天衣無縫
織田作之助



 みんなは私が鼻の上に汗をためて、息を弾ませて、小鳥みたいにちょんちょんとして、つまりいそいそとして、見合いに出掛けたといって嗤ったけれど、そんなことはない。いそいそなんぞ私はしやしなかった。といって、そんな時私たちの年頃の娘がわざとらしく口にする「いやでいやでたまらなかった」──それは嘘だ。恥かしいことだけど、どういう訳かその年になるまでついぞ縁談がなかったのだもの、まるでおろおろ小躍りしているはたの人たちほどではなかったにしても、矢張り二十四の年並みに少しは灯のつく想いに心が温まったのは事実だ。けれど、いそいそだなんて、そんなことはなかった。なんという事を言う人達だろう。

 想っただけでもいやな言葉だけど、華やかな結婚、そんなものを夢みているわけではなかった。貴公子や騎士の出現、ここにこうして書くだけでもぞっとする。けれど、私だって世間並みに一人の娘、矢張り何かが訪れて来そうな、思いも掛けぬことが起りそうな、そんな憧れ、といって悪ければ、期待はもっていた。だから、いきなり殺風景な写真を見せつけられ、うむを言わさず、見合いに行けと言われて、はいと承知して、いいえ、承知させられて、──そして私がいそいそと──、あんまりだ。殺風景ななどと、男の人の使うような言葉をもちいたが、全くその写真を見たときの私の気持はそれより外に現わせない。それとも、いっそ惨めと言おうか。それを考えてくれたら、鼻の上に汗をためて──そんな陰口は利けなかった筈だ。

 その写真の人は眼鏡を掛けていたのだ。と言ってもひとにはわかるまい。けれど、とにかく私にとっては、その人は眼鏡を掛けていたのだ。いや、こんな気障な言い方はよそう。──ほんとうに、まだ二十九だというのに、どうしてあんな眼鏡の掛け方をするのだろう。何故もっとしゃんと、──この頃は相当年輩の人だって随分お洒落で、太いセルロイドの縁を青年くさく皺の上に見せているのに、──まるでその人と来たら、わざとではないかとはじめ思った、思いたかったくらい、今にもずり落ちそうな、ついでに水洟も落ちそうな、泣くとき紐でこしらえた輪を薄い耳の肉から外して、硝子のくもりを太短い親指の先でこすって、はれぼったい瞼をちょっと動かす、──そんな仕種まで想像される、──一口に言えば爺むさい掛け方、いいえ、そんな言い方では言い足りない。風采の上がらぬ人といってもいろいろあるけれど、本当にどこから見ても風采が上がらぬ人ってそうたんとあるものではない、それをその人ばかりは、誰が見たって、この私の欲眼で見たって、──いや、止そう。私だってちょっとも綺麗じゃない。歯列を矯正したら、まだいくらか見られる、──いいえ、どっちみち私は醜女、しこめです。だから、その人だって、私の写真を見て、さぞがっかりしたことだろう。私の生れた大阪の方言でいえばおんべこちゃ、そう思って私はむしろおかしかった。あんまりおかしくて、涙が出て、折角縁談にありついたという気持がいっぺんに流されて、ざまあ見ろ。はしたない言葉まで思わず口ずさんで、悲しかった。浮々した気持なぞありようがなかった。くどいようだけれど、それだのにいそいそなんて、そんな……。

 もっとも、その当日、まるでお芝居に出るみたいに、生れてはじめて肌ぬぎになって背中にまでお白粉をつけるなど、念入りにお化粧したので、もう少しで約束の時間に遅れそうになり、大急ぎでかけつけたものだから、それを見合いはともかくそんな大袈裟な化粧をしたということにさすがに娘らしい興奮もあったものだから、いくらかいそいそしているように、はた眼には見えたのかも知れない。と、こう言い切ってしまっては至極あっけないが、いや、そう誤解されたと思っていることにしよう。

