道遠からん 四幕
──または 海女の女王はかうして選ばれた──
岸田國士



原始の面影をそのまゝ伝へたやうなところと、近代の文明が到りついたところとを、あらゆる点で混ぜ合せた、ある時代の、ある地方の漁村である。

女性によつて社会及び家庭生活の主導権が握られてゐるために生じた風俗の転倒がみられるほか、人間の思想にも心理にも、その未来像らしいものは少しも示されてゐない。両性はそれぞれ、両性にふさはしい習慣のいくらかを失つてゐるかもしれないが、それにも拘はらず、男は男、女は女にすぎぬことをしばしば立証する。


第一幕


漁師の住ひとわかるひろい部屋。右手は勝手の土間に通じてゐる。部屋は中庭からすぐに上れるやうになつてをり、中央に低いテーブル、その周囲に腰掛と茣蓙。ラヂオと煽風器。

年の頃まちまちな男たち、あはせて八、九人が、テーブルを中心に、思ひ思ひの姿勢で坐つてゐる。

シゲ、ナミ、フデ、ロク、ヒサ、サキ、アヤ、シノ、ユキである。


サキ  そんなこと、このおれが知るかい。おれは、自分の好き勝手で、この商売をはじめたんだ。別に誰にも気がねはいらねえと思ふんだ。女房を遊ばせとく法はねえと、お前らはいふが差引勘定、その方がどうもこつちの得になると思ふから、女房に暮し向きの心配はさせないだけよ。

フデ  口実はなんとでもつくさ。とにかく男の特権を放棄する前例を作つたなあよくないよ。みろ、そのうちに働きのある男でなけりや相手にしないつていふ、横着な娘ツ子がうようよでて来ないとも限らないから……。

シノ  さうよ。さうなれや、また、三百年前へ逆もどりだ。

サキ  そんな心配はいらねえよ。

アヤ  まつたくだ。そんな心配はいらねえ。そんな横着な娘ツ子はこつちが相手にしなけりやいいんだ。だが、床屋つて商売は、変な商売だよ。

フデ  しかし、考へてみれや、一番、力のいらない商売だなあ。

シノ  力はいらない。しかし、ちよつとした技術はいるなあ。その証拠に、サキのところが一番はやつてるもの。わしだつて町の床屋や、トチ婆さんのところへ行く気にはならないもの。

フデ  トチ婆さんに、首を撫でられると、おれはぞつとするよ。──お前の耳たぶはいい恰好だね、なんて、顔をくつつけて来やがるのさ。

アヤ  よせやい。お前はどうもよくねえ癖があるぞ。どういふ趣味だか知らねえが、四十婆の顔をみると、お世辞ばかりつかやがつて……。

フデ  だつて、女も絵になるのは、やつとその年頃だもの。それに落付いてポーズはするし、絵具代は出すし、よかつたら、その絵、買つたげるなんて、三十以下の女は、言つたためしがない。

アヤ  やい、シノ公。お前、今日は懐ろ加減はどうだ。

シノ  多少はもつてる。どうして?

アヤ  どうしてぢやねえよ。持つてるなら町へ行かう。

シノ  今からか? 今夜、ちよつと都合がわるいんだ。

アヤ  ひと晩ぐらゐ、すつぽかしてみなよ。あとが却つて面白いやな。

シノ  さうはいかないんだ。ちかごろの大将と来たら、お天気次第でどう出るかわからないんだよ。暇を出すなんて言ひかねないんだ。

アヤ  村会議長の十三号ともなれば、そんなにびくびくしなけれやならんのか。ぢや、今夜はゆるしてやるから、持つてるだけ、こつちへ出しな。

シノ  ひでえなあ。

アヤ  まあ、いいやな。その代り、いつかのことは黙つててやるよ。(シノから金を受けとる)

ロク  おいおい、アヤ公。いい加減にしろよ。

アヤ  なんだい、お前は! 誰に頼まれておれにお説教なんぞするんだ。シノの好意をおれが受けるのが、どこがわるいんだ。

ロク  わるくない。

フデ  シゲさん、もうそろそろ、やめようか。イワさんが帰つて来る時分だらう。

シゲ  なに、かまうこたあ、ないが……。もう、そんな、時間か?

ナミ  しかし、この村もだんだんうるさいことになつて来たなあ。町のハシリガネを買つた男は、いちいち、駐在へ届けることになるらしいぜ。

フデ  おれはもう、こんな村にはゐたくない。法律だとか、掟だとか、いろんなものを知らないうちにどしどし作つて、われわれ男をいやが上にも圧迫しようとする。

ヒサ  なにしろ自由がほしいよ。こんど出来た法律つてのは、みんなも聞いてるかい?

ナミ  おれや知らん。なんにも知らん。


この会話の間に、警官トラ、入つて来て、中庭をひとり行つたり来たりする。これはもちろん女で、玩具の兵隊のやうな制服に、光つた長靴、総のついた鞭を弄びながら、部屋の方へ時々、視線を放げ、そして、急に口を開く。


警官トラ  へえ、そいつをまだ知らんとは驚いたね。ナミさん、ほんとかい、それや?

ナミ  ほんとにもなにも、おれや、さういふことに、いつさい興味はないんだよ。

トラ  法律には興味をもたなくつたつて、法律にひつかゝらんとは限るまい?

サキ  おれも初耳だ。そんなことは、村で勝手に掟をこさへて、裁判もやるつて話は聞いたさ。どんな掟ができたのか、誰も知つちやゐめえ。

トラ  バカ云ひなさんな。ちやんと、役場の掲示板にも出てるし、布令も廻つた筈だ。床屋にも似合はない遅耳だね。

ロク  まつたくだ。だが、当節の床屋では、政治よりも色恋を談じる客が、多くなつたのは事実だ。

ヒサ  例へば、ロクさんが白髪を染めて、タツの家へちよいちよいネギをかついで行くつてやうな話かい?

ロク  人聞きのわるいことを云はんでくれ。なあ、トラさん。

トラ  それ。それ。油断をすると、ロクさんに限らず、うつかり貧窮者に施し物をしてみろ。今度の法律で、どえらい罰金がくるから……。

アヤ  なんでも罰金だつていふが、ちよつくら、細かいことを、トラさん、話してみてくれんかい?

トラ  そんな暇はない。それより、さつきの事件だ。誰も、これといふ心当りはないかね?

ロク  みだりに施しをなすものと云つたつて、寄附との限界が、これや、あいまいだ。

トラ  だからさ、法廷が、証拠に基いて、その裁定を下すのさ。女房に死なれて、その日の生活に困つてゐる男は、村の救済資金がこれを救ふんだ。個人がびた一文、米一粒でも、同情などといふ理由で、その男に与へたら、それはもう、立派に犯罪を構成する。ツユの場合は、即ち、それなんだ。当人は誰がおいて行くかわからんと云つてるが、三日にあげず、なにかしら、裏口の敷居の上においてある。わしは、密行で、それが男だとまではつきとめたんだが、それから先が、かいもくつかめない。後をつけようにも姿が暗闇で消えちまうんだ。

ロク  怪事件だな。

トラ  いゝかね。わしもからだはひとつきりなし……。みなの衆の協力が必要なんだ。

アヤ  わかつた。その仕事なら、やつぱし、海女の衆を狩り出すんだな。

トラ  協力つてのは、そこにゐる男衆のうちから、犯人はおれだ、と名乗り出てほしいんだ。

ナミ  男は、さう云つちやなんだが、ほかにも多勢ゐるぜ。

トラ  ゐる。だが、どうも、このへんが臭いんだ。

一つの声  ケッ!


長い間。


トラ  ぢや、云つとくがね。自分で名乗つて出るのがオックウなら、それはそれでいゝ。つかまつたら罰金は十倍だよ。

ロク  十倍は辛いね。

トラ  ロクさん、お前ぢやあるまいね。

ロク  なにが?

トラ  ゆうべ、ツユの家へ、ネギ運んでつたのは?

ロク  じようだん……。

シゲ  トラさん、まあいゝや。そんなキトクな犯人は、こゝにやゐないよ。それより、あの条項はどういふの? 妻ある男が他の女と通じた場合、妻の訴へによつて、男一女二の比例で科料に処せられるといふのは?

トラ  つまり、男が一万円なら女は二万円さ。

シゲ  そして、その科料が、妻への慰藉料になるわけ?

トラ  その通り。男に軽く女に重いところがこの罰則の妙味さ。

シゲ  なるほど。男に一万円の支払能力がない場合は?

トラ  科料は強制労働の賃金によつて、支弁することがゆるされてゐる。

シゲ  妻が立替へてくれん場合はだね。

トラ  お説の通り。

ロク  強制労働をさせる妻があつたら、この村もおしまひだ。

トラ  わしなら、させるね。

一つの声  ケッ!

トラ  (周囲をみまはしながら)今の、科料の話だが、わしもちよつと解釈に困つてるのは、兇器を使ふ喧嘩を禁じるのはいゝが、若しその禁を犯した場合、怪我をした方だけに罰金刑を科するのは、すこし行きすぎぢやないかと思ふよ。

シゲ  その罰金も勝つた方が貰ふのかい?

トラ  いや、それは村の収入になるんだ。


この時、美しいが、むつつりした娘、タケが海女のすがたで、桶を肩にかついではいつて来る。


タケ  ナミさんは、ゐないかい?

ナミ  ゐるよ。なんだい?

タケ  ちよつと、話があるから、そこまで来とくれ。

ナミ  話つて?(出て行く)

ヒサ  黙つてついてきや、わからあな。おい、ナミ、ロクさんに挨拶してけよ。

ロク  うるさい男だなあ、お前は。余計なお節介をやくひまに、自分の相手でもちやんと作つたらどうだ。

アヤ  まつたくだ。さつきの話、トラさんにしてみようか?

ヒサ  この野郎、そんなことしたら、承知しねえから……。

アヤ  おい、トラさん。あんまり罪を作んなさるなよ。

トラ  お黙り。事の序に、みなの衆にはつきり教へとくが、今度の掟のなかに、公職にあるものの任務を妨げ、或はこれに侮辱を加へたものは、一万円以上十五万円以下の罰金に処するとあるんだからね。

アヤ  なるほど、警官は公職か。ぢや、今のは取消しだ。しかし、あまたの男を悩殺する警官があるとしたら、この事実は罰金に値ひするかね?

シゲ  ちよつと聞きますがね。その公職者を侮辱したものの罰金も、やつぱし村の収入かね?

ロク  いや、それは、侮辱を受けた公職者の臨時収入だ。校長がさう云つとつた。

ヒサ  自分の神さんのことを、校長、校長はをかしいよ。ロクさん。

ロク  でも、校長なんだからしかたがない。なにか、校長に難癖をつけるかね? 名誉に拘はることでも、云つてみる気はないかね?

ヒサ  それで臨時収入をふやされちやかなはねえや。なあ、シゲさん。

シゲ  いや、実に、法律といふもんは面白いもんだ。わしもすこし、その道の研究をしてやらう。

トラ  さうとも、今にどんな時代が来るかわからないからね。男だつて、さうさう呑気にしちやゐられないよ。ぢや、みなの衆、わしはこれで引きあげる。油断をしなさんな、油断を……。後で泣きべそかいたつて、わしやしらんよ。あゝいゝ風だ。秋も間近に吹く風の、心にしみるあしたかな、か。(立ち去らうとする)

一つの声  ケッ!

トラ  (急にうしろを振り向き)もう容赦はしないよ。誰だ? さつきから、時々、変な声を出すのは? なんのために、いつたいぜんたい、そんな奇声を発するのか。このわしにわからんと思ふのか? とんだ間違ひだ。ちやんとわかつてる。なぜ堂々と反抗しないんだ? なぜに面と向つて侮辱しないんだ? え、いつたいぜんたい、なにがそんなにおそろしいのか?


一同無言。その間に、床屋サキの女房サダがそつと入つて来て、男たちを眺めまはす。身重であることがひと目でわかる。


トラ  卑怯きわまる。この犯人もきつとあげてみせるから、そのつもりでゐるがいゝ。(去る)

サダ  なにをあんなに怒らしちまつたんだい?

ロク  ほんとに、誰だい、あんな声を出すのは? 年寄には真似ようたつて出やしない。ケッ! か。

サダ  サキさん、お客がさつきから四人も待つてるんだよ。ダメぢやないか、商売をそんなに怠けちや……。

ヒサ  ちつたあ、怠けさしておくれよう、か。おい、サダさん、お前はこの村でたつた一人楽をしてる女だが、暇があるからつて、あんまり、その腹を若い男の前へ突き出してみせん方がいゝよ。


海の仕事を終つて、この家の女主人、イワが帰つて来る。男一同、座を起ちかける。


サダ  精が出るね、イワさん。

イワ  お前とは、口を利かん、女の恥さらし!

サダ  みんながさういふ意味、あたしにやわからないね。

イワ  おや、もうみんな帰るのかい? いゝよ、いゝよ。遠慮しなくつたつて……。どうせ、わしはまたすぐ出掛けるんだ。ゆつくりしてきなよ。おや、ロクさんも一緒かい? 珍しいね、若いもんの仲間入りは? 今そこで、校長さんに逢つたら、お前さんのことをちよつくらこぼしてたぜ。

ロク  へえ、それやまた、なんてね?

イワ  云はずにおかう。どうせ、おのろけ半分の悪口だもの。校長さんも、あゝみえて、なかなか亭主思ひなのに、わしやあきれたよ。

ロク  どうだか……。校長は一人だつたかい?

イワ  それが聞きたいんだらう。いや、もう一人、若い男がそばについてたよ。

ロク  小使のキクだらう?

イワ  さあ、どうだか……。あ、ヒサもゐるんだね。お前、トラと心易くしてるなあいゝが、あんまりちよこちよこするなよ。お巡りの手先みたいに思はれちや、自分の損だ。さ、茶漬でもかつ込んで、もうひと働きだ。シゲさん、お前、昼はまだかい?

シゲ  まだ……。おかずがなんにもない。

イワ  ヒモノぐらゐ自分で焼きなよ。世話のやける男だねえ。


勝手へ廻つて、火を起しかける。

男たち、ぞろぞろ、帰つて行く。ラヴェルの「孔雀」かなにかを合唱しながら、その後についてサダも、ぶらぶら歩き出す。男たちにふざけかけたりなどする。

シゲ、釣竿を取り出して、手入れをはじめる。


イワ  (奥から)今日はユラの顔がみえなかつたね。さういや、リキも朝から浜へ出て来ないんだ。あの夫婦も、変つた夫婦さ。仲がいゝんだか悪いんだか、わかりやしない。

シゲ  夫婦つてそんなもんだらう?

イワ  おや、覚つたやうなことをいふね。あたしのやり方に気に入らないとこでもあるのかい、お前さんも……?

