小栗判官論の計画
「餓鬼阿弥蘇生譚」終篇
折口信夫
|
神道集の諏訪本地。
信濃念仏。
安曇の蹶抜き伝説。
文字から読んだ時代。
泉小太郎──白水郎。
海中と、山中の深穴と。
おほくにぬし・すさのを・すせり媛の比良坂。
数種の比礼と、四季の国々と。
禊ぎと、黄泉と。
いざなぎと、甲賀三郎と。
伊吹山と、地獄谷伝説と。
甲賀人の宗教。
湖水を中心とした宗教。
禊ぎと、ゆかはと。
出雲国造の湯と、大汝と。
いざなぎ・いざなみと、近江の国と。
多賀・日ノ稚宮
なぎ・なみは、大汝のすせり救脱と同じか。
甲賀形身解脱の水を仏徳に帰する。
熊野念仏譚は、出雲出自のものもある。浴湯蘇生は、是だ。
甲賀──蛇身。
あぢすき・ほむち・允恭──不具(游魂)。
小栗──肉身変替。
幼神・不具身の為の湯。
湯の水を汲む女。
男(山路・百合若等)。
当麻の地名。
東海道の順送りは、当時の風習をとり込んだので、古くは、熊野まで送つたのか。
小栗と、躄勝五郎と。
照天と、初花と。
熊野と、箱根と。
姫の私通(他国の男と)と、追放と。
魂があると、出来るからだ。からだがあると、這入る魂。
大嘗殿の御倉。
瘉合させる斎水湯の力。
その前提としての他界廻り。
大汝のよみの話は、国造禊ぎの物語だ。
きさがひ。
「きさげ集」は、骨・寸法の木その他の分子を集めて、組み立てるのか。
きさり持ち・滝の上・象山・小川・きさの地名。
小栗は、湖・海の禊ぎを、山の斎水に移した物語だ。
熊野川から来た、不具神の旅路。
念仏聖の旅路に応じて、その出処が、遠く信者の多い東の果にうつされたのだ。
中心地も、相摸川の中流地となる。
神の国から来た不具神を育てた巫女、中将姫の物語が、てるて姫を作つた。
中将姫・うつぼなどの伝説型の錯綜。
幼い神と、貴女と(継母と、神育て人)。
てるて──てるひ、巫女の名。
読み違へ。
紀州雲雀山。
熊野神明の巫女。
中将姫物語を伝へた比丘尼。
朝日の本尊。
比丘尼の色づとめの本縁談など。
歌念仏の中将姫と、布を織る棚機つ女と。
神明巫女としての狂ひ姿。
淑女放逐談。
夫父らの遇逢。
父兄の折檻。すさのを以来。
美濃の照日の巫女。
巫女の語りと、聖・盲法師の語りとの融合した物が、小栗・照天を一つにしたか。
人買ひ話。転買。
やきがね責め。
水汲み──立ち使ひ。
長者。千軒村。
日限りの略と。聖役と。
近江八景の問題。
玉屋が門。
宿のあるじ。
東海道と、王子順路と。
俊徳海道と、神幸順路の特定と。
馬の家としての常陸小栗氏。
馬の神としての神明(観音)。その巫女。
小栗の称。小栗家の先祖の物語を語る宣命。
鬼鹿毛談。
人喰ひ馬。
あいぬの小栗談。
あいぬへの進入──えぞ浄るりの性質。
嫁とり。
馬乗りこなしの後は、別。
嫁とりと、よみの国と。
よみの国と、禊ぎの斎水。
巫女の物語の添加。
横山は、馬主。小栗は、英雄。照天は、馬主の娘。
念仏修者の不思議な蘇生。
死に方を語る物語の、当麻において離合。
上野原の地。
東のはて──常陸──馬術の家の名に、小栗のつく理由。
嫁とりの話に結んだ、当麻物語。
逐はれた姫の話。
馬の宣命──盲僧。
照日の巫女の神明布教。女の懺悔──中将姫。
時衆念仏開基の地と、巫女の物語と。
命数残つた地獄返りの人の話。
精霊ぼめの物語。蘇生を語る歌念仏。
馬の宣命は、変形した。
藤沢寺縁起に入つて後、いろ〳〵の聯想が絡んだのだらう。寺のは、地獄と、上野原と、熊野位に、巫女の名から出た照天姫を挿入した位だつたらう。
徳川家の聖時代。
聖の形の野伏し群と、少数の遊行聖と。
朝夷巡島記・御曹司島渡り系統に、東国の牧馬地方で、馬の試みの這入つたもの。
