重病室日誌
北條民雄
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×月×日。
右腕の神経痛で七号病室へ入室した。空は陰気に曇つて今にも降り出しさうな夕暮である。室内は悪臭激しく、へどを吐きたくなる。送つて来てくれた舎の連中が帰つてしまふと、だんだんじつとしてゐるのが堪へられなくなる。入院した最初の日と全く同じ気持である。あの時、この入院第一日の印象は死ぬまで黒い核のやうに心の中に残るであらうと思つたのを思ひ出し、慄然とする。これは心の上にじゆッと焼きつけられた烙印のやうなものだ。
夜。腕がづきづきと疼き、どうしても眠られぬ。腕を抱へてじつと我慢する以外にはどうしやうもないのだ。このやうな時はうんうんと呻くのだけが僅かの楽しみである。呻いてゐる自分の声といふものは奇妙になつかしいものである。
×月×日。
朝、眼をさましたとたんにサッと朝日が射し込んで来た。足許の硝子戸越しに眺めると東南の空が炎のやうに真紅である。帯のやうに細長く横はつた雲が黄金色に輝きながら、幾條も重なり合つて徐々に流れ、その雲らの隙間から無数の紐になつた光線が放射されてゐる。
が、間もなく曇り出して、朝食を終る頃にはもう昨日と同じやうに陰気な、重苦しい空になつてしまつた。自分は今日まで自然の美しさといふものを味つたことはめつたにない。それどころか、何時でも自然に脅かされ、自然に虐げられ、果ては自然といふと先づ憎悪を感じて来た。だから今朝のやうな空が失はれると、あと暫くの間は重苦しく不安でならぬ。
十時頃外科出張あり。看護手その他が繃帯・ガーゼ等などを抱へてどやどやと這入つて来る。室内は膿臭でいつぱいになり、布団から顔を出してゐると息がつまりさうである。この病室には十四の寝台があるが、体に潰瘍や疵のないのは自分だけだ。右隣りにゐる李さんの如きは全身疵だらけで、文字通り満身創痍だ。両足共繃帯を除ると向う脛はべろりと皮がむけてゐて、真赤な肉が七八寸の長さで覗いてゐる。両腕共にその通りで、おまけに頭のてつぺんにまで疵がある有様だ。指も五本共べろりと皮がとれて、繃帯を巻いたあとはちやうど野球のミットをはめてゐるやうな恰好である。顔はどす黒く脹れ上つて、口がぐいッとひん曲つて、眼はもう薄明りだ。彼は飯を食ふ時には繃帯の間にフォークをさし込んで食ふ。「つくづく嫌んなつちやつた」と彼が言ふので、「いいかげんに死ぬんさ」と答へてやると、「思ふやうにや行かねえや」と笑ひもしない。「首でも縊るのさ」と突つぱねて自分は寝返りをうつた。話をする気にもならないのだ。
×月×日。
不意に横で女の子の声がするので、寝たまま首をねぢ向けて見ると、例の「癩院記録」の中に書いて置いたハルちやんである。
「をぢちやん、どうしたの?」
「うん、神経痛だよ。」
林檎を取り出して附添夫にむかせ、彼女にやると、小さな口で齧りながら出て行つた。
×月×日。
昨夜午前まで眠れなかつたので今朝はすつかり寝過してしまひ、朝食を食ひはぐれてしまつた。
昨日からラヂオが取りつけられたので終日うるさくてならぬ。ラヂオの愚劣さは既に定評あるところであるが、何よりもその音が堪らぬ。朝から晩までガンガンと頭を撲られ通してゐるやうなもので、本を読むことも物を考へることも出来ない。発狂しなかつたのを寧ろ幸ひとすべきか。
夜、ラヂオが終つてほつとしてゐると、急に自分から三つばかり左の寝台にゐるノドキリ氏が苦しみ始める。カニューレの下に何か引つかかつたとみえる。呼吸困難である。繃帯に包まれた両手を宙にぶらさげて、さかんに息を吹き出さうと努力するのであるが、引つかかつたものが邪魔になつて思ふやうに息が出ないのである。当直のハンベイさんがどうしたどうしたとどなつたので、みんなびつくりしてその苦しむさまを眺める。ノドキリ氏は盲目で、鼻は穴が空いてゐるだけだし、頭は髪が抜けてしまつててらてらと光つた坊主である。その坊主頭を苦しげにうち振つたり、ひくひくと咽喉を鳴らせてもがいたりする状は一見ひどく滑稽で、みんなは思はずどつと笑ふといふ始末だ。すぐその隣りにゐる男の如きは、わざわざ起き上つてノドキリ氏の苦しむ真似を始めて大笑ひをするのである。