シゲ  さういふわけぢやないさ。たゞ、ユラの話を聞いてると、男も、このまんまぢやいけないつて気がするんだよ。だから、おれは、ちつとばかし本なんか読んでみてるんだが、習慣をぬけきることは、なかなかむづかしいもんだ。

イワ  今さら、なにを云ひだすのさ。男がこのまんまぢや、どこがいけないのさ。早い話がお前のどこひとつ、あたしは悪いと思つてないよ。いつまでも、今のまんまでゐておくれよ。

シゲ  おれだつて別に、お前に不平を云つてるんぢやないよ。たゞ、一般に男つてもんが……。

イワ  よそのことはどうだつていゝぢやないか。あたしはさ、お前がたゞ病気にならずに、年もとらずに、面白く遊んでくれてれや、なにも文句はないのさ。

シゲ  うん、それはわかつてる。お前とおれの間にや、なにも問題はないさ。たゞ、この時代に生きるわれわれ男が、みんながみんな、女の力に依存してゐて、いゝかどうかつていふ問題だよ。

イワ  女がそれで満足なら、いゝぢやないか。

シゲ  いや、大昔の男は、今と逆に、自分が働いて女を食はすのが当然だと思つてゐた。ところが、時代がだんだん変つて、男も女に働いてもらふ方が都合がいゝといふことになつた。女も、それによつて、男と同等の地位を獲たと思つてゐた。それまではよかつた。ところが、今日はどうだ。男はなんにもしないでいい。女だけが働いて、女だけが考へて、女だけが一切の負担を負つてゐる。これは不公平だ。男は、もつと女を助け、女の力になり、女に必要な休息を与へなければならないといふことに、やつと気がつき出したんだ。

イワ  それぢや、また、昔に後もどりぢやないか。

シゲ  決してさうぢやない。おれたち男は、昔の女のやうに、奴隷の待遇に甘んじてはゐない。女はなるほど経済と政治とを支配してゐる。が、それは必ずしも、女が男の一切を支配し、その上に君臨してゐるわけぢやない。現代の女は家庭にゐて、昔の男のやうに暴君ではありえないんだ。

イワ  それもまあ、わかるにはわかるが、せつかくこゝまで来たんだから、なにも、わざわざ、その習慣を破る手はないよ。まあ、まあ、そんなに心配しないで、当分なんでも女に委しといたらいゝぢやないか。さ、お茶が沸いたよ。お膳そつちへ出さうか?

シゲ  あゝ、動くのが大儀だ。


イワ、膳を運んで来る。二人は箸をとる。シゲは、食事の間にも、釣竿をいぢりまはす。


イワ  そんな釣竿なんかいぢくつてどうするのさ。お前の釣つて来たハゼなんぞ、オカズの足しにもなりやしない。それより、ぐづぐづしてないで、町へでも遊びに行つて来なよ。お小遣はまだあるかい?

シゲ  おとといもらつたのが、まだそつくりそのまゝある。あ、さうでもないか。きのふ麻雀で二百円ばかりすつちまつた。

イワ  なんでもないさ、それつぱかり……。ぢや、そこの茶箪笥の上に五百いくらあるから、細かいのだけ残して、みんな持つて行きな。まさかの時に女房に、恥をかゝせないでおくれ。

シゲ  心配するなつてことよ。お前の働きものだつてことは、この村ぢゆうはおろか、町へ行つても評判だあな。おかげで、おれの肩身がひろいつちやないや。だが、あんまり無理をせんでくれよ。アワビ一つや二つで命をとられちや、なんにもならんからなあ。

イワ  余計なこと云ひなさんな。憚りながら、三分四十二秒つていふレコード持ちの海女あまが、そこいらのお茶ッぴいみたいに、岩穴にへばりついて、あぶくを吹くやうな真似はしやしないよ。そら、誰か来た。見つともないから、そんなものさつさと仕舞つて、さあ、そこにある男性公論でも読んでるふりをしといでよ。


海女の仲間で、同じ年頃のリキがはいつて来る。


イワ  おや、リキさん。今日はいやにおめかしをしてるね。なにか悲しいことでもあつたのかい?

リキ  悲しいことなんぞあるもんかね。腹が立つだけよ。うちの宿六がなにを思ひついたか当ててごらんよ。

シゲ  ユラ公は、近頃、退屈だ退屈だつてこぼしてたからなあ。

リキ  お前さんの知つたことぢやないよ。なあ、イワさん。うちの宿六は、男にしちや気が強い方だらう。だから、油断をすると、つまらない仕事に手を出したがるんだよ。いつの間にかミシンなんぞ買ひ込んで来てさ、いりもしない、わしのワン・ピースを縫つてやるなんてぬかすのさ。

イワ  いゝぢやないか、それくらゐのことはさせておおきよ。それも道楽だと思や、気がすむぢやないか。

リキ  世間がさうとつてくれれや、なに、文句はないのさ。あたしや、これで、宿六にや、洗濯ひとつさせたことはないんだからねえ。

イワ  わかつてるよ。わかつてるよ。ユラさんは、村一番の果報者さ。うちぢや、それでも、たまに、さかなのわたぐらゐ抜かせるからね。

シゲ  たまにだ、まつたく……。それも、こつちから頼むやうにしてだ。

リキ  だからさ。あたしや、今日つて今日は、あんまりむしやくしやするから、当てつけに浜を休んで、野郎に思ひ知らせてやるつもりさ。ふゝゝ、いゝ気味だ。かうして着物を着がへて出て来てやつたら、もうめそめそしてるんだよ。

イワ  可哀さうに……あんまり、いぢめるのは、およしよ。

シゲ  まつたくだ。女房にいやな顔をされるくらゐ、亭主にとつて辛いことはないよ。

リキ  あゝ、さうでござんせう。シゲさんの奥方は、おやさしいお方でござんすよ。

イワ  なんだね、リキさん。それや嫌味かね。お世辞かね?

リキ  さあ、どつちにしたもんだらうねえ。

イワ  そいつをはつきりさせてもらはうか。

リキ  はつきりさせると、どうなるんだい。

イワ  かうときまれば、出かたがあるさ。

リキ  面白くなつて来たね。だいたい、お前さんは、とんだ料簡ちがひをしてるよ。亭主一人を満足に養へない女は、これや一人前の女ぢやない。そこまではいゝさ。男一匹養つとくつていふのは、どういふことか知つてるかい? 食はして、遊ばせときや、いゝんだ。ちよつくら用事のあるときは、これや別だ。なにも年がら年ぢゆう、撫でたり、さすつたりする必要は、絶対にないんだよ。朝から晩まで、甘い口を利くなんぞもつての外だ。いゝかい、男にのろいていふことはだよ、女のこけんに拘はるこつたぜ。ちつたあ気をつけないと、ひとが笑ふよ、人が……。

イワ  よく云つた。おれのどこが男にのろいか、亭主の当人にきいてみろ。てめえたちはなんだ。人の見てないところぢや、なにをしてるかわからないくせに、人前だけで亭主に荒い口を利いたつて、それが、なんの証拠になる!

リキ  なにを、えらさうに! 人前だけだと……? そんなら、うちの宿六に、きいてみろ。おれなんぞはな、二人つきりの時には、笑顔ひとつ見せたことはないんだ。うそだと思ふなら、戸の節穴からのぞいてみろ。

イワ  てめえの笑顔つていふのは、どんな顔のことをいふんだ? イセエビがダイダイにかぢりついてる時の顔か?

リキ  このあまつちよ、ぬかしやがつたな。このサメ肌の平目ツ面! 文句があるなら、浜まで来い。

イワ  よからう。海女同士の喧嘩は、おかぢやもつたいない。波の上といかう、波の上と……。イソギンチャクで眼をこすつて来い。

リキ  しなびた乳房を喰ひちぎられないやうに用心しろ。


二人の女が互に袖をつかみ合つて、出て行かうとする。


シゲ  (慌てて、二人の後を追ひ、引きはなさうと努めながら)まあ、まあ、二人とも気をしづめて。……つまらんことをさう荒らだてなさんな。もとの起りは、このわしだ。わしがわるかつた。なあ、リキさん。この通り頭をさげてあやまる。

イワ  なにさ、お前があやまる法はないよ。ちよつくら片づけて来るから、留守を頼むよ。

リキ  どつちが片づくかお楽しみだ。シゲさん、葬ひは盛大にやりなよ。


女二人が出て行つた後、シゲは泣きべそをかいて、ぢつと見送つてゐる。


シゲ  たうとう行つてしまやがつた。女つていふもんは、なんともはや……すぐ感情に走るから始末にわるい。それにしても、うちの女房は、そんなにおれに甘いかしら。なるほど、一応、寛大であることは認めるが、決して、それ以上とは思へない。おれは自分のしたいことをする前に、彼女が望むことを、少くとも望むであらうことをするのに、これ汲々としてゐるにすぎない。彼女は、それで一応、満足してゐる。満足気にみえる。しかし、全然、それだけのことだ。その満足の結果が、おれのおかげだなどと毛頭考へてはゐない。彼女はたゞ、彼女自身の力に信頼し、彼女自身の力に満足してゐるんだ。が、それにしても、おれは、それでいつかう痛痒を感じてゐない。おれは彼女が満ち足りた気持でゐるのをみれば、それでいい。露ほども感謝を要求してはゐないんだ。


この時、忍び足で、リキの夫、ユラがはいつて来る。これも、頭髪をこつてりとなでつけ、派手な毛糸のスエーターにラツパ・ズボンといふいでたち。シゲのゐるのに気づき、そつと小指を出して、「ゐるか?」と念をおす。シゲ、黙つて、首をふる。ユラ、つぎに、その小指に向つて、顔をしかめてみせる。


シゲ  おめえが余計な真似をするもんだから、とんだことになつちまつたぜ。

ユラ  覚悟のうえだ。うちの神さん、なにをしでかした? まさか竜宮へ行つちまやすめえ。

シゲ  わからねえ。うちの神さんとつかみ合ひをおつぱじめたんだ。

ユラ  こゝでか?

シゲ  こゝで話をきめて、浜へ出かけたよ。勝負は波の上だか、底だかで決めるらしい。いくら止めても止まらねえんだ。

ユラ  おめえの神さん、また、へらず口をたゝいたな。

シゲ  さうぢやねえ。おめえのところのが、いきなり、おれに因縁をつけて来たんだ。うちの神さんのいや味を云つたんだ。誰だつて、女なら、カッとならあな。

ユラ  今日は、うちのは、ちつとばかり気が立つてるんだ。そうつとしといてくれれやいゝのに。

シゲ  そもそも、気を立たせたのは、おめえぢやねえか。この勝負は、正直、わからねえぞ。水もぐりのレコードぢや、うちのに歩はあるが、おめえんとこのは、足が利くつていふからなあ。

ユラ  足は利く。両足の間へ黒鯛をはさんであがつて来たことがあるよ。

シゲ  やれ、やれ、えれえことになりやがつた。

ユラ  浜へ行つてみる気はないか?

シゲ  なんにもならんから、おれはやめる。いづれ、介添の船は出てるだらう。

ユラ  本来、亭主なり男兄弟なりが、その船で待つてることになつてやしないか?

シゲ  以前は、それが仕来りだつた。近頃はどうでもよくなつたんだ。万事略式でいゝらしい。呼吸いきが切れた方を、介添が引きあげて、水を吐かせる。それから、家へ運ぶつていふわけだ。

ユラ  さういふわけか。話にや聞いとつたが、うちの神さんも、二、三度、やるにややつたらしい。若い時分に……。

シゲ  水を吐かされたか?

ユラ  相手に余計吐かせた組さ。だが、この野蛮な風習は、なんとかせんと、困るな。

シゲ  風習を改めるくらゐ困難なことはないよ。早い話が、誰でも云ふ通り、この村の女尊男卑も、まつたく時代錯誤だからなあ。まづ、それから手をつけにやならんよ。

ユラ  男が寄ると、おほかたその話だ。しかし、問題は、それが輿論の力にならんことだ。

シゲ  女尊男卑、結構。いや、表面だけでさういふ観察を下すのは間違ひだとぬかすやつが、男のなかにゐるから厄介なんだ。

ユラ  つまり、女が経済力を握つてゐるといふこと、女が政治を掌つてゐるといふことを、却つて、楽で、いゝあんばいだと思つてる奴がゐるんだ。尤も、さういふ奴の中には、家で、女房を尻に敷いてさ、大いに威張りくさつてる奴もゐるにや、ゐるがね。

シゲ  威張る威張らんは別として、神さんがさうわからずやでさへなけれや、別に屈辱は感じないね。おめえなんかがいふほど、奴隷の身分だとは、おれは思はんのだ。云つてみれや、家来は働くが、殿様は働きやしねえ。ぢつとして、うまいものを食つてらあな。但しこれは一般論ぢやねえ。原則としては、経済力、生産力がすべてを支配するさ。嘗ての時代、今日の都市国家の多くが、男性中心の政治をどうすることもできんのは、そのためだ。男性を家庭における暴君と称した時代に、良妻賢母の名に甘んじた幾多の女性を、今、われわれは自分の身と引きくらべてみることができやしまいか?

ユラ  さうだ。たゞひとつ、著しく違ふところは、さういふ時代には、概して女は、専ら家庭労働に従事してゐたよ。彼女らと男たちとは、たゞ外で働くか、内で働くか、品物を金にかへるか、無報酬で台所をするか。それだけの違ひだつた。今日、われわれは、どうだい?

シゲ  そこだ。一切の労働、一切の責任から解放されたわれわれ男性の存在、そして、女性の実質的な奉仕と献身とによつて、無為徒食、悠々自適の生活を送るといふことは、これ果して、女尊男卑かどうかだ。

ユラ  われわれ男性は、そんなら、全く自由だといへるだらうか?

シゲ  自由はわれに在り、ひと次第ではない。

ユラ  理窟はその通り。しかし、結局、ある束縛は感じないかね? 例へば、何か仕事をもちたいと思つても、それが神さんの気に入らんといふやうな……。

シゲ  目に見える仕事が、仕事の全部ぢやあるまい。大きなミシンなぞ担ぎ込んで来るから目障りになるんだ。

ユラ  いや、ミシンには限らん。縫針を持つことが、もういかんのだ。

シゲ  だからさ、物質を離れろ。精神の労作は、女の眼につかんのだ。本を読め、そして、思索しろ。

ユラ  思索……?

シゲ  頭の中で物を考へるこつた。

ユラ  それが仕事といへるかい?

シゲ  なるほど、おめえには、そいつは無理かもしれん。浜で砂をほじくつてろ。

ユラ  ところが、そいつをやると「お前、なにしてるんだい。畑なら余るほどあるぢやないか」と来るんだ。手も足も出やしない。

シゲ  町へ遊びに行くふりをして、ウドン玉の粉でもこねなよ。

ユラ  女房がみてさへゐなけれや、おれは、なんでもする。あゝ、女房の顔、女房の声、女房の臭ひ、もう飽きあきした。いつそ、このまゝ、竜宮へでも行つてもらひたいよ。

シゲ  それを面と向つて云ふ元気はないか?

ユラ  云へるくらゐなら、手つとり早く、あいつの頸へ縄を捲きつけちまうよ。

シゲ  それを、やれ。革命の火蓋を切れ。

ユラ  その縄をあべこべにこの頸に捲きつけられてみろ。あの馬鹿力を知らんのか。

シゲ  一匙盛る薬はないのか。

ユラ  お前、やつてくれ。


ちやうどその時、どやどやと多勢の女がめいめい勝手なことをしやべりながら、庭へはいつて来る。

先頭に、リキとイワとが仲よく肩を組んで、笑ひ興じてゐる姿が目につく。


イワ  さあ、みなの衆、手伝つてくれよ。仲直りの酒盛りだ。あたしや、生れて初めて、こんな面白い喧嘩をしたよ。タコみたいに、水ん中で背中へ吸ひつく女は、みたことがないよ。

リキ  あたしだつて、こんな海蛇みたいな女と取つ組み合つたなあ、はじめてさ。まるで、どこが胸だか、背中だかわかりやしない。おや、ユラさん、なにしにこんなところへ来てるのさ?

ユラ  別に用事があつたわけぢやないよ。油を売りに、ちよつくら寄つたまでさ。

イワ  当てにならないね。うちのひとをそゝのかして、こそこそ、なにか、しようつていふんぢやないのかい?