小栗にも、馬乗りしづめ法を、照天から授つたのだらう。
十郎姫と、照天姫と。
島々や天竺と、下界とでは、島々は新しく、下界が古い。
照天は下界に居なかつたけれど、死んだ形をした。その上、様々の苦労、国巡りは、下界の形だ。
男の救ひ出す形よりも、女に育てられる形が、主となつた。
甲賀三郎より複合多く、近代的だ。
人の姿を、動物その他に変形する術と、異形身と。
建御名方の立ち氷の如くなつたのは、異形身で、蝮虎杖花の如くなつたのだ。蘇生の為。
諏訪の湖に禊ぎして、蝮の身虎杖花の形から脱して、そこに、棲みついたのだ。
甲賀三郎の前型にも、呪はれて、蝮の如く、虎杖花の如くなつたのが、近江の湖水で直つた。其が、東へ移つて、信濃に残つた。更に進んで、蛇身になる。水辺の女や、水神へ嫁入りの娘の話となつた。
小栗も亦、元は現身霊を保持する身を失うて、異形身を得てゐた。其が、身を失うた餓鬼といふ事になつたのだ。熊野から、大和当麻に、又、箱根に移り、近江にも関係を持ち、又、相摸川にも移つたのだ。
当麻と水と関係の尠いのは、後入故か。
箱根の話が、相摸川の話と関係あることは勿論、此方が古い様だ。初花の名も、歌念仏に関係あらう。
小栗の毒飼ひは、食物による異形身の説明である。
小栗も蛇身に関係あるは、神泉苑の蛇と契つた為の流離だ。
此は、本筋に関係のなさゝうな古い形の物語である。
其と共に、馬術を得たのだ。こゝに蛇身の形が見える。
蛇身の女と契ることは、水の女の故事にも関係がある。
小栗では、下界談は短い。現世における異形持続・遠路巡遊に変つてゐる。
常陸小萩の名と、奴隷と。
小枝・小萩・中将・少将・桂姫・初花・安寿・きく丸などの出自。
袖萩・小萩の名の固定と、女被官の通称。実名の唱へ替への源。采女。
八束小脛と、舎人生活と。都方に仕へた風の印象(狐飛脚の死)。他郷異形の者と見るか。
常陸・尾張両小萩とも、やきがね攻めにあふのは、奴隷のしるしをつけたのだ。同時に、八束小脛の翼なども、遁走を避ける為の筋や、踝の辺に、細工したなごりであらう。
えだを下女とし、えたとするのも、えたにしるしをつけた風習の後か。
かたゐ(かたゐざり、か)なども、筋を抜かれて、居るに両足を組まぬからの名で、奴隷の名だつたか。骨足らず・四つ足(四つ)などいふのも、其か。
ぼろんじのぼろも、よぼろの略か。為朝の筋を抜いた話も、其だ。
安寿その他の中世の宗教名よりも、小萩は古い。
とつぱ・すつぱは、とらへはぎ・すりはぎなどで、剥ぎだらうが、脛の聯想がありさうだ。
腰行の風も、其か。
横佩大臣のはきなども、さうした聯想から出て、豊成にくつゝいたのだらう。萩の花及びえだには、折るよりも、よづを多く使ふのは、此聯想を避けたのか。よはぎと訓むべきなのかも知れぬ。
をりも同様、是に関することで、をろがむも、其。織に通じて、後世、何織・織何といふ名が多い。扇をり・小萩などは、其俤を見せてゐる。織女の聯想ではない。よをりのをりも、折り伏して、齢を奉る義か。たよは膕のよで、よを折つての義だ。五節も、五節折の折を避けたのだらう。脚の膕を五度折つて、鎮魂の義を奏する事らしい。
太陽井の話。井水の汲み難い平野地の話から、海岸水辺の物語に移るのだ。安寿の汐汲みなどは、後だ。
播磨風土記の萩原里は、萩井原の里の筈であつた。一夜、萩に絡んで、処女の死んだ話が、伴うてゐる。
「萩が花妻」も、古語だが、小脛の女の聯想で、女の奴婢の、色を以て仕へた処から出た語で、後には、唯の萩となり、鹿の配偶の様に考へられる事になつたらう。
廻りあうても知らぬのは、異形身だけでなく、よみの所属の人を連れる事の出来ぬ為だ。