 とにかく出掛けた。ところが、約束の場所へそれこそ大急ぎでかけつけてみると、その人はまだ来ていなかった。別室とでもいうところでひっそり待っていると、仲人さんが顔を出し、実は親御さん達はとっくに見えているのだが、本人さんは都合で少し遅れることになった、というのは、本人さんは今日も仕事の関係上欠勤するわけにいかず、平常どおり出勤し、社がひけてからここへやって来ることになっているのだが、たぶん急に用事ができて脱けられぬと思う、よってもう暫らく待っていただけないか、いま社へ電話しているから、それにしても今日は良いお天気で本当に──、ぼうっとして顔もよう見なかったなんて恥かしいことにはなるまい、いいえ、ネクタイの好みが良いか悪いかまでちゃんと見届けてやるんだなどと、まるで浅ましく肚の中で眼をきょろつかせた意気込んだ気持がいっぺんにすかされたようで、いやだわ、いやだわ、こんなことなら来るんじゃなかったと、わざと二十歳前の娘みたいにくねくねとすね、それをはたの者がなだめる、──そんな騒ぎの、しかしどちらかといえば、ひそびそした時間が一時間経って、やっとその人は来た。赤い顔でふうふう息を弾ませ、酒をのんでいると一眼でわかった。

 あとで聞いたことだが、その人はその日社がひけて、かねての手筈どおり見合いの席へ行こうとしたところを、友達に一杯やろうかと誘われたのだった。見合いがあるからと断ればよいものを、そしてまたその口実なら立派に通る筈だのに、また、当然そう言わねばならぬのに、その人はそれが言えなかった。これは私にとって、どういうことになるんだろう。日頃、附合いの良いたちで、無理に誘われると断り切れなかったなんて、浅い口実だ。何ごとにつけてもいやと言い切れぬ気の弱いたちで……などといってみたところで、しかし外の場合と違うではないか。それとも見合いなんかどうでも良かったのだろうか。私なんかと見合いするのが恥かしくて、見合いに行くと言えなかったのだろうか。いずれにしても私は聞いて口惜しかった。けれど、いいえ、そんな風には考えたくなかった。矢張り見合いは気になっていたのだが、まだいくらか時間の余裕はあったから、少しだけつきあって、いよいよとなれば席を外して駈けつけよう、そんな風な虫のよいことを考えてついて行ったところ、こんどはその席を外すということが容易でなく、結局ずるずると引っ張られて、到頭遅刻してしまったのだ──と、そんな風に考えたかった。つまりは底抜けに気の弱い人、決して私との見合いを軽々しく考えたのでも、またわざと遅刻したのでもないと、ずっとあとになってからだが、そう考えることにした。するといくらか心慰まったが、それにしても随分頼りない人だということには変りはない。全くそれを聞かされた時は、何という頼りない人かとあきれるほど情けなかった。いや、頼りないといえば、そんな事情をきかされるまでもなく、既にその見合いの席上で簡単にわかってしまったことなのだ。遅刻はするし、酔っぱらっては来るし、もうこんな人とは結婚なんかするものかと思ったが、そう思ったことがかえって気が楽になったのか、相手が口を利かぬ前にこちらから物を言う気になり、大学では何を専攻されましたかと訊くと、はあ、線香ですか、好きです。頼りないというより、むしろ滑稽なくらいだった。誰も笑わず、けれど皆びっくりした。私は何故だか気の毒で、暫らく父御さんの顔を見られなかったが、やがて見ると、律義そうなその顔に猛烈な獅子鼻がさびしくのっかっており、そしてまたそれとそっくりの鼻がその人の顔にも野暮ったくくっついているのが、笑いたいほどおかしく分って、私は何ということもなしに憂鬱になり、結婚するものかという気持がますます強くなった。それでもう私はあと口も利かず、陰気な唇をじっと噛み続けたまま、そして見合いは終った。