リキ  戯談にも薪割りなんぞ手伝はせないでおくれよ、シゲさん。お前さんは、なにもしなくつてもくたびれるたちなんだから……。

モク  なんにもしない亭主つてあるかしら?

女A  神さんがさういふんだから、たしかだらう。


女一同、ドッと笑ふ。


イワ  つまらないこと笑つてないで、なんかつまみものでも作らうよ。冷蔵庫にまだ、アワビの小さいのが残つてるから、ザルごと出してさ。誰でもいゝから、畑からゴボウとタマネギでも抜いて来なよ。酒はとつときのがまだ三升あるから、ともかく、はじめようぢやないか。さあ、上んなよ、みんな。

リキ  ぢや、すまないが、こゝを借りるか。おい、フミちやん。おまい、ひとつ走り、あたしの家へ行つて、棚の上の酒の残つてゐるのを瓶ごと持つて来ておくれよ。

ユラ  おれが持つて来てやらう。

リキ  また余計なことを……お前さんは、シゲさんに付き合つてもらつて、しばらく家で留守をしてなよ。カキ餅ぐらゐ焼けるだらう?

モク  いゝぢやないか。こゝにゐたつて……。なにもみんなでなぶらうたあ云やしない。

女B  これだけの女衆にみられてちや、どつかがへるとでも思つてるんだよ。

リキ  へらうが、ふえようが、おまいたちに関係のないこつた。はやく、あがつて支度をしなよ。さう、かたまつてちや、どうにもなりやしない。……おや、沖がしけだしたぞ。

女C  気象通報が当りやがつた。

イワ  さあつたら、世話の焼ける女衆だなあ。そつちばかりにゐないで、ずつとひろがりなよ。ところで、煮物ができるまで、こゝにゐる衆に、あたしから、ちよつと相談があるんだがねえ……。

女D  なんだい、イワさん。あらたまつて……。

イワ  べつにあらたまるわけぢやないが、かうして見渡したところ、ちやうど気心の知れた顔ぶればかりだから、底を割つて話すんだよ。いゝかい、笑はないで聞いておくれ。今まで、この村の役員は、知つての通り、女ばかりだ。村長から村会議員に至るまで、一人も男はゐないんだ。これが、別に不思議でもなんでもなかつた。ところが、ご時勢もご時勢だが、どうも、それぢや、具合が悪くなつて来たと思ふんだよ。

リキ  それや、また、なぜね?

イワ  なぜつて、おまいさん。役場にしても、村会にしても、決めることと云へば、みんな女に都合のいゝことばかりだ。

モク  女に都合のいゝことは、男にだつて都合がよからうもん。

イワ  さうはいかない。この間、新しく建つた公会堂の図書室をのぞいてみたかね。あたしもぢかに見たわけぢやないが、うちのひとの話だと、男が読んで面白い本は一冊もないさうぢやないか。

サガ  特別に男が読んで面白い本なんて、あるかしら?

イワ  そいつはあたしにやわからないが、とにかく、ないさうだ。なあ、シゲさん。

シゲ  故意か偶然か、そこはわからないが、とにかく、われわれ男たちがちよつと読んでみたいと思ふ本は、一冊も備へつけてないことはたしかだよ。

サガ  例へば? あたしは多少、本に興味をもつてるつもりだけど?

シゲ  あんたは別だよ。しかし、例へば「男の秘密」つていふ新刊書はもうちやんと買つてあるのに、「妻の心理とその弱点」つていふ有名な翻訳で、去年ものすごく売れた本が、まだ取り寄せてない。

サガ  そんなもの、必読の書とはいへないぢやないか。例が適切でないよ。ほかの例は?

シゲ  いくらだつてあるよ。文学にしたつて、島崎藤村の全集があるけれども、森鴎外は、短篇一つだつて見当らないよ。

サガ  個人的な好みさ、そんなの。性別に関係はないさ。

シゲ  いや、大いにある。第一、哲学や科学の系統に属するものはなんにもない。あの図書館はまつたく思想とは無縁だ。

サガ  一漁村の図書室に、深遠な思想を求める愚かさを恥ぢなさい。あたしは、読みたい本は自分で買つて読むよ。

シゲ  わしだつてさうだ。わしは、自分一人の問題を取りあげてゐるんぢやない。

イワ  待ちなよ。二人とも……。話がやゝこしくなつて来たけれどさ。とにかく、この村ぢや、女が得をしすぎてるつていふんだよ。一人一人は、これや別さ。村として、女のことしか考へないつていふのは、これや、男はどうなつてもいゝつていふことか、男は母親か女房の世話にさへなつてりやいゝつてことか。このどつちかだらう。

リキ  あとの方だよ。母親か女房がゐりや、それでいゝのさ。

イワ  あたしも、以前はさう思つてた。だがよく考へてみると、これやすこしをかしい。

リキ  ちつともをかしかありやしない。

イワ  そんなら、聞くがね、リキさん。この村の、あの新式の公会堂に、女便所だけしかないのはどういふわけだい? 村役場はまだいゝとして。

リキ  おや、細かく気がつくね、おまいさんは。

イワ  黙つてな。そこで、こゝにゐる衆は、みんな亭主思ひに違ひないから、ひとつわれわれ女房連が音頭をとつてさ、ちつとばかり男衆の社会的地位を高めたらどんなもんだらうつていふ相談さ。

モク  イワさんの持論だ。

女C  シゲさんの入れぢゑさ。

イワ  どつちだつていゝぢやないか。それとも、みなの衆は反対かね?

サガ  社会的地位の向上は、往々家族的、乃至個人的地位の下落を生む結果になるね。ユラさん、あんたなんか、さう思はないかね?

女E  あたしや、村会へ選ばれてから、得したことはひとつもないよ。みいりだつてぐつとへつちまうしさ。おかげでうちのひとに、オートバイを新調してやることもできやしない。

リキ  さうさ。あたしだつて、村会議員なんぞ、今年でごめん蒙りたいよ。

女C  組合の仕事に係り合つてたら、お天気を棒にふるばつかりだ。

サガ  政治と愉快な労働は男に委せられないけれど、うるさい事務や、機械的な労働は男にやらせてもいゝね。

リキ  かういふ女がでて来ちや、この村もおしまひだよ。いゝかい、男つていふもんは、そんなことをさせるもんぢやないんだよ。云つてみりや、飾りもののでくの棒さ。それでわるけりや、なんかのお守りさ。身近において、すきなやうにさせて、それでおとなしく一緒に年を取つて行きやいゝんだよ。なあ、ユラさん。

ユラ  うむ。まあ、さうはつきり云はんでもいゝがね。

イワ  あたしは、それぢや、気がすまない。こゝにうちのひとがゐるけれど、このひとのために云ふんぢやないよ。村の男衆全体のために云ふんだ。ことに、昔なら兵隊に行かうつていふ若い衆のために云ふんだ。男は、今のまんまぢやいけない。結局は、あたしたち女の不仕合せだ。男にもつと、しつかりしてもらはうぢやないか。男にもある程度の責任を持つてもらはうぢやないか。家のことはまづいゝ。村のことで、すこしは考へてもらはうぢやないか。時には、好きな仕事をやつてもらはうぢやないか。家を建てるのに、いちいち遠いところから大工を呼んで来る必要がどこにある。役場の小使に一人、小学校の先生に二人、たまたま男がなつてると、その男の女房に働きがないからだなんて取沙汰をするのは、もうよさうぢやないか。

サガ  床屋の女房は楽でいゝよ。あたしや羨しいよ。

女A  ついでに云ふけどさ。トトカカ船の女房が、ちつと肩身がせまいのは、どうしたわけだらう。あたしは海の底で精いつぱいといふとこまで頑張るんだ。船の上で、うちのひとが、一秒でも綱を引きおくれたら、あたしはアップアップだ。綱のあげ方がわるいと、ほら、知つての通り、よくあるやつだ。ぴたりと岩角に引つかゝる。あたしのからだは、それつきりだ。いゝかい? あたしやね、海へ出るたんびに、うちのひとに命をあづけてあるんだ。それがうれしいんだ。たゞそれだけさ。別に、自分ひとりの働きで、うちを楽に養へないなんてわけぢやないんだ。

リキ  わかつたよ、わかつたよ。

イワ  やつと支度ができたやうだ。さあ、ゆつくりやつておくれ。リキさん、まづ、まづ、これで、喧嘩は水に流さう。ぐつといきなよ。

リキ  さつきの話は、ざつと呑み込めた。そこで、おまいさんの本音をきくが、差しあたり、今度の村会の選挙で、男の候補者を一人立てようつて料簡と読んだが、それに間違ひないか?

イワ  お察しの通り、立てるとしたら、誰がよからう。

リキ  みなの衆に聞いてみたらどうだ。あたしの肚はきまつてるさ。

イワ  誰だい? 云つてみなよ。

リキ  おい、みなの衆、この七月の村会の改選でなあ、男を一人、立てるとすれや、いつたい、誰がよからう?

モク  え、男をかい?

女A  まだちつと早かないかい?

女B  それより、なり手がないよ、なり手が……。

女C  男の代弁者として、どんな人物が適当かだ。しかし、男の衆が自由に自分たちの代表者を選ぶのが本当ぢやないか。

女D  それをしないから、イワさんがしびれをきらしたんだよ。

女E  あたしたちが出すなら、誰だつておんなじだよ。そこにゐるシゲさんだつて、ユラさんだつていゝぢやないか。

ユラ  わしはダメだ。さういふことは不得手だ。それに、神さんが、うんと云はんにきまつとる。

リキ  うんと云はんね。

ユラ  お前、どうだ、シゲさん。お前なら、結構勤まるぜ。理窟を知つとるし、後ろ楯は立派だし……。

リキ  シゲさんをおつ立てよう。どうだ、みなの衆……。

女ACEG  賛成! 異議なし。

リキ  さて、これから運動だ。頼むぜ、みんな……。男の票は集まるかどうか、却つて、青年層の女を目標に、散票を集めるのがいゝぜ。

サガ  当村唯一のインテリ紳士、最大の女性の味方、秀抜なる海洋の詩人。隠れもなきハーモニカの名手。


この時、にわかに表に騒がしい人々の気配がする。女Cが外に出る。


女C  (走り込んで来て)カネさんとこの船が沖から流れて来たんだつて……。カネさんもユキさんも、二人とも姿が見えないらしい。海女の衆は、なるたけ早く浜へ集まつてくれつて、ふれて来たんだよ。


女一同、座を起つて、外へ飛び出す。男二人、シゲとユラとは、互に顔を見合はせ、無言。


シゲ  (独言)これこそ、男性侮辱だ。トトカカ船つていふやつは!




第二幕


海浜の砂丘。道のほとり。

海女たちが、十数人、ひと仕事を終つて、中休みのていである。あちこちに、二三人づつ塊つて腰をおろし、または、横に寝そべつてゐる。或るものは遠くに眼をやり、或るものは、夏蜜柑を食ひ、或るものは、歌を小声で歌つてゐる。


モク  猿ヶ島がこんな色に見える日は、アワビが妙に固くくつついてるの、どういふわけだらう?

女D  おまいは時々、へんなことを言ひだすからきらいさ。猿ヶ島がけぶつて見えるのは、風が急に西へ廻つて、陽気が冷えて来るからさ。だから、そのわりに、水はあつたかいよ。

女C  ちかごろは、珍らしい船が沖を通らなくなつたね。

女E  カネさんの死体だけめつかつて、ユキさんのがたうとうみえないのは、どうしてだらうね。

女H  だからさ。綱がどつかへ引つかゝつて、神さんのからだがあがつて来ない時の気持は、どんなだらうね。ユキさんは、慌てて飛び込んだにちがひないけれど、ふだん、やつてないこつたからねえ。

リキ  もう、その話はやめなよ。

モク  だつてさ。二人とも死んぢまつたつて話は、土地でも珍らしいつていふぢやないか。だが、こいつは、ちよつと、考へさせられるよ。

女E  それにしてもさ、男の呼吸なんて案外短いもんだね。

リキ  だから、海女はたいてい、昔から女ときまつてるんだよ。これや、なんていつたつて辛抱だからね。我慢強いのは、女の特徴だもの。

サガ  それを昔の人間は、女が奴隷として育てられたからだ、と思つてたんだ。海女の仕事を野蛮だなんていふのは、そこからも来てるんだよ。スポーツと勤労を兼ねた、とてもスマートな作業形式ぢやないか。ほんとは、男だつて、訓練次第で、ある程度、ものになると思ふよ。

女I  やめた方がいゝな。どうせ能率は上りやしないし、第一、競争になるのが、いやさ。男と女とは、はつきり役割の分担をきめて、そいつを絶対に犯し合はないことにしたいよ、あたしは。

女E  男も働くのはいゝさ。なにも男にくはしてもらふ必要はないんだから……。とにかく、これまでみたいに男一人を遊ばしておくのを、女の見栄にする時代は、もうすぎたよ。


そこへ、イワが現はれる。


イワ  なんだい、その演説は。おまい、こんど立候補でもするつもりかい?

女I  シゲさんの応援をするつもりだよ、あたしや。

イワ  そいつはいゝが、よく二人で話の辻褄を合せといてもらいたいよ。うちのひとは、あくまで、女を敵に廻す気はない、と云つてるんだからね。男権拡張が目的ぢやない。むしろ、進んで、女衆の手助けができるやうに、村の政治を改めるんださうだよ。

サガ  そんなら、女の方で考へてもいゝことぢやないか。わざわざ男衆に出てもらはなくつても……。

女H  女が遠慮してるとでも思つてるんだらう。

イワ  なんだかしらないけど、あたしは、たうとう云ひまかされちまつたんだよ。いづれ、当人がみなの衆の納得のいくやうに話をするだらう。なにも、家の暮しをけさせるわけぢやなし、やりたいつてことを一度はやらせてみるつもりだよ。あたしは。

女I  さうさ、さうさ。シゲさんなら、きつと村会の沈滞した空気を、いくらかゆすぶつてくれるかもしれないよ。


そこへ、右手から村の青年たちが、幾組か、思ひ思ひのよそ行き姿で、通りすぎようとする。仕立おろしといひたい同じ型の背広と、頸筋に色ものの絹マフラを巻きつけたのが、一種の流行の観を呈してゐる。帽子は、ソフト、ハンチング、スキイ帽子などいろいろであるが、なかには、この髪の毛をみろといはぬばかりに故ら無帽にしたのも混つてゐる。共通した異様な気取りが、その歩きつきや、話のしぶりに感じられる。いづれも、そこに海女の群が陣取つてゐるのを意識し、その視線をや、眩しさうに避けながら、いづれも十分のはにかみをみせる。

女たちのなかから、つぎつぎに弥次が飛ぶ。


──よう、いゝぞ、いゝぞ……。

──色男のコンクール……。

──ナンバー・ワンはどこのだれだ……。

──ちよいと、こつちを向きなよ、水臭い……。

──ダイダイ色のあんちやん、澄ますな、澄ますな……。

──町へ行つて、ハシリガネにあぶら絞られるな。


そして、女たちの陽気な笑ひ声。

やがて青年の群が姿を消す。


女J  (大声で)神さま、どうかあの若者たちをお護りください。町からけがらはしいものを持つて帰りませんやうに……。

女K  そして、あの、か弱き若者たちが、どうか町の狼娘の毒牙にかゝりませんやう。無事におかへしくださいまし。アーメン。

女L  (どつとあがる笑声のなかから)なに云ふんだい。狼娘は、そのへんにいくらもゐるぢやないか。

リキ  シーツ。おまいたちは、ちつと、慎みがなさすぎるよ。

女M  はゝゝゝ。リキおばさんが慎めつていふのは、どういふことだらう。ちよつくら、お手本をみせてもらひたいね。

リキ  あたしたちの時代は、それや違ふよ。まだ昔の男の真似をして、得意になつてた時代だからねえ。このイワさんだつてさうだ。ところが、今はもう、そんな時代ぢやないだらう。

サガ  新しい女のタイプがもう生れなけれやならないつてわけだね。さて、さうなると、どのへんかな。

女N  (左手を顎で指し)ほら、あれが、さうだらう。


洋服を着た中年の女が二人、並んで歩いて来る。小学校長ガクと村の助役ジンである。ちよつとみると、男だか女だかわからない。が、からだのこなしで、それは女だとわかる。


校長  やあ、みなさん。ご苦労さん……。どうだね、今日の漁は?

