椎茸と雄弁
岸田國士
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舞台は全体を通じ黒無地の幕を背景とし、人物の動きを規定する最小限の小道具を暗示的に配置する。
各場面の転換は暗転式とし、装置にはなんらの変更を加へず、時間の無意味な断絶を避ける。
ファンタスチックな伴奏音楽を使つてもよい。
人物の扮装は、できるだけ様式化したものでありたい。
昭和農産工業社の社長室。
アカハラ、考へ込みながら登場。室内をぶらぶら歩きまはる。
アカハラ すべてやり方を変へなけれやならん。政治も教育も、今までは、まるであべこべのことをやつてゐたやうなもんだ。商売もその通り、目前の利益ばかり考へて、いつたい何ができる? しかし、問題は、損をして得をとる機会がいつ来るかといふことだ。損はこつち、得は向うではなんにもならん。昭和農工創立二十年、おれも来年は五十九だ。便々として靴のかゝとを擦りへらしてゐる年ぢやない。市会議員当選の夢もいまだに夢のまゝ残つてはゐるが、郷土産業発展の捨て石になる覚悟をきめた以上、名をとるか、実をとるか、こゝが思案のしどころだ。名実相伴ふ行動が無理とあれば、平凡ながら名を後に、実を先にといかうか? いやいや、それでは旧態依然、なんの変りばえもない。さて、社内の刷新といふことだが、手をつけるとすれば、まづ、人員整理といふことになる。人間の屑ばかりよくも集めたもんだ。製産コストは上る。販売ルートは塞がる。事務能率はめちやめちやに下る。これでいつたい赤字の出ないわけがあるか? そこへもつて来て、交際費の膨脹と来てゐる。今後は絶対に卑屈な取引はやめだ。お茶いつぱいで商談といかう。事務所でお茶をいちいち出す必要はないといふ、さる方面の意見はなるほど尤も千万だ。おうい、製作部長、営業部長、ちよつと来たまへ。
ノロミとナベタ登場。
アカハラ だいたいにおいて、君たちは、椎茸菌といふものを、生きものとして取扱ふ観念が足らんよ。生きものの特色はどこにあると思ふかね? ナベタ君!
ナベタ 栄養が必要だといふことでせうか?
アカハラ そんなこと当り前だ。自然に繁殖するといふことだ。ひとりでに殖ゑるこつたよ。いゝかね。それがひとつ。
ナベタ はあ。
アカハラ もうひとつは? ノロミ君!
ノロミ さうですなあ、なにかに感じるといふことも、ひとつございますネ。
アカハラ そんなことぢやない。死んだらおしまひだつていふことだ。いゝかね、殺したら元も子も無くなるんだよ。
ノロミ それはその通りで……。
アカハラ だからさう言つてるんだ。君たちは、なんにもわかつてないぢやないか。え、さうだらう? 椎茸菌は、なんのために培養するんだい。培養された菌糸は、どういふ状態におき、発送にどういふ注意が必要かといふことは、社内全体のものが心得てゐなければならん初歩の知識だよ。わが社専売のクサビ式はだ。かのオガクズ式なんかより、その点、取扱が百倍も楽なんだ。そして、その結果はどうだ? 君たちも聞いてゐるとほり、ホダ木へ植ゑこんでからの菌の廻りがオガクズ式よりも遅いといふ苦情がちらほら出てゐる。毎々言ふことだが、製作部は菌種の改良に、いつたい全力をあげてゐるのかい。
ナベタ 社長、お言葉はよくわかりますが、なにしろ、どうも、……現在の工場施設と研究費の予算では……。
アカハラ なにを言ふのかね、君は? 金さへかければいゝものが出来るといふのか? え? すると、おんなじ俸給で、君よりましな人間が来ないとでも思つてるのかね。
ノロミ それはたしかに、金の問題ぢやないと思ひますが、しかし、社長、最もこの事業の難関といひますのは、この地方の農民の姑息因循な風習です。椎茸は山のなかに自然に生えるもので、それだけ手をかけ、費用をかけて、結局、いくらにもならんのぢやないか、と、まあ、尻込みをしてゐる有様です。オガクズ式がわりにひろまつたといふのは、あれは、土地土地の有力者を直接つかまへるといふ手を最初に打つたからだと思ひます。ですから、大量に、一万本二万本といふ注文が、個人名義で来てゐるさうです。
アカハラ 待ちたまへ。だから、そこをこつちは逆にだ、一般農家の副業としてさ、小規模の、誰にでもできる小遣取りを兼ねた楽しみといふ立前で押さうとしてるんだ。むろん、これまでの大口は逃がしちやならん。だが、新しく開拓すべき方面は、なんといつても、農民大衆さ。本県の農家を六万七千戸と押へて、君、一戸当り毎年百本の売込みに成功してみたまへ。
ノロミ それや、厖大な数字です。
アカハラ さうさ、それみたまへ。君のやうに、茶ばかり注がして鼻毛を抜いてるんぢや、どうにもならんよ。
ノロミ いや、鼻毛はとにかくとして、社長もそのへんのところは考へていたゞかんと困ります。県会議員も、農務省の課長も、それや結構です。しかし、本社の事業に関係のまつたくない方面への諒解運動に、万といふ饗応費は……。
アカハラ 黙りなさい。社の高等政策は、一使用人である君の容喙すべき範囲ではない。
取次ぎの若い男がはいつて来る。
取次の男 社長、ご面会の方がみえてゐます。(名刺を差出す)
アカハラ なんだ、聞いたことのない名前だな。なんの用か聞いてみたか。
取次の男 はあ、椎茸栽培事業のことで、是非社長のご意見を伺ひたいと申されるんです。
アカハラ 非常に多忙のところだけれども、折角だから、五分ばかりお目にかゝりますといへ。茶は出せといふまで出さんでよろしい。
取次の男去る。
ナベタ では、すこし考へてみます。
アカハラ あゝ、考へて……。え? なにを考へるんだ?
ナベタ このまゝやつて行けるか、行けないかをです。
アカハラ うむ、そいつは、こつちで考へることだが、まあ、君の考へを先に聞かう。
ナベタと入れ達ひに、色眼鏡をかけた男が、おづおづはいつて来る。
アカハラ さあ、どうぞ……。簡単にお話を承りませう。
色眼鏡 僕はその名刺にある通り、食用茸の研究をしてゐるものですが、特に最近は、椎茸に興味をもつて、その歴史、世界に於ける分布、並に、風味の分析試験といふ風に、研究の手をひろげてみてゐるんですが、なにしろ、十分な資力がないもんですから……。
アカハラ 当節は、十分な資力なんぞどこにだつてあるものか。
色眼鏡 いや、僕の言ひたいのは、その資力に先だつ生活費の心配をしなければならんといふことです。そこで、僕は、かういふことを思ひついたんです。
アカハラ ちよつと……。その思ひつきを伺ふのは、あとのことにして、いつたい、現在はどういふなんで、なにしてをられるんですか?