ひとしきり室内がざわついて静まつた時、向う寝室にゐる女が、随分苦しいことだらうねえ、と憐れな声を出した。すると急にみんなは沈黙に落ち込み、じつとノドキリ氏を見まもり始めた。今まで滑稽に見えたのが今度は恐しい苦痛の表情と見え出したのである。
「おい、先生呼んで来いよ。」
と、さつきまで真似をして笑つたりからかつたりしてゐた男が心配さうに言つた。
「呼んで来ようかなあ。」
とハンベイさんも気になつて歩き出したが、そのとたんに、ノドキリ氏の咽喉でぷつといふやうな音がして、噴出するばかりの勢ひでひゆッと音を立てて息が通ひ出した。すると氏はすつかりうれしくなつたとみえて、ひゆッひゆッとせはしく息を吐いたり吸つたりしながら、両手を叩いて踊るやうな恰好を始めた。
×月×日。
終日霖雨が降り、侘しい一日であつた。
朝、便所へ出かけて行き、廊下でぱつたり鮮人文さんに会ふ。ちよつとの間見ないうちに彼はもう盲目になつてゐる。
「前から山でもぶつかつて来るやうで歩けやしない。」
と言ひながら彼は空間を探り探り歩いて行つた。すぐ隣りの病室六号に彼は入室してゐるのださうだ。
昼頃隣りの李さんが枕許のけんどんからもうぼろぼろになつた職工手帳を取り出して、見ろと言ふ。見ると「××××部修理工場職工手帳──鋳工」と表紙に印刷してある。彼は、それを眺めてゐる私の方に向つて、ニヤリと得意気な微笑をもらした。今こそこんなになつてゐるが、これでも以前には健康な体で、しかも優秀な技術を持つてゐたのだ、と言ひたさうである。彼の現在はこの手帳にささへられてゐるのだ。
×月×日。
昨日からの雨がやまず、今日も午前中はしよぼしよぼと降り続ける。
夕方になつて雲が動き始め、空のところどころに青い穴があいて行く。その穴から傾き尽した太陽の光線が落ちて来る。
×月×日。
久々の上天気である。
左隣りの男が眼の手術をして来た。絶対安静とのことであるが、人々はわざわざ彼を笑はせるために下劣な話を始める。彼の眼は良い方と悪い方とあつて、今度急激に神経痛でその良い方の眼が一晩のうちに見えなくなつてしまつたので、今は全くの盲目になつてしまつた。そこで思ひ切つて悪い方の眼を手術したのださうだ。それで見えるやうになれば幸ひ、見えなくても損はないといふ勘定である。もつとも、見えるやうになつたとしてもほんの一時で、すぐまた見えなくなるに定つてゐるが、まあ一時にしろ見えれば得だ、と彼は語つた。もつとも中には眼ばかりは絶対に手術するものぢやないといふ者もゐるが──といふのは、手術した眼が再び見えなくなると、今度は完全な盲目になつてしまふ。盲目にもやはり段々があつて、手術しない眼だとなんにも見えなくなつてからもなほ光りが感ぜられる。たとへば真暗な部屋に不意に電燈がついたり、夜が明けたりした場合その明暗が感得出来る。しかし一度手術を受けると、もうその明暗すらも感ぜられぬ完き闇の世界の住人とならねばならぬのださうだ。手術といふのは角膜を切り開いて虹彩を切り瞳孔を拡げるのださうである。神経痛などで充血すると、虹彩の内側に膿その他の分泌物が溜つて虹彩と水晶体とが密着して括約が利かなくなるのださうである。つまり手術といふのは瞳孔を拡げて分泌物の掃除をするのだ。
手術はひどく痛かつたさうである。
×月×日。
腕の痛みは殆どとまり、朝からよい気持である。痛み始めてから今日でちやうど四十日になる。
隣りの男は手術後の経過良好とみえて、いくらか冗談を言ふやうになつた。
午後、久しぶりで図書館に出かけ新聞を見る。文芸欄は題目だけを眺めて片づけ、三面記事を見る。四十日の間新聞を見なかつたせゐであらう、数多くの血なまぐさい事件にぞつと心が寒くなる。活字が血の色に見える。心が緊張し、考へが後から後からと湧き出して来てならない。病室へ帰つてからも心が落ちつかず、ぐるぐると渡り廊下を散歩する。
三号病室の横まで来たとたん、はつとして立竦む。向うから片×さんの妻君がやつて来、それが何時の間にか盲目になつてゐるのだ。が、自分が驚いたのは彼女が盲ひてゐるからではなく、その瞬間まで社会の、いや三面記事の上に生きてゐた自分が、彼女を見たとたんに癩病院に復つたためだ。これが俺の生きてゐる世界であつた、といふ驚きだ。絶望的な気持になり、ひどく憂鬱になる。