モク  まあまあつていふとこだよ。

助役  さうかなあ。今日は、この天気で、大漁だと思つてたのに……。あゝ、いゝ機会だから、こゝでちよつとみんなに云つとくがなあ。今度、県と南海毎日の共同主催で、海女のコンクールをやるといふんだ。いゝかね、年齢の制限があつて、満十八歳以上四十歳以下となつてる。潜水時間と、アワビの採り数とのレコードを主にはするが、いくたりか審査員がゐて、つまり、体格、容貌、フォームの三点を斟酌して、等級をきめるといふんだ。全県を通じて各村から選手を二名づゝ出すことになるんだが、どうだらう。予選みたいなことをするか、さもなければ、あんたたちの投票できめるか、どつちかにしたいと思つてる。ひとつ、意見をまとめといてくれんかね。

イワ  村としてはどうしても出す気かね?

助役  むろん、出さなけれやなるまいと思ふが……。

イワ  棄権することはできんかね。もし、できるなら、あたしは、さうしてもらひたいね。

女C  イワさんか、リキさんが出れや、大丈夫、一等だよ。

イワ  このつらでかい、笑はせやがる。そんなつまらん競争は、なんのたしにもならんよ。どうだね、校長先生?

校長  あたしは、ちよつと面白い競技だと思ふんだがね。みんながいやでさへなけれや。……イワさんが反対する理由は?

イワ  口ではうまく云へないんだが、どうも、こいつは、命がけの競争つてことになるからね。怪我人が出るにきまつてると思ふんだ。

校長  なるほど……。

助役  その点は、わたしも、気がついて念を押しといたがね。十分、危険を予防する方法はとるといふ話ぢやあるんだ。まあ、今こゝできめんでもいゝから、ゆつくり相談しといておくれよ。

イワ  いくら村の名誉だからつて、若いもんは出したくないよ。ぢや、まあ、その話はいづれつていふことにして、どれ、仕事にかゝるか。


イワが起ちあがるのを合図に、海女たちは、一斉に桶をかつぎ、水際に向つて馳け出して行く。


校長  やれ、やれ、かうして見ると、どれもこれもいゝからだをしてるなあ。優劣をきめるとしたら、まあ、均整美といふことが標準になるね。

助役  さやう。それも、ギリシャ型か国粋型かで、よほど標準が違ふね。あ、校長さん、これや、桜貝ぢやないかね。珍しいね、このへんとしちや……。いゝ形だ。これや……。

校長  なるほど……。立派な桜貝だ。標本ものだよ。だが、この薄紅色の美しさ、このほのぼのとした艶をみなさい。あゝ、まるで少年の爪そつくりぢやないか。

助役  校長先生がさうして桜貝に頬ずりをしてゐるすがたは、まつたく、絵にしたいやうだ。あたしは、自分のおなかを痛めた子供がないから、その点淋しいよ。ほんとに母親の気持つてものがわからないらしい。

校長  助役さんは、しかし、熱烈な恋愛の経験があるんだから、羨しいよ。あたしには、その代り、満たされない夢がある。これは、ちよつと自慢してもいゝんだ。今でも、まだ、何かを追ひ求める気持が、ふつと、この胸を熱くするやうなことがある。これでまだ、少女のどこかが、そのまゝこゝに残つてるんだよ。

助役  おほきに──。だから、なんとなく、若々しいよ、先生は。

校長  いやだね、そんなにおだてちや……。おや、あそこへ来るのは誰だい? いやにのんびりしてるぢやないか。

助役  あれがわからんのかね。丈の高い方がユラだよ。リキの亭主さ。低い方のふとつちよは、イワの宿六のシゲさね。


シゲとユラとが、背広姿で、これも、頸から背筋へ広く派手な色のマフラを巻いて現はれる。二人ともハンチングをかぶつてゐる。


シゲ  今日は、校長先生。今日は、助役さん。

ユラ  今日は。

助役  お揃ひで、どこへおでかけだね。

シゲ  なに、ちよつとそこまでだ。

ユラ  退屈でしやうがないもんだから……。

校長  そんなに退屈なら、トトカカ船でも出しやいゝのに……。

ユラ  うちの女房が承知しないよ。

シゲ  それより、こいつに綱をあづけたら、リキさんは、それつきり日の目をみられやしまい。

ユラ  よせやい、バカなこと云ふのは。

助役  それぢや、うちのひとみたいに、ひとりで毎日釣りでもすれやいいものを……。

ユラ  それさへ、うちの女房は、外聞がわるいつて、いゝ顔しないんだよ。こんなこと校長さんに云ふと、叱られるかもしれないが、わしはつくづく結婚生活つてものが、苦痛になつて来たよ。

校長  それやまた大事にされすぎたもんだね。あたしなんぞの給料ぢや、亭主にちつとは鍬ぐらゐもつてもらはなけれやならないからね。けつく、退屈はしてないよ。子供の守りだつて頼むしね。ユラさんとこは、小さいのはゐなかつたつけ?

ユラ  うちぢや、子供はいらんていふんだ。亭主だつて子供だつて、おんなじやうなもんだとさ。

校長  へえ、おんなじやうなもんかね。それやまた、変つた意見だ。

助役  いゝ夫婦だよ、あんたのところは。それはさうと、ユラさん。今度、県と南海毎日の主催で海女のコンクールがあるんだがね。さつき、女の衆にちよつと話してみたら、イワさんは大分反対らしいんだ。その理由も一応は尤もだと思ふよ。しかし、イワさんだけが反対しても、これやダメだ。なあ、シゲさん。そこで、この村の両横綱の一人、リキさんの意見も、あたしや聞きたい。どうだらう、リキさんは賛成してくれんだらうか?

シゲ  助役さん、それや、あんたの云ふとほり、うちの女房が一人反対したつて、これや、なんにもなりやしないが、あの通り口下手で、理由をちやんと云はうにも云へないんだ。そこで、わしが代つて云ふが……。

助役  待つておくれ、シゲさん。これや、どうしたつて、男の出る幕ぢやないよ。

シゲ  もちろん、わしが代りに出るなんて云つてやしない。うちの神さんの意見はわしの意見だ。いや、わしの意見は神さんの意見だ。つまり、かういふわけだ。結局……。

助役  まあ、まあ、それは、あたしが聞いたつて、しやうがないよ。いづれ、海女の衆たちが相談するだらうが、とにかく、イワさんとリキさんとは、実力から云つて、二人とも選ばれるか、少くとも、そのうちの一人は、選に漏れちやならないひとだ。そこで、あたしは、ユラさんに頼んどくんだが、ひとつ、リキさんは、この催しについて、どう思ふか。早く、あたしの耳に入れてほしいんだよ。今晩でも、あすの朝でも、ちよつと役場へ顔を出すやうに云つておくれな。

シゲ  そんなら、わしは、今、こゝで、助役さんに云つとくがね。今度のコンクールなんてものには、絶対村から選手を送らせんやうに、うちの神さんが、最後まで頑張るから、そのつもりでゐてもらひたい。

助役  いやに、鼻息が荒いね、シゲさん。

校長  しかし、このシゲさんつていふひとは、ちよつと頼母しいぢやないの。あたしや、助役さんにやわるいけど、かういふ男の肩が持ちたい方だね。校長つていふ役柄からいつても、女つていふ立場からいつても、イワさんの意見は、ちよいと傾聴に値ひすると思ふのさ。

助役  それや、むろん、どつちの側につかうと先生の自由さ。あたしは、全然、個人の感情をはなれて、この問題にぶつかつていくつもりだから……。

校長  よろしい。あんたも話せる。シゲさんも立派だ。あたしや、ゆつくり、反対の理由を考へてみたいと思ふんだが、どうだらう、シゲさん。暇があつたら、今夜、あたしの家まで足を運んでもらへないだらうか? 二人で、十分に、利害得失を研究してさ、堂々と戦ふ準備をしようぢやないの。ねえ、どう、シゲさん……困る?

シゲ  面白い。そいつは、是非、こつちからも頼みたいところだ。理論的には、当然、こつちが正しくつても、愚民を煽動して、数をたのむつてことになれば、結果はどうなるかわからない。校長先生、わしはあんたのやうな女性が、この村に、たつた一人ゐてくれれば、もう、ほかの女はゐなくつてもいゝと思ふよ。

校長  (声をひそめて)イワさんにそんなこと聞かれたら、それこそ大変よ、あんた……。


この時、警官トラ、右手より登場。あたりを見廻し、いきなり校長の耳に口を寄せてなにやら囁く。

その間に、シゲとユラ、退場する。


校長  えッ、犯人の見当がついたつて?

トラ  シイッ! 他言は無用。それはさうと、校長さん、助役さん。あんたたちも公職にあるひとだが、いつたい、近頃の男は、全部とは云はないけれども、あたしたちを変な眼でみてる風はないかね? なかには、公然とからかつたりなんかする奴がゐる。こないだも、あるところで、あたしが多勢の男を前にして話をしてると、誰かが、時々、変な声を出して、云はば弥次を飛ばすんだ。声の主は誰だかわからない。見つけ次第、処罰してやらうと思つたんだけれど、どいつもこいつも、口を拭つて知らん顔をしてるのさ。あたしや、いまいましくつてしやうがない。声はだいたい覚えてゐるから、いつかとつちめてやらうと思つてるがね。

助役  変な声つて、どんな声さ。

トラ  真似なんかできるものか。動物的な奇声だよ。「ケッ」つていふだけさ。

助役  「ケッ」つてかね。

校長  「ケッ」だけぢや、誰だかわかるまい。

トラ  いよいよわからなかつたら、村中の男を集めて、一度づゝ、「ケッ」て云はせてみるよ。もう一度この耳で聞けば、聞きのがしはしないよ。

校長  あぶない試験だ。うちのロクさんもその場にゐたかね。

トラ  気の毒だが、ゐたね。

助役  罰金はいくらぐらゐとれるね。

トラ  さあ、法廷でどう判決を下すか。あたしは三万ぐらゐ吹つかけるつもりだ。

助役  わるくないね。だれか、あたしにも、「ケッ」つて云はないかね。

校長  ケッ!


三人、あたり憚らず、笑ひこける。

ナミが左手から、追ひすがるタケの手をふり払ひながら、走り出る。人がゐるのに気がついて、二人とも立ちすくむ。


トラ  どうしたんだ?

校長  わるいとこへ来たもんだ。

助役  人に遠慮はいらないよ。タケさん、続きをやつてみなよ。

タケ  見世物ぢやない。みんな、さつさとどつかへ行つておくれ。

校長  それやさうだ。われわれは、向うへ行かう。

助役  すごいね、あの顔は。見てると噛み殺されさうだ。

トラ  タケとナミか、なるほど、いゝ取り組みだ。ナミさん、おとなしく云ふことを聞いてやれよ。


三人退場。


ナミ  おれはなにも、お前が嫌ひだと云つてるんぢやない。もうちつと、おだやかにものを云つてほしいんだ。さうガミガミ、頭ごなしに夫婦になれつていつたつて、おいそれと簡単になれるもんぢやないだらう。

タケ  あたしは、遠廻しなことはめんどくさいんだよ。あたしにもその気はある、お前さんにもその気があるとみたから、切り出したまでのことぢやないか。イエスか、ノーか、それだけで事はすむんだ。

ナミ  事はすむかも知れないが、面白くもなんともないや。

タケ  ぢや、いつたい、あたしはどうすればいゝのさ。

ナミ  だから、もうちつと、綾をつけてさ、そこはなんとか、小説にあるやうな文句で、おれを口説いてもらひたいんだ。

タケ  小説なんか読んだことないよ。

ナミ  そんなら、シネマは見ないかね。

タケ  女優の真似なんぞできるかい。

ナミ  女優の真似ぢやない。恋する女の風情つてものはわかるだらう。今も昔も変りはない。情熱に身を焼くすがたの悩ましさ、美しさが、男の心を惹きつけて放さないんだ。お前には、夢がないよ、夢が。詩がないよ、詩が……。(砂の上に腰をおろす)

タケ  (そのそばに坐り)その代り、この若い、元気なからだがある。誰にも負けないつもりの、この立派なからだがある。

ナミ  ふん、面白い。それから?

タケ  誰よりも長い髪の毛と、誰よりも黒い瞳がある。

ナミ  ますます面白い。それだけか。

タケ  四百米の海の底に、三分キッカリ潜つてゐたレコードがある。

ナミ  もういゝ、もういゝ。お前は、おれのどこがそんなに好きなんだ?

タケ  どこも、かしこも。

ナミ  そのなかでも、特に、どこだ!

タケ  唇、それから、手の指……。声も好きだ。

ナミ  よし、よし。もうわかつた。どら、その手をかしてごらん。その手を、かうして、おれの頸にまきつけて、その瞳を、かうして、おれの眼に近づけて、かすかに笑つてみな。

タケ  まだ笑へないよ。お前の鼻が冷たいからだよ。

ナミ  そんなら、お前の胸で、この鼻をあつためてくれ。さうだ、かうしてゐると、だんだん、笑ひたくなつてくるぞ。

タケ  くすぐつたい。

ナミ  笑へ、一度でいゝから笑へ。

タケ  くすぐつたいッたら……。(押しのける)

ナミ  まだ笑はないのか。

タケ  お前はふざけてるから、いやだ。

ナミ  おれはふざけてゐるんぢやない。お前のからだに、女の血が流れてゐるかどうかを試してみてゐるんだ。

タケ  夫婦になつてくれるね。

ナミ  夫婦、夫婦つて、お前、二人の年のこと考へてみたのかい。おれはもう二十五だ。四つも年上の亭主を持つてみろ。第一、お前が人の物笑ひになるぜ。亭主は年下と、当節は相場がきまつてるぢやないか。

タケ  年なんかどうだつていゝ。お前の年と夫婦になるわけぢやないよ。

ナミ  しかし、おれが先にヂヽイになつたら、お前、こんな筈ぢやなかつたと思ふぞ。

タケ  お前が爺さんになつたら、あたしは、爺さんが好きになるよ。

ナミ  さううまくいきやいゝが……。だが、夫婦になる前に、お前が女でおれが男だつてことをたしかめておきたいんだ、おれは……。

タケ  女だよ。あたしは、女だよ……。この通り、女だよ……。(ナミの手を自分の懐ろに押し込む)

ナミ  夫婦になつたら、お前はおれを、可愛がつてくれるか?

