盂蘭盆
北條民雄



 一号室ではまた盆踊りの練習が始まつた。

「またも出ました三角野郎が、四角四面の櫓の上で、音頭とるとはおーそれながら──。」

 さつきまで日支戦争の噂話で夢中になつてゐたのだが、それがちよつと途切れると突然一人がかう怒鳴りながら立上つた。すると勿ち戦争の話はけし飛んでしまひ、総立ちになつてどんどんと足を踏み鳴らし出した。

 その声を聴きつけると、三号四号の連中もぞろぞろと集まつて来て、もう踊りの練習といふよりも乱痴気騒ぎであつた。果ては口々に自分勝手な唄を喚きながら、台所から持ち出されたバケツががんがんと叩かれるのであつた。

 病気の重い者もあれば軽いのもある。奈落の底から聴えて来るのかと怪しまれる重症者の嗄声と、鬱積した精力を爆発させるやうな青年患者の叫び声とが交錯した。

 畳の上にはばらばらと飛行機形に貼り合はされた絆創膏が落ち、それが遠慮もなく麻痺した足に踏みつけられた。十二畳半の部屋いつぱいに膿の臭ひがたちこめ、あけ放たれた窓から少しづつ雨の中に発散した。

 盆までにはまだ一ヶ月に近い日があつた。しかし何時になつたら青い空が見え出すのか見当もつかないこの梅雨に、彼等はすつかり気を腐らせて、一日に一度は怒鳴つたり足を踏み鳴らせたりしなければゐられないのである。それはあり余る精力に野山を駈け廻つて吠え叫ぶ動物の群に似てゐた。

 隣室の二号には急性結節で熱を出した病人が寝てゐた。病人から離れた片隅には今年六十三になる老人がぶつぶつと独言を呟きながら坐つてゐる。老人は銀の煙管を白く光らせながらゆつくりと吸つては呟き、呟きした。

「ほんになあ、若い身空でこんな病院へ這入つて、苦労も知らず、浮世の楽しみも知らんで、ちやらんぽらんちやらんぽらんと騒いで暮しとる。かはいさうなもんぢやわい。」

 そして唇を尖らせて煙を吹き出すと、にやりにやりといやらしい独笑ひを顔に浮べるのだつた。若い時の道楽でも思ひ出したのだらう。夜になると若い者を集めて惚気を聴かせるのがこの老人の第一の趣味である。

 病人はうつらうつらとしてゐる様子であつたが、隣室の叫び声に眼をさました。踏み鳴らす足音が畳を伝つてびりびりと頭に響いた。体温は三十九度四分、後頭部が痛むと見えて、彼は片方の掌を頭の下に入れた。そして苛立たしげな眼つきで隣室との境の壁を睨んで、

「座敷豚共!」

 と呟いて布団の上に坐つた。寝衣が汗にぐつしより濡れて痩せ細つた胸を汗の玉がつるつると辷つた。

 顔も手足も繃帯のぐるぐる巻きである。じつと坐つてゐるのだが、熱のためか上体がゆらゆらと揺れて、何か怪奇な機械人形の格好だつた。

「病室(重病室)へ這入つて養生したらどうかいのう。」

 と老人が煙を吹きながら言つた。

「いまいつぱいだ。」

 と病人は嫌悪の色を浮べながら老人を見た。物を言ふ気がしないと見える。

「さうかいのう。弱つたこつちや。病室が満員ではしやうがないのう。」

 そして老人はまた思出の後を追ふやうに眼を細めて俯むいた。

 病人はふらふらと立上ると、縋りつくやうな格好で押入の戸をあけた。寝衣を更へようといふのである。

 洗つたばかりで、まだ折目の崩れてゐないのと着更へると、むつつりとした表情のまま、ああいい気持だ、と呟いた。が、そのとたんにどつと挙がつた隣室の喚声に、

「豚!」

 と憎々しげな声が出た。

 病人は今年二十五、生れは北国の漁村であつた。この病院へ来たのは十九の年の三月である。おそろしい黙り屋で、人々は彼を変人だと決めてしまつてゐる。しかし頭は鋭いところがあると見えて、短歌を作らせては院中彼の右に出る者は一人もゐない。荒涼とした漁村の自然と貧苦とに耐へて育まれた彼の強靭な生命力が、その短い形の中に溢れるのであらう。院には歌人は多く、歌の雑誌も月刊されてゐるほどだつた。