 その時の私の態度と来たら、まるではたの人がはらはらしたくらい、不機嫌そのものであったから、もう私は嫌われたも同然だと、むしろサバサバする気持だったが、暫らくして来た返事は不思議にも気に入ったとのことで、すっかり驚いた。こちらからもすぐ返事して、異存はありませんと、簡単に目出度く、──ああ、恥かしいことだ。考える暇もなくとたんにそんな風に心を決めて、飛びつくように返事して、全く想えば恥かしい。あんな人とは絶対に結婚なんかするものかと、かたく心に決め、はたの人にもいっていたくらいだのに、まるで掌をかえすように──浅ましい。ほんとうに私は焦っていたのだろうか。もしそうなら、いっそう恥かしい。いいえ、そんなことはない。焦ったりなんぞ私はしやしなかった。ただ私は、人に好かれたかった、自分に自信をもちたかった、自分の容貌にさえ己惚れたかったのだ。だから、はじめて見合いして、仲人口を借りていえば、ほんとうに何から何まで気に入りましたといわれれば、私も女だ。いくらかその人を見直す気になり、ぼそんと笑ったときのその人の、びっくりするほど白い歯を想いだし、なんと上品な笑顔だったかと無理に自分に言いきかせて、これあるがために私も救われると、そんな生意気な表現を心に描いたのだった。私はそれまで男の人に好かれた経験はなかった。たとえ仲人口にしろ、何から何まで気に入りましたなんて、言われた経験はなかった。私がその時いくらか心ときめいたとしても、はしたないなぞと言わないでほしい。仲人さんのそのお言葉をきいた晩、更けてから、こっそり寝床で鏡を覗いたからって、嗤わないでほしい。

 ところが、何ということだ。その人がお友達に見合いの感想を問われて、語ったことには、──酔っぱらってしまって、どんな顔の女かさっぱり分らなかった。しかし、とにかく見合いをした以上、断るということは相手の心を傷つけることになる。見合いなんか一生のうちに一度すれば良いことだ。だから、ともかく貰うことにした、──それをあとでそのお友達が私に冗談紛れに言って下すった。私は恥かしくて、顔の上に火が走り、それがちらちら心を焼いて、己惚れも自信もすっかり跡形もなくなってしまった。すると、そのお友達はお饒舌の上に随分屁理屈屋さんで、だから奥さん、あなたは幸福ですよ。そして言うことには、僕の知ってる男で、嘘じゃない、六十回見合いをした奴がいます。それというのも奴さんも奴さんだが、奴さんのおふくろというのが俗にいう女傑なんで、あれでもなしこれでもなしとさまざま息子の嫁を探したあげく、到頭奴さんの勤めている工場の社長の家へ日参して、どうぞお宅のお嬢さんを伜の嫁にいただかせて下さいと、百万遍からたのみ、しまいには洋風の応接間の敷物の上にぺたりと土下座し、頭をすりつけ、結局ものにしたというんです。もっとも、奴さんはその工場でたった一人の大学出だということも社長のお眼鏡に適ったらしいんだが、なに、奴さん大学は中途退学で、履歴書をごまかして書いたんですよ。いまじゃ社長の女婿だというんで、工場長というのに収まってしまって、ついこの間まではダットサンを乗り廻わしていましたがね。ところで、奥さん、そんな男と結婚するよりは、軽部君と結婚した方がなんぼう幸福だか、いや、僕がいうまでもなく、既に軽部夫人のあなたの方がよく御存知だ。聞きたくなかった。そんなお談義聞きたくなかった。私はただ、何ということもなしに欺されたという想いのみが強く、そんなお談義は耳にはいらず、無性に腹が立って腹が立って、お友達にではない、あの人にでもない、自分自身に腹が立って……。しかし腹が立つといえば、いわゆる婚約期間中にも随分腹の立つことが多かった。ほんとうにしょっちゅう腹を立てて、自分でもあきれるくらい、自分がみじめに見えたくらい、また、あの人が気の毒になったくらい、けれど、あの人もいけなかった。