タケ  そんなこと当り前だよ。なんでも好きなことをさせるよ。どこへでも、行きたいところへ行かしてあげるよ。

ナミ  トトカカ船だけはごめんだぜ。

タケ  お前は勝手に誰とでも遊んでゐていゝよ。たゞ、町へ行つて、ハシリガネと会ふのをやめてくれさへしたら、あたしは、夜だけお前のそばにゐればいゝ。

ナミ  おれは旅が好きだから、時々は家をあけるぜ。淋しがらずに留守をするね。

タケ  淋しくつても、おとなしく留守をするよ。なるたけ早く帰つて来ておくれ。

ナミ  ケッ! こんなにものわかりのいゝ女房だとは知らなかつた。タケや、お前は、まるで昔の女みたいぢやないか。




第三幕


場所は一と同じ。

小学校長ガクが、シゲの前に、やゝ女らしい姿態を示して、横坐りに坐つてゐる。


校長  (藤村の詩を低く口吟み、うつとりとした眼つきでシゲを見あげ、その視線を眩しさうに伏せて)ゆうべあれから、あたし、どうしても眠られなかつたわ。

シゲ  わしも、うちのやつのいびきを、いつまでも聞いてたよ。そしたらもう、夜が明けた。

校長  不思議なもんね。異性同士、心が通じるつてことは、やつぱりあるんだわ。

シゲ  わしは、生れてはじめて、悲しくもないのに、泣いちまつた。へんに胸がつまつて、顔に血がのぼつてぢつとしてゐられないんだよ。そのうちに、頭がかうへんにしびれて来やがつて、ひとりでに天空へ舞ひあがるやうな、一種なんともいへない荘厳な感動で、全身がぶるぶるふるへる始末さ。

校長  あたしだつて、それと、まつたく、おんなじよ。もつともつと、口なんかで説明のできないくらゐ、からだぢゆう、ケイレンしたみたいに、寝床の上をころげ廻つたわ。でも、やつぱり、考へてみるとあたしは、なによりも、かによりも、苦しいの。あゝ、この苦しさ……眼がくらむやうな苦しさ。若い娘の頃だつたら、まさか、こんなことはないと思ふわ。

シゲ  どうして? え? どうして、苦しいの?

校長  それが、あたしにもはつきりわからないの? おそらく、あたしが、完全に自由でないつていふことが、そもそもの原因だと思ふけれど……。

シゲ  そのことなら、わしも同じだ。いや、わしの方が、もつと自由でないわけだ。苦しいといへば苦しいが、わしは、それよりも、じれつたいんだ。いまいましいんだ。チクシヨウ、女房なんていふよけいなものがなけりや、どんなに、のうのうと、あんたの傍にゐられるかと思ふと……。

校長  いまさらそれを言つたつて始まらないわ。あんたにはイワさん、あたしにはロクつていふ、どうにもならない綱がついてゐるんだから、その綱をどうするかが問題なのよ。あたしには、それを、どうすることも出来ない。子供がゐるために、それが出来ないのよ。あたしは女だから、ただ、それを苦しいと感じるんだわ。胸が、あんたの……やうに、あつく、がつしりしてゐないからよ。

シゲ  わかるよ。それに、あんたのご亭主は善人なんだらう?

校長  ええ、愚かなる善人よ。あんたのおかみさんが、素朴な罪のない人なのと、同じよ。あたしたちは誰も不幸にしたくないのね。自分だけが幸福なことで、満足できないたちの人間なんだわ。

シゲ  わしは、だが、あんたさへその気になつてくれれば、もう、二人だけのことしか、考へないやうにするつもりだ……。

校長  二人だけのことつて? あたしと、あんただけのこと?

シゲ  さうさ、それより外に、誰がゐなくつたつて困りやしないや。

校長  ほんたう、それ? そこまでの決心をあんた、つけられるの? あとは、どうなつてもいいの? ああ、あたしは、もう、それをきいただけで、頭が狂ひさうだわ。どんなことをしでかすかわからないつていふ気がするわ。でも、ねえ……人間が愛情のために義務をすてるのは卑怯で、愚かだと思ふの。

シゲ  義務? 何んの義務? 誰への義務? しかし、愛情が高いものであり、純粋なものであれば、人間の義務は自ら、その中に含まれるんぢやないかしら。約束によつて結ばれた夫婦の間に、本当の愛情なんてないとすれば、勿論、本当の、義務もないんだと思ふが、どうだらう。ただ、あるのは、世間の義理といふやつだけさ。むしろ、それは安易な秩序を保つための、世俗的な束縛にすぎないんぢやないかしら?

校長  夫の方は、それでまあいいとして、子供に対する母親の……。

シゲ  子供……ああ、あんたの子供か。そんなもん、ロクさんにくれてやりやいいぢやないか。毎日あゝして守りしてゐるんだから、その方が子供のためにだつていいわけだ。

校長  ええ、理窟はそれに違ひないわ。しかし、因襲を重んじる社会、型にはまつた世間で育てられたあたしたちには、惰性といつてもいい感情の、馬鹿にできない力がまだ支配してゐるのよ。その感情を、ただ払ひのけると、あとにきつと、大きな傷が残るの。きれいに処理する技術か、なんか、あるに違ひないと思ふんだけれど……。むづかしいわ。

シゲ  姦通罪とやらがまた復活する時代だ。しかも、昔と逆に、男がいたいめに合ふなんて、察しがなさすぎるよ。時に、万一、うちのカカアが感ずきやがつて、裁判沙汰にでもするつていふことになつたら、あんた、どうするね?

校長  罰金の程度にもよるけれど、四、五万なら何んとかできるわ。

シゲ  わしの分もだせるかね。

校長  さあ、その範囲でなら、立替えてもいいけど、なるだけなら、あんたの方で用意しといて欲しいわ。

シゲ  そいつは難問題だ。カカアに出させたんぢやなんにもならず……よわつたなあ。なるべく、それぢや、事を荒らだてないやうに、ちよつとは窮屈でも、お互ひに気を付けて、そつと、時々、かうして会ふ機会を作らうよ。なんとかして、人目につかないやうにして、二人きりの時と場処とをつくる工夫をしてみようよ。何に、うまくやれば、少くとも、うちのイワと、あんたの処のロクさんとを、当分の間、だまし続けることは出来ると思ふよ。イワはあの通り、自信まんまんだし、ロクさんは、どつちかといふと間がぬけてるしさ。

校長  やれやれ、あんたも神を信じてゐないのか。そんなら、二人だけの秘密をつくればすむわけね。ああ、われながらあさましい企みをするやうになつたもんだわ。

シゲ  先生……わしのいとしい、ガク先生……。ほんとにこのわしを見捨てないやうに頼むぜ。

校長  先生なんて呼ばないで、ただ、ガクつて呼捨にしてちやうだい。それは、こつちから云ふことよ。あたしは、あんたのもの……どこまでも信じて欲しいわ。

シゲ  ああ、ガクやガク……古の物語にあるやうなゆかしい女人。それにしても、わしが、心猛きますらをでないのが、只一つの不安だが……。ほんとにこれは、夢ぢやないだらうか?

校長  夢だわ、ほんたうに夢だわ……永久にさめない夢……さめない夢……二人の生涯を金色のもやの中に包む夢……。

シゲ  ああ、この動悸……眼のくらむやうな動悸……首すぢがしびれてきた。指の先が火のやうだ。

校長  さ、かうして、ぢつと、あたしの胸に顔を寄せかけて……静かに目をつぶつて……わかるかしら……呼吸いきが、こんなに早いのが……のどでゴロゴロ音がするのが……。

シゲ  わかる、わかる。おなかがぴくぴく動いてる。

校長  あんたの手は、あたしの背中で、なにしてるの?

シゲ  字を書いてるんだ。

校長  なんていふ字……。

シゲ  それは口ではいへない、あててごらん!

校長  そんなら、もつと、ちやんとわかるやうにお書きなさい。

シゲ  平がなでね。

校長  平がなで、はい。

シゲ  これ、わかつた?

校長  ふむ、わかつた。

シゲ  それから、これ……。

校長  ふむ、それから?

シゲ  それから、これ?

校長  ふむ、キッス、なるほど……。それがどうしたの?

シゲ  いやだなあ!

校長  ああ、さうか。それをあたしに求めてるのね? ほんとに、それがあつたわね。ちやんと知つてゐたんだけれど、ついぞ今まで、その経験がないもんだから、すつかりわすれてたわ。ご免なさい。なんてあたしは馬鹿なんだらう。

シゲ  あやまる程のことはないさ。経験がないとは、こりや又、たのもしいや。さうきくと、その唇がまるで、竜宮のサンゴのやうな色にみえる……。

校長  うれしいことを云つてくれるわね。さうよ、あたしの唇は、あたしの心のやうにまだ、むくなのよ。

シゲ  ああ、無垢なるもの、全てわがものとなれ。


シゲは起き上つて、校長に抱き付かうとする。その瞬間、ロクがそつと中庭から入つてくる。

校長が目ざとくそれをみつけ、片膝をたててシゲを柔道の手で、見事に投げ倒す。シゲ、もんどりを打つ拍子にロクと視線が合ふ。


シゲ  なる程、みごと、みごと……。いやはや、その手を心得てゐられちや、強盗も追剥も、うつかりそばへ寄りつけやしない。ちよつともう一度、ゆつくり、やつてみておくんなさい。こつちが、かういふ風にかゝつてゆくとすると……。(前と同じやうな姿勢で挑みかゝらうとする)

校長  (軽く、それを受けとめて、腰をひねりながら)かうやつて、相手のキヽ腕をとつたら、この膝をずらして、相手の腰へ十分こつちの腰をはめこむ。はまつたとみたら、下から上へ、かうしてぐいと、持ちあげる。それと一緒に、肩で、相手の頤の下を突き上げるやうに押す。えいッ!(シゲは再び仰向けに転ぶ)そら、なんでもないでせう?

シゲ  まつたく、力よりもイキだな、早くやらなきやダメだね。

校長  もちろん、隙があつちや、技も利かないし、相手次第では、どんなことでもできるわ。だから、投げ倒したら、そのままですまさずに、すぐ、首を締めるか、両腕をうしろへねぢあげるかしないと……。

シゲ  それをちよつと、やつてみてもらはうか。相手が、かう倒れた、そこで……。

校長  首を締めるのは、かういふ風に襟をつかんで、膝でぎゆつと、こゝを押へて、肱をなるたけ張つて、動きのとれないやうにする……さ、動いてごらん。

シゲ  動くのは脚だけだ。あ、ほんとに締めちや苦しい。もうわかつた。

校長  こんどは、あんたひとつやつてごらん。いいかね。さ、しやんとして……行くよ。ほら、早く。こゝをつかんで、膝、膝、膝をずらして、腰をもつてくる……。そこぢやない……。もつと下……十分はいつたら、ぐつと持ち上げる。それと一緒に、肩ぐるみ、からだをねぢつて、あたしのからだを宙に浮かせる……。さうさう、すぐに、その膝を、右、左、倒れたからだのうへにのせて、胸を胸に押しつけるやうに、両手でこの襟をつかむ。反対、反対、かういふ風に、左手で右襟、右手で左襟、それでなけりや、締らない。肱を張つて、あたしの両手が云ふことを利かないやうにする。そんなに顔をはなしてると唾をひつかけるよ。頬と頬とがすれすれになるくらゐ……。まさかの時にや、相手の鼻にかみついたつていいんだ。さ、遠慮なく締めてごらん。

シゲ  締らない。あんたの手が邪魔だ。

校長  だから、もつと早く、やればいいのさ。ぢや、手をどけるから締めてごらん。

シゲ  こんだあ、頤が邪魔だ。

校長  遅いからよ。そら今だ、急いで……。

シゲ  あ、いけねえ……苦しい。

校長  この通り、あたしの腰から下は自由よ。どつこいしよ。


校長の両脚に、腰をはさまれたまゝ、シゲは仰向けにひつくり返る。ロクは、この光景をぢつと眺めてゐる。


ロク  シゲさんは、また、なんだつて、そんな稽古をはじめたんだね。

シゲ  (やつと気がついたやうに)おや、ロクさんかい。とんだところをみられちやつたね。なに、白状すると、近頃、夜道が物騒だつていふからね、おれはもともと、腕つぷしには自信はなし、まさかの場合に、柔道の手をひとつぐらゐ覚えといてさ、不届きな海女の一人や二人、目にものみせてくれよつて肚さ。そこで誰にも知れんやうに、校長さんに手ほどきをお願ひしてるわけだ。

ロク  へえ。このわしも、校長の柔道は、かねて、話にはきいとつたが、この目でみるのははじめてだ。仲々、やるらしいね。

シゲ  やるどころぢやない。お前がこの手なみをまだ知らんといふのは、いかに、夫婦中がむつまじいかといふ証拠だよ。

ロク  お前がさういふから調子にのるわけぢやないが、この校長といふ人は、柔道ばかりと限らず、なんでも、知つてることは知らんふりをし、出来ることも出来んやうな顔をして、すましてござるんだよ。教育者には珍らしい謙遜なところがあつて、わしは感心しとるんだ。

校長  をかしいよ、ロクさん。そんなこと、人様の前で云つちや……。知らないことは知らない。出来ないことは、出来ないだけの話ぢやないか。

ロク  何を……(ネエ……と聞こえる)それ、その通り白を切ることのうまさ。だれだつて、だまされちまうよ。

シゲ  能ある鷹はなんとやらつて云ふからな。

ロク  ちげえねえ、亭主にもみせたくない爪があるらしいよ。

校長  ひつかくよ、うるさいと……。それはさうと、お前さん、なんか用事があるのかい? のこのこ、今時分、一人でであるいて……?

ロク  それを早く云ふのを忘れてた。キン坊がベランダからおつこつて、足を折つちまつたんだ。医者へ連れてつたんだが、ヒイヒイ泣いてしまつにおえないから、ちよつと行つてやつてくれよ。

校長  なに、キン坊が脚を折つた? お前さんがついててかい?