二号病室の廊下まで来ると、ふとYさんが入室してゐるのに気づき、這入つて見舞ふ。夜は例のやうに眠れず、午前二時まで正岡子規の随筆を読む。なんといふ激しい愚痴であらう。
×月×日。
今朝は大変に睡かつた。
朝食後ぼんやりした気持でベッドの上に坐り窓外を眺めてゐると、突然死亡通知の鐘の音が聴え出す。誰か死んだのだ。考へて見ると一ヶ年のうち正月二月が死亡が一番多い。地球が冷えるからかも知れぬ。九時頃、屍体を乗せたタンカが窓下を通つて行つた。
夜、李さんが独言のやうに、乾性はいいなあ、今度生れて来る時にも、俺ァ乾性に生れて来る、湿性になりや体はどろどろに頽れやがるし眼は見えなくなるし……と言ひ出す。彼は勿論湿性である。
「なんだ、李さんは生れ更つてからも癩病になりたいんかい。」
と誰かが応へると、
「だつてお前、毛虫の子は毛虫つてことがあるぢやねえか。ライピョの子は、なんべん生れ更つたつてライピョに定つてらあ。」
それから彼は首を垂れて暫く考へ込んでゐたが、
「俺ァ考へた。人間も、そこらにゐる蝶々か虫とおんなじもんだ。さなぎになつて一年か半年眠つてて、また生れ更つて来るんだ。死ぬ時苦しむのはたましひが体から離れるからで、死んじまやあ苦しかねえだ。それからは魂は、うろうろ、そこらを迷ひ歩いて、どつか、そこらの関係してゐる男と女のあそこへ這ひ込んで行くんだ。そしてまた生れ更つて来るんだ。ふふふふ。」
そして彼はまた暫く考へ込んでゐたが、急に蒲団を頭から被つて寝てしまつた。
×月×日。
朝から晩まで雨。午後、受持の医者が来たので、退室したいと言ふと、雨がやんだら退室してよいとのことである。明日天気が良ければ退室することとする。夜、李さんが身上話を始める。聴きたくもなし。
×月×日
雨ますます激しくなり、一日中雨だれの音が聴える。眼の手術をした男は経過良く、今日は洗眼の時水が見えたと言つて手を打ちならし、はしやいでゐる。
午後「癩患者の心理研究、第1癩患者に於ける向性検査」を池尻慎一氏より贈られた。氏はこの病院の患者をも研究されてをられ、自分もまたその実験材料の一個となつてゐるが、これは熊本回春病院、九州療養所に於ける研究の結果報告である、淡路氏向性検査法によるものださうである。これは五十題の質問に「はい」とか「いいえ」とか答へるのであるが、この前その検査用紙を出された時には甚だ弱つた。凡ての問に対して「はい」と答へることも出来るし、また凡ての問に対して「いいえ」とも答へられさうで、そんなら俺はどんな男だらうと考へて行くと、もう結局さつぱり判らなくなつてたうとう書けず、氏が舎までわざわざ答案を取りに来られたのであわてて、はいとか、いいえとか答へて置いたものである。甚だ申訳ないがかなりいいかげんになつてしまつた。といふよりも全くいいかげんになつてしまふよりどうしやうもなかつた。もつともこれは患者全体の向性指数を出すのだから、自分一人くらゐどうでもいいのに違ひないと思つて安心した。はい、いいえ、と明瞭に返答の出来るほど自分が信用出来たらどんなによいだらう、などと思ふ。ひどく嫌な気持になつたので、こんな時は歩くのに限ると思つて廊下をぐるぐる散歩する。五号に入室してゐるNを見舞つてやらうかと思ひ出したが、やめる。一夜のうちに盲目になつた二十二歳の青年の前に出て見るがいい、また例の芝居をうつに定つてゐるのだ。芝居をうたなければ黙つて相手を見てゐるか、からかつてやるかのどつちかだ。からかふのなぞ嫌だとすれば黙つてゐるばかり、黙つてゐるくらゐなら廊下を歩きながら黙つてNのことを考へてゐてやる方が正直だ。で、結局ぐるぐる巡つて帰つて来る。
夕方ベッドの上に坐つて空の雲を眺めてゐるうちに暗くなつてしまつた。すると、こんなことではいけない、といふ考へが不意に浮んで来る。何もかもこれではいけないといふ感じだ。憂鬱になり、夜は眠れず弱つた。
×月×日。