 婚約してから式を挙げるまで三月、その間何度かあの人と会い、一緒にお芝居へ行ったり、お食事をしたりしたが、そのはじめて二人きりでお会いした日のことはいまも忘れられない。いいえ、甘い想い出なんかのためではない。はっきり言えば、その反対だ。文楽へ連れてってやるとのことで、約束の時間に四ツ橋の文楽座の前へ出掛けたところ、文楽はもう三日前に千秋楽で、小屋が閉っていた。ひとけのない小屋の前でしょんぼり佇んで、あの人の来るのを待った。約束の時間はとっくに来ているのに、眼鏡を掛けたあの人はなかなかやって来なかった。誰かが見て嗤ってやしないだろうかと、思わずそのあたりきょろきょろ見廻わす自分が、可哀想だった。待ち呆けをくっている女の子の姿勢で、ハンドバックからあの人の手紙をだして、読み直してみた。その日の打ち合わせを書いたほかに、僕は文楽が大好きです、ことに文三の人形はあなたにも是非見せてあげたいなどとあり、そのみみずが這うような文字で書かれた手紙が改めていやになった。それに文三とは誰だろう。そんな人形使いはいない。たぶん文五郎と栄三をごっちゃにしたのだろう。おまけに文楽が文薬となっており、東京の帝国大学を出た人にこんな人がざらにいるとすれば、ほんとうにおかしな、由々しいことだと、私は眼玉をくるくる動かして腹を立てていた。散々待たせて、あの人はのそっとやって来、じつは欠勤した同僚の仕事をかわってやっていたため遅れたのだ、と口のなかでもぐもぐ弁解した。一時間待ちましたわ、と本を読むような調子で言うと、はあ、一時間も待ちましたか。文楽は今日はございませんのよ、と言うと、はあ、文楽は今日はありませんか。人の口真似ばかしするのだ。御堂筋を並んで歩きながら、風がありますから今日はいくらか寒いですわねと言うと、はあ、寒いですな、風があるからと口のなかでもぐもぐ……、それでなくてさえ十分腹を立てていた私は、川の中へ飛び込んでやろうかと思った。そんな私の気持があの人に通じたかどうか、文楽のかわりにと連れて行って下すったのが、ほかに行くところもあろうに法善寺の寄席の花月だった。何も寄席だからわるいというわけではないが、矢張り婚約の若い男女が二人ではじめて行くとすれば、音楽会だとかお芝居だとかシネマだとか適当な場所が考えられそうなもの、それを落語や手品や漫才では、しんみりの仕様もないではないか、とそんなことを考えていると、ちっとも笑えなかった。寄席を出るともう大ぶ更かったから、家まで送ってもらったが、駅から家まで八丁の、暗いさびしい道を肩を並べて歩きながら、私は強情にひとことも口を利かなかった。じつは恥かしいことだが、おなかが空いて、ペコペコだったのだ。あの人は私に夕飯をご馳走するのを忘れていたのだ。なんて気の利かない、間抜けた人だろうと、一晩中眉をひそめていた。

 しかし、その次会うた時はさすがにこの前の手抜かりに気がついたのか、まず夕飯に誘って下すった。あらかじめ考えて置いたのだろう、迷わずにすっと連れて行って下すったのは、冬の夜に適わしい道頓堀のかき舟で、酢がきやお雑炊や、フライまでいただいた。ときどき波が来て私たちの坐っている床がちょっと揺れたり、川に映っている対岸の灯が湯気曇りした硝子障子越しにながめられたり、ほんとうに許嫁どうしが会うているというほのぼのした気持を味わうのにそう苦心は要らなかったほど、思いがけなく心愉しかったが、いざお勘定という時になって、そんな気持はいっぺんに萎えてしまった。仲居さんが差し出したお勘定書を見た途端、あの人は失敗しもたと叫んで、白い歯の間からぺろりと舌をだした。そしてみるみる蒼くなった。中腰のままだった。仲居さんは、あの人が財布の中のお金を取り出すのに、不自然なほど手間が掛るので、諦めてぺたりと坐りこんで、煙草すら吸いかねまい恰好で、だらしなく火鉢に手を掛け、じろじろ私の方を見るのだった。何という不作法な仲居さんだろうか、と私はぷいと横をむいたままでいたが、あ、お勘定が足りないのだとすぐ気がつきハンドバックから財布を出して、黙ってあの人の前へおしやり、ああ恥かしい、恥かしいと半分心のなかで泣きだしていた。それでやっとお勘定もお祝儀もすませることが出来たのだが、もしその時私がそうたくさん持ち合わせがなかったら、どんなことになっただろう。想ってもぞっとする。そんなこともあろうかと考えたわけではないが、とにかく女の私でさえちゃんと用意して来ているのに、ほんとうにこの人と来たら、お勘定が足りないなんてどんな気でいるのだろうか、それも貧乏でお金が無いというのならともかく、ちゃんとした親御さんもあり、無ければ無いで外の場合ではないんだし、その旨言って貰うことも出来た筈だのに……と、もう一月も間がない結婚のことを想って、私は悲しかった。

