の上には何時も、文語即古語・死語・普通文語ばかりを用ゐてゐねばならないであらうか。古語・死語の利用範囲も限りがあらうし、現代の文語でもだん〳〵硬化の度を増すに連れて、生き〳〵とした実感を現すことが出来なくなる。限りある言語を以て、極りなくわれ〳〵の内界を具象して行かうとするには、幾分の無理が残る。譬ひ現代語の表さないものを、古語・死語が持つてゐるにしても、無限に内的過程を説明してゆくことの出来よう筈がない。我々はどうしても、口語の発想法を利用せなければならぬ場合に、今立ち到つてゐるのである。其で、いよ〳〵、口語の方から、或補充を求めるとなると、まづわれ〳〵の態度をきめて置く必要がある。其は、(一)若し、文語と口語とが同量の内容を持つてゐるものとしたならば、口語の方を採らないこと。甚常識的な物言ひの様であるが、形式が違へば、自ら内容の範囲も変つて来なければならない訣で、かういふ場合はあまり無いのであるが、悟性が如何に鋭敏に働いても、知性がこれに伴うて、微細な区別までも意識するといふ事は、総ての人に予期せられない事である。豊富な学才と、敏感とを備へた歌人、並びに読者の少い世の中では、事実、この条件は無用な事かも知れない。(二)文語に直訳してはならないこと。「春日野に若菜を摘めばわれながら昔の人の心地こそすれ」(景樹)に於ては、われながらの口語らしい臭ひが著しく鼻に附く。これは無意識ながら口語的発想を直訳したので、無機的に固定してゐる。(三)口語的発想法を用ゐるなら、歌全体に脈搏の伝つてゐるものでなくてはならぬ。水に油を雑へたやうなものであつては、邪魔にこそなれ、口語を取り容れた価値はないのである。大正五年十二月号の「煙草の花」に見えた、白秋氏の「たまらず雀が可愛くなるの」ののは、固定してゐる。言ひ換へれば有機的でないので、そこに一種の嫌味が生じたのである。部分的に、口語と文語の発想法が存在してゐるやうでは駄目である。(四)また、口語的発想は、どうかすると散文的に流れ易い。此はとりわけ、避けねばならぬことで、景樹のわれながらは一首に律文情調の漲ることを碍げてゐる。白秋氏のかあゆくなるのも固定してゐる為に、散文に過ぎなくなつてしまつた。(五)また、口語的発想法を用ゐるには、厳密な観照態度を用ゐなければならぬ。若し、明徹した意識を働すことを閑却してをつたら、とんでもない発想法を捉へて得々とするやうな事があるであらう。景樹の場合でも、観照を怠つた為に、作者の小主観を表すわれながらといふ、不快な口語脈が混入して来たのである。(六)口語を用ゐる以上は、これまでの文語では表し了せなかつた、曲折・気分を表さなければならぬ。白秋氏の場合にかあゆくなるのが遊戯的に聞えるのは、単に新しい刺戟を求めたゞけに止つて、特殊の発想法を要求してゐなかつたからである。「アラヽギ」同人が、近年口語から発見して来た、不可抗力を表はす「──ねば・ならねば」などは貴い収穫である。とはいへ事実、この古典的な詩形に、ある革命を起さうとするのであるから、単なる内容の改革のやうな苦悶には止らない。それに較べては、単に材料を提供するばかりではなく、其材料をどう取り扱ふかを問題にしてゐるのであるから、その困難は尋常一様なことではない。言ひ換へれば、一々の場合に深く観照して適切な発想法を捉へなければならないのである。
明治の新派和歌では、服部躬治氏の試みられた安房歌(「迦具土」)が此種の最初のものであらうが、全体的に生命が律動してゐない。又此と反対に、子規氏は通常語から文語に直訳を試みて、ひずりぶみ(新聞紙)・さむさはかり(寒暖計)・ていぶるの高足机などいふ新造語を拵へたが、俳諧趣味からの出来心であつた。其他近年になつて、西出朝風氏の口語短歌が現れたが、これは叙述語を口語にした、といふだけのもので、白秋氏のかあゆくなるのほどにも練れてゐなかつた。わたしが述べた数个条の用意を忘れて、口語短歌を作るものがあつたら、それは必、失敗に終ることが予言せられる。譬ひ短歌全体を口語で組みたてゝも、畢竟無駄な話しである。
底本:「折口信夫全集 12」中央公論社
1996(平成8)年3月25日初版発行
初出:「アララギ 第十巻第三号」
1917(大正6)年3月
※底本の題名の下に書かれている「大正六年三月「アララギ」第十巻第三号」はファイル末の「初出」欄に移しました
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2008年8月10日作成
青空文庫作成ファイル:
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