ロク  おれは、ついてるにはついてたが、つかまへるのがちよつと遅かつたんだ。

校長  この間抜け野郎! お前さんが頸の骨でも折ればよかつたんだ。

シゲ  全くだ。今からでもおそくないぞ。子供の守りもろくに勤まらぬ亭主なんぞ、あつて無きが如きもんだ。

ロク  他人の君からさうまで云はれる理由はないと思ふが……。

校長  他人、他人て、いつたいだれのことを云ふの? お前さんだつてもとを正せば、赤の他人ぢやないか? 偉らさうに云ひなさんな、シゲさん。ぢやあ、又、この次……。


校長、そこを立去らうとする。ロクが、その前に立ちふさがる。


ロク  さつきから、どんなにお前さんを探したか、学校にやもうゐない。役場へも、公会堂へも行つてみたが、誰もお前さんをみかけないといふ。てんで行き先きがわからないから、わしは、あつちこつちを一時間もほつつき歩いたよ。

枚長  だから、どうだつて云ふのさ。何処へ行かうと、あたしの勝手ぢやないか。

ロク  勝手にや違ひないが、ちつとは、捜す身にもなつてくれ。

校長  へえ、あたしに苦状が云へた義理かい。そのゴボーみたいな面を洗つて来い。(さう云ひながら、パチパチと平手で頬を打ちのめし、そのまゝ出て行く)

シゲ  女房に逆ふのは、損だよ。ロクな目に会やしないよ。

ロク  (恨めしげな形相でシゲに近づく)もとを正せば、てめえのおかげだ。習ふにことをかいで、ありや、どうみても、気の立つやうな稽古事だ。

シゲ  おれに因縁をつける気か。さあ、来るなら来い。(身がまへる)

ロク  (落ついて)行くともいはねえのに、来いとは、なんだ。ちつとばかり本を読んだからつて、うちの校長と、あんまりなれなれしく口をきくな。

シゲ  おや、ききずてならぬ、今の台詞。おれと校長とが、なんだつて云ふんだ。

ロク  そいつは、手前の方がよく知つてるはずだ。おれは、大体そのノツペラボーな、面付きが昔から気にくわんのだ。

シゲ  なにを!(おどりかゝるが、たちまち、ムウとうなつて尻餅をつく、ロクの突出したこぶしが鼻柱にあたつたのである)


ちやうどそこへ、警官トラが、校長を無理に引つ張るやうにして連れてくる。


トラ  手間はとらせない。ちよつとシゲさんに会つて、イワさんがどうしてもコンクールに反対するか、それとも、筋さへ通れば我を折つてくれるか。そこのところを、校長さんから、うまく訊ねてみてもらひたいんだ。

校長  だから、それはわかつたが、いま、あたしや、それどころの騒ぎぢやあないんだ。子供が病院で、ヒイヒイ泣いてるんだ。ロクの間抜け野郎に脚を折られて……。

トラ  うん、もつともだ。しかし医者がついてるんだから、大丈夫だよ。それより、実のところ、役場でも困りぬいてゐるんだよ。肝腎のイワさんが反対で頑張つてゐられちや、若いものの気勢もあがらないし、助役のジンさんからあたしに相談があつたもんだから、重々あたしの出る幕じやないことは知つてるけれど、これは、是非校長さんに相談して、おだやかに話をつけてもらはうつて、たつた今、学校へ寄つて来たところなんだよ。

校長  医者がついてたつて、泣くのはどうすることも出来やしないよ。

トラ  さういふ時、お袋の顔をみると、子供はなほさら、ピーピー泣いてみせるもんだ。おや、ロクさんが来てるよ。

校長  (シゲの様子がをかしいのに気づき)どうしたのさ、シゲさん?

シゲ  (校長をみあげたまゝ、黙つてゐる)

校長  ロクさん、お前、さつきから、こゝにゐてなにしてたの?

ロク  なんにもしてないよ。たゞ話をしてただけだ。わしがシゲさんと仲のいいことは、誰でも知つてゐる。二人がいつもの通り、他愛もない冗談口をたたいてゐると、どこからともなく黒い人影が、すつと眼の前を通りすぎた。おやッと思つて、一二歩、あとすざりをすると、シゲさんはこの通り、鼻をおさへて、しやがみこんでるんだ。

校長  (シゲのそばへ歩み寄り)それ、ほんとかい、シゲさん? 誰が来たのこゝへ?

トラ  女か、男か、ロクさん、その人影つていふのは?

ロク  わからん。

トラ  また、怪事件だ。いづれ後から二人に詳しい様子を訊ねるが、さし当り、シゲさん。怪我つていふ程の怪我でもなささうだから、ひとつ、校長先生と、底を割つた話をしてみてくれ、ロクさん、あたしたちは、もう用がないんだから引き上げよう。


警官トラがためらうロクを促して、そこを立ち去らうとすると、往来から騒々しい足音と人声が聞えて来る。

イワとリキが先頭に立ち、多勢の海女がぞろぞろ、その後について中庭に入つて来る。


イワ  さあ、うちのシゲに、とつくり、反対のわけをきいてくれ。

リキ  おれはもう、そんな話は聞いてもしやうがない。みなの衆、聞きたけりや、聞くがいい。そして、おれの側につくか、イワの側につくか、はつきり、きめてくれ。

イワ  校長さんも来てるのか。こりやちやうどいい。さつき、浜できのふのことを相談してみたんだ。すると、このリキのやつが、おれに楯ついて、どうしても、選手を村から出すとぬかすんだ。トラさんもゐるな。お前も公平な立場で、シゲの云ふことを聞いておくれ。

校長  イワさん、まあ、この問題は、賛否両論あつていいんだから、もうちつと穏かに意見の交換をしたらどうだね。さう楯つくとか何んとか云はずにさ。リキさんの云ふこともちやんと聞き、あんたの云分もよく聞いてもらひ、その上で、みなの衆の意見を徴してさ、最後に賛否を多数決できめたらいいぢやないか。

イワ  それが、あんたはさう云ふがさ、このリキのやつは、頭からおれを馬鹿にしてかかりやがるから、おれは、カッとしたんだよ。

リキ  なにも馬鹿にしたわけぢやないさ。はじめに、あたしは、かう云つたらう──今度のコンクールは、誰がなんといつても、これは、村の名誉のために、是が非でも、われわれの仲間から、優勝者を出さなきやならん。なるほど選手の選抜はやゝつこしいが、お互い、内々のことだから、なにもさう、遠慮や気兼はいらん。われと思はんものは名乗り出るがよし、どれかの資格にはまらんと自分で思つたものは引つ込むがよし。ともかく、みんなのなかから、二人を選ぶことは、さうむづかしくはなからうと、かう云つた。するとおぬしはどう云つた。──資格にはまらんとは、おれのことか? おれの面相が落第だつてことは百も承知だ。かう来た。こつちは、そんなことまで考へちやゐない。ともかく、誰でもいい。村で、これならといふ女が、二人出りやいいんだ。おれは外のことは自信はないが、潜水時間なら、多分、今ぢや、ほかの衆にまけないつもりだ。出してもらへたら、よろこんで出る。村のために気を吐いてみせる。かう思つてるだけだ。

イワ  潜水時間なら誰にも負けないたあ、ちと口幅つたかねえか。が、そいつはまあ、試してみなけりやわからんものとして、その、ご面相の方は、それで、及第と思ひ込んでるらしいのが、おれや、たまらなくをかしいんだ。


突然、群衆のなかから大声で笑ふものがある。みなの視線がそれに集まる。床屋の女房、サダである。


校長  こら、イワさん。それがいかん、それがいかん。そんなことは今、言ひ出すべきことぢやない。審査委員にまかしとけばいいのさ。それより、わたしは女だから、イワさんに代つて、海女の衆たちに、イワさんの反対理由を、わかり易く云つてみれば、第一に、海女の海中作業つていふものは、純然たる生産的職業であつて、決して、スポーツや、演芸などのやうに、興味本位の観覧物であつてはならない。これがひとつ。第二に、仮に優勝者を決めるとすれば、これまた、能率を絶対標準とする以外、見てくれの要素を条件のうちに加へることは、作業の性格を歪めるものだ。といふこと、これが二つ。第三に、これがむしろ一番重大な理由だが、海女の作業は、現実に生命をかけてゐる場合もないとはいへないけれども、そこには、いつでも自由意志が完全に支配する余地がある。ところが、賞をかけ、名誉心をあほり、極端な競争意識をかりたてることになると、そこには、反射的に自分の意志以上の力が、行動を左右しかねない結果が生じる。これが、勝たずば生きて帰らずといふやうな、熱狂的、盲信的な心理状態に選手たちを追ひ込むおそれが多分にある。不測の災難は、かういふ事情のなかで、しばしば発生するのだから、この種の競技は、もはや少くとも競技としての健康性、明朗性をもつてゐない。はつきりいへば、人道的にみて、多分に疑問のある催し物ではないか。といふ難点、これが第三の理由だ。どうだね、リキさん。この三つの理由を更に反駁するなら、反駁してみなさい。ほかの衆でもいい。どしどし意見を出してもらひたい。

リキ  だいたい校長さんの言つたことはわかつたが、第一は、人がみてゐてもみてゐなくても、こつちは、別に変つたことをやるわけぢやないから、それは、理由にならん。

サガ  第二は優勝の標準を能率だけといふなら、アワビの数の多いところへ潜りあてたものが得をするにきまつてる。これぢや、運が半分以上だから、競争が競争にならんわけだ。勝つたところで、さして名誉とはいへないし、やつぱり、能率のほかに、海女の技術を比べる意味で、潜水時間、それから、からだの上手な扱いをみせるフォーム。それと、いく分でも、海女の作業といふもんを、美しい印象として世間に知らせるために、活動的な女性美の要素を条件の一つにするのは、決して、卑しい動機からとばかりは考へられない。これで第二の理由は成り立たない。

モク  第三は、これこそ、海女の作業の一番の特色であり、われわれにとつて、それが却つて仕事の魅力となつてゐる。あのスリルを、まつたく無価値なものとする俗論だと思ふ。(盛んな拍手が起る)

サダ  ヒヤヒヤ、しつかり頼むよ。

校長  さういふスリルを楽しむことが、人間の厳粛な勤労となんの関係がある。海女の作業は、たしかに原始的で、それだけに、悲壮なものではある。たゞ、これに代る技術が発達しない限り、続けることをゆるされてゐるといふ、云はば、前時代の遺物的価値があるにすぎないのだ。なるほど、みなの衆は、その仕事に熟練し、その熟練が、一種の快感を自他ともに与へてゐることは事実だが、しかし、かういふ熟練が、そもそも、すべての進歩を阻む原因になつてゐる一面を見逃してはならないのだ。

サダ  それも、一理ある。さすがは校長さんだ。


「うるさいね」と二三人の海女が、サダを外へ連れ出すが、すぐにまた戻つて来る。


サガ  校長は空論を吐いて得々としてゐる。彼女の眼中には、同性たるわれわれの存在はないのだ。彼女は現実に背を向け、村の生活から希望を摘み取らうとする反逆者だ。

女P  決を採れ、決を……。

女Q  賛成、手をあげろ。絶対多数だ。

トラ  多数決が一番公平さ。イワさんも、校長さんも、まあ、よく闘つたよ。

イワ  みなの衆、まあ、聞くがいい。この勝負はたしかにおれの負けらしい。なるほど、これが世の中といふもんだ。おれはもう、なにも言はん。勝手に誰でも選んで、コンクールへ出すといい。リキが優勝して帰つて来たら、みんなで、盛んな祝賀会を開かう。校長先生、ありがたう。あんたは、ようく、おれの腹の中がわかつてくれた。これだけゐる女たちの中で、あんた一人がおれの味方だつたつてことは、おれは、一生忘れないよ。


群衆の中から二三の声が叫ぶ。


──あたしだつて、さうだよ。

──あたしも、さうだ。

──味方は、こゝにもゐるよ。


イワ  あ、さうか。誰だか知らないが、よく言つてくれた。まあ、いいや。さういふ衆を校長さんに代表してもらつて、おれは、校長さんに頭をさげる。この通り……お礼を言はしてもらふよ。みなの衆。今日、こゝへ集まつて、この校長さんの話を聞いたことだけ覚えといてくれよ。おれは、二十年近く、海女の稼ぎで食つてはゐるが、もしおれに娘があつたら、金輪際、海女にはしないつもりだつた。もしもおれに息子があつたら、これも又、金輪際、海女のとこへは婿にやらん決心だつた。おれが知つてるだけでも、この村で、十幾人の海女が、海の底へ呑まれちまつたんだ。おれは、そのたんびに、自分のからだがけづり取られるやうに、身ぶるひをしたもんだ。だが、なあ、たつたひとつ、海女になつてよかつたと思つたことは、ここにゐる衆には、云はんでもわかつとるが、亭主を遊ばして食はせとくだけの甲斐性がついたことだ。さうだ……この村が、どこの村よりも早く男を自由な、気楽な身分にしてやつたことは、おれたちの先輩が、さういふ道をちやんと開いておいてくれたからだ。校長先生、これだけのことは、あんたの前だが、云はしてもらふぜ。あゝ、よく、喋つた。さあ、みんな引きとつてくれ。これから、先生とおれとが、うちの宿六を真中に挟んで、仲よく、一杯飲まうていふ算段だ。おれは、負けた。こんなに見事に負けたことは、これまで、なかつた。先生、シゲさん、すまなかつた。ほんとにすまなかつたな。まあ、いいや。さう固くならずに、先生、膝を崩しなよ。どつこいしよつと──。今、ちよこちよこと支度をするからな。先生がこんなわかつたひとだとは、こんどはじめて気がついたよ。だが、うちの宿六も案外話せるだらう。男の中の男つてやつさ。ウフ……先生の前だけどさ……。(後をふり返へりながら、勝手の方へゆつくり歩いて行く)

校長  (思ひ出したやうに)イワさん、まつたく、あんたは、いい亭主をもつたよ。あ、あたしや、かうしちやゐられないんだ。坊がひとりで泣いてるんだ。イワさん、シゲさん、ごめんよ。


リキをはじめ、海女たちは、その間に笑ひながら、出て行く。校長もその後から、慌てて走り出す。

サダがひとりまだ中庭に残つてゐる。


サダ  この村に男らしい男は、あたしの眼鏡ぢや三人しきやゐないよ。云つてみようか。正直なところ、こゝのシゲさんが一人さ。どつか、性根のすわつたところがあるよ。それから、あの、すれつからしぢやあるが、小粋で、歯ぎれのいゝ、ナミさん。もう一人は、憚りながら、うちのサキだ。

イワ  やかましい! ここは、てめえたちの出はいりする家ぢやないぞ。さつさと消えうせろ!(甲高く叫ぶと、そのまゝ、奥にゐるシゲのそばに近づき)シゲさん、お前、加減でもわるいのかい?


イワは、シゲの額に手をあて、栓をした鼻の孔に気がついて、驚く。シゲはイワの顔をみあげ気まりわるげに強いて笑顔を作る。


シゲ  鼻血だよ、のぼせたんだよ。




第四幕


海浜の小高い丘。

「海女の女王」選抜競技場を見下す観覧席の一隅。

ハナマキ村と書いた立札がみえ、そのあたりに、急造のベンチがいくつかおいてある。

盛装の男女が、あちこちに一団となつていづれも熱心に、海をながめてゐる。そのなかに、ユラ、イワ、ロク、ナミ、ヒサ、サキ、モク、サガ、サダ、等の姿が目立つ。(観客席を海の方角と見立ててもよい)


スピーカー

第二回予選の成績を、たゞいま、審査中である。第一回予選にパスした選手は二十九名、いづれも選手中の選手たるにふさはしい資格をしめし、見られる通り、意気ケンコウ、闘志満々、早くも、第二回予選のコースを終つた。審査員十名は、慎重に、公平に、それぞれの採点表を比較検討して、順位の決定を急いでゐる。

県知事、県会議長、その他、県下の名士も多数に臨席し、農林大臣の祝電が到着した。その祝電を披露する──

「イマヤカイサンブツノ ワガサンギヨウカイニオケルジユウヨウセイガタカマリツツアルトキキケンナラビニキシヤノシユサイニカカル アマコンクールハ マコトニキギニテキセルモヨウシニシテ ホンダイジンノフカクチユウモクスルトコロ ココニ リヨウシユサイシヤニケイイヲヒヨウスルトトモニ センシユシヨシノケントウヲイノル」


警官トラを先頭に、助役ジンが村長を案内してくる。村長は百歳に近いと思はれる老婆で、岩乗らしくはみえるが、もう関節がきかず、とぼとぼと杖にすがりながら、与へられる席につく。

周囲のものが、ぞろぞろ起ちあがつて会釈すると、それにいちいち応揚に答へる。


助役  (一同に向ひ)村長さんはわざわざ主催者が用意してあるといふ、来賓席より、こつちの方がいいつて言はれるんだよ。村の衆といつしよにごらんになりたいんださうだ。

女A  村長さんになにがみえるかだ。

警官  シッ!