 ところが、あとでわかったことだが、ほんとうは矢張りその日の用意にと親御さんから貰っていたのだ。それをあの人は昼間会社で同僚に無心されて、断り切れず貸してやったのだった。それであといくらも残らなかったがたぶん足りるだろうとのんきなことを考えながら、私をかき船に誘ったということだった。しかし、いくらのんきとはいえ、さすがに心配で、足りるだろうか、足りなければどうしようかなど考えながら食べていると、まるで味などわからなかったと言う。なるほどそう言えば、私が話しかけてもとんちんかんな受け答えばかししていたのは、いつものこととはいいながら、ひとつにはやはりそのせいもあったのかも知れない。それにしても、そんな心配をするくらいなら、また、もしかすると私にも恥をかかすようなことになるとわかっているのだから、同僚に無心された時、いっそきっぱりと断ったらよかりそうなものだ、また、そうするのが当然なのだ、と、それをきいた時私は思ったが、それがあの人には出来ないのだ。気性として出来ないのだ。しかもそれは、なにも今日明日に始まったことではなく、じつはあの人のお饒舌のお友達に言わせると、京都の高等学校にいた頃からのわるい癖なのだそうだ。

 その頃あの人は、人の顔さえ見れば、金貸したろか金貸したろか、と、まるで口癖めいて言っていたという。だから、はじめのうちは、こいつ失敬な奴だ、金があると思って、いやに見せびらかしてやがるなどと、随分誤解されていたらしい。ところが、事実あの人には五十銭の金もない時がしばしばであった。校内の食堂はむろん、あちこちの飯屋でも随分昼飯代を借りていて、いわばけっして人に金を貸すべき状態ではなかった。それをそんな風に金貸したろかと言いふらし、また、頼まれると、めったにいやとはいわず、即座によっしゃと安請合いするのは、たぶん底抜けのお人善しだったせいもあるだろうが、一つには、至極のんきなたちで、たやすく金策できるように思い込んでしまうからなのである。ところが、それが容易でない。他の人は知らず、ことにあの人にとってはそれはむしろ絶望的と言ってもよいくらいなのである。

 頼まれて、よっしゃ、今ないけど直ぐこしらえて来たる、二時間だけ待っててくれへんかと言って、教室を飛び出すものの、じつはあの人には金策の当てが全くないのだ。こうーつと、いろいろと考えていると、頭が痛くなり、しまいには、何が因果で金借りに走りまわらんならんと思うのだが、けれど、頼まれた以上、というのはつまり請合った以上というのに外ならないのだが、あの人にとってはもはや金策は義務にひとしい。だから、まず順序として、親戚で借りることを考えてみる。京都には親戚が二軒、下鴨と鹿ヶ谷にあり、さて学校から歩いて行ってどっちの方が近いかなどとは、この際贅沢な考え、じつのところどちらへも行きたくない。行けない。両方とも既にしばしば借りて相当借金も嵩んでいるのだ。といって、ほかに心当りもなく、自然あの人の足はうかうかと下鴨なら下鴨へ来てしまう。けれど、門をくぐる気はせず、暫らく佇んで引きかえし、こんどはもう一方の鹿ヶ谷まで行く。下鴨から鹿ヶ谷までかなりの道のりだが、なぜだか市電に乗る気はせず、せかせかと歩くのだ。

 そんなあの人の恰好が眼に見えるようだ。高等学校の生徒らしく、お尻に手拭いをぶら下げているのだが、それが妙に塩垂れて、たぶん一向に威勢のあがらぬ恰好だったろう。いや、それに違いあるまい。その頃も眼鏡を、そう、きっと掛けていたことだろう。爺むさい掛け方で……。