色眼鏡 現在までは、学校の教師をしたり、ある鉱山所有者の先代の伝記を書いたり……。
アカハラ よろしい。そこで、これからのお仕事と、椎茸と、どう関係があるのです? はゝあ、ご自分で栽培をやつてみようとおつしやるんですな。
色眼鏡 どうしまして。そこまでの興味は、僕にはないんです。僕は、旅行はきらひぢやありませんし、多少自信があるといへば、人前で喋ることです。そこで、講演旅行といふ名目で、ひとつ、この地方を廻つてみたらと思ふんですが、さて、何を喋るか? 思想問題もやつてできないことはありません。しかし、差し当り、万人向きの、誰でも食ひつく話といへば、やつぱり個人経済にからんだ、一口にいふと儲かる話といふことになります。そこで、自分の研究も生かし、農村の再建にも役立ち、かつは、その日その日、泊る宿と食ひ扶持ぐらゐにはありつけさうな、椎茸栽培奨励の講演をして廻らうと覚悟をきめたわけです。
アカハラ なるほど。講演料は、最初にちやんときめておかれるといゝ。だが、椎茸の栽培については、書物の知識だけでは心細いが、多少経験はおありですか? オガクズ式よりクサビ式の方が、素人には扱ひよく、かつ、失敗が少いといふことぐらゐ、もちろんご承知だと思ふが……。
色眼鏡 へえ、それや初耳ですが……。僕はだいたい、オガクズ式を奨めるつもりです。お宅の会社は、もちろん、両方とも取扱つておいでなんでせう?
アカハラ なに、そんなことはどつちだつてかまやしない。たゞ、わしどもの経験からするとです、どうも、オガクズは、理論倒れで、実地の成績は、クサビの足もとにも追つつきませんよ。
色眼鏡 僕はあくまでも学者として、公平で純理的な話をしようと思つてゐます。参考書もいづれもつと眼を通すつもりですが、例へば、特定の椎茸菌種を、営利業者の立場で宣伝するといふやうなことはしたくないんです。それや、場合によつては、結果としてさうなることもあるかも知れませんが、意識的に、露骨に、それはやらない方がいゝと思ふんです。たゞ、ひとつ、ご相談といふのは、僕のこの仕事をですな、まつたく、輸出産業といふ国家的事業の立場から、いくぶんでも援助していたゞきたいといふことです。なに、自由に動ける旅費だけ、無条件で出していたゞけると都合がいいんです。
アカハラ 大義名分、まことに明らかで、一言反対すべき理由はありませんが、それならむしろ、県当局の方へご相談になるべき筋合です。
色眼鏡 どうしてもダメですか? では、もし僕が、当会社の宣伝を専ら引受け、場合によつては、菌種の販売に努力するといふ条件ならどうでせう?
アカハラ それだけの費用が出せるなら、今までにやつてゐます。それに、さういふ方法は、あまり効果がないとみてゐる。つまり椎茸をやつてみようといふ気を起すだけではなんにもならん。続けてやるといふことが肝腎です。それには、一人でも成功を目のあたり見ること、これがなによりの宣伝です。その一人を得るために、わしどもは苦労をしてゐるんだ。では、ご苦労さん。出口はこちら……。
色眼鏡 お邪魔しました。しかし、いづれ、いつかは、あなたにもよろこんでいたゞける結果をお目にかけるつもりです。
アカハラ まあ、まあ、こつちのことより、そちらのことを第一にお考へなさい。
色眼鏡、退場。
ノロミ 大した代物ですな。椎茸の話で人を集めることは、農務省主催でもむづかしいさうですから……。
アカハラ 学校の教師なんてものは、自分の喋ることは人が金を出して聞くものと思つとるんだよ。
ノロミ しかし、社長、わたしはちよつとさつき気になつたんですが、あの先生、こゝはダメと知つたら、東亜産業へ行つて、また同じことを言やしますまいか。向うの社長は、いくらか山気もあり、失礼ですが、うちの社長よりは、要領がいゝですからな。
アカハラ あんな風来坊は、追つ払ふ以外に要領なんぞあるものか。
ノロミ しかし、向うへ行つて、クサビ式の難点を指摘されてですよ。オガクズ式の手前味噌を並べられたら、どうなります? わたしは、よつぽど、あの場で、口を出さうかと思つたんです。社長はあつさり釘をさされたけど、あの程度ぢや心細いですよ。なぜもつと、クサビ式の動かし難い長所と、オガクズ式の理論と実際の喰ひ違ひを、具体的に、精密に、説明しておやりにならなかつたか、そこが、社長のおほまかすぎるところですよ。
アカハラ あんなヘチマの皮に何を言つたつてわかるもんか。向うへ行つたら行つたでいゝさ。オガクズ式が、いつたい、あのイタチつ屁にいくら出す? せいぜい、気前を見せて、煙草銭だ。味を覚えて、また行く。オガクズ社長、しまひに、ガンといくさ。まあみてろ、おだやかに返した方が得といふ結果になるよ。あ、忘れてゐた。女房の手術に立ち会ふ時間だ。ハイヤーを呼べ。いや、歩いた方が早い。
ノロミ えゝと、奥さんは、どちらの奥さんで?
アカハラ うるさい。椎茸に似た方だ。
両人、退場。
工場の内部。
色眼鏡をかけた男、東亜産業社長アオガサキと並んで登場。
アオガサキ お話はだいたいわかりました。まあ、わしの工場をみてください。専門家なら、すぐに気のつくことだが、優良な菌糸の培養には、これだけの近代設備がどうしてもいるのです。オガクズの木質はむろん闊葉樹に限られてゐますが、その完全な殺菌が先決問題です。当会社のオガクズ式菌種は、もともと権威のある筋に、一切の研究を委託してゐるので、責任のない従来の原始的何々式とはまつたく性質を異にしたものです。
色眼鏡 なるほど、かういふところを見せていたゞけば僕も安心です。なにしろ、農民相手の啓蒙ですから、科学的な興味に訴へるよりは、手つ取り早く、経済的な数字をあげて、利潤はこれこれと説く方が、効果においてはるかに大きいと思ふんです。二、三専門家の著書も読んでみましたが、農業関係の学者なるものは、農民の習慣と心理をまるで知らんです。従つて、椎茸は有利な副業だといくら奨めてみても、彼等にどれだけのことができるかといふ知能と意欲の測定を誤つてかゝつてゐる以上、なんにもならんのです。僕は、多少、農民と接触した経験から、非常に実利的に、個人の懐ろにすぐ響いて来るといふやうな話の運び方を考へてゐるんです。
アオガサキ 卓見です。ひとつ、本県を椎茸生産のトップに押しあげるやうお骨折りください。もはや、椎茸は、某々営利業者の事業といふ性質とはなれてゐます。政府当局も、近来、輸出振興の声に、その点大いに目ざめては来ましたが、お役人のお声がゝりは、効き目が一時的です。われわれ業者の宣伝は、ある程度真剣ですが、実をいふと、販路の関係で、効果的な宣伝法はこれとわかつても、それで経営のバランスをとることは絶対に困難、こゝに、悩みがある。あなたのやうな篤志家が現はれたのは、椎茸産業界にとつて、感謝すべき瑞兆です。お年は、失礼だが、おいくつ?