助役  リキもタケも、第一予選にパスしたらしいぢやないか。

モク  パスしたどころじやないよ。タイムぢやリキさんが一位、タケちやんが十二位だよ。第二予選でどうなるかだ。

ナミ  タケを出すのは、おれは反対だつた。いよいよとなつたら、あいつは、岩にしがみついても、出て来ようとしないよ。さういふ女だよ。

ロク  さういふところもあるにやあるが、また一面には、競争なんぞ、眼中にねえ、無邪気で恬淡なところもある。なにしろ、ああみえて、まだ、ねんねだよ。

ヒサ  なるほど、ナミさんとロクさんとが、さう云ふ風に、おなじタケちやんをみてるところが面白い。

サガ  男の衆は、すこし、口数が多いよ。

女A  寄るとさはると人の噂だから、いやになつちまう。

女B  神聖な競技場をなんだと思つてるんだ。

モク  あ、リキさんが、こつちを向いて、手を振つてるよ。

サガ  リキさんは心配ないさ。タケがうまくパスしてくれやいいが……。

ロク  (助役に)タケちやんを出したのは失敗だつたね。なにも今年と限つたわけぢやないんだから、もう、二、三年、年を取らしてさ、うんと油の乗つたところで、悠々と勝たしたかつたよ。

助役  さうは云ふけど、あれだけの美しさをいつまで保てるかだよ。

女B  ほらほら、リキさんが、こつちへやつて来る。タケちやんも後から走つて来るぢやないか。


この時、校長ガクが、空を見上げながら、いかにもお義理にその場に来たと云ふ風で、登場。


校長  やあ、村長さん。ここかね。あたしはさつきから、来賓席で、ナギリ村の村長と話をしてたんだよ。久しぶりで会つたもんだから……。耳があんたより、もつと聞えないんだ。声を出すのにひと苦労さ。

村長  …………。

校長  ロクさん、お前、今日は早く帰つておくれよ。坊やを応接へ入れて錠をかつて来たから……。

イワ  (校長に)おれは来ないつもりだつたけれど、シゲにさういふもんぢやないつていはれて、しぶしぶ出て来たんだよ。

校長  そりやあ、やるときまれば、どんなに反対したもんでも、村の優勝を祈る気持ちはあるさ。さういや、シゲさんの顔はみえないぢやないか。

イワ  あいつは神経質だから、人前ではらはらするところを見られるのがいやなんだよ。どこかの蔭で、そつとのぞいてるんだらう。

校長  今朝、学校の図書室で、世界水泳史つていふ本を読んでると……。

スピーカー

第二予選の結果を発表する。審査の都合上、成績の内容についてことさら詳細の発表を行はない。ただ、潜水時間のレコードのみによる順位に従つて、次の七名を決勝戦出場選手と決定した。


この時既に、リキとタケとがそこに立つてゐる。タケは胸に32、リキは33のマークをつけてゐる。


敬称を略する。

ハナマキ村のリキ    (満場の拍手)

シラタマ村のゲン    (遠い拍手歓声)

タコツボ村のクマ    (同じ)

モモシキ村のヒヤク   (同じ)

ウラシマ村のカメ    (同じ)

カグラ村のハチ     (同じ)

ハナマキ村のタケ    (歓声拍手)

以上七名。

決勝戦は規定通り、同時一回の綜合競技によつて、審査員の採点を基礎とし、一等、女王一名。二等、準女王一名。三等、女丈夫一名選抜。それぞれ表彰の予定である。

女王は言ふまでもなく、海の女王。海を母とし、海に生き、そして、海の王国を支配する逞しき美女の象徴である。


この時どこかで「ケッ」といふ声を出したものがある。警官トラの眼が黒色に輝き、あたりをそれとなく見まはす。


これより、十分間、休憩。


スピーカーが終ると、一同、起ちあがり、口々に、リキとタケの名を呼び、女たちの多くは、二人のそばにかけより、肩を叩き、手を振りなどする。


サガ  変な気持ちだね、この気持ちは……。砂の上をガサガサ匐ひまはりたいやうだ。

モク  待ち人来るか、来らぬかつていふやうな気持ちさ。

リキ  タケはよくも頑張つたなあ。第二回は正直、あぶないかと思つた。三分を切れたものは、容赦なく落すつていふ、内々の打合せがあつたらしいんだ。タケは、その、ギリギリさ。

サガ  リキさんのタイムは?

リキ  四分十五……。そりやまあ、どうでもいいや。おれはただ、ほかの村に、一等をとらせたくないだけだよ。

モク  シラタマのゲンは、ありや曲者だよ。

サガ  二十七だつていふぢやないか。いやに恰好をつけやがつて……。あのからだの曲げ方はなんだい。ギリシヤ彫刻の真似かい?

女A  タコツボのクマだつて、ちよつと油断は出来んていふ代物だよ。色は黒いが、ぜんたいになかなかチャーミングなところがあるぜ。

リキ  おれはうけ合つとくが、決勝で、もし、タケが、タイムを三位か四位までに漕ぎつけたら、きつと女王だよ。審査員の眼が残らずさういつてるよ。いいかい、おれは別として、タイムの点ぢや、二位が確実と思はれるのは、やつぱり、シラタマのゲンか、ことによると、タコツボのクマだ。どつちみち、この二人が三分四十から五十で、二位を争ふことになる。その次へ、誰が来るか。お前はどうしても、その間へ割込むか、せめてそのあとへすぐ続く順位をとらなきや、こいつあ、勝負にならないぜ。クマにしても、ゲンにしても、あの若さで、あの器量で、あのカップクだ。好き好きはあるとしても、この二人に、二位三位をとられたんぢや、もうあぶない。なんとかして、三分四十まで漕ぎつけなよ。

助役  そりやまあ、さうだらうが、あんまり、無理はせんはうがいい。

リキ  この勝負、無理をしなきや、出た意味はないよ。役場の仕事と、ちつたあ、わけがちがふよ。

助役  余計なにくまれ口だ。

ロク  気のたつことが、当節、多くつて困る。

モク  だつて、リキさん。お前が、飛びぬけたレコードなんだから、女王が廻つて来ないとは限らないよ。

リキ  冗談云ひなさんな。おれやまあ、女丈夫位で我慢しとくよ。なにしろ、この年で、この面で決勝戦はキマリが悪いや。

サガ  キマリの悪い女王なんてのが、出来ちまつたら、どうしよう。

リキ  ひとの気も知らずに、なにをぬかす。

イワ  リキ、わかつた、わかつた。余計な心配なんかせずに、おれの四分二十のレコードを破つて来い。

リキ  お前のそんなレコードなんぞ、誰れも認めてやしないや。


シゲが、これも空を見あげながら、ひよつこり現はれる。そのしぐさは校長のさつきの様子とまつたくおなじである。


イワ  お前、どこにいたんだい、いままで。

シゲ  いや、そこで、ヤエガキ村の友達に会つたもんで、ちよつと話し込んじまつたんだ。やつ、ひどい近眼で、おれが声をかけても、そばへ来るまでわからないんだ。

ロク  (独言のやうに)似たやうなことを云ふやつがゐる。

スピーカー

今から、いよいよ、決勝戦にはいる。満場の諸君、主催者並に審査員は、これから七名の選手の、まさに超人的な技術と努力とに、ただ、感歎するのみである。優勝の幸運がそのいづれの手に落ち、いづれの村が今日の栄冠を獲得するか、もはや、天のみがこれを命ずると言ひたいのである。空は晴れて、海のみどりいよいよ鮮やかなるこの一隅、この一刻を、諸君は、そもそも、なんぴとのものと思ふか、なんぴとのものでもない。われらこゝに集るもの全てのものである。やがて、おそらくは神意によつて選ばれるであらう。女王、準女王、女丈夫の象徴的な三つの生命は、これまたなんぴとのものでもない。われら、海を母とし、海に生きるもの、すべての共有物であり、憧れの的である。ねがはくば、満場挙つて、この名を讃へ、この名のために拍手を送られんことを。

ユラ  (となりのシゲに)あれみろ、夢中になつてやがる。

スピーカー

さきほど名前をよんだ決勝戦出場選手は、直ちに出場の準備をせよ。ホルンの吹奏を合図に、ここへ集れ。

ユラ  (シゲに)おれは、ふつと、ゆうべ、こんな事を考へたよ。今日こそおれの自由になる日ぢやあるまいか、つて……。

タケ  (独り言)三分二十秒、大丈夫かな……。

リキ  (タケの肩へ両手をかけ)さ、元気をおだし、水へ潜つたら、おれのそばをはなれないやうにしろよ。頑張れるだけ、頑張つて、さあつていふ時に、おれに合図をしろ。おれは直ぐに、肩をかすから、それへ、かまはずに足をかける。もしか、十分にける力がなかつたら、おれが、うんと押し上げてやる。それで、たつぷり、二十秒は稼げるから……。


ホルンが高らかに鳴り響く。


リキ  (タケの手をとつて)さ、行かう。みんな応援を頼むぜ。おれはどうでもいい。タケのためだ。(立ち去る)

サガ  ちよつと悲壮だね。

ナミ  悲壮を通り越したやうなもんだ。

シゲ  むしろ、滑稽だ。

イワ  なにが滑稽だ。男はこれだから、しやうがない。なあ、校長さん。

校長  ものは考へやうさ。

ロク  考へれば考へるほど、女の気持ちは、わしにやわからん。

サキ  ユラさん、お前もなんとか云へよ。

ユラ  万感こもごもといふやつだ。おれは誰れが勝たうと負けようと、さしたる興味はない。(シゲの耳に口をよせ)わしは、ただ、あいつから解放される予感で、胸がわくわくしてるんだ。(ニヤリと笑ふ)

シゲ  つまらんことを云ふなよ。リキさんは、ありや、不死身だよ。神妙にその希望はあきらめろ。

ユラ  うんにや、諦めない。わしには、いま、ある情景が眼に浮んでゐる。あいつが、海の底で、岩にへばりついて動かなくなつてる姿が、ありありと見えるんだ。(また、ニヤリと笑ふ)

サガ  ああして、勢ぞろひしたところは、ちよつと見られるね。長くて細いの、丸くて短いの、なんとなく硬いの、やはらかいの、全体に線の明るいの、暗いの……色とりどりぢやないか。

女A  そら、はじまるよ、はじまるよ。

女B  リキさんが、こつち向いて、手を振つてる。

サダ  リキさアん、しつかり……。タケちやん、がんばれえ……。あたしがついてるよう……。


一同、苦々しい表情。そして、突然、一斉になき出す。

やがて、銅羅の音。水のはねる音。

しばらく、しんとする。


スピーカー

決勝戦のタイムを、順を追つて報告する。第二回予選のタイムは、最高記録ハナマキ村のリキ、四分十五秒。次点、シラタマ村のゲン、三分二十三秒。アワビ及サザエの採集個数の記録。最高、タコツボ村のクマ、二十七個。次点、カグラ村のハチ、二十五個。経過時間、いま、一分十秒……三十秒……二分……二分三十秒……四十秒……五十秒……三分……。

女C  あ、もうあがつた。誰だい?

スピーカー

十七番、三分三秒……九番、三分六秒……二十四番、三分十一秒……四十二番、三分二十三秒……六十一番、三分二十六秒……三十二番、三分二十七秒……。


女たち、大ぜい起ちあがり、万歳を叫ぶ。


ナミ  あ、倒れた……タケが倒れた。

助役  誰か行つてやれ。

モク  おれが行く、もう一人、誰か来い。

ナミ  わしが行かうか。

モク  だめだ。男ぢや、だめだ。


モクに続いて、サガが走り出す。


スピーカー

三十三番、四分……四分十秒……二十秒……三十秒……。


校長  ほう、無茶だ。これや……。

サキ  人間業ぢやないね。

イワ  バカバカしい。いい加減にしとくもんだ。

助役  なにをしとるんだらう、いつまでも……。


スピーカー

四分五十秒……五分……五分十秒……二十秒……三十秒……。


ロク  きりがないや、これや……。

ユラ  (独言)しめた、もうあがつて来ない……。(ニヤリとする)


スピーカー

六分、六分……。

別の声──おうい……こりや、いかん救護班……なにぐづぐづしてるんだ。

別の声──おい、潜水隊、作業始め!

ヒサ  (おろおろ声で)リキさんが出て来ない。そんなはずがあるもんか。だれが捜しにゆく? わしは海の底は不案内だ。頼むから、誰か捜しに行つてくれ。

イワ  人騒がせをしやがる。

トラ  (慌てずに)あたしは、どうしてこゝにゐるんだ? いけない、ともかく事件の現場へ行つてみなくつちや。(去る)

助役  あたしも、行くのがほんとだらうな。

校長  あたしはどうしたもんだらう。どうするのがほんとだらう?

シゲ  (小声で、ユラに)へんな予言をするやつだ。あたつちまつたぢやないか。

ユラ  (舌を出し)待てば海路の日和とはこのことだ。

校長  ユラさんも気の毒だが、これは、それ以上、由々しい問題だ。

ロク  人間は調子に乗るといふことがあるもんだ。自分でかうならうと思ふやうに、誰だつてならないことがある。

校長  お前はつべこべ云ひなさんな、かういふ時は。

女B  おれたちも、かうしちやゐられないぜ。みんな、とにかく、捜しに行かう。

ユラ  とにかく、しかと、この眼でみないことにはうつかりその気にもなれん。(去る)


助役、その後につづく。海女たち、二三の男、一斉に走り出す。


イワ  負け嫌ひの度がすぎたか。おれが四分二十を持ち出したのが悪かつたかな。

校長  しかしね、イワさん。これや、ただの負け嫌ひぢや片付かないよ。なにかリキさんに魂胆があつて、こんな結果になつたんぢやないか知ら?

シゲ  そりやさうさ。

イワ  そりやさうさとはなんだい?

校長  いや、なに、タケをどうかして女王にしたい気持ちはあつたんだよ。自分のことを忘れて、タケのことばかり考へた結果ぢやなからうか。

イワ  一応はね。だが、万一、自分が女王になれたら、なほさら本望の至りなのさ。さういふ女だよ。レコードをぐつと引きはなさうとして、岩にしがみついてるうちに、心臓マヒを起したのさ。

校長  心臓マヒだと、助かるまいね。

シゲ  水からあがる時の、あの、ピユーつていふ笛みたいな声が、わしは、どうかすると、夢の中で聞えるんだ。あれはなるほど、生きてゐるといふ証拠にはちがひないが、世にも悲しい生の凱歌だよ。

イワ  おまいさんはいつでも、そんなことばかり云つてるけれど、海女の仕事が命がけなんていふのは嘘だよ。ねえ、先生。お産の方がよつぽど命がけだねえ。

校長  それも、あんたの思ひすごしだよ。あたしのお産なんざあ、気まりが悪いほど軽いもんだつた。さあ、これからだと、きばりかけると、なんのことはない、もうすんじまつた後さ。

イワ  そんなひともゐるかねえ。おれや、お産だけは悪いけど、うちのひとに頼みたいと思つてるんだ。

シゲ  できることなら、お安いご用だ。

サダ  あたしや、これで五人目だけど、だんだん、うなり声が小さくなるらしいよ。うちのひとがさういふんだから、たしかなもんさ。

校長  世の中がこゝまで進んだんだから、もうそれくらゐの権利譲渡はしてもいいね。

イワ  さうさ、亭主が器用にはらんでくれれや、おれも餓鬼の一人や二人こさへてもいいよ。

サダ  (トンキョウに笑ふ)さういふ亭主がゐたら、あたしや、今の亭主を追んだしてみせるよ。

校長  シゲさんがあんな顔してるよ。

シゲ  わしはさういふ話は、あんまり好かんよ。

イワ  どんな顔でもするがいいさ。先生の前だけど、このひとぐらゐ、不粋で、意気地なしはないんだよ。ほかの女と、ろくに口も利けないんだからねえ。あたしに遠慮はいらないから、浮気のひとつもしてみせなつて云つてるんだけど……。

校長  おや、おや、シゲさん。お神さんのおゆるしが出てるんなら、もつと大ぴらに、そこいらの娘ツ子を追つかけてみなよ。

ロク  (無理な咳払ひをする)

イワ  ちえッ、先生も隅におけないね。そんな砕けた調子が、たまにやでるのかい?