 やがて、あの人は銀閣寺の停留所附近から疏水伝いに折れて、やっと鹿ヶ谷まで辿りつく。けれど、やはり肝心の家の門はくぐらず、せかせかと素通りしてしまう。そしてちょっと考えて、神楽坂の方へとぼとぼ……、その坂下のごみごみした小路のなかに学生相手の小質屋があり、今はそこを唯一のたのみとしているわけだが、しかし質種はない。いろいろ考えた末、ポケットにさしてある万年筆に思い当り、そや、これで十円借りようと、のんきなことを考える。むろん誰が考えても無謀な考えにちがいないが、あの人はしばらくその無謀さに気がつかない。なんとかなるだろうと、ふらふらと暖簾をくぐり、そして簡単に恥をかかされて、外に出ると、大学の時計台が見え、もう約束の二時間は経っているのだった。いつものことなのだそうだ。

 あ、軽部の奴また待ち呆けくわせやがったと、相手の人がぷりぷりしている頃、あの人は京阪電車に乗っている。じつは約束を忘れたわけではなく、それどころか、最後の切札に、大阪の実家へ無心に帰るのである。たび重なって言いにくいところを、これも約束した手前だと、無理矢理勇気をつけ、誤魔化して貰い、そして再び京都に戻って来ると、もうすっかり黄昏で、しびれをきらした友達がいつまでも約束の場所に待っている筈もない。失敗しもた、とあの人は約束の時間におくれたことに改めて思いあたり、そして京都の夜の町をかけずりまわって、その友達を探すのである。ところが、せかせかと空しく探し歩いているうちに、ひょっくり、別の友達に出くわし、いきなり、金貸してくれと言われるが、無いとも貸せぬともあの人は言えぬ。と、いって、はじめの人に渡すつもりの金ゆえ、すぐよっしゃとはさすがに言えず、しばらくもぐもぐためらっている。が、結局うやむやのうちに借りられてしまうのである。

 ところが、はじめのうち誰もそんな事情は知らなかった。わざわざ大阪まで金策に行ったとは想像もつかなかった。だから、待ち呆けくわされてみると、なんだか一杯くわされたような気がするのである。いやとは言えない性格だというところにつけこんで、利用してやろうという気もいくらかあったから、ますます一杯くわされた気持が強いのだ。金貸したろかなどという口癖は、まるでそんな、利用してやろうなどといういやしい気持を見すかしてのことではなかろうかとすら思われたのだ。しかし、やがてあの人にはそんな悪気は些かもないことがわかった。自分で使うよりは友人に使ってもらう方がずっと有意義だという綺麗な気持、いやそれすらも自ら気づいてない、いわば単なる底ぬけのお人よしだからだとわかった。すると、もう誰もみな安心して平気であの人を利用するようになった。ところが、今まで人の顔さえ見れば、金貸したろか金貸したろかと利用されてばかしいたあの人が、やがて、人の顔さえ見れば、金貸してくれ金貸してくれと言うようになった。にたっと笑いながら、金もってへんかと言うのだ。変ったというより、つまりしょっちゅう人に借りられているため、いよいよのっぴきならぬほど金に困って来たと見るべきところだろうが、ともかくこれまで随分馬鹿にし切っていたから、その変り方には皆は驚いた。ことにその笑顔には弱った。これまで散々利用して来たこちらの醜い心を見すかすような笑顔なのだ。だからあれば無論のこと、無くてもいやとは言えないのだ。げんにあの人は無い場合でもよっしゃとひき受けたのである。それを利用して来た手前でも、そんなことは言えぬ。けれど、誰もあの人のような風には出来ぬ。だから、無ければ無いと断る。すると、あの人はにたっと笑ってもう二度とその言葉をくりかえさぬ。あれば貸すんだがと弁解すると、いや、構めへん、構めへんとあっさり言う。しかし、その何気ない言い方が、思いがけなく皆の心につき刺さるのだ。皆は自分たちの醜い心にはじめて思いあたり、もはやあの人の前で頭の上がらぬ想いに顔をしかめてしまうのだった……。