色眼鏡 三十二になりました。
アオガサキ ご家族は?
色眼鏡 家内をもらつたばかりです。忽ち二人の口が、乾上りさうなんです。
アオガサキ ご戯談。ほんとにいゝ仕事は、ひとの褌をあてにしてゐちやできません。私財をなげうつとは、儲け仕事のために用ひられてはならない言葉です。
色眼鏡 せめて、自由に動ける乗物代でもあれば……。
アオガサキ まつたく、当節はうつかり汽車にも乗れませんからなあ。社員の出張も、本年度からぐつと締めてかゝつてゐます。
色眼鏡 講演料は、まさかこつちから請求もできませんし……。
アオガサキ 呉れるといふものは、とつておおきなさいよ。
色眼鏡 手弁当で歩くにしても……。
アオガサキ それやさうですとも……宿賃だつて馬鹿になりませんよ。主催者側で、なんとか心配はするでせうが……。
色眼鏡 万一の用心に、多少は……。
アオガサキ おほきに、おほきに……だが、田舎でも旅は油断がなりませんよ。わたしは、ある村の協同組合で、ちよつと話し込んでゐる隙に、靴とコウモリをさらはれちまつた。懐中は、必ず、二たところに分けて……。
色眼鏡 それもさうですが、二つに分けるその一方の方を、こゝでなんとかしていたゞけないでせうか?
アオガサキ はつきり申しますが、わたしの会社の外交は、然るべき人物にやらせてをりますから、これ以上、手を延ばす必要を認めません。さつきからのお話で、あなたの椎茸に関するご経験は、まだちと浅いとにらみました。栽培の指導員も、上は農学博士から下は実地に叩きあげた技術家を擁して、十分間に合つてゐます。まあ、ほかにも一、二同業者もゐることですから、どちらへおいでになつても構ひません。では、門口までお送りしませう。おつと、機械にさわらないやうに……。
色眼鏡の男を前に、七、八人の男たちが集つてゐる。いづれも中年以上の、まちまちの服装をした山村の住民。
カマ ちよつとお訊ねしますが、わしもこの五六年椎茸をちつとばかりやつてみてるんだが、どうも話ほどうまくないんだ。いろいろ工夫はしてみただが、やつぱり種が悪いんぢやないかと思つてね。
色眼鏡 種はなに式を使つてゐますか。
カマ 何式だか知らないけれど、仲間が買つたやつを買つたんだ。
キン わしのと同じだから、クサビ式だ。ところが、今の話だと、もうひとつ外に、ノコクズ式といふのがあるらしいが、それは、どんなもんだね。そつちの方が、よかないかね。
色眼鏡 さあ、そこのところは、僕としては、どつちとも言へないんです。それぞれ特徴と欠点があつて、いろんな条件に左右されますから、そこは皆さんに、この土地の性質と、植込み技術とをよく呑みこんでいたゞいて、一番適当な状態に持つて行くといふやり方以外にはない。僕としては、現在の菌種のどれを使つても、まづこゝまでは利益があがるといふ計算をお示ししたわけです。
サタ わしもひとつ、椎茸をやつてみたいとかねがね思つてたんだがね。この土地では、なるほど、まだいくらもやつてはをらん。成功した話も聞かん。しかし、わしや、やり方次第では、結構、引合ふ商売だといふことは、さういふ商売がほかの土地で成り立つてるのをみてもわかると思ふんだ。そこでわしは、こゝにゐる衆のやうに、いゝからそらやれと、すぐ手をつける気にはならない。算盤をちやんと持つてみて、所用土地面積、ホダ木の原価、手間賃、菌種と植込器具の代金、そいつをすつかり見積つてみてだ、さて、椎茸の平均収量と市場相場とをにらみ合せ、これならよしといふところで、腰をあげたいんだ。ところで、椎茸の収量つてもんが、どうもはつきり見当がつかん。この夏、町で講習会つていふのがあつて、行つてみると、県の技師かなんかが、実地栽培者について調べたいくつかの例を挙げて、その挙句、椎茸の収量について、まづ平均といふ数字を黒板へ書いて見せた。ところが、たつた今、お前さんの言つた数字とはだいぶん開きがあるんだ。わしの耳は、たしかだと思ふが、お前さんは、生椎茸にしてホダ木の重量の一割が、六年間の総収量と言はなかつたかね?