 寝込んでからは今日で十日目だ。急性結節の発熱で九度四分ならさほど大した熱ではないが、それでも立上るとめまひを感じ、第一顔や手足に巻いた繃帯のむさ苦しさは心を苛立たせた。

 着物を更へると、彼は布団の上に坐つて暫く外を眺めてゐた。疲れたと見えて、放心したやうな表情である。

 子供を背負つた女が二人、雨傘を並べて通つて行くのが見えた。癩院にはめつたに見られぬ風景である。親たちは二人共患者であるが、子供はどつちも健康であつた。近いうちに子供たちは保育所へあづけられるといふ噂である。

 一人は若く、まだ二十一二と見えるが、もう一人は三十を超えた鮮人であつた。子供もそれに比例して、若い方のはまだ初誕生も来ないが、半島の子は既に三つになつてゐた。鮮人の方は女給をしてゐるうちに産んだ子で、育ててゐるうちに発病したので子供を連れてつい一月ばかり前に入院したのだ。父親のことは誰も知らない。若い方は父親もやはり患者で、孕んでから入院した。一たび癩の烙印を押された彼等の心には、健康な社会で産むことがあまりに不安であつたか、或は生れる子供のやり場に窮したか、多分その何れかであらう。

 子供たちの出現は、急に病院内を明るくした。時たまにこのやうに院外で孕んで入院する患者はあつても、院内で産むといふことは殆どなく、結婚する時にはみな男の方が進んで精系手術を受けて、生涯もう子供をもつことは出来ぬとあきらめてゐる。それだけに、また反面では子供に対する欲求が激しいといへよう。だから彼等はその子等を大切な人形のやうに取り扱つた。

「小つちやくつたつて壮健だなあ、やつぱり。見ろ、皮膚の色が違ふよ。」

「全くだ、患者の皮膚はきたねえからなあ。」

「羽二重餅みたいにつやつやしてらあ。」

 そして一人がたまらなくなつたやうにその羽二重餅みたいな頬つぺたを撫でにかかると、

「止しやがれ、患者。」

 と横合ひから一人が呶鳴る。彼等には何か神聖なものに感じられるのだ。しかし結局病気の一番軽いのが思ひ切つて抱き上げてしまふと、もう子供は鞠のやうに腕から腕へと渡されて、わいわいと大騒ぎが演ぜられるのであつた。それでもさすがに重症者は横からじつと眺めるだけで我慢してゐた。

 彼女らの舎は病人の舎から三つばかり端れに寄つてゐる。だから毎日幾度となくこの窓下の道を、鍋その他をもつて往復した。三度三度の食事の配給所へ通ふのである。

 若い病人はこの子等を見るのが毎日の楽しみであつた。熱のない時には窓に腰をおろして、

「バア、バア」

 と背中の子供をからかつた。子供はきやつきやつと母親の背で身を躍らせて、糸のやうに眼を細めて笑ひ、若芽のやうに生えかけた二本の前歯を唇の奥にちらつかせた。

 熟さぬ果実のすこやかさであつた。

 母親はもううつとりと幸福さうな表情になつて、我が子の顔を眺め、

「ほら、バンザイ、バンザアイ、やつてごらん。」

 と先づ自分が手をさし上げて見せるのであつた。子供は木の葉のやうな掌を拡げて、母親の手を掴みにかかつた。

 病人はふと涙ぐんだりした。弱まつた心の感傷では決してなく、余りに純潔な愛情を見せられた思ひで、癩の苦痛に何時突き崩されるか判らぬ危つかしさを感じるからである。

 雨傘を並べた母たちの姿が木立の向うにかくれると、病人は散薬を服んで布団の中にもぐり込んだ。饐えたやうな汗の臭ひがぷんと鼻をうち自分の体臭に嫌悪の色を浮べながら、

「子供を産んではならんのか。」

 と呟いた。…………

底本:「定本 北條民雄全集 上巻」東京創元社

   1980(昭和55)年1020日初版

※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。

入力:Nana ohbe

校正:富田晶子

2017年619日作成

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