 と、そんな昔話をながながと語った挙句、その理屈屋のお友達は、全く軽部君の前ではつくづく自分の醜さがいやになりましたよと言ったが、あの人に金を借りられてあの人の立派さがわかったなんて、ほんとうにおかしなことを言う人だ。あの人はそんなに立派な人だろうか。私もあの人に金を借りられたが、ちっともそんなことは感じなかった。いや、むしろますますあの人に絶望したくらいだ。

 それはもう式も間近かに迫ったある日のこと、はたの人にすすめられて、美粧院へ行ったかえり、心斎橋筋の雑閙のなかで、ちょこちょここちらへ歩いて来るあの人の姿を見つけ、あらと立ちすくんでいると、向うでも気づき、えへっといった笑い顔で寄って来て、どちらへとも何とも挨拶せぬまえから、いきなり、ああ、ええとこで会うた、ちょっと金貸してくれはれしまへんかと言って、にたにた笑っているのだ。火の出る想いがし、もじもじしていると、二円でよろしい。あきれながら渡すと、ちょっと急ぎますよってとぴょこんと頭を下げて、すーと行ってしまった。心斎橋筋の雑閙のなかでひともあろうに許嫁に小銭を借りるなんて、これが私の夫になる人のすることなのか、と地団駄踏みながら家に帰り、破約するのは今だと家の人にそのことを話したが、父は、へえ? 軽部君がねえ、そんなことをやったかねえ、こいつは愉快だ、と上機嫌に笑うばかりで、てんで私の話なんか受けつけようとしなかった。私はなんだか自分までが馬鹿にされたような気になり、ああ、いやだ、いやだ、昼行燈みたいにぼうっとして、頼りない人だと思っていたら、道の真中で私に金を借りるような心臓の強いところがあったり、ほんとうに私は不幸だわ、と白い歯をむきだして不貞くされていた。すると、母は、何を言います、夫のものは妻のもの、妻のものは夫のもの、いったいあんたは小さい時から人に金を貸すのがいやで、妹なんかにでも随分けちくさかったが、たかだか二円のことじゃありませんか、と妙に見当はずれた、しかし痛いことを言い、そして、あんたは軽部さんのことそんな風に言うけれど、私はなんだか素直な、初心な人だと思うよ、変に小才の利いた、きびきびした人の所へお嫁にやって、今頃は虐められてるんじゃないかと思うより、軽部さんのような人の所へやる方が、いくら安心か分りゃしない云々。巧い理屈もあるものだと聞いていると、母は、それにねえ、よく世間で言うじゃないか。女房の尻に敷かれる人はかえって出世するものだって……。ああ、いやらしい言葉だと私は眉をひそめたが、あとでその母の言葉をつくづく考えて、なぜだかはっとした。