色眼鏡 たしかにさう言ひました。
サタ ところが、わしのこの夏聞いた話ぢや、ホダ木一貫として、一年間に生椎茸百匁、つまり、お前さんのいふ六年間の収量が、一年間に、はや、出ちまうんだ。それはまあ、どつちがほんとだか知らんが、もし、六年間に一割とすると、まるでお前さん、算盤がとれんことになる。一千貫のホダ木で、年にやつと一万円。お前さんの話だと、さうなる勘定だから、元を引けば儲けはいくらもないつてことになるんだ。この土地なら、原価はまあ、安く見積るとしても、わしら、とても、そんな仕事に手間かけちやゐられないよ。
ノブ ほんとだ。わしも、あつちこつちで聞いたり、見たりしてるが、どうも、この先生の話は、をかしいよ。
デン なにこく、てめえら。やい、どこがをかしい? ちやんと学問のある人の言ふこつた。間違ひのねえところはかうだと教へてくれてるもんを、てめえら、慾の皮を突つ張らして、話を聞いてやがるから、思ふやうにボロイ儲けがねえとみると、その通り、顔をしかめるだ。
色眼鏡 実際、かういふ仕事は、得てして、誇張した宣伝が行はれますから、却つて、発展を阻害するんです。農家の副業として、さう資本をかけずにやれば、有利な利廻りになるといふことは確実です。大体、お百姓の仕事でぼろい儲けなんぞあるもんぢやない。
キン 農家の資本は労力だからな。やれ温度がどうの、湿度がどうのつていふ、しんの労れるやうな仕事は、それ専門にかゝらんと、眼が廻るばかりだよ。
色眼鏡 それがそもそも農村立遅れの原因なんです。からだを朝から晩まで動かしてゐて、生活がちつとも楽にならないのは、一方でどこかを遊ばせておくからです。つまり、勤勉にみえて、その実、怠け放題怠けてゐるといふ理窟になる。
キン そいつはよく聞く話で、百姓は頭を使はんといふんでせう。そんなら、いつたい、外にどんな商売が、からだと頭とをまんべんなく使つてますかい。早い話が、あんたはどうです。いつぱし理窟はこねなさるが、一度覚えたら、同じことを、百万遍、繰り返すだけぢやないか。
デン おい、おい、いゝ加減によさねえか。この先生は、なにもてめえたちに喧嘩を売りにござつたんぢやねえ。
キン そんなら、なんのためにござつたんだ。
ノブ そこがわしにもわからんのだ。
サタ 椎茸の速成栽培とその利廻りについて、だよ。わしや、椎茸には見きりをつけた。
デン どんなもんでせう、先生。このへんでひとつ、ざつくばらんに今夜の宿のことをみんなにご相談になつちや……。実はな、みなの衆、この先生の今夜のお宿だがなあ、わしのところは、知つての通り、餓鬼が多くて、ゆつくり眠てもらふ場所もないしなあ……。
サタ どら、わしは、まだ薪切りを終へてないから、お先へ失礼するよ。(退場)
ノブ しまつた。山羊をおつぽり出したまゝ、すつかり忘れてゐた。(退場)
キン おれのところの嬶は、ちつと気が変になつてな、お客とみると、鎌もつて飛びかゝるんだ。(退場)
ゲン 今夜はひとつ、虱退治をしてやらう……。畳の上をゴソゴソ音を立てて歩いてやがる……。(ゆつくり退場)
イガ お袋のぜんそくがひどくなつたと思つたら、今度は嫁が産気づきやがつて、やれやれ、おちおち眠つちやいられないや。(ゆつくり退場)
カマ さて、明日の天気は、どんなもんかな。(退場しようとする)
デン 天気の心配はこつちでしてやるから、てめえの家で、先生をお泊めしろ。
カマ おれの家で? だつて、おれの家は嬶と二人つきりで、夜具は上下二枚だ。
デン てめえさへよかつたら、間へへえつてもらへ。
カマ 間へか。まあ、そんな無理せんでも、先生は、てめえ、角屋旅館へご案内したらどうだ。いけねえ、あれほど遅くなるなつて言はれてたのに……。(退場)
デン そんなら、先生。まあ、こんなわけですから、今夜のところは、なんとか、よろしいやうになすつて……。
色眼鏡 よろしいやうにつて、君、僕をこゝへひとり……?
デン ひとりぢやまづいかね。なんなら、ほんとに遠慮はいらねえから、旅館へ宿をとりなすつたら? 相談次第で安くするらしいよ。ぢや、まあ、ゆつくりおやすみ。
デン、退場。
色眼鏡、ぐつたり横になる。
ノロミ、アブタ、白面の警官に案内されて登場。
ノロミ やれ、やれ、間に合つた。どうもありがたう。こゝで取り逃がしたら、どうなることかと心配しましたよ。
警官 それぢや、こゝで話をつけるかね? 火がなくつて寒かつたら、駐在所へ来てもかまはんよ。
ノロミ いや、多分ご面倒はかけずにすむと思ひますが、ひとつ、お序のことに、われわれの話をオブザーヴァーとしてお聞きになつてください。
警官 (色眼鏡をゆり起し)君、君、この方がなにか話があるさうだよ。
色眼鏡 (起きあがり)こんな土地ははじめてだ。一肌ぬがうつてやつが、一人もゐないのには驚いた。
ノロミ わたしを覚えておいででせうか。
色眼鏡 あゝ、東亜産業の……。
ノロミ いや、昭和農工の営業部長ノロミ……。こちらは、わたしの下で宣伝の方を受けもつてゐる、アブタです。
色眼鏡 なにごとです?
ノロミ 実は、社長の命令で、是非あなたにお目にかゝり、いろいろお話し申上げたいと思つて参つたのですが、その後だいぶんご活躍の様子で……。
色眼鏡 ぼつぼつやつてゐます。使命の重大性と困難とを痛感してゐます。
ノロミ ごもつとも。そこで、早速ですがな、あれからもう一と月あまりになりますが、社としましても、あなたのお仕事に、蔭ながら関心を払つてをりました。その反響についても、よりより耳にしてをりますが、最近に至つてですな、どうも、不審に思はれる点が出て参りまして……。
色眼鏡 僕の講演内容についてですか。
アブタ だと思ひますが……あなたは、いつたいぜんたい椎茸栽培を奨励なすつていらつしやるのか、それとも、そいつを妨害なすつていらつしやるのか。むろん、結果に於いてですが、どうもよくわからん、といふ印象を受けますんですが……。
色眼鏡 僕の講演の効果が、会社の立場からみて不十分だといはれるんですね。はゝは、さう急には、君、目にみえた成績はあがらんですよ。第一、僕は、椎茸栽培の有利なことを説いてはゐますが、決して、一会社の宣伝はしてをらんのです。
ノロミ それはもうよく承知してをります。しかし、あなたの講演を聞いた土地では、申し合せたやうに、椎茸熱が冷めかゝつてゐます。
色眼鏡 或はさういふところがあるかも知れません。なにしろ、誇大な宣伝の反動が一時はあるでせう。僕の責任ぢやない。
アブタ 仮に、一応はそれを認めるとしましてもです。例へば、ある土地の例をとつても、あなたのご講演の中で挙げられる数字が……。
色眼鏡 数字に関しては、科学的良心にかけて、金輪際、間違ひはありません。
アブタ ですが、肝要な平均収量を、経験の少しあるものならすぐにわかるやうな杜撰な数字で、お示しになるといふのは……。
色眼鏡 なにが杜撰ですか。君の頭で、それが指摘できると思つてるんですか?
