語部と叙事詩と
折口信夫



私は、語部の職掌及び、其伝承した叙事詩の存在した事を、十数年以来主張して来た。語部が、対話として散文的に古い説話を記憶して、話し聞かした事だけは、反対する人もなかつたが、その伝承の対象が叙事詩の形を持つて居り、其を暗誦したり、聞かしたりするのは、ある節まはしで謡うたものだといふ点には、反対する人が、陰に陽にかなりあつた。私の考へはじめは、「かたる」といふ語の用語例から出発して、万葉集その他のかたるの意義をしらべた辺から出て居る。其れに自信を添へる事の出来る様になつたのは、金田一京助先生が、年々夏には、「北海道あいぬ」を調査に行かれて、所謂「蝦夷浄瑠璃」の採集から、驚くべき分量の詞曲・神曲(同先生の用語)のある事を発見せられた旅行の土産話を、先生の口づから聴かして頂いた時からである。この先生から得た学問上の得分は沢山あるが、語部に対する暗示は、この章のはじめに記して、深い御礼心を表したい。それと共に、此章が、その下された暗示から成長して、ともかくも古代生活の大きな一方面に探りだけでも入れる事の出来た業蹟を見て頂いて、行供養ギヤウクヤウの微意をお目にかけようと思ふのである。

語部の伝承が、叙事詩は勿論曲節もないとする人は今もある。人によると語部の職掌が、説話伝承でなかつたとまで言ふ向きもあつた。其等の人の考へに対しては、此章自身が適当な返事となる事と信じて、一々は論じない。

生活条件を同じくした村も異にした村もあつて、其が引き続いて前期王朝に及んだとすると、勿論習俗の同化したのもあり、頑固に他の村国の影響を拒んだ村国もあつたであらう。而も、ある部分づゝは次第に風化せられたものと見てよい。併し、語部なる職業団体を初めから──常識的に言うて──持つて居た村国と其をまねた村国と、さうした部曲を置かずにとほした地方とがあつたと考へるが正しい。こゝには、語部のない村国は考へる事が出来ないから、第一次的第二次的、いづれにせよ、此団体組織の備つて居た土地に就いてばかり論じる。が、自然国中全体に此組織が行はれて居たものと言つた表し方をとることがあるかも知れない。けれどもどこまでも、此を持たなかつた村国は問題の外になつて居るものと見てほしい。

語部の事を説く前に、叙事詩の発生を言ふ必要がある。

「よごと」の章に述べた様に、よごとの中に、祝福風の発想と、圧服式の表現とがある。とこよまれびと名のりによつて、土地の精霊の名のりを促す形の一つ前の姿は、まれびと自身の種姓スジヤウを名のつて地霊を脅かす方法と、地霊の種姓を、こちらから暴露する為方とがあつた。種姓アカしが呪言としての威力発揮の一つの手段であつたのが、段々分化して種姓明しの口頭文章の内容が、歴史観念を邑々の人の心に栽ゑつける。而も呪言としての利用尠くなつた文章にも、やはり勿論神言の威力は存在したので、叙事詩が純粋の歴史伝承ととり扱はれる様になつた時代はあつたか、どうか断言出来ない。まれびと及び其眷属の物語、地霊の来歴などが、時を経て段々長い形の物になつて来た。地霊が恣に発言する時期が来ると、地霊自身の名のつた種姓明しの文章が、限りなく殖えて来る。さうして、地霊が、神社の神として祀られる前期王朝になると、地霊の託宣自身が、まれびと又は天つ神の呪言・種姓明しとおなじ威力を持つものとせられる様になつた様である。かうなると、種姓明しの託宣が殖えて来る。祀られない神が新しく祀りを享けようとし、祟り神が「何処の神が何故に祟つたか」など説明する場合が多くなつたからである。

一方、初めに戻つて、歴史観念が出て来ると、邑・家・土地の歴史を知りたく思ふ邑人の意思が神人に反影して、神話にさうした方面が多くなつて来る。邑の来歴は、邑君の家の歴史と一つであり、土地についた説明も、其に関聯して託宣に表れて来る。而も家の歴史の中、又一つの大切の部分が派生して来る。其は、邑君の家の系統を伝へる口頭の系図である。