 二月の吉日、式を挙げて、直ぐ軽部清正、同政子(旧姓都出)と二人の名を並べた結婚通知状を三百通、知人という知人へ一人残らず送った。勿論私の入智慧、というほどのたいしたことではないけれど、しかしそんな些細なことすら放って置けばあの人は気がつかず、紙質、活字の指定、見本刷りの校正まで私が眼を通した。それから間もなく私は、さきに書いたような、金銭に関するあの人の悪い癖を聞いたので、直ぐあの人に以後絶対に他人には金を貸しませんと誓わせ、なお、毎日二回ずつあの人の財布のなかに入れてやるほかは、余分な金を持たせず、月給日には私が社の会計へ行って貰った。毎日財布を調べて支出の内容をきびしくきくのは勿論である。そんな風に厳重にしたので、まず大丈夫だと思っていたところ、ある日、あの人の留守中見知らぬ人が訪ねて来て、いきなり僕八木沢ですと言い、あと何にも言わずもじもじしているので、薄気味悪くなり、何か御用事ですかときくと、その人はちょっと妙な顔をして、奥さん、何にも軽部君からお聞きじゃないのですかと言う。思わずどきんとして、いいえと答えると、その人は、実は軽部君からお金を借りることになっているのですが、軽部君のおっしゃるのには女房にその旨話して置くから家へ来て女房から貰ってくれということでしたので、約束どおり参ったようなわけなんですと言い、それじゃほんとうに奥さんは何にも御存知なかったんですな、軽部君は何にも話しておいてくれなかったんですなと、驚いた顔にいくらかむっとした色を浮べた。なるほどあの人のやりそうなことだ、と私はその人の言うことを全部信用したが、といって聞いてもいないのに見知らぬ人に貸せるわけもなく、さまざまいいわけして帰って貰い、気まりがわるいというより、ほんとうに気の毒だった。夜、あの人が帰って来るなり、はしたないことだが、いきなり胸倉を掴まえてそのことをきくと、案の定、言いそびれててん、とぼそんとした。私は自分でも恥かしいくらい大きな声になり、あなたはそれで平気なんですか、八木沢さんが今日来られることはわかってたんでしょう、八木沢さんになんと弁解するおつもりですとわめき立てた。すると、あの人は急に悲しい顔をして、八木沢君にはいま金もって行ったから、それで済んだと言った。そのお金はどうしたんですか、どこでつくったんですか。そう言いながら、ふとあの人の胸のあたりを見ると、いつもと容子がちがう。驚いてオーバーを脱がせた。案の定、上着もチョッキもなかった。質入れしたのだ、ときくまでもなくわかり、私ははじめてあの人を折檻した。自分がヒステリーになったかと思ったくらい、きつく折檻した。しかし、私がそんな手荒なことをしたと言って、誰も責めないでほしい。私の身になってみたら、誰でも一度はそんな風にしたくなる筈だ。といっても、私の言ってるのは、何もただ質入れのことだけじゃない。あの人は私に折檻されながら、酒をのんでるわけでもないのに、いつの間にかすやすやと眠ってしまった。ほんとうにそう言う人なのだ。それを私は言いたいのです。結果があとさきになったけれど、誰だってそんな風に眠ってしまうあの人を見れば、折檻したくなるではないか。少なくとも小突いたり、鼻をつまんだり、そんな苛め方をしてみたくなる筈だ。嘘と思うなら、あの人と結婚してみるがいい。いいえ、誰もあの人と結婚することは出来ない。私はあの人の妻だもの。そんな風にして眠ってしまったあの人の寝顔を見ていると、私は急にあてどもない嫉妬を感じた。あの人は私のもの、私だけのものだ。私は妊娠しているのです。

 私は生れて来る子供のためにもあの人に偉くなって貰わねばと思い、以前よりまして声をはげまして、あの人にそう言うようになったが、あの人はちっとも偉くならない。女房の尻に敷かれる人はかえって出世するものだ、と母が言った言葉は出鱈目だろうか。それともあの人はちっとも私の尻に敷かれていないのだろうか。ともかくあの人は、会社の年に二回の恒例昇給にも取り残されることがしばしばなのだ。あの人の社には帝大出の人はほかに沢山いるわけではなし、また、あの人はひと一倍働き者で、遅刻も早引も欠席もしないで、いいえ、私がさせないで、勤勉につとめているのに、賞与までひとより少ないとはどうしたことであろうと、私は不思議でならなかったが、じつはあの人は出退のタイムレコードを押すことをいつも忘れているので、庶務の方ではあの人がいつも無届欠勤をしているようにとっていたのだ、とわかった。一事が万事、なるほど昇給に取り残されるのも無理はないと悲しくわかり、その旨あの人にきつく言うと、あの人は、そんなことまでいちいち気をつけて偉くならんといかんのか、といつにない怖い顔をして私をにらみつけた。そして、昼間はひとの分まで仕事を引き受けて、よほど疲れるのだろうか、すぐ横になって、寝入ってしまうのでした。

底本:「定本織田作之助全集 第二巻」文泉堂出版

   1976(昭和51)年425日発行

   1995(平成7)年320日第3版発行

初出:「文芸」

   1942(昭和17)年4

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:桃沢まり

校正:小林繁雄

2008年88日作成

青空文庫作成ファイル:

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