ノロミ さうおつしやるなら、こちらも申しますが……。
色眼鏡 あゝ、なんとでも言ひたまへ。いゝかね、……だいたい、オガクズ式なんていふのは、時代遅れですぞ。
ノロミ オガ……オガクズ式が、はゝあ。なるほど、さうおつしやられると、一言もありません。しかしですな……。
色眼鏡 しかしもくそもない。そんな君、オガクズ式なんていふもんを、頭から信用してかゝるから、一年たつても二年たつても菌がまはりきらない。その上、雑菌に対する抵抗力が弱いと来てるから……。
ノロミ いや、わかりました。オガクズ式の弱点は、百も承知なんですが、しかし、現在問題はそこに在るんぢやなくて、たとへ、オガクズ式でなくても、クサビ式の、比較的、優秀な菌種を以てしても、一旦、冷却した椎茸栽培熱を、再び農民の間に燃えあがらせることはむづかしい、といふ点なんです。
色眼鏡 君たちは、事を急ぐからダメなんだ。まあ、もうすこし気長に僕のやることをみてゐてごらん。
ノロミ それが、さうはいかないと申すのは、先日来、一旦、大量に註文して来た菌種を、ちよつと見合せたいと言つてよこした村が二、三あるのです。あなたのご講演の直後です。そこで、甚だなんですが、社長とも相談いたしました上、こゝは、あなたのご寛大な善意に信頼しましてです、将来ご講演の内容、特に、収量に関する数字に関しましては、適宜に、その、なんです、一般に納得のいきますやうな、ご配慮を願ひたいと、かうまあ、折り入つてご相談申しあげる次第なんです。
色眼鏡 すると、どこをどうしろと言はれるんですか。
アブタ 具体的にどうかうと申すのはなんですが、せめて、ホダ木百貫に対して、年収十貫の生椎茸、これが動かせないところと、まあ、われわれ業者のみならず、その道の専門学者……。
色眼鏡 ホダ木百貫について、六年間の収量そのテン・パーセント、十貫目、これが僕の専門家として割り出した、公平な数字です。
ノロミ さやうではありませうが、そこをなんとか、ひとつ……。
色眼鏡 どうすればいゝんです。
ノロミ 多少、色をおつけ願つて……。
色眼鏡 クサビ式に限つて、年間収量、原木百貫に対して十貫までは行く、とやりますか?
ノロミ いや、クサビ式と限らなくともですな……。
アブタ 先生は、その点、一方の提灯持ちをなさる方ぢやないから……。
色眼鏡 話は事務的に進めませう? すると、仮に、僕がどこまで譲歩すれば、あなたの方は、どこまで僕の仕事に協力してくれるか、そこをはつきりさせてください。
アブタ はあ、そのことにつきましては……。
ノロミ 別に譲歩や妥協を申込んでゐるんぢやありません。
アブタ こちらは、正当な要求、いや、お願ひをしてるつもりなんですが……。
色眼鏡 それなら、こちらも、自説を枉げる義務を認めないことにします。僕は、あなた方のやり口がすこしわかつてきた。無償で人を働かせる、甘い汁は自分で吸ふ、これでせう?
ノロミ とんでもない。話がこゝまできたら、率直に申しあげますが、あなたの講演の内容について、多分あなたご自身の思ひ違ひにすぎないと思ひますが、さきほどからご注意申しあげた不正確な点をはつきり訂正して、累を他に及ぼさないやうにしていたゞくか、さもなければです、今後一切、椎茸栽培に関する講演、乃至、それに類似する行動は遠慮していたゞくと、まあ、ざつとさういつたわけなんです。
アブタ なにしろ、われわれ業者としましては、まつたく迷惑千万な話でして、これは、やかましく申しますと、立派に営業妨害……。
ノロミ まあ、まあ、それは極端な言ひ方だが、さういふ意思は毛頭おありにならないことは、こちらとしても、十分認めながらもです、結果に於いて……。
色眼鏡 営業妨害になる? よろしい。僕は、営利本位、悪辣な商業主義と、飽くまでも闘ひませう。農民の無知に付け入つて、無責任な数字をならべ、徒らに大衆の射倖心を募らせる君たちのやり口に僕はもう我慢がならんのだ。しかし、僕は、椎茸栽培の有利な事業である所以と、その将来性については、確信をもつて自説を主張するつもりです。疑ふものは疑へ、逡巡するものは逡巡せよ。科学的であるといふこと、実証的であるといふことは、時に、それほど甘い響きを耳に伝へまい。冷厳な真実の声だからだ。
ノロミ 警察はどうお考へですか?
警官 別に怪しい点はないと思つたが……。
アブタ それより、われわれの正当な要求とですな、それを受け容れようとしない先方の人を食つた態度とをです、警察の立場で、どう裁かれますか?
警官 わしは椎茸のことはよくわからんで、まあ、君たちの間で、円満に話をつけてくれたまへ。
色眼鏡 さうですとも、警察の介入するやうな問題ぢやありませんよ。仮に裁判沙汰になつたとしても、証人は、椎茸栽培の権威以外は役に立たんのです。甲の権威と乙の権威とは、これや、両々対峙して、相譲らうとはしないでせう。
警官 さういふもんだらうね。
ノロミ 営業妨害の事実を、こつちではちやんと証拠だてる用意がある。
色眼鏡 こちらも、君たちのインチキ性と、僕に対する人権侵害の事実をつきつけてやる。証人は、この通り、こゝにゐられる……。
警官 わしかね。わしは椎茸のことはまるでわからんよ。
色眼鏡 僕の自由行動を束縛しようといふ、この連中の言ひ分を、さつきから聞いてゐられる筈だ。
警官 なるほど、そのことか……意思表示はあつたね。
ノロミ こつちの要求が不当な場合はね。あゝ、よろしいとも……。出るところへ出ませう。
警官 出るところへ出るといふ話にきまつたのかね。
ノロミ 次第によつては、止むを得んといふ……。
色眼鏡 なに、僕はたゞ正々堂々と、法廷で、椎茸栽培の理論を一席弁じればいゝのさ。裁判官が椎茸を作りたくなつても、これや、僕の手柄ぢやない。菌種は君の方から廻してやるさ。
ノロミとアブタが、何かこそこそ囁き合ふ。
ノロミ どうもすこし、お話がこぢれてしまひましたが、実はこんなつもりぢやなかつたんです。こちらの無理なご相談を快くお聴き入れ願つて、その上で、そのなんです、まあ、今夜はゆつくり、ご酒でも召上つていたゞかうつていふのが、われわれの寸法だつたんでして……。
アブタ 社長からもくれぐれもさう云ひつかつて参つたのですが、どうも、われわれも若いもんですから……。
色眼鏡 君の若いのはわかつてるが、こつちは、さう若いともいへんね。
ノロミ いやあ、痛いところをどうも……。では、まあ、こちらの勝手を言ひ分を、とにかくお含みねがふといふことにして、今夜のところは、ひとつ、失礼ですが、こんなこつて、どうか……。いえ。いえ、別に、これでもつてどうかうといふんぢやございません。このへんの温泉へでもご案内すればよろしいんですが、却つてわれわれがお伴してはご窮屈だらうと存じまして……ほんの、ご酒肴料のしるしで……。
色眼鏡 困りますね。こんなことされちや……。僕は、度々言ふとほり……。(受取る)
ノロミ いや、いや、それはもう重々わかつてをります。会社も、もうちつと羽根を伸ばすやうになつてゐれば、なに、先生方のお一人やお二人……。
色眼鏡 (そつとのし袋の紙幣を引き出してみて)折角だが、これは、君、お返しします。
ノロミ え? ま、ま、さうおつしやらずに……。
アブタ (ノロミの肱をつゝく)
ノロミ 弱つたな。でも、先生……。
色眼鏡 なぜ返すか、おわかりでせう。
ノロミ は? それが、ちよつと……。
アブタ ねえ部長、多分間違ひないと思ふんですが、一度、念のため中味を調べさせていたゞいたら?