朝、眼をさましてぼんやりしてゐると、K君の妻君が重態だからすぐ来いと言つて来る。人の死ぬのにはもう慣れてしまつたので大してびつくりする気にもならない。それで八号病室へのこのこ出かけて行つた時には既に人がいつぱいであつた。病人がゐないのでどうしたのかと訊いてみると、今手術室へ運んだところとのことで、人々はひどく興奮して、そはそはしてゐる。よく訊いてみると、同女はかねてから咽喉を冒されてゐたが今朝になつて突然呼吸困難に陥り、附添夫が吸入器をあてがふ間もなく窒息してしまつた。しかし咽頭に穴を切開すれば或は助かるかも知れないといふのである。ところがまだ朝早くで医者が暇どつて出てこられないのださうで、窒息してからもう三十分にもなり、多分助かるまいといふ。そして人々は事情を知るとみなばたばたと手術室の方へ駈け出して行く。それで自分も出かけてみる。
女たちは室の入り口に塊つて興奮した面持でささやき合ひ、男たちは室の中まで溢れ込んでゐる。手術室はまだ一度も見たことがなかつたので、こんな機会に見といてやれといふ気になつて中へ這入つて見る。
窒息した病人は頭を向うにむけて手術台の上に乗つてゐる。ちやうど一塊りのぼろぎれを乗せてあるやうにしか見えない。医者はまだ来てゐなかつたが、看護婦は既に二人来て、用意をととのへてゐる。色々な道具類が真白に輝いて、さすがに神経がここでは緊張する。無気味なといふよりも異常な美しさである。水をうつたやうに静かである。折角苦しんでゐるのに、咽頭に穴まであけて生かしてやるより、このままそつとうつちやつて置いた方が余程良いではないか、といふ考へが浮んで来る。しかし入口にひしめいてゐる男女の群は、興奮し眼の色を変へてこの女を生かさうと意志してゐるのだ。これはなんといふことだ。手術台の女自身も、咽喉に穴をあけるくらゐならこのまま死んだ方が良いと言つたさうではないか。そしてまさしく本望を果してゐるのだ。しかし人々はやつぱりこの女の意志の如何にかかはらず生かさうと意志してゐる。これが人間といふものだ。さう思ふとなんとなく重苦しくなつたので独りで他の廊下を三号の方に巡つてぶらぶらと歩く。あの女の生命は、あの女個人の意思にかかはりないものか。ここで神を設定するのは易い。しかし神を設定したとて何等の人間的解決も与へられぬ。それよりも個の生きる心は金に普遍されると解するのが正しい。そして生きるといふことに対しては、あの女が生き蘇つた後に来るであらう如何なる苦痛も問題にならぬ。少くとも今あの入口で興奮してゐる連中にとつては問題にならぬ。とにかく生かせばよいのだ。それが人類の意志だからだ。
ところであの女が本当に死んでしまつたらどうだらう。人間の意志のみじめさだけになるぢやないか。生命の実権を握つてゐるのは誰だ。──神様ばかりが御存知よ、となるだけか。とにかくこれは解決がつかぬ。解つてゐるのは、生きてゐる限り苦痛は続き、しかも如何なる苦痛に対しても尚生きようとするのが人間だ。否、凡ての生物だといふ古くさいドイツの哲学者の言葉だけだ。こんなことはもう百年前に研究済みだ。重要なことは、それなら如何に生きるかといふ、態度だ。ここから無数に道が分岐してゐる。そしてここに我々の問題とし得る問題がある。これまでのことは判り切つたことだが、今の時代には特にしつかり頭に入れて置く必要がある。さうでなければ、問題とし得る問題をも問題とし得なくなるかも知れないからだ。
朝食を終つてからまた出かけて見ると、もう女は完全に死んでしまつてゐる。咽頭切開後三十分間人工呼吸をやつてみたが駄目であつたとのことである。死体は病室に帰されてユカンをされてゐる。枕頭のけんどんに灰を入れた茶碗が乗せられ、それに何本もせんかうが立ててある。
午後、退室。久々で机の前に坐つてみる。枯れかかつた沈丁花に水などやる。
底本:「定本 北條民雄全集 下巻」東京創元社
1980(昭和55)年12月20日初版
初出:「文學界」
1937(昭和12)年4月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:Nana Ohbe
校正:富田晶子
2016年6月10日作成
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