神託宣から発した歴史には系図も含まれて共に伝承せられたのが、後には此だけを分離して口誦する様にもなつた。

その口頭歴史伝承は、「ものがたり」と言ひ、系図は「つぎ」を語根として語を作つて居た事は、宮廷の「ひつぎ」諸氏の「つぎ─ぶみ」などから察せられる。奈良朝以前の「つぐ」は「つゞく」と同じ用語例であるから、連続を意味して居るのである。

語部の職掌が色々の神事に亘つて居た地方もあらうが、正確には、歴史伝承系図伝承を本職としたのであらう。

物語なる歴史伝承は、何故律文の形をとり、曲節を持つて居たか。これも既に述べた事であるが、神憑りの状態に陥つた人の生理作用が律動的になる為に心理作用も其に伴うて調子を持つて来る。其際に神憑り人の口に託し発せられる神語は、律文の形をとる様になる。その律文としての口頭歴史伝承は、神語である故に、一時的に消える事なく、神人の口に伝承せられる。

神人は、神語の威力を信じて居るから、記憶の誤りのない様に努めたに相違ないが、長短種々の叙事詩を諳誦して居る為、段々章句が錯乱して、他の叙事詩の語などをとりこんで来る。其上、知らず知らずの間に、文章の分量が殖えて来る事もあつたらしい。改作・増補の積りなくても、長い年月の間に、厳粛に守り伝へるはずの神語の叙事詩も、かなりの変形をする。同時に、未開の邑落生活では、言語の生滅・音韻の転訛が甚しい為に、叙事詩の中の用語の死語となる事が速い。さう言ふ点からも、合理的の解釈を加へる所から、発音変化や、文句の攙入・改竄などが、無意識の間に行はれる。又一方さうした心理のはたらかなかつた部分などは、奈良朝或は其以前既にわからぬ文章としてそのまゝ伝へられたものもある。最後の章に古代文章の解剖を試みて置いた。其を見れば、口頭文章の伝承の真の姿が訣つて貰へる事と考へる。

叙事詩の変化の経路はこの外に、尚有力な道筋がある。別種の叙事詩を誤解或は記憶違へから併合する事がある。とりわけ甚しいのは、古い叙事詩ほど一人称表現をとる為に文の主人公の名を文章の中に表さぬ所から、主人公が入り替る場合も出て来る。神の叙事詩が、人間の英雄の物語と伝へられる様になつた事もある様である。

では、古代叙事詩には、人の作為を加へたものがなかつたか。

神授の叙事詩の外に、人作のものもあつた事が想像せられる。

文字の利用せられなかつた時代、文字が来ても其権威を感じる事の浅かつた時代──これは、かなり後まで続いて居た──国家の永続に自信のなかつた時代からの引き続きとして、血統の断絶の為に、家の口頭系図の伝承の絶える事を防ぐ為から出て、後は個人の存在・事業などの忘却せられない様に傾いた子代部・名代部など言ふ団体には、恐らく新しい意味の叙事詩及び系図の伝承といふ重大な職分があつた事と思ふ。子代・名代の民を立てる事は、即一つの村を作る事である。敵の多い国家よりも、村の永続を考へた時代の考へから続いてゐたのであつた。

其村の太祖と考へられて行くはずの人の伝記及び系図を、村の開立の時に与へて伝承させた事を考へなければ、子部・名部の設立があまりにはかない企てと思はれる。

やまとたけるの為に建部タケルベを、木梨軽太子の為に軽部カルベを立てた類は、死者の執念を開いて祟らぬ様に慰めたのであらう。此等は特殊なものである。やまとたけるには子孫があつた。これなどは、此例から説明せねば訣らぬ。やまとたける・木梨軽太子に関聯した叙事詩の断篇の宮廷詩及び、叙事詩から出たと信じられる伝説の多いのは、建部の民の村、軽部の民の村の新叙事詩が、諸方に撒布して、宮廷にまで入つたのではなからうか。かう言ふ風に考へると、磐之媛その他の伝記の長い人々には、さうした子部名部が在つて、新作の叙事詩を伝承して、前期王朝の中期飛鳥藤原時代には、古叙事詩と同様視せられる程になつて居たのだと思ふ。

底本:「折口信夫全集 4」中央公論社

   1995(平成7)年510日初版発行

※底本の題名の下には、「草稿」の表記があります。

入力:門田裕志

校正:仙酔ゑびす

2009年1031日作成

青空文庫作成ファイル:

このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。