ノロミ あ、さうね。なにしろ旅先だし、物騒な世の中だからね。まことに失礼ですが、ひよつとすると……。(のし袋を受取り、中味をしらべる風をする)
色眼鏡 なに、間違ひがなけれやいゝですがね。僕は、几帳面たちで、必ず金銭の受け渡しには領収証を出すことにしてゐます。直接社長宛に、礼状に添へて、ちやんと、金いくらいくらと書きますから、万一、額の相違でもあると、君たちに恥をかゝせることになると思つて……。
ノロミ 畜生……いや、まつたく、いゝところへお気がつかれました。どうも、こいつは一生の不覚だつた。ちやんと一万包んだつもりだつたのに。なあ、君、いつの間に抜かれたのかねえ?
アブタ さあ、僕は知らんですな。あん時ぢやないですか?
ノロミ うん、たしかにあん時かも知れん。
色眼鏡 一万のうちから、きつかり二千円だけ残す放れ業は、これや、スリにしても前科七犯だね。
ノロミ まつたく、油断もすきもありやしない。(更めて紙幣を入れ、のし袋を渡す)こんどこそたしかに……。
色眼鏡 とんだご心配をかけて……。あ、帰りは大丈夫ですか? そこまでお送りしませう。どうせ僕は、そのへんに宿をとりますから……。
四人、退場。
色眼鏡が演壇から聴衆に向つて話しかける。聴衆は、人形のやうに、動かない。
色眼鏡 これで、椎茸の歴史、食用茸としての特性、世界に於ける分布、その種類、次ぎに、農家の副業としてこれを如何に栽培し、如何に生産品を処理し、市場へ出荷するか、といふ手順と方法とを申しあげ、そして、最後に、これが企業として有利に成り立つ所以を、やゝ詳しく数字をあげて説明いたしました。重ねて申しますが、現代におきましては、椎茸は、食用きのこの王座を占めるものでありまして、国内の消費はもとより、海外に於ける日本シヒタケの需要激増に伴ひ、先づ中国を筆頭とし、ついで、アメリカその他の先進国も、競つてその大量輸入を計画中であります。然るに、その生産額たるや、はるかに註文数量を下廻つて、主要産地たる静岡県の如きは、全村を挙げて椎茸速成栽培に打ち込んでゐるところがあり、近頃の新聞の文句をかりれば、うれしい悲鳴が到るところであがつてをります。さて、それから、椎茸は誰がどこでやつても成功し、数さへ多くやればそれだけ確実に儲けがあるか、と申しますと、どんな事業でも同じですが、さうはうまくは問屋が卸しません。百人のうち、まづ成功するのは一人か二人、どうにかかうにか元だけは取返すといふのが七、八人、あとは失敗者、完全な失敗者であります。なぜかといひますと、たとへ信用ある会社や試験場の菌種を手に入れ、植付け、寝せ込みの操作に、なんら間違ひはなくつても、あと一年間を通じて、どうしても相手に乗ぜられる隙といふものがあるからです。つまり、無精、不注意、横着、性急、ことに、温度と湿度に対する感度の鈍さ、これが、椎茸栽培の致命的なガンであります。温度は摂氏十度から十八度、湿度は、空気中の水蒸気の量でありますから、これが、六十五から七十五パーセントまでを最適として、その期間をうまくとらへる感覚の訓練が必要であります。温度と湿度の調節を誤つては、他の如何なる工夫努力も、まつたく無駄なのであります。この地方は、山岳地帯で、比較的乾燥度が高いのですから、夏季及び冬季に、普通の伏せ込み方をしたのでは、ホダ木に水分が不足して、春と秋の収穫が激減するでせう。そのために、是非、ムロのやうなものを造る必要があります。さもなければ、冬季の強い風当りを防ぐために、南面障子張りの地下式フレムを用意するのがいゝでせう。更に、ホダ木に水分を補給するために、プールの設備があつた方がよろしい。まあ、手のかゝらない、一般的な栽培法で試してごらんになるのもいゝが、ほんとをいふと、これだけの用意をしてかゝらなければ、思ひ通りの生産は得られません。念のために附け加へておきます。不成功の場合には、必ずそれだけの理由、原因があります。そして、それは決して、稀れなことではなく、およそ、誰でもが、必ずその理由のために、その原因のために、失敗を嘗めるのが、この面白い椎茸栽培の皮肉であります。去年の春、おれは一万本植ゑた。ところが、今年の秋までに出る筈の椎茸が、頭さへ一度もみせないうちに、ホダ木は、半分以上腐つてしまつた。これが、大多数の経験者が恨めしげに語る告白であります。これなら、はじめからやらない方が気が利いてゐる。よくはわからんが、まあとにかく、人がいゝといふからやつてみようなどと、夢にも考へてはなりません。これだけは、試してみる必要は、さらにないのです。すべてが試験ずみだからです。やれるものにはやれるが、やれないものにはやれない。これが、明白な事実です。やれないものが、なまじ椎茸菌など取り寄せて、ホダ木を兵隊のやうに並べてみたところで、たゞ、雑菌の餌食にするばかり。それより、山林乱伐の先が見えてゐる今日、そのホダ木を薪にして大切に使つた方が、悧巧と言はなければなりません。これで、今日の話を終ります。
聴衆は音もなく消え去る。
そのうちから、ナラ、イソ及び始終口を開けた若い男の肩にすがつた老人が、色眼鏡の方に近づく。
老人 わしは耳が遠いで、細かいことはわからんが、なかなかいゝ話をしてくださつた。こんな実になる話は、聞いたことがない。
ナラ とにかく、今どき、これだけ率直な意見を言ふひとは少いよ。これで、この村の椎茸気ちがひも眼をさますだらう。
イソ ちよつと伺ひますが、すると、椎茸をやるにはよほど立派な人間でないといかんといふわけになりますな。無精でも不注意でもいかん。横着でも気短でもいかん。温度と湿度をピンと感じにやいかん。となると、これやもう、われわれ平凡な人間には、とてもとても……。
色眼鏡 いや、別にそれほどむづかしくお考へにならなくてもいゝでせう。椎茸栽培には、そのほかの欠点はいくらあつても差支えない。例へば、頑固、吝嗇、焼きもちやき、いつかう苦になりません。世間の義理を欠かうが、弱いものいぢめをしようが……。
ナラ 女癖がわるからうが……。
色眼鏡 さう。そんなことは、なんでもありません。たゞ、温度と湿度を、皮膚に感じ、ほゞ、これくらゐといひあてる自信がなければ……。
イソ いや全くの話、それだけで、わしは落第だ。よくうつかり手を出さなかつたもんだ。
老人 椎茸さへやれば、葬式代は楽に出ると安心しとつたに、これや考へなほさにやならん。
ナラ 爺さん、それほど、おまへ、ありがたいと思つてるなら、なあ、おい、先生を今夜、泊めてあげなよ。
老人 はゝは、とんでもない。わしや、もうこれで七十六だ。
ナラ だからよ、先生のお宿をしてさ、もつと為めになる話を聴かしてもらひなよ。
老人 さうともさ。息子の言ふことなんぞ、いちいち気にするもんかね。野郎は、五十にもなりやがつて、まだ寝小便を垂れくさる。この餓鬼が笑ふはずさ。
イソ (ナラに)ダメだね、これや。お前のところで、なんとかしろよ。
ナラ いゝことを考へたよ。今日は生憎顔はみえなかつたが、ほら(耳うちして)あいつのところはどうだらう。
イソ わるくないな。おれとお前で頼みや、いやとは言ふまい。
ナラ 第一、先生に、自慢の椎茸を見てもらへるぢやないか。
色眼鏡 あゝ、それや、是非拝見しませう。手広くやつてをられる方ですか?