健児なども、こむらびとなどではないか。字音としては、過ぎる。
ひかゞみなども、びっこの語原らしい。膕の筋を抜くからである。「朝妻のひかのをさか」などいふのも、ひかゞみから、をさを引き出すので、をさは足自由でなく、坐て用を足す者を言ふのである。「朝妻」は婢なるが故に、家にゐさせて、朝までもまく故であらう。井光の「ひか」も、其らしい。ひかの音転がひなで、夷の住居地方に当る。とねりは、をさと同じ語原のとね即、外根からの刀禰と、「折り」か「坐り」の融合したものらしい。采女は采女部の義で、うねは、内刀自で、内舎人の古い形なのだらう。はやひとは、駈使丁としての名で、早足の人であらう。隼は、宛て字だらう。ひとのとは、足くびから下を斥すか。神の用の脚夫で、神聖(ひ)な足の所有者であるらしい。隼人は、速足の聖奴の義らしい。寺人・神人皆奴婢の意を含んだ語である。海人部・山人部も、其だ。駈使丁を宮中に用ゐるのは、速脚を利用したのである。
男子の丁にも、はぎの名はあつたらうが、女の方に主にはぎ・小はぎを使うたのだらう。はぎを加工するのは、殊に、野蛮な種族らしく、八束脛などが、山人の類に入つてゐる。
「またく心を脛にあげて」・「ほやのいずし……はぎにあげて」なども、多少さうした女婢の隠し処の聯想があつて、趣向となつたのである。
あきはぎとあきをつけるのも、聯想を避けたのであらう。はくは、脛の動詞化である。佩とは、別の語である。上肢、下肢を通す事である。どうしても、性の聯想があるのである。かう言ふさしぬきにしてつける袴(穿く裳でなく、絡佩裳である)を、奴袴と書くも、故がある。むかばきは、向佩きである。ばきの簡単化したもので、向ばきと、古いほど似て来る。脛に密着させるものは、筒袴とも言ふべきである。此が新しい意のはくで、襲衣上袴裳だ。此は袴を括り上げる。脛ばきのはゞきの原形は、此である。はゞきの裾の下肢を括る処ばかりに作つた脚絆を、はゞきといふ様になつて、さしぬきと改名した。
「脛にあげて」も、裾をまくり上げて、上肢の陰し処に近くからげるのだ。
常は、丁・丁女が、素足を隠すからだ。「はゞき裳」が、此であつて、下裳の上の表裳だから、おすひ裳である。ひもは、ひもの緒の略らしい。正しくは、ひものをである。ひれ・ひらみ・褶を通用するのを見ると、頸越しに、爪先よりも長く垂れたので、ひらおびとするのは、後の民間語原説である。みは裳であらう。ひれ・ひらは、ひかゞみから出たひなの転のひらであらう。ひらみが、ひれになつてゐるのだ。ひれふすのひれも平ではない。鰭も、はたの先をいふのである。
向ばきは元、前だけ掩うたからか。「向脛に……」は此から出たか。早処女の前を示さぬ様らしい。此が後に、ひらみとなる。
「ひれかくる伴の緒」といふのは、采女・舎人・隼人等を斥したのである。舎人は、武官となつて、ひれを、形式にもつけなくなつたのだ。襲衣から分れぬ先のひれは、襲衣その物で、頭から被つて、前身を隠す様に垂れたのだ。だから殆、裸体である。槻の葉の散つたといふのは、実は、襲衣に「月経」のついてゐる事を歌うたのだ。誤解である。やまとたけると雄略とでは、こんなに違うて来たのだ。
槻の木は、月経その他の場合にこもる、つきごもり(晦日の語原)の屋の辺に立つてゐたのだ。斎槻も其だ。「長谷のゆつきの下に」つまを隠すといふのも、槻屋に籠らしたのだ。物忌みの為の、別屋である。月経を以て、神の召されるしるしと見なして、月一度、槻の斎屋に籠らしたのだ。
神まつる屋は、すべて槻その他の木の下に作つた。こゝに月経の日を仕へるのを忘れて、月経の日に、忌みに籠る屋の様に考へたのだ。