校長  かはらないよ。これでも、昔は、泣いたり笑つたり、多少はしたんだから……。

イワ  冗談にもなつてやしないや。シゲさん、この先生がさういふお方かどうだか、ちよつと当つてみな。村の法律なんぞ、別に気にすることはないさ。とにかく、先生の指先にお前がさはつてみせたら、おれは、尼寺へはいつちまうよ。なあ、ロクさん。

ロク  校長は、柔道二段の免状もちだ。

シゲ  おい、ちつとは、考へなよ。今、そんなことを云つてふざけてゐる時ぢやないよ。あれみろ、女衆は、みんな海へ飛び込んだ。

校長  まつたく、あたしたちはどうかしてるよ。リキさんのことをまるで忘れてた。

イワ  忘れてやしないよ。お通夜の気分を、早くだしてみたかつたんだ。

シゲ  あ、潜水夫があがつて来た。なにか綱で引き上げてる。

校長  みつかつたんだ。


あたりに、ひとしきり、ざわめきが起る。


校長  もうダメかな?

シゲ  これがわかつてゐて、おれにはどうすることもできなかつたんだ。リキさんが無事なら、タケちやんに、きつと、間違ひが起つたにきまつてる。

イワ  ちよつと、黙つて……。何か云つてるぢやないか。

スピーカー

満場の諸君、悲しむべき結果を報告する──。救援作業によつて、ハナマキ村のリキさん、只今意識喪失の状態で引き上げられた。医師の検診及応急の処置が終つた。致命的な心臓麻痺のため、一切の手当は無効に帰した。主催者は、この計らざる不幸に直面して、重大な責任を感ずると共に、犠牲者並にその遺族、更に、村当局、村民諸君に対して、深く遺憾の意を表する。なほ、参加各村代表、及び、競技観覧者各位にこの事件が与へた衝撃をわれわれは無視するものではない。明朗多彩なるべき本競技に、暗澹たる一抹の影を投じた罪は、厳しく省みられなくてはならない。各方面への陳謝の方法は、追つて講じるつもりである。

不幸なる犠牲者、ハナマキ村のリキさんは、第一、第二の予選に抜群の成績を示し、輿望をになつて決勝戦に出場した。果して、彼女の作つた、四分十五秒といふ潜水タイム最高記録は、決勝戦に於いても、これを破るものはなかつたのである。

慎重なる総合審査の結果、ともかくも、本競技会の目的たる優勝者を、決定発表することにした。

第一位、女王、ハナマキ村のタケさん。(拍手、歓声)

第二位、準女王、モモシキ村のヒヤクさん。(拍手)

第三位、女丈夫、タコツボ村のクマさん。(僅かな拍手)

以上の外、ここに、全審査員の発議により、別格として、準女丈夫の席を設け、謹んで、ハナマキ村のリキさんを神霊として、その席に迎へたいと思ふ。


沈黙がこれに応へる。


ロク  うまく恰好をつけるもんだ。

シゲ  女丈夫といふ言葉は、ちよつと、今の時代では意味をなさんね。

ロク  ますらめあつて、たをやを、なんぞなからんやか。

村長  県庁と新聞社が一番時代遅れだよ。

イワ  みんな帰つて来るよ。タケにはお祝ひを言つてもいいだらう。

シゲ  わしは云はないよ。

校長  いや、タケさんは、なんにも知らないんだ。一生懸命にやつただけだよ。


花をあしらつた月桂冠をいただいたタケを中央に押し立てて、一同帰つて来る。タケを村長の前へ連れて行つて立たせる。


村長  タケか。ムニヤ、ムニヤ、ムニヤ……。ハッハッハッハ……。

校長  やあ、おめでたう。タケさん、よくやつたなあ。

タケ  おれの手柄ぢやない。

モク  そんなことないつたら……。おまいはおまいの力で勝つたのさ。リキさんの不幸とは別問題だよ。

ナミ  なあ、タケ。もう、女王になるのは、今度きりで、やめてくれ。わしはこりごりだ。

イワ  タケ、まあ、よかつた。どんなことがあつたにしろ、おれたちは海女同士だ。みんな、よろこんでるんだから、そんな悲しい顔をするな。だが、これからは、できることをやれ。できることを……。

タケ  うん、今日までおれは、なんにも知らなかつたんだ。イワさん、これから、なんでもお前のいふことはきくよ。きつと、きくよ。

イワ  よし、よし……。もう、いゝ。

女C  あれみろ。リキさんは、あんなになつて帰つて来た。


リキの死体を担架にのせ、サガと女Aとが、それを担いで来る。周囲に、ユラをはじめ、それを取り巻くいくたりかの女。警官トラ、助役と並んで後からついてくる。

一同、黙祷。


助役  (村長のそばへ行き)これから、リキの遺骸を村に運ぶことにします。

スピーカー

只今、われらの準女丈夫、ハナマキ村のリキさんの遺骸が、村の人々に守られて競技場を出発する。われら一同謹んで、この葬列を見送ることにしたい。満場の諸君、これから最近政府によつて撰定された、公式葬送曲第二号カポレニヤを合唱しよう。


やがて、吹奏楽につれてカポレニヤの合唱がはじまる。


イワ  みんなで送つて行くのか?(立ちあがる)

助役  ゆつくり歩いて三時間だ。タケさん、おまい村長と並んで先頭に立て。それから、ユラさん。おまい、リキさんのそばにゐてやれ。イワさん、お前も仲よしだ。そばについてくれ。さ、でかけよう。


担架は、これらの人々に守られて、静かに動き出す。一同、思ひ思ひにその後から歩を運ぶ。ユラ、担架の傍らを歩きながら、とつぜん、声を上げて泣き出す。それは如何にも空々しい作つた泣き方で、義務的といふよりも、むしろ、誇示的である。シゲと校長がしばらくあとに残る。

ロクが、そのへんをまだうろうろしてゐる。枚長が、それを見とがめて、頤で早く行けと指図をする。


ロク  (しぶしぶ去りながら)なにか、ほかに用はないかい、家に……。

校長  (首を振るだけである)

シゲ  かういふ時代がいつかあつただらうか、人間がこんなに生命を軽んじた時代が……?

校長  あたしも、さつきからさう思つてるの。戦争はもう、何百年この方ないといふのに、自殺は年々ふえて行くといふし……、いづれは人と人とが冗談に命のかへつこでもするやうになるんだわ。

シゲ  生きてゐることは、そんなにつまらないことだらうか?

校長  命がけで生きるつていふ生き方もあるわけね。

シゲ  それはたしかにある。われわれ二人はさうかも知れない。

校長  それを言はないで……。さういふことは考へないやうにしてるんだわ。

シゲ  うちのイワが、そんなにこわい?

校長  うちのロクだつて、なまやさしくはないわ。ふだんは神妙な顔してゐるけど、まさかの時には、思ひきつたことをしてよ。

シゲ  そんなことがあつたみたいだね。

校長  いやだわ。あんたはすぐにさういふ風にとるから……。気性を知つてるから、さういふのよ。陰険で、冷酷なのよ。

シゲ  うちのイワがさつきあんなことをいつたらう? わしに浮気をしろなんて……。あれやしよつちゆう云ふこつたが、実は、カマをかけてるんだよ。やれるならやつてみろつていふ肚がわしにはみえすいてゐるんだ。

校長  さういふもんよ。やきもちやきつて……。うちのロクなんぞ、近頃はそれほどでもないけど、以前は、あたしが若い男と口利いてると、わざとそつぽを向くか、眼をつぶつて居眠りしてる風をしたわ。でも、あたし、今は、つくづく幸福だと思ふの。どうしてだか知つてる?

シゲ  それを、わしに云はせるのか。それぢや、わしが、この住みにくい世の中に、どうして、もうちつと生きてゐたいと思ふのか、そのわけを知つてゐるなら、言つてごらん。よう、言つてごらんよ。

校長  そら、そんなこと云ふもんだから、あんなに沖がしけて来たわ。あの鴎の飛びやう……。どうしよう、どうしようつて、お互ひに、訊ね合つてるやうだわ。

シゲ  あんたとわたしみたいに……。

校長  ああ、嘘のない国へ行きたい。

シゲ  そして、競争のない。

校長  競争のない……さうね、競争もいや、いや……。

シゲ  競争と嘘のない国、進歩と恋愛のない国……。

校長  あら、にくらしいペシミスト!

シゲ  痛い。

校長  シッ、誰か来た。イワさんだ。早く、どつかへ隠れなさい。


シゲ、慌てて、後ろの草やぶの中にかくれる。その時、やゝはなれた草むらの中から警官のトラの帽子が、ちらちらとみえかくれする。


イワ  校長さん一人かい?

校長  さつきから、雲の形の変るのを眺めてるんだ。あたしは自然と二人きりでゐるのが、なによりも好きなんだ。

イワ  シゲがたつた今、そこにゐたと思つたが……。

校長  シゲさん? さあ、さつきまでゐたやうだつたが、もうだいぶんになるよ、見えなくなつてから。

イワ  たつた今、そこからみえたんだから、遠くへ行くわけはないよ。

校長  さうかねえ? いつどこへ行つちまつたか、ちつとも気がつかなかつた。そんなら捜してごらん。そのへんにかくれてゐるかも知れないから……。

イワ  これや、をかしい。逃げかくれする理由でもあれや、これや別だが……。やい、シゲさん。どこにゐるんだい……。

校長  耳のそばで、そんなにガナらないでおくれよ。せつかく宇宙の神秘を探らうとしてゐるのに……。

イワ  あゝ、さうか。おれがゐちやそんなに邪魔か。おれは、シゲに用があるから、後もどりして来たんだ。さ、どこにゐるか教へたらどうだ。

校長  うるさいね。知らないつたら知らないよ。お前さんのご亭主なんかに、あたしや用はないよ。

イワ  畜生、シゲの野郎……ふざけると承知しないぞ……。


イワは、あたりに眼を配り、やがて草むらの蔭にかくれてゐるシゲの背中をみつけ出す。悠々と近づいて、首筋をつかみ、引き起す。しばらく、校長と二人の顔を見比べ、けはしい形相を示す。


シゲ  ケッ、なんだお前か……。

イワ  おまいなら、どうした? ハヽヽヽ、下手な隠れ方をしやがつて……。隠れん坊の亀なら、昔は自分で買つて出たものだ。(調子をかへて)それはさうと、シゲさん……冗談はさて置いて、今日といふ今日、おれは考へちまつたよ。人間の幸不幸は思ひがけない時に来るもんだ。おれはもう、肚をきめた。

シゲ  しかし、ちよつと待つてくれ……誤解だよ……イワ……これにはいろいろわけがあるんだ。

イワ  わけなんぞどうだつていい。一旦かうと思つたことは、おれは後へは引けない性分だ。みちみち話をしよう。ただ、お前にも、おれの気持ちがわかつてもらへばいいんだ。そんな情けない眼つきするなよ。

シゲ  しかし、校長さんも、そのことについては……。(校長の方へ救ひを求めるやうな視線をなげる)

イワ  校長の知つたことぢやない。

校長  いや、あんたが、さうとるとしたら、あたしにも言ひ分はあるよ。

イワ  なにをどうとつたか知らないけれど、お前さんの出る幕ぢやないよ。おれは、自分の亭主と寝物語りをしてるんだ。だが、ガクさんが、物好きでそれをききたけりや、こゝで話してもいいが、実は、おれが考へてることはかうだ。当節の仕来りからいふと、女はいくたり男を持つてもいいことになつてゐる。ところが、男は女房ができると、それつきり、一人の女房を守らなけりや、世間もうるさいし、ことに近頃は、罰金までとられることになつた。おれは決して新しがりやぢやないが、それだけは理窟に合はないと思ふんだ。ところで、かねがね、さう思つてたところへ、今日、おれは、ふつと、あることに気がついた。なあ、シゲさん。お前はまだ三十になるかならないかだ。そのお前が、四十に手のとどくおれひとりを後生大事にできるわけがない。

シゲ  そんなことがあるもんか。

イワ  まあ、聞きな。あの女王候補者のずらり並んだところを、おれもみた。お前もみた。ガクさん、お前さんもみた。おれは急に、このシゲが可哀さうになつちまつた。

シゲ  わしが……可哀さう……とんでもない。

イワ  リキがいくらふんばつたつて、あの、タケの眩しいやうな、からだに歯がたつもんか。シゲ、お前は、おれのいい亭主だ。申分のない宿六だ。だが、おれは、タケのもつてるものを、お前にやることはできない。わかつたか。万事、おれに委せな。タケは、明日から、お前のもんだ。おれにないものをタケから貰へ。おれは、お前の臭いだけ嗅いで、ヘツツイと海の底とを往つたり来たりする。それで、ちつとも、損をすると思つちやゐないから……。わかつたな。どうだ、ガクさん、名案だらう。

校長  (黙つてシゲの方をみる)

シゲ  (その視線を、そつと避け)ほんとに、お前がその気なら、わしは、決して、逆ふ気はない。だが、タケは、それを承知するかい?

イワ  馬鹿野郎、おれの力がまだわからないのか! タケがうんといはなきや、首でも片足でもやるよ。さ、おくれるといけない。早く、来な、ぐづぐづしてないで……。


シゲ、校長に気がねをしながら、引き立てられるやうに、イワの後に続く。うしろを一度ふり返へるが、泣きたいやうな、笑ひたいやうな表情である。校長は、ひとり、ぼんやり、後にのこる。しばらくして、警官トラが、草むらの中から、そつと姿を現はす。校長はそれに気づかずに。


校長  なんだ、こんな辻褄の合ふやうな、合はないやうな話があるものか。あたしはいつたい、どうすりやいいんだ。いや、あたしを、いつたい、どうしてくれるんだ。あたしを……。シゲさん、後生だから、タケちやんのほかに、もうひとり、あたしを、イワよりはましなあたしを、可愛がつておくれ……。(警官トラのゐるのに、ハッとして)とかなんとか、言つてみたらどうなるだらう。アハッハッハッ。

トラ  (もつたいぶりながら)校長さん、声の犯人は、だいたい見当がついたよ。

校長  恋の犯人なんて、世の中にあると思ふの、あんたは?

トラ  恋ぢやない、声……例の「ケッ」つていふ声の犯人だよ。

校長  ふゝん、言つてごらん。ロクだなんて言つたら、承知しないから……。ああ、くさくさする、ほんとに。


トラのあつけにとられるのを尻眼に、両腕を高く差上げ、それを左右に振り廻す。そして、手に持つたものを、トラの顔めがけてぶつける。


トラ  ようし……十万だ。

校長  え? 十……。しまつた。


底本:「岸田國士全集7」岩波書店

   1992(平成3)年27日発行

底本の親本:「道遠からん」創元社

   1950(昭和25)年1115日発行

初出:「人間 第五巻第六号」

   1950(昭和25)年61日発行

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:kompass

校正:門田裕志

2011年925日作成

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