イソ いや、なに、どつからか顔を出したやつを二、三本貰つて来たらしいんです。抱いて寝るくらゐに可愛がつてますよ。
老人 あゝ。そいつはいゝ。おタネのうちか。
色眼鏡 ご老人ですか?(歩きだす)
イソ あれで、いくつになるかな。
ナラ 若い男衆の世話なら、親身にするつていふ六十の後家だ。遠方からだと、二十ぐらゐにみえるよ。
色眼鏡 お化けなら、それも結構。度胸はいくぶん、いゝ方ですから……。
一同、退場。
アカハラ、ひとり言をいひながら、部屋の中を歩きまわつてゐる。
なんとしても、最後の手段に訴へるよりしかたがない。法律的にみて、これはどうにもならんといふんなら、頭からおどしつける手もなくはないが、果して、彼、暴力なるものをおそれるかどうかだ。近頃のやり口は、故意か偶然か一方で椎茸を極力奨励するとみせて、その実、まつたく、逆の効果をあげてゐる始末だ。いまいましいが、ひとつ、どの程度で押えるか、あつちと底を割つて相談をしてみよう。被害の程度は、いづれ、おつつかつつに遠ひないが、あつちは、それを公然と認めるかどうか。或は、あの曲者のアオガサキ、例によつて虚勢を張るかも知れん。こつちの弱味を見せるべき時機ではないが、同業者として、当然、協同戦線を張ることに、まさか異議は唱へまい。
ノロミ、アオガサキを案内して登場。
ノロミ お迎へして参りました。だいたい、こちら様でも、情報はお集めになつてゐる様子で……。
アカハラ さあ、さあ、ようこそ……。わざわざお呼び立てをして恐縮ですが、この機会に、一席設けさせていたゞかうと思ひまして……。
アオガサキ それはそれは、ご丁寧にどうも……。同業相疎んずといふわけではないが、ついかけ違つて……。
アカハラ ご同様、競争社といふ意識がそれほどあるわけではないのに、どうも、適当な機会がなくつて……。ご発展まことに眼ざましいものです。
アオガサキ どうしまして……新参者のなにかと手違ひだらけで、お恥かしい次第です。クサビ式の地盤は、さすがに厳としてゆるぎませんよ。
アカハラ お蔭で、その点はやゝ年期がものをいふやうに思はれますが、しかし、オガクズの進出は、われわれにとつて、少くとも脅威です。新鋭の意気、当るべからずといふやつですな。
アオガサキ はゝは、時に、例の色眼鏡の一件ですが、お宅では、どう対策を講じられますか。われわれの方としては、さほど直接の被害はないやうですから、当分、うつちやらかしておかうと思ふんですが……。
アカハラ われわれの方としても、それですめばそれに越したことはない、とは思ひますが、被害の程度といふやつは、表面にはさう現はれずにですな、じわじわと、底を逼ふやうにひろがる性質のものだ、と、かう考へていくとです。今のうちに、なんとか禍根を絶つ方法を講じた方が得策のやうに思はれる……。
アオガサキ すると、どんな手を打ちますか。
アカハラ 一応、警告は発してあるのですが、利き目がない。告訴といふ手段も研究してみましたが、顧問弁護士の意見では、被害の証拠が薄弱で、法律的なキメ手が今のところないといふんです。
アオガサキ わたしの方の情報を綜合しますとね、社員をこつそり聴衆のなかにまぎれ込まして、講演の内容をノートさせてみたりしたんですが、これといつて、われわれ業者の立場を悪くするやうな言辞は故ら弄してはゐない様子です。たゞ、困ることは、椎茸栽培といふことを、えらくむづかしく考へさせてしまふ点にあるらしい。
アカハラ そこなんです。はじめは、数字的に、可なり杜撰な説明をして、興味を殺いだり、熱意を冷ましたりしたやうですが、その点はだいぶん緩和された代りに、今度は、椎茸栽培が如何に困難で危険の多い事業であるかを、極力誇張して、縷々まくしたてる風です。
アオガサキ その傾向はあるらしいですな。
アカハラ あるどころぢやない。その効果てきめんで、実は、講演を聴いたあとで、註文を取消して来る向きがある。これには閉口。あなたの方でも、同様でせう。
アオガサキ 多少はあるかも知れませんが、さういふケースはごく稀れです。お宅の場合は、何かほかに理由がありやしませんか。
アカハラ と、おつしやると、なにか、クサビ式の……。
アオガサキ いや、いや、そこまでのことをわたしは申してはをらん。あまり、神経質になられんでもよくはないでせうか。たかが、一講演者、しかも、バックらしいバックのない職業的講演者の舌の先で、われわれの確乎たる事業が、根柢からぐらつく心配はないと思ひますがね。
アカハラ それはお説の通りですが、あの色眼鏡の奥には、妙に、聴衆を惹きつける魅力があるらしいですな。ある土地では、若い女がさわいで困つたといふ話です。さる人妻が、後を追ひかけたといふ事実もあるくらゐで……。
アオガサキ まあ、そのへんの見解は、お互に多少の差があるものとして、こちらは、一歩あなたに譲りますが、その対策をいつたい、どうしますか? 名案がおありですか?
アカハラ さあ、そこのところですが、わたしには、もう、たゞ一つのことしか考へられない。
アオガサキ と、いふと?
アカハラ 完全に買収することです。
アオガサキ 買収とは、利をもつて誘ふ?
アカハラ いや。同業者協力して、あの男を遠方へ追放するか、或は、一切、椎茸に関して公衆の面前で自分の意見を吐かせないことにするか、二つに一つです。
アオガサキ で、それを強制する力は? われわれにありますか?
アカハラ 金の力以外にはありますまい。
アオガサキ 金をつかませる? 金で自由になりますか?