月のはじめは、高級巫女の「つきのもの」の見えた日を以てした。月の発つ日で、同時に此が「つきたち」である。神の来る日が、元旦であり、縮つては、朔日であると考へた。
「はしり出」は、はしり出居で、戸を全部閉ぢた様にした、出居である。神迎へに出居る屋で、其上には、槻の木があつたのだ。昔の歌に、槻の歌の多いのは、槻屋の印象である。
「はなち出」は、戸ざしのない出居である。
「月読めばいまだ宵なり」・「この月ばかり」など、つきといふ語には、聯想が多かつたのである。「月たちてまだ三日月の眉根かき」なども、三日月眉をいふのは、後世の技巧で、下には、古い修辞法「月経の日からまだ三日」といふ義を含んで、「眉根かき」が利くのだ。
「天ゆく月を綱にさし」も、月の蓋の外に、巫女の月ごもりなるものを、此新室の葛根もてする如く徴して、おのが者として、かづき臥し給ふといふので、床入り際の歌である。恐らく、皇子尊の新婚の褄屋の歌であらう。
業平の歌の「まだきも月のかくるゝか」にも、此風は廃れても、宴会の正座の人の床入りには、月を以て祝する風を、伝へてゐたのである。
「国栄えむと月は照るらし」も、転じて、殿ほぎに月を出したので、此夜は、主上・高級巫女同床せられるのだ。此日寓る御子を、神の子として、日つぎの御子の一人とせられるのだ。
殿は、安殿である。此日の行事を、神として、神女と、「やすみ(しゝ)せす」といふ。神事の最上であつて、神として、地上に暫し止りたまふ義である。平安朝の御息所は、御子を生んだ為、みやすみ所に侍り得るものとしたのだ。安殿は、寝殿即正殿である。後に清涼殿が、其となつた。
寝ることのやすむは、だから、およるなどの古い時代から残つたのだ。「安寝」は条件として、同床がある。安見子は、采女の名でなく、古くから、御息所の素地が出来てゐたことを示す語で、天子の、一度倖せられた女子を言うたのだ。村上の中宮を安子といふのは、既に「やすむ」の語義を忘れた為か、或は普通名詞の「やすみ」子を、中宮にも用ゐてゐたのか。
月読命の大食津媛を殺したのも、月はまれびとだからだ。
すさのをの場合は、阿波に下つたのだ。
保食神が、牲をつきの血でけがしたのだらう。
安殿皇子の平城帝も、あででなく、やすみどのの皇子として、御湯殿に対する名の最後らしい。
「やす」といふ語根は、神の降り留る義で、八十といふ語には、その聯想が伴ふのである。其から、神事の人々の数を数へるのに使ふ。崇神紀の八十伴緒・八十物部・八十神などが古い。神の来てゐる間の、接待者の状態を言ふ様になつては、痩すとなり、やせうからの転のせがれが、やつがれとも、せがれともなる。
八瀬の里人は、このやせの語意から考へられたらしい。地方神事に「おやせ」といふのが出るのも、此だ。やつる・やつすのやつも、此転音である。やつこも、家つ子と言ふより、此やす子かも知れぬ。痩男の細男と、聯想のあるのも此だ。やしよめも、八瀬女でなければ、やせよめである。神事に与る善女であつて、桂あたりの販婦である。
安来・野洲川・八十橋など、皆神天降を言ふらしい。八十橋などは、天八十人をいふのは、合理的である。安井も天降井である。
やすはふやすなどゝ、関聯して考へられてゐる。性的神事だからである。
やしなふも、此か。神を湯・乳・飯で、居させ育み奉るのである。
安御食・安みてぐらには、増殖の義があるのだらう。埴安池・埴安彦などの名義は、土を水でやしなひ置くと共に、国土が拡がると見たのだ。埴安池の土を取つて、此を様々の象徴に作れば、当方が勝つ。埴安彦も其で、此を亡して、倭宮廷の力が増した。
やす・やすら・やすむは、客神の新室に居てゑらぐ満悦の辞である。寿詞にも、其状を予期して祝する。