アカハラ なります。と、いふのは、彼の講演たるや、金のために、といふより、むしろ、糊口のためにやつてゐる一種の稼ぎにすぎないのですから。
アオガサキ つまり、口止め料、沈黙に対して払はれる報酬ですか。それを、どこから出すことにしますか?
アカハラ 組合といふわけにいきますまいか。
アオガサキ それは、組合の理事長たるあなたの権限だ。理事会にはかる必要がありますか?
アカハラ 副理事長たるあなたのご同意を得れば、宣伝費から捻出しませう。
アオガサキ わたしは敢て反対はしません。但し、これも程度の問題ぢやありませんか?
アカハラ (ノロミに)おい、もう来てる時間だらう?
ノロミ 多分、来てゐると思ひます。時間を正確にと申しておきました。(退場)
アオガサキ こゝへ、奴さん、来るのですか?
アカハラ それが適当だと思ひました。わたし一人では、痛くない肚を探られるのがいやです。自分の会社の立場で物を言ふやうにとられるのは心外ですから……。
アオガサキ 用意周到、おそれ入りました。ひとつ、あなたのお手並を拝見しませう。
アカハラ 睨みを十分利かしてゐてください。
ノロミに連れられて、色眼鏡、落ちつき払つて登場。二人の前に立ち、やゝ挑戦的な態度で、
色眼鏡 わざわざお使ひを恐縮でした。ご相談といふのは何事でせうか?
アカハラ まあ、おかけなさい。ところで、早速、用件から片づけませう。幸ひ同業の最有力者アオガサキ君が同席されてゐます。わたしは自分の会社を代表する立場からでなく、本県椎茸産業協同組合理事長として、お話しします。すべて、事は、穏便に、できれば円満に解決するのを以て、本職の義務と考へますが、貴下は、椎茸に関する研究の成果を公衆の面前に発表し、椎茸産業界並に当地方農村に、多大の貢献をなしてをられることは一応認めるとして、たゞ惜むらくは、熱意余つて、往々、奨励の言辞が、逆効果を生む事態をみてゐます。われわれ、椎茸産業にたづさはる者は、貴下の善意が、そのために、悲しむべき結果に終ることをひとしく憂ひ、この際、適当なる条件の下に、貴下が講演活動より身を退かれんことを提案しようとするのです。
色眼鏡 おつゞけください。
アカハラ これだけ。あとは、ゆつくり、ご相談といきませう。
色眼鏡 僕の回答をお求めのやうですが、それに間違ひはありませんか?
アカハラ 間違ひありません。
色眼鏡 そのご提案は、条件云々を含めて、固くお断りします。
アカハラ 条件を聞かぬさきから、断られるといふのは?
色眼鏡 条件の如何に拘はらず、拒否といふことです。
アカハラ よくわかつてをられん。
色眼鏡 こちらから言ひたい文句です。そもそも、僕の生涯をかけた仕事を、いかなる力が、それを阻止し得るでせう!
アカハラ 生涯をかける仕事は、ほかにないですか?
色眼鏡 あればお慰みです。けだし、僕は、もはや、雄弁と椎茸とこの二つのものと訣別する勇気がないのです。
アカハラ 勇気をおだしなさい。
色眼鏡 言ふは易しです。あなたに、椎茸菌を売り捌くことをおやめになる勇気がありますか。それが、どんなに怪しげなものであるかは別問題です。
アカハラ 感情をはなれてお答へをすれば、然るべき価格でわたしの会社を売り渡すといふ場合はあり得ませう。
色眼鏡 それが僕の場合には、あり得ないことなのです。僕にとつて、今の仕事は、金銭に換算はできません。言はば生甲斐のやうなものですから……。
アカハラ ご相談といふのはそこなのですが、向ふ六ヶ月間、あなたはたゞ研究の方に没頭されるやうにして、その間のご生活を、われわれの方で保証するといふことは、どうでせう?
色眼鏡 なんの魅力もありませんな。
アカハラ どうしても講演がなさりたい?
色眼鏡 口を封じられるのは死も同然です。
アカハラ それなら、栽培に関することを除いて、あなたの最も得意とされる椎茸の歴史についてだけ、お話を願ふやうにしたら?
色眼鏡 歴史だけでは物足らんですな。
アカハラ なに、歴史だけと限らんでも、椎茸そのものの植物学的研究も結構です。たゞ、栽培の理論及び実地については、一切触れないといふ……。
色眼鏡 それで、たつた六ヶ月の生活費ですか?
アカハラ いや、ご希望によつて、そこはもうすこし……。
色眼鏡 掛引はやめてください。いくら出せるんですか?
アカハラ さあ、わたし一存では、ちよつとそれ以上のところは、ご即答いたしかねますが……。
色眼鏡 やめておきませう。
アカハラ 奮発して一年間、いかゞでせう。
色眼鏡 何年でもいゝですが、それは、月いくらの勘定ですか?
アカハラ えゝと、いろいろ振り合ひもありますし、だいたい、月七、八千といふところで我慢していたゞきたいのですが……。
色眼鏡 最低ベースぢや困る。面倒だから、一年いくらと計算して、前金でもらひませう。二十万なら手をうちます。
アカハラ 二十万……それはちと……。
色眼鏡 ダメ? そんなら、この話は……。
アカハラ いや、ダメといふわけではありませんが、できれば一度でなく……。
色眼鏡 二度に? よろしい、十万だけすぐに……。あとは、この六月末日と、さうしませう。
アカハラ (アオガサキに)ごらんの通りで……。
アオガサキ 理事会が承認するかどうか、安全なところは、お宅の宣伝費から捻出なさることですな。
アカハラ ともかく立替へておきませう。(小切手を書いて、色眼鏡に渡す)
アオガサキ (色眼鏡に)たいしたもんです。お手並感服のほかありません。今日はゆつくりご馳走にならうぢやありませんか。
奥より女将風の女現れ、ていねいにお辞儀をする。
女 では、お支度ができましてございます。どうぞ、こちらの広間の方へ……。
アカハラ なんにもありませんが、円満解決のしるしに一コン差しあげます。さ、みなさん……。
女の案内で、アオガサキ、色眼鏡、アカハラ、ノロミの順に、ぞろぞろと奥へはいる。色眼鏡、急に一人、後もどりして、見物席に向ひ、
色眼鏡 いづれまた、椎茸の栽培にふれなければなりますまい。それまでどうかお待ちください。
言ひ終つて、ちよつと見得を切り、大手を振つて退場。
底本:「岸田國士全集7」岩波書店
1992(平成3)年2月7日発行
底本の親本:「道遠からん」創元社
1950(昭和25)年11月15日発行
初出:「世界 第五十一号」岩波書店
1950(昭和25)年3月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:kompass
校正:門田裕志
2011年9月25日作成
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