「うらやすの国」は、国ぼめの語で、八十島・八十国は、祝福を籠めていふのだ。大八洲も、やしの音に、よい語感があるのだ。
「やさし」は、痩の形容詞でなく、客神に対して、心和いだ様をいひ、又自ら来臨を迎へ恥づる両義がある。
つくも髪は、産屋髪で、物忌みの髪形だ。経喪髪である。俤に見ゆの序で、慣用から来た誤解であらう。かげ(蘿)にかけてゐた。日かげのかづらをかけるからである。百年に一年足らぬとは、つくもの枕詞ではない。だから当然九十九の意ではない(百は違ふ。つゞで十九或は、九十九か)。百年に満ちて亡びるのでなく、常に一年足らず伸びゆく、此槻の屋のつくも草を葺いた新屋の中の、月忌髪の巫女の頭の日蘿ではないが、彼の人、我に焦れてゐるに違ひない。幻に現れたといふのだ。
つくもには、采女・巫女たちの神室の作物する髪を言うたのか。
熊野と、出雲と。
常世と、死の島と。
死人の三山詣り。
妙室山。
死者蘇生の地。
霊の寄集地。
樒の一本花を持参。女になつた証拠。
鉛山。
峰の湯・海際の湯。
をち水求めの天子。
王子詣で。馴子舞。
東海道を説くのは、王子巡拝の最初を示すのだ。
其は、王子斎祀の地点定まらぬ、昔を語るのが元だ。三島郡の小栗の社。
車引き。景事全盛時代の色あげ。
熊野参詣道中の歌。
千引き系統の恋人に牽かれる話の種。万屋の門で動かなくなつたのだ。
千引きの巫女姿。
木やり・石挽き・たゝら唄・どうづき唄。
石挽きと、穴太役と。六条・名越と、たゝら踊りと。
仏体勧進・仏像鋳造・開眼供養。
御手・御胴勧進の仏曳き。
来世を見て来た人の信仰。
来世から生れ替つて来た鳥・獣・人間の因果話。
来世話をする異形の病人。
此に代つて、物語る因果物師。
大和詞。
浄るり十二段系統。
歌占巫女の語彙。
歌比丘尼の艶書代筆。
藤沢寺。
大草紙の新しい書き入れ。
念仏を離れて、説経へ。
本地物の古態。
初段、貴種流離の原因。
最後は人間として、栄える。
まだ、説経化しきらぬ物。
巫女祭文(山伏の手を通らぬ)。
盲僧の説経。
神事舞ひの宣命。
厩ぼめ及び示威。
後には、馬おさへを忘れて了ひ、巫女祭文の色濃くなる。
東国の人の物語からはじまつた。其後、熊野や藤沢がついてゐる。
念仏聖・神明巫女・歌比丘尼の熊野代参慫慂。
当麻(小本拠)藤沢から──熊野(大本拠)へ。
融通念仏・時衆念仏の差。
念仏踊りの屋敷ぼめ・厩ぼめ。
因果物語附著。
藤沢縁起。念仏功徳。
武士発心譚の系統。懺悔物。
熊谷・教信……。
ひいき多い判官の名称。
悲運の武士と、後に残る女性。比丘尼のざんげ。
(小栗) ┌万歳→山伏
1 馬宣命──神事舞ひ┤幸若
└盲僧
(照天)
2 巫女祭文──(神明)
大和当麻縁起。
3 当麻の無量光院開基。
(念仏聖)
時衆の妻としての照日(親鸞の妻)。
妻は巫女。夫は神。
↓
妻は憑尸。夫は審神者。
↓
┌歌念仏 ┌念仏
妻は┤浄るり 夫は┤
└歌説経 └説経
4 熊野参詣。功徳唱導。
5 王子の本縁。
6 藤沢寺縁起。
7 支那小説の飜案(水滸伝)。
底本:「折口信夫全集 3」中央公論社
1995(平成7)年4月10日初版発行
底本の親本:「『古代研究』第一部 民俗学篇第二」大岡山書店
1930(昭和5)年6月20日
初出:「民族 第四巻第三号」
1929(昭和4)年4月
※底本の題名の下に書かれている「昭和四年四月「民族」第四巻第三号」はファイル末の「初出」欄に移しました
※複数行にかかる中括弧には、けい線素片をあてました。
入力:門田裕志
校正:仙酔ゑびす
2007